受け入れると楽になると言うけれど・・・。

心理系の必須書とも言われる「The road less traveled(愛すること、生きること:『愛と心理療法』)by スコット・ペック」。 その本のある意味ショッキングな(当時の私には)冒頭文。

人生とは困難なものだ。
これは偉大な真実であり、多くの偉大な真実の一つである。これは偉大な真実で、というのも、この真実を真に見抜いたら、私たちは困難を乗り越えられるからだ。一度、人生は困難なものだとほんとうに知って、理解し、受け入れれば、人生はもはや困難でなくなる。なぜなら、一度受け入れれば、人生は困難だという事実は取るに足らなくなるからだ。

“Life is difficult.
This is a great truth, one of the greatest truths. It is a great truth because once we truly see this truth, we transcend it. Once we truly know that life is difficult – once we truly understand and accept it – then life is no longer difficult. Because once it is accepted, the fact that life is difficult no longer matters.”

この本を始めて読んだのは、1996年の春でした。この冒頭の一文に私は大きな衝撃を得たことを今でも覚えています。衝撃的過ぎてあとの内容をまったく覚えていないぐらい(笑)。

というのも、それまで漠然と人生とは幸せなはず、うまくいくはず、テレビのCMのようなにみんないつも笑顔で過ごせるはず、そして、自分がそうでないのは、自分が何か間違っているから、どこか変えないといけないからだと思い込んでいたからです。

自分のどこを変えたら良いのか? それを知るためにこの本を参考にしようと手に取ったら、いきなり、人生は困難なものだと知りましょう、受け入れましょうとあったからです。

強いショックを受けたものの、人生を楽なものに、幸せなものにしたいという気持ちが強すぎて、ほんとうの意味では当時の私には浸透しませんでした。

そして今、自分自身の、そして多くのクライアントさんのセッションを経て、これぐらい真実はないなぁとしみじみと思うのです。

ほんと~にあらゆる苦しみ、悩みの根本には、最終的に必ず今の自分や自分の真の思い、今の状況、今の人生の否定があるからです。

だから、例えば今苦しいなら、その苦しみがあることを許してしまうと楽なるという、ある意味矛盾が起きるんです。(許すふりではなく)

ここで、あぁよく聞く“あるがままを受け入れる”ってヤツね。と、思う方もいらっしゃるかもしれません。

すると、たいていこんな疑問も沸いてきます。

戦争や暴力も受け入れるの?

これは受け入れを「それに対して何もしない、放置する、そのままにしておく」と解釈してしまったために起きる疑問なのかもしれません。

受け入れとは、まさに冒頭の分が言っているように、「それがあることを真に認めて、理解して、受け入れる」ですね。

例えば、苦しみがあると真に認めることと、単に苦しんでいるが分かっているのとでは、雲泥の差があります。真に認めれば、必ずそこにほっとしたような緩んだ感覚が伴います。それまでは、あることは分かっているけど、真の意味では認めたくないし、否定しているので苦しんです。

そして理解するということ。苦しんでいるよねと苦しんでいる自分を理解してあげる、どうにかしようとしないでただ理解してあげる。その上で、苦しみがあることを受け入れる。

受容とは、がむしゃらになんでも受け入れるという意味ではないでしょう。

戦争や暴力も同じように、まず戦争が起きていることを真に認める、そして理解してみる。すると、ただ悪いことだ!と思っていた戦争が人類の恐れのうごめきに見えてくるかもしれません。そして、それがあることを受け入れる。

そして、受け入れとは何もしないということではなく、理解したあとに自分の中から生まれる思いや行動も受け入れるわけです。

戦争があることを認め、理解し、受け入れたとき、自分の心から自然と戦争の根っこにあるものを癒したいという衝動が生まれるかもしれません。それももちろん受け入れる。

また、何かしくじってしまった、間違えてしまったなどなど、自己嫌悪と自己批判が止まらないときも時には(人によってはいつも)ありますよね。

そんなとき「間違った私」をただ受け入れようとするのは、そこに真の認知と理解がありませんね。

間違えたということを真に認めて、理解しようと見て行けば、そこに必ず良かれと思った自分がいるはずです。わざと間違えたい人はいないはずなので。

その自分を受け入れてみれば、健気さの中に自分なりの愛を感じるかもしれません。

また、どうしても自分を受け入れられない場合は、受け入れられないと頑なになっている自分がいることを認知し、その自分を理解してあげ、その頑なさがあることを許すなど。

さ~て、ここまで書いたのは「自我の受容」です。自分が自分や状況をどう受け入れるか?という話しです。

でも、非二元の受容、本質の受容はまったく異なるものです。オンラインのお話会では、ありのままの受容とは、自我がやるものではないですよ~とお話ししました。

というのも、受容とはやるものではなく、それは私たちの本質だからです。

これは自我が生命に降参したとき、自我の精神の死が起きたときに自然に起こるもので、それは自分という人生をコントロールしている意志が崩壊したときに起きるものです。

言い換えれば、激流を必死に漕いでいた漕ぎ手がいなくなり、流れそのものになったときに起きるものですね。自分が流れそのものだから、もう抗うこともなく、そこに摩擦も否定も生まれない。

じゃぁ、それができるまで本質の受容は分からないの?

