実在しないものに反応する脳~心の風景と鬱~

先週末はOAD心理セラピスト養成講座で、複雑性トラウマ(愛着障害)と鬱のしくみとセラピーでどう対応するのかという講座を行いました。

自分は特にトラウマはない、鬱にはならないと思っている方でも一度は知って欲しい、トラウマや鬱のしくみ。もちろん、すべてが解明されてたとはまだまったく言い難い状況ですが、それでも昨今の神経学や脳科学によってかなりしくみが明らかになってきたと思います。

癒しおたくとしてはめっちゃ興奮♪

こころ、神経、脳の状態がどう連動しているのか?という観点に非二元をさらに加え、気づきの意識(すべての人に浸透している)との関係。

私たちはほんとうにホリスティック(心、体、自己の本質、社会環境)な存在で、どれか一つだけ見ていても全体像は見えてこないなぁとつくづく思うのです。

とりあえず、ブログには心の観点だけちょっと書いてみますね。

米国スタンフォード大学の神経学の教授であるロバート・サポルスイキーは、目の前に敵が突然現れ、恐れとショックを感じるときと心の中で敵について考え、恐れているとき、脳はまったく同じ反応をすると鬱の講義で話しています。

例えば、大失恋をして心を癒そうとどこか景色の良いところにホリデーに行ったとします。目の前にはオーシャンビューが広がり、太陽が燦燦と照っている。

でももし、別れた相手のことが頭から離れず、“なぜなんだ・・”、 “あのときのあの私の言動がなければ・・・・”、“私は欲しいものが手に入らない人間だ”、“この先生きていて何の意味があるのだ”などと、繰り返し思考が沸いてきたとしたら。

皆さんも経験上お分かりですよね。あなたの体はオーシャンビューに反応していますか?それとも、別れた相手との記憶、そこに流れるストーリーに反応しているでしょうか?

ある意味、私たちの体(脳、自律神経)は、肉眼で捉えている現実よりも頭の中に流れているストーリーにもっと反応しているんですね。

頭の中のイメージは実際に存在しないけど、イメージそのものは存在しますね。では、イメージはどこに存在するのでしょう?、脳内?それとも意識のフィールド?と考えていくと、集合意識を含む量子フィールド、環境や人の感情、思いが遺伝子に影響を与えるというエピジェネティックの世界にも入っていきます。

ねっ、オタクが夢中になる理由が見えてきたでしょうか?

とりあえず、物質主義にとどまっている現代の脳科学の世界でも、例えば鬱は偏桃体が暴走し、恐れや不安が強く出てしまい、そのためストレスホルモンが異常に高くなる・・・というような実験結果があります。(めっちゃ大雑把にまとめています。)

偏桃体は感情脳と言われる大脳辺縁系の一部で、情動を司ると言われていますが、例えば私たちが身の危険を感じたとき、恐怖や不安を感じることで逃げるという行動ができます。その指令を出しているのがニューロセプションというものですが、詳しくはここでは省きます。

とりあえず、神経や脳が正しく機能していれば、ほんとうに危険な時に偏桃体が刺激され、危険が解除されたときは、安全・活力のモードに戻れます。

ところが、大失恋の話に戻って、“私は欲しいものが手に入らない人間だ、生きていたところで何の意味があるのか?こんな人生終わりにしたい”と思い続けていたとします。

で、ここでもう一つ、

私たちがこういったストーリーを頭の中で展開しているとき、頭の中にはボンヤリかもしれませんが、イメージも必ず伴っています。

おそらく、このブログを読んでいるときも、オーシャンビューというところでは、きっと皆さんのあまたの中に自分バージョンのオーシャンビューが漠然とイメージされていたはずです。

このように私たちはいつも言葉やストーリーを聞きながら、言葉だけではなく、イメージも頭に浮かべているものです。

そして、実は言葉よりもイメージのほうがよりパワフルなんですね。

なので、“私は欲しいものが手に入らない人間だ”と思っているとき、そんな自分や自分の人生の漠然としたイメージがあるものです。これに気づいている人はほとんどいませんが。

しかし、脳はオーシャンビューよりもこのイメージに反応するので、“自分の人生は意味がない、ダメだ=人生の危機”と捉え、偏桃体が反応してしまいます。つまり、このイメージを持ち続けることで、いつまでも扁桃体を刺激し、ストレスホルモンが出始める・・・・という流れに。

さらに言えば、そもそもなぜ“私は欲しいものが手に入らない人間だ”と思い込んでいるのかというと、それを支えている潜在意識の深いところの思い込みがあるんですね。

例えば、心から切望したものが何度も裏切られた経験を幼いころにしていた場合、心の中に“明るい光に背を向けて暗いところに座っている自分”というイメージが出来上がってしまったかもしれません。

