感謝は心のバロメーター♪

ほんと感謝って大切!と思う今日この頃です。

自己啓発やスピリチュアル界隈に長くいる方は、そんなこと知っているさ~、聞き飽きたと思うかもしれません。または、そうでない人も、それは当然でしょう~と思うかもしれません。

ですが、感謝をすると良いことが起きるとか、感謝の気持ちを持つことが大切とか、そういう話ではないんです。

感謝するように努めたり、意図的に持つ感謝ではなく、自然に湧き上がってくる感謝。感謝の源泉ってなんだろう? そこにあるものって?というお話です。

ということで一見遠回りな話から始めると、あるときふと気づいたのです。自分の中に感謝の気持ちがなくなってきているとき、いつもストレスがたまっているなぁと。

仕事をし過ぎていたり、自分軸ではなくなってきたり、考えが狭くなってくると、最初はうっすらですが、むくむくと犠牲者意識が湧いてきます。感謝キラーの犠牲者意識。

こんなに仕事をしているのに、こんなにやってあげているのに、私は利用されているのではないか?などなど、その時々の状況によって様々な犠牲者意識的な思いが沸いてきます。

ちなみに大人の犠牲者意識は、多くの場合「正論」に変身します。

自我は基本的に自分に向かうよりも他者や状況に目が行ってしまうため、自分が疲れている、なんか不幸感がある、腹が立つ~というとき、状況や相手のせいだと本気で思ってしまいます。

あの人がもっと理解してくれないから、普通はこういうふうに対応するはずなのに、あの人のやり方は間違っている・・・などなど。

疲れ、不幸感、怒りというエネルギーに支配されてしまうと、ものごとを一つの観点(自分の正論)からしか見られなくなり、視野が非常に狭くなってしまいます。

でも正論は真実味がとっても高いので、視野が狭くなっていることに気づきにくく、けっこうこのエネルギーに乗っ取られたまま過ごしてしまいます。(経験多々あり)

乗っ取られたままあらゆる言動に出てしまうと、周囲と衝突や抵抗、摩擦を生みがちでたいていはうまく行きません。

ので、一つは今自分がそんな心理状態に陥っていると気づくことが大切ですよね。

ちなみにこんなとき、バイロン・ケイティのザ・ワークはピカ一です。(ご存じのない方、ググってください。おススメで~す。)

もちろん、どっちが悪いのかという話ではなく、ザ・ワークは見過ごしていた観点や「ありのまま」の事実に目覚めさせてくれるんです。

話を戻して、ザ・ワークをやらないにしても、とりあえず気がつくことが出来たら、“あっ、私やりすぎているんだ、疲れているんだ”と自分を振り返ることができますよね。

相手とか状況とかではなく、自分が狭い思考の中に落ち込んでいるだなぁというリマインダーです。

疲れたなぁ、嫌だなぁという状況から抜け出すには、自分の置かれている状況をそれなりに正しく把握していないと難しいでしょう。

でも、ものごとを正しく見るとは、正論で見るということではなく、広い視野から起きていることを把握するということだと思うのです。(インテグレイテッド心理学でやる事実と解釈に分ける作業も役立ちます♪)

ティク・ナット・ハンの本(←タイトル忘れました)にいかにあらゆるものがつながっているかだけが書かれているものがあります。

パンを食べるとき、パンを作る人、小麦粉を作る人、麦を育てる人・・・・というように、私たちの人生のすべては切れることのないつながりのなかにあるといったような内容です。(うろ覚えですみません)

しかし、正論とか狭い視野というのは、言い換えればものすごく思考優位になっている状態です。また、思考とはものごとを区別し、定義付け、分ける作業をするものですね。

なので、思考が優位になると、ものごとがバラバラに起きているように見え、全体のつながりが見えづらくなってしまいます。

つまり、分離した世界観が強まってしまうんです。

なので、嫌だ~、疲れた~、あの人が~と感じているとき、私たちの心の中には狭くて分離した、正論で息苦しい世界が出来上がっているんですね。

で、そこから抜け出すため、私がまずやることは、疲れている自分を十分にいたわってあげることです。

その際、正論の愚痴も聞いてあげます。つまり、たまってしまった疲れと怒りと向き合い、理解し、受容してあげるんです。このときは、相手や状況への悪態も許してあげます。(もちろん、心の中で)

ちなみに、私はいつもEFTとマトリックス・リインプリンティング(MR)を使っています。

EFTとMRを使うことで、単に怒っていた自分、疲れていた自分から、もっと深層の思いや感情が引きだせます。そもそも疲れるほど頑張っていた理由は、なんらかの恐れやなんらかの欠乏感があったから。

ので、その自分にも向き合ってあげる。

ひととき落ち着いてきたら、ここでやっと、両手を胸に当てて(あたかもヒーリングをするかのように)、自分が何に守られてきたか?どんなサポートをもらっているか?何が支えになっているのか?を振り返ってみます。

