グレート・リセット〜狂気からの目覚め〜

このコロナ騒ぎが始まってから少し残念に思っていたのは、いわゆる非二元のティーチャーたちがこれほど世界規模の大騒ぎに何も言及していなかったことです。

もちろん、非二元の観点からすれば、この大騒ぎも生まれては消えてく幻想であり、究極には何も起きていない夢物語です。それはある意味、究極の救いとも言えるでしょう。しかし、世界を巻き込むストーリーのエネルギーはものすごく大きく、私たちは全身全霊巻き込まれ、思いや感情に完全に支配されがちです。

ので、一切触れずにいてくれることは、ある意味「正気な場所」を思い出させてくれ、そこはで心静かに過ごせる唯一の場として非常に大切です。

ですが、一方で「正気な場所」と「騒動でめちゃくちゃな世界」と二つに分けられないということがまさに非二元(二つに分けられない、二つではない)なわけで、現象の世界で起きていることをまったく無視することもできないわけです。

そんなところに!なんと、エックハルト・トールがラッセル・ブランドというイギリスの有名なコメディアンのYouTubeチャンネルにゲスト出演していたのです。

タイトルは、”グレート・リセットが起きる”

その前にまず個人的に、私はコロナの初期からデータが示すコロナとマスコミと政府、医療界が騒ぐコロナのギャップに驚きと憤りを感じていました。先ごろ日本の財務省がまとめたデータでも、重症化率、致死率ともインフルエンザよりも低いと出ています。(文末のリンク参照)

また死者の平均年齢が世界的に80代というデータがある中、子供たちに一番我慢を強いるような施策がマッチしないし、施策自体が人間の自然体に反するものが多いことに懸念を感じていました。

しかし、そんな声を出そうものなら(FBにはちらほら投稿していましたが)、バッシングの嵐や陰謀論者のレッテルを貼られてしまう傾向が強くがあった(ある)と思います。

そんな状況の中エックハルト・トールの言葉にはとても勇気づけられたのです。動画から下記にポイントを並べてみます。

・今起きている多くのことはあまりに狂気じみているから、それに対して疑問を持つ必要性がある。だが、腹を立てたり、攻撃的になる必要はなく、好奇心に留まること。あなた(ラッセル・ブランド)は人々を目覚めさせることへ大きく貢献している。もし、メディアがあなたを陰謀論者と呼ぶなら、それは良いサインだ。そう呼ばれるならあなたは正しいことをしているに違いない。

・狂気が集合意識のなかで増え続け、人類のかなりの多くの人が集団的精神病状態に陥っている。しかし、こういうことは人類史上起きるもので、今危機的な動乱に突入しているものの、一方で何千年と続いてきた自我の状態から抜け出す大きなチャンスでもある。

・グレート・リセットが起きるが、これはある一定の団体(国際経済フォーラム WEF)が計画しているようなものではなく、多くの人が目覚めてきているため、彼らが驚くようなまったく違うグレート・リセットを私たちは経験するだろう。

・疑問を持つときに一定のグループや誰かを悪魔化(悪魔のように悪い間違った人たちとして見ること)してしまうと、あなたも同じレベルの意識にとどまってしまう。彼らが現実だと思っていることを否定せず、耳を傾けること。そして彼らに質問を投げかけることが大切。

・政治家やメディアがやっていることは、丁寧に言えば“眠っている(無意識)”、直球で言えば、これ以上にない愚かさ。大学の学位は持っているかもしれないが、知恵がまったくない。知恵とは、一つのことを攻撃することに集中するあまり(コロナだけに集中した対策をするあまり)、その結果がもともとの状態より経済的にも心理的にももっとひどい状態をもたらすようなことはしない。

・コロナ禍は、計画されたものであると言う声があるが、私に言わせれば、それらの人たちは、無意識で非常に愚かだということだ。頭は良いかもしれないが、知恵がない。知恵とは気づきの意識から生まれる。知恵が伴わない知識は、逆に危険で自己破壊的である。

・コロナ禍などの出来事の背景に利権をもったグループが背後で操作していることは疑いないだろう。しかし、彼らはあまりに無意識で自分が何をやっているのか分かっていないのだ。イエスが十字架にかけられたとき言った言葉通りである。神よ彼らを許し給え、自分たちがなにをやっているのか分かっていないのだから。

ポイントだけ書くつもりが、良いことばかり話しているので、けっこう訳してしまいました(笑)。

さて、エックハルト・トールが言う「狂気じみた中で疑問を持つこと」「腹を立てたり、攻撃しないこと」という点を見てみれば、感染対策はやり過ぎではないか?という「疑問を持つこと」自体が許されない、怒りの攻撃に合ってしまうことが狂気だと思うのです。

狂気というのは、感情に支配され、自分と違う観点を許さず、攻撃し、抑圧してしまうことだとしたら、実はこれは人間がずっとやってきたことでしょう。それが、今回のコロナ禍やロシア・ウクライナ問題でも表にわかりやすく出てきたのだと思うのです。

コロナ禍が始まって以来、政府もマスコミも一つの見方だけを喧伝し、疑問を持つ人(それがその分野の権威であれ)や違う見方をする人たちを排除したり、仕事を奪うなどしてきました。私が生きている中でこれほど政府やSNSの検閲がすごかったことはないなと思うのです。(政府やマスコミの考えに賛成している人は気づかないと思いますが)

さて、ちょっとここで立ち止まってみると、このような傾向は、実は私たちは一番自分に対してやっているんですね。自分の中が一番戦争しているんです。

「私はこうあるべき」(優しくあるべき、役立つ人であるべき、などなど)というビリーフが私たちの中にあり、そうじゃない自分がいれば、攻撃し、無意識に見ないようにする(=抑圧する)、と、同時に外から自分を守ろうとする。

またはネガティブなものでも、例えば、「私は無力だ」というビリーフがあったとして、無力じゃない自分というのは一見グッドニュースなはずです。しかし「あなたならできる」と言われても、突き放されたような気になり、なんで助けてくれないの?できるわけがない!とムッとしてしまったり。と同時に、無力な自分をダメな自分だと攻撃する。

はぁ、人間って面倒くさい(笑)。

ちなみに、こういったことは全員やっています。これが何千年も続いたエゴ状態ですね。

話をグレート・リセットに戻して、コロナ禍でも戦争でも基本的に「恐れ」が社会を支配してしまいます。そして、私たちが自分の中で起きている戦いに気づかない(無意識)でいればいるほど、狂気の波動に引っ張られ続けるでしょう。

そしてそういう人が多いほど、エックハルト・トールがいう集合的狂気が出来上がるのです。

ということで、人類の目覚めはやはり自分からしか始められないですね。まずは、自分が通常だと思っている状態は、かなり狂気な状態であると認識すること。(だから苦しむし、戦いが終わらない)

そして、気づきの意識(アウェアネス)を高め、智恵を得ていくこと。つまり、自分が何を考え、何を感じているのか?それはどこから来ているのか? 恐れ? それとも自分らしさから?と振り返ってみること。

ストーリーに巻き込まれている時に、どんな自分で一番いたいのか?と問いかけてみる。自分の思いや感情、ストーリーにきちんと気づき、そして吟味、選択できること。

それが目覚めの第一歩ですね。

社会に合わせるのではなく(狂気に留まるのではなく)、自然を感じ、謳歌し、真実のエネルギーに合わせて行きたいですね。

☆動画URL

☆財務省のまとめ

森田洋之医師のブログで分かりやすく財務省の上記のデータがまとめてあります。https://agora-web.jp/archives/221120081928.html?fbclid=IwAR1KOSA1ebohenfPjgH4tLtLLYstht9gUbyUYoshBPeNJnYPnJWiaFx1orI

お金をどう考える?~非二元の観点から~

なぜかブログでご報告することは忘れていましたが、ノンデュアリティのYouTubeチャンネルをやっております。そちらにお金と非二元というお題で話してほしいというリクエストを頂きましたので、早速取り上げてみました♪

もしまだYouTubeチャンネルに気づいていませんでしたら、いくつか既にアップしてありますので、ぜひ他の回もご覧ください♪

そして、ブログを書き始めるぞ!と言った後にまったく更新しておりませんが、そのうち再開するかと思いますので、気長にお待ち頂ければ幸いです。

ということで、今回は動画の方でお楽しみください!

