好かれる自分になるという幻想♪

ときどきセミナーで、“隣の人の自分に対する思い込みを推測してみてください”というのをやります。だいたい、皆さん笑って“皆目見当がつかない”とおっしゃいます。

ですが、“自分はどう思われているのか?”というのは、自我の大きな関心事ですよね。

なので、例えば「自分は頭が悪い」と思い込んでいたら、周囲にそう思われないように頑張ったりするでしょう。

そういう意味で、自我は基本的に自分はできているか? 自分はそつがないか? 成功しているように見えているか?などなど年中自分のことを気にしています。

でも、そもそもなぜ私たちは自分のことや周囲の目をそんなに気にするのでしょうか?

インテグレイテッド心理学でもいつも話していますが、それは「良い自分」でないと生き残り率が下がってしまう(と思っている)からですね。

ダメな自分は周囲から受け入れられない→一人ぼっちになる→食べて行けない。

役に立たない自分は価値がない→価値がない自分は生きる意味がない→死んだほうがまし

というように。

なので、試しに“もし、どんなにダメダメな自分、ブサイクで、能力がなくて、誰の役にも立たない自分でも、周囲が温かくて完全に受け入れてくれて、生き残りが100%保障されているとしたら、ダメな自分はどれぐらい気になりますか?”と聞くと、たいていの人は別に大丈夫と答えてくれます。

またもし、どんな自分でも周囲に受け入れてもらえたら、良い自分、能力がある自分になるために頑張りますか?と尋ねると、これまた多くの人が首を横に振ります。

ほとんどの私たちにとっては、頑張らないでそのままの自分でいるのがなんといっても楽ですよね。

でも、現実といえば、頑張らないと受け入れてもらえない気がバンバンにするわけです。

なので、生き残り率を上げるために、なるべく「良い私」「優しい私」「能力がある私」「なにかひとつ秀でたものがある私」・・・・・などと、その人によってどんな私かは分かりませんが、そういった私であることが必要なように感じるわけです。

では話を最初に戻して、隣に座っている人は、自分が一体何を思い込んでいるかさっぱり分かりません。

で、恥ずかしいなぁと思いながら、“私は、自分のことを頭が悪いと思っていて、だから会社でもすごく頑張らないといけないと思っているんです”と告白したら、隣の人はただ、“へえ~~”というしかいないでしょう。

隣の人にとって大切なのは、実はその人が頭が悪いかどうかよりも、その人が自分に親切かどうか、自分にフレンドリーかどうかだけであったりするんですね。

で、自分に優しくしてくれてさえいれば、その人がどんな思い込みを持っていようが、どのみち知らないし、どうでも良いのです。

つまり、私たちは「~~~な私になれれば、周囲の人に受け入れられるようになるはずだ!」と頑張っているのですが、周囲の人にとっては意外にどうでも良いことなんですね。

もちろん、クライアントさんの中には“でも、上司にお前頭悪すぎて、一緒に仕事していて疲れる”って言われたし、他の人からも言われたこともあります。思い込みではありません~~”と、“証拠”を持ち出してくる方もいらっしゃいます。

でも、ブーッ。

証拠にはなりません。相手が頭悪いかどうかに関係なく、そんなことを言う人はどこにでもいます。100歩譲って、上司がほんとうに「頭が悪い」と思って言ったとしても、それは上司の解釈です。そして上司は神様ではありません。

もし「頭が悪い」という思い込みを持っていない人がそう言われたら、それはただの悪態に過ぎないか、もしくは“あんたに言われたくないし、こっちのほうこそ疲れる”と思ったりするかもしれません。

つまり、自分がそれらを証拠にしてしまっているだけです。なぜなら、自分がそう信じているから。

私たちの「思い込み」は年中証拠集めをしていて、無意識の中で“ほらね、やっぱりね”とつぶやき続けているんです。

OADセッションでやっていることは、もちろん例えば「頭が悪い私」を「頭が良い私」にすることでもなければ、思い込みを変える(ビリーフチェンジ)ことでもありません。「頭が悪いと思い込んでいる私」とクライアントさんが対話することで、その幻想性に気づいていくことなんです。

つまり、OADでいう「対話」とは、セラピストとクライアントの対話ではなく、クライアントさんとクライアントさんのインナーチャイルドとの対話です。(この対話を深いところに導いていくのがセラピストのサポートです)

