目覚めと癒しの微妙な関係♪♪

実は、二つのブログ(魂のケアと気づきのダンス)を合体させようかな計画を考えています。というのも、今年から今までやっていた癒しの方法に「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」という名前をつけ、心のケアと非二元を同時に語れたらなぁと思うようになってきたからです。

とはいえ、非二元のメッセージ自体は人を癒すものではなく、基本的には「太陽は東から昇って西に沈む」みたいなあるがままの真実を語っているものです。

それを人生や苦しみの解消に役立てようというのは、やはり無理があるでしょう。ですが、昔から真実の教えは、人類を苦しみから救う究極のものとして捉えられてきました。

なぜでしょう?

それは“分離は幻想である”というあるがままの真実は、私たちを多くの恐れから解放してくれるからなのでしょう。

つまり、非二元の真実は個人のストーリーを癒すものではないけど、人類の根本の恐れ(=分離)を癒すことはできるのです。

ちなみに非二元とは、アドヴァイタ(アド=not、ヴァイタ=two)というサンスクリッド語を日本語に訳したもので、直訳は「二つではない」です。

非二元という言葉は、人によって解釈が微妙に違ったりするので、一層のこと「二つではない」という言い方のほうがある意味分かりやすいかもしれません。

「二つではない論」。無理があるでしょうか? でも二つではないと聞けば、すぐに思うのは、“どの二つ?”かなと思います。

で、アドヴァイタの教えによると、それは「ブラフマン(個を超えた自分)とアートマン(自分の本質)」の二つではない、「空と色」の二つではない、それらは同じものだよ~という意味です・・・・。(空即是色)

こう聞いてワクワクしませんか? 私は始めて聞いたとき、なんだか鳥肌が立つほどワクワクしてしまいました。やっぱり変態なのかもしれません。(ため息)

さて話を戻して、つまり大海と小波に例えれば、大海(ブラフマン)と小波の本質(アートマン)」は同じだよ~ということです。

問題は、私たちは常に大海(ブラフマン)を忘れ、自分の本質(アートマン)も忘れ、自分はただの小波でしかなくて、大海(世界)とも他の小波とも分離している・・・・という錯覚で生きていることですね。

世界(大海)は恐ろしいところで、なんとか自分を守って生きていかなければいけない、他の小波たちが何を考えているかも分からないし、そしてもし食べていけなくなったら、大海の中で野垂れ死にする・・・・。小波が大海の中で死ねるのかどうかは別にして。

とりあえず、これが通常の私たちの感覚でしょう。

なので、権力やお金で自分を守ろうとしたり、または自己啓発などで“あなたの思いで好きな現実が創れます!”とか、小波がパワーやコントロールを得られるものが流行ったりするのもうなづけます。

でも、そうやって権力、経済力、思考力を鍛えてもやっぱり小波は小波。どうしても頼りなさはつきまといます。じゃぁということで、もっと何かを得よう!、そうだ悟りだ!悟りを得よう!

悟れば、すべてが解決するに違いない!あらゆる恐れもなくなって、それこそ大船に乗った気分で毎日が暮らせるだろう。自分の長年抱えている悩みもちゃらになるはずだ・・・。

しかし、自分の中にある抵抗や無視している部分、否定して嫌がっているものたちをしっかり抱えたまま、大海の自分とか、大海のメッセージを聞いてもどうもぴんと来ません。

この自分の頼りなさ、そこはかとない生き苦しさをどうにかしたいから、大海セミナーに来ているのに、さっぱり変わらないぞ!と焦りと怒りのほうが増してしまったり・・・。

さて、一方で真実を探求していた小波が大海の自分に目覚めたとします。大海としての自分が深く認識され、いろいろな恐れも消えていきました。

ところがしばらくして気がつくのです。大海の自分を認識しているはずなのに、他の波の言動が心に突き刺さる。腹が立つ、悲しくなる・・・・。

小波は混乱します。なぜ?

しかし、大海の自分に寄り添えば添うほど見えてくるのです。小波としてのユニークな自分も消えることはないということが。(現象がなくなることはない)

自分のユニークな性格や素質、才能だけではなく、否定的な思い込みや抑圧された感情も含めてすべてそのままにあることを。

でも違うのは、それらがすべて受容されていることがはっきり分かること。だから、どうであっても自分は絶対大丈夫だということ。

大海の自分とユニークな個の自分。二つはどうしても同時にあって、そしてそれらは同じものだから。

ちなみに、小波の自分の思いや行動がどう沸き起こるのかをよ~く見つめれば、そこに行為者がいないことも見えるはずです。小波が自分で波を起こしたり、波の行き先を決めているの?それとも?