世界が大きく変わるとき~心のしくみから見る~

このところ世界の動きに心を奪われ、仕事ができません。(笑)

もちろん世界は常にいろいろ起きていますが、今起きていることは、私が知っていた世界から、まったく未知の世界へとシフトであると感じるのです。スピリチュアルな世界では地球が5次元にアセンションしているといったか話がありますが、信じる信じないは別にして、何かが大きく変化してきているのは確かでしょう。

とりあえず見える現象として、今、西欧一極支配が終焉を迎えていることを強く感じ、それはまた既存の価値観の崩壊を表していると思うのです。

最近大英博物館の前を通ることが多いのですが、見も蓋もない表現をすれば、ある意味展示物のほとんどは大英帝国が世界中から盗んできた盗品です。しかし、イギリス人的にはそれらは誇れる勝利品で恥じるものではありません。

またイギリスは、コモンウエルスという54ヵ国のかつて植民地にしていた国々と今も連携し、女王が定期的に訪問したりしています。で、もちろんこれらの国々にイギリスは「領土拡大」の野望と、それらの国の資源やイギリス経済への利益獲得のために侵略したわけです。

なぜこんな話をしているかというと、帝国主義による植民地支配は終わっていても、帝国マインドは現在のイギリス人の中に深く残っているなぁと感じるからです。(イギリスだけでなく、欧米全般)

少し前にインドの外務大臣のインタビューの一部分がSNSに出回っていました。インタビュアーの、“ウクライナの問題を考えて、インドは中国と長年国境の件でもめています。今日明日とは言いませんが、将来アメリカ(西側)につくか、中国側につくかという決断を迫られると思うのですがどうでしょうか?”という発言に対して、

“その質問自体があまり賢いものではない。西欧は「自分たちの問題は世界の問題、でも世界の問題は自分たちの問題ではない。それがあなたのことであれば、あなたの問題。でも、それが私の問題であれば、(あなたも含めて)私たちの問題」という思い込みを作り上げてきた”

これは、まさに私もずっと感じていたことでした。欧米中心に政治やすべてが回っているという思考。

ロシアのウクライナ侵攻に関しても、以前から起きているイエメン、シリア、パレスチナなどに関しては、自分たち(NATO)が爆弾落としているからでもあるけど、市民がどれだけ殺されていようと対岸の火事です。あなたたちの問題。でも、ヨーロッパで起きているウクライナのことは世界の問題。

インタビュアーはさらに、“アメリカ(欧米民主義の国)と中国といった対立軸があるのは事実なんだから、インドはどちら側につくか立場をはっきりさせないといけまんよね?”と大臣にせまったのに対して、

“その質問そのものに賛成できないんです。ウクライナと関係なくインドと中国の問題は以前からあり、どちらの側に立って自国の政策を立てるかということではない。私の国は世界人口の5分の1を占め、経済規模も世界第5位だ。だからどちらの側につくこともなく、自分たちの政策を決める権利がある。状況をきちんと把握して、自国にとって良い選択をするまでだ。”

これ重要です。あっさりと読んでしまうと当たり前のことを言っているようにしか聞こえませんが、ここに既存の価値観、世界観の崩壊を個人的には強く感じたのです。

今まで西側諸国が政治的、経済的なパワーを持ち、残りの国々に対して強い発言力を持っていたパワーバランスが崩れてきている兆しでしょう。

また、先ごろゼレンスキーがアフリカ連合の55か国をズーム会議に招待したところ、当日参加は4か国のみでした。これは世界は欧米の顔色を見なくても回っていける状況にフトしている現れかなと思うのです。

さてここで、話が心のしくみに飛びます。

西欧には未だ強い帝国主義マインドがあるけど、私たちは人間の心理として心の深いところで自分が何をやったか知っていて、罪悪感も持っているものです。意識上ではどんなに自分を正当化しても(またはすればするほど)、罪悪感はガッツリ残ります。

そして、抑圧した思いは他者に投影され、つまり誰かが帝国主義者に見え、そしてその人に自分の罪悪感を投影し、ひどく嫌うということが起きます。

先月ブッシュ元大統領が、自分の財団でスピーチした際にロシアを批判するつもりが、“一人の人間の決断による、非合法で残虐なイラクへの侵攻、あっ、ウクライナへの侵攻”と言い直した部分が話題になっていました。いわゆるフロイトの失言(Freudian Slip、心に本当に思っていることがうっかり無意識に出てしまうこと)というやつです。

これは、大量殺りく兵器があるかもという推測で、「自由と民主主義を守るため」にイラクに侵攻し、結果100万人の市民が殺されたことに対して深いところでは罪悪感があることの現れかなと思うのです。

ロシアのウクライナ侵攻に関しては、NATOの東方拡大、2014年のマイダン革命で親露派の大統領が国外に追放されたこと、またミンスク合意の不履行が原因だという専門家も多い一方で、メディアは「プーチンが帝国主義者で悪魔だから」という理由のみ報道しています。

私の周囲のイギリス人もほぼ99%の人がこの見方をしており、NATOの拡大が・・・と言っただけで、ロシアのプロパガンダだ!と言われてしまいます。しかし、自分の罪悪感を投影しているのでなければ、頭ごなしに否定はしないものです。考えてみるぐらいの余裕はあるでしょう。

また、私たちは自分の中にある思いは他の人の中にもあると思うくせがあります。つまり、自分たちが帝国主義で他国を支配してきたので、ロシアもそうに違いないとみなすわけです。

また、現在までずっとアフリカや中東、アジアの国の政治に介入し続けてきた”アメリカ帝国主義”があり、そういった見方からどうしても抜けきれないのだなと思うのです。

データがないので分かりませんが、おそらくNATOの爆撃で死んだ市民の数は、ロシアや他の国の軍隊と比べてダントツに多いでしょう。これらの攻撃はすべて「自由と民主主義を守るため」なので、西欧的にはOKです。

こういう話を仲の良いイギリス人と話すと、「でも、じゃぁ、共産主義や独裁者の国に住みたいの?」とか言われ、ポイントが理解されません。(ポイントは、じゃぁ、それで他国の政治に介入して市民殺して良いの? 帝国主義とどこが違うの?です。)

しかし、もし私が「それも帝国主義だよね」と言えば、恐らく発狂するなと思うので、いつもそこで会話は終わります。自分が忌み嫌っているプーチンと同じだなんてあり得ない!という怒りです。繰り返しますが、投影していなければ冷静に聞け、違う意見を話し合うことができます。

