クリスマス難民のあなたへ♪

クリスマスやお正月の時期は、もしかするといつもより人と自分を比べてしまうかもしれません。特に独身者や単身者は、家族でワイワイしていない自分・・・が身に染みる季節かもしれません。

イギリスで貧乏学生をしていた頃、クリスマスの日は電車も一切動いておらず、家で一人で過ごすしかない状態でした。そんなとき、アンソニー・デ・メーロの「Awareness」という本に“クリスマスは、自分の頭の中にしか存在しないって知っている?”という言葉があり、目を開かされたものです。

そのとき、「クリスマスを外国で一人ぼっちで過ごす私」という思考がパラパラと落ちて行ったのです。

とはいえ、それですっかり孤独が癒されたわけではありませんでした。ですが、それなりに楽になったしとテレビを観て気を紛らわしてその日は過ごしました。

その後、どれぐらい経ったとか、まったく覚えていませんが、人と比較されて傷ついたことをテーマに自分を見つめていたことがありました。今振り返れば、このときのワークはその後の私に大きな影響を与えくれたような気がします。

当時他者の批判に敏感だった私がよりにもよって、“~~さんと比べて溝口さんはぜんぜんダメですね。”みたいな分かりやすい比較と否定の言葉に、気持ちがどん底状態に陥ってしまったのです。

で、その晩は眠れない、眠れない。思考は、私にも良い所があるとか、相手は私のことを誤解しているだけだとか、なんとか気持ちを静めようと頑張りますが、やっぱりすっきりしません。

ということで見つめていくと、まず、相手へのものすごい怒り。その怒りを自由にしてあげ、しばらく罵詈雑言を放ち、そして泣いたらかなりすっきり。(当時はEFTを知らなかったので、あるワークショップで習った、怒りを体で表現するという方法をやりました。始めて見たときはかなりひいたエクササイズでした。)

すっきりした~と思ったのですが、なんかやばい感じが・・・・。

これは今ならはっきり分かるのですが、一つの感情や思いが解放された直後にやばい感じがでるときは、基本大物の登場です。

ただ、その当時はそれを知らなかったので、???な状態のまま、そのやばい感じに寄り添うことにしました。で、今でもお気に入りのツールであるフォーカシングをやってみたのです。

すると、そのやばい感じは、暴力的なほどの怒りになり、そこで再び怒りを体で現すということをやってみると、なんと手にナイフを持っているようなジェスチャーで自分の首を何度も刺そうとするのです。

うひぁ~~、エクソシスト?憑依された?殺される~?

恐怖が走る中、とりあえずそのジェスチャーを続け、私は必死にそれが“なくなる”方法を模索していました。しかし、その怒りとジェスチャーはまったくびくともせず、ひどくなるばかり。

詳しい流れは覚えていませんが、何かを問いかけた瞬間、 “そんなに私を嫌わないで”という声が浮かんできたのです。そして、“息も絶え絶えで死にそうなんだから”という声も聞こえてきました。

そこには、すべての人から嫌われていると信じ切っている私がいたのです。そんな自分が自分の中にいたとはまったく気づいていませんでした。モンスターのように思えていた怒りは、死にそうなほど自己価値が落ちて、なんとか生き延びようとしているもがきだったのです。

そのとき、イメージの中でその自分をしっかり抱きしめたい衝動にかられ、気がつけばモンスターはいなくなっていました。

癒しとは、ネガティブな感情を解放してくことだと思っていた私に、これは大きなレッスンとなりました。またなぜ、フォーカシングが「過激な受け入れ」を教えているのかも深く腑に落ちた瞬間でした。

一連のワークが終わった後、例の比較の言葉は楽しくはありませんが、単にその人の考えというニュートラルなものになりました。(今なら、マトリックス・リインプリンティングを確実に使うところ、たぶんもっと楽になります。)

ある意味ほっとしたのは、比較したり、されたりしたときの解決方法は、もっと良い自分になることではないんだとはっきり認識できたことです。

ところが、楽になっていたのは比較されて傷ついた心だけではありませんでした。それまでいつもうっすらとあった孤独感が和らいでいる、というかほとんどない。これは嬉しい副産物でした。

自分の中に放置している自分がいる、否定している自分がいる、見捨てられた自分がいる、これらの自分が「孤独感」というサインを送っていたのです。

自分の中の否定された部分は、孤独を生み出したり、比較されて怯えたり、いろいろな形で出ることも見えてきました。

しかし、おそらくここで私が一番学んだことは、「私は私から逃げなくて良いし、戦わなくても良い」ということだったでしょう。

つまり、「受け入れると良い」と頭では知っていたけど、結局、いつの間にかネガティブな感情から逃げたり(頭で説得したり、納得させたり、何かで気を紛らわしたり)、またはなくす(あっちへいけ!)ために受け入れようとしていたことがよく分かったのです。

真の受け入れとは、ネガティブな感情の奥をよく見ること。その下に隠されている言葉を聞いてあげること。そして、自分の中のすべての自分ともう一度家族になること。(それが私たちの本質だから)

それはもう一つのカミングホームとも言えるでしょう。自分の中の忘れ去られていた自分が「わたし」という家に帰ること。

これは一見、非二元の真実(私はいない)の真逆のように見えるかもしれません。でも、自我が「空」に憧れる大きな理由の一つは、もうこんなうんざりするような感情から逃れたいということだったりします。

でも、「わたし」という家にすべての私を受け入れたとき、「わたし」はわたしをあきらめ、生命にゆだねることがもう怖くなくなるんです。なぜなら、もう守るもの、とどめるものがなくなるから。

そして、本当のカミングホームが起こる♪ (*^_^*)

すべての私にハッピー・クリスマス!