インナーチャイルドというと幼い自分をイメージするかと思いますが、例えばマトリックス・リインプリンティング(MR)をやっていると、過去生が出てきたり、チャイルドでもなんでもない私もたくさん出てきます。

MRではそれらをエコー(量子フィールドにホログラムとして存在している自分)と呼んでいます。つまり、「頭が悪い私」があたかも実体があるかのように存在しているんですね。ワークをしてみるとすぐに分かりますが、このエコーには人格があり、なかなか自分の思い通りにはなりません。

でも、タッピングをしながら感情を解放し、問いかけて対話していくことで、頭が悪いと思ってしまった誤解や思い込みが溶けていくんです。

そして、その幻想性が溶けた先は、新しいポジティブなビリーフではなく(それもあっても良いのですが)真実そのもの、純粋意識しかありません。

「私は頭が悪い人だ」と、その思いに強固に同化して、その思い込みに基づいた人生を生きるという膨大なエネルギーが溶けるには、多少時間がかかるでしょう。

でも、真摯に正直に向き合えば、そのプロセスも素晴らしく、愛おしいものです。そのうちプロセスとゴールという時間軸も消え、どんな自分もすでに癒しのネエルギーの中にいることが見えてくるでしょう。

そのエネルギーが、私たちの本質、無限に開かれた気づいている意識(オープン・アウェアネス)なんです。

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鬱とノンデュアリティ

ほんとそうなんですよね~。って、何がと言うと、いきなり引用から始めちゃいます。

「唯物論は、意識を脳の働きに還元してしまった。意識は脳のはたらきの随伴現象に過ぎず、脳は意識に介入されずに機能できる物理・化学的機構とされる。」(禅と心理学:鈴木大拙)

例えば、鬱の具体的な治療法は薬物療法であるように、現代医学では心の問題も「脳」という臓器の問題に還元してしまっています。

なので、本屋さんで鬱に関する医師によって書かれた本を開くと、どれもこれも「休むこと」と「薬物療法」という ほぼ二つしか書かれていません。

でも、ここでいつも疑問が浮かぶのが、心の問題をほんとうに脳だけに還元してしまって良いのか?です。

なんか違う・・・と思う人もけっこういるかもしれません。で、薬物療法をなんとか避けたいと思って、医師以外の人が書いたものを探す人も多いでしょう。それらの本は、おおまかに分けると、しくみを詳しく書いているもの(でも、解決方法があまり書いていない)と提案型のもの(こんなふうに考えよう、こんなことをしてみよう・・・)が多いように思えます。

では、これらの解決方法はほんとうに効果があるのでしょうか? 効果があった人ももちろんいるでしょうが、あんまり役に立っていないのでは?というのが正直現場の感覚です。おそらくそれは医療の現場でも同じでしょう。

医師の中には、重度の精神障害は治らないもので、薬でなんとかコントロールしていくだけだと信じている人もいるというか、実際にそう話していました。

とりあえず画期的な薬が開発されれば、または、脳のしくみがもっと見えてきたら、治療も進むかもしれない・・という「脳中心主義」的な考えが主流です。

じゃぁ、カウンセリングの方はというと「考え方や行動」を変えるという発想が主流ですね。

前にどこかで鬱から抜け出すには、「自分のやりたいことを見つけること」みたいなことを見かけましたが、それができる人は明らかにそもそも鬱じゃないですよね。これは極端な例ですが、鬱の人が少なくとも考え方を変えようとか、何かしないといけない提案がほとんどです。

どちらにしても、脳かもしくは考え方や行動といった、何かを変えて鬱という状態を変えるという発想ですね。

でも、ここでスルーされているのが、鈴木大拙が言っている「本質」なんです。話がとっても長くなるので省きますが、本質をベースに考えると、これは逆転してくるはずです。

つまり、「本質→心の状態→脳の機能&考え方や行動」という順番。

私たちの本質である「ありのまま」がなんらかの心の状態で抑圧されたり、遮断されたり、乱されると、それが脳に影響していく、または考え方や行動に現れる、というパラダイムです。

となれば、鬱というのは悪いものというより、本質が隠れていますよ~というサインです。ですから抗鬱剤などは、ある意味警報器の音がしないように抑えているようなもので、根本の解決にはならないはずです。

鈴木大拙は、私たちが意識を脳の機能に還元し、「見える」という対象にしやすいものだけを追求することで、「本質」というものが科学者だけではなく、一般人からも遠いものになってしまった。その結果、