さて、すべては受け入れられていて、すべては大丈夫だけれど、小波の自分を癒したいという欲求も起きてくるかもしれません。

でも、それは悪いものだから癒されるべきだ・・・ということではなく、本質が本質に戻りたいという自然な欲求です。不自然な状態から自然な状態に戻りたいんです。

オープン・アウェアネス・ダイアローグとは、小波が抱える否定や抵抗、抑圧された思いを大海という受容のオープンな場に持ってくること、そしてそれらとダイアローグすることで、握り締めた勘違いをほどといていくものです。

自然の流れの発露であることがきっと私たちの真の欲求だから♪

 

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(東京は10月、仙台は11月です)

 

 

 

ペインボディ~怒りの炸裂~

あまり時事ネタを取り上げることには興味がないのですが、今回は暴言で話題となっている国会議員さんについて思ったことを書いてみます。

とはいえ、心理セラピストなので、彼女についてというより、彼女をネタに心のしくみを書いてみたいという感じです。

ということで、

彼女の近しい人たちが、彼女について「完ぺき主義」という言葉が何度も発っしていることや、少しのミスも許せないような様子から、彼女がエニアグラムのタイプ1だとしましょう。(100%推測です。エニアグラムとは人の性質をタイプ1からタイプ9まで9つに分けるシステムです。)

エニアグラムのタイプ1は「完ぺき主義」であり、また“私は何が正しいのか分かっている。”と真剣に思っている人たちです。エニアグラムはその健康のレベルが9つ(不健康の3レベル、平均の3レベル、健康の3レベル)ありますので、これは平均のレベルのタイプ1の場合です。

自分は何が正しいのか分かっていると信じているだけに、すべてを自分の考える通りに動かそうと状況や他者を必死にコントロールしようとします。なので、タイプ1が親である場合、子どもの進路から着る洋服までぜんぶ決めてしまったりもします。

で、それはもちろん自分に関してもそうで、「正しい人」「完璧な人」を目指し、自分の中にある完璧ではない部分、正しくない部分に対して、無意識ですが常に叱咤激励し責め続けています。

ですが、それは普段意識されないので、この自分のダークな部分は抑圧されていきます。

しかし、ここで問題なのは、抑圧された部分は黙って大人しくしているのではなく、その人をコントロールし始めてしまうことです。

一つは、爆弾のような怒りをいつも抱えている状態になり、ちょっとしたことで怒りが爆発してしまいます。そのため、正しい人、良い人、完璧な人を目指しているにもかかわらず、大きな子どものような癇癪を人前で起こしてしまうことも、タイプ1には多いのです。

ただ癇癪を起こすのは、ストレスがたまっている不健康なレベルですね。たまった怒りのエネルギーが大きすぎると、当然不健康になりますし、またいつもその放出先を求めてしまいます。

また、ダークな部分を抑圧することで、逆にそれが歪んだ形で出てしまうこともしばしばあります。幼児の性的虐待撲滅キャンペーンをしていた牧師が、実は性的虐待をしていたとか、誠実であることの大切さを生徒に教えていた女性教師が不倫相手を殺害してしまった・・・みたいなケースです。

多くの人があんな真面目な人がまさか・・・・と驚きますが、自分の中の不完全性を許さず、それを長年抑圧してきたために、一見表と裏でまるで違う人格のように現われたりするんですね。

つまり、抑圧したものは何らかの形で必ず外に出てしまうんです。とくに自分の中の弾圧したものには、完全に振り回されてしまいます。

かなり昔の話ですが、ドアを開けたとたん目に一杯涙を溜めて“ヘルプミー!”となだれこんできたイギリス人のクライアントさんがいました。(この方はとても印象的だったので、拙書にもケーススタディとして掲載しています)

話を聞いていくうちに、周囲が自分の思い通りにならないことでものすごいストレスをため、怒りと悲しみでいっぱいになっていました。

自分はまったく理解されていない・・・・、職場の環境を完璧に持って行こうと頑張っているのに、周囲からは敵意ばかりが増えていく・・・、寂しい、悲しい、腹が立つ、

しかし、彼女はただ泣いているのではなく、職場では周囲を大声でどなりつけ、電車の中でも“間違ったことをしている人”がいると、叱りつけていることも分かってきました。ただ、本人はそういう意識はほとんどなく、電車でも他の人たちがへんな目で私を見た、私は正しいことをやっているのに・・・・みたいな感じです。

彼女も怒りのエネルギーがすごく、あるときは、セッション後に事務的な話をしていたつもりが、彼女の逆鱗に触れて、椅子を蹴って部屋を出て行ったときもありました。

そのとき自分のセッションの効果のなさに一瞬落ち込みましたが、怒りが彼女を常に支配してしまっていることは明らかでした。

つまり、私たちはたまりにたまった感情や自分の中の否定しているものに完全に支配されてしまうんです。特に幼い頃から家庭環境の中で内側に蓄積されてきた感情や思いは、モンスターのようなエネルギーになってしまいます。

エックハルト・トーレがいう「ペインボディ」ですね。ペインボディは、あらゆる状況で反応し、衝突し、死にたくなるほど落ち込んだり、また、そのタイプによっては外にわめき散らしたりしてしまいます。そして、どんなにそれをやったところでスッキリしません。

と、ここまでいろいろと書きましたが、一番書きたいことは、もし、私たちが自分の内側とちゃんとつながっていることの大切さを知っていたら、もし、自分がどれだけ怒りやストレスがたまっているかを知っていて、それらをケアすることができていたら、世界はもっと平和で過ごしやすいだろうということです。