 

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ハートレジリエンス協会が送るショートセミナー♪

「不安がなかなか頭から離れないあなたへ」

2017年1月29日(日)14時~16時半

 

理想と現実のギャップに悩んだら?

おぉ、一か月近く更新していませんでした。いやぁ、公私ともども日本にいると忙しいです。

さて、先日、一橋大学×東工大の大学院の学生さんにインテグレイテッド心理学(来年名前が変わります)の講義を1日させて頂きました。好感触でとても楽しかったです♪

で、学生さんと話をしていて、私自身もほんとそうだったのですが、やっぱり「理想の結婚像」とか「理想の人生」とかいろいろ描くわけです。

こんなふうな家庭が欲しい、こんなふうな人生にしたいという漠然としたイメージですね。これは人間がほぼ全員やることでしょう。

ですが、そのイメージ自体は基本、とっても大雑把でぼんやりしたものです。

「笑顔が絶えない明るい家庭」とか「自分らしさを活かしていきいきと」とか。(←学生さんたちがこう言っていたわけではありません)

でも、例えば笑顔が絶えないって、実際に現実にはどういうこと? パートナーの仕事が忙しくなって相談する時間がなくなっても笑顔でいられる? まったく意見が合わないことがあっても?

自分らしさを活かすって、具体的にどんなこと? 何をしていること? いきいきしているってどんな状態のこと?

せっかくの楽しいイメージに重箱の隅をつっついているようですが、なんでこんな話をしているかというと、イメージはやっぱりイメージなんです。そこになんの実体もないんですね。

ですが私たちは、それがあたかも現実味があるように思えたり、またはそうなるべきだと強く思ってしまったりします。結果として、多くの人がイメージと現実とのギャップに苦しんでしまうんですね。

で、それでもイメージが間違っているのではなく、現実が間違っていると私たちは思いがちです。

なので、必死にイメージに合うように現実を持って行こうとして、ここでまたさらに苦しんでしまう・・・・。

でも例えば、「明るい家庭」を理想像としながら、心の深いところで「誰も私のことを気にかけない」みたいなビリーフを抱えていたとしたら、パートナーのちょっとした言動が、自分を愛していないように見えるかもしれません。(←投影)

そうすると、「明るい家庭にしたかったのに、彼の愛情が薄いからできない(怒り!)」など、イメージとかけ離れた現実にがっかりとなりがちです。

さて、そもそも、イメージとは頭の中の「絵」ですね。感情や感覚と違って、頭の中に描ける「かたち」です。「笑っている」とか「いきいきしている」といった、気持ちが高揚したり、幸せを感じたりする「絵」です。

こういったイメージにくっついてくる気持ち良さが曲者なんです。このせいで私たちはコロッといイメージに騙されてしまいます。

ほんとうは幸せの根源は常に自分の中にちゃんとあるのに、イメージの中にだけあるように感じてしまうんですね。

とくに今の現状を悩んでいたり、不満や不足を感じていれば、「こうだったら良いのに・・・」というイメージを私たちは必ず持つはずです。で、そのイメージとのギャップに「はぁ~~」とため息をしてしまうみたいな。

つまり、私たちは「イメージ」を目指し、「イメージ」とのギャップに苦しみ、でもつい「イメージ」を追ってしまうんです。

ちょっと意地悪ですが、このイメージという言葉を「幻想」という言葉に置き換えてみると、

私たちは「幻想」を目指し、「幻想」とのギャップに苦しみ、でもつい「幻想」を追ってしまう・・・。

どうでしょう?

えっ? じゃぁ、なにかポジティブなことを描いたり、目指したりするのは無意味なの?と思われるかもしれません。

もちろん、そうではありません。というか、イメージを抱かないようにするというのは不可能でしょう。(勝手に起きるし)

ですが、実体のないものを生きる動機にしてしまうのもやはり危ういものですね。じゃぁ一体何が一番頼りになるのでしょうか?

となると、やっぱり同じ答えしかありません。それは、自分が一体ほんとうは何を求めているのか?ということ、イメージではなく、自分の深いところからくる感覚、思い、衝動。

結婚であるなら、自分が一番求めていることは何? もし、子供たちと楽しく暮らしている私であるなら、そこに何を求めているの? 「イメージ」や「かたち」ではなく、もっともっと深いところから来るものは?

信頼?無償の愛の感覚?つながり?

