現状が痛いと感じるとき

例えば、49歳で突然リストラされたお父さんが、家族にそれが言えなくて、毎日会社行くふりをして職探しをする・・・・、夫婦の間に子供が授からず、自分たちがほかの夫婦よりも何か欠けた家族、欠けた人生に思え、 “お子さんは?”という他人の何気ない質問に心の痛みを感じる、子供が不登校になってしまい、毎日の対応に心を砕きながら、将来に大きな不安を抱え、どこに相談したら良いか分からない・・・。

もちろん、人生には楽しいこともたくさんありますが、実に様々なことが起きて、それらのすべては私たちにとっては現実そのものですよね。

仏陀は人の人生にある苦しみを見て、真実を求める旅へと出かけたことはご存知の通りです。(あはは、なんて大雑把なまとめ方)

そして、これまたご存知の通り、それに対して仏陀が見つけた答えは、もちろん、そう「悟り」だったわけです。(これまた大雑把~)

ということで、大雑把なままインドの悟りつながりでラマナ・マハルシの言葉を引用させてください。英語の動画から見つけ、日本後に訳したものです。

世界は(個だと思っている)“私”が見ている投影であって、それは夢の世界が夢を見ている人の投影であるのとまったく同じだ。したがって、世界は内側に存在していて、実際、あなたが見ているすべてのものは、あなた自身の投影である。

あなたが投影をやめたとき、あなたは何かを外側にあるとか、内側にあるというように見なくなるだろう。あなたは単に自分の本質に気づくのみだ。しかしその瞬間まで、すべては自分の内側の投影であり、それは映画がスクリーンに投影されているのと同じである。すべてはあなたの頭のなかで起きていることなのだ。

私たちにとって、どこからどう見ても現実としか思えない人生を“すべては頭の中で起きていること”と言っているわけです。

ちなみに「奇跡のコース」もまったく同じことを言っています。そしてもちろん仏陀も。(ちなみにこれは、思考が現実を作るとはまったく違うものです)

悟りを違う言葉で「目覚め」とも言いますね。文字通り「私の人生」という夢から目覚めるという意味です。

でも、どうでしょうか? な~るほど~、夢だったか~と、夜見ていた夢のように簡単に目覚められるものでしょうか?

なかなか難しいですよね。

とはいえ、ものすごく遠いというわけでもないんです。

というのも、私たちがほんとうに“今”にあるとき、私たちは人生の夢から目覚めているからです。ちなみに“今”とは、過去、現在、未来の時系列の今ではありません。

“今”にあるとは、言い換えれば、気づいている意識にあるということと同じです。つまり、沸きあがる思いや感情、体の感覚、イメージや記憶など、つかめるものすべてを眺めている状態です。

このとき間違えやすいのは、自我が自我を眺めている状態になってしまうことです。自分自身をまるごと(自分がいるという感覚や体の感覚などすべて)を眺めてみるんです。

自分をまるごと眺めることができたとき、私たちはもう“頭の中”にはいませんね。沸いて来る思考はぜんぶ眺めるだけで一切信じないのがコツです。

さて、では、49歳のお父さんのケースに戻ってみましょう。明日の朝も仕事に行くふりをしなければいけません。(しなくても良いけど、この人の中ではそうなっている)

それはとてもリアルで、大きな苦しみ、プレッシャーとなっています。そこで、“今”にあってみたらどうなるでしょうか?

静かにあり続けていると、自分が必死にもがいている姿が見えてくるかもしれません。そしてまた、家族の顔や自分を解雇した会社や様々な思い、感情、イメージ、記憶なども。

いろいろなことが浮かんできて、いろいろなことがあったけど、今はもうそれはなくて、すべては流れ、去っていく。あのときの喜びも、あのときの心配も、今思い出しても苦しい後悔も、記憶の中以外どこにもない。