さて、話を欧米一極支配の斜陽に戻すと、インドはイギリスの植民地であったところから、欧米の意向にまったく沿う必要もないぐらい力をつけてきたことをインタビューは物語っているでしょう。それはインドだけではなく、アフリカや南アメリカもその傾向が出てきています。

そんな状況を見ていると、一つの文明が崩壊するときとは、さらに強い文明が生またからというよりは、既存の価値観から抜けきれずに変化についていけない結果ではないのか?と思うのです。

振り返って、我が国日本。東京と香港の区別がなかなかつかないイギリス人が多い中、メディアのロシア悪報道を見ていると、気持ち的には西欧とガッツリ並んでいるつもりでいるでしょう。

政治、経済、世界の動き、最終的にいつも「人の心」が動かしているものです。言い換えれば、私たち一人一人の心が変われば、情勢は変わっていきます。

戦争は”人”の心が起こしているものですよね。誰が悪いという悪人探しやどっちが悪いという判断よりも、どういう心が争いを生み、どういう心が平和を作るのかを考えたいなとつくづく思う今日この頃です。

長くなりました。世界も国家も、そして最終的に自分個人の人生も私たちの思いが作り上げていて、ほんとうの意味では犠牲者も加害者もいないことが見えてくると良いですね。

★ノンデュアリティの動画を定期的に配信しています★
https://www.youtube.com/watch?v=CzyDr-vfmcM

◎インド外務大臣のインタビュー
https://www.youtube.com/watch?v=nLXUOKjW7CQ

◎ブッシュのスピーチ
https://www.youtube.com/watch?v=wUEr7TayrmU

ウクライナ・ロシア戦争の報道

報道というのは、ほんとうに大きな影響があるものだんだとコロナ禍でつくづくと思い知らされましたが、ウクライナとロシアの戦争でもそれを強く感じざるをえません。

最初に私のスタンスをいえば、軍事侵攻には基本的に反対です。なので現在世界のいくつもの地域で市民が攻撃され、建物が破壊されていますが、それらのすべての侵攻、攻撃にも反対です。(特に英米のイラク侵攻は今でも大反対です)

しかし、ヨーロッパで起きているということで、西側の報道はロシアのウクライナ侵攻のみに集中していますね。西側にとって冷戦時代からロシアは敵であり、ハリウッド映画でもいつもロシア人はスパイや悪人として描かれてきました。

なので今回も、ゼレンスキーはヒーロー、プーチンは悪人という映画か漫画のようなストーリーが展開されています。

と書くと、一方的に侵攻しているロシアの肩を持つのか!と叱られそうですが、このブログの目的は、どちらかの肩を持つというより、私たちはこの戦争を公平にみているのか?にあります。冒頭に書いたように、私はいかなる侵攻も正当化したくありません。

ただ、ロシア側の報道がぜんぶプロパガンダで、西側の報道はすべて正しいというのも非常に偏りがあると思うのです。西側は西側で当然自分の側に立ったものの見方しかしません。

紛争地の交渉に30年以上関わってきたアメリカ人のウイリアム・ウリー(William Ury)さんという方のインタビュー動画があります。私はイギリスでmediator(仲介交渉人)の資格を持っていることもあり、この国際紛争の仲介交渉のプロの意見を非常に興味深く視聴しました。

長い話を短くすると、彼によると紛争解決のために大切なのは、まず「聞く能力」であるということです。相手の立場に立って話を聞いて、相手の立場から世界を見る能力。

そして、世界はロシアに対して厳しく対応すればするほど良いと思っているけど、一番良い交渉とはロシアにとって一番簡単(easy)にしてあげることだというのです。これはもうほんと目から鱗ものでした。

彼曰く、相手がYesと言いやすい交渉をして、相手の現在の戦略を捨てさせることだというのです。これは人間の心理をよくわかっている人の発言ですね。

残念ながら、西側の報道はプーチンやロシアを悪者扱いにするだけで、聞く耳を持つという態度はどこにも見られません。それどころか報道全体がロシアを理解するなんてもってのほかで、ヘイトだけを煽りまくっている状態は心から残念です。

ベルリンの壁が崩壊したとき、ゴルバチョフは東ドイツから軍隊を引き上げた際に“ここから1ミリも東にNATOが勢力を広げてはいけない”と発言しました。ところが、NATOはそれを無視してどんどん勢力拡大を続け、今やロシアの玄関先にまで迫っています。

ヨーロッパの地図を眺めながら、NATO加盟国が年々拡大していった状態を見ると、自分がロシア側だったら、これはかなり嫌かもと思ってしまいます。プーチンもNATOの拡大に関して、ロシア存亡の危機だと何度も言っています。自分たちはあなた方の国境に迫っていないですよ、とあるインタビューでも語っていました。

一方NATO側からすれば、ロシアの脅威がある限り、拡大は仕方がないことなのだ!となるのかもしれません。しかし、ここでもポイントは、私たちは両方の言い分を公平に聞く耳を持っているか?ですね。

ちなみにアメリカ軍事国際関係の専門であるジョン・ミアシャイマー教授のシカゴ大学での授業は事実ベースでとても分かりやすいです。彼は、NATOの政策(西側の政策)の失敗が今回の戦争をもたらしたと主張しています。メディアでは取り上げられない一つの見方として参考になるかと思います。(ブログ末にリンク添付)

NATOの拡大や2014年のオレンジ革命、そして国内ナチスの影響など振り返れば、ハリウッド映画のようなウクライナ善、ロシア悪といった見方を超えた、今に至る要素はあちこちにあったでしょう。ジョン・ミアシャイマー教授の言葉を借りれば、西側はクマの目を突き続けてきたとのことです。

さて、私は市民だけではなく、兵士が負傷したり、死んでしまうのもものすご〜く嫌です。どちら側にしろ、私たちと同じ人間です。なので、やはりどちら側にも立ちたくないし、平和派で貫きたいと思うのです。

誰かを敵対視し、憎むことがなんの解決にもならないことは、人類は今までの歴史を通してよく知っているはずです。ところが、毎日同じ“ロシア悪報道”がされると、私たちの心の中に憎しみもどんどん刷り込まれてしまいます。

こうやって刷り込まれた結果、ジョン・ミアシャイマー教授のような西側にも落ち度はあったという見方は、今更とても受けつけられない雰囲気がバンバンにあります。今のイギリスでロシアにも言い分があると言ったら、非国民扱いされそうなぐらいです。

こうやってみると、人間のほんとうの敵は相手ではなく、憎しみと不理解、自分を振り返る能力の欠如かもしれません。

また、わたしたちにとって最も難しいことは、自分は正しいという思いから抜け出すことですね。もちろん自戒も込めてですが、自分が正しいと強く信じている限り、相手の言葉は耳に入ってこないものです。

ジョン・ミアシャイマー教授の戦争を終わらす提案の一つがウクライナの中立化です。ウイリアム・ウリーは、結局すべての戦争は最終的に交渉で終わるのだから、もう今交渉するべきであると主張しています。

しかしそれも、報道が一方だけ悪者にしている限り、なかなか実現は難しいでしょう。

一見話は飛びますが、コロナ禍では、例えばワクチンを打たない人を我がまま、非科学的、人種差別主義者とレッテル貼りをし、悪者扱いするのみで、どうして打ちたくないのかという理由に耳を傾ける姿勢はまったくありませんでした。