社会やマスメディアは、いかに「良いかたち」を作るかが幸せだ!と刷り込んできます。なので、自分の深いところに本質の声があるということを知らない人もとても多いです。

そのため、何を一番求めているの?という質問にも、非常に上っ面なぼんやりとした答えが返ってくることもとても多いです。頭の中のイメージを単に文章化しているだけというか。

ですが、自分が真に求めていることがクリアになれば、それがすでに「自分らしさ」であり、また自分を深く受け入れていれば、それがすでに「愛の発動」であって、そこからどんな人生が織りなされていったとしても、自分らしさと愛は消えないんですね。

ということで、これも耳タコだと思いますが、「感情・感覚」と仲良くなること。思考は同じところをぐるぐるしたり、衝突する思いの間で揺れたりしますが、感情・感覚は一貫していて、嘘がありません。

そして、自分が自分をどこまで条件なしに受け入れているのか?受け入れられていない自分はどんな感情を抱いているか?よく感じてあげるんです。

思考も大切な人間活動の一つですが、感情・感覚が私たちに示してくれるものもとても大きいんです。幸せは思考でするものじゃないですしね♪

最後にイメージはいつも過去か未来に飛んでいますね。いまここにないものではなく、いまここにあるもの(特に自分の中にあるもの)をしっかり見て、やっていく。終わり。

あぁ、人生ってそれぐらいシンプルだよって、大学生の時に誰かに教えて欲しかった・・・。
(ピンとこなかったかもしれないけど)

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東京:2017年2月10日~12日(下田屋寛子)

福岡:2017年3月18日~20日(西川佳宏)

※東京の2月の講座を受けた方は、3月のマトリックス・リインプリンティング
(講師:溝口あゆか)も受講して頂けます。(若干お席あり)

誰かのことで苦しいときは・・・

私たちが誰かについてあれこれ考えているとき、心配していたり、腹が立っていたり、気にしていたり・・・。

当然、私たちはその人について自分は考えていると思っているわけです。ある意味その通りですよね。○○さんは、ああで、こうで、そして・・・といろいろ思いを巡らすわけです。

ですが、ああで、こうで、そして・・・の部分は、100%自分の考えです。

それは分かっているさ、と思われるでしょうが、ここがミソなんです。とりあえず、「自分の考え」と手のひらに書いてみてください(笑)。

では、その自分の考えはどこから生まれたのでしょうか?

もちろん、自分です。

自分から出てきたものです。

つまり、相手について思っている、語っていると私たちは思いがちですが、実は自分はどうか?という「自分のこと」を語っているんです。

まだ分かりにくいかもしれません。ちょっと例を挙げてみましょう。

“○○さんは、どうしても自分の思い通りにしないと気が済まなくて、ほんといつも振り回される。他の人の気持ちを考えられないし、それに気づいてもいない。そして・・・・”

こんなとき、私たちは完全に○○さんについて考えていると思っているでしょう。でも実際は、たとえば、

“私は思い通りにされるということに非常にこだわっている。正直大嫌いだ。というのも、普段感じないようにしている、ほんとうは無力な自分が刺激されるからだ・・・・”
(これは一つの例です)

などといった「自分はこうなのだ!」という話が無意識のレベルにガツッとあるんです。

その人が、思い通りにしようとする○○さんのことを力を込めて話をすればするほど、聞いているほうは、“なんかよく分からないけど、この人、そこにこだわりがあるんだな”と感じたりもするかもしれません。

または、

“娘が東京でちゃんと一人でやっていけているか不安だ。変な詐欺や事件に巻き込まれないだろうか。きちんと食事はとっているのだろうか?”という思い。

この場合も娘についていろいろ考えているように見えますが、たとえば、

“私は娘の自立を信頼できない。もっと言えば、私は自分を信頼できない。信頼できるものが何もないから、いろいろなことが不安だらけだ”
(これも一例)

などという「私はこうです」という話だったりします。

こんなふうに、自分は他者について考えていると思っていても、実際は「自分のこだわる点はどこか?」という話だったり、「私はこういう人です」という話だったりするんですね。

で、何を言いたいかと言うと、“○○さんは、どうしても自分の思い通りにしないと気が済まなくて・・・”と考えているとき、私たちはおうおうにして、それは100%相手の問題だと思ってしまっているということです。

でも、誰かについて思いを巡らしていて、怒りや恐れ、不安や心配、嫉妬やねたみなどが出てきて苦しいのなら、それは「自分のこだわり」「自分の心の傷」「自分の恐れや不安」などなどが発動しているからですね。

なので、実際は相手は関係なくて、自分のこだわりや心の傷、恐れの中に私たちはどっぷりつかってしまっているわけです。

かつて、夫が浮気性だということでかなり苦しんでいる方のセッションをしたことがあります。パーティーへ行くと夫が女性の肩に手を回したり、楽しそうに話したり、自分をほったらかしにして楽しんでいるということで、離婚寸前の状態でした。

セッションルームでは、夫への怒りがすごく、夫がいかにひどいかということを必死に私に説得しようとしていました。

クライアントさんが求めていることは、自分への賛同や理解だというかことは分かるのですが、同意をしてしまうと、「相手が悪い」ことが決定されてしまいます。

なので、私はこういうとき、「謎の微笑」という武器(笑)でイエスともノーとも言わず、いつもかわすようにしています。

ただ、あまりに相手が悪いというエネルギー(思い)が強いとき、自分を見てもらう方向へ持って行くのは至難の業です。それよりも、ひどい相手によって傷ついた私を癒して欲しい、という気持ちが強いんですね。