そして、その自分は絶望感でいっぱい。

すると、大失恋がこのイメージと絶望感を刺激し、たかが失恋、されど失恋とすご~く苦しくなります。

今まで失恋から鬱や依存症になってしまった人を何人も見てきました。失恋は実は自分の最もコアの欠乏感を刺激することがあり、実はかなり苦しくなることもあり・・・・。

話を戻して、ストーリーやイメージができてしまうもっともな要因はあるのですが、でも、実際には“明るい光に背を向けて暗いところに座っている自分”は、どこにも実在しないんです。

実在しないけれど、体感を伴うリアル感が大きすぎて、私たちはないものをあると真剣に信じ込み、無意識にイメージの中を生き続けます。

人間はないものを夢見ることで、新しい発明も生み出せるけど、ないものを無意識に信じ込むことで、自分を恐れのストーリーの中に閉じ込め、一生をその中で過ごすこともできてしまいます。

でも、グッドニュースは、どんなストーリーも解体可能だということです。

自分の無意識のストーリーを知って、自分を自分から自由にさせてあげること。これも目覚めですね♪

 

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“無条件”の幸せ♪

クリスマス&お正月の時期は、家族がいない人やシングルペアレントにはプチ痛いシーズンかもしれません。

かつてロンドンで貧乏留学生をしていたころ、外国での一人クリスマスは日本にいるときよりも一人ぼっち感が刺激され、心痛かったものです。

しかし、アンソニー・デ・メーロの“知っている?クリスマスって頭の中にしか存在しないんだよ”という言葉に良い意味で打ちのめされ、そうだよ、ただの火曜日じゃないか!と、人類が創り上げているクリスマス幻想から目覚め、それ以来あらゆる行事がただの日になってしまいました。

と書くと、まるで楽しみがなく、季節感もない人生になってしまったように聞こえるかもしれません。

ですが、その当時、世間がクリスマスを楽しく過ごしているのを横目で見ながら、私の頭の中にも“私もこんなクリスマスを過ごすはず、過ごしたい”という絵が強烈にあり、それが実現していないというか、ない、ゼロ、“無”である現実とのギャップで心痛めていた身には、それこそ福音だったのです。

というのも、ここにないものを求め、得ようとするエネルギー、それがないことを悲しむエネルギー、それらのエネルギー量の多さを真に自覚することができたからなんです。

しかもすべて頭の中で起きているだけ・・・・・。

こうやって人は膨大なエネルギーを自分の頭の中で過ごすんだ・・・・。

それは膨大なエネルギーが伴う欠乏のストーリー。

目に見えたわけではありませんが、見えたかと思うほど、それをはっきりくっきりと感じたのです。これにはまっていたら苦しいわけだと・・・。

ちなみに世の中には、苦しい、苦しいと言いながら、この欠乏のストーリー(またはどんなストーリーでも)がもたらすドラマに密かに深く魅了されている人もそれなりにいます。(潜在意識のレベルです。)

ですが、それは悪いことではなく、ドラマに飽きるまで経験しつくしても良いんじゃないかと思うのです。

さて、このブログは今、家の近くのミスタードーナツで書いています。というのも、隣が全面リフォームとやらで壁を叩く音、機械音がすごいため、逃げているからです。

ミソフォニア(嫌音症、HSPの人に多い。他人がご飯を食べる音、上階の足音、パソコンを叩く音などに異常に嫌悪感を頂く。ただいま自己ワーク中)の私としては辛いのですが、ここは天国♪

ロイヤルミルクティーはおかわり自由だし、カウンター席は人が少なく、行きかう人をみながら仕事ができてしまう・・・。ドーナッツに抗えないことだけが難点。

でも、100%満ち足りていて幸せな気分♪

とはいえ、もちろん多くの人の人生がそうであるように、家族の病気や仕事のトラブル、人間関係のすれ違いなどなどつきです。

かつて私は幸せとは、そういうものがない状態だと勘違いしていて、しかもそういう状態が続くべきだと思っていたものです。

ですが夢から覚めてみれば、幸せとは心の平和と、そして生命の息吹(人生の様々なドラマを経験できていること)なんだなぁとつくづく思うのです。つまり幸せとは、本当はいつでもどこでもあるというか。

アンソニー・デ・メーロはまた、“人はみな無条件に幸せになることを拒んでいる”(正確な言い回しは覚えていない)とも言っています。

あの問題が解決されたら、

私がもっと癒されたら、

状況が変わったら、

夢が叶ったら・・・、

などなど、ある条件がクリアにならない限り、私は幸せじゃない。あぁ~、なんてその通りなんだと当時これまた納得。

とはいえ、当時はまだ夢への渇望が大きすぎて、どうしても夢が叶って欲しいという条件を外すことができませんでした。

そして叶わなかったとき、お決まりの苦しみコース♪

しかし、幸いなことに癒しおたくであったため、自分のあれこれを見つめ、癒していくうちに夢への渇望もどんどんマイルドになり、叶わない夢もほろ苦さを持ちながらも愛おしいものとなっていきました。