すべてが跡形もなく消えていくことに一抹の哀愁を感じながら、人生とは普段自分が感じているよりも、ずっとはかないものだと見えてくるかもしれません。

今の自分の苦しみもこんなふうに去っていく・・・。去っていく流れの中で必死にもがいていた自分。

はぁ、肩から力を抜いてみよう、この生命の流れに委ねてみよう(サレンダー)、どういう流れになるか分からないけど、生命を信じる以外に何ができよう。

そして、生命の大きな流れが感じられたとき、おそらく大切なことは、どうにかすることではなく、自分がどうあるかなんだなぁと気づくかもしれません。

この無限の生命のエネルギーとマッチするエネルギーが自分の中にあれば良いのだ。それは、決して緊張や恐れ、防衛や攻撃ではなく、柔軟さ、鋭さ、正直さ、オープンさ、潔さ、優しさ・・・などなど。

そうであれば、大海の中で翻弄されるのではなく大海によって導かれる。

起きていることへの抵抗がなくなって、あり方という自分の中の拠り所ができたとき、人生の様々な問題に不必要に苦しむ度合いがぐんと減るでしょう。

“不必要に”とは、私たちは出来事にストーリーを乗けまくって、苦しみを増幅させるのがとっても上手だからです。また、“減る”という謙遜した言い方をしているのは、自我はなんだかんだ言ってドラマから本当には抜け出せないからです。

でも、私たちが普段すっかり信じ込んでいる“現実”という名の夢にはまりきっているよりは、だいぶ立ち位置が違い、深呼吸ができるようになりますね。

ちなみに“頭の中で起こっていること”は、すべて外に投影されます。特に心の深層にある私たちが気づいていない思いほど、外に強く投影され、私たちはそれを事実だと思い込みます。

ラマナ・マハルシが言うように、ほとんどの人にとって世界は外ではなく、自分の内側にあるんです。

ということで、悟りの真実をベースにしたインテグレイテッド心理学を5月に開催します♪ 悟りベースと言っても、心理セラピストなのでやっぱり実践第一、見せ方も進化してきました。

投影のしくみを知って、自分の投影ワールドから一歩踏み出してみませんか?

 

★★★ インテグレイテッド心理学 ★★★

2019年5月25日(土)、26日(日)東京

自我の心のしくみを知って、人生の悩みをひも解いてみませんか?

講座の内容など詳細はこちら→☆

★★★ EFTプラクティショナー講座 ★★★

2019年4月27日(土)~29日(月)3日間

感情を知って、体験して、トラウマや心の悩みを解消♪

講師:EFTマスタートレーナー・溝口あゆか

詳細はこちら→JMET・EFT講座

★★★

ノンデュアリティと癒しのカフェ in 名古屋

非二元の本質について、自我の構造、苦しみのしくみ、デモカウンセリングなど

日程:2019年4月21日(日)
時間:10時半~16時半
場所:愛知学院大学名城キャンパス(2502、2503教室)
http://www.agu.ac.jp/project140/campus/access.html
参加費:8千円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/TMMFK

★★★

OAD心理セラピスト養成講座募集中(残席数名)

無意識のストーリーを解体するスキルを学びませんか?

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自分のことどれだけ気づける?知ってる?

IMG_0656この週末の土曜日は、ロンドンで開催されたEFT Scientific Symposium(EFT科学シンポジウム)に参加してきました♪

EFTなどセラピーはなかなか臨床試験に予算がつかないのですが、それでも大学や病院などで継続的な研究がなされています。

例えば、オーストラリアのボンヌ大学では、食べ物依存症の人たちを集め、EFTを受ける前と受けた後の脳の状態を調べ、その明らかな違いを脳の画像を見せながら発表をしてくれました。(被験者もEFTを受けた後、依存していた食べ物への欲求がでなくなった)

