私たちが幸せを犠牲にして求めているもの

先日ある人とのやりとりをしていて、私たちが真に求めていることってなんだろう?

と改めて思ったことを書いてみようと思います。

ブログの読者さんにとっては耳タコですが、基本的に自我は私と社会、私と世界、私とそのほかの人たちという分離感がベースで生きています。そしてその分離感覚から恐れと無力感も生まれてきます。

というのも、自分と社会を比較して、圧倒的に自分のほうが小さい存在だと感じるからです。で、この恐れと無力感は大人になるとたいてい「正論」という形で現れるため、普段私たちが自分の中の恐れや無力感を認識することはあまりありません。

また、自我にとって人生で一番大切なことは「生き残り」です。これは幸せよりも優先されるんですね。多くの人は幸せを求めているつもりでも、自らかなり幸せを犠牲にしているものです。

嫌なことでも食べていけないよりはまし、窮屈だけど感染するよりはまし、我慢は嫌だけど批判されるよりまし・・・・。

こんな仕事やっていられない!と思っても、生き残りへの恐れと、「正論」(不景気の世の中で正社員であるだけでもありがたいことだ)によってその思いは抑圧されがちです。

正論なので良いことをしている、正しいことをしているつもりですが、自分の中では自分を生きていない窮屈感が増し、イライラや怒りがたまっていきます。

また、無力感は、自分は外界の敵に対して無力なため、いじめであろうが、ウイルスであろうが、不景気であろうが、自然災害であろうが、何にしても自分ではどうにもできないと深いレベルで感じています。

なので、自分が生き残るためには、周囲が自分のために生き残れるように振舞ってくれていないといけないんですね。つまり、無力な自分なんだけど周囲をコントロールしないといけない。

そのコントロールするためのツールが「正論」なんですね。正論で他者を批判し、その通りに従うよう強制していく。ちなみに、なぜ恐れが正論を生み出すかというと、恐れはハートをスルーしてしまうので、思考中心になってしまうからです。愛は正論を必要としませんが、思考は正論づくりが非常に得意です。

さて、このように自我のベースが分離感覚である限り、自我で構成されている社会はやはり恐れに同調しやすいでしょう。なので、しないようにする、やらないようにする、なるべくリスクは避ける、強制に従うという流れに行きやすい。または前述したように、防衛のために嫌だけど~~するという守り優先になりやすい。

このように、恐れや無力感は基本的に抑圧する、閉じる、型にはめる、疑心暗鬼になる、見張る、批判するというエネルギーのほうへと向かいます。

一方私たちの本質は、成長する、伸びていく、創造する、自由事変であるなどという生命のエネルギーです。なので、正しいこと、自分を守ることをしているつもりが、いつの間にか窮屈でどこかに緊張感が常にあって、生きづらく感じるようになってしまいます。

個人のレベルでもまったく同じです。正論で自分を抑圧すればするほど、息苦しくなり、イライラが増し、何よりも安全を優先したつもりが、自分らしさがなくなることで心は不安定になってしまう。不安定になるからますます恐れが増し、自分や他者を縛っていくという悪循環に陥りがちです。

では、ここからどうやって生命としての私たち、のびのびとした自分、自由だけど安心安全な人生(または社会)に転換していけばよいのでしょうか?

それはもちろん、「無力な私」という幻想から抜け出すことです。または、自分が握りしめている「正論」をよく見つめてみることですね。正論はもとを深く辿っていけば、必ず恐れと無力感につながります。

私たちが生命の創造物である限り、私たちのすべてに本質が持つ「力」があり、自分の人生を創造したり、世の中を変えたり、いじめや差別をなくしていく力があります。

また、本質の性質は愛、共感、受容でもありますね。なので、本質の自分をベースにすれば、自然に人は助け合い、困っている人に気持ちを寄せ、智慧を出し合い、危機を乗り越えていくことができるはずです。

ということで最初に戻り、私たちがほんとうに求めているものってなんだろう?と振り返ったとき、恐らく本質の自分として生きて行くことじゃないのかなぁと思うのです。

閉ざしていくほうではなく、外に向かって表現し、のびのびと自分らしさを発揮していくこと。生き残りと幸せの二者択一ではなく、生命に支えられた両方が自然に融合する生き方。

その第一歩はまず、それが可能であることを知ることから始まるのかもしれません。そして、

自分が手放せない正論や自分がどうしても怖いからやらないと感じている部分を見つめてみてみる。もしかするとそこには癒されるのを待っているトラウマがあるかもしれません。

癒しの真の目的は、私たちが抱えている幻想を解体し、本質の自分を思い出していくことでしょう。

そんな人生を送っている人が増える社会に住みたいな♪

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コロナと自分中心の生き方♪

わぁ、こんなに間が空いてしまいました!というのも、今年はもともと仕事を半休みする予定で、13年間続けていたセラピスト養成講座も終了しておりました。そこにコロナ騒ぎで世界が止まったかのようになり、余計のんびりしてしまいました。

さて、自粛もほぼ全面解除になってきましたね。私はイギリス在住なので、まだまだロックダウン中(規則は緩和されてきました)で窮屈感はかなりあります。

さてこのコロナウイルス、イギリスの標語もしばらくは“ステイホーム”でしたが、最近はステイアラート(注意しよう)に変わってきました。

私は過去にインフルエンザに二回ほど罹り、二回とも死ぬかと思うほどひどい症状になったことがあります。40度越えの熱と体の内側からハンマーで殴られているような体の痛み、とにかくものすごく辛かったので、もう二度と罹るものかと心に誓いました。

ですが、インフルということで誰も別に同情もしてくれず、タミフルも飲みたくなかったので、1週間寝て治しました。

この話がどうつながっていくのかというと、日本でもイギリスでも政府やメディアは私たちには免疫機能があるということを完全にスルーしているように思えるのです。

例えば、イギリスは死者数が日本と比べてけた違いに多いのですが、イギリス政府の専門アドバイザーで一番表に出ているクリス・ウイットニーは、5月8日(感染のピークの頃)の大学の講義で、 “このウイルスは大多数にとって無害(harmless)であり、少数の人が病院へ行く症状が出て、その少数の中で残念ながら死に至る人がいます。しかし、強調したいのは、ハイリスクの人たちの中でも大多数は回復するということです。”

と述べています。

つまり今回のウイルスの場合、大多数が回復するということは、人間の免疫機能がきちんと働いているということです。また、言い換えれば重篤化した人はほぼみな基礎疾患があり、免疫機能が落ちていたことになります。(こう書くとまれな例を出してくる方がいますが、ごく少数の例を一般かして考えるのはあまり妥当だとは思いません。)

この“事実”をベースにすると、本来はステイホームやステイアラートよりも、“ステイヘルシー”(健康でいよう)を標語にしたほうが状況にマッチしていると私は思うのです。みんなでいつもより自分の体をケアする健康促進キャンペーンを全国でやってみるみたいな。