こういった分離と憎悪を煽るエネルギーがいわゆる権威者たちから発せられ続けられきましたが、今回の戦争報道も同じようなエネルギーの延長線上にある気がします。しかし一方で、分離感が強まれば、私たちの中にある本質のエネルギーのつながりたい、仲良くしたい、笑い合っていたいというエネルギーもより目覚めていくでしょう。

ということで、まずは自分から。自分の中に敵はいるだろうか? 自分の中に自分を嫌い、許していない部分がないだろうか? 自分が嫌っている部分の声に耳を傾けている?と振り返ってみたいなと思うのです。

というのも、自分への否定やヘイトが減っていくと、どれだけ報道が煽ったところで、自分が反応できなくなるからです。違和感がすごく出てくるはずです。

私たちの多くが報道にそのまま流されてしまうのは、やはり私たちが自分の中に恐れや自己嫌悪的な思いを無意識にいくつも抱えているからでしょう。

“戦争で最初に犠牲になるのは真実だ”(The first caualty of war is truth)という言葉があります。

自分が自分に耳を傾け、理解し、そして自分に正直でいれば、錯綜する情報や出来事の中でハートが真実に反応していくようになるでしょう。

報道や人から言われたことを鵜呑みにするよりも、自分の中でじっと感じて、そして自分はどうありたいか、自分の中のパワーに目覚めたいですね。


ノンデュアリティと癒やしの動画をアップしました。
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◎ジョン・ミアシャイマー教授シカゴ大学講義(25M回再生)
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◎ジョン・ミアシャイマー教授 今年の動画(日本語)
https://youtu.be/cZaG81NUWCs
◎ウイリアム・ウリー(William Ury)インタビュー
https://youtu.be/jMzyFN05mw8

コロナからウクライナ〜心穏やかに生きるには〜

イギリスではコロナの規制がすべて解除されたとたん、ロシアとウクライナの戦争の報道でまたも不穏な雰囲気に包まれております。

そんな不安から不安へと綱渡りしているような社会情勢の中、なるべく心身ともに穏やかに過ごしていきたいものですよね。

同じ建物に住むある友人が、ウクライナ問題が心配で不眠になったというので、“今現在具体的にはどんな脅威がある?ガスの値段の高騰?”と聞いてみたところ、一瞬キョトンとして黙ってしまいました。

マスコミが描く世界に自分は生きていると私たちは感じがちです。連日トップニュースで報道されれば、まるで自分が戦争の脅威の中にいるように思えてきてしまうのも理解できます。

コロナ禍のように、連日感染者数が報道されると、周囲に感染者が一人もいなくても、ウイルスが充満しているように感じてしまうのと同じでしょう。

また、“報道”というのは事実を伝えるものであるので、余計現実味が高いですよね。しかし、マスコミの報道もやはりストーリーにしか過ぎないんです。

報道も起きているものの切り取られた一部であり、どうしても編集者のバイアスが入ります。事実をどう編集するかによって、まったく違う報道(ストーリー)が出来上がってくるんですね。

それは、一つの出来事を複数の人が同時に体験しても、皆違うバージョンの記憶になっているのと同じです。

ので、マスコミから伝わる報道(ストーリー)と“今ここにあるもの、起きていること”を区別することは、正気でいるための一つのコツでもあるでしょう。

ちなみに、私の“今ここ”は、自分が部屋にいて、パソコンを打っていて、外から遠くにヘリコプターの音がして、室内は適温で心地よい。以上。終わり。

この状態が続いて欲しいとか、4月からガス代が大幅アップってニュースが言っていたから、部屋が暖かくて心地よいなんて言っているのも今のうちかも〜とか、そういう思考に囚われなければ、いまここの真実はシンプルです。

もちろん、今まさに銃で打たれているかもしれない人たち、拷問にあっているかもしれない人たち、家や家族が爆撃されたかもしれない人たちが地球上にたくさんいるわけです。

でもそれを恐れるのではなく、そこに愛を広げていくことをイメージすると、心はやはり穏やかになっていくはずです。もしかすると、そんなことが起きてしまっていることへの怒りや悲しみも湧いてくるかもしれません。

それはそれで出てきた感情を受け入れ、理解してあげる(自分の感情へ理解を示す)。受け入れることによって、一見ネガティブな感情の中にも愛があることが見えてくる。(愛しているから悲しい、愛しているから怒りが生まれる)

最終的に恐れや分離、苦しみを癒せるものは愛しかなく、そこに戻っていくことが人類の苦しみを癒す唯一の方法かと思うのです。

では、具体的にどうやっていくかというと、やはり自分から始めることが一番ですよね。ちょっと振り返れば、私たちの中には自分を否定している声、深く傷ついた部分などがたくさんあり、ある意味自分の中に敵や争いを年中抱えているようなものです。

例えば、こんな自分は嫌いだ!とか、自分を否定する思いは、その部分の自分を敵視しているようなものですね。または、私は無力だという思いがあったとしたら、自分を外界から守らないといけない、そのためには周りから自分を防衛したり、自分を傷つけそうな人を攻撃しないといけない心の状態が生まれます。

防衛と攻撃と書くと、大げさな感じに聞こえますが、私たちが日常で年中やっていることです。

例えば、“〜〜をやっておいてと頼んだのに、また忘れちゃったの?(怒)”と責められると、“こっちだって忙しいんだよ。そういうきつい言い方しないでよ!”と、自分を守りながら相手を攻撃する。

または、“私はなんであのとき気がつかなかったのだろう、どんなバカなんだ〜〜!”という思いは、あるべきはずの自分(気づけていたはずの自分)とバカな自分が言い争いしているのと同じですね。

こういった声が自分の中にたくさんあれば、コロナや戦争以前に心は疲弊してしまいますよね、ということで、自分の心を癒やし、愛を増やしていくこと。自分自身との関係を友好にし、自分の中の敵を減らしていくこと。これが平和への近道。

そして、もう一つは自分の本質に目覚めること。

自分は分離した個であるという感覚がある限り、自分と相手、自分と社会という対立した世界観がありますね。そして、たいていの場合は自分は小さくて、社会は大きい。世の中のどこかに自分に害を与えるもの、または与えてくる人がいるという感覚が付随してくるものです。

でも、自分の本質とは、一切分離もなければ、敵も争いもない。それどころか、時間も空間もない絶対的な平和、愛です。

自分の中の敵が減っていき、リラックスした愛ある思いが増えていけば、心は自然に周囲にある愛に呼応していくでしょう。恐れのストーリーがしっくりこなくなり、引きずり回されることが減っていくでしょう。

戦争のある一方だけを悪者のし、敵対視して分離感を強めたり、どうなるのだろう?と不安を増やすよりも、これを逆にチャンスにして、自分が「愛」であるためには、自分のどこを見つめると良いのだろう?と振り返ってみれると良いですね♪

その上で平和を求めて、声を挙げたり、自由に自分を表現していけると愛のエネルギーが広がって、新しい地球にシフトできるかもしれませんね。

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時間もなく、苦しみもなく

突然ですが、「時間がなければ苦しみはない」終わり。

これを読んで、“そりゃそうだ、でも時間ってあるし・・・”と思う方が一番多いかもしれません。

私はこれがほんとうに腑に落ちたとき、なんでこんな明白なことに気づくのに何年もかかったのだ!バカバカと自分の頭をぽこぽこしたい気分になりました。

とりあえず、ご説明させてください。

そのためにまず、過去も未来もないとイメージしてみませんか? 