ワクワクものです♪・・・・という話から、ものすごく強引に自分の世界へ飛んじゃいます。

私がなぜEFTが好きか?というと、自我って何?と考えた場合、自我とは、「思い、感情(感覚)、体」の三位一体の存在ですね。

多くの現代人は、感情と体にあまり意識が行かず、ほとんど考えの中に没頭しているものです。

なので、どう感じましたか?とお聞きしても、裏切られたと感じました・・・など、感情ではなく、思いを答える方が非常に多いです。

そこで、裏切られてどう感じましたか?怒り?悲しみ?と聞いて、始めて感情を探す人も多いんです。

そして、その後、じゃぁその怒りは体のどこで感じましたか?と聞くと、セラピー慣れしている人でもない限り、沈黙が続くことがけっこうあります。

つまりどういうことかというと、私たちは自分自身への気づきがものすごく狭い範囲になってしまっているんです。ほぼ思考だけ。

しかも、私たちは普段、思考にも完全に同化しているため、自分がほんとうに何を考えているかも実はあまり気づいていません。

その同化した思考に強い感情、感覚(体感)があれば、私たちはすっかその思考に囚われ、するとさらに感情が膨らみ・・・と苦しさはエスカレートしていくでしょう。

しかしEFTをすると、自分の思い、感情、体の感覚のすべてに同時に意識を100%向けることができ、しかもタッピンをしているため、向き合っていて辛いとう感じがありません。

三位一体に一度に働きかける便利なツール♪

ちなみにいろいろなEFTがありますが、私はオリジナルを大切にしながら、アファメーションなどまったくせず、なるべくそこにあるものをシンプルにそのまま引き出すというやり方です。

体のツボが刺激されると、脳や自律神経に影響があるだけではなく、潜在意識の感情や思いが自然に上がってきます。最初は怒りだったのが、自然に悲しみが出てきて、すると自然にある記憶が出てきたり・・・。

つまり、長い間抑圧されていたものが表面上に出てくるんです。心の闇の中にあったものが光の当たるところに出てくる瞬間です。

自分自身がびっくりするような声、思い、自分がそこにいて、それが周囲に投影され、そこから思考が肥大化し・・・という膨大なストーリーが生み出しているんですね。

以前、仕事関係のある方とのやりとりで私は非常に不信感を抱いたことがありました。その人がろくに調べもしないで、高い請求をしてきたと感じてしまったのです。

怒りと恐れが沸き、すごくストレスを感じたので、EFTを使って自分を見つめてみたのです。(実際はOADをやりましたが、OADにタッピングは欠かせない)

とりあえず見えてきたことは、まず、最初は相手への異常な怒り、でもどんなに怒りをぶつけても、吐き出しても、受け入れても、怒りは一ミリも減りません。

タッピングをしながら見続けると、相手に対して絶対負けたくない自分、被害者になってやるもんか~~!!という自分がいました。

そこで、その自分にシフトしてタッピングを続けると、被害者になる自分なんて絶対許さないという強い思いがあり、その自分は怒りと悲しみをものすごく抱えていました。

なぜ被害者になってはいけないの?と尋ねると、“私の一番大切なものが奪われるから”という思いが沸き、そこから過去生らしきものが出てきたのです。

自分の子どもをなんらかの理由で奪われ、ものすごい怒りと無力感でいっぱいになっている自分でした。

でもこのとき、一番なるほど~と思ったのは、無力だった自分、被害者になってしまった自分を“力も智慧もないどうしようもない奴”と自分が自分を全力で否定し、そんな自分を私は一生許さないと決めていたことです。

被害者になったことが苦しみを生んでいるのではなく、自分が自分を否定し、許していなかったことが苦しみを生んでいたんです。

ややこしいですね。まとめます。

被害者の自分を忌み嫌っていた→被害者に絶対にならないように頑張る→被害者にされそうになると相手へ異常な怒りが出る→相手が悪い!!(投影)

という感じです。こうやって見れば、相手が悪い!!という怒りをどんなにタッピングしてもなくならないのは見えてくるかと思います。

一見ややこしい感じですが、私たちを真に苦しめるものは状況や状態ではなく、「自己否定」であるという真実に戻れば、シンプルでもあります。

また、自己否定とは言い換えれば、孤立と愛への拒否です。周囲とのつながりを失い、人の優しさにも気づけなくなります。

幼少の頃やましてや過去生の記憶など、通常私たちは持たないものです。ですが、このレベルから生まれている投影が私たちの日常を支配しているものです。

また、自分への気づきが増えるほど、逆に同化も外せていけます。

ということで長い前宣伝のようにもなりましたが、好きなものはやっぱり熱く語りたい♪

ということで、4月後半に久しぶりにEFTプラクティショナー講座をやります♪ 創始者のオリジナルを大切にしながらも、自我のしくみなどノンデュアリティ風味も加えつつやりたいと思います。