「現代人は絶え間なく不安感にさいなまされ、なによりも悪いことにその原因がどこにあるかもわからない。これこそは、万人が生の知性化に対して支払っている代価である」

とも言っています。ほんとうにその通り。これはインテグレイテッド心理学で話をしていることそのまんま同じです。

本質の私を完全に見過ごしているために、思考にガッツリ同化してしまい、不安や苦しみまみれになってしまう。でも、思考に同化していない私なんて意味がまず分からない。

例えば、鬱は英語ではdepressionと言いますが、直訳すると「下に抑える、押し下がる」という意味です。

つまり、私たちの本質である自然な流れが下降に抑えられている状態を言っているんですね。生命の流れが下降に抑圧され、いきいきとした上向きの流れに戻れていないんです。

ではなぜ、その人のエネルギーは抑圧されているのだろう? なにが生き生きとしたエネルギーを阻害しているのだろう?と見ていくために、大切なのが、その人の心の状態を丁寧に深く紐解いていくことなんです。

心の状態とは、まじめな性格だとか、または考え方がネガティブだからとか、そういったことではまったくありません。

例えば、咳が止まらないという症状で病院へ行った場合、レントゲンやスキャンなどで実際に肺の状態を見るまでは、どれだけ咳にまつわる話を聞いたところで、医師も患者さんも体の中の状態は分からないわけです。

ここで言う心の状態も同じで、いつ頃から鬱になって、どんな感じで、職場や家庭ではどんなふうで・・・などなどストーリーを聞いただけでは、心の状態はまったく分かりません。

なので、OADでは「気づきの問いかけ」という特殊な問いかけ法とセラピーを用いて、もっと心の深い部分、自然なエネルギーの流れを止めているものを紐解いていくんです。

なぜ「紐解く」というのかというと、多くの場合、ビリーフや未消化の感情、抵抗や乖離といったパッケージになっているため、一つ一つ紐解いていくからなんですね。

そして紐解いていくベースはとにかく「受容」。無条件の受容とは、本質が持っている性質であって、その癒しのパワーを借りるのです。その受容のスペースの中で、本人の気づきによって勘違いがほどかれていくように対話をしていく。

最終的に私たちを真に癒してくれるものは、薬や考え方や行動を変えるという努力ではなく、真実でしょう。

なので、医学も心理学もほんとうは「私たちの本質」という真実に基づいていくほうが、もっと多くの人を救えるだろうと思うのです。

ということで、久しぶりにノンデュアリティと癒しのカフェを来月開催しま~す♪

☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆

キャンセル待ち受付中

日程:11月19日(日)14時から17時
場所:CTW表参道 少人数です♪
http://www.cultureomotesando.com/access-map/
参加費:5000円
申し込フォーム:https://www.form-answer.com/applications/PBNRE

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OAD心理セラピスト養成講座の時期募集は、サイトリニューアルにつき、10月18日頃を予定しております。

5歳の私~二極の先にあるもの~

「二極を超える」「二極を統合する」といった言葉がスピリチュアルな世界で書かれているのをときどき目にします。例えば、光と闇、男性性と女性性、善と悪の統合などなど。

ただ、これらは思考がレッテルを貼っているだけなので、思考のレッテルを外してしまえば、二極はたちまち消えてしまいます。

どこからが光でどこから闇が始まるのか? なにが男性性で、なにが女性性なのか、または何が善で何が悪なのか?これらは定義づけないと区別できませんね。

ですので、そもそも二極というのは現実にあるのではなく、思考の解釈であって、レッテルも定義も思考をはがした世界は、ただ無言にあらゆるものがあるがままにあるだけです。

と、今日はそんなしくみチックな話がしたいのではなく、もっと生身のお話し。つまり、自分の中にしっかり生きている二極について。

私たちは育った環境や経験、社会の刷り込みなどいろいろなところから、自分や自分の中にある思い、感情を善と悪、良い悪い、ネガティブ、ポジティブと二極に分け、これはあって良いものとこれはあってはいけないものとやりますよね。

例えば、優しい思い(善)は持って良いけど、嫉妬心(悪)は持ってはいけない。または、友人を裏切った自分(悪い)は存在するべきではなくて、人の役に立っている私(良い)は存在しても良いとか。

自分で悪と判断したものは、どうしても悪いようにしか見えず、自分の中で善と悪をなかなか統合できない、または自分をまるごと愛することが難しいと感じている人も多いでしょう。