いえいえ、自分がどんなにあがいているときでも、それにただ気づいている意識、言葉を持たない静寂な意識、それは常に私たちとともにあります。片時も離れず。そして、それはいつもすべてを受け入れていて、だから私たちは受容とともに生きているんです♪

 

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夢破れて愛を見い出す♪

私は自分の人生が良きものであるようにとずっと夢見ていた。
でも振り返ってみれば、叶わないときのほうが圧倒的に多かったようだ。

物心ついた頃から大人になっても、いつも微かな期待があった。
今度こそ今度こそ親は私の気持ちを理解してくるかもしれない・・・・
でも、そんな期待はついに叶うことなく、いつも裏切られ続けられ、
落胆がいつの間にか友達になっていた。

自分が望んでいることはとてもささやかなことだと思っていた。
愛する人がいて、愛されること。
とてもシンプルなはずなのに
なぜかいつもうまく行かなかった。
失望とため息、
幸せなんて夢物語にしか感じられなくなっていった。
私は必死に人生を愛そうとしたのに、人生は私を愛してくれない。

ある日いつもの音楽を聴いているとき、なぜだろう、突然昔の自分がまぶたに浮かんだ。
人生をまだ信じていて人生を愛そうとひたむきだった過去の自分。
とても純粋に希望を抱いていた自分。

そしてその瞬間何が起きたのだろうか、
もう一人の自分の存在に気づいたのだ。
ハートが呼応して頬に涙が流れだし、それはこれ以上になく明白だった。

それはひたむきな私の人生を見ているもうひとりの自分の存在、
言葉を持たず、ものすごく静かで、
裏切られたと思っている自分
落胆している自分をじっと見ている自分

そしてその自分はすべてを愛していた。
すべてを愛して包入れ、一時も離れることなく
徹底的に無言で、でも、圧倒的な愛で、

あぁ~~、私は人生に愛されていたのだ。
私のひたむきさ、胸に抱いた希望、
叶わなかった夢、落胆の涙、押さえつけた希望も
すべて愛されていたのだ
私はまるごと愛されていた。

愛とは、落胆や絶望、飢えた心がないことではなく、
それらを優しく見守るまなざしだったのだ。

そして、なんと私はそのまなざしだったのだ。

私はその優しいまなざしそのものだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私たちが希望を抱いたり、落胆したりしている自分に同化しすぎればするほど、本当は愛という生命の中ですべての現象が起き、すべてが存在できることを見過ごしてしまうのだなぁと思うのです。

そしてもちろん同化してしまうのは、育ってきた環境の中で実際に起きたこと、そのとき自分が思い込んだこと、感じたことが自分の中に生きているからですね。

癒しの真の役割とは、その人を良い気持ちにさせたり、希望を持たせてあげることではなく(←それが必要な段階の人ももちろんいますが)、自分の中に根付いてしまった落胆や失望のストーリーを深く深く解体していくことなのかもしれません。

というのも、解体された先にあるものは、それを見ていた自分(気づいている意識)の眼差ししかないからです。そして、そこに何度も行くことで、私たちは真の自分の眼差しを持ちながらあらゆる感情、思いを抱き、「私の人生」を愛していけるのでしょう。

して、このとき癒しと目覚めは同義語になり、自分の刷り込まれた解釈を生きるのではなく、本当の意味で地に足がついた人生になるのかもしれませんね♪

 

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※OAD心理セラピスト養成講座は来年度で一旦終了となりますが、OADは続けていく予定です。そのへんの詳しいことはズーム説明会でお話しさせてください。

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嫌な人の究極の対処法

嫌な人への究極の対処法は会わないこと。もちろんウソです。うふ。(←意味不明) 

人間関係は人生のストレスのかなりの部分を占めますよね。ので、どう対応したら良いのかと、私たちは考えあぐね、悩むでしょう。

例えば先日、「自分にとって嫌な人たちとの出会いは、忍耐と許しを学ぶチャンスだと捉えましょう」みたいなメッセージをみかけました。分かりやすいと言えば分かりやすいかもですが、実践しようとして、さらにストレスになりそう。