 

★★★ EFTプラクティショナー講座 ★★★

2019年4月27日(土)~29日(月)3日間

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思考をぐるぐるさせる正体~♪

One RepublicというバンドのStop and Stare(立ち止まって見つめる)という曲がありますが、ライアンが“ストップ、アンド、ステア~~~~ッ”と叫ぶたびに、私の頭はほんとうに止まります。(そういう歌じゃないけど)

誰かの言葉にすごく傷ついた、見に覚えのないことで責められて立場が悪くなった、うっかり要らないことを言ってしまった、夫に借金がばれた、子供が受験に失敗した・・・・。

とにかく人生、いろいろ起きますよね。

そんなとき、そのことで頭がいっぱいになって、思考ばかりがぐるぐると爆走し・・・。という経験は誰にでもあるでしょう。

でも、思考がぐるぐるしている、爆走していると意識できれているのはまだ良いほうで、私たちはたいてい思考にすっかり同化し、そこにどっぷりはまっているため、自分ではただ一生懸命解決方法を考えているだけだと思っていたりするものです。

実際はぐるぐる思考に全身全霊振り回されているのですが・・・。

ということで、問題だ~!と思ったときほど、一度止まって、今私どんな感じ?何が実際には起きていること?と見つめてみるのはいかがでしょうか?

すると、ものすごい感情の渦が見えてきて、それに合わせて、同じ思考が緊張と重量を伴いぐるぐるしているのが見えてくるはずです。

思考のぐるぐるは文字通り感情の渦によって起こされているんですね。ちなみにこの状態は交換神経が活発化してしまうため、不眠にもなりやすいです。

で、この思考のぐるぐるはネガティブな感情の渦に踊らされているので、冷静に考えているつもりでも、ネガティブなメガネですべてを捉えてしまいます。

つまり、状況や他者を歪んだ目で見てしまうんですね。

でも、これも私たちはあまり気づくことができず、歪んだ目で眺めた状況が事実だと思ってしまうものです。

ので、そこから生まれる解決方法もなんか歪んだものになってしまう・・・・。

ということで、思考ぐるぐるに気づけたら、その源である感情の渦を静かに見つめてみます。

ここでのポイントは、例えば怒りなら、怒っている、腹が立つ~とただ感じているということではなく、また、怒りの理由について考えることでもありません。

それよりも怒りの元(原因ではなく)を探しに行くことです。自分の中の満たされない何がこの怒りを生んでいるのだろう?と思考のない静かな心の空間の中で、ただ怒りの元を見つめてみる。

このとき大切なことは、分析や考えを「ストップ」させていることです。真っ白な白紙に怒りだけが浮かび上がっているような感じ。

すると怒りから言葉が見えてくるんですね。はじめは、“なぜお前はそうなんだ~!”みたいな相手への怒りの言葉かもしれません。(この時点では怒りの原因は相手だと思っている)

でも、大きなヒントは、怒りの言葉の主語が「私」になるまで見つめることなんです。

例えば、“私を馬鹿にしないで”、“私を無視しないで”、“私をおざなりにしないで”、または“無力な私なんて嫌だ!”、“私はもう終わりだ!”といったような声です。

満たされない声、恐れの声、自分を否定する声など。

これらの声はまだまだ表面的な声で、相手は馬鹿にしてもいなければ、無視してもいないかもしれません。また、無力でもなく、終わりでもないはずです。ただ、自分のもっと深い心の傷がそう思わせているんですね。

ですが、とりあえずこの“私の声”を聞いてあげて、なにか心の傷か過去の経験があるからこういう叫びが私の中にあるんだなぁと受け止めてあげます。(←自己受容=自己愛)