でも、この方向では決して楽にならないんです。癒しとは、相手は悪者ではなかったし、自分も悪くなかったと、自分の中に悪者がいなくなったときに本当の意味で完結します。

ということで、もし誰かについてあぁだ、こうだと考えが止まらなくて苦しいとき、手のひらの文字を思い出してみると良いかもしれません。

自分の頭の中から相手が消えて、自分がスルーしていた自分の声を聞き始めたとき、それだけでもだいぶ心が落ち着きます。

そして、自分の中にあった恐れや怒り、不安などが癒されたとき、内側に優しくて、前向きな健全さが感じられるはずです。

それでも相変わらず相手の言動は不愉快かもしれません。平気になりましょうという話ではまったくありません。悪者じゃないけど、言動は好きじゃないというのもぜんぜんOKですし、相手にそう伝えても良いわけです。

ただ、もう苦しんでいないし、自分の心の中が変われば、そこから出てくる言葉や言い方、声のトーンなども自然と変わりますね。それが相手への変化を起こすかもしれません。(または、起こさないかもしれません。相手次第)

そして、どっちもOK♪

さて、今日からまた気仙沼でメンタルケアプロジェクトを開催します。熊本でも素晴らしい出会いがいくつもありました。親しい顔たち、新しい顔たち、またお会いできるのが楽しみです♪

 

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自我がうすうす知っていること

例えば、相手が自分を認めてくれない、バカにしている、なめている、評価してくれないと私たちが感じたとき、たいていすごく嫌な気分になったり、傷ついたり、腹が立ったりしますよね。

で、インテグレイテッド心理学では、これは自分の投影ですよ~と話をしているわけです。正確に言えば、認めてくれないように感じる、バカにしているように見える、なめられているような気がする、評価してくれないように聞こえる、などなどです。

つまり、感じる、見える、気がする、聞こえるという自分の主観の世界です。

自分はつまらない人間だと深いところで思っていれば、相手の言動が自分をバカにしているように見えたり、聞こえたりするわけですね。

で、その思いが変われば、たとえ相手がほんとうに自分をバカにしようとしていたとしても、不愉快でしょうが、「相手の問題」だと分かるわけです。

なので、どうしてもそういう風にしか見えなくても、感じているのが自分である限り、それは投影だよ~~と分かることが、まず癒しの第一歩なんです。

が、自分中心の解釈しか知らない自我(私たち)にとって、自分の感じていることや経験していることはリアルな事実であって、それが投影だと見抜くのは非常に難しいです。

でも、“うわぁ~、相手は自分のことをバカにしていたんじゃなかった~~!!!まじ~!たまげた!”という体験が一度でもあると腑に落ちやすくなります。

しかし、そもそもなぜ自我は、他者が自分のことをどう見ているか、どう思っているかにそこまで反応するのでしょう?

インテグレイテッド心理学では、それを「自己価値の死」「肉体の死」の二つに恐れがあるからとお話ししています。

他者から受け入れられない→一人ぼっちになる→生きていけない→死、みたいな。

これは何度やっても、セミナーの参加者全員が必ずここに行きついています。

分離している自分、大きな世界の中で生きている小さな自分が生き残るには、他者から良く思われていなければいけない、願ばくは、普通以上に受け入れられているほうが良い、そうすればさらに生き残り率が上がる・・・・。

つまり、バカにされて腹が立つのは、深いレベルでは、生き残りの不安を刺激されるからですね。ですからある意味、人間としては普通の反応です。

さてでも、ここでの話題はバカにされていないのに、勝手にバカにされていると思って怒ったり、傷ついたりしているケースです。究極の一人芝居ですが、この状態が一番苦しいです。

苦しいから、セッションを受けたり、セミナーへ出かけたりしますが、セラピストのささいな言動に腹が立つ、セミナーの講師の言ったことが気に入らなかった、受付の仕方が悪い・・・。あらゆることに反応し、怒りをさらにためていってしまいます。

苦しいから行くけど、またそこで怒りをためる・・・・という悪循環です。本人は、相手が悪いと信じて疑っていないために苦しみは非常に大きいです。

さて、ここから一気にノンデュアリティに飛びます。皆さん、シートベルトをお締めください(笑)。

生き残りとも関わってきますが、自我は深いところで「自分が空っぽ」だと分かっているんです。

自分の頼りなさ、どこに立っていたら良いのだろう? 永遠の暗闇に消えてしまうのではないか? 薄皮一枚でなんとか存在している感じ。私は役に立っている、受け入れられているとか、存在していて良いというストーリーがないと自分はどう立っていられるだろう?