ということで、ストレスを根こそぎにする方法、そして私が伝えたいこととは、ジャン!
“嫌な人たち”というのは、そもそも自分の投影だよ~ということです。ちょうど投影についてのコメントも頂いたので、今回は奇跡のコースをもとに書いてみます♪

私たちたちは通常、嫌な人たちとレッテルを貼っているのは自分だということを忘れ、それが事実だと思い込んでしまいがちです。ので、クライアントさんもたいてい自分の思い込みを事実としてお話しなさいます。

例えば、“上司が私の手柄を奪いました”、“厚かましいことをいつも頼んでくるんです”、“ある同僚がミーティングで私に冷たいんです。”、“すべて自分の思い通りにしようとする母に我慢ができません”などなど。

こういう人たちが簡単に言えば、いわゆる“嫌な人たち”になるのだと思いますが、セッションでちゃんと聞いていけば、これらはほとんど事実ではないんです。

例えば、自分に冷たい同僚の場合、その同僚は実際は何をして、なんて言っている?と事実確認をすると、自分が意見を言っているときにレポートを見ていて、“あっそう”と言ったが事実です。

それを“自分を見ていない、反応が薄い、自分に冷たい”と解釈しちゃうわけです。ですが、まったく同じ状況の中で“不愛想な奴だ”と思う人もいるでしょう。この場合、自分が冷たくされた~~ではなく、あいつの問題になるので、楽しくはなくてもストレスはうんと低いですよね。

ですが、冷たくされていると思い込んでいる人は、その“現実”を生きるわけです。自分の解釈であるという意識がないため、相手が冷たいようにしか見えない。

そうやって相手を“自分で”嫌な奴とレッテルを貼った上で、その人への忍耐と許しを頑張っても、なんだか独り相撲ですよね。

また、自分の心にも冷たさがあるのか?というのも、そもそも相手は冷たいわけではないかもしれません。

しかし、同僚が自分に冷たいように自分の目には映っている(投影)けど、それは自分の心がそう見えさせてしまっているのだと分かれば、ベクトルは相手ではなく、自分に向いてきます。

ということで、例えば自分の心が映写機でスクリーンに同僚がいるとします。映写機のフィルムには“自分は取るに足らない存在だ”と書いてあるとします。本人はその思いにまったく気づいていません。ですがそれは、“字幕”としてスクリーン上に映し出されます。

ところがここで問題が生じます。“自分は取るに足らない存在だ”という思いに気づいていないので、字幕に書かれた思いはスクリーン上(向こう)にあるし、同僚の思いだと思ってしまうのです。同僚が“お前の意見なんか取るに足らない”と“冷たく”しているように見えてしまうんですね。

ちなみに、同僚が実際にほんとうに冷たくしようとしているのかどうかは、どうでも良いんです。相手の意向や思いが自分の存在価値に影響を及ぼすと考えている時点で、そこには自己価値の低い自分がいます。(経験ありあり)

ですが、相手が自分のことをどれだけバカだと思っていたとしても、自分が自分をバカだと思っていなければ、それは相手の問題ですね。むしろ、そうやって人をバカにしていないといられないのかな?みたいな余裕があったり。

話を戻して、私たちの意識の96%ぐらいが潜在意識であり、実はそこにたくさんの強力な思い込み(ビリーフ)があります。ですが、それらのビリーフに気づけないので、自分の解釈だとなかなか分からないため、見えているものが事実だと思ってしまいます。

ということで、奇跡のコース♪

T-6.II.3.  What you project you disown, and therefore do not believe is yours. 2 You are excluding yourself by the very judgment that you are different from the one on whom you project. 3 Since you have also judged against what you project, you continue to attack it because you continue to keep it separated. 4 By doing this unconsciously, you try to keep the fact that you attacked yourself out of awareness, and thus imagine that you have made yourself safe.

あなたは、自分が投影しているものを自分のものではないとする、それゆえ、それが自分の思いだと信じません。そして、自分が投影している相手と自分はまったく違うという判断をし、自分自身を除外してしまいます。自分が投影している相手をジャッジすることで、あなたはその人を攻撃し、その人と分離し続けます。これを無意識に行い、実際はあなたはあなた自身を攻撃しているという事実を意識の外に追いやり、自分は安全だと思い込むのです。

つまり、同僚が冷たいのは自分とは無関係なことで、自分はそんな人間ではないとし、“冷たい同僚”を批判し、それによって自分を正当化し、自分は大丈夫だとしてしまうことですね。

これは私たちがほんと~に年中やっていることですよね。自分がレッテルを貼っているのではなく、それが紛れもない事実だと思い込んでしまう。

でも、もし自分を見つめて、自分の中に “自分は取るに足らない存在だ”という思いがあることに気づき、そのせいで“同僚が冷たい”ように見えていた(投影)と分かれば、自分の投影(=幻想)からの目覚めになりますね。そして、その思いを癒したとき、いわゆる投影落ちが起きます。