そしてはっきり見えてきたことは、幸せは渇望(欠乏感)に隠されていただけだったんだなぁということです。

幸せは得るものでも、なるものでもなく、いつもあるもので、隠されてしまうものなんだと。

人生の起きることが悲劇であればあるほど、幸せは隠され、あたかもないかのように思えてしまうでしょう。または、もう二度と手に入らないもの。

かつてロンドンのアルコール依存症回復センターでセラピストのボランティアをしていたとき、クライアントさんの話はどれもこれも悲劇的かつ悲惨なものが多く、私はまったく手が出せず、無力感を感じていました。

しかし、今はっきり分かることは、どんな悲惨な経験もそこにある欠乏感、喪失感、絶望感などを癒すことで、私たちはストーリーの同化から自由になれるんです。

それは単純に経験に伴っている感情を癒すという意味だけではなく、その経験の中心人物である自分が握りしめている自分像、世界観、他者との関係性をも癒し、そして解体していくということです。(OAD心理セラピスト養成講座の目的)

すべての経験、そしてすべてのストーリーは解体可能で、それは言い換えれば、経験の中身が何であれ、すべての人が無条件の幸せを持っているということです。

そしてもっと言えば、それが私たちの本質なんです♪

それでは、ただの一週間だよね~と知りながら、お正月幻想を心からお楽しみください♪

 

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受け入れると楽になると言うけれど・・・。

心理系の必須書とも言われる「The road less traveled(愛すること、生きること:『愛と心理療法』)by スコット・ペック」。 その本のある意味ショッキングな(当時の私には)冒頭文。

人生とは困難なものだ。
これは偉大な真実であり、多くの偉大な真実の一つである。これは偉大な真実で、というのも、この真実を真に見抜いたら、私たちは困難を乗り越えられるからだ。一度、人生は困難なものだとほんとうに知って、理解し、受け入れれば、人生はもはや困難でなくなる。なぜなら、一度受け入れれば、人生は困難だという事実は取るに足らなくなるからだ。

“Life is difficult.
This is a great truth, one of the greatest truths. It is a great truth because once we truly see this truth, we transcend it. Once we truly know that life is difficult – once we truly understand and accept it – then life is no longer difficult. Because once it is accepted, the fact that life is difficult no longer matters.”

この本を始めて読んだのは、1996年の春でした。この冒頭の一文に私は大きな衝撃を得たことを今でも覚えています。衝撃的過ぎてあとの内容をまったく覚えていないぐらい(笑)。

というのも、それまで漠然と人生とは幸せなはず、うまくいくはず、テレビのCMのようなにみんないつも笑顔で過ごせるはず、そして、自分がそうでないのは、自分が何か間違っているから、どこか変えないといけないからだと思い込んでいたからです。

自分のどこを変えたら良いのか? それを知るためにこの本を参考にしようと手に取ったら、いきなり、人生は困難なものだと知りましょう、受け入れましょうとあったからです。

強いショックを受けたものの、人生を楽なものに、幸せなものにしたいという気持ちが強すぎて、ほんとうの意味では当時の私には浸透しませんでした。

そして今、自分自身の、そして多くのクライアントさんのセッションを経て、これぐらい真実はないなぁとしみじみと思うのです。

ほんと~にあらゆる苦しみ、悩みの根本には、最終的に必ず今の自分や自分の真の思い、今の状況、今の人生の否定があるからです。

だから、例えば今苦しいなら、その苦しみがあることを許してしまうと楽なるという、ある意味矛盾が起きるんです。(許すふりではなく)

ここで、あぁよく聞く“あるがままを受け入れる”ってヤツね。と、思う方もいらっしゃるかもしれません。

すると、たいていこんな疑問も沸いてきます。

戦争や暴力も受け入れるの?

これは受け入れを「それに対して何もしない、放置する、そのままにしておく」と解釈してしまったために起きる疑問なのかもしれません。

受け入れとは、まさに冒頭の分が言っているように、「それがあることを真に認めて、理解して、受け入れる」ですね。

例えば、苦しみがあると真に認めることと、単に苦しんでいるが分かっているのとでは、雲泥の差があります。真に認めれば、必ずそこにほっとしたような緩んだ感覚が伴います。それまでは、あることは分かっているけど、真の意味では認めたくないし、否定しているので苦しんです。

そして理解するということ。苦しんでいるよねと苦しんでいる自分を理解してあげる、どうにかしようとしないでただ理解してあげる。その上で、苦しみがあることを受け入れる。

受容とは、がむしゃらになんでも受け入れるという意味ではないでしょう。

戦争や暴力も同じように、まず戦争が起きていることを真に認める、そして理解してみる。すると、ただ悪いことだ!と思っていた戦争が人類の恐れのうごめきに見えてくるかもしれません。そして、それがあることを受け入れる。