なので、深いレベルで常に自分の存在なんとか証明していたい、自分はいるんだ、生きているんだと感じていたいという思いがあります。

人生がうまくいっていたり、他者との強いつながりがあったり、自分が好きだと思えているときは、この感覚はあまり感じられないでしょう。

でも、自己否定が激しいと、それはこの感覚とマッチし、加速していきます。存在していたいのに、私はダメダメ人間だと自分で自分の存在を否定してしまう。

もちろん、ぜ~~んぶ、潜在意識の深いところで起きています。

とにかく、自分はダメダメ人間だけど、なんとか薄皮一枚の思いで存在していられる。その思いとは、ジャン!、「私は犠牲者だ」

私が悪いのではなくて、世間や他者が悪いからこんなみじめな自分、ダメにされている自分、誤解される自分、理解されない自分でいるしかない・・・・。

このとき、やっと薄皮一枚でつながっている「私は犠牲者だ」という思いを癒すことは、まずものすごい抵抗があります。というか、たぶん、もしそんな話でもしようものなら怒られます。悪いのは相手なのに!!!

さて、このように、自我は自分が空っぽだとうすうす知っていますが、見過ごしているのは、その空っぽさに逃げ込む(ゆだねる)ことが本当は一番の救いだということなんです。

例えてみれば、小波が自分は空っぽだと思っていて、必死に形を保とうとしているけど、もしそれをあきらめて空っぽさに身を投げたら、消えちゃうどころか自分は大海だったと知るという感じですね。

つまり、自我が描いている最悪のシナリオは消えてしまうことですが、実は大海に戻るだけなんです。そしてそこは実は自分が一番求めていた愛、受容の場。

と書くと中には誤解する人もいるかもしれませんので、付け加えておくと、肉体の死(自殺)ではそれは決して見えてこないんです。ここで言っているのは、自己否定や犠牲者意識を手放す(握りしめていたものをあきらめる)という話です。

または、自己受容、自己愛を高めていくことで、自己を超えていく・・・。だから、奇跡のコースでは、「罪悪感を癒す」ということが繰り返し書かれているのだろうと思います。

いずれにしても、他者が悪く見えているとき、それも絶対相手が悪いと確信しているときほど、もし楽になりたいのなら、相手に怒りをぶつけたり、責めたりすることをあきらめてみること。

そして、ストーリーもあきらめ、「感情」に目を向けることです。(怒り、悲しみなど) そして、その感情が持っている感覚の中に沈んでいきます。無抵抗に。あたかも自分は存在していないかのように。空っぽになってしまうんです。(これが降参=受容♪)

こうしてストーリーから自分を解放し、自分の中にあるものに身をゆだねたとき、やっと空回りから抜け出せ、本質、そして癒しへ帰るスタート地点に足を踏み出すことができるでしょう。

多かれ少なかれ、皆が深いところで感じている空っぽさ。一番感じたくない感覚。

でも、その先に実は愛と受容がある♪

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お金のダイエット♪

それにしても、お金にかなり不必要な重みをもたせていたなぁとつくづく思います。

事実はシンプルで、今手元に○○○円のお金がある。終わり。

ちょっと分かりにくいかもしれません。

ということで、ちょっと視点を変えてみましょう。

お金は、もっとも私たちを過去や未来へ連れて行くものの一つだと思うのです。

私は、ずっと「お金を無駄にする」「お金を損する」ということに非常に罪悪感を抱いていました。もちろん、無駄にした、損をしたというのは私の解釈で、一体損なのかどうかは誰にも分かりません。

でも例えば、大金を払って買ったものを使わない、または、実際の価値以上に払ってしまった・・・と私が思ったとき、ものすごい自己嫌悪に陥っていたのです。

もちろん、金額が大きくなればなるほど、自己嫌悪だけではなく、恐れまでくっついてきたものです。(なぜかセラピーに費やした場合は、罪悪感なし←たぶんおたく病)

で、見ていくと、そこには「お金とは努力と汗の結晶」という思いがあり、つまり、お金の無駄や損は、私にとって「自分の努力を無駄にした」ことになっていたのです。

で、自分が苦労して得たものを無駄にするというのは、私にとって生きてきた証を損ねるもので、それを続けてしまったら、生きている意味がなくなり、そして「死」→きゃぁ、怖い!になっていたのです。

つまり、今までの頑張りという過去のストーリーをお金につけまくっていたわけです。

では、無駄や損をしないように「賢く使う」「正しく使う」ようにしようとすると、いきなり「未来」に飛ぶしかなくなります。

今これを買って、来年も使うだろうか?この資格を取ってほんとうに役立つのか? これは絶対損しない投資だろうか? 将来お金はずっと入ってくるのだろうか・・・・そもそも使わない方が良い?

などなど、やはりこちらにも心配や不安を投影した未来というストーリーがお金にどっさりついてきます。

過去の後悔や罪悪感、未来への心配や不安を持ち続けるのが嫌になると、自我的には「そうだ!お金がもっとあれば良いんだ!」となるでしょう。

お金がもっと入れば、過去の間違い(?)をチャラにしてくれるし、未来への心配もなくなる!