これだけでも、だいぶ感情が落ち着き、感情の渦で歪んで見えていた事実とは、まったく違う事実が見え始めてきます。

このときに解決の武器を私は持ち出します。それは・・・、

じゃん♪

“一番愛のない場所はどこ?”という問いです。

私たちが問題だと感じるとき、当然その状況や他者を否定した目で見ています。でも、先ほども書きましたが、否定(=恐れ、分離)の目からは、良い解決策が生まれることはほとんどなく、やはり解決するなら愛を味方につけたい

ということで、私は何を一番否定しているのだろう? 自分のこと?他者?それとも出来事?

そして、そこにどうやったら愛(受容、理解)をもたらせるだろう?と自分に問いかけます。

感情の渦が高いうちにこの問いをしても、ネガティブな感情のエネルギーにとても太刀打ちできません。愛なんていらな~~い!!うるさい!!と跳ねのけられるのがおちです。(←経験者)

さて、この愛をもたらす作業は実はそれほど簡単ではありません。否定している理由が心の深いところにある場合、まずはそこに光を当てないといけないからです。

が、たいてい深いところにありすぎて、自分ではなかなか気づけないんですね。

それでも、静かな空間の中でじっと見つめて、愛をもたらそう、愛を探そうとしているだけでも、実は私たちは愛をすでに味方につけているんです。

ちなみに愛をもたらすとは、例えば、無力な自分を否定しているとしたら、その自分を受容する、理解するなどです。(他者や出来事だったら、やはり主語が私になるまで見つめる)

こうやって書いていると、長い作業に聞こえるかもしれませんが、寝る前の5分、10分でもできちゃいます。または朝一人早く起きたときにコーヒーを飲みながらでも。いつでも。

そして、どうしても愛より否定のほうが勝ってしまっていても、最低自分が愛へ向かって歩もうとしていることを認めてあげたいですね♪

さ~て、春は名古屋に行きます! そちら方面の皆様、ぜひお会いいたしましょう♪

 

★★★

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実在しないものに反応する脳~心の風景と鬱~

先週末はOAD心理セラピスト養成講座で、複雑性トラウマ(愛着障害)と鬱のしくみとセラピーでどう対応するのかという講座を行いました。

自分は特にトラウマはない、鬱にはならないと思っている方でも一度は知って欲しい、トラウマや鬱のしくみ。もちろん、すべてが解明されてたとはまだまったく言い難い状況ですが、それでも昨今の神経学や脳科学によってかなりしくみが明らかになってきたと思います。

癒しおたくとしてはめっちゃ興奮♪

こころ、神経、脳の状態がどう連動しているのか?という観点に非二元をさらに加え、気づきの意識(すべての人に浸透している)との関係。

私たちはほんとうにホリスティック(心、体、自己の本質、社会環境)な存在で、どれか一つだけ見ていても全体像は見えてこないなぁとつくづく思うのです。

とりあえず、ブログには心の観点だけちょっと書いてみますね。

米国スタンフォード大学の神経学の教授であるロバート・サポルスイキーは、目の前に敵が突然現れ、恐れとショックを感じるときと心の中で敵について考え、恐れているとき、脳はまったく同じ反応をすると鬱の講義で話しています。

例えば、大失恋をして心を癒そうとどこか景色の良いところにホリデーに行ったとします。目の前にはオーシャンビューが広がり、太陽が燦燦と照っている。

でももし、別れた相手のことが頭から離れず、“なぜなんだ・・”、 “あのときのあの私の言動がなければ・・・・”、“私は欲しいものが手に入らない人間だ”、“この先生きていて何の意味があるのだ”などと、繰り返し思考が沸いてきたとしたら。

皆さんも経験上お分かりですよね。あなたの体はオーシャンビューに反応していますか?それとも、別れた相手との記憶、そこに流れるストーリーに反応しているでしょうか?