つまり、同僚は冷たいわけでもなく、単に表情や意見をあまり見せない人だったとか・・・。いずれにせよ、“自分は取るに足らない存在だ”という思いが見せていた世界が消え、もっとありのままの優しい世界が見えてくるんです。

ということで、良い週末をお過ごしください♪

☆OAD心理セラピスト養成講座のズーム説明会を開催します♪

12年間続きましたセラピスト養成講座ですが、一般募集の形は今回で最後となる予定です。(講座の内容、講座後のフォローアップ、今後について詳しくは説明会で)

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不登校、引きこもり、鬱、依存症など心の病、精神疾患のご家族がいらっしゃる方へ

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ショートセミナーat ハートレジリエンス協会
2018年11月22日(木)19:00~21:00

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心の悩みというけれど・・・。

自分はこのままではダメだ、やりなおそう!とか、なまけた心を厳しい環境において鍛えようとか、一般的にはとても素晴らしいことだと考えられているでしょう。

もちろん、これにケチをつけたいわけではまったくありません。

私自身、こういった決意や意志で気持ち良く心機一転できたこともあり、それはそれで良かったと思うのです。

しかし、どんなに意志を強く持ってもできないこともありますよね。そんなとき多くの人は、自分は意志が弱い、自分はダメな人間だと自己否定してしまうかもしれません。

例えば、アルコールやギャンブル、麻薬依存症など、世間は“まだ懲りないのか、反省が足りない”、“失望した、頑張りが足りない”などという人もいます。

または、依存症まで行かなくても、スマホが辞められない、甘いものが辞められないといった、“頭では分かっているけどやめられない”ものは、それなりに多くの人が持っているかなと思うのです。

こんなときもやっぱり私たちは、“意志が弱い私”と自分をプチバッシングしがちかもしれません。

ですが、これを心理セラピストの観点から見ると、意志の力でどうにもならない悩みのほうが多いのです。

ということで、♪♪♪♪♪♪(←キューピーの3分間クッキングのオープニングソングを頭に浮かべてください)

あゆかの3分間心理講座のお時間です♪

いきなりですが、私たちは三位一体の存在である。

つまり、私たちは思い、感情(感覚)、体の三つの存在ですね。みなさんがそんなこと分かっていることは充分承知していますが、これ大切です。

私たちは「心」の悩みと言いますが、実際はこのすべてのレベルが関わっているんです。

ということで、

私たちは3つのレベルで悩み、苦しむ。

一つは、思考のレベルの苦しみ。

単なる思い込みや相反する思いが錯綜し、混乱するなど、純粋に思考のレベルで悩んでいる場合、思い込みが間違っていたとか、または見方が変わった、または良い解決の指標を与えらえたなどでスッキリします。

二つ目は、感情、感覚レベルの苦しみ

怒りや恐れ、不安が大きすぎ、思考をのっとてしまう。つまり、不安な思いや相手への批判が止まらない、頭では“過ぎたことだ”とか、“些細なことだ”、“心配する必要ない”と思っても、どうしても同じ思いが出てきてしまう。この場合、思考でどうにかしようとするより、感情を解放するワークの方がうんと有効です。

三つ目は体のレベルの苦しみ

トラウマや依存症、強迫観念などは、脳や自律神経、筋膜など体が深く関わってきます。(←この話は複雑になりますのでブログでは書けません)この場合、体にも働きかけるセラピーやワークが必要になってきます。

ですが、いわゆる人生の問題(仕事、人間関係、恋愛、自分についてなど)も体レベルが関わっていることもとても多いです。

私がEFTが優れていると思う点は、この3つのレベルをすべてカバーしてくれるからです。もちろん、やり方が上手にならないとただあくびがでるだけになってしまいますが。

そして、多くの心の悩みがこの3つのレベルが複雑に絡んでいるんです。というか、3つのレベルはいつも密接に関わっています。

例えば、人間の幼少期は大脳での学習ではなく、ほぼ「感情学習」を積み重ねていきます。これは脳、自律神経、感情、そしてビリーフの形成とすべてのレベルに関わるんですね。

ということで、3分間心のしくみ講座でした♪

♪♪♪♪♪♪(←キューピー・ソング)

ちなみに、3分間なので超大雑把です。

ですが、ポイントは多くの人が心の問題を思考のレベルだけで解決しようとしているので(プロのカウンセリングでも)、もっと三位一体、全体的に捉えて欲しいなぁと思うのです。

また、ノンデュアリティと癒しのカフェなどでも、 “自分の本質が分かってきて、深い受容や平和を感じる時間も増えてきましたが、ものすごく自我に囚われ、ストーリーにはまってしまったします”といったご質問?お話をなさる方もそれなりにいます。