こちらほうが、恐れよりも前向きな感じがしませんか? しかし、単に前向きになれるということ以上に実はここに根本的に重要なことがあると私は思うのです。

私たちに免疫機能があることを完全にスルーして、マスクや消毒、家にいることを奨励すると、だんだん私たちはそういったものだけがウイルスから自分の身を守る方法だと思い込んでいってしまうということです。つまり、何か自分以外のものがないと自分を守れないという感覚です。

ウイルスという外敵から身を守るには、マスク、消毒液、みんなが家にいること、ワクチン、また感染したら治療薬が必要、とにかく自分の免疫系なんてあてにならない、という感覚です。ワクチンができるまで怯えていないといけないみたいな。

一方、自分の健康を高めるということは、外のものに頼らず“自分でやる、自分でできる”という「自分主権」の心が基本になります。

“自分には力がある”と感じていて、外の何かに頼ろうという前に自分の足で立てるよと思えている気持ち。つまり、自分のことは自分で守れるという内なる力を感じ、外のものへの依存ではなく、自分が自分の中心(自分主権)にいるかどうかということです。

その上で、きちんと手を洗ったり、咳が出るならマスクしたりと自分をサポートツールと、他者をいたわる行動(これって、普通にみんなやっていると思います)をすれば良いですよね。

しかし、自分に主権がない場合(私は無力だ)、自分一人では対処できない、権威者や専門家に頼りたい、または周囲の状況(みんなに家にいてもらって少しでも自分の感染率を減らしたい)に依存したい・・・という感覚が出てくるでしょう。

依存というのは、基本的に思考停止状態です。自分に自信がないから、誰かの考えについていく。恐れ+思考停止のコンビネーションは皆さんもお分かりのように、深い深い眠りへの誘いです。ですが、私たちは小さいころから大人の言うことを聞くように、先生の言うことを聞くようにと考えない教育をされてきています。

ので、自分が実は思考停止状態に陥っていることにとても気づきにくいんですね。それよりも言われたことをちゃんとやっている自分・・・と思っていたりします。

しかし、思考停止状態というのは自分がない状態ですから、いつもどこか不安定さを感じ、不幸じゃないけど喜びも薄いとか、状況の変化にストレスをひどく感じるとか、または怒りや不安といったネガティブな感情のほうが普段多く感じるなど、生きづらい方向にどんどん行ってしまいますね。

ということで、私たちが自分の本質に真に目覚めたいのであれば、本質としての力が自分の中にあることを再確認することが大切でしょう。私たちの体には内なる叡智があり、私たちの存在そのものにも本質の智慧がビルトインされています。

智慧と愛はある意味同義語ですよね。恐れベースの深く眠った生き方から、自分主権の自分で考え、自分で選択していく生き方は、一つの大きな目覚めと言えるでしょう。

そしてそこから私たちの本質そのものへの目覚めはとても近いですよね。

ということで、思考停止になっていないか振り返ってみよう、疑問を持とう、自分で考えよう♪

 

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コロナウイルスと心理学

告白すると、4月に入ってから私はとりつかれたように新型コロナウイルスについて調べています。というのも、8割が軽症か無症状のウイルスに対してパニック度がマッチしないなぁと感じ始めたからです。

ちなみに軽症、または無症状とはその人の免疫系が健康に働いているということですね。つまり、健康であれば人間の免疫で十分に対抗できているということです。

しかし、イギリスのジョンソン首相が世紀に一度のチャレンジだと言っていたり、マスコミの騒ぎ方が、感染したら最後、バタッと死ぬぐらいの煽りようなので、えっ、そうなの?と頭に疑問符が飛びすぎ、もともとイギリスの食事療法のカレッジでウイルスについても学んでいたこともあり、好奇心が暴走しております。

ということでもう一度、ウイルスとはなんぞや?という基礎から学びなおし(科学的知識)、マスコミのセンセーショナルな見出しではなく、ほんとうのところどうなの?ということで、各国のデータを見始め、そして国内外の様々な感染専門家のサイトや動画を参考にしたりしていました。(事実確認)

そうやってリサーチしていくうちに、最初の感染発生から数か月も経つと、各国の様々なデータや研究の結果が揃い始め、いくつかのレポートが新型コロナウイルスの致死率は0.1%以下であると発表し始めてきました。

そこで、ウイルス怖いと思っている人たちに少しでも安心してもらいたいなと、最も信頼できるサイトをフェイスブックでシェアをすると、ほっとして喜んでくれる人が多い中、いや絶対もっと危険なウイルスだ!、こんな投稿をするなんて無責任だ!という人も必ずいるんですね。

しかし、ランダムサンプルの調査の結果、致死率は~~であるというような無機質な事実は、あるいみ「あるがまま」なわけです。(データが改ざんされていない限り)

しかしそれでも納得できない、いや違う、自分の考えのほうが正しい、その事実は間違っていると自分なりの証拠や理論を持ち出してきて、論破しようと試みてくる人が後を絶たない。(おそらく、危険度が低いとみんなが知る→みんなが緩む→自分が感染する確率が上がる→自分は死ぬかもというストーリーが走っているのかなと思いますが)

が、実はこれはセッションではいつも起きている出来事なんです。ということで一見話は飛びますが、

例えば、“自分の話なんかつまらない、人は私といても楽しくない”といった悩みの場合、その人にとってはそれは紛れもない事実なので、話が面白い自分になりたいと思っていらっしゃったりするわけです。しかし、そこでその思い自体が思い込みであるという方向に持って行こうとすると(思い込みだよとは決して言いませんが)、過去の経験という証拠や~~さんがこういったとか証拠をたんまり持ち出してきます。

しかし、どうしてほかの人がつまらないって思っているのか分かりますか?と事実を確かめると、“つまらなそうな顔をした”とか、“私が話すと横を向く”とか、事実というより主観的な見方がほとんどです。

それでもなんとか思い込みを紐解いていくと、“私は頭が悪い”→“人よりものを知らない”→“私の話はつまらない”みたいな心の流れがあるわけです。

では、“私には頭が悪い”がほんとうか?というと、これも当然刷り込みなんですね。もちろんご本人は学校の成績が悪かったとか、これまたいろいろ証拠があるのですが、これは“教育刷り込み”で、どこからが頭が悪くて、どこから頭が良くて・・・とじっくり考えれば、頭の良い悪いの定義は、すべて主観にすぎないことが見えてくるはずなんです。

自分は頭が悪いんじゃなかったんだ!というのは、グッドニュースのはずですが、深く刷り込まれた思い込みほど、いや違う!と反発がおき、このセラピストさんは私を理解してくれない~!になりがちです。

なので、刷り込みが強いと感じた場合は、薄皮をめくるようにその人が長年抱いてきた自分像、世界観が崩壊しないようにセッションを勧めていきます。

さて、話を戻して、例えば思っていた以上にウイルスの致死率は低かったという事実は、同じようにグッドニュースなはずであるのに、そこに反発するというのは、同じ心のしくみだなぁと思うのです。

バイロン・ケイティは「事実と言い争えば、必ず負ける」と言っていますが、基本、事実に背を向けると私たちは苦しみます。乱暴に一言で言ってしまえば、心の悩みはすべて思い込みから発しているからです。