私はセッション(現在、個人セッションはお休み)や自己ワークでも、フォーカシングというツールを年中使っています。とってもシンプルなツールにも関わらず、ものすごく深く、私に多くのことを教えてくれました。

フォーカシングの講座をはじめに受けたのは10年以上も前、ロンドン北部にある仏教センターでした。講座当日、会場の受付にはフォーカシング関連の本がいくつも販売されていて、その中で私の目を引いたのが、「Radical Acceptance」という本でした。

「過激な受け入れ・・・」私はその「radical」という言葉に深いショックを受けたのです。

それはどんなものでも受け入れるということ、うそっこなしにほんと~~にぜんぶ受け入れる、例外なしにとにかく受け入れることを意味していました。

つまり、それは善と悪、良い悪いという対立パラダイムが崩れてしまうことを意味し、なんだかんだといって、ネガティブな思いは悪いもので、それはなくすもの、変えるべきものと思っていた世界観が揺るがされてしまったのです。

しかも、私にとってフォーカシングがさらに過激だったのは、それらの思いに“こんにちは!”とあいさつしたまま、「何もしない」ということでした。

何もしない!癒すとか変えるとか、何もしない!ただ、それとともにあるだけ、終わり。

嫌なもの=敵=どうにかしてなくす、という深い刷り込みがあった私は、この「何もしない」というスペースに戸惑いながらも、同時にものすごい心地よさを感じたものです。

それ以来、許せない自分、恥じていた自分、誰がどう見ても悪い(と思っていた)自分とたくさんフォーカシングで向き合ってみたのです。

フォーカシングとは、超乱暴にまとめると、頭にテーマを浮かべて、体に感じる感覚(フェルトセンス)に寄り添っていくものです。

私は過去の決して許せない自分の出来事を頭に浮かべ、罪悪感の涙や自分を責める声にただ寄り添っていきました。すると、だんだんそこに寂しさ、恐れといった別の感情が顔をだしてきたのです。

寂しさに口があったらなんというだろう? そういった言葉だけ感覚に寄り添いながら、感覚と対話していくと、“気づいて欲しかった”、“頼るものがなくて怖い”といった、震えている声たちが聞こえてくるのです。

そしてその震えている声は、いつもなんだか5歳ぐらいなんです。それは何度やっても同じで、必ず最終的に5歳ぐらいの自分と出会うのです。

許せない、恥ずべき自分の下には、いつも認めて欲しかった、振り向いて欲しい、理解して欲しかったというかわいい声しかなかったのです。

またときには、何も感じないということもありました。あれだけ辛いはずだったのに、その出来事を思い浮かべても何も感じない。でも、そこに寄り添うと、感じないことで、また傷つかないように自分を守ってくれている声が聞こえてきます。

またときには、いつまでもいつまでも相手に対して怒っている声。その声と対話すると、“怒りを手放すと相手が正しいことになって、私の気持ちは無視される”という声。

それらの下にもやっぱり“どうしたら良いのか分からない”、“私はここにいるの、ちゃんと見て”といった5歳ぐらいの子の声。

自分の中で善と悪に分かれていた二極は、この5歳の自分との出会いで、どんどん薄れていきました。

二極の統合と言うけれど、結局そこにあるものは、愛を求める声か、愛で自分を守る声ばかり。

それまで、自分を愛するって難しい~~と思っていましたが、それは思考でダメと判断した上で、「そんなダメな私も愛します」みたいな、ほぼ不可能なチャレンジをしていたからだったのです。

フォーカシングが教えてくれたのは、思いではなくて「感覚・感情」にただ寄り添っていくこと。“何もしない”という無条件の受け入れが、癒しへと自ずと導いてくれることでした。

そして、私にとって後から大きなボーナスだったと分かったのは、感覚に寄り添っているようで、実は気づきの意識に限りなく寄り添っていたのだということです。

さて、そんなフォーカシングloveな私ではありますが、フォーカシングだけでは、5歳の子にいろいろと残ってしまうことも見えてきました。

そこで、次に出会ったのがマトリックス・リインプリンティングです。これによって、体感覚との対話から、マトリックスの世界へと一気に癒しの可能性が広がったのです。

話を戻して、スピリチュアルや悟りのメッセージは、自分の中にそれを落とし込んで本当にその意味が見えてくるでしょう。

ということで、毎回毎回同じメッセージ♪ 自分の中へダイブイン!