ある意味、私たちの体(脳、自律神経)は、肉眼で捉えている現実よりも頭の中に流れているストーリーにもっと反応しているんですね。

頭の中のイメージは実際に存在しないけど、イメージそのものは存在しますね。では、イメージはどこに存在するのでしょう?、脳内?それとも意識のフィールド?と考えていくと、集合意識を含む量子フィールド、環境や人の感情、思いが遺伝子に影響を与えるというエピジェネティックの世界にも入っていきます。

ねっ、オタクが夢中になる理由が見えてきたでしょうか?

とりあえず、物質主義にとどまっている現代の脳科学の世界でも、例えば鬱は偏桃体が暴走し、恐れや不安が強く出てしまい、そのためストレスホルモンが異常に高くなる・・・というような実験結果があります。(めっちゃ大雑把にまとめています。)

偏桃体は感情脳と言われる大脳辺縁系の一部で、情動を司ると言われていますが、例えば私たちが身の危険を感じたとき、恐怖や不安を感じることで逃げるという行動ができます。その指令を出しているのがニューロセプションというものですが、詳しくはここでは省きます。

とりあえず、神経や脳が正しく機能していれば、ほんとうに危険な時に偏桃体が刺激され、危険が解除されたときは、安全・活力のモードに戻れます。

ところが、大失恋の話に戻って、“私は欲しいものが手に入らない人間だ、生きていたところで何の意味があるのか?こんな人生終わりにしたい”と思い続けていたとします。

で、ここでもう一つ、

私たちがこういったストーリーを頭の中で展開しているとき、頭の中にはボンヤリかもしれませんが、イメージも必ず伴っています。

おそらく、このブログを読んでいるときも、オーシャンビューというところでは、きっと皆さんのあまたの中に自分バージョンのオーシャンビューが漠然とイメージされていたはずです。

このように私たちはいつも言葉やストーリーを聞きながら、言葉だけではなく、イメージも頭に浮かべているものです。

そして、実は言葉よりもイメージのほうがよりパワフルなんですね。

なので、“私は欲しいものが手に入らない人間だ”と思っているとき、そんな自分や自分の人生の漠然としたイメージがあるものです。これに気づいている人はほとんどいませんが。

しかし、脳はオーシャンビューよりもこのイメージに反応するので、“自分の人生は意味がない、ダメだ=人生の危機”と捉え、偏桃体が反応してしまいます。つまり、このイメージを持ち続けることで、いつまでも扁桃体を刺激し、ストレスホルモンが出始める・・・・という流れに。

さらに言えば、そもそもなぜ“私は欲しいものが手に入らない人間だ”と思い込んでいるのかというと、それを支えている潜在意識の深いところの思い込みがあるんですね。

例えば、心から切望したものが何度も裏切られた経験を幼いころにしていた場合、心の中に“明るい光に背を向けて暗いところに座っている自分”というイメージが出来上がってしまったかもしれません。

そして、その自分は絶望感でいっぱい。

すると、大失恋がこのイメージと絶望感を刺激し、たかが失恋、されど失恋とすご~く苦しくなります。

今まで失恋から鬱や依存症になってしまった人を何人も見てきました。失恋は実は自分の最もコアの欠乏感を刺激することがあり、実はかなり苦しくなることもあり・・・・。

話を戻して、ストーリーやイメージができてしまうもっともな要因はあるのですが、でも、実際には“明るい光に背を向けて暗いところに座っている自分”は、どこにも実在しないんです。

実在しないけれど、体感を伴うリアル感が大きすぎて、私たちはないものをあると真剣に信じ込み、無意識にイメージの中を生き続けます。

人間はないものを夢見ることで、新しい発明も生み出せるけど、ないものを無意識に信じ込むことで、自分を恐れのストーリーの中に閉じ込め、一生をその中で過ごすこともできてしまいます。

でも、グッドニュースは、どんなストーリーも解体可能だということです。

自分の無意識のストーリーを知って、自分を自分から自由にさせてあげること。これも目覚めですね♪

 