そして、受け入れとは何もしないということではなく、理解したあとに自分の中から生まれる思いや行動も受け入れるわけです。

戦争があることを認め、理解し、受け入れたとき、自分の心から自然と戦争の根っこにあるものを癒したいという衝動が生まれるかもしれません。それももちろん受け入れる。

また、何かしくじってしまった、間違えてしまったなどなど、自己嫌悪と自己批判が止まらないときも時には(人によってはいつも)ありますよね。

そんなとき「間違った私」をただ受け入れようとするのは、そこに真の認知と理解がありませんね。

間違えたということを真に認めて、理解しようと見て行けば、そこに必ず良かれと思った自分がいるはずです。わざと間違えたい人はいないはずなので。

その自分を受け入れてみれば、健気さの中に自分なりの愛を感じるかもしれません。

また、どうしても自分を受け入れられない場合は、受け入れられないと頑なになっている自分がいることを認知し、その自分を理解してあげ、その頑なさがあることを許すなど。

さ~て、ここまで書いたのは「自我の受容」です。自分が自分や状況をどう受け入れるか?という話しです。

でも、非二元の受容、本質の受容はまったく異なるものです。オンラインのお話会では、ありのままの受容とは、自我がやるものではないですよ~とお話ししました。

というのも、受容とはやるものではなく、それは私たちの本質だからです。

これは自我が生命に降参したとき、自我の精神の死が起きたときに自然に起こるもので、それは自分という人生をコントロールしている意志が崩壊したときに起きるものです。

言い換えれば、激流を必死に漕いでいた漕ぎ手がいなくなり、流れそのものになったときに起きるものですね。自分が流れそのものだから、もう抗うこともなく、そこに摩擦も否定も生まれない。

じゃぁ、それができるまで本質の受容は分からないの?

いえいえ、自分がどんなにあがいているときでも、それにただ気づいている意識、言葉を持たない静寂な意識、それは常に私たちとともにあります。片時も離れず。そして、それはいつもすべてを受け入れていて、だから私たちは受容とともに生きているんです♪

 

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夢破れて愛を見い出す♪

私は自分の人生が良きものであるようにとずっと夢見ていた。
でも振り返ってみれば、叶わないときのほうが圧倒的に多かったようだ。

物心ついた頃から大人になっても、いつも微かな期待があった。
今度こそ今度こそ親は私の気持ちを理解してくるかもしれない・・・・
でも、そんな期待はついに叶うことなく、いつも裏切られ続けられ、
落胆がいつの間にか友達になっていた。

自分が望んでいることはとてもささやかなことだと思っていた。
愛する人がいて、愛されること。
とてもシンプルなはずなのに
なぜかいつもうまく行かなかった。
失望とため息、
幸せなんて夢物語にしか感じられなくなっていった。
私は必死に人生を愛そうとしたのに、人生は私を愛してくれない。

ある日いつもの音楽を聴いているとき、なぜだろう、突然昔の自分がまぶたに浮かんだ。
人生をまだ信じていて人生を愛そうとひたむきだった過去の自分。
とても純粋に希望を抱いていた自分。

そしてその瞬間何が起きたのだろうか、
もう一人の自分の存在に気づいたのだ。
ハートが呼応して頬に涙が流れだし、それはこれ以上になく明白だった。

それはひたむきな私の人生を見ているもうひとりの自分の存在、
言葉を持たず、ものすごく静かで、
裏切られたと思っている自分
落胆している自分をじっと見ている自分

そしてその自分はすべてを愛していた。
すべてを愛して包入れ、一時も離れることなく
徹底的に無言で、でも、圧倒的な愛で、

あぁ~~、私は人生に愛されていたのだ。
私のひたむきさ、胸に抱いた希望、
叶わなかった夢、落胆の涙、押さえつけた希望も
すべて愛されていたのだ
私はまるごと愛されていた。

愛とは、落胆や絶望、飢えた心がないことではなく、
それらを優しく見守るまなざしだったのだ。

そして、なんと私はそのまなざしだったのだ。

私はその優しいまなざしそのものだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私たちが希望を抱いたり、落胆したりしている自分に同化しすぎればするほど、本当は愛という生命の中ですべての現象が起き、すべてが存在できることを見過ごしてしまうのだなぁと思うのです。

そしてもちろん同化してしまうのは、育ってきた環境の中で実際に起きたこと、そのとき自分が思い込んだこと、感じたことが自分の中に生きているからですね。

癒しの真の役割とは、その人を良い気持ちにさせたり、希望を持たせてあげることではなく(←それが必要な段階の人ももちろんいますが)、自分の中に根付いてしまった落胆や失望のストーリーを深く深く解体していくことなのかもしれません。

というのも、解体された先にあるものは、それを見ていた自分(気づいている意識)の眼差ししかないからです。そして、そこに何度も行くことで、私たちは真の自分の眼差しを持ちながらあらゆる感情、思いを抱き、「私の人生」を愛していけるのでしょう。