感情と体のレベルでの反応は、ほとんど条件反射的なものなので、ノンデュアリティの理解があっても、痛いものは痛いし、ボタンを押されれば反応してしまいます。

なので、私の先生のルパート・スパイラさんもまたアジャシャンティも本質が理解できた後でも、自分を幻想に引き戻す反応をよく見て、深いレベルにあるビリーフ(ボタン)をよく見なさいと繰り返し言っています。

心の悩みや苦しみも、自分の本質を知ることも、基本的には同じ方向を向いていて、悟り(自分の本質)に興味があろうがなかろうが、癒しはそこへ向かっている、または無向かうべきものだと私は思っています。

とはいえ、悟ればすべての悩み、苦しみが解消される・・ということでは決してありません。悟っても歯は痛いし、トラウマは刺激されます。

ただ、自分の本質の位置から痛み、悩みを見たとき、その関係性は変わっていくでしょう。

痛み、苦しみは生命の流れの一表現であって、深い深い苦しみの先は絶望ではなく、本質への帰還が出迎えてくれていると知っている関係性。

 “私のストーリー”が手放せる予感を含んだ関係性。本質への帰還♪

 

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あなたは何に“自分”を見出している?

かつてロンドンの駐在員の奥さま達から「婦人会」みたいなものがあると何度か聞いたことがありました。(今もあるかどうか定かではありません。)

それは大使館員の妻が一番上で次に金融・・・みたいな分かりやすい?格付けがり、その順番にテーブルに座るなど、いろいろ気遣いをしなければいけなかいそうです。

その話を聞くたびに、自分じゃなくて旦那さんの職業なのに・・・とつい思っていましたが、その心理自体はよ~く分かります。

ということで、毎度のエックハルト・トーレの言葉です。

“エゴが生まれる最も基本的な精神構造の一つがアイデンティティである” (ニュー・アースより)

自我とは基本的に実体のないものです。自分が何ものなのか、どうして存在しているのか、深いレベルではいつも不安定、不確定なんですね。

なのでなにか「これ」というものを求めて、自分探しに出かけたり、存在の意味を知ろうとするわけです。

でも、実体のなさはどうしようもありません。そこで、なにかに同化して「自分の存在」を安定させたい、存在している意味を持ちたいという無意識の衝動が常に走ります。

そして、その同化するアイデンティティはできればより良いもののほうが、存在を強固にすることができると無意識に思っています。

なので、○○の妻(○○には世間的に地位が高いとか有名とかそういったもの)というアイデンティティは、専業主婦の私よりもアイデンティティが高まるわけです。

あるクライアントさんの母親は夫が商社を辞めて、田舎の家業を継いだあと、ずっと“私は商社マンと結婚したのに・・・・”と不満を言い続けていたそうです。

これもある意味、“商社マンの妻”というアイデンティティを崩された不満ですね。

もちろん、そういったことに価値を置いていない人もたくさんいることでしょう。ですが、すべての自我が何かにアイデンティティを見出そうとするという点では同じなんです。

しかし、問題はアイデンティティが保てなくなってしまったり、崩壊したときに、それが私たちにとって無意識のレベルで「死」を意味してしまうことです。

なので、アイデンティティを攻撃されたと思うとものすご~い怒りとなります。または、鬱状態になるなど。

例えば、会社や仕事にアイデンティティを強く持ち、それに誇りを持っていた人ほど、定年後は人づきあいや、趣味に没頭することが難しく感じるはずです。

会社人としての自分というアイデンティティで生きていために、それがない自分がどう社会とかかわり合うのか、楽しみにしていた趣味よりも失われた自分への喪失感、不安定感(ぜんぶ無意識です)のほうがはるかに大きすぎて楽しめなかったり。

アイデンティティとは、自我にとって自分を支えるもの、自分の存在を確認するもの、自分が生きていく上での軸となるものなので、基本的にその人にとって「理想的なもの」「大切なのもの」であることが多いです。

自分にとって価値のないものや価値が下がるものに好んでアイデンティティを見出す人はほとんどいないでしょう。

例えば、誰かが“私は何もとりえのない専業主婦です”というとき、それは本当はもっと良いアイデンティティが欲しいけど、ないから妥協している、心底満足していない場合が多いはずです。(もちろん人によります)

ちなみにアイデンティティの創造も崩壊もほぼすべて無意識下に行われています。

と、ここまで書いた上で、皆さんをもっと自我の深層にお連れします。うふふ。

ここまではある意味大人になってからのアイデンティティについて書いてきましたが、一番コアのアイデンティティは幼少のころに出来上がっていきます。

セルフイメージといっても良いかもしれません。育った環境の中で自分はどんな人間なのか、どんな存在であるかといった思い込み(ビリーフ)が無意識に形成されていくんですね。