すると、怒涛のようにあらゆるものが自分の存在を助けてくれているのが見えて、自然に“ありがとう”という思いも沸きあがってきます。

全体の流れが見えれば、感謝は自然とわいてきて、狭い思考(分離)の世界観に陥れば、犠牲者意識がむくむくと湧いてくる。

ということで、やっとここで感謝の源泉って何?に戻ると、分離のない「全体の流れ」という私たちの存在のありのまま、本質の持つ優しさがあるところ。

感謝して何かを得る、感謝して良い心でいるのではなく、感謝して、それで満たされる。終わり、というお話♪

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ノンデュアリティと癒しのカフェ開催♪ (キャンセル待ち募集中)

【日時】2018年10月13日(土)18時15分~20時30分
【場所】あうるすぽっと(東池袋)
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【参加費】4500円
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「家族会」 at ハートレジリエンス協会

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精神疾患をお持ちのご家族がいらっしゃる方へ

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癒しに時間がかかる理由♪~苦しんでいるのは誰?

今現在苦しいなぁ~と感じている場合、セッションを何回受ければ、一体楽になるのだろうか?
と思いますよね。しごく当然なことで、私も腰痛がひどければ、整体の先生に同じ質問をするでしょう。

ところで、“今自分は苦しい~”とわかっているのも、実は一歩進んでいるんです。自分が苦しいことをきちんと認識していなくて、周囲に投影しまくって怒りまみれになっている人も世の中には多いものです。

話を戻して、セッションは何回ぐらい必要なのか?”ですが、もちろん、まったく答えられません。が、それでは不親切なので、なぜ答えられないのかを少し書いてみたいと思いました。

そもそも苦しみの原因って何? 一つだけ挙げよ、と言われたら、私は間違いなく「否定」にあると答えます。

ある意味明白ですよね。だから愛や受容が癒しを起こしてくれるわけです。

例えば、「私はバカだ」という自己否定の思いも受け入れていれば、まったく苦しみになりません。(なかなかそうはいきませんが・・・・。)

なので、すごくシンプルに言ってしまえば、多くの心理学、たくさんの過去の原因などなどをぜんぶ忘れて、自分の中にある否定だけを見ていけば良いんです。

とはいえ、シンプルだから簡単なのかというと、何重もの否定やメリットをもった否定を意識の深いレベルで抱え、心の中が複雑骨折みたいになっているケースも非常に多いです。

基本的に自我は、自分を分離した存在でどこかが欠けている、何かが足りないと感じているものです。

つまり、私たちの中には初めからビルトインで(自己)否定があるんです。

それでも、育った家庭がそれなりに愛情ベースで、なんだかんだいって自分は両親から愛されていると感じられるものであれば、自己肯定感もしっかり育ち、自己否定が大きくなってしまうことはあまりありません。(もちろん、すべてには例外あり)

しかしもし、幼い頃の環境が複雑性トラウマを生むようなものであったり、小中高のどこかでいじめにあったりしてしまうと、自分を否定することしか知らない状態になりがちです。

それに加えてネガティブナルシズムの傾向があると、もう苦のスパイラルにどっぷりはまったままになり、とにかく苦しいだけ、生き辛いだけになり、体にも不調が出てくるかもしれません。

さて、苦しみの原因をもう一つ挙げても良いよ~と言われたら、それは紛れもなく「同化」と答えます。

間違ったビリーフ、自己イメージへの同化です。と書いて、う~む、分かりにくい話になるかもしれないけど、非二元に飛びたくなりました♪ ということで、シートベルトをお締めください。(←久しぶり)

例えばネガティブナルシズムは、乱暴にまとめてしまえば、ネガティブな自己イメージに深く強く同化し、それを軸に生きている状態と言えます。でも、真に起きていることは、同化を超えて、それそのものになっているということなんです。(単にネガティブな思いが多いということではありません。)

私たちは普段、私の思い、私の感情、私の体という言い方をし、あたかも思いや感情や体をもっている「わたし」がいるかのように話をしています。

でも、もしそうであれば、思いや感情、体がなくなっても、「わたし」が残るはずですね?ところがどうでしょうか? 真剣に探してみてください。「わたし」がどこかにいるのか?

そうです。私たちが普段「わたし」と言っているのは、思い、感情、体の集合体のことなんです。そこにそららの所有者はいないんです。

つまり、“私”が何らかの思いに同化しているというよりも、ネガティブな自己イメージそのものが主体となって生きているんです。

なので、過去の出来事を癒したとしても、主体であるネガティブなエネルギーが常にガンとしてそこにあり、その感覚がいつもすべての軸となっているため、あっという間に同じ苦しさが戻ってきてしまいます。

なので、ネガティブナルシズムも、私(主体)がネガティブナルシズムに陥っているというより、もっと正確には、“ネガティブナルシズムが主体となっている”んですね。

またこれは悪いことではないのですが、自我には基本的に生き延びようとする衝動が常にあります。

ですがこの場合、ネガティブナルシズムとしての主体が生き延びようとしてしまうんです。つまり、ネガティブナルシズムが解体されるということは、自分の「死」を意味してしまうので、苦しいと感じていても、無意識のレベルでは良くなることへのものすごい抵抗があったりします。とっても多いです。