ちなみにエニアグラムのどのタイプも不健康なレベルになると、自分も苦しいけど、周囲も振り回してしまいます。また、怒りだけがペインボディなるのではなく、あらゆる負の感情や思によって形成されます。

経済でも政治でも、よく見れば、人の感情がかなり渦巻いているのが分かるはずです。一見、理性的な判断をしているつもりで、実はその下にある恐れや嫉妬、怒りなどが本当の動機であることも多々あります。

私たちが育っていく過程で、「感情の扱い方」などまったく教わりませんが、感情のケアの仕方を知らないと、実は自分の人生がそれによって振り回されてしまったりするでしょう。

ペインボディを癒すには、ペインボディの飢えをきちんと聞いてあげることです。愛に飢えた声が必ずあるんですね。承認欲求みたいな声ですが、それはとてもかわいい声でもあり、それをなくそうとするのではなく、受け入れてあげることから癒しは始まります♪

今まで否定したり、弾圧したり、抑圧してきた自分の一部(分離)を受け入れ、変容させ、そして統合していくんです。

ということで、良い感じで宣伝させてください。9月に大阪でEFT(感情解放のテクニック)のプラクティショナー講座があります。感情とは?感情の性質、そして解放の仕方をじっくり学んでみませんか?

 

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セラピストとして食べて行くには?

振り返ってみると、スピリチュアルな本を出したり、自己啓発的な本も書いたり、一見外に向いた活動をしているようですが、私の本質は内向きの「職人」(または、おたく)だなぁとつくづく思うのです。

というのも、「本を書く人になりたい」とか、「セラピストになりたい」とか、そういう思いよりも、「探求したい」「極めたい」という思いのほうが強く、結果としてそれが本になったり、セラピストという仕事になっているからです。

また、何度も書きましたが、イギリスで学んだ心理学やカウンセリングスキルが、ボランティアをしていたアルコール依存症の回復センターでまったく役に立たなかったとき、ゼロから探し始めることができたのも癒しへの「こだわり」だったと思います。

例えば、レイプのトラウマが原因でアルコール依存症になってしまった女性が、“来週裁判で、また犯人の顔を見ないといけない。嫌だけど仕方がない”と話すのに対して、私が学んだ知識は手も足も出せませんでした。(彼女は重度の鬱にもなっていました)

何もできない自分に無力さを感じると同時に、密かに職人魂が、“彼女が絶対に楽になる方法があるはずだ。私が知らないだけだ”と叫んでいたのです。

長い話をすっ飛ばすと、それがきっかけで学んだ心理学をすべて捨て、まったくのゼロからインテグレイテッド心理学を生み出し、問いかけを生み出し、年月にすれば6年ぐらいはかかりました。

そんなこんなでゼロ出発から15年ぐらい経ち、今ではインテグレイテッド心理学講座も私以外の人も開催するようになり、問いかけスキルに熟練したOADセラピストさんたちも活躍するようになってきました。

さて、この話がどこに行くのかというと、活躍しているセラピストさんたちを見て、 “あの人たちのようになりたい、なるためにはどうしたら良いか?”的な質問が増えてきたなぁと感じるのです。

もちろん、興味や情熱もあるのでしょうが、癒しを極めたいという思いよりも、早く「活躍するセラピストになる」ことが一番の目的になってしまっているように感じるのです。

私自身がゼロから始めたとき、一体どんな方法があるのかも皆目見当もつかないし、ひょっとしたら何年かかっても見つけられないかもしれない、また、見つけたとしても、それで食べて行けるのかどうかもさっぱり分からない・・・・という、ほんとうにないない尽くしの状態でした。

でも、お手本ゼロ、保障ゼロ、仲間ゼロでも続けられたのは、癒しのへの情熱というか、職人魂というか、それ以外になかったなぁと思うのです。

みなが同じ道を通るべきだと思っているのでは、もちろんまったくありません。

ただ、基本的にセラピストは、100%自由業で、なんの後ろ盾もなく、一人勝負の仕事ですから、「セラピストになる」ことよりも、「癒しを極めたい」という気持ちが勝っていないと、続かないだろうなということなんです。

ところが、それなりの人が「こんなふうになる」、「こんなふうになりたい」という形のほうに囚われすぎ、そういう風になるには?という発想になっているような・・・。

で、形に囚われてしまうと、まだそうなっていない自分への焦りが生まれたり、人と比べたり、時間(2年内には・・・など)に囚われたり、資格の条件をこなすことが一番の目的となったり、エネルギーがまったく意味のない方向へ向いてしまうでしょう。

また、セラピストになったとしても、セッションで結果が出せなかったとき、そこを追求しようというより、自分には向いていないと思ってしまったりするかもしれません。

しかし形に囚われるのではなく、“どうしてこの人の苦しみはなくならないのだろう?”、“こういうケースの場合、私には何が見えていなくて、まったく変化がないのだろう?”といった思いのほうに囚われたら?