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“無条件”の幸せ♪

クリスマス&お正月の時期は、家族がいない人やシングルペアレントにはプチ痛いシーズンかもしれません。

かつてロンドンで貧乏留学生をしていたころ、外国での一人クリスマスは日本にいるときよりも一人ぼっち感が刺激され、心痛かったものです。

しかし、アンソニー・デ・メーロの“知っている?クリスマスって頭の中にしか存在しないんだよ”という言葉に良い意味で打ちのめされ、そうだよ、ただの火曜日じゃないか!と、人類が創り上げているクリスマス幻想から目覚め、それ以来あらゆる行事がただの日になってしまいました。

と書くと、まるで楽しみがなく、季節感もない人生になってしまったように聞こえるかもしれません。

ですが、その当時、世間がクリスマスを楽しく過ごしているのを横目で見ながら、私の頭の中にも“私もこんなクリスマスを過ごすはず、過ごしたい”という絵が強烈にあり、それが実現していないというか、ない、ゼロ、“無”である現実とのギャップで心痛めていた身には、それこそ福音だったのです。

というのも、ここにないものを求め、得ようとするエネルギー、それがないことを悲しむエネルギー、それらのエネルギー量の多さを真に自覚することができたからなんです。

しかもすべて頭の中で起きているだけ・・・・・。

こうやって人は膨大なエネルギーを自分の頭の中で過ごすんだ・・・・。

それは膨大なエネルギーが伴う欠乏のストーリー。

目に見えたわけではありませんが、見えたかと思うほど、それをはっきりくっきりと感じたのです。これにはまっていたら苦しいわけだと・・・。

ちなみに世の中には、苦しい、苦しいと言いながら、この欠乏のストーリー(またはどんなストーリーでも)がもたらすドラマに密かに深く魅了されている人もそれなりにいます。(潜在意識のレベルです。)

ですが、それは悪いことではなく、ドラマに飽きるまで経験しつくしても良いんじゃないかと思うのです。

さて、このブログは今、家の近くのミスタードーナツで書いています。というのも、隣が全面リフォームとやらで壁を叩く音、機械音がすごいため、逃げているからです。

ミソフォニア(嫌音症、HSPの人に多い。他人がご飯を食べる音、上階の足音、パソコンを叩く音などに異常に嫌悪感を頂く。ただいま自己ワーク中)の私としては辛いのですが、ここは天国♪

ロイヤルミルクティーはおかわり自由だし、カウンター席は人が少なく、行きかう人をみながら仕事ができてしまう・・・。ドーナッツに抗えないことだけが難点。

でも、100%満ち足りていて幸せな気分♪

とはいえ、もちろん多くの人の人生がそうであるように、家族の病気や仕事のトラブル、人間関係のすれ違いなどなどつきです。

かつて私は幸せとは、そういうものがない状態だと勘違いしていて、しかもそういう状態が続くべきだと思っていたものです。

ですが夢から覚めてみれば、幸せとは心の平和と、そして生命の息吹(人生の様々なドラマを経験できていること)なんだなぁとつくづく思うのです。つまり幸せとは、本当はいつでもどこでもあるというか。

アンソニー・デ・メーロはまた、“人はみな無条件に幸せになることを拒んでいる”(正確な言い回しは覚えていない)とも言っています。

あの問題が解決されたら、

私がもっと癒されたら、

状況が変わったら、

夢が叶ったら・・・、

などなど、ある条件がクリアにならない限り、私は幸せじゃない。あぁ~、なんてその通りなんだと当時これまた納得。

とはいえ、当時はまだ夢への渇望が大きすぎて、どうしても夢が叶って欲しいという条件を外すことができませんでした。

そして叶わなかったとき、お決まりの苦しみコース♪

しかし、幸いなことに癒しおたくであったため、自分のあれこれを見つめ、癒していくうちに夢への渇望もどんどんマイルドになり、叶わない夢もほろ苦さを持ちながらも愛おしいものとなっていきました。