では、どうしたら良いのか? 気づきのダンス(もう一つのブログ)にも書いてありますように、今苦しいならやはりセラピーを受けるのが一番良いと私は思うのです。

その一方で、ここに書いてきた理由で「気づきの意識(純粋意識)」に寄り添い、本質のエネルギーをよく感じるようにしていくことも同時に大切だなぁとつくづく思っています。

苦のスパイラルにはまってしまっている場合、癒しにはそれなりの時間がかかります。たくさんの思い込みや抑圧され蓄積した感情、そして上に書いたような抵抗などなど、こんがらった心のひだを一つ一つ丁寧にひも解いていく必要があるんです。

その間、「気づきの意識(純粋意識)」を休憩の場にしていけると良いだろうと思うのです。主体が少しの間でも、「気づきの意識(純粋意識)」に取って変わっている時間。

ということで、今年の7月にロンドンでノンデュアリティのお話会をした録音のリンクを貼っておきます。最後のほうに「気づきの意識(純粋意識)」に寄り添う瞑想らしきものをしていますので良かったらどうぞ♪

ついでに久しぶりに東京で「癒しとノンデュアリティのカフェ」も開催します。宜しければぜひご参加ください。

また、ネガティブナルシズムに興味がある方、自分がそうなのかどうかチェックしてみたい方は、元ネガティブナルシズムで現在OADトレーニーセラピストの徳山菜穂子さんのブログをご参照ください。

☆ノンデュアリティトーク in London

 

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人がウンコをぶつけてくるとき

前回のブログに「自分がいくらつながりを感じていても、周囲が分離意識バンバンだと難しい・・・」というようなコメントを頂きました。(最近コメント欄が賑わっていて嬉しい)

例えば、あるトークを聞きに行き、すごく良い話を聞いたのに、家に帰って話したら家族に全否定された・・・、または、自分は一生懸命を自分を見つめているのに、周囲は相変わらず自分のウンコ(←自分の癒していない思いや感情のこと、英語ではこういう言い方をしますが、品の良い人は決して使いませんので真似しないでください)をぶつけてくる・・・・、または覚醒体験をして、自分は自分の本質が分かったのに、周囲は変な人扱いをしてくる・・・。

それなりにあることですよね。

こんなとき、たいてい私たちの目には相手が悪者に映っているはずです。理解がない、自分に攻撃してくる、批判してくる、嫌な扱いをする・・・などなど。

で、そんな相手に対して、私たちは無意識に自分を防衛していますよね。

防衛の仕方は、自分も相手にがんがん言ったり、言い返したりという攻撃的な防衛。または、だんまりを決め付ける受け身防衛。または、その人と会うのを避けまくるという逃げる防衛。

“分かっていない人たち”と優越感に浸るといった話もありますが、そういう思いが出てく来る人とそうでない人といろいろかなと思います。

私はエニアグラムのタイプ9なので、基本的に受け身防衛か逃げ防衛に走りがちです。

A: 何怒っているの? なんかあるなら言いなよ。
私:別に。(超ふくれっつらで)
みたいな(笑)。

ですが、長い人生経験(セラピスト経験)のなかで分かったことは、批判や言われた内容が自分の中にないとき、自分が批判されたというよりは、相手が意味なく怒っているという風にしか見えないことです。

つまり、その人の問題だとはっきり分かり、自分の心は影響を受けないんですね。もちろん相手の怒りのエネルギーは感じるので、面倒だなぁとか嫌だなぁとかは感じるでしょう。

反対に自分の中に後ろめたさがあったり、自分にもそういうところがあるな~と少しでも思っていたりすると、批判された感や攻撃された感はががっつりあるでしょう。

例えば、「私は変わり者だ」とか「自分はどこにも所属できない」といった抑圧された思い(自分はまったく気がついていない思い)があれば、人が自分を変わり者として扱い、排除してくるように見えてしまったりします。(インテグレイテッド心理学・抑圧投影)

実際は、周囲の人にそんな思いは皆無だったとしても。

万が一、相手が100%意図的に排除しようとしてきたとしても、自分の中にそういった思いがなければ、気がつかないか、うざったいだけか、とにかく相手の問題なんですね。それが決して自分の問題にならず、仲の良い人たちと一緒にいればハッピーです。

なのでポイントは、周囲がどうなのか?よりも、自分がどう反応しているか?なんです。

ちなみにDVや虐待、ハラスメントなどは、まったく違うカテゴリーで捉えてください。これらは一刻も早く周囲に助けを求めたほうが良いですよね。

話を戻して、このようにお互いが相手を悪者としてみてしまうのは、自我が持つ分離感のせいなのでしょうか?

みんなの中に分離感がなくなれば、ハッピーな状態になる?

もし分離感がないことが良いことだ思ってしまうと、私たちは無意識に「分離感」を悪者にし、分離感と戦ってしまうかもしれません。

私とあなた、私と世界、私と他の人たち・・・。

そんな感覚がなくなって、すべてとつながっている・・・・、すべてが自分である・・・・という「感覚」になるのが、悟りなのでしょうか?