真剣な追求、探求モードになったとき、時間や人との比較など基本どうでも良くなるはずです。そこには純粋な好奇心、興味、情熱があるだけ。

なので、何も見えていない段階でも楽しく、焦りも出てきませんね。

もちろん、そんな保障ゼロの一人旅を始めたのが30代後半だったので、将来食べていけるのだろうか?という不安は普通にありました。あまりにお金がなくて、バスに乗るのも節約していたぐらいです。

でも、確信犯貧乏でしたし、情熱のほうが勝ってしまっていたのです。振り返っても、楽しかったなぁとしか思い出せない・・・・。

もちろん、同じぐらいの情熱を持ちましょうという話でもありません。

ただ、“セラピストになりたい!”ではなく、“癒しを極めたい!”という思いが、自然に食べていけるセラピストを生み出すと思うのです。

というか、何の仕事でも同じことが言えるでしょう。

どの道でも極めていくと、それを認めてくれる人たちが必ず現れ、それがビジネスにつながっていきますよね。

ここまで読んで、私にはそこまでの情熱がないと思う人もいるかもしれません。

情熱と言っても、熱い感覚がずっとあるということではなく、興味、好奇心がなくならないということです。

そして、情熱がないなぁと思う前に、自分が自分をどれだけ受け入れているのか?どれだけ優しい目でみているのか?どれだけ肯定しているのか?を見てみませんか?

自分への否定は、情熱への否定とほぼ同じことです。

自分への否定がやめられないのなら、やめられない自分を理解することから始めても良いですね。

ということで、最後は自己受容のいつもの話で落着♪

そういえば昔書いた「まずは思い込みを捨てましょう」という本にも同じようなことをもっと詳しく書いています♪ (絶版なので、中古品よりお買い求めください。)

☆ ☆ ☆

北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー”

日程:2017年6月24日(土)
時間:10時~16時30分
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すでに80名様お申込み♪ ありがとうございます!

“承認欲求”は分離を癒す入り口♪

“分かって欲しい”、“理解して欲しい”、“認めて欲しい”といった思いを心理学では承認欲求と言ったりしますね。ググってみるとあんまりピンとくる記事がないので、インテグレイテッド心理学風に見てみたいと思いま~す。

まず、私たち人間はみんな承認欲求があるよね~という前に、なぜそもそも、それがあるのでしょうか?

インテグレイテッド心理学的には、そもそもそういった思いの始まりは、「分離感」にあるとしています。

というか、ぜひ心の中を観察してもらいたのですが、私がいて、あなたがいて、私がいて、社会があって・・・という見方そのものに「分離感」がありませんか?

私は他者や外界と分離した一つの“個”である・・・という感覚です。おそらくほとんどの人にあるはずです。私たちにとって当たり前すぎるので、普段は完全にスルーしているはずです。

それでは、次にその分離した個の私は、どうしたら世の中に生き残れるのでしょうか? それも考えないで観察してみてください。

まずは、食べていけることですよね? そして、次には社会(周囲)から受け入れられていること。村八分になった自分をイメージして、のんきに暮らしている感じはないはずです。

つまり、この分離感が「周囲から認められ、受け入れられていること」を求めているわけです。では、自分は周囲から受け入れられている、認められている、理解されているとイメージしてみたら?

なんかすごく「いて良い感じ」とか「安心、安全」な感じがしませんか?落ち着きますよね?

本来の私たちが大海だとしたら、本当に求めているのは、この大海である落ち着いた自分を感じることなんです。「いて良い」なんて超えた存在そのものの自分です。

でも、個であると思っている私たちにとって、幼い頃は親が大海であり、世界ですね。ですので、親から愛されているということは、世界が自分を承認しているということになり、大海を感じられるんです。

思春期になると、友達が世界となり、友達に受け入れられているということは、やはり世界が自分を受け入れてくれていることになります。

なので、いじめというのは、世界が“お前はいらない”と言っているのと同じで、文字通り生きる場がなくなるため、非常に苦しいんですね。小さな胸の内は分離感と孤独感、絶望感でいっぱいです。それが分かっていれば、“いじめられる方も悪い”なんてとても言えません。

さて、大海であることを忘れた個の私が、承認欲求と同時に持ってしまうのが「欠如感」ですね。これもぜひ観察してみてください♪

個の私は、完全、完結した感じはあるでしょうか? それとも、何かが足りない、何かが完結していない感じがあるでしょうか? おそらく、欠如感のほうが感じられるはずです。

つまり個の私は、そもそもが「承認欲求」と「欠如感」が組み込まれているんです。

それでも、小さいときに充分に親から愛情を注いでもらっていれば、「大丈夫感」とともに、「自分は受け入れられる人だ」「周囲は自分を認めている」という感覚も育まれるでしょう。

ところが、それが十分に感じられなかった場合、もともとある「承認欲求」と「欠如感」が刺激され、そちらのほうが育っていってしまいます。

「私は理解されていない」「私は受け入れられていない」「私は認められていない」という欲求と飢えが育ってしまうんですね。

で、それが「理解されない私はダメ」「受け入れられない、認めてもらえない私はダメ」というビリーフともなり、自己否定も強まっていきます。

そうなると、例えば自分の思い通りに行かなかった場合、それは「理解されないダメな私」と「飢え感」を同時に刺激し、ものすごい怒りとなって出たりします。

すると周囲は、大人のくせに子供みたいな我儘なやつだ!とけむたがり、ますます「理解されないダメな私」が肥えてしまう・・・・という悪循環へ。

または、その飢えた感覚を「仕事の成功」や「恋愛のパートナー」や「引き寄せ」や「SNSでのイイネ」などなど、外から何かや注目をゲットするという行為に走ります。これはほぼ無意識で、あまりにいつもやっているので、意識されることはあまりないでしょう。

基本、自我は何をするか?何を得るか?で頭はいっぱいです。悟りもそのなかにほぼ組み込まれますね。(悟りに到達する、いつも平和な状態を得る・・・)

では、どうしたらこのサイクルから抜け出せるのでしょうか?