例えば、両親が忙しくて自分にまったくかまってくれない場合、「私は取るに足らない存在だ」「私は重要ではない」といった思い込み(ビリーフ)が生まれたとします。

この場合、たんにビリーフだけではなく、実はもっと大切なのがそこにある「自分のイメージ」なんです。

例えば、取るに足らない自分のイメージは隅っこでうつむいているかもしれません。そして周りはみんな自分に無関心で忙しそう、そこにある感情は寂しさ、心もとなさだったとします。

このイメージ、感情、感覚は次第に私たちのアイデンティティとなっていき、するといつもどこかに寂しさがあったり、グループの中でも周囲が自分に興味を示してくれるように感じなかったり・・・。

コアのアイデンティティは、このように育った環境から出来上がってきたいわゆる「セルフイメージ」とも言われるものがほとんどです。

で、この私が大人になって「商社マンの妻」という新しいアイデンティティも獲得したとき、取るに足らない私は、自我を強化してくれるこのアイデンティティを手放したくないですよね。

基本的に不安定さを埋めたいといつも私たちは思っているので。

でも、そもそもこのアイデンティティ、つまり、思いとイメージ、そしてそこに付随する感情、感覚は、基本的に実体のないものですね。

実体のない自我が自分を確かなものにしたいと必死に求め、獲得し、守ろうとしているアイデンティティもまた、まったく実体のない絵に描いた餅なんです。

これを見破るまで、おそらく私たちはアイデンティティの獲得と防衛、そして喪失というゲームを繰り返すのかもしれません。

では、自我はどこに安住を求めることができるのでしょうか?
それは自我がずっとスルーし続けてきた自分の本質。自分が生まれた起源。

そしてそれを思い出すためには、まず自分のアイデンティティをきちんと見ていくこと。自分の中を通って、私たちは本質を思い出せるんですね。

OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、「気づきの問いかけ」とセラピーを使って無意識下にできたセルフ・アイデンティティとクライアントさんに対話してもらいます。

というのも、私たちの苦しみの多くがここから生まれているからです。

握りしめたアイデンティティを手放して、受容という自分の本質の中に落ちていけるように♪

※オンラインの講座を始めました♪

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「私が生きづらいのは、あんな親のところに生まれたせいだ」

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酔っぱらって帰り道を忘れる~本質への回帰~

体の痛みが私たちに体のどこかがおかしいですよ~とお知らせしてくれているのに対して、心の苦しみも私たちに何か間違ったことを信じていますよ~とお知らせしてくれていますよね。

または、何かナチュラルではないもの、本質ではないものを抱え込んでいますよ~というお知らせ。

もちろん人それぞれ悩みも苦しみも違いますので、そこは詳しく見ていかなければいけません。

でも、とりあえず人類に共通しているところから始めると、それはアイデンティティの間違い。

自分は固有の体、思い、感情を持つ分離した存在であるという間違いです。エックハルト・トールが「ニューアース」の中でも繰り返し書いていることでもありますね。

言い換えれば、私は日本人で女性で~~才で~~の仕事をしていて、~~に住んでいるものです、という「私のストーリー」への完全なる同化。

ただ「間違い」と言ってしまうとネガティブかもしれませんね。ある意味これは間違うように設定してある「神の遊戯」であって、本当の意味では決して間違いではないからです。

しかし、分離した個である自分という遊戯は、本質を忘れることがルールであるために、どうしてもゲームの最初から「恐れ」を持つことになります。

分離した自分というだけで何一つ人生に起きていない状態ですでに「つながりを失った恐れ」、「全体の中の小さな一部の自分としての不安」、「完全なる全体から切り離された欠けた感覚」が心の深い層に生まれます。

また、永遠である本質とは違い、分離した個の生命は有限であって、「死」が必ず待っています。しかもその「死」は、寿命が尽きたときに来るだけではなく、いつなんどき来るか分からないのです。

で、実はこの「死」と「自己価値」は心理的にすご~く密接な関係があるんです。

例えば、生まれたばかりの赤ちゃんがお腹が空いて泣いたとき、すぐにおっぱいがもらえれば、「自分は安全だ、大丈夫」というサインになり、自律神経や脳が正常に機能していきます。

一方、ニグレクトされ、放置されてしまうと「自分の命はあやうい、危険」と判断され、「自分は大丈夫ではない」と判断します。もちろん、ぜんぶ無意識のレベルで起きています。

心理的には、「自分は安全」というのは分離している恐れ、不安を埋めてくれ、「自分の存在は大丈夫、自分はいても良い」となりますが、ニグレクトの場合、「自分の存在が保障されない、いても良いの?」と自分の存在自体に不安になります。