して、このとき癒しと目覚めは同義語になり、自分の刷り込まれた解釈を生きるのではなく、本当の意味で地に足がついた人生になるのかもしれませんね♪

 

※オンライン・オープン・アウェアネス・カフェの動画販売を開始します♪ 当初動画を販売することを予定していなかったため、動画のみの料金を設定しておりませんでした。動画視聴のみと実際に参加する場合の参加費が同じというのはどうだろう・・・・と考えた結果、すでに振り込まれた方も多数いらしたため、回数を一回増やすことにしました。ということで、同じ参加費で4回から5回になります。お得♪

※OAD心理セラピスト養成講座は来年度で一旦終了となりますが、OADは続けていく予定です。そのへんの詳しいことはズーム説明会でお話しさせてください。

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2018年12月7日(金)19時~20時

申込が100名に達しましたので、説明会の動画視聴のみを受け付けます♪。

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嫌な人の究極の対処法

嫌な人への究極の対処法は会わないこと。もちろんウソです。うふ。(←意味不明) 

人間関係は人生のストレスのかなりの部分を占めますよね。ので、どう対応したら良いのかと、私たちは考えあぐね、悩むでしょう。

例えば先日、「自分にとって嫌な人たちとの出会いは、忍耐と許しを学ぶチャンスだと捉えましょう」みたいなメッセージをみかけました。分かりやすいと言えば分かりやすいかもですが、実践しようとして、さらにストレスになりそう。

ということで、ストレスを根こそぎにする方法、そして私が伝えたいこととは、ジャン!
“嫌な人たち”というのは、そもそも自分の投影だよ~ということです。ちょうど投影についてのコメントも頂いたので、今回は奇跡のコースをもとに書いてみます♪

私たちたちは通常、嫌な人たちとレッテルを貼っているのは自分だということを忘れ、それが事実だと思い込んでしまいがちです。ので、クライアントさんもたいてい自分の思い込みを事実としてお話しなさいます。

例えば、“上司が私の手柄を奪いました”、“厚かましいことをいつも頼んでくるんです”、“ある同僚がミーティングで私に冷たいんです。”、“すべて自分の思い通りにしようとする母に我慢ができません”などなど。

こういう人たちが簡単に言えば、いわゆる“嫌な人たち”になるのだと思いますが、セッションでちゃんと聞いていけば、これらはほとんど事実ではないんです。

例えば、自分に冷たい同僚の場合、その同僚は実際は何をして、なんて言っている?と事実確認をすると、自分が意見を言っているときにレポートを見ていて、“あっそう”と言ったが事実です。

それを“自分を見ていない、反応が薄い、自分に冷たい”と解釈しちゃうわけです。ですが、まったく同じ状況の中で“不愛想な奴だ”と思う人もいるでしょう。この場合、自分が冷たくされた~~ではなく、あいつの問題になるので、楽しくはなくてもストレスはうんと低いですよね。

ですが、冷たくされていると思い込んでいる人は、その“現実”を生きるわけです。自分の解釈であるという意識がないため、相手が冷たいようにしか見えない。

そうやって相手を“自分で”嫌な奴とレッテルを貼った上で、その人への忍耐と許しを頑張っても、なんだか独り相撲ですよね。

また、自分の心にも冷たさがあるのか?というのも、そもそも相手は冷たいわけではないかもしれません。

しかし、同僚が自分に冷たいように自分の目には映っている(投影)けど、それは自分の心がそう見えさせてしまっているのだと分かれば、ベクトルは相手ではなく、自分に向いてきます。

ということで、例えば自分の心が映写機でスクリーンに同僚がいるとします。映写機のフィルムには“自分は取るに足らない存在だ”と書いてあるとします。本人はその思いにまったく気づいていません。ですがそれは、“字幕”としてスクリーン上に映し出されます。

ところがここで問題が生じます。“自分は取るに足らない存在だ”という思いに気づいていないので、字幕に書かれた思いはスクリーン上(向こう)にあるし、同僚の思いだと思ってしまうのです。同僚が“お前の意見なんか取るに足らない”と“冷たく”しているように見えてしまうんですね。

ちなみに、同僚が実際にほんとうに冷たくしようとしているのかどうかは、どうでも良いんです。相手の意向や思いが自分の存在価値に影響を及ぼすと考えている時点で、そこには自己価値の低い自分がいます。(経験ありあり)

ですが、相手が自分のことをどれだけバカだと思っていたとしても、自分が自分をバカだと思っていなければ、それは相手の問題ですね。むしろ、そうやって人をバカにしていないといられないのかな?みたいな余裕があったり。

話を戻して、私たちの意識の96%ぐらいが潜在意識であり、実はそこにたくさんの強力な思い込み(ビリーフ)があります。ですが、それらのビリーフに気づけないので、自分の解釈だとなかなか分からないため、見えているものが事実だと思ってしまいます。

ということで、奇跡のコース♪

T-6.II.3.  What you project you disown, and therefore do not believe is yours. 2 You are excluding yourself by the very judgment that you are different from the one on whom you project. 3 Since you have also judged against what you project, you continue to attack it because you continue to keep it separated. 4 By doing this unconsciously, you try to keep the fact that you attacked yourself out of awareness, and thus imagine that you have made yourself safe.