確かに一瞥体験や覚醒体験では、そういう「感覚」になったりもするかもしれません。

大切なのは、感覚そのものではなくて、その感覚に気づいているのは何か?なんです。分離感やつながった感覚、いろいろと変わる感覚。

感覚とは必ず変化するもので、また捉えることができるものです。

変化し、捉えることができるものは、私たちの「本質」ではありません。

真の私たちは、感覚を見ているもの、同時にそれそのものでもあり、不変不滅な存在です。

分離感があることに何の異議も唱えず、100%受容し、すべてを許している存在で、あらゆる感覚、形、現象になる生命のエネルギーです。

問題は、分離が見せる抑圧投影のドラマにはまってしまうこと。つまり、例に挙げたような自分の投影を事実だと思い込んでしまうことです。または、たとえそれが事実であったとしても、それに対する自分の反応にはまってしまうこと。

それによって自分の本質がみえなくなってしまうことです。

ちょうど流れが良いので、「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」とは、自分の中の気づかない抑圧された思いを意識の表に出し、その思いとダイアローグを持つことで、変化変容させ、自分のドラマからの目覚めを促すものです。(投影が落ちるとも言う)

投影のドラマがあたかも紛れもない事実かのように感じ、生々しく感じるのは、主に自分の中にあって、自分が気がついていない「自己否定」や「抑圧された真の思い」「トラウマ」などのせいです。

でも、それらはなくすものではなく、受容し、対話するものです。この過程でいつも感動的だなぁと思うのは、否定的な思いもすべてそれがそこにある正当な理由があり、理由自体も愛おしいものだと気づけることです。

体があって、その体を生存させるためには、健康な分離感(境界線)は、あったほうが良いでしょう。

とりあえず、誰かが悪者に見えたときがチャンス♪ そこに大きな癒し(愛)が眠っている。

 

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豊かさを生み出すもの♪

Youtubeで日本の貧困に関する動画を一つ見たところ、次々に貧困関係の動画がお勧めに出てきてしまい、結局日本、アメリカ、イギリス、オーストリアの貧困系の動画をたくさん見てしまいました。(いわゆる先進国の貧困問題)

個人的には、社会のシステムや経済のシステムは変わったほうが良いと思うし、ベーシックインカムも賛成しています。

ですが、たくさん見ているうちに社会のシステムを変えるだけではなく、個人のメンタリティが変わることもやっぱり大切だなぁとつくづく思ったのです。

つまり、人が貧困から抜け出すには、システムというハードウェアとメンタリティというソフトウェアの両方の変化が必要だよね~というある意味とっても普通な結論に着地しました。

とはいえ、そのシステムを作っているのは誰か?といえば、人の心であって、やっぱり心ははずせない要因です。

とりあえず、日英の両方の貧困動画が見て、一つ感じたことは大多数の人が雇用者メンタリティであることです。それは会社員だけではなく、個人事業主の人でもそのメンタリティの人が少なからずいるなぁと感じます。

例を挙げると、一つは日本でバブル景気のときにある業界(←忘れました)が業績が良いので、会社を辞めて独立した。会社の経営はうまく行っていたが、バブルがはじけたとき破綻し、その後家族が病気になったり、今では生活保護でギリギリ生活。

またはイギリスでは、大手の発注に頼っていた個人経営の会社が、その大手の支払いがストップしたことで、一気に業績ゼロ。幼い子供たちがいるのに家を手放すはめになり、就職先を探している・・・。

前者がなぜ従業員メンタリティかというと、バブルがはじけてすぐさま破綻してしまったということは、時代のトレンドから仕事をもらっていたようなものだからです。

後者は大手企業がある種雇い主のようなもので、そこが雇わなくなる(発注しなくなる)と一気につまづくという、やはり自分でビジネスを作り出していないんです。

あとは、就職難で非正規雇用にしかつけない若者たちとか、自分が仕事を生み出すというより、仕事を見つけるという発想の人がほとんです。

話はずれますが、日本も他の先進国もみんな社会環境があまりにそっくりで、グローバリズムの負の側面が見て取れるようでした。

さて話を戻して、人類の歴史を振り返ってみると、人口の大多数が雇われる側で、今もそれは続いています。なので人類の集合意識には、従業員メンタリティが強く刷り込まれていると思うのです。

で、これを少し心理的な面から見てみると、「雇われる私」と「雇うあなた」という対立構造が心の中にあるはずです。で、ほとんどの場合「雇われる弱い立場の私」と「雇う強い立場のあなた」になっているはずです。

また、歴史的に雇われる側が搾取されてきたケースも非常に多いため、雇い主に対して弱くて「無力な私」といった思いがおそらく多くの人の中に無意識にあるでしょう。

そしてこの私と他者、私と世界という二項対立的な世界観、つまり分離の世界観は、分離しているだけにどうしても限界があります。

また、「弱い立場の私」というのは、被害者意識も含んでいて非常に強い分離意識です。豊かさが全体だとしたら、分離意識はどんどんその豊かさから離れた視点になってしまうということです。