私自身振り返ってみると、親はそれなりに愛情を注いでくれましたが、4歳ごろに親と離れていなければならず(祖父の借金問題で)、物理的にニグレクト状態になってしまいました。

預けられた先で誰ひとり話しかけてくれる人もおらず、遊ぶ友達もいなければ、とにかく会話がゼロ、目に入る範囲に人がいないという状態で過ごす日々が続いていたのです。

なので、その後の私と言えば、いつも自分がここにいて良いのか?ここにいて良いと思えるには何をしたら良いか?を無意識に探っていたなぁと・・・・。

それ以外にも自分の存在を確かめたい衝動はあちこちに出ていました。特にこの調子で恋愛をしたときは、苦しい、苦しい。はぁ、大変だった~。

でも、グッドニュースは、幼少期に深く無意識に刷り込まれたもの(シャドー)も、意識の表面(光)に持ってくることで、癒され、シフトしていくことです。

いつも思うのですが、最終的にどれぐらい自分に正直になれるのか?どれぐらい思考に邪魔されずまっすぐに感じ、見て、対話することができるのか?が、大きなカギだなぁと。

話を戻して、分離した自己が常に確かめたいことは、「自分の存在の安全」「自分の存在の意味」です。

インテグレイテッド心理学の言葉にすると、「肉体の死」と「精神の死」を避けて、いかに生き残っていくか?が大切なんですね。

つまり「食べて行くこと」と「自分が受け入れらていること(役に立っているなど)」がすご~く大切。ですから、私たちの多くはこの二つを常に達成するためにかなりのエネルギーを費やしているはずです。

なので、食べて行けない状態や自分がいても仕方がないと思い込んだとき、無意識下では、自己価値も下がってしまっているんです。

つまり、生命が確保され、安心な状態な時、自己価値や自己肯定感も高まり、その逆だと下がっていく・・・・。

で、苦しみとは、食べて行けないとか状況ではなく、この自己価値の低下が真の原因なんです。

自分の存在や価値を無意識に否定しまう。

逆に言えば、まったく同じ状況でも自己否定がなければ、苦しみも生まれません。

なので、私たちが苦しいときは、状況や状態がどんなであれ、なんらかの自分否定が走っていて、その否定のストーリーは「死」に向かっているんです。

でも真実は、この分離している存在の私は幻想であって、ほんとうはいつも受容と愛のなかにいる。このブログでも何度も書きましたが、「私たちは暖かいベッドから一度も離れたことがなく、悪夢を見ているだけ」という奇跡のコースの言葉通りなんです。

オープン・アウェアネス・ダイアローグの「オープン・アウェアネス」とは、無限に開かれた意識、つまり、暖かいベッド(私たちの本質)という意味でもあるんです。

私の場合、誰も私の存在に気づいてくれない、私はいるのに他の人の目には見えない、という間違った思い込みを抱えた自分と対話をしていきました。

すると、それは「私はいたい」「存在している強い感覚が欲しい」「生きていると感じたい」という思いに変わり、その声を受容しているうちに「私は大丈夫」「私は生命だ」という自分がオープン・アウェアネスそのものだったと思い出されてきたのです。

さらっと2,3行で書きましたが、幼少から長年抱えてきたものは、自分のアイデンティティ、コンピューターで言えばOSになっているため、それなりに時間がかかります。

でも、それはとても意味あるプロセスですね。それは間違って思い込んでしまった夢からの目覚めでもあるでしょう。

最後にペルシャの詩人ルーミーの言葉:

存在から発生したものに存在がとりつかれ、酔っぱらったかのように帰り道を忘れてしまう。
(神の遊戯にはまりすぎて、本質への帰り道を忘れてしまう)

帰り道は自分を深く見つめることで見えてきますね。

 

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ザ・投影~あなたの心の風景~

日本に戻り、引っ越しをしていたのでなかなか更新ができませんでした~。イギリスと日本と両方に家(日本は仮の家ですが)があるとけっこう大変です。毎年冬コートを持ってくるのを忘れ、買う羽目になり、冬に帰ってイギリスの家にコートがやたらたまったり・・・。

さて、「投影」について、改めて書いてみたいと思います♪

というのも、誤解しているかも?という人が多いような気がするからです。

ということで、

例えば、自分が見ている世界は投影である。これはたぶん皆さん理解しているかなと思います。

ので、

例えば、“あの人は傲慢だ”も事実ではなくて投影ですね。

多くの人がこの後に、自分の中に傲慢さがあるというふうに考えてしまいます。だからそれが外に投影されたのだと・・・。

が、少し違います。

まず、相手が実際に何か言ったこと、やったことがあり、それに自分が“傲慢だ”とレッテルを貼っているわけですね。

例えば、相手は“自分にはもう教わることはない”と言ったのかもしれません。その人にはその種の発言が多いとします。それを“あの人は傲慢だ”と解釈して、レッテルを貼ったとします。