でも、誰しもネガティブな思い込みをわざわざ持とうとしたわけではなく、それが事実だと感じるような刷り込みが人生のどこかでされているんですね。

セラピーの世界で使われている言葉として、「感情学習emotional learning」というのがありますが、これは生まれてから6,7歳ぐらいまで私たちは感情をベースにものごとを学んでいくという意味です。

この年までの人間の脳はサバイバルに必要な脳幹と危険を察知するために必要な大脳辺縁系のほうが発達し、理性などを司る大脳皮質はまだそれほど発達していません。

例えば、おもちゃに夢中になって遊んでいたら、不機嫌なお父さんに“いつまで遊んでいるんだ!とっとと片付けろ、うるさい!”と大声で怒鳴られたとします。すると、子どもは怖いという感情とともに“ありのままの自分はダメなんだ、どこか自分は悪いんだ”と学習してしまったりなどです。(人によってそこで持つ思いは様々です)

そしてそれがもし日常化していた場合、その恐れと思いは大脳辺縁系にしっかり回路が出来上がり、本人にとってはありのままの自分はダメというのは、紛れもない事実となっていきます。そして、これはもちろんすべて「無意識下」で起きることです。

もちろんそんな思いを持ち続けることは苦しいので、セッションに来るのですが、でも手放すのも自分の中で反発が起きる(抵抗)・・・・。私自身の中にもいくつものこういった抵抗がありましたし、誰の中にも必ずあるものです。

さて、今回のウイルス騒ぎで思ったことは、マスコミが恐れを煽るたびに、私たちが感情学習をしてしまっているなということです。毎日毎日繰り返される、どんなに危険か、こんな人も死んだ、医療が崩壊するという報道に、怖いという感情とともにそれらの言葉が自分の中に浸透していく。

そして、いつの間にかそれが自分の世界観となり、その世界観に合わないものを逆に脅威とみなしてしまう。なので、グッドニュースであるはずの事実も脅威に感じてしまうんですね。

恐れが大きくなると、それが怒りに代わって他者を攻撃し始める、または自分を守るという閉ざした方向に行き、鬱っぽくなるか。またはその両方。そして、恐れは人を閉じる方向に持って行くため、思考の幅もどんどん狭くなります。

しかし、人間が成長し、前向きに生きるために必要なエネルギーは、恐れではなく、愛ですよね。愛は事実、真実を好み、そして全体を包括し、共感、つながりへと私たちを導いてくれます。

もしあなたが普段からスピリチュアルや非二元の教えに傾倒しているのなら、今こそ愛を選ぶときでしょう。そして、自分は恐れよりも愛ベースで生活している感じたら、その安定した自分のエネルギーで周囲に広げてみませんか?

ほんとの強さは恐れではなく、愛から生まれる♪

 

※感情学習しちゃっていると感じたら、テレビを切る、丁寧な深呼吸(深呼吸をバカにしてはいけません)をする、心が安らぐ音楽を聴いて口ずさむ、自然の中で心を休める、または自分が楽しいと感じることをやるなどお勧めです。

※EFTなどで大脳辺縁系に幼少の頃から出来上がった回路は解除することができます。

 

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あなたは今どんな現実を生きている?

少し間があきましたが、皆さん、いかがお過ごしでしょうか?

さて、説明するまでもない現在の状況。あたかも世界中が同じ現実を生きているかのように感じられますよね。ですが、こういった状態の中でも人それぞれ感じ方、見ているものはぜんぜん違います。

心のしくみから見ていくと、無力感の強い人ほど、自分が感染する可能性を強く感じてしまい、また感染したら、自分はウイルスに勝てないと感じてしまうでしょう。また、自分が無力なわけですから、他者に助けてもらわないといけないし、または自分の周囲の人たちが自分を守ってくれるように振舞ってくれないといけない。

なので、人工呼吸器が足りないというニュースはめちゃくちゃ恐れを刺激するし、呑気そうにしている人を見ると、あんな人たちがいるから私の感染する確率が上がる!危機感を持て!ウイルスをあまく見るな!となってきますね。

一方、自分に力があると感じている場合、よっしゃ免疫力上げるぞ!と、自分の心身のケアを整えるほうに意識がすぐに向くはずです。やれることはやったら、あとは平常心に過ごす。

自分の心が冷静で落ち着いていると、誰が煽っていて、誰が冷静なのかもよく分かりますね。でも、無力感が強いと煽った動画、煽った投稿などは、自分の危機感とマッチするため、すぐに飛びついてしまいます。

自我はそもそも分離感がそのベースにあるため、普通にしていると無力感のほうが危機には強く現れます。なので、今世界中が集合的にパニックのエネルギーで覆われている感じですよね。日本も危ない、ニューヨークみたいになる!!早く都市封鎖を!!!みたいな。

でも、危機のときに危機感を持ち続けるのは本当に役に立つのでしょうか? 危機感を持ち続けるということは、交感神経が支配した状態でい続けるということです。

つまり、逃げるか戦うかという状態ですね。気を緩めるな!敵の正体はまだ分からないのだ!どこにいるのも分からないんだぞ!常に警戒していろ!という感じです。

でも、交感神経が優位になっているとき、腹側の副交感神経がつかさどっている内臓や呼吸器官、免疫系が抑圧され、身体の機能が下がってしまいます。また、交感神経が疲弊すると、背側の副交感神経にシフトしてしまうため、鬱っぽくなってきますね。

つまり、危機感を持ち続けろ!とやっているうちに逆にウイルスに対して心身が対応できなくなってしまうんです。でも逆に冷静で心穏やかでいれば、正しい判断もでき、また心身もきちんと機能してくれますよね。なので、こういったときには危機感ではなくて、冷静さを持ち続けるほうが良いかな思うのです。

さて、オープン・アウェアネス・ダイアローグでは、いつも事実と解釈を分けるということをとても大切にしています。なぜなら、事実はもっともありのままに近く、解釈が私たちを苦しめ、深い投影物語へと連れて行くからです。

ということで少し事実確認をすると、下記のリンクはヨーロッパの国別に週ごとにまとめた死亡者数の統計です。これを見ると、2017年から2018年の間である時期に死者数がどの国でも高くなっており、その数は2020年の今現在よりも圧倒的に多いのが分かります。(イタリアのみ唯一同じぐらい)https://www.euromomo.eu/outputs/zscore_country_total.html

ですが、私たちの頭の中では、世界中でいつもより多くの人が次々に亡くなっていることになっているかもしれません。でも、ここで疑問がわきます。?医療破壊はなかったのか?