つまり、どんどん自分中心の見方しかできなくなり、視野が非常にせばまります。社会やものごとの流れが見えなくなり、正しい判断もできなくなります。ので、一度貧困に陥るとなかなか抜け出せないのは、社会のシステムだけではなく、せばまってしまった視野、固定された世界観、弱い私という自己像なども大いにあるなぁと思うのです。

ちなみに、自己責任みたいな観点とはまったく違います。人と社会はお互いに支えあっているわけで、社会のサポートが絶対あったほうが良いと思っていますし、そのために税金を使って欲しいと切に願っています。

さて、弱い立場の私の観点で書いてきましたが、では経営者メンタリティはどうでしょう? もちろん分離意識がバンバンで自分さえ利益があれば良いのだという経営者もいますよね。

最近言われているブラック企業なども、社員から絞るだけ絞りとり、自分は豊かに暮らすのだ・・・・みたいな。

でも、この場合、もしかすると人より多いお金が入ってくるかもしれませんが、ほんとうに豊かで、そこに持続可能な自然な循環があるのかどうかというと、限りなく疑問なわけです。

普通に考えて、ものごとが一番安定する形とは、分断されているよりもつながっていることですよね。一人で暮らすよりも、みんなで支えあうみたいな。

また自然を見回しても、すべてはつながった循環の流れで生命は存在できているわけで、強い分離意識は循環を乱し、そこに持続性はなくなっていきます。

ということで、そもそも、ほんとうの豊かさって何なのでしょう?

ここまで分離、分離と書いてきたので、お分かりかと思いますが、それはやはり、分離を超えた視線にあるのだろうと思うのです。

分離を超えた視線とは、存在そのものが自分であるという本質の目線で、「増えもしないし減りもしない存在(不増不減)」が自分であるという地平線です。

金持ちとか貧乏とか、お金が多いとか少ないとか、そういった二項対立的な世界を超えて、存在しているもの(←ものではありませんが)、現象を生み出し、現象そのものであって、全体そのものの自分。無尽蔵で無限である存在そのもの。

分離意識が欠乏を感じているとき、それはあたかも小波が大海の中で水不足を感じているようなものですね。

でも、おそらく分離意識があるうちは、私たちは豊かさの中で豊かさを見過ごしていくでしょう。

じゃぁ、悟らないといけないの?という話でもなく、私たちの中に常にあるもの、つまりハートをよく感じてみれば(思考を静めて)、そこには限界や分離もないはずです。

そのハートから出てくるもの、例えばすれ違った人に微笑むだけでも、そこに分離がぐんと減ります。ハートからの経験を増やしていくだけで、私たちは豊かさを感じられると思うのです。

微笑むという小さな行為も、自分が外に生み出した創造の一つです。そして、ハートは大海を思い出す直通のパイプですね。毎日何度でも感じてみると良いかもしれません。

そして、感じられるようになってきたら、私は今ハートから何を生み出せるかな?と問うことで、与えてもらうという従業員メンタリティから、「私が生み出す」というメンタリティにシフトしていくでしょう。

ということで自分で書いていて、知らない人に急に微笑んでみたくなった♪

 

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ハートの声と忍耐

ハートの声と忍耐・・・・・。なんかワクワク感があまりないですよね。

または、ハートの声と自分を律する力・・・。これもいまいち軽さが感じられないかもしれません。

とりあえず、ハートの声といえばワクワク♪だよねと思う人が圧倒的に多いかなと思います。

もちろん、それはその通りですよね。

ですが、ときどき “ん?それは本当にハートの声?”と思う状況に遭遇します。

例えばある人が“これは、私のハートの声だから・・・・”と言った後に、そこに“だから私はやりたいようにやるの”、“だからあなたはそれを許してくれないといけない”といったニュアンスがあり、でもこちらとしては迷惑なんだけどなぁとか、私があなたのハートの声に合わせないといけないの?みたいな場合があります。

で、それって本当にハートの声?と思うのです。

基本的にハートの声とは、自己愛から出てくるものですね。なので、自分の中に自己否定や恐れが多く、愛が隠れてしまっているときに、ハートの声を聞こうとしてもエゴの声のほうがうんと大声です。

ということで、インテグレイテッド心理学のおさらい~♪

まず、自我(=ここでは通常の私たちのことを指します)の根本的な衝動や欲望は「生き残ること(サバイバル)」にあります。ですので、自我の根本の恐れとは、肉体の死と精神の死ですね。

肉体が死なないように食べていけるように頑張る。だから嫌な仕事でも続けないといけない。または、お金がどんなにあっても、もし生きる意味が見つけられないとか、または自分などいてもいなくても良い存在だと思えば、やはり精神の死に向かっていきます。

なので、お金も充分あって、人の役に立っていて、素敵な夢やいきがいがあれば、生き残り率はぐんと上がり、安心だし、自己肯定感も高まって嬉しい。一方、お金がなくて、なんの役にも立っていない自分となれば、生き残り率も自己肯定感もどん下がりで苦しい。