 

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癒しの黒天使~と本当の幸せがあるところ♪

ときどき、半年以内には自分を癒したいんです~といったような、癒し計画を伝えてくる方がいます。

早く癒したいという気持ちはもちろんよく分かりますが、癒しは自分が望む時間や計画通りに進められるものでは決してありませんよね。

なぜなら癒しとは、始めてみないとそこに何があるか、何にぶつかるのかまったく分からない未知の旅だからです。

ですが、「今の自分は苦しくてダメ」、「癒された自分になってやっと自分が望む人生が始まる」みたいな思いが根底にあったり、まだ苦しいということを悪いことだと見て、早くそれを終わらせなければ・・・と思っていると、癒し計画を立てたくなってしまうかもしれません。

または、癒しも努力次第でどうにかなるもので、ワークをすればするほど、右肩上がりの曲線を描いて癒されていくはずだ、だから一年後にはもっと素敵な自分になっているはず・・・という漠然としたイメージを持っている人も多いでしょう。

ですが、たいていの場合、そんな自分のイメージやスケジュール通りにはいかないものです。そもそもイメージもスケジュールもなんの根拠もなく、自分が勝手に描いたものですから。

しかし、その自分が勝手に描いたイメージと時間通りに癒しが進んでいないと、イメージが間違っていると思わずに、私たちは自分がうまくやれなかったのだと思ってしまいがちです。

で、 “こんなに癒したのにまだ・・・・”とか、“私は癒しの落第者だ・・・・”とか、絶望やフラストレーションまるけになったり。

でも、前回も書きましたが、魔境(癒された私)がどんなに幸せを約束しているように見えても、苦しんでいるのなら描いた理想が幻想だということです。

これは何も癒しに限らず、人生に関しても私たちは同じことをやるでしょう。

30歳までに結婚して、35歳までに子供を2人産んで・・・・・といったものや、または、60歳になったら定年退職をして、貯金が~~ぐらいあって、~~をする・・・といったもの。

明日にならないと一体何があるのか分からないという真実を忘れ、すべてスムースに行くことを前提に自分の未来計画を立て、その通りに行くことを無意識に期待したりするものです。

つまり、「ある理想の形」を描いて、それが得られたら幸せ、そうじゃなければ不幸みたいな分かりやすい幸せの求め方をしてしまいますね。

私の思考もそういったストーリーをよく描き、しばらくその未来計画に浸った後、はたと気づき、一人で照れ笑いしています。

基本、自我は理想の形を得ることへの欲求が非常に強いんですね。

つまり、自我は結果のなかに幸せがあると強く思い込んでいるということです。

でも、それは本当にそうなのでしょうか?

突然ですが、母を訪ねて三千里のマルコの話(知らない方はググってください)を考えてみた場合、結果主義的に行けば、マルコはお母さんに会えたら、やっと幸せが手に入るわけです。

それまでは苦しみの連続で幸せなどもちろんないし、苦しいばかりだと。できるだけ苦しくないほうが良いから、旅は早く終わったほうが良いし、計画通りに行くほうが良い。

では、もしマルコがお母さんを3か月後には見つけて、一緒にイタリアに戻るというスケジュールを立てたとします。

たぶん、そんなマルコを当時の人は見て、“旅に出ないと一体どんな状況が待っているか分からないだろう。天候だって分からないのだし・・・”と思うはずです。

基本、癒しも人生もまったく同じですよね。たいてい計画通りにはいかない。

ですが、万が一、天候もずっと晴れで、航海もスムースに行き、困ったときには有益な情報を持った善良な人たちに常に助けてもらえ、3か月後に無事お母さんと再会できたとします。

どうでしょう?

とにかくお母さんとまた会えたからハッピー?

実際は、マルコは様々な経験や困難などに途中出会っていくわけですね。

じゃぁ、その旅をしている最中のマルコはただ苦しくて不幸せな人?

様々な経験を通して、生きる知恵を得て、人間や世界への洞察を深め、旅に出かける前とは比べ物にならないぐらい人間的には成長しても、お母さんに会えるまではやっぱり不幸な人?