自分の何を理解して欲しいのか、どう受け入れて欲しいのかは、人それぞれです。なので、まずは自分の中にあるそれらの声に気づいてあげることです。

私の場合、それらの声がたくさんありすぎて、最初はやりきれないぞ~と思いましたが、一番強い声、傷ついている声に寄り添うことから始めました。で、くれぐれも、その声をなくそうとか、黙らそうとかしないように~。

そうではなくて、それがずっと求めていたこと、つまり「理解」をすること、「受け入れる」こと、ずっといて良いよと言ってあげることです。その声が欲しいものを与えてあげるんです。

ただ、ここで難しいのは、本当に理解して欲しい声や欲求は、往々にして潜在意識の深いところにあるものです。で、そこへのアクセス方法は、正直、ブログでは無理!出し惜しみではなくて無理~。

とりあえず、気づける声だけでも受け入れてみる価値はぜんぜんあります♪

最終的に、私たちが求めているものは両親や誰かの愛が意味するもの、つまり「大海の自分」を感じること、それを思い出すことですね。

つまり、分離の錯覚からの目覚めです。

と書くと、自我はすぐに“じゃぁ、自分を見つめるなんて地味なことをしないで、悟っちゃえば早いよね”と言うでしょう。または、一見スピリチュアルストーリーにも聞こえるので、高い次元への覚醒を目指せ!とも言うかもしれません。

違います。

自分の中にある飢えが大きいということは、分離感が激しいということですね。その状態のまま、分離の幻想から目覚めるというのは、ブレーキを引きながらアクセルを踏んでいる感じというか、基本ベクトルが逆過ぎます。

分離していると錯覚していた渦巻きが自分を深く見つめたら、渦が大海であることが分かるはずですね。

まったく同じように私たちが自分深くじっくり見つめていくと、自分に関するあらゆる思いや感情がすべて幻想だと分かるでしょう。

そして、幻想が落ちたとき、そこに残っているのは本質だけ♪

 

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“ないもの”をあると信じている私たち♪

今週末はインテグレイテッド心理学講座です。年に一回の開催のため、毎回新鮮な気持ちなります。

正確に言えば、インテグレイテッド心理学は心理学というより「観察学」です。または、本来心理学が観察学であるべきなのかもしれません。つまり、誰の理論でもなく、人(自我)の心の働きをただありのままに見たものです。

で、そのためには、自我視線ではない「悟り」の視線が非常に役立っているわけです。自我がどう作用しているかは、自我活動にはまっていたら見えませんよね。そこから一歩離れた視点が必要なんです。

なので、奇跡のコースを始め、エックハルト・トーレやいわゆる悟りのマスターの言葉が非常に参考になり、インテグレイテッド心理学はそれがベースとなっているわけです。

ので、理論を覚える必要もなければ、分析も何も必要なしです。ある意味とてもシンプルなのですが、実はほとんどの人が一回の講座では理解してくれません。

なぜかというと、自我活動にはまりきっているからです。

説明させてください。

まず、椅子を見てみましょう。なぜそれが椅子だと分かるのでしょうか?

脳科学や物理学的な質問ではなく、単純に「そう教えてもらったから」です。つまり、知識を通して見ているからですね。ズッコケた方もいるかもですが、こういう当たり前すぎることのなかに真実へのヒントがたくさんあったりしますよね。

で、もし椅子という知識がなければ、私たちはそれをありのままの物体として見るはずです。つまり、すでに物と自分の間に「知識」が介入しているんです。そして、私たちはその「知識」のほうを見ているんです。

いやいや、自分は椅子のカタチ、色、そのものを見ている!と思うかもしれません。が、「椅子」として見ている限り、それはもう椅子という概念の中でしか見えていないんです。

で、ここは頭では理解されるのですが、けっこうすぐに忘れられてしまうところなんです。忘れてしまうので、あっという間にストーリー=事実となり、そこに溺れてしまう・・・。

例えば、“何軒もアンティークショップを回って、やっと見つけたお気に入りの椅子に姑が自分のコートを椅子の背にいつもかけてしまう。本当は嫌だけど、細かいことのようで言いにくい・・・。”