過去の出来事にまつわる記憶がまったくなくて、同じように未来もぜんぜんない。

ほんとうにない!ゼロ!消えた(笑)!

イメージできましたか? 

過去と未来が消えたとき、私たちの悩みや問題はまだ存在しているでしょうか?

例えば、「私は無力だ」という思いを持っていたとしても、過去と未来がなければ、その思い自体の意味がなくなりますね。

または、過去に誰かに傷つけられた、自分が誰かに酷いことをした、間違った選択をしてしまった、などなど過去の出来事に対するネガティブな思いも消えてしまう。

当たり前じゃないか・・・と思うかもしれませんが、ぐっとこらえてついてきてください。

で、そうなれば、今は過去の結果ではなくなります。また、未来も今の結果ではなくなりますね。

エックハルト・トーレは「今ここ」には悩みや問題はないと常に言っていますが、この意味が以前はまったく分かりませんでした。というのも、「今」の意味を時間系列の中で考えていたからです。なので当時は「でも、今借金があれば問題じゃない?」とか思っていたのです。

しかし、エックハルト・トーレがいう「今」とは、時間の流れの中にある今ではなく、実体の場を指していたのです。

例えば、過去と未来はどこに存在するでしょうか? 私たちが絶対にあると信じて疑わない過去と未来はどこに存在するでしょうか?

・・・・・・・・・私たちの頭の中だけですね。

また、過去と未来を実際に経験することはできるでしょうか? 誰も一度もしたことがないはずです。

つまり、私たちがいう時間とは、頭の中だけに存在して、誰も経験をしたことがないんです。

では、頭の中にあるものは実体があるのでしょうか?

記憶はイメージや思考や感情、感覚で成り立っていますね。

例えば記憶のイメージは絶対的なものでしょうか?それとも自分バージョンの映像でしょうか? 同じ出来事に対して、兄弟で記憶がぜんぜん違うことはそれなりにないでしょうか?記憶は基本的に主観的な自分バージョンです。

これは絶対的なものとはいえないですね。

歴史も勝者によって書かれるというように誰かの記述であって、絶対的な真実ではありません。

過去や未来が頭の中にしか存在しなくて、記憶や歴史が真実ではないのなら、時間や記憶って何なのでしょうか?

それでは、「今」はどうでしょうか?今にいることはできますか?「今」は捉えた瞬間には過去になっているはずです。時間は一度も止まっておらず、流れっぱなしですよね。流れ続けるものに「今」は実際には存在しないはずです。

頭で捉えないで、ぜひ実際に自分で観察してみてください。自然観察です♪

では、過去も未来もなく、今もないなら、一体「私」は存在しているのでしょうか?しているとしたらどこに存在しているのでしょう?

私たちの経験の中に“唯一まったく流れないもの、変化しないもの”、頭の中ではないものがあります。それはそれらのすべてに気づいている意識です。何かが流れていると分かるには、流れていないものがないといけません。

時間が流れていることに気づいている自分。でも、その自分は流れていない。動いていない。

流れない、動かないということは、今しかないということです。今しかないんです。これがエックハルト・トールのいう「今」です。

では、振り返って、いわゆる「私」や「私の人生」というもの。これはすべて「過去、今、未来」という時間軸の中にしかありません。でも、存在していませんでしたね?

今というのは、時間軸のストーリーがない場所(場所じゃないけど)を指しているんです。ストーリーがないところ。

一旦ストーリーがないところに立ったとき、目の前に見える流れていく事象は、次々と現れる未知な現象となります。次の瞬間に角から自転車が現れるかもしれない。またはある新しい思いが浮かんでくるかもしれない。次の瞬間に何が起きるかはいつも未知。

そうやって見ていくと、人生は自分がコントロールしてなんとか幸せに、または安心安全にしていくものではなく、一つ一つの出来事、現象が生まれてくる愛おしいものになります。

出来事が悲しいことだったとしても、辛いことだったとしても、なぜか現れてきた生命のストーリー。「私」という愛おしい主人公がいるストーリー。

理由はわからないけど、生まれてくるストーリー。そして、そのストーリーに気づいている時間を超えた自分。

色即是空=ストーリーを生きる自分(色)は、すなわちストーリーに気づいている自分(空)である。この二つを分けることはできない、二つではない。非二元(二つに非ず)。

私たちの一番の勘違いは、この二つの自分が同じ個の自分だと思っていること。さて、こっちへ行くと話がいつまでも終わらないので話を戻します。

実体である「今」には悩みはない。時間軸のストーリーから解放されているから。じゃぁ、「今」に目覚めれば悩みなくなる?ある意味そう。でも、色の自分が癒やされていないほど、個の自分のストーリーにはまってしまう。だから癒しも大切だと思うのです。

長々と書いてきましたが、実体のない私は、「私の人生」を行きている私と常にともにあって、決して離れることはない。実体の私とは「永遠の無条件の愛、生命」。

私たちはみな守られている♪ ストーリーから離れて、愛を感じてみませんか?

 

★非二元と癒やしについてズームセミナーを来年予定しています。

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コロナ禍に飽き飽きしている人へ〜目覚めちゃおう!〜

みなさん、いかがお過ごしでしょうか? ブログをそろそろ始めると言ったまま、まったくやっておりませんでした。世界の動きと非二元の真実のはざまでうろうろし、言葉がまとまりません。

さて、日本とイギリスを往復する生活をもう20年以上経ちますが、今回ぐらい世界が「同じ」だと感じたことはありません。というより、たいていは日本で話題になっていること、イギリスで話題になっていることがまったく違い、普段は同じ惑星か?と思うほど違うものです。

ところが、今回のコロナ禍ではメディアのあり方、それに対する人々の反応、社会の分断の様子が両国ともまったく同じです。例えば今なら、ワクチン推進派とワクチン慎重派の意見は、ものの見事にイギリスも日本も同じです。

もちろん、インターネットの情報を共有しているからとはいえますが、それにしてもここまで同じように人々が分断したことは私の経験ではないなぁと感じるのです。

そして、最近感じるのは、どの立場を取ろうと長く続くある意味非常事態に多くの人が疲れてきているなぁということです。完全にリラックスして自由に自分の好きなように旅行したり、人と会ったり、何も気にせず楽しむことがまだできないというか。

人間は社会動物なので、人間としての本能は人と混じり合うこと、会話すること、触れたり、群れて行動することです。が、その人間としての本能の真逆を長期間強いられると、当然自律神経は疲弊していきます。

とくにポリヴェーガル理論からすると、表情筋を動かすこと。口を開けて笑ったり、歌ったり、表情豊かに話したりすること、また深い呼吸をすることは、健康な自律神経を維持することに非常に大切です。(子供の場合は、健康な脳と自律神経の成長に大切)

ですので、パンデミックにあまり影響を受けない人たちでも、無意識に疲れはたまっているかもしれません。

また、感染が怖いと思っていようが、思っていまいが、マスク無しで自由に大きな声で会食するというのはなんとなくはばかれるかもしれません。こういったことが無意識のストレスになりがちですね。