私たちの人生を見回してみると、ほとんどが食べていくためと良い自分であるために費やされているはずです。

ですので、普通にしていると私たちは自分の生き残り率が高まることに、ワクワクしてしまうものです。つまり、エゴがワクワク嬉しくなることをハートの声と勘違いしてしまうことがあるとということです。

ですが、そもそもエゴのワクワクなので何だかどこかが自分勝手・・・。私がそうしたいの、私が~、私が~、(あなたのことは考える余裕なし)みたいな。

でも、今回書いてみたいポイントは「エゴのワクワクには忍耐力がない」という話です。

ということで話を戻して、生き残り率を高めたい・・・、言い換えれば、今の自分に何かが足りないんです。

意識されているかされていないかは別にして、何かが足りなくて、今の自分、今の状況が良くないんですね。

それは例えば、心の飢えや不安、恐れ、またはアイデンティティの不確定さ、自己価値の低さなどであり、それらが心の深いところにあるとき、心は何とか一刻も早くそれを解消したいと思います。

なので、早くやりたい、早くなりたいという衝動が非常に強いんです。

あまりに強いので、自分でそれに気づくことはほぼ不可能でしょう。衝動やある感情がものすごく強いとき、私たちはその衝動や感情そのものよりも、そこから沸いて来る思いのほうにどっぷりつかってしまうからです。

例えば、心の飢えが非常に強い場合、心の飢えからくる衝動そのものに気づくよりも、それを埋めてくれるもの、例えばソウルメイトとか、やりがいのある仕事とか、それをどう得られるか?という思いに完全に囚われてしまうんですね。

また、それらが手に入ると思うととってもワクワクし、こうしてエゴのワクワクが発動するんです。

このエゴワクワクはエネルギーもけっこう大きいので、やりたいことを達成する力もあれば、それなりに良い成果もあげられ、そのまま何年もその勢いでやっていけたりします。

またそこに「人を助けるため」などといった、これまた自己価値を上げてくれる大義名分もくっつき、ワクワク感も長続きしたりするでしょう。また、応援してくれる人も現われたり、けっこう楽しい。

ですが、どうしても目線が自己中心になってしまうので、視野が狭く、周囲と折り合いがつかなかったり、何かしらの摩擦を生んでしまったりもします。

また、批判に弱く、すぐに犠牲者意識に陥ってしまったり(自己防衛や他者への攻撃もすごい)、または、何かで心がポキっと折れて、やっていたことそのものを辞めたくなったり、うまくいかないと、そもそも本当にやりたかったのか?みたいな混乱に陥ってしまったりもするでしょう。

で、早く!の反対は、もちろんゆっくりですが、ここで忍耐力と自己を律する力に話が戻ります。

というのも、ハートの声に従っていても必ずチャレンジはあり、それらを乗り越えるには、自分や他の人、そしてものごとへの深い理解がないとけません。

歯を食いしばるような苦しい我慢ではなく、深い智慧と理解による忍耐は、そこに優しさと落ち着きがありますね。また、ただひたすら頑張る自己抑制ではなく、“私は私の衝動を自分でケアできますよ~”という自己を律する力には強さがあるでしょう。

真のハートの声とは単にワクワクしているだけではなく、こういったクオリティがあるだろうと思うのです。

ということで、ゆっくり、じっくり、急がば回れ。まずは自分の中の愛を育てて行きたいですね。

 

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憎しみが癒される場所

オウム真理教の死刑執行に関して、遺族の方が「悲しみは癒えない」「死刑よりも重い刑罰がないのが残念だ」というようなことをおっしゃっていました。

この言葉から、心の傷がどれだけ大きいのかがよく感じられます。

毎日毎日愛する人への思いが走り、不条理な出来事に数え切れないほどの“なぜ?”を心の中で投げかけたことでしょう。

面と向かって自分を苦しめた相手に大声で叫びたかったかもしれません。

“お前は私の愛する人に一体何をしてくれたんだ!”

“何も罪もない私の大切な人に!”

“私の人生を返して!私の希望を返して!”

どこにも吐き出せない声をずっと押し殺さなければいけない辛さ。それが、年月が経つほどたまってしまう。

もちろん、遺族の方々の心の内には、もっともっといろいろな思いや感情が大量に巡り巡っているはずで、彼らの心を分析したいのでもまったくありません。

それよりも、憎む相手が死んでも心が癒されないとき、私たちはどうしたら心の平和を見つけられのか?を考えてみたいのです。

私たちは憎む相手が罰せられたら、痛めつけられたら、自分と同じ目に遭ったら、心は晴れると思いがちです。ところが、それがたとえ実現したとしても、そのときは一瞬心が晴れるかもしれませんが、やはり悲しみや苦しみは癒されないのです。

よく死んだ人が帰ってくるわけでもないというように、だから希望が持ているわけでも、喜びが戻ってくるわけでもありません。

ではこんな場合、私たちはどこに心の平和を見出せるのでしょう?

こういった問いは、ハウツーで答えるものではなく、これが人間を生きるということだと思うのです。

この問いを生きること自体が、生きる意味でもあるというか。

ネット上では、死刑制度に賛成する人と反対する人であふれていますが、遺族は死刑を望み、でも、心は癒されない、また犯罪防止にもまったくなっていない。。。。

遺族の方々がほんとうに望んでいるのは、死刑なのか?それとも心の平和なのか?