そこでググってみると、2018年1月18日のニューヨークタイムズの記事にアメリカではインフルエンザで医療破壊が起きていて、患者をテントで診なければいけなかったとか、アラバマ州では非常事態宣言が出されたとか、また突然若い子供が亡くなったといったことが書かれています。https://time.com/5107984/hospitals-handling-burden-flu-patients/

さて、私はここで新型コロナウイルスなんてだから大したことがないとか、都市封鎖は意味がないとか、そういうことを言いたいのではまったくありません。当然の施策はあるべきです。

ポイントは基本的に自我は事実と解釈をまったく区別せず、または事実を把握しようともせず、見たもの聞いたものから無意識に自分の解釈を暴走させ、それが現実だと思って生きているということなんです。

なので、同じ状況下で無力感が強い人とそうでない人はぜんぜん違う現実を生きているわけです。また、集合的に同じ解釈、同じ感覚に陥いって、単にマスに引っ張られるということもありますね。

ということで、これはマスコミが毎日毎日感染者数を伝えるなか、大勢の人と一緒に恐れの中にいる必要もなく、事実を確認してどうしたら良いかを“自分”で冷静に判断してみませんか?というお誘いです。

さて最後に、話がものすごく飛ぶようですが、私たちの本質という視点に立って、奇跡のコースの言葉をお贈りさせてください。

「実体ではないものに私たちが脅かされることはなく、また実体でないものなど存在しない、この理解の中に神の平和がある(Nothing real can be threatened. Nothing unreal exists. Herein lies the peace of God. )」です。ちなみに神という言葉を自己の本質に置き換えてみてください。

今回は長くなりましたので、この奇跡のコースの言葉はまた次回にでも書こうかなと思います。とりあえず、あなたもわたしも世界も大丈夫♪ 深呼吸して、春の匂いを満喫しましょう♪

 

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コロナウイルス、本質が教えてくれること♪

私が3月10日にイギリスを発った時、イギリスの日常生活はまったくいつもと変わらず、空港では、“東京に行くんだ、ウイルスに気を付けてね”と空港スタッフに言われたぐらいでした。

ところが、その2,3日後から事態が変わり始め、2週間経った今、とうとうイギリス全土がロックダウンとなってしまいました。ジョンソン首相は昨晩、“私は皆さんにとてもシンプルな指導を伝えます。あなた方は家にいないといけません。”と語り始めました。

必需品の買い物と一日一時間の外でのエクササイズ(これも一人でやる)、買い物も他者との距離を2メートル置く。もし、不要な外出をしたら警察がパトロールしているので、罰金。

ビジネスもすべて営業停止、但し、従業員を雇い続けている会社は、従業員のお給料の8割を国が負担する。(←これ素晴らしい!でも、私みたいなフリーランスは?あとでググってみよう)

何が言いたいかというと、崩れ始めるとものすごいスピードで今まで築き上げてきたものが消えていくということです。それは地震や津波も同じですね。何十年という町の営みを一瞬にして破壊します。

私の友人はロンドンで20年以上お店を経営していますが、都市封鎖が終わった後、またビジネスを再開するのは不可能だろうと言っています。

振り返って日本は、唯一まだ日常が保たれている国ではありますが(しかし、オーバーシュートはなにかのきっかけであっという間に始まる)、それでも経済への打撃は大きく、コロナウイルスによる痛みは避けられないでしょう。

もちろん、私は無用に人を怖がらせたいのではありません。そうではなく、こういうときにこそ、物事の本質を見極めて行きたいなと心から思うのです。ということで順番にお話させてください。

まず一つはもともとすべては不確定で、ほんとうの意味で分かっているという状態はないこと、また将来も予想することがせいぜいで、いつも先のことはまったく見えていないということです。

つまり、私たちは常に未知の状態にあるよねということです。

ですが、ある意味私たちが一番恐れを感じるのは、未知であること、方法が分からないこと、正体が見えないことですよね。

もし、いついつまでに終息するとか、どうなるか分かっているとか、ウイルスの性質が解明されているとか、インフルエンザみたいに、毎年何万人が亡くなっても、必ず終息すること、またどう終息するか見えていれば、そこまでこのウイルスに脅威を感じないでしょう。

私たちは常に未知の状態にありながら、あたかも知っているかのように振舞い、世界は未知であるという真実を突き付けられると恐怖におののきます。

そしてまた、私たちはものごとは同じように続いていくという幻想の中に生き、そこに安心感を得て、またそうありたいと強く願うものです。なので、政治でもとりあえず現状維持が見える政権を選びがち。

ですが、もう一つの本質は、ものごとは常ならず(無常)だよと私たちに教えてくれます。変わっていくことに抵抗しても無駄だよ~ということです。しかし、私たちは突然の変化にパニックになりやすく、不安の渦が社会全体を覆ってしまうものです。

長く築き上げてきたものが崩される、自分の生活が壊される、蓄えていたものを失う・・・。どれも私たちの生存を脅かす恐ろしいことです。ですが、あったものは必ず消えていくのが常であり、同じ生活が続くほうが幻想ですよね。

もしかすると、ここで自分という存在や世界がとても不安定なものに感じられたかもしれません。

でもここからが大切。本質は、私たちは変化の中にくるくると振り回される小さくて無力な存在ではなくて、変化そのものだよとも教えてくれています。たとえ無一文になっても、あなたはまたそこから新しい変化(創造)を作り上げる存在であるよと。絶えることのない生命のエネルギーがあなたであるよと。

そして最後の秘密は、私たちはもともと自分の人生のかじ取りをしていないということ。

これは無力な存在ということではなく、生命のエネルギーというゆるぎないものに任せて良い(サレンダー)ということです。常に変化するということは、言い換えれば常に何かが新しく生まれるということ。

私たちが絶えることのない生命のエネルギーであるということは、すべてを失ったように見えても、無限のエネルギーという無尽蔵のパワーなかにいるということですね。だから、今の自分、これまでの成果に執着しなくて良いということ。

もし私たちが本質の自分に寄り添うことができれば、破壊は必ず新しく生まれるものの祝福へと変化するでしょう。

ということで、地に足を着けて、分からないことを良しとして、今というときに寄り添い、自分と生命を信頼しながら、目の前の生活や出来事に粛々と対応していく。

それだけしかできないし、それで充分♪

 

※もちろん、人が生きて行けるように、事業が倒産しないように最善の政策を智慧を出して守っていくなど、やれることをやった上での話です。

 

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愛に飢えて愛を拒否する

無力感や犠牲者意識のある意味すごいところは、他者の優しさや親切も“自分は不当に扱われている”と歪んで解釈してしまうことだなぁとつくづく思うのです。

例えば、無力感が強いと無意識に他者が自分によくしてくれること、自分が思うように動いてくれることをものすごく期待してしまうんですね。そうでないと自分は生き残れないので。そして、その期待が“してくれないと困る”に変化してしまい、助けてもらっても、その人の中ではやってくれて当たり前みたいに感じてしまいます。

しかも、助け方が自分が思うようなものと違うと、ここで犠牲者意識が顔をだし、私は分かってもらえていない、私は尊重されていない、お前は間違っているみたいな気持ちに満々になったりします。そして、相手に不満をぶつける。大人の場合、めっちゃ正論を持ち出してきます。