ということで、やっぱり「どうやったらもっとお金が入るか?」と意識が未来へ飛びますね。

でも、実際は「今、○○○円のお金がある」、終わり。

今、払える家賃がないのなら、どうにかする。どうにもならなかったら、そういう状態が今ある。なんか冷たく聞こえるかもしれませんね。

でも、そういう状態(=ありのままの状態)は、そのときに過去や未来に思考が囚われすぎていなければ、とてもシンプルです。心配や後悔、自己嫌悪などが苦しみを生み、ありのままはただ静かです。

そして、思考が過去や未来に囚われていないほど、地に足の着いた方法が見えてくるものですね。

また例えば、今、行きたい講座を受けるお金がないのなら、どうにかしてみる。どうしてもお金が見つからなかったら、やっぱりそういう状態があるということ。

ここでも、講座に行けない情けない自分とか、行かなくて良いセミナーということだよね~ストーリーなどに囚われなければ、過去からも未来からも自由でいられますね。

どうしてこんなことを書いているのかと言うと、私は物心ついたときに祖父の会社が倒産し、なぜか父がすべて負債を負ったために、すべてを失うということがありました。

なのでお金に関しては、家族のストーリーもバンバンに含んだあらゆるものがごっちゃりついていたからです。

今もお金に関しては、ストーリーが生み出されてきますが、ただ、巻き込まれるよりはだんだん冗談になってきました。

そして今思うのは、「お金がどうやったら入るか?」という一見ポジティブな行為も、実はけっこうなストレスがあったなということです。

こうやればお金が入るといったノウハウやメッセージは、世の中にほんとうに多いですよね。私自身もかつて真剣にそれらの本を読んでいたこともありました。中には感銘するものもあり、それなりの智慧にはなったかもしれません。

でも、お金にまつわる過去と未来から解放されてみると、すべてはとてもシンプルで、そしてもっと地に足が着いた安定感を感じます。

さて、誤解して欲しくないのは、過去や未来に囚われずに「いま」にあっていれば、すべてはうまくいく、良い方法が思いつく、という話をしているのではまったくありません。

もっと地味な話で、やることはやっている上での話です。

思いを変えるだけでお金が入るとか、または、なるようになるから天におまかえ(自分は何もしない)みたいな話も耳にしますが、ひまわりの花を咲かせたいのなら、ひまわりの種を植えないといけないように、お金が入ることにつながる行動は必要だよね、というのが私のスタンスです。

どこかに勤める、自分で仕事を始める、なんでも良いのですが。

なんか狭苦しい話に聞こえるでしょうか? でも、お金のために働けと言っているのではなく、何かを生み出す行為をしないと生まれないよね、というシンプルな話です。

そして、仕事も子育てもなんでも、生きる営みとして一つ一つの行為は、それが行為者によって愛されたとき、それがなんであってもとても美しいものだと思うのです。

なんだか今日は「シンプル」を連呼してしまいました。でも、ほんと、Simple is Beautiful♪

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依存に陥らない健全な疑い♪

本日より、ハートレジリエンス協会認定「心理セラピスト養成講座」の募集が始まります。なんかドキドキ~♪

ノンデュアリティが昨年流行ったため、私をノンデュアリティのスピーカーだと思っている人もそれなりにいらっしゃるようですが、私は基本、“癒しおたく”です。うふふ。

ということで、癒しの職人仲間を増やしたい!

と、同時にもう一つ、ハートレジリエンス協会の活動として、鬱、引きこもり、心の病といった、なかなか答えがない状況に何か貢献したいという野望もあります。(ケアラーのケアも地道に続行します)

例えば、鬱で引きこもりになった方の親御さんからのご相談などをそれなりに受けます。が、病院に行っても仕方がないし、周囲に分かる人もいないしと、行き場がないことが問題だなぁといつも感じるのです。

ネットで検索すれば、多くの情報は出てきますが、肝心の自分に合う答えは見つかりません。どれだけ情報社会になっても、自分特有の人生の問題に答えてくれるものは、やっぱりないんですね。

どなたかが私のセミナーでおっしゃっていましたが、そのためスピリチュアル、自己啓発、悟りといった方向へ流れていく人も多いでしょう。(私もその一人)

ところがこの方面がまるでごっちゃ煮で玉石混交なので、右往左往してしまう・・・。そして、自分の中でもこれらがぜんぶミックスされ、これはこれでまた混乱が生じてしまう。

例えば、イギリスである女性が、世界的に有名な非二元のティーチャーに“毎日パニックが起きてほんとうに生き辛いです”(パニック障害)と訴えていました。で、そのティーチャーの返事は、“パニックは存在しない”でした。

女性はそのメッセージをすがるように聞いていましたが、それが役に立ったとは女性の表情を見て、とても思えませんでした。(心の中でEFT!!と叫んでいた私)

ちなみにガンガジさんは、そういう人たちに、“一応確認ですけど、専門家に見てもらっていますか?”と聞いていました。

これもアメリカで実際にあった実話ですが、非二元のメッセージにはまりすぎた人が、足の痛みを“ただ現れているだけ”とやり続けていたため、足切断まで行ってしまったそうです。