私たちは注意深く考える必要があるでしょう。

ということで、私自身も明確な答えを持っているわけではありません。

ただ、一つ確信していることは、癒しは愛によってもたされるということです。憎しみや恐れ、分離ではなく、理解、受容、許し、そして生命の流れといったものによってです。

とはいえ、憎む相手を許しましょうといった短絡的なことを言いたいのでもありません。オウム真理教によってどんなふうに愛する人を奪われたのか、一人一人の背景を知るほど、そのようなことは軽々しく言えるものではありません。

そうではなく、もっともっと深いレベルで見ていきたいのです。(もちろん許すことができたら一番心は癒されますが、無理やりしようとしたり、または押し付けることではないでしょう)

もし、自分の心を深く探って、自分が最も求めているものが心の平和であるなら、もしかすると私たちは一度人生の形(こうあって欲しい、こうあるべき)を忘れてみる必要があるかもしれません。

アジャシャンティは“Our mind is looking for an answer but our heart is looking for a deep, direct experience with existence.(思考は答えを求めるけど、ハートは存在の直接的で深い経験を求めているのだ”と言っています。

思考は人生に形を求め、自分が望む形になることが幸せだと言ってきます。その形の中には悪いことも、不条理なこともあってはならないし、すべてが自分の望む形ではないと思考は絶望します。

将来こうなるはずだったのに閉ざされた、こんなふうになるはずではなかった、まさか自分に、私たちはこういった思いとともに絶望し、人生の生きる意味を失っていきます。

一方、ハートは形を求めず、人生の中で現れては消えていくすべてを深く経験することを求め、それが生命の動きだと知っています。

だから、心の平和を見つけたいとき、私は形を求める思考を一度横に置いて、“私がここで一番望んでいることは何?”とハートに尋ねます。(もちろん頭で考えてしまわないこと)

体をよく感じ、感情の発露、感情の声を待つのです。

だんだん気づいてくることは、どんなに絶望していても、何かが自分を生かしていることです。

そのうちに生命のあらゆることを無邪気に経験したかった子供のような自分に出会えます。それはおそらくすべての人の中にある最も原始的な魂の思い、純粋な欲望。

その子の目には人生はワンダーランドで、起きるすべてを体いっぱいに吸い込んで感じたいと思っています。

直感的に、私は自分の中でこのナイーブで純粋な子を育てれば良いのだ、この人生を感じ切る、すべてを経験したいと思っているこの子が成長したとき、私は人生のあらゆることに感謝できるようになるだろうと。

その子のナイーブさが深い経験に変わり、純粋さが深い智慧に変わり、生命の意味を真に理解していけば、私は生命の流れそのものになるだろう。

それは形にとらわれない人生への賛歌で、思考がひどい、非情だ、残酷だと思う出来事を癒してくれる。

でも、それはハウツーのように育てられるものでもなく、インスタントにできるものでもないでしょう。

ただ、この道へ方向転換することで、憎しみや悲しみのエネルギーから自分を救い出すことはできるかもしれません。

思考は人間はなんのために生きているのか?と尋ね、ハートは生命が紡ぎだすものを深く感じることと答えるでしょう♪

 

PS:もちろん、OADなどで悲しみや苦しみを生きやすいレベルまで癒すことは可能です。

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ノンデュアリティと癒しのお話会 in ロンドン

日時:7月28日(土)14時30分~16時30分、約2時間(14:15開場)
会場:Farm Street Church (114 Mount Street, London W1K 3AH)
(最寄り駅:Bond Street or Green Park)
料金:20ポンド(当日受付にてお支払いください)
ご予約:mariko.beswick@yahoo.com
※キャンセルの場合は出来るだけ早めにご連絡くださると助かります)

私たちは“複雑”なんです♪

来週イギリスに戻りま~す。イギリスに戻る前の数週間はいつも忙しく、なかなかブログがアップできません。ので、ちょっと短め♪

先日、日本ホリスティック医療協会というところで、新しい自律神経の理論「ポリヴェーガル理論」についてのお話をさせて頂きました。

こころと脳と、自律神経のつながり、ほんと~~に面白いです。

ということで、思ったこと。

私たちが、「こころと体はつながっている」というとき、

心理を学んだ人間は、“だから思いを変えれば、体も整う”と思うかもしれません。

一方で、ボディ系の人は、“だから体を整えれば、自然に心も変わっていく”と考えるかもしれません。

心理カウンセラーのカリキュラムに体のしくみはないし、イギリスの医学部のカリキュラムに心理学は3時間しかないそうです。(たぶん日本も少ない)

でも実際は、体のしくみが非常に複雑なように、心のしくみも非常に微細で複雑です。

そして、このこころと体が密接に、かつ複雑に入り組んでいる生命体が、私たちという存在なのだと思うのです。

そして、この高度に複雑な存在の源を見ていくと、それはすべてに流れている生命の息吹であり、そして、その生命の源をも見つめていくと、永遠の純粋意識である私たちの本質が見えてきます。