しかし、一番のストレスの原因はやはり外の状況よりも自分がどう解釈しているかなのです。この話はブログで何度も書いてきましたので、ブログの読者さんはよく理解してくれているでしょう。そして、それは今回のコロナ禍でもまったく同じです。

世界中が同じ動きをしていようと、世間が通常でなかろうと、人間の自然な動きを抑圧されようと、一番疲れを生み出しているのはやっぱり自分の思考です。

自我には、ストーリーを生きるという大きな性質があります。ある意味ストーリーなしに自我は成立しません。「私」がいて、私が〜〜をする、私と他の人が〜〜である、私と社会が〜〜である、という「私の人生」というストーリーです。

そして、そのストーリーを作るためには自分のアイデンティティ、価値観、世界観、知識、情報などなどが必要になってきます。

自分がまずどういう人なのか?という自分への見方がオギャーと生まれてからすでに無意識下で形成されていきます。親の愛情をたっぷり感じていれば、「自分は大丈夫、自分はこの世にいて良い、世界は安全」という感覚が刷り込まれ、そこから「自分は受け入れられる人」「自分の存在は喜ばれる」などといったポジティブな自分像が生まれます。

一方、虐待やニグレクトがあれば、「自分は無力だ、徹底的に孤独だ、世の中は怖い」という感覚がコアとして刷り込まれ、「自分の存在は迷惑だ、自分はダメだ」などといったネガティブな自分像が生まれますね。

そして、この自分像をベースに世界観、価値観を作り上げ、情報を収集し、私の人生というストーリーを作っていきます。問題はこれも何度も書いてきましたが、私たちの人生を作り上げるこれらの自分像、価値観などが無意識のうちに作り上げられ、私たちはまったく気づいていないことです。

例えば、「自分は無力だ」という自分像がベースにあると、人間の関係の中で「自分はが馬鹿にされた、自分はいじめられた」という解釈が生まれたとします。実際は、単に相手の機嫌が悪く、八つ当たりされただけなのかもしれません。

しかし、自分の無意識の思いにまったく気づいていないために、その人にとって「馬鹿にされた」は事実、現実に見えます。自分像がポジティブな人は、同じ体験をしても「なんだこいつ面倒なやつ」という解釈になるかもしれません。

さて、話をコロナ禍に戻して、感染が怖い、怖くないも基本的に私たちの無意識の自分像や価値観から生まれた解釈です。でも、多くの人にとってそれは紛れもない事実、現実です。

感染が怖い人が作り上げる世界(ストーリー)と怖くない人が作り上げる世界(ストーリー)はまったく違うものでしょう。そして、それぞれがそれが現実だと思って生きているわけです。

ということで、過激な提案をさせてください♪

この際、ドバッとストーリーを捨てて目覚めちゃいませんか?

今世界で起きている分断は、ワクチン推奨派であろうが、アンチであろうが、両者が自分が見ているものが絶対的に正しい、絶対的に事実だと譲れないことにあります。

と、書きながら私のフェイスブックの投稿を読んでくださっている方は、私が感染怖くない派でワクチン慎重派なのをご存知でしょう。自分というストーリーの中であゆかはこのストーリーを好む傾向が非常に強いです。

と、同時にあゆかは自分が見ているものが実体のない幻想だとも知っています。それはあゆかに大きな安堵をもたらしてくれます。でも、同時にストーリーがすべて幻想なのではなく、その中に見え隠れする愛のみが実体だとも知っています。

だから、自分とまったく違う見方をする人たちを否定しないし、それを超えた愛を見つけ、それを見失わないように日々模索しているんです。

また、あゆかは目覚めているわけではありません。というより「私」はあゆかから目覚めるのです。

でも、とりあえずあゆかが「私のストーリー」の実体のなさを見抜いていくことは、目覚めへの一歩となります。そのために、自分の感じていること、見ていること、信じていることに固執しないで、オープンになっていくこと。

ということで、来月はじめに「目覚めへのご招待」ズームセミナーを行います。来年に予定している「空と色のセミナー」、「インテグレイテッド心理学講座」のご案内もしたいので、「無料セミナー」となります。

ご都合がつきましたら、ぜひご参加ください。

★〜目覚めへのご招待ズームセミナー〜★

◎日時:2021年11月7日(日) 19時半〜20時半

(質問の度合いにより延長あり)

お申し込みは特に必要ありません。時間になりましたら、下記のURLからお入りください♪

◎ZoomURL
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ミーティングID: 892 0681 5953
パスコード: 706532

自分にまつわるウソを見抜いて全体に目覚める♪

ブログを再開すると書いたのに、ぜんぜん再開しておりませんね。ごめんなさい!

というのも正直に書くと、このコロナ騒ぎ(?)にすっかり心を奪われております。というのも、ほとんどすべて忘れてしまいましたが、一応イギリスで食事療法と解剖生理学の資格を取っており、ウイルス、免疫、遺伝子ワクチンというトピックに興味が尽きず、毎日あれこれ記事やレポートを読んでしまっております。

また、このように世界中が同じ心理に巻き込まれるという、私が人生で経験したことがない状態にも心理セラピストとして、SNSなどで人々の生の声を観ているのがとても興味深く、人間観察が止まりません。

その上に、プライベートでも母の死(母の死は覚悟はしていたものの幼い頃のもっとも飢えたトラウマが刺激されました)や家の売買など、公私ともどもお腹いっぱい以上にいろいろ起きまくり、外側と内側でエネルギーがダイナミックに動きまくっています。

にもかかわらず、ある意味不思議なのは、出来事の現実味がどんどん薄れ、湧いてくる思考の薄っぺらさ感が増していき、多くのことが起きて心が奪われていると同時に、その幻想性も増していき、言葉にできない状態の中にいます。

そんなわけで、多くのことを語りたいような、語ることがまったくないようなよく分からないけど、心地は良いみたいな状態が続いています。

そんな状態のなかで、最近思うことは、自分がどう行きていくか?という問いは、最終的に自分を手放す方向へ行けるなぁということです。

説明させてください。

他者の意向や世間に流されず、自分自身をきちんと持って、自分らしく生きる生き方を自分に問いていく。それは、自分のハートとつながることでもあり、自分への愛、そして自分が持っている内なる力につながることでもありますね。

ほんとうの意味で地に足が着いた生き方です。

私たちは、このように自分と真につながったとき、深いところにある分離感を超えることができます。つまり、全体に目覚めるんですね。

ちなみに、自分とつながるという意味は、単に自分の好きなことを見つけるとか、人の意向は無視するとか、そういった表面的なことではありません。

自我が共有している深いところにある欠乏感、分離感のウソを見破り、自分一人でいるときに自分自身とともにいることに心から快適さを感じるという意味です。

自分一人では心もとない、寂しい、不安だ、自分はどこかがダメだ、自信がない、みんなに受け入れられたい、誰かに愛してほしい、なにか打ち込めるものが欲しい、食べていく不安をなくしたい、人生が思ったようにいかない・・・・などなど、私たちは自分や自分の人生のどこかに不安や不満、否定が走ってしまうものです。

そういったストーリーのウソを見抜いて、今シンプルにただあるがままの自分と地に足をつけてつながるという意味です。

ストーリーだらけの自分や自分の人生は、ドラマチックかもしれませんが、実は真の自分とかけはなれた世界です。(しばらくドラマを味わうのもぜんぜん面白くて良いと思います)

自分一人でいることが真に心地よいのは、ポジティブなストーリーを作れたからではなく、ストーリーがいかにはかなく、頼りなく、実体がないかを見抜け、そこから目覚めているからですね。

そして、そのシンプルな自分からピュアな情熱、ユニークな衝動が出てきて、それが人生を織りなしていきます。

では、どうやったら自分にまつわるストーリーから目覚めることができるのでしょうか? ストーリーと書いていますが、ほとんどの私たちにとってはそれは「事実」、「現実」です。

ほら!銀行に◯◯◯◯円しかない、お金がないのは現実だ!