なんらかの結果を得ることに幸せがあると思っている限り、私たちは常に結果に振り回され続けるでしょう。幸せを手に入れたり、失ったり。

でも、自分や世界や人間というものを深く理解していく先にあるものは、本質という真実です。

本質とは、結果を得る得ないを超えた真の幸せがある場所ですね。

でも、「理想の形を得る」という幻想にはまっている限り、それは見過ごされ続けてしまうでしょう。

と、考えると、苦しみとはある意味「幻想」を打ち破るためにやってくる黒天使かもしれません。光をかかげてくる天使がいる一方で、苦しみというダークなエネルギーで「理想の結果」、「早く良い結果を得る」という幻想から私たちを目覚めさせる。

自分が求めているものがなかなか手に入らない、ままならない状況の中でもがき苦しむという黒天使が訪れて初めて私たちは、否応なしに今に立ち返って、自分の中を見ていくしかなくなります。

そして、自分の中を見ていくことで、自分とは何か?を知り、そしてその先にある自己の本質に目覚める。

常にあって、決して失うことのないもの。深い所で一番求めていたものへ目覚め、そのとき黒天使はほんとうは光の天使だったと私たちは知るのでしょう。

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理想という名の魔境♪

自我にとって一瞥体験は非常にインパクトが大きくて、どうしてもあの体験をもう一度~!状態に陥るものです。

私もしばらくかなり深くはまっていました。当時、“それはただの体験に過ぎない”と言われたら、たぶん猛烈に反発してしまったでしょう。

私は真実を見たのだ!という思いが強すぎたのです。でも、問題は、そのために苦しんでいるという事実。

幸いなことに心はがっかりしてしまいましたが、非二元のティーチャー達に一瞥体験にしがみつくことは大きな間違いだと教わり、早めのうちに一瞥体験教から目覚めることができました。

何にしても求めるということは、どうしても苦しみを生み出します。

しかし、これは何も一瞥体験した人だけの特有のパターンではなく、日常を振り返ってみると、私たちは常に深いところで何かを求める衝動がカラカラと走っているものです。

私自身も自分をちょっと振り返れば、基本的にいつもより満足できるほう、良い気持ちになれるものを求めているなぁとつくづく思います。

悪いことだと言っているのではまったくありません。何が良いか悪いのかではなく、たんに自我のしくみというか性質のお話です。

自我とうまく付き合っていくために、その性質をよく理解していたほうが、悩みや苦しみが減りますよね。

とりあえず、ある意味当たり前すぎて、多くの人がその衝動に無意識ですが、無意識であるがために、人生を軽く振り回さすぐらいの多いなエネルギーになってしまいます。

自我とは言ってみれば、エネルギー体ですね。思いも感情、感覚、体も常に変化している流動体です。

そういう意味で人をエネルギーの流れとして見るインドや中国の医学は、人を肉の塊とみる西欧医学よりも、やっぱり本質をついているなぁと思います。

で、そのエネルギー体が衝動のエネルギーとして稼働している場合、そのエネルギーが大きければ大きいほど、それに反比例して“今”が空っぽになります。

そうすると心が渇き、余計求めるというサイクルに。

例えば、ワークホリックの場合は、頭の中にワークリストが常に消えない。それを終わらせれば自分はリラックスできると思っているけど、実際終わると物足りなさ、落ち着きのなさを感じ、ゆっくり休むよりは、また仕事を始めてしまう。

ここである意味難しいのは、仕事をすることで喜びや満足感を得つづけるので、ほんとうは衝動、焦燥があることに気づきにくいことです。

と、ここまで読んで、自分は仕事楽しいと思ってやっているんだけど、本当は衝動のサイクルにはまっているの?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

それを見分ける方法は簡単です。常に疲れてきたら、そのサイクルにはまっているということです。

なんで分かるのか?というと、私がはまっているからです。へへ。

ただ、自分で言うのもなんですが、気づいているのと、まったく無意識であるのとでは雲泥の差があります。なぜなら気づいていれば、一度止まって振り返ることができるからです。

で、衝動のエネルギーをじっと感じて、なにがこのエネルギーを生んでいるのかを探ってみます。たいてい、不安や恐れです。

では、楽しんでいたはずのものがいつの間に恐れや不安になってしまうのでしょう? それは、もちろん人それぞれです。私の場合は、公私にわたっていろいろと責任が増えてからだなぁというのがよく分かります。

そこで今度は、その「公私にわたった責任感」というのを見てみます。ストーリー的にはもっともらしく、正論であり、守っていかなければいけないようにどうしても見えます。

家族のため、社員のため、~~のため・・・・みたいな。

でも、正しいストーリー、またはある理想的な形というのは、ある意味一番魔境で一番引きつけられてしまうものです。

生身の身近な人間が絡んでくるその幻想を見破るのは、かなり難しいものですね。とくに家族となれば、愛情もがっつり絡んできます。この子たちが自立するまでは・・・・・。親が退院するまでは・・・・。