ちなみにこうやって書いていくと、解釈だと分かっても、私たちはたいてい自分がレッテルを貼ったことを忘れてしまい、「あの人は傲慢」が事実として動き出しますよね。

で、もうそういう目でしかその人が見れなくなる・・・・。

投影の話に戻すと、傲慢だとレッテルを貼ったのは自分ですが、じゃぁ、自分が傲慢なの?というと、そういう単純な話でもないんです。

説明しましょう。

自我はレッテル貼りマシーンですから、それ自体は別に悪いことでもなんでもありません。

ところが、あの人は傲慢だ、厚かましい、自己中だ、噂話好きだといったレッテルは、プチ苦しみが生まれますよね。人によってはすごく苦しいかもしれません。

また、例えば自分に直接関係なくても、誰かが傲慢に見えて腹が立つこともあるでしょう。例えば、上司が同僚に取っている態度に無性に腹が立つとか。自分はまったく関与していないのに。

このように自分に関係あるなしに関わらず、腹が立ったり、プチ苦しみが生まれる場合は、いつも自分にとって何かがマズイからなんです。

なので、もし“なぜあの人は私にあんな傲慢な態度を取るんだろう?”とプチ苦しむ場合、何か自分にとってマズイことがあるんです。

で、見つけたいことは、何が自分にとってマズイのか?なんですね。なぜその人はそうなのか?とか、自分にも傲慢な要素があるのか?などではなく。

例えば、相手が傲慢な態度を自分に取ってきたと思ったとき、自分がバカにされているような気がした・・・とします。(自分が関与していない場合は長くなるのでまたの機会に)

この「気がする」「思える」「感じる」「聞こえる」を投影用語と私は名づけています。というのも、そう聞こえる(ダメだと言っているように聞こえる、感じる、思える)のであって、相手は実際にそう言ってはいないからです。

で、バカにされているような気がするとしたら、相手は何と言ってバカにしているの?と探ってみるんです。で、もしその声が“お前なんか取るに足らない存在だ”と言っていたとしたら、

ここが超重要ポイントです。

ので、踏ん張ってください。

自分が気がついていない自分の思いは、相手が持っている思いのように見える。

これが投影という意味です。

自分の「私は取るに足らない存在だ」という思いにあまり気づいていないと、あたかも相手が自分のことをそう思っているように見えるんです。

例えば、上司が“あの仕事どうなっている?まだ?”と聞いてきた場合、自分の中に“私は能力がない”という思いがあれば、“仕事が遅いと言っている”ように聞こえたり。

一方、私はやれていると思っている人であれば、どれぐらいはかどっているかを普通に伝えるだけですね。

さて、これはほんの序の口。ほんとうに大切なことは、この思いを抱えている自分、そして周囲や社会がその人の心の中でどんなふうになっているのか、その人の心象の風景を引きだしていくことです。

例えば、取るに足らない自分は隅っこの方でしゃがんで縮こまっている、他の人たちは大きく、威圧的な表情をしている、社会はグレーで冷たく感じる・・・・などです。

というのも、この心象の風景を常に周囲に投影して私たちは生きているからなんです。心の風景で周囲がいつも大きく見えていれば、実際に見えている風景がどんなであれ、どこに行っても緊張してしまいますよね。

実はここに書いたのはまだ浅いレベルで、その人の心象の風景はもっともっと引きだすことができます。なぜそもそも自分は取るに足らない存在と思っているのか?抑圧されているその人のナチュラルな姿は?などなど。これがOAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)がやっていることなのです。

なぜダイアローグなのか?というと、クライアントさんがこの心象風景の中の縮こまっている私と対話し、理解し、受容していく(タッピングをしながら)ことで、心象風景が自然と変化していくからです。

この自然の変化は非常にパワフルで、一度変化した後はそのまま恒久的に変わりません。ので、意識的な努力をしなくても、自然にリラックスできるようになるんです。

OADは、一般の人生の問題(仕事、人間関係、恋愛、自分についてなど)だけではなく、いわゆる特別な問題(依存症、強迫観念症、うつ、トラウマ、摂食障害、パニック障害など)にも有効なんです。

もともと奇跡のコースといういわば非二元のテキストから生まれたため、OADは基本的にあらゆるものを本質に戻すことを目指しています。それがイコール癒しになるなぁと常々実感しています。

ということで、来週10月11日からOAD心理セラピスト養成講座の募集を始めます♪

良い週末をお過ごしください☆

 

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