上司が◯◯◯という暴言を吐いたのは現実だ!

私が親から虐待を受けたのはほんとうのことだ!

家が火事になったのはほんとうに起きたことだ!

私の成績がいつも低かったのは事実だ!

実際に起きた出来事をウソだと言っているのではないんです。(真の意味では何も起きていないけど)出来事に関して走りまくる思考が実体がなく、ウソだということなんです。

長年一緒に暮らしてきたペットが死んでしまった・・・。これは事実です。喪失感、寂しさ、悲しみが湧いてくる。これも人間として当然の感情ですね。

でも、そこに“私は一人ではいけていけない”とか、“もっと何かしてあげられたはずだ”とか、思いがついてきたとき、喪失感がピュアなものから重たい感情へと変わり、私たちの中にいつまでも留まってしまいます。

また、虐待といったトラウマは脳や神経を巻き込んでいつまでも私たちの中に留まるため、解放しない限り、トラウマが生み出すストーリーから抜け出すのは難しいでしょう。(自分を助けてくれる人はいない、私は無力だ、自分は存在しないほうが良い・・などなど)

でも、見捨てられた自分も無力な自分も、そして存在しないほう良い自分もまったくのウソです。ウソ、ウソ、大嘘!ぜ〜んぶ実体のないただの思い。ただ、体験とともに脳や神経に刷り込まれてしまったため、すごくリアルですね。(セラピーで解放できます)

ということで、自分とつながるということは、自分を見つめる、そして癒やしていくということでもあります。

そして、ストーリーが剥ぎ取られたあるがままの自分とは、実はもう個としての自分ではなく、あるがままの全体となります。個をつきつめて、全体に目覚める。

ある意味、自己の不在によって、一番自分に快適さを感じられる。究極の矛盾ですね(笑)

今、世界が大きく動いていて、変化のなかにあるなか、ある意味自分をシフトさせる、長年持ち続けた感情や思いを手放すには、ちょうど良いチャンスかもしれません。

ということで、ブログはまちまちになるかと思いますが、気長にお付き合い頂けると嬉しく思います。

真の私たちは、愛であり、平和であり、すべてを愛し、愛の中に消えていき、そして全体に目覚める♪

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自分から自由になる♪

「私という自己はいない」。前回の続きです。しかし、当然私たちは「(個)の自分がいる感覚」が満々にあります。 そして個がいる限り、分離があり、分離がある限り所有がありますね。つまり、私の思い、私の体、私の感情、私の人生、私の親、私のパートナー、私の子供、私の家、私の仕事、私の夢・・・・。

これ自体は何も悪くありませんし、分離のゲームを健全に生きるには、境界線を引くこともとても大切です。

しかし、この所有感覚が強ければ強いほど、私たちはこれらをコントロールする必要がでてきます。自分の領土、資源を守る、できればもっと領土を広げたい、自分の利権や権力を守る、それらは多ければ多いほど良い・・・。地球上で起きている争いの多くはここにあるとも言えるでしょう。

また、もっと個人のレベルでも、私の子供の進学はなによりも重要だ、私の老後はお金の心配がないようにしたい、などなど。言い換えれば、自分の人生は自分が思うようになっていないといけない・・・。

そしていろいろ思い通りにしない中で、実は最も大切なのが、どんな自分であるのか?なんです。自分は自分だけが所有していて、その自分は何よりも一番大切。馬鹿な自分ではなくて、優秀な自分でいたい。嫉妬しまくっている自分ではなくて、心優しい自分でいたい。孤独な自分ではなくて、みんなから愛される自分でいたい。

どんなに権力、財産、パワーを有していても、最後まで気になるのがどんな自分か?なんですね。例えば、もうすでに権力もお金もあるのに、さらに求めている人がいるとしたら、それはお金や権力が欲しいのではなく、「それができる自分」でい続けることが大切。

なぜならそれが一番の安心感と満足感を与えてくれるからです。つまり、良い自分でい続けること。(根本的には愛の欠如、そして本質からの分離を埋めたい)

ということで、個の自分が一番気にしているのは、自分という所有物をコントロールすることです。じゃぁ、どうやってコントロールするのか?

そう、こうやって良い自分でいたい、良い自分にするのだというミッションの元、私たちの中に「コメンテーター」が生まれるのです。これはオープン・アウェアネス・ダイアローグの講座の中(気づきの問いかけ講座でもやります)で説明している「もう一人の自分」です。

個の自分というのは、基本的に存在しない幻想の自分です。その「幻想の自分」の中に二人の自分がたいていどの人の中にもいます。

人生いろいろあるなか頑張って生きている自分とコメンテーターの自分です。コメンテーターは基本的に頑張って生きている自分の監視役です。

例えば、頑張って生きている自分がありのままでいると、コメンテーターが、“ありのままのあなたは受け入れてもらえないよ”とか、“ありのままでいると嫌われるよ”、“もっと笑顔を振りまかないと、そんな話題つまんないし”などなどと注意してきます。

または、やさぐれたコメンテーターなどは、“どうせ誰もあなたのことなんか好きじゃないんだから、ふてくされちゃえ”、“どうせ嫌われるんだから、その前にみんなを嫌ってやれ!”、“嫌われる自分なら知っているから、嫌われる振る舞いをわざとしちゃえば?”といったコメントもしてきます。

とにかく常に自分の言動をジャッジし、良い悪いのレッテルを貼り、誰よりも厳しく監視している自分です。

このコメンテーターの声が大きすぎると、自分を見つめるとか、自己ワークなどもなかなか難しくなります。例えば、悲しんでいる自分に対して、“もっと大変な人もいるんだから”とか、または自己啓発やスピにそまったコメンテーターは、“これもベストのタイミングで起きている”、“すべては学びだ”と語りかけてきます。

しかし、コメンテーターがやっていることは、そうやって悲しいというピュアな感情に蓋をしてしまっていることです。

ちなみに自己啓発、スピのコメンテーターは基本的に正しいことを言っていることも多く、また優しい言葉であることも多いでしょう。なので、非常に気がつきにくいのですが、自分がスッキリしていなければ、蓋になっているだけなんですね。

さて、このコメンテーターは自分だけではなく、周囲も監視しています。つまり人の目を気にしているのです。人からどうやって見られているか?は、自分という所有物を良くするために非常に大切です。

ところがここで一つ大きな問題があります。

それは、コメンテーターに見えている”人の目”は、ほんとうは自分の目だということです。つまり、ものすごく主観的な判断でほとんど役に立っていないんです。しかし、そこに気づいていないために自分で自分を縛るという一人芝居の苦しみ(または喜び)に陥ってしまいがちです。

例えば、抑圧投影を学んでくださった方はお分かりだと思いますが、“私は田舎者だから服装に気をつけるべき”という思い込みをコメンテーターが持っていたとしたら、他者の目がいつも自分の服装を見ている(ここが投影です)ような気がして緊張感がある・・・など。

ものすごく大雑把に言ってしまえば、コメンテーターの目が厳しければ、人の目も厳しくなり、コメンテーターの目が優しければ、人の目も優しくなりますね。

さて、話は一番最初に戻り、そもそも頑張っている私もコメンテーターの私もいないのなら、一体ここで何が起きているのでしょうか?