今の状態が大変であるほど、気持ちはなんとか理想の形、または今より良い形へ持って行こうという衝動でいっぱいになるでしょう。

しかし、私自身を振り返っても、そういった衝動に基づいた行動は、どうしても無理があり、また人とぶつかることも多いなと思います。なぜなら、自分が思う理想の形へ周囲を引っ張っていこうとするので。

繰り返しますが、そういう意味でも、気づくことはとっても大きいことですね。サイクルを一旦中止させる。で、難しいけれども、自分が思う理想の形(魔境♪)は、実は実体のない絵空事であると見抜いていく。

衝動がもたらす望みというのは、衝動にとってはとっても必要に見えて、そして大変リアルなものです。でも、もしそのために苦しみがあるなら、やっぱり幻想にしがみついているということです。

苦しみとは、それが手に入っていないから苦しいのではなく、求めているものが幻想だから苦しいんですね。実体のないものにしがみついているから苦しんです。

じゃぁどうしたら良いのか?

それは今ここにないものではなく、今まさにあるものをよく見ていくこと。つまり、頭の中にしかないものを横に置いてみること。80%以上のストーリーは消えるはずです。

そしてできれば、苦しみのストーリーを生み出す、今まさに自分の心にあるものを見つめてみませんか?

“今”という実体へ少しづつシフトしていく。ほんと正気に戻れます(笑)。

 

☆☆☆ 衝動の下にあるもの ☆☆☆

さて、前々回、摂食障害について書きましたが、OADセッションを受けた方の素敵な感想文を頂きました。この感想文の素晴らしいことは、セラピストさんに頼るだけではなく、自らも普段から「衝動の声」に耳を傾けていらしたこと、良くなったり、戻ったりを繰り返しながらもあきらめずに向き合われてきたことです。衝動の下には何があったのでしょう? 宜しければぜひお読みください♪ →感想文

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“自分にやさしい介護者(ケアラー)になる”

幻想の終わりは生の始まり♪

生と死が幻想だって聞いたら、
自我は生きる意味を見出せなくなるかもしれない。

どんな風に生きたって良いってこと?
今自分が楽しいっていうことも幻想なんだよね、
今自分が苦しいっていうことも幻想だよね、
人を殺しても幻想なら良いってわけ?
どうせ幻想なら、今頑張っても頑張らなくても良いってことだよね?

じゃぁ・・・・、どうしたら良いの?

でも、ほんとうに生と死が幻想だと真に気づいたら、
そこに見えているのは、
すべてが祝福されているということ、

わぁ、そうだったんだ、わぁ・・・。
そして大きな安堵感

そして気づく、生に執着しないから、生を目いっぱい讃えることができるのだと。
そしてまた、生に執着していたから、人生は自分の思うような形でないといけなかったことを。

私が思う幸せが欲しい、
私が思う夢を叶えたい
良いことだけが起きてほしいと思う

そのために私はどうしたら良いの?
そのために私は何をすれば良いの?

生の執着から解放されたとき、
叶わなかった夢もいとおしく祝福されていて、
一瞬、一瞬、起きていること、
ただそれだけで素晴らしく、

あはは、ただそれだけ・・・・
“ただそれだけ”という言葉がどんなに優しいのか知らなかった
自我は笑いながら、やっと生の素晴らしさを知る

死を恐れないから、
未来よりも今が大切になる
今、何が大切かよく見えてくるだろう。

より良く生き延びるために、死ぬまで安泰に暮らせるように
今を生きるのではなく、
今、自分にとってかけがえのないものが見えてくる。
もう人生の祝福を見逃さない。

あなたが犯したと思っている罪も
あなたが抱いている絶望も
あがいてもあがいても這い上がれないような暗闇も
すべてがこの瞬間に切なくも愛おしく、
祝福され、受容されている

だから、自分が自分を否定している重さ、痛さ、締め付けが
苦しみのストーリーを生み出していることがことさら見える
そして、自分を締め付ける手をそっと緩める

生と死が幻想であると分かって、
初めて自我は生を祝福できるのだろう♪

 

自分自身のユニークな人生の歌を聴きたい場合、それは“こうありたい”、“こうだったら良いのに”、“こうならないといけない”、“こういう自分でないと”・・・・と、ありたい状況、こうありたい自分になろうとする声ではなくて、もっと静かな部分に意識を向けてみませんか?