足切断は、目に見えるためある意味分かりやすいですが、トラウマやパニック障害なども私から見れば、きちんとセラピーを受けたほうが良い部類に入ります。

でも、トラウマやパニック障害、鬱などが病院へ行ってもよくならない場合、もう一体どこへ行ったら良いのか分からず、途方に暮れる人も多いはずです。

で、結局、私たちのような怪しい?市井のセラピストのところへ行くしかないのが、今の現状かもしれません。

話は逸れますが、一昨年からは大手メーカー、金融企業、または東工大、一橋大学でストレスマネジメント講座で開催させて頂いたり、セラピーは怪しいというイメージの払しょくにも努めております。

で、話を戻して、人生の悩みや苦しみに対して答えがないとき、どうしても私たちは何か頼りになるものが欲しくなります。または、漠然と不安が大きいとか、自分に自信がない場合も、誰かにポジティブ投影をし、その人に依存したくなったりしますよね。

こういう状態でスピリチュアルや悟りなどのセミナーへ行くと、メッセージをそのまま鵜呑みにしたり、スピーカーのファンになったりということも起きるでしょう。

ですが、ある意味皮肉なことに、メッセージの鵜呑みやファンになっている状態では、ほんとうに自分にとって必要なことは見えてこないことが多いんです。

なぜなら、自分で選び取り、自分で開拓していく姿勢になっていないからです。

でも、そもそもその自分が信頼できなくて、自分で考えても分からないし・・・、という方もいらっしゃるでしょう。

そんな場合、お薦めしたいのが「健全な疑い」を持つことです。

有名なティーチャー、スピーカー、カウンセラーの言葉をなんでもかんでも鵜呑みにするのも、または逆にすべてインチキだ~とただ疑ってしまうのも、自信のなさの現れとして同じことです。

が、健全な疑いとは、否定もしていないけど、鵜呑みにもしていない状態ですね。すると、そこから出てくるのは、本当だろうか?という好奇心です。

好奇心というのは、ハートから出てくるエネルギーですね。なので、好奇心は他者依存から、自分を自分の中心に戻してくれるエネルギーです。また、面白そうだから吟味してみようという自分で模索するという姿勢になっていくでしょう。

なので、そのときの「分からない」は、まだ分かっていないこと、知らないことへのオープンなスペースとなり、ティーチャーやスピーカー達のメッセージは、依存するものではなく、サポートするものとなっていくはずです。

で、そうやって試行錯誤しながら模索するうちに、何か自分に必要なものにたどり着いたりしするんです。また、思考錯誤自体が自分の智慧になりますね。

また、単純に「心のしくみ」を知ることも、鵜呑みや依存にならない手助けになるなぁと思います。

「しくみ」を学ぶことは単なる知識ですが、知識も生きる上での大切なリソースです。知らないから人の話を鵜呑みにして、依存してしまうということもあるかなと思います。

20代の頃、生き辛くて仕方がなかったとき、哲学から心理学、自己啓発、そして精神系の本を読み漁り、楽にならなかったばかりか、もしかすると憑依されているから私は苦しいのかも?と真剣に思ったこともありました。

自分の心の中をきちんと見ていくなんて思いもよらなかったのです。でも、歯が痛かったら、歯を見ないといけないように、心が痛むのであれば、心をきちんと見る必要がありますよね。

ということで、もちろん私の言葉も一切うのみにせず、「健全な疑いを持つ」というご提案にも健全な疑いを持って(笑)、好奇心から試して頂けると嬉しいかなと思います。

で、自分の体験と私の言葉がマッチしなかった場合、もちろん自らの体験、経験の方がいつもあなたにとっての正解です♪ (*^_^*)

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

一般社団法人ハートレジリエンス協会認定心理セラピスト養成講座

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2016年12月3日(土)13:30~16:30

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解体される心♪

現在、今年で最後のロンドンカウンセラー養成講座開催中です。ロンドンといっても、昨年からはロンドン郊外の修道院が会場です。(タイトルの上の写真) 14434996_10154100585874862_5857191209468420873_oシスターも親切で、空気も食事もおいしく、いろいろな意味で素晴らしい環境です。

ロンドンでのコースは10年目の今年で最後となり、来年以降は東京での開催とすることになりました。10年も同じコースをロンドンでできたこと自体、本当にありがたく思っております。

何でも5年以上続くときは、目に見えない何かが助けてくれていると誰かが言っていましたが、本当に自分の力だけではないことだけは確かだなぁとつくづく思います。

来年から場所を日本に移して、今後どんな展開となっていくのか、そちらはそちらでまたとても楽しみです。

もちろん、10年の間に内容ややり方などはどんどん変化、変容しましたが、その中で変わらずコースのかなめとなっているのが、「インテグレイテッド心理学」です。これは、10年を経た今、ますます重要だなぁと思っています。

インテグレイテッド心理学とは、以前にも書きましたが、いわば「心の解剖学」です。身体の症状に対しては、体の中をきちんと検査しようとするのに、心の苦しみや精神的な症状に関しては、その人の心の中をきちんと見るということはあまりしません。

例えば“亡くなる前にもっと大好きな叔母の世話をしてあげればよかった”と、ずっと後悔している人の場合、これは、インテグレイテッド心理学としては、症状のレベルです。

なので、“人は常にそのときのベストを尽くしているのだから、あなたは十分にやったのだと思います”とか、または“叔母さまは、あちらであなたが後悔しているのを見ても喜ばないと思いますよ”とか、考え方を変えて楽にさせよとするのは、症状をいじっているだけになります。

でも、表に出ている症状ではなく、もっとどんな思いや感情が隠されているのか、心の中を見ていくとどうでしょう?