こんなふうに自分自身をミクロからマクロを見据えたとき、存在そのものへの称賛が自然と沸き上がり、自分の人生というストーリーに完全にはまっていた狭い視野から抜け出して、ちっぽけな自分から尊い存在としての自分が感じられるかもしれません。

そんな視点から、改めて自分の悩みや苦しみを見てみたとき、一つの苦しみがまるで入り組んだタペストリーのように様々なエピソードや思い込み、たくさんの感情などが絡み合い、または親や人類の苦しみともつながっていたり、決して単細胞的な単純なものではないでしょう。

なぜこんなに複雑、複雑~と連呼しているかというと、なかなか楽にならない、自己ワークがうまくいかないなどとおっしゃる方の多くが、ものすごく大雑把に自分を癒そうとしていると常々思うからです。

例えば、

一つのセラピーだけで癒そうとしていたり、

自分の思い込みを見ずにワークし、思い込みの中で癒そうとしている、

推測した原因にワークをしていたり(頭で原因を探ると一応辻褄が合うので、それだと思ってしまう)、

今の心の状態を見るのではなく、過去の出来事だけを癒していたり、

トラウマなど体のシステムが閉じているのに、思いや見方を変えるだけでどうにかしようとしていたり、

真我に目覚めれば良いのだと思い込んでいたり、

単純に知識やスキル不足で、意味のないワークをしてかすってもいなかったり

などなど他にもたくさん・・・・・。

(ネガティブナルシズムに陥っているケースもそれなりに多い)

そんな様子を見るたびに、いやいやもっと複雑だから、まずは自分の思いも体もじ~っくり丁寧に見て行こうよ~と言いたくなるのです。

ですが、自分の複雑さ、微細さを知らないと、この“じっくり”という言葉に待ちきれない人もそれなりにいます。“早く変わりたい、楽になりたい、誰かチャンチャンと癒して~”

もちろんその気持ちはものすご~く分かります。でも、その思い自体がほんとうの意味で苦しみと向き合うことを避けてしまいますね。結果的にいつまでも引きずってしまう・・・・。

でも、苦しみと向き合うということは、言い換えれば、自分ときちんと向き合う、自分の本当の思いと向き合う、そして自分を作り上げているミクロとマクロの世界と向き合うという意味でしょう。

自分が抱えている“悩み”というミクロの世界から自分の本質であるマクロの世界まで。

母が認知症になってね・・・・・、息子が引きこもっていて・・・・、自分に自信が持てなくて・・・・・、などなど、困った問題だ、早く解決したい、どうにかしたい、誰かアドバイスを!なにか方法は?良いセラピーは?

ツールや方法を探し求めることももちろん大切ですが、そこにあるものにほんとうに向き合ってみると、自分の心も体も深く理解され、そこからマクロの自分にきっと辿りつけるはず。

そのときはきっと、苦しみが無くなってせいせいした~ではなく、その苦しみがあって良かった♪と思えているでしょう。

それはまったく違った目線になった強さ、安心感、そして本質に触れた喜びという大きなおまけつきで。

ということで、

自分がぜ~~んぶの存在というのは分かったけど、じゃぁ、私は知識やスキルがないから自分では何もできないっていうこと?と思った方、悩みは解決されないかもしれませんが、それに向けた準備体操(笑)はできるかもしれません。

あくまでも準備体操です。根本の解決にはならないです~。

が、とりあえず、

1)思いを眺める

雲を眺めるように眺めるだけ、眺めた思いを分析したり、ジャッジしたり、何かしようとしない。

2)感情を眺める(体感覚も同じ)

同じ要領で。

※どんなドロドロした思い、みにくい感情、嫌な感覚でも、ぜんぶそこにあって良い♪

3)それらを眺めながら、鎖骨の下あたりを軽く指でトントンしながら、深呼吸をする

思いを見て、感情を感じて、そして最後に、

4)それらすべてに気づいている意識にただあってみる(寄り添う)

呼吸は適当に続ける。好きなだけやって終わり♪

では、次回はイギリスから~☆

☆☆☆☆☆☆

ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年7月4日(水)10:00~12:00
「子どもに怒ってばかりの私。ママでいる事が辛い!
『もう一人で悩まないで』~心の仕組みを知り楽しく幸せな子育てを~」

詳細はこちら↓
http://heart-resilience.com/number/shortseminar-201807

少人数です。聞きたいこと、相談したいことをお気軽にどうぞ♪

お子様連れでも大丈夫です!

☆☆☆☆☆☆

JMET EFTプラクティショナー講座レベル1

2018年7月7日(土)10:00~17:00
“うがい、手洗い、EFT”
自分が気づかずに溜めている感情を解消して、スッキリしませんか?

☆前回お知らせした11月のマトリックス・リインプリンティング講座はキャンセルとなりました。2019年3月ごろを予定しております。いずれにせよぜひ学んでみてください♪

詳細はこちら↓
http://jmet.org/201807_eftseminarlevel1/

☆EFTプラクティショナーになるためには、レベル2の受講も必要です。