そこにあるのは、自分がいるという思い込み(思考です)、感情、体(体感)が複雑に絡み合い様々な反応をしている動きがあるだけです。そして、それらすべてに気づいている意識があり、気づいているのは幻想の自分ではありません。

わかりにくいでしょうか?追々説明させてください。

いずれにしても、頑張っている私もコメンテーターの私も気づきの意識の中で現れ、許され、受容され、無条件に愛されています。だからどんな自分でも大丈夫♪

コメンテーターでなく、本質である気づきの意識の視点に立ったとき、私たちは自分をコントロールし続けるストレスから解放されますね。

コメンテーターの自分から自分を解放し、本質の視点から自分を生きる♪

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私がいるという強い思い込み

何も思い通りにならなくても幸せになる。そのためにまず、前回当たり前を疑うということ事実と解釈を分けるという、目覚めのための2つのコツのお話をしました。ですが、これを目覚めのハウツーだと思わないでくださいね。そうではなく、これは自分を含めた「存在」そのものの“自然観察”なんです。

般若心経のはじめに「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時」とありますね。般若波羅蜜は原語でPrajnaparamitaで、その意味は「the wisdom of directly realizing the non-conceptual simplicity of all phenomena(すべての現象を概念なしに直接に気づく知恵)だそうです。

これは私の先生でもあるルパート・スパイラさんが教えてくれた「ダイレクトパス」とまったく同じことで、ありのままの現象を一切の概念を通さずに深く見つめていくということです。

それによって、釈迦は私たちの本質は空であると見抜いたということなのです。

つまり、解釈(概念)も、当たり前だと思っていること(深い刷り込み)もすべて横に置いて、ただあるがままを観察するということです。徹底的な本当の意味の“自然観察”です。

さて、そうやって自分を見ていったとき、「自分」という存在を構成しているものは、前回の記事に書きましたように、思い、感情(感覚)、体のみですね。

その中でも一番私たちが分離を感じさせるものは、やはり「体」に違いありません。自我の一番の恐れは死であり、最も強い欲望は、自己の存続です。つまり、体を生き残らせること。

インテグレイテッド心理学では、自我の根本の恐れ(=人間の根本の苦しみの源)は、身体と精神の死であるとお話ししています。つまり、食べていけなくなること、また、存在価値がなくなること(役に立たない私、愛されない私・・・・)です。

でも、もし私たちの安全と永遠の生が確実に約束されていて、それを十分に感じていたらどうでしょうか?

言い換えれば、食べていけなくなる恐れも不安もない環境が整っていて、自分の好きなことだけに打ち込める。また失敗しても、性格が悪くても、どんなダメダメな自分でも周囲にいつも100%受け入れてもらえる環境であったら?

どれぐらい私たちの苦しみは減るでしょうか? または苦しみは生まれるでしょうか?

一時期、“分離のゲーム”という言葉が流行りましたが、これはある意味真を突いた言葉ですね。なぜなら基本的に分離した自分というのは幻想だからです。でも、母親のお腹の中で胎児としての存在が始まってから、私たちが体に同化してしまうことはほぼ必然であり、その結果自分という個体がいると思い込むことは免れないでしょう。

ちなみにリバーシングというセラピーがありますが、胎児の頃を思い出してもらうと、両親の気持ちや自分が両親から祝福されて生まれて来るのか?それとも迷惑、邪魔に思われているのか?などを繊細に感じ取っています。

つまり、“自分”という感覚がすでにしっかりあるわけです。そして、胎児が一番気にしているのも、やはり自分の存続です。祝福されていれば、自分は安泰で生き残っていける。

もちろん、分離を感じさせるのは体への同化だけではありません。“私の思いは私にしか分からない”、“私が一人で部屋で経験していることに気づいているのは私だけ”、だから「意識が分離している」、「分離した個の意識がある」という感覚に私たちは落ち込みます。(そうじゃないの?と思った方、おいおいお話して行きます)

こうやって「私という分離した個体」がいると強く感じた私たちは、自分を存続させるために、「より良い私」、「より良い人生」に勤しむわけです。

そして、この生き残りのための「より良い・・・」が、多くの苦しみを生み出します。今のままではいけない、成績が悪いとダメ、能力がないとダメ、それなりの知識がないとダメ、こんな欠点があってはダメ、自分には魅力がない、つまらない人間だ、何も提供するものがない・・・、と自己否定のリストは永遠に続きます。

または、誤った人生、間違った人生、失敗した人生、どこかでおかしくなった、自分は頑張ってきたのにこんな人生になっている、思い描いた人生とぜんぜん違ってしまった・・・、もちろん、自分を肯定している人も自分の人生に満足している人もいらっしゃるでしょう。ですが、肯定できて満足している理由がある限り、幸せはその理由に依存してしまいます。

望んだことが手に入ったから、思い描いた通りにことが運んだから幸せ。もちろんそれ自体は素晴らしいことですし、大いに喜びを満喫することは心身ともに良いことですね。ですが、このブログが提案する何も手に入らないけど幸せ♪もぜんぜんありなのです。理由がなく幸せ。望んだ通りにまったく行っていないけど心が平和。決して逃げていかない幸せ。

もしそこに興味があるなら、まずは「自分」がどんな存在なのかを深く知ってみることから始まるでしょう。

一つは、今までお話してきた自我としての自分の構造(体、思い、感情・感覚)。そして、もう一つは、自分特有の精神構造(自分の歴史、信念、価値観、セルフイメージなど)をよく見ていくこと。

さて、それらを深く見ていく前に種明かしをしてしまいましょう。今それが分からなくてもまったくかまいません。種明かしとは、「私という自己はいない」です。非二元の探求をしている人はよく知っていることですね。(ただ、知っているのと分かっているのはまったく別の話)

自我にとって一番のショックは、思いも感情も体もあるし、山も木も海もあって、あらゆるものがあるけど自分だけ存在していなかった・・・という真実です。(ほんとうは事象すべてないけど)

でも、実際には個としての自分がいる感は非常に強いわけです。繰り返しになりますが、そこをなぜか?と深くみていくのが、苦しみを解いていく鍵であり、また理由なき幸せへの入り口なんです。

なぜないものが、これほどまでにあると感じるのか? ヒントは、私たちは苦しいときほど、分離感が強く、分離した自分がいると感じるものです。

さて、もし現在もやもやと苦しい、または絶頂に苦しい、またはひく〜いレベルで苦しい感じがする・・・などあったら、それが体のどこに感じているのか?を見てみましょう。そして、そこに向けて深呼吸をし、自分にとって安心安全なイメージをしてみましょう。そして、また深呼吸♪

これは苦しみをしのぐ緊急手当で根本の処置ではありません。本当には楽にはなりませんが、苦しみからの休憩にはなるはず。

真のあなたはいつも愛・平和・力♪

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