そして、これらぜ~~んぶ無意識です。

一方助けたほうは、時間を割いて手を差し伸べたり、または金銭的な援助をしたにもかかわらず、文句を言われたり、悪者扱いをされてしまったりするわけです。そうなれば当然、もう関わらないという決心をしてしまうので、その人から離れて行ってしまいますよね。

私がいまでも時々思い出しては心の中で謝っている出来事があります。20代後半の頃、長時間労働の超安月給で家賃を払うといくらも手元に残らず、お金に苦労していたため、自分は会社と社会の犠牲者だと満々に思っていました。

そんなとき、住んでいた建物が打ち壊されることになり、引っ越しを余儀なくされてしまいました。大家さんはきちんと立退料を払ってくれた(額は覚えていませんが、かなり良心的な額だったという記憶)のですが、そのとき、私はその好意を当たり前だと感じ、自分は立ち退きの犠牲者だと思い込んでしまいました。

ので、せっかく大家さんが自宅に呼んでくれて、相当な額を現金で渡してくれたのにもかかわらず、私はずっと仏頂面でいたのです。大家さんの良心(愛)を完全に無視した行為です。

こうやって、無力感や犠牲者意識は、愛を完全に見失い、マイナスな点だけがクローズアップされ、さらに犠牲者意識を膨らませていきます。

そんな状態はやはり生きづらくてたまらないので、セラピーを受けに行ったり、スピリチュアルにはまったり、または悟りを求めたりする人もいるでしょう。(またはネットで攻撃相手を見つけてぶつける)

ところが、この犠牲者の思いが強すぎて、セラピストやティーチャーにも同じような投影をしてしまいます。そこでまた絶望し・・・という苦しみのスパイラル。

また、普段感謝の心がいっぱいあって、愛を感じていたとしても、他者の言動や出来事によって、同じ負のスパイラルに陥ってしまうことは誰にでもあります。

特に私たちは自分が期待していたものと違う言動を相手がとると、えっ、なんで?、どうして分かってくれないの?どうしてそんなふうにするの?と、割と簡単に犠牲者意識に転げ落ちるものです。とくに、その期待が自分にとって大切なことだったりすると。相手は意外に良かれと思って行動しているかもしれないのに。

ちなみに、犠牲者意識を持ってはいけないとか、克服しなければいけないとか、そういう話ではまったくありません。自我にとってそれはほぼ無理です。そうではなく、犠牲者意識のしくみを知って、苦しくないほうへ自分を持っていきませんか?というお誘いです。

さて、相手の言動は100%相手に属しています。たとえ、どんなひどい言葉を自分に吐いてきたとしても、その言葉がその人の口から出たということは、相手のものですよね。

もし、今誰かに“お前の母さん、でべそ~”と言われても、不愉快だとは思いますが、犠牲者意識に陥ることはないでしょう。なぜなら、それは相手の問題だし、相手がそういう思いを持っていると分かるからです。

まったく同じように、“あなたは空気が読めなくて困る”と言われたとしても、それは相手の思いですよね。が、犠牲者意識は、それを“空気が読めないって言われた~~”と自分事、自分のものとして受け取ってしまうんです。

しかももし密かに“自分は空気が読めない”と思っていたとしたら、図星過ぎて痛くてたまらないでしょう。たちまち被害者意識が大発動です。

でも、しくみをきちんと理解していることで、被害者ストーリーに巻き込まれず、なぜそこに被害者意識があるのかを見ることができるんですね。

で、見て行くと、そこにはもれなく愛に飢えた思いがあって、その思いを理解し、受容してあげます。ので、癒しとは「奇跡のコース」が言うように、愛を防いでいるものを取ってあげることだとつくづく思うのです。

というのも、私たちは愛という大海の中にいつもいることが真実だから。

愛に飢え、愛を見失った犠牲者意識から愛へと目覚めて行くことも、一つの目覚めですね♪

 

 空と色のワンデーセミナー in 東京 

本質である私(空)と個である私(色・しき)について改めてガッツリ知ってみよう♪

詳細とお申込みは、下記のセミナー詳細をクリックしてご覧ください。

セミナー詳細はこちら

【日 程】
● 色(しき)のセミナー:2020年4月25日(土)10時半~16時半
自我のしくみを知ろう!(残席4名)

● 空(くう)のセミナー:2020年5月16日(土)10時半~16時半
(キャンセル待ち募集中)

【場 所】
早稲田奉仕園(地下鉄東西線早稲田駅)
https://www.hoshien.or.jp/map/

【参加費】
一つのみ参加の場合: 9,000円
両日とも参加の場合:16,000円

 

※コロナウイルスの影響が数週間前よりもだいぶ広まってきているようです。開催は春ですので、政府が集会一切禁止といった処置をとらない限り開催いたします。しかし、万が一開催できない場合は、それぞれ4回のオンラインセミナーに変更いたします。詳しくはお申込みの際に自動返信に掲載してあります。

それ、ストーリーです♪~苦しいものほど幻想~

こちらのブログ以外に「気づきのダンス」というブログも書いているのですが、だんだん二つを区別するのが難しくなってきた今日この頃です。

とはいえ、心の苦しみをマスターや非二元のティーチャーたちに訴えている人を見ると、真実が最終的に人を苦しみから解放するとしても、かなりの場合、悟りや非二元よりも癒しを目指したほうが早いなぁと思うのです。

苦しいということは、ものすごく簡単に言えば、歪んだ思考にはまっているということですね。そして、問題は自分の思考が歪んでいるとは微塵も感じられず、それが現実だと思ってしまっていることなんです。(みんなやっています。わたしもやっています)

例えば、“自分はずっと仕事もしていないし、家族の負担になっているだけで、まったく役に立っていない人間だ、そんな自分が生きていても価値があるのだろうか?”と毎日、悩み、苦しみ、鬱っぽくなっていたとします。

この人にとっては、仕事していないという思考もぜんぶが紛れもない事実なわけです。で、これを事実だとした上で考え方や見方を変えようと努力したり、「私はいない」というメッセージを利用して、役に立っていない自分なんて本当はいないから大丈夫♪みたいに思おうとしたりしてしまいます。

でも実はこれは、かなり無理があります。なぜなら、やっぱり自分の思考を信じているからです。

ところが、例えばバイロン・ケイティ風に、“自分はずっと仕事をしていないってほんと?”、“家族の負担になっているってほんと?”、“まったく役に立っていないってほんと?”とじっと思考を見て行くと、思考がいかに大雑把であって、また刷り込まれた思い込みまみれで、ありのままに対して物語を作っているだけかが見えてくるはずです。

ちなみに“自分はずっと仕事をしていないってほんと?”という問いに、“たまにはしていた・・・”とか、そういうことではありません。それでは、同じストーリー上にいるだけです。

ありのままに実際に起きていることは、“自分が家にいる、自分が食事を作っている、自分が・・・”という淡々と動きの連続が起きているだけです。

でもここで、「人は仕事するべきだ」「働かざるもの食うべからず」とか、社会全体の深い深い刷り込みがあるから、“仕事をしていない”というストーリーが生まれてくるわけです。そして苦しむ。