あなたは、自分が投影しているものを自分のものではないとする、それゆえ、それが自分の思いだと信じません。そして、自分が投影している相手と自分はまったく違うという判断をし、自分自身を除外してしまいます。自分が投影している相手をジャッジすることで、あなたはその人を攻撃し、その人と分離し続けます。これを無意識に行い、実際はあなたはあなた自身を攻撃しているという事実を意識の外に追いやり、自分は安全だと思い込むのです。

つまり、同僚が冷たいのは自分とは無関係なことで、自分はそんな人間ではないとし、“冷たい同僚”を批判し、それによって自分を正当化し、自分は大丈夫だとしてしまうことですね。

これは私たちがほんと~に年中やっていることですよね。自分がレッテルを貼っているのではなく、それが紛れもない事実だと思い込んでしまう。

でも、もし自分を見つめて、自分の中に “自分は取るに足らない存在だ”という思いがあることに気づき、そのせいで“同僚が冷たい”ように見えていた(投影)と分かれば、自分の投影(=幻想)からの目覚めになりますね。そして、その思いを癒したとき、いわゆる投影落ちが起きます。

つまり、同僚は冷たいわけでもなく、単に表情や意見をあまり見せない人だったとか・・・。いずれにせよ、“自分は取るに足らない存在だ”という思いが見せていた世界が消え、もっとありのままの優しい世界が見えてくるんです。

ということで、良い週末をお過ごしください♪

☆OAD心理セラピスト養成講座のズーム説明会を開催します♪

12年間続きましたセラピスト養成講座ですが、一般募集の形は今回で最後となる予定です。(講座の内容、講座後のフォローアップ、今後について詳しくは説明会で)

講座の内容や日程的な質問、なんでもお気軽にご質問ください→お申込みはこちら

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OAD心理セラピスト養成講座・ズーム説明会

2018年12月7日(金)19時~20時

ご都合がつかない方に説明会の動画のみ希望も受け付けています。

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ハートレジリエンス協会主催 「家族会」

2018年11月28日(水)13時から15時

不登校、引きこもり、鬱、依存症など心の病、精神疾患のご家族がいらっしゃる方へ

詳細はこちら

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「私が生きづらいのは、あんな親のところに生まれたせいだ」

ショートセミナーat ハートレジリエンス協会
2018年11月22日(木)19:00~21:00

詳細はこちら↓
https://heart-resilience.com/number/shortseminar-201811

心の悩みというけれど・・・。

自分はこのままではダメだ、やりなおそう!とか、なまけた心を厳しい環境において鍛えようとか、一般的にはとても素晴らしいことだと考えられているでしょう。

もちろん、これにケチをつけたいわけではまったくありません。

私自身、こういった決意や意志で気持ち良く心機一転できたこともあり、それはそれで良かったと思うのです。

しかし、どんなに意志を強く持ってもできないこともありますよね。そんなとき多くの人は、自分は意志が弱い、自分はダメな人間だと自己否定してしまうかもしれません。

例えば、アルコールやギャンブル、麻薬依存症など、世間は“まだ懲りないのか、反省が足りない”、“失望した、頑張りが足りない”などという人もいます。

または、依存症まで行かなくても、スマホが辞められない、甘いものが辞められないといった、“頭では分かっているけどやめられない”ものは、それなりに多くの人が持っているかなと思うのです。

こんなときもやっぱり私たちは、“意志が弱い私”と自分をプチバッシングしがちかもしれません。

ですが、これを心理セラピストの観点から見ると、意志の力でどうにもならない悩みのほうが多いのです。

ということで、♪♪♪♪♪♪(←キューピーの3分間クッキングのオープニングソングを頭に浮かべてください)

あゆかの3分間心理講座のお時間です♪

いきなりですが、私たちは三位一体の存在である。

つまり、私たちは思い、感情(感覚)、体の三つの存在ですね。みなさんがそんなこと分かっていることは充分承知していますが、これ大切です。

私たちは「心」の悩みと言いますが、実際はこのすべてのレベルが関わっているんです。

ということで、

私たちは3つのレベルで悩み、苦しむ。

一つは、思考のレベルの苦しみ。

単なる思い込みや相反する思いが錯綜し、混乱するなど、純粋に思考のレベルで悩んでいる場合、思い込みが間違っていたとか、または見方が変わった、または良い解決の指標を与えらえたなどでスッキリします。