私は自分なりに作り出した「問いかけ」や、またはフォーカシングやEFTなどのセラピーを使って心の中を見ていきます。体の症状でいえば、レントゲンやスキャンみたいなものですね。そうすると、ご本人が見えていなかった、後悔を生み出しているほんとうの思いや感情が見えてきます。

ちなみにインテグレイテッド心理学は、私や誰かの理論や説、または研究でもなく、人間すべてに共通している心の作用をまとめたものです。と、書くと大げさに聞こえますが、「奇跡のコース」や悟りのマスター達が伝える自我の機能をまとめただけです。(でも、やっている人がいない)

自我は自我の働きにはまっているため、自我目線で自我の働きを見ることは非常に難しいでしょう。しかし、自我目線を超えた視点からは、自我の働きが手に取るようによ~く見えます。

誰か一個人の考えや洞察ではないから、もっと普遍性があり、また思考を通さず、あるがままの人の心を描写しているだけなので、もっとも解剖学に近いとも言えるでしょう。解剖生理学に個人の考えや理論は要りませんから。

で、話を叔母の罪悪感に戻して、

自我は最終的に「自己価値の死」と「肉体の死」をいつも恐れているため、基本的にものすごく自分中心主義です。

なので、一見、叔母の世話をしてあげればよかったと、叔母に対する思いのように見えますが、ほんとうに苦しみを生んでいるのは、自分自身についての思いなんです。

で、心を切り開いてみていくと、例えば「私はいつも中途半端だ」といったようなビリーフが見えてきたりします。また、思いだけではなく、「最後まできちんとやり切れなくて、固い表情でたたずんでいる自分」みたいなセルフイメージももれなくついてきます。

本人はたいてい完全にスルーしていますが、常にこの思いやイメージを抱えているんですね。ですから、いろいろな人生の場面でこのビリーフは現れていますが、特に大好きだった叔母の死がこの思いを強く刺激するわけです。

そして、ここでセラピーを使って、このビリーフを解放したり、シフトさせたりします。すると、叔母への罪悪感も一緒に消えていくんです。

そのとき、罪悪感という眼鏡ではなく、今度は愛やなつかしさで叔母との思い出を振り返ることができるようになるでしょう。

ただ、解放といっても、自分を苦しませるビリーフはさっさと捨てよう!ということではありません。ネガティブなビリーフが生まれたとき、そこにはそれを信じてしまった自分がいますよね。例えば、「お前はなにやってもものにならないな」などと言われ続けた自分、傷ついてずっとその言葉を信じてきた自分です。

解放とは言い換えれば、忘れられていた傷ついた自分を救い出し、受け入れるということです。これによって変化が起きるんですね。

そして、その変化は本質の流れに沿った、ご本人にとって最も自然な状態となります。このツールとして、私はやっぱりマトリックス・リインプリンティングを使っています。

例えば、咳が出て止まらないとき、自分の体に中で何が起きているのかが分からないように、精神的に苦しんでいるときも、私たちは自分の心の中で何が起きているのかほとんど分かっていません。

なので、叔母の死のように、私たちは出来事や他者が自分を苦しめていると勘違いしてしまうんですね。

ですが、人間関係や仕事、家庭の問題、恋愛などから、鬱や依存症といった特定の問題まで、苦しみや症状を生んでいるのは、自分が気がついていない何かしらの思いを信じ込んでいたり、自分の一部を切り離していたり、抑圧したり、抵抗したり、または否定していたりするからです。

人の心は、体のように切り開いて目に見えるものではありませんね。見えないだけに、それを見ていくことは簡単ではありません。私もまだまだ見えないことがたくさんあります。

でも、セラピストの判断や推測、意見、アドバイスなど一切なしに、クライアントさんの心の中に何があるのか?だけを真摯にただ見ていく、そんな仲間をさらに増やしたいなぁと思うのです。

そして、自分の中に葬り去れていたものを表に出して受容していくことで、私たちの中に愛、受容という本質がどんどん顔を出していきます。

もともとあるけど、隠れていたもの。

自分を癒していくうちに、いつの間にかそっちが自分の土台になっていく・・・。これが癒しの醍醐味ですね♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

MRJ主催1日フォーカシング講座

私も自己ワークにセッションに乱用しています♪

ハートレジリエンス協会のショートセミナー

「お金と仲良くなろう~!お金の不安から脱出するセミナー」

*来年の心理セラピスト養成講座の募集は10月上旬から中旬を予定しております。

案内は近日中に「一般社団法人ハートレジリエンス協会のサイトにアップの予定です。案内を希望の方は、hhclondon@yahoo.co.jpまで。(現在講座中のため、返信が少し遅れ気味となりますが、ご了承くださいませ。)