私が癒しのほうが早いというとき、セラピストさんがちちんぷいぷいと癒してくれるという意味ではなく、自分を徹底的に見つめたほうが早いということなんです。

仕事をしていないという思考を事実としたまま、マスターやティーチャーたちの言葉を聞いても、この歪んだ解釈が邪魔することはとってもありがちです。また、悟りや非二元に対しての思い込みもガッツリ持っていたりするものです。

なので、もし苦しみから抜け出すことが目的なのであれば、自分の内側を見て行く作業のほうが圧倒的に早く、効果的だろうなと自分自身の体験からも思うわけです。

ただ、難しいのは、潜在意識に抱えている思い込みの量のほうが圧倒的に多く、また自分の気づいていない思いに自分が気がつくこと自体が非常に難しいことです。

かつてイギリスでカウンセラーの資格を取るために、私は一年間に50セッションを受けたことがあります。必須課題だったので、仕方なく受けた始めたのですが、受けてみると、ものすごい思い込みの数々・・・・。

顕在意識(気づける思い)のレベルだけでも、そうとうな思考量と思い込みとストーリーがぐっちゃぐちゃにありました。(私はこれを思考の樹海と読んでいます)

これで思考の樹海はかなり整理されましたが、カウンセリングだけではなかなか潜在意識の深層までたどり着けません。ので、その後、いろいろなセラピーを学び、自分でも「気づきの問いかけ」を編み出し、かなり深い自分の心層まで行けるようになりました。

さて、今まで自分がまったく気づいていなかった部分を、私はよく「置き去りになった自分」と言ったりします。というのも、苦しみを生み出している部分は、必ず愛を求めているからです。

ずっと愛を求め続けて、まったく気づいてもらえず、抑圧されたままで、絶望や孤独に陥っている私です。

例えば、依存症や摂食障害といった症状も、たいていはこの「置き去りになった自分」の叫びが引き起こしています。

また、愛を求めているということは、言い換えれば自分否定があるということですね。自分否定が強ければ、自律神経も交感神経モードになりがちです。つまり、誰かが自分を攻撃する(批判する、責める、文句を言う、認めてくれない、排除する、などなど)という恐れと、だから自分を守る(人と会わない、心を開かない、などなど)というのが普通の状態になってしまったりします。つまり、生きづらいという状態です。

そして自己否定が強いほど、自分を見つめることにも大きな恐れが生じてきます。大っ嫌いな自分なんか見たくない、情けない自分なんか見たくない・・・・。

自分を見つめたくないとき、つまり内側に行きたくないとき、私たちは当然外に求めていきます。

すごいマスター、すごいメソッド、すごい何かで癒されないだろうか・・・・。

または、人生を自分の思い通りにすること、何かを得ること、環境を変えることなどなど。

でも、自分を見つめて分かってくるのは、ダメな自分とか情けない自分というものは単なる思い込みだったということです。決してダメな自分を良い自分にすることではくて。

さて、「仕事をしていない自分」に話を戻すと、この思いが苦しみを生み出しているのなら、そこには必ず「置き去りになった私」がいます。なぜなら、自分に価値があると思っていれば、仕事していない自分もぜんぜんOKです。お金が必要であれば、どう対処するか考えるだけですね。

問題=対処するものであって、問題=苦しいではありません。

ので、その置き去りにされた私と対話すること。

愛に飢えて孤独と絶望にいる部分に気づき、理解し、受容してあげること。このとき、はじめて握りしめていた「仕事をしていないダメな自分」というストーリーが崩壊して行くんです。

つまり、事実ではなくて幻想だったと“経験的に”分かるんです。癒しとは、事実が幻想として崩壊していくこと。

そして、崩壊した先にありのままの空間、私の本質である気づきの意識と出会うこと。

本質は思っているよりもうんと身近にありますね♪

 

 空と色のワンデーセミナー in 東京 

本質である私(空)と個である私(色・しき)について改めてガッツリ知ってみよう♪

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【日 程】
色(しき)のセミナー:2020年4月25日(土)10時半~16時半
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【場 所】
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一つのみ参加の場合: 9,000円
両日とも参加の場合:16,000円

投影と思考の現実化は似て非なるもの

投影という言葉から「思考が現実化する」という話だと勘違いする人はけっこういらっしゃいます。でも、これらは基本的にぜんぜん違う話なんです。

とりあえず、思考が現実化するのかどうかと言えば、人はたいてい自分が考える通りに行動するので、行動すれば結果につながり、そういう意味では思いは現実化するでしょう。

ただ、私たちは表面的な思いより潜在意識の思い(無意識のビリーフ、価値観、思い込み)のほうにより沿って行動しています。ので、一見自分の思いとちぐはぐな結果を得ているように見えることはよくあります。

そこであなたの思いが現実化しているのですよ・・・というのは、ある意味有効です。

でも、自分の思いが目の前にある現象すべてを作り出していると思ってしまったら、そこは少し気を付けないといけません。

インテグレイテッド心理学では、事実と解釈に分けるエクササイズを必ずします。例えば、夫が家事を手伝わないという悩みがある人の場合、たいていはそれが事実だと思っているんですね。

ですが、実際に旦那さんが何をしているのか?とお聞きすると、例えば夫はリビングでテレビを観ている、だったりします。つまり、現象としては「夫がテレビを観ている」が起きているんです。

それを“家事を手伝わない”と解釈しているんですね。もちろん、自分は子育てでいっぱいいっぱいだ、または共稼ぎで自分も仕事で疲れている、などなどそう解釈する理由はあるでしょう。

現象自体は、「夫がリビングでテレビを観ている」ですが、自分の気持ちとして手伝って欲しいと思っているだけですよね。

まったく同じ現象に対して、夫は働きすぎだ、健康が心配だと思っていたら、手伝わないという解釈ではなく、今日は残業がなくて良かったという解釈になるかもしれません。

ポイントは、現象はそのときの自分の事情や思い込みでいかようにも解釈されるということです。

ので、思考が現実を作るという以前に私たちは、そもそも現実(現象)を自分の思い込みや事情を通して歪んでみてしまっていて、たいてありのままを見ていなんですね。

例えば、ぜんぜん嫌われていないのに、自分は嫌われていると思い込んでしまっている人など見かけたことはないでしょうか?