椅子と私と姑の物語~♪みたいな。

ちなみに、

「何軒もアンティークショップを回った」
「お気に入り」
「いつも」
「姑の~~~」

は、頭の中にしか存在していません。

「いまここ」には存在していないことです。

厳密に言えば、椅子もコートもすべて知識という頭の中にしかないものですが、癒しのワークの中ではそこまでやらなくても大丈夫です♪

例えば、その椅子を写真に撮ったとして、何も知らない人が見たら、そういうストーリーは思いもつかないですね。どんな椅子なのか、誰のコートなのかなどなど。

もちろん、私たちはただのストーリーに苦しんでいるよね~、常にいまここにいましょう~~とか言いたいのでは、まったくありません。無理だし。

何かしましょうとか提案したいのではなく、私たち一体何をやっているの?というのがポイントです。

で、よ~く観察してみると、「私たちは、ほぼいつもないもののほうにどっぷり浸かって生きている」ということです。

くり返しますが、ほとんどの人が「ないもの」(言い換えれば、頭の中にしかないもの)の中に生きているんです。

事実は、椅子にコートがかかっている。終わり。優しくてとてもシンプル。

でも、やっぱりストーリーがとってもリアルで引っ張られてしまう・・・、なぜ?引っ張られてしまうの?どうして巻き込まれてしまうの?

自分は、「ないものを」見ているのだという点をしっかり踏まえた上で、次になぜ「ないもの」がそんなにリアルに感じるのだろう?というしくみを見ていくんです。

例えば、亡くなった母親への後悔が手放せない・・・・、母親ももういないし、頭では何一つ「いまここ」にないのはよ~く分かっている。でも、私の中ではしっかりすべてが生きていて苦しい・・・。

それは自分の中にそのストーリーを生きさせている、自分が気がついていない思いや感情の集積があるからなんですね。(私はそれを投影パッケージと呼んでいます)

その集積はかなりのエネルギー量を持っているので、とってもリアルです。そして、例えば母親の写真を見るたびに、ありのままの母親ではなく、そのエネルギーの集積であるパッケージを通して見ているんですね。(投影)

で、話をガンガンにスッ飛ばしてしまうと、これにはまだ種明かしがあります。うふ。

私たちがそういった様々なストーリーのパッケージを持っているのではなく、そのストーリーの所有者は不在だということです。

つまり、私がストーリーを持っているのではなく、(個)の私=自我=ストーリーの集積なんです。自我とはとても複雑に様々な思いや感情が身体とともに絡み合ったエネルギー体です。

インテグレイテッド心理学が目指しているのは、亡くなった母親への後悔というストーリーの中で何らかの慰めを見つけることではなく、その複雑に絡み合ったストーリー自体と対話しながら解体していくことです。(ある意味自我の解体)

そして、解体されたその先にあるものは、受容という本質。そのとき、苦しいだけ、悲しいだけ、悲惨なだけだと思っていたストーリーは、本質によって愛されていて、とても愛おしいストーリーだったと知るでしょう。

そしてこれが、究極の癒しなのかもしれません♪ (*^_^*)

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インテグレイテッド心理学講座、東京、大阪とも募集終わりました。

「大阪ノンデュアリティと癒しのカフェ」募集中♪

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※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、
ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。

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OADセッション感想文が追加されました♪

20代後半からのうつ病も体の不調も楽に セラピスト:半澤久恵

職場の人間関係が楽になった セラピスト:下田屋寛子

苦手な相手が苦手じゃなくなる瞬間 セラピスト:下田屋寛子

新しい発見に満ちた日々へ セラピスト:佐藤純子

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インナー・グルを育てる♪

GWも終わりつつありますが、たまたま二日続きで同じような話題が出てきたので、ちょっとそれについて書いてみたいなと思いました。

一言でいうと、私たちは自分を導いてくれたり、教えてくれる誰かを求めるよね~というお話です。

苦しかったり、人生に行き詰まったりすると、私たちはたいてい答えを外に求めますよね。

答えは自分の中にあると聞いても、ん?こんなに分っていないのに?どこに? それに、こんなダメダメな自分のなかにあるものなんて当てにならん、やっぱりどこかに良い答えがあるはずだ・・・・みたいな。

基本的に自我は自分はたいしたことがないと信じていて、どこかに素晴らしい師がいるに違いないと思ってたりするものです。または、いて欲しいと無意識に願っているというか。

なぜなら、素晴らしい人格、完璧な人、聖なる人みたいな存在は、自我にとっては希望の星であり、もし自分みたいな人間ばかりだったら、今より良くなれる可能性を見い出せないからです。

ですから、そのテーマが悟りや非二元となれば、ほぼ間違いなく私たちは師を求めるでしょう。教えてくれる誰か、真理、真実に到達するために自分が着いて行ける誰か。

でも、着いて行くには、相手が本物なのか?信じられる人なのか?がとても気になります。なので、その人の言動を細かくチェックしたり、あの人はあんなこと言っているから違う、この人はお金を取っていないから信用できる・・・などなど、判断しようとするでしょう。

とにかく自分の意識も視線も「その人」という他者に向けられます。で、自分が勝手に持っている基準(←気づいていないことが多い)に従って、誰かをこの人なら信じられそうだ!と決めます。