思いや言葉ばかりに気を取られている自我は、「静か=ない→何もない」と思ってしまうでしょう。でも、その静かな部分があなたの本質で、そしてあなたのユニークな人生を常にともにしている意識。純粋意識。空。

そして、言葉ではなくて、自分が最も良く知っている感覚、一番自分らしい感覚を探してみませんか?

その感覚から出てくる衝動、その感覚にマッチする思い、感情。それがあなたのユニークな人生の歌ですね。

たとえ今そこに悲しい歌が流れていたとしても、その自分らしい感覚が必ず癒しに導いてくれるはず。

あなたが流れるべきところへと連れて行ってくれるでしょう♪

 

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愛へと降参する

降参ということが本当に分かるまで、
自我は自分の過去の選択に悔やむだろう。
違う選択ができたはずだ、
私はもっとやれたはずなのに、

降参ということが本当に分かるまで、
自我は、将来への決断に緊張し続けるだろう。
先々で後悔しないように、
間違った決断をしてまずい状態に陥らないように、

でも、
自己の不在をほんとうに見抜いて、
そして、自分が何だったかを思い出したとき、
降参は静かに近寄ってくる。

降参は静かに、でも耐え切れないような恐れも運んでくるだろう
あなたは恐れの中にうずくまり、
死にたくないと何度も叫ぶ、

そしてふと気づく、
死にたくないと叫んでいるのは自我であることを
あぁ、死にたくないんだね
自分の夢、自分のストーリー、自分の愛するものを
手放したくないんだね。

そして再び気がつく
いつの間にか握り締めていたものがなくなって、
降参が自分をすっかり覆っていることを
降参と愛は同義語だったと知り、
一度死んだ自我はふたたび生まれ変わる。

でも、今度は生命が主役だと知り、
生命を信頼して、過去や未来よりもハートを求める
ハートの歌はいつも“いまここ”にしかなく、
その心地よさに酔いしれる。

自我(私たち)は、何かをして何かを得るという発想に深くはまっていますよね。そのため、降参によって愛を知ると聞くと、必死に降参しようとするかもしれません。でも、降参はするものではなくて、起きるものですね。

じゃぁ、ただボーッと待っていればいいの? 何もしないで普通に暮らしていて、突然来るの?と思うかもしれません。

自我の望みが悟りや真実についてくる“おまけ”や“おみやげ”である場合、例えば、ずっと平和な心の状態でいられる、苦しみが消える状態になる、特別な能力がつく状態などであったら、それは降参の真反対な動きになってしまいます。

私がこうなる、私の欲望、私の目的、私の・・・。自我は無意識にいつも今より良い状態を求めているので、単にそのパターンを繰り返し、強化することになるんです。

でも、自我の望みが純粋に“ただ真実を知りたい、なぜなら私は真実何なのか分からないから”であれば、自我は降参の方向へ向かっていくでしょう。

でも、自分の望みが、“ただ真実を知りたい”であっても、真実を知る、理解する、理解しようという方へ向かうとまた迷子になるでしょう。

なぜなら、自我は理解する、理解できた、分かったということに喜びを見出すからです。そしてまた、分かろうとする行為も“理解を得る”というgo and get(外に探して得る)といういつもの自我のパターンにはまっているだけだからです。

でも、“真実を知りたい”が、ただそこに留まって、今あるものを深く見ていく行為になれば、それは勘違いや思い込み、幻想を落としていく作業になるでしょう。

まずは自分に関わる様々な間違った思い込み(私は無能だ、私は汚い、私は罪深い・・・)を見つめ、そしてそこにまつわるストーリー(=ファンタジー)を見つめ、分厚い緊張のエネルギーを解体していきます。

こうやって外に向かっていた意識が内に向いて、自分の中のファンタジーが溶けていくと(自己の不在への目覚め)、同時に外の世界のファンタジーも薄まっていき、世界は自分が思っていたほど実体のあるものではなかったと気づくでしょう。

そして、だんだん降参が静かに忍び寄ってきて、ある日自我は生まれ変わり、真実の手の中に転げ込むのかもしれません。

そこではすべてが許され、受け入れられ、そして慈しまれていて、思考はすっかり頭を垂れる♪

 

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