その人にしてみれば、嫌われているは現実なわけで、自分はAさんに嫌われるという現象を生み出したと思ってしまうかもしれません。そして、自分はAさんに嫌われているという現実を生きていると思い込む。

こんなふうに私たちが現実だと思っているものの99%ぐらいが自分の解釈です。いやいやもっと事実を正確に捉えているはずだと思った方は多いでしょう。でも、がっつり吟味してみるとほとんど自分の解釈だらけです。

なので、バイロン・ケイティのザ・ワークは、どんなテーマに対しても、“それはほんと?”という質問で始まります。それぐらい私たちは常に解釈しかしていないからです。

ちなみに事実と解釈を分けるエクササイズでも、最初は自分の解釈をどうしてもそれは事実だと言い張る人続出です。それぐらい私たちは自分の解釈(投影)の中に生きているんです。

ので、まずは自分の投影にワークをし、それは事実ではなく自分の思いだったと認識し、その思いが出来てしまう大元を見つけ、そもそもそういう解釈が出なくなるまで癒す。

そのとき初めて、自分の思いと事実の区別がはっきりできてきます。ありのままの事実が見えてくるんです。そして、たいてい事実は中立で平和です。

また例えば、妻と娘を交通事故で失った夫にそれはあなたの思考が生み出した現実です、とはとても言えないですよね。言えないだけではなくそもそも間違っています。

ある一つの現象は、そこには関わる人すべての思いや感情がタペストリーのように関わり合って生まれているはずです。

ティク・ナット・ハンの本の中に(どの本だったのか記憶にないのですが)、私たちが食べるパンはパン職人や小麦粉を作る人や小麦を育てる人が関わっていて、私たちはそういったつながりのなかに生きているというようなことが書かれていました。

パンを食べるというシンプルな現象にも大勢の人の思考が関わっているんです。思考だけでなく、様々な感情やパッションも。

私の人生もいろいろな人と関りを持ちながら、交響曲のように出来上がっていて、音楽のように常に流れ、変化しています。

さて、実はある意味ここからが本番です。

思考が現実を作るという場合、その前提が「分離した個が思考で現象を生み出す」になっています。私という分離した個の存在が自分の思考で現象を創り出すわけです。

でも、分離した個の存在というものが、そもそも実体のない幻想だとしたら?

また、自分は分離した個の存在であって、体と思いと感情の存在であると信じ込み続けることが、ほんとうに救いや幸せ、平和に行きつくのでしょうか?

それよりも、自分が分離した個であるという夢から覚めることが、真の平和につながるのでは?

あゆかを創造したのは、あゆかの思考ではなく、生命のエネルギー、本質である私(I AM)です。その無限の生命のエネルギーとして私は深く考え、深く感じ、愛をベースに生きているか? 自分の思考を見張るより、その問いを自分に投げかけていきたい。

そしてもし、真の平和を求めるのなら、自分の思考を見張るよりも、たぶん本質を知ることなのだろうと思うのです。

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

今年からインテグレイテッド心理学は1年間のオンライン講座となります。

また、ノンデュアリティと癒しのカフェオンライン講座も予定しております。

詳細はまだ未定ですが、講座のご案内希望される方はこちらへ。↓

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失敗しても、間違えても、幸せになれる道♪

今年を振り返ってみても、たくさん間違えました、失敗しました。

そして、たぶん来年も間違えるし、失敗するけど、でも同じだけ間違えても2倍以上良い年にするコツをシェアさせてください。

ヒントは“頑張るポイントをシフトする”。ということで、

例えば、

失敗する、
間違える、
勘違いする、
誤解して誰かを責めてしまう、
誰かを傷つけてしまう、
などなど、

私たちはこういうことをしてはいけません、と教わっていますよね。
確かに、人を傷つけるということはできるだけ避けたほうが良いに違いありません。

でも、私たちはどうしてもぜんぶやってしまうというのも事実です。特に誰かを傷つけるというのは分かりにくく、自分ではしていないつもりでも相手が傷ついてしまっていることはよくあることですね。

例えば、親子の場合でも、子供に良かれと思ってやった言動に子供が自分の気持ちを否定されたと感じて傷ついてしまう・・・など、どの家庭にもあるかなと思うんです。

何が言いたいかというと、私たちはどうしても間違えたり、失敗したり、気づかぬうちに誰かを傷つけたりをしてしまう、完ぺきな人間として人生を終わらす人はいないという事実にまず目覚めたほうが良いかもということなんです。

なので、間違えないように頑張るよりも、間違えたという事実を認めるように頑張る・・・のほうが建設的だなぁと思うんです。

“間違えることは悪いことです。人間失格です・・・・”、みたいに教育されてしまうと、自分が間違えたという事実を認めにくくなりますよね。

特にもともと自己価値が低ければ、自分が間違っているなんて絶対認めたくことです。ので、うすうすどこかで自分が違うのかも?と分かっていても、絶対相手が悪いことにし続けてしまうでしょう。

私も自分が嫌になるほど、年中間違えたり、失敗したり、誤解して誰かを悪く見てしまったりなどなどしています。後で分かって、もう手を合わせて謝るしかないみたいな。

で、昔は自分の間違いを認めるのが痛すぎて、速攻で蓋をしていたものです。ですが、今は潔く?速攻で認めちゃいます。でも、そのおかげでめちゃくちゃ楽になりました。

自我は間違えない人でいるこで自己価値が保てて、安泰だという勘違いをしてしまいますが、実際は間違いを認めることで真実が瞬足で味方になってくれるんです。

真実が味方になる・・・ということは、自動的に真実の持つゆるぎない力強さ、受容、平和が自分のものになるということですね。

ので、温かい懐に落ちたような楽さを感じます。

振り返ってみると、この自分が何かまずいことをしたという「罪悪感」は、いろいろな感情の中で最も向き合いにくいものかもしれません。

怒りや悲しみといった感情よりも、罪悪感はある意味自己否定に直結する分、とっても難しい。

でも、罪悪感を抑圧すると、ほぼもれなく罪悪感を感じさせる相手に嫌悪感を感じるようになり、相手をさらに攻撃し始めます。

例えば、離婚した人が実家に戻り、しばらく両親の世話になるという場合。離婚という失敗をした自分、親に迷惑をかけている自分という風に思ってしまった場合、その罪悪感に向き合いたくないから蓋をしてしまうと、逆に親を責めてしまう・・・みたいな。

で、そんな自分がまた嫌になり・・・という悪循環に陥っていく。

でも、もし“自分は自分の人生をうまくやっていけなかった”(←もちろん、これも思い込みで、離婚は失敗ではありませんが)と心から受け止めてしまえば、とりあえず悪循環は終わります。

そして、自分を許してあげるんです。これも心から。許しているフリではなく。

よく罪悪感をなくしてしまうと、また同じことをしてしまうのではないか、他者に対して傍若無人になってしまうのではないか?とおっしゃる人がいます。

が、ポイントは、間違いを「認める」にあります。罪悪感をなくして、なかったことにするではないんです。

認めて、許して、罪悪感を手放す。悪循環を断ち切る。

間違いを素直に認めている人を攻撃するのは難しい、というより、助けてあげようかなぐらいに人はなるものですよね。だから、みんなが優しくなれる。

ということで、年末の大盤ぶるまい、

あなたの(私の)間違い、
勘違い、
誤解、
無知、
理解不足、
他者への批判、攻撃
知らずに傷つけてしまったこと

ぜんぶ、まとめて認めちゃいます!
そして、ぜ~んぶまとめて許しちゃいます!

来年もきっとまた間違えるでしょう、失敗するでしょう。
でも、今度は心から認められるから、許せるから、
来年は真実ともっと近く歩めるはず。

真実の懐を感じながら、そのうち存在の温かい懐のほうが、
自分だったと気づくまで♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

本質の自分を年明けに一緒に本質を感じてみませんか?