二つ目は、感情、感覚レベルの苦しみ

怒りや恐れ、不安が大きすぎ、思考をのっとてしまう。つまり、不安な思いや相手への批判が止まらない、頭では“過ぎたことだ”とか、“些細なことだ”、“心配する必要ない”と思っても、どうしても同じ思いが出てきてしまう。この場合、思考でどうにかしようとするより、感情を解放するワークの方がうんと有効です。

三つ目は体のレベルの苦しみ

トラウマや依存症、強迫観念などは、脳や自律神経、筋膜など体が深く関わってきます。(←この話は複雑になりますのでブログでは書けません)この場合、体にも働きかけるセラピーやワークが必要になってきます。

ですが、いわゆる人生の問題(仕事、人間関係、恋愛、自分についてなど)も体レベルが関わっていることもとても多いです。

私がEFTが優れていると思う点は、この3つのレベルをすべてカバーしてくれるからです。もちろん、やり方が上手にならないとただあくびがでるだけになってしまいますが。

そして、多くの心の悩みがこの3つのレベルが複雑に絡んでいるんです。というか、3つのレベルはいつも密接に関わっています。

例えば、人間の幼少期は大脳での学習ではなく、ほぼ「感情学習」を積み重ねていきます。これは脳、自律神経、感情、そしてビリーフの形成とすべてのレベルに関わるんですね。

ということで、3分間心のしくみ講座でした♪

♪♪♪♪♪♪(←キューピー・ソング)

ちなみに、3分間なので超大雑把です。

ですが、ポイントは多くの人が心の問題を思考のレベルだけで解決しようとしているので(プロのカウンセリングでも)、もっと三位一体、全体的に捉えて欲しいなぁと思うのです。

また、ノンデュアリティと癒しのカフェなどでも、 “自分の本質が分かってきて、深い受容や平和を感じる時間も増えてきましたが、ものすごく自我に囚われ、ストーリーにはまってしまったします”といったご質問?お話をなさる方もそれなりにいます。

感情と体のレベルでの反応は、ほとんど条件反射的なものなので、ノンデュアリティの理解があっても、痛いものは痛いし、ボタンを押されれば反応してしまいます。

なので、私の先生のルパート・スパイラさんもまたアジャシャンティも本質が理解できた後でも、自分を幻想に引き戻す反応をよく見て、深いレベルにあるビリーフ(ボタン)をよく見なさいと繰り返し言っています。

心の悩みや苦しみも、自分の本質を知ることも、基本的には同じ方向を向いていて、悟り(自分の本質)に興味があろうがなかろうが、癒しはそこへ向かっている、または無向かうべきものだと私は思っています。

とはいえ、悟ればすべての悩み、苦しみが解消される・・ということでは決してありません。悟っても歯は痛いし、トラウマは刺激されます。

ただ、自分の本質の位置から痛み、悩みを見たとき、その関係性は変わっていくでしょう。

痛み、苦しみは生命の流れの一表現であって、深い深い苦しみの先は絶望ではなく、本質への帰還が出迎えてくれていると知っている関係性。

 “私のストーリー”が手放せる予感を含んだ関係性。本質への帰還♪

 

☆OAD心理セラピスト養成講座のズーム説明会を開催します♪

12年間続きましたセラピスト養成講座ですが、一般募集の形は今回で最後となる予定です。(詳しくは説明会で)

講座の内容や日程的な質問、なんでもお気軽にご質問ください→お申込みはこちら

 

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OAD心理セラピスト養成講座募集中

本質を知って、自分も他者も癒すスキルを身につけませんか?

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https://heart-resilience.com/therapistcourse

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OAD心理セラピスト養成講座・ズーム説明会

2018年12月7日(金)19時~20時

ご都合がつかない方に説明会の動画のみ希望も受け付けています。

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オンラインお話会:オープン・アウェアネス・カフェ 

心のしくみや私たちの本質についてのお話し会です。

キャンセル待ち募集中

詳細はこちら→★

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「私が生きづらいのは、あんな親のところに生まれたせいだ」

ショートセミナーat ハートレジリエンス協会
2018年11月22日(木)19:00~21:00

詳細はこちら↓
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あなたは何に“自分”を見出している?

かつてロンドンの駐在員の奥さま達から「婦人会」みたいなものがあると何度か聞いたことがありました。(今もあるかどうか定かではありません。)

それは大使館員の妻が一番上で次に金融・・・みたいな分かりやすい?格付けがり、その順番にテーブルに座るなど、いろいろ気遣いをしなければいけなかいそうです。

その話を聞くたびに、自分じゃなくて旦那さんの職業なのに・・・とつい思っていましたが、その心理自体はよ~く分かります。

ということで、毎度のエックハルト・トーレの言葉です。

“エゴが生まれる最も基本的な精神構造の一つがアイデンティティである” (ニュー・アースより)