さて、このようなプロセスで決めてしまった場合、次にありがちなのが、その人の話をすべて鵜呑みにしてしまうことです。

信じられる誰かを見つけるまではものすごく慎重ですが、いざこの人を信じる!と決めると、その人の言葉をただ信じ、そしてそれを実践することにまい進してしまう・・・・。

これは一見、真実に向かって精進しているように見えて、実際は「鵜呑み活動」です。自分がないんです。

誰かの言葉を鵜呑みにして、ただ信じている「自分がない」状態は、自分のエンジンで走っていない船に乗って、大船の後ろにつながって動いているようなものです。ので、大船の動く通りにしか動かない。

一見、大船につながっているから安心なように見えて、すべてが大船次第で、しかもパワーを明け渡してしまっています。ですので、自分がコントロールしていない不安は実はしっかりあります。

しかも、場合によっては、よく見たら大船じゃなくて難破船だったり・・・・・。

とりあえず、本人が大船につかまっていると思っていたとして、表面的な安心感は得られるかもしれませんが、本当の意味で楽になっていく感覚はあまりなく、それどころかじわじわと苦しくなってさえくるかもしれません。

では、誰のメッセージも信用せずに、とにかくすべて自分で考えて、自分一人でやっていくべきなのでしょうか?

例えば、私自身もルパート・スパイラやアジャシャンティなどを心の師匠と仰ぎ、動画でもリトリートでも、彼らの一語一句を聞き漏らすまいと必死に耳を傾けます。最前列に座り、ある意味、超着いて行きますモードです。

ですが、彼らのメッセージをそうなんだ~と鵜呑みにしたことはまったくないんです。必ずすべて私のインナー・グルに問い合わせるようにしています。

と、いきなり出てきたインナー・グル。

インナー・グルとは今思いついた言葉ですが、すべての人の中にある真実とのつながりを覚えている部分です。

例えば、「あなたの本質は純粋意識です」、「すべてはただ起こっているだけなのです」といったメッセージを聞いた場合、“本当にそう?”とインナーグルにまずは問い合わせてみるのです。

するとインナー・グルは、“たぶんね”というあいまいな返事だったり、ときには、“さぁ、分からん”とさえ言います。グルなのに。

でもそこでインナー・グルに愛想をつかすのではなく、インナー・グルが“その通り!”とか、“違う!”とか、はっきりした答えを出してくれるまで、あらゆるメッセージを保留にし、調査続行中とするのです。

つまり、鵜呑みにしながら探求するのではなく、自分の体験を常に中心に置きながら、ほんとにそうなの?という好奇心とともにエクササイズなり、瞑想なり、ダイレクトパスなり、自分流の何かだったりを使って探っていくんですね。

なので一見外から見れば、両者とも言われたことを実践していて、同じようことをしているように見えるかもしれません。が、内側で起きていることは、まったく違うものなんです。

で、このように人に着いて行くのではなく、メッセージを深めていく、しかもそれすら保留にしながら進めていく場合、その発信者を盲信する必要もなければ、極端な話、発信者は誰も良いんです。

もちろん、発信者に対する憧れみたいなものは抱くもので、私もルパートさんやアジャシャンティにポジティブ投影をしてしまいます。

が、それでも、最終的にはいつも私の中のインナー・グルが彼らのメッセージがほんとうなのかどうかを決めるんです。

そして、ひとたび、私のインナー・グルが「イエス!メッセージは本当だった!」と確信したとき、インナー・グルは成長し、より真実の言葉へ反応し始めます。

長い間外にグルを探し求めていたために、インナー・グルとしての役割をすっかり忘れていたのが、徐々にその勘を取り戻していくのです。

これはたまたま悟りや非二元の話ですが、それが何であっても、同じことが言えますよね。

さぁ~て、でもときには心がいっぱいいっぱいになって、何でも良いから何かにすがりつきたくなるときもありますよね。そんなとき、私は心をスローダウンしてみます。ゆっくり、ゆっくり、ぐるぐる駆け回っている思いではなく、そこにある感情が感じられるまで。

そして、その感情をただ受け入れ、心細い涙が去って、心が静かになるまで待ってみます。

きっとインナー・グルから何かを感じ取ることができるでしょう♪

 

☆ ☆ ☆

北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー”

日程:2017年6月24日(土)
時間:10時~16時30分
場所:函館市亀田福祉センター
http://www.kame-fuku.com/
費用:1万2千円
【詳細とお申し込みはこちらから】

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※東京と大阪の問い合わせ先、アドミン担当者が異なりますので、
ご質問等はそれぞれの問い合わせ先へお願いいたします。

脳至上主義を超えて♪ 

イギリスのハリー王子が、最近デイリー・テレグラフ紙に母であるダイアナ妃が亡くなったとき、すべての感情を消してしまったと語っています。そのため、その後20年間とても苦しんだそうですが、2年ほど前からカウンセリングを受けることで、ようやく苦しみから抜け出してきたとのことです。

また、近いうちに「All THE RAGE」という映画が上映されます。これは、抑圧された感情が体にどんな影響があるのか、腰痛治療で有名なサーノ博士を中心としたドキュメンタリーです。