お部屋変更しました 参加募集中

日程:2020年1月5日(日)13時半~16時
場所:あうるすぽっと(有楽町線東池袋)
https://www.owlspot.jp/access/
参加費:5000円

申し込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/9EKAF

私はどうして今の私?~無意識からの目覚め

私たちは心身のどこかに不調をもたらすと、たいてい“自分のどこかがおかしい”って思いますよね? ある意味そうなのですが、実は体も心もある意味プログラム通りに動いているだけなんです。

自律神経の新しい機能(ポリヴェーガル理論)を発見したポージェス博士は、「身体の反応に悪い反応というものはない」とその著書に書いています。

例えば、トラウマを経験すれば、自律神経がシャットダウンという自己防衛モードにスイッチします。なので、トラウマが解除されない限り、エネルギーが下降気味になり、体が重く感じ、気持ち的にも憂鬱になっていきます。

また同時に警戒モードが高まるので、少しでもトラウマに似たような事柄が起きると、それがトリガーとなり、例えば心臓がバクバクしたり、不安や怒りが強くなったり、死にたい気持ちになるような強い鬱反応がでたりします。(めちゃくちゃ大雑把に書いています)

私たちはこういう自分をダメだと感じてしまいがちですが、体としては当たり前の反応をしているんですね。なので、症状が出るまでの一連の流れを見てみれば、納得のいく流れがそこにあるわけです。

そしてこれは、心もまったく同様で私たちはつじつまが合わない行動はとらないんです。

つまり、私たちが苦しいと感じるとき、なんだか人生がうまく行かないとき、自分のどこかがおかしいから苦しんでいるのではないんです。

人の意識の94,5%は潜在意識だと心理の世界では言われていますが、経験上ほぼあっている気がします。ということは、私たちの意識の膨大な部分が私たちが気がつかない心の動きに支配されているわけです。

例えば、表に見える部分が地上に見える花の分部だとしたら、地下の根っこや根っこの形が潜在意識の心の分部です。そこには目に見えるよりもうんと大きくてあちこちに広がり、絡み合い、複雑化した心の体系があるわけです。

そして、その複雑な体系(プログラム)に沿った行動だけが表に出てくるんです。どんな言動もです。

例えば、殺人という極端な例を挙げてみましょう。まず間違いなくすべての人が殺人は悪いこと、罰せられることと分かっていますよね。というか罰がなくても、人を殺すのは良くないことだと多分本能的に私たちは知っているでしょう。

しかし、例えば、相手は自分の夢を奪った→そんな奴に生きている存在価値はない→天に代わって罰する、みたいな心の流れは、本人的にはつじつまが合っているんです。

でも、自分の夢を奪われたと思った人が全員相手を殺すわけではありませんよね。ということで、その人の心の深いところをもっと見ていくと、例えば、

小さいころから母親は自分の思いを聞かず、すべて決めてしまっていた→私の気持ちは重要ではない(怒り、無力感)→理解されていない→母親とつながりを感じない(愛の飢え、空虚感)→何かで埋めたい→なんとか自分の好きなものを見つけて満ちた感覚が欲しい→やっと見つけた夢にすがりついていないと私はダメになる・・・・

みたいな、もしこういった心の流れがそもそもあった場合、可能性として、

① 相手は自分の夢を奪っていないが、母親を投影してしまうので奪われたように感じる

② ほんとうに自分の夢実現の邪魔をされたが、相手に母親を投影するので、憎しみが倍増。

いずれにしても、相手に母親を投影しますので、相手には母親に対してたまりたまった様々な感情、抑圧されてきた怒りや無力感、寂しさ、虚しさなどぜんぶ感じてしまいます。そういった感情に支配されてしまえば、理性よりもそれらの気持ちを処理するほうが優先となってしまいます。つまり、それらの感情の原因である(勘違いだけど)相手をつぶす。

一方、そういった心の流れがない人は、腹は立つけど、仕切り直してやり直そうと比較的楽に心を切り替えられるかもしれません。

例えばやはり頭では悪いと分かっている依存症なども、その人の中にこのような心の流れがあれば、どうしても衝動は生まれてしまいます。

逆に言えば、どうしても麻薬への衝動が出てきてしまうのなら、まだその人の心の中にそれを生み出すなんらかのつじつまが合う心の流れがあるからです。そしてそれにマッチする身体の連携。ぜんぶ無意識の領域であり、そういったことを無視して意思の力でどうにかしようとしてもほぼ無理です。

ちなみに英語ではこの心の苦しみを生み出す心の流れを“コヒーラント”(一貫性、つじつまなど)と言ったりもしています。

そしてこれは、特定の症状や言動だけではなく、私たちの人生一般のすべてに現れています。職場の人間関係、夫婦関係、仕事選び、恋愛、お金の問題などはもちろん、洋服の好み、ものごとを選ぶ基準、日々の癖や習慣などなど。

自分がなぜそう感じるのか?なぜそのような言動をするのか?、同じ経験をしても、なぜほかの人は違うように感じて、違う言動になるのか?は、この心の深いところにあるパターン(つじつまが合う流れ)が人それぞれ違い、みなそれに沿った行動をしているからです。

ただもちろん、持って生まれた性質もあり、例えばエニアグラム(超おススメ)など、もともと生まれ持った資質も絡んできます。

例えば私はタイプ9なので、平和でいたいという欲求が他のタイプよりも強く、喧嘩が始まるとその場から去ってしまうタイプですが、タイプ8なら逆によっしゃ~っと入っていくでしょう。(タイプ9も健康レベルになれば、仲介役としての能力を発揮します)

なので、もともとの性質と育った環境で出来上がった心のパターンがブレンドし、同じ家に育った兄弟でも心の深いところにある流れは違ってきます。

しかも、こういった心の動きは体とも連携していて、自律神経が反応したり、脳に回路が出来たり、無意識のうちにさまざまなその人だけのユニークな心身の形が出来上がっていきます。人間というのは私たちが思っている何十倍も複雑な生き物なんです。

そしてこれらはみな“自然に”出来上がっていくもので、誰も意識的に作り上げているわけではありません。

ということで、まずは自分が苦しいと感じているとき、自分のどこかが悪いわけではない、そしてそれを自分で解決できなくてもそれは自分が情けないからではないということです。

OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、この心の深層にある思いや感情の流れをなるべく正確に引き出し、セラピーで解除することを目的にしています。なので、セラピストの考えや分析は入らないほうが良いんです。

自分と向き合うということは、自分というユニークな現れの構造を知っていくということ。それは無意識のパターンではなく、自分の意思で生きる始まり。そして自然に出来上がっていく過程で自分を守ろうとした自分と出会っていくこと。

入り口は苦しくても出口はとっても優しく力強い♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

本質の自分を年明けに一緒に本質を感じてみませんか?

お部屋変更しました 参加募集中

日程:2020年1月5日(日)13時半~16時
場所:あうるすぽっと(有楽町線東池袋)
https://www.owlspot.jp/access/
参加費:5000円
申し込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/9EKAF