自我とは基本的に実体のないものです。自分が何ものなのか、どうして存在しているのか、深いレベルではいつも不安定、不確定なんですね。

なのでなにか「これ」というものを求めて、自分探しに出かけたり、存在の意味を知ろうとするわけです。

でも、実体のなさはどうしようもありません。そこで、なにかに同化して「自分の存在」を安定させたい、存在している意味を持ちたいという無意識の衝動が常に走ります。

そして、その同化するアイデンティティはできればより良いもののほうが、存在を強固にすることができると無意識に思っています。

なので、○○の妻(○○には世間的に地位が高いとか有名とかそういったもの)というアイデンティティは、専業主婦の私よりもアイデンティティが高まるわけです。

あるクライアントさんの母親は夫が商社を辞めて、田舎の家業を継いだあと、ずっと“私は商社マンと結婚したのに・・・・”と不満を言い続けていたそうです。

これもある意味、“商社マンの妻”というアイデンティティを崩された不満ですね。

もちろん、そういったことに価値を置いていない人もたくさんいることでしょう。ですが、すべての自我が何かにアイデンティティを見出そうとするという点では同じなんです。

しかし、問題はアイデンティティが保てなくなってしまったり、崩壊したときに、それが私たちにとって無意識のレベルで「死」を意味してしまうことです。

なので、アイデンティティを攻撃されたと思うとものすご~い怒りとなります。または、鬱状態になるなど。

例えば、会社や仕事にアイデンティティを強く持ち、それに誇りを持っていた人ほど、定年後は人づきあいや、趣味に没頭することが難しく感じるはずです。

会社人としての自分というアイデンティティで生きていために、それがない自分がどう社会とかかわり合うのか、楽しみにしていた趣味よりも失われた自分への喪失感、不安定感(ぜんぶ無意識です)のほうがはるかに大きすぎて楽しめなかったり。

アイデンティティとは、自我にとって自分を支えるもの、自分の存在を確認するもの、自分が生きていく上での軸となるものなので、基本的にその人にとって「理想的なもの」「大切なのもの」であることが多いです。

自分にとって価値のないものや価値が下がるものに好んでアイデンティティを見出す人はほとんどいないでしょう。

例えば、誰かが“私は何もとりえのない専業主婦です”というとき、それは本当はもっと良いアイデンティティが欲しいけど、ないから妥協している、心底満足していない場合が多いはずです。(もちろん人によります)

ちなみにアイデンティティの創造も崩壊もほぼすべて無意識下に行われています。

と、ここまで書いた上で、皆さんをもっと自我の深層にお連れします。うふふ。

ここまではある意味大人になってからのアイデンティティについて書いてきましたが、一番コアのアイデンティティは幼少のころに出来上がっていきます。

セルフイメージといっても良いかもしれません。育った環境の中で自分はどんな人間なのか、どんな存在であるかといった思い込み(ビリーフ)が無意識に形成されていくんですね。

例えば、両親が忙しくて自分にまったくかまってくれない場合、「私は取るに足らない存在だ」「私は重要ではない」といった思い込み(ビリーフ)が生まれたとします。

この場合、たんにビリーフだけではなく、実はもっと大切なのがそこにある「自分のイメージ」なんです。

例えば、取るに足らない自分のイメージは隅っこでうつむいているかもしれません。そして周りはみんな自分に無関心で忙しそう、そこにある感情は寂しさ、心もとなさだったとします。

このイメージ、感情、感覚は次第に私たちのアイデンティティとなっていき、するといつもどこかに寂しさがあったり、グループの中でも周囲が自分に興味を示してくれるように感じなかったり・・・。

コアのアイデンティティは、このように育った環境から出来上がってきたいわゆる「セルフイメージ」とも言われるものがほとんどです。

で、この私が大人になって「商社マンの妻」という新しいアイデンティティも獲得したとき、取るに足らない私は、自我を強化してくれるこのアイデンティティを手放したくないですよね。

基本的に不安定さを埋めたいといつも私たちは思っているので。

でも、そもそもこのアイデンティティ、つまり、思いとイメージ、そしてそこに付随する感情、感覚は、基本的に実体のないものですね。

実体のない自我が自分を確かなものにしたいと必死に求め、獲得し、守ろうとしているアイデンティティもまた、まったく実体のない絵に描いた餅なんです。

これを見破るまで、おそらく私たちはアイデンティティの獲得と防衛、そして喪失というゲームを繰り返すのかもしれません。

では、自我はどこに安住を求めることができるのでしょうか?
それは自我がずっとスルーし続けてきた自分の本質。自分が生まれた起源。

そしてそれを思い出すためには、まず自分のアイデンティティをきちんと見ていくこと。自分の中を通って、私たちは本質を思い出せるんですね。

OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、「気づきの問いかけ」とセラピーを使って無意識下にできたセルフ・アイデンティティとクライアントさんに対話してもらいます。

というのも、私たちの苦しみの多くがここから生まれているからです。

握りしめたアイデンティティを手放して、受容という自分の本質の中に落ちていけるように♪

※オンラインの講座を始めました♪

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2018年11月22日(木)19:00~21:00

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