さて、心の問題に戻ると、鬱をはじめ、多くの心の病と言われるものが、きちんと表に出されない感情や認知の歪み(ネガティブなビリーフやセルフイメージなど)にあることは、セラピーの世界では周知の通りです。

ですが、たとえばある公共の医療団体のサイトには、うつ病に対して下記のようにあります。

うつ病など気分障害は近年患者数が増加しており、自殺の主要原因となるなど、その社会負担は重い。病態が未だ不明で客観的診断法もなく、治療法も十分ではない。本プロジェクトでは、脳の異常部位の同定およびそれに基づく客観的診断法の開発を行うとともに、うつ病動物モデル系や神経—グリア相関、特にオリゴデンドロサイトなど脳細胞レベルのモデル系の解析を通してより副作用の少ない治療法の開発を目指す。

つまり、鬱など心の病は、脳の中に答えがあるはずだということです。

自我の世界観は基本的に物質主義ですね。自分(体)がいて、他の人(体)がいて、それらは分離していて、その体に個別の意識がそれぞれついている。そして、その意識は脳が生み出している・・・という世界観です。

ですが、科学では脳が意識や感情、思いを生み出しているということは、まったく証明されていないんですね。

この脳と意識の関係はハードプロブレムと呼ばれ、多くの科学者たちを悩ませているわけです。脳のある部分が感情と深い関係があることは認められていても、実際に感情を生み出しているのかどうかは分からないんです。

ところが、もう十年以上前から量子学の分野やブルース・リプトン博士のような先駆的な多くの科学者から、もしかすると、脳は受信機のような役割をしているのではないか?という実験結果が出されています。

これは実は、空(=純粋意識)が本質であるという非二元とも非常にマッチするんですね。また、ユングの集合意識という考えにもぴったんこです。そして、セラピーの現場ともすご~く合います。

つまり、意識(量子フィールド=純粋意識)が先にすでにあり、体が後なのではないか?

物質によって世界が構成されているのではなく、純粋意識といったものが存在の根本なのではないか?という考えです。

例えば、「量子論の父」と呼ばれる、ノーベル賞物理学者のマックス・プランクも下記のように言っています。

“素粒子を振動させ、この最も微小な素粒子で太陽系を成り立たせているフォースから、すべての物質は誕生し、存在している。 このフォースの背景に、ある知性的なマインドの存在があると推測しないわけにはいかない。このマインドこそがすべてのものをつなぐマトリックスなのである。” 

彼が言っている「マインド=マトリックス」とは、非二元の言葉では、気づいている意識、純粋意識、全体、空・・・etcです。

で、ここにあらゆる感情、思い、記憶が蓄積されていて(脳ではなく)、脳はその情報を受信しているレシーバーだということです。

エックハルト・トーレのいう人類のペインボディやユングの集合意識のように、人類の記憶、感情、思いなどが情報として貯蓄されている。そしてまた、個人のローカルフィールドというものがあり、そこにその人固有の記憶、感情、思いなどが保存されていて、脳はそこへアクセスしたり、受信したりしている・・・ということです。(そして、実は脳だけではなく、心臓も by Heartmath Institute)

これは、私が普段使っているEFTやマトリックス・リインプリンティングのベースとなっている考えですが、とりあえず効果が非常に高いんです。

やはり真実をベースにしたものは、自然の法則に沿っているから効果がでるのではないか?とざっくり思っていたりします。

つまり、正常な脳が正常な感情を生み出す~のではなくて、正常な心の状態が正常な脳の機能を促すという逆転の発想でないと、鬱にしろ、そのメカニズムは解明されないのでは?と思うのです。

では、正常な心の状態とはどういうことなのでしょう?

反対に正常ではない心の状態から考えてみると、たとえば、悲しいなら悲しいと、きちんと悲しみが表に出されずに押さえつけられてしまったり、仕事上のことで実はものすごく焦っているにもかかわらず、まったく気づかずに放置され、焦りの緊張がずっと続いたり。

または、ありのままの自分(=自然体の自分)をダメな私、弱い私、できない私などなどと否定したり、またはトラウマ時に起きるように感情をフリーズさせたりした状態が続いているということです。

アメリカでは、過去に17,000人を対象に心の状態と身体の症状の関係をリサーチした研究があり、広く知られています。(Adverse Childhood Experiencesで検索すると見つかります)

実際この業界にいて、複雑に抑圧された感情や思いを解放していくことで、様々な体の症状や心の問題が解消されていくのを山ほど見てきました。

このように、心の病を物質主義的な観点ではなく、意識というフィールドの観点から見ると、私たちが注目しなければいけないのは、脳よりも心の状態だと思うのです。

宣伝になってしまいますが、OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、まさにこれをやっているんですね。

現在の心の状態を探り、心のなかにある抑圧や否定などを解除していくのです。すると、そこに再び生命のエネルギーが流れだし、健康な感覚、正常に戻った感覚、生きる感覚が蘇ってくるのです。

そもそも私たちは、本来その生命エネルギーそのものだから、現在どれだけ心がどんよりしていたとしても、すべての人がそこに帰れるはずですね♪

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北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー”

日程:2017年6月24日(土)
時間:10時~16時30分
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