そしてはっきり見えてきたことは、幸せは渇望(欠乏感)に隠されていただけだったんだなぁということです。

幸せは得るものでも、なるものでもなく、いつもあるもので、隠されてしまうものなんだと。

人生の起きることが悲劇であればあるほど、幸せは隠され、あたかもないかのように思えてしまうでしょう。または、もう二度と手に入らないもの。

かつてロンドンのアルコール依存症回復センターでセラピストのボランティアをしていたとき、クライアントさんの話はどれもこれも悲劇的かつ悲惨なものが多く、私はまったく手が出せず、無力感を感じていました。

しかし、今はっきり分かることは、どんな悲惨な経験もそこにある欠乏感、喪失感、絶望感などを癒すことで、私たちはストーリーの同化から自由になれるんです。

それは単純に経験に伴っている感情を癒すという意味だけではなく、その経験の中心人物である自分が握りしめている自分像、世界観、他者との関係性をも癒し、そして解体していくということです。(OAD心理セラピスト養成講座の目的)

すべての経験、そしてすべてのストーリーは解体可能で、それは言い換えれば、経験の中身が何であれ、すべての人が無条件の幸せを持っているということです。

そしてもっと言えば、それが私たちの本質なんです♪

それでは、ただの一週間だよね~と知りながら、お正月幻想を心からお楽しみください♪

 

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受け入れると楽になると言うけれど・・・。

心理系の必須書とも言われる「The road less traveled(愛すること、生きること:『愛と心理療法』)by スコット・ペック」。 その本のある意味ショッキングな(当時の私には)冒頭文。

人生とは困難なものだ。
これは偉大な真実であり、多くの偉大な真実の一つである。これは偉大な真実で、というのも、この真実を真に見抜いたら、私たちは困難を乗り越えられるからだ。一度、人生は困難なものだとほんとうに知って、理解し、受け入れれば、人生はもはや困難でなくなる。なぜなら、一度受け入れれば、人生は困難だという事実は取るに足らなくなるからだ。

“Life is difficult.
This is a great truth, one of the greatest truths. It is a great truth because once we truly see this truth, we transcend it. Once we truly know that life is difficult – once we truly understand and accept it – then life is no longer difficult. Because once it is accepted, the fact that life is difficult no longer matters.”

この本を始めて読んだのは、1996年の春でした。この冒頭の一文に私は大きな衝撃を得たことを今でも覚えています。衝撃的過ぎてあとの内容をまったく覚えていないぐらい(笑)。

というのも、それまで漠然と人生とは幸せなはず、うまくいくはず、テレビのCMのようなにみんないつも笑顔で過ごせるはず、そして、自分がそうでないのは、自分が何か間違っているから、どこか変えないといけないからだと思い込んでいたからです。

自分のどこを変えたら良いのか? それを知るためにこの本を参考にしようと手に取ったら、いきなり、人生は困難なものだと知りましょう、受け入れましょうとあったからです。

強いショックを受けたものの、人生を楽なものに、幸せなものにしたいという気持ちが強すぎて、ほんとうの意味では当時の私には浸透しませんでした。

そして今、自分自身の、そして多くのクライアントさんのセッションを経て、これぐらい真実はないなぁとしみじみと思うのです。

ほんと~にあらゆる苦しみ、悩みの根本には、最終的に必ず今の自分や自分の真の思い、今の状況、今の人生の否定があるからです。

だから、例えば今苦しいなら、その苦しみがあることを許してしまうと楽なるという、ある意味矛盾が起きるんです。(許すふりではなく)

ここで、あぁよく聞く“あるがままを受け入れる”ってヤツね。と、思う方もいらっしゃるかもしれません。

すると、たいていこんな疑問も沸いてきます。

戦争や暴力も受け入れるの?

これは受け入れを「それに対して何もしない、放置する、そのままにしておく」と解釈してしまったために起きる疑問なのかもしれません。

受け入れとは、まさに冒頭の分が言っているように、「それがあることを真に認めて、理解して、受け入れる」ですね。

例えば、苦しみがあると真に認めることと、単に苦しんでいるが分かっているのとでは、雲泥の差があります。真に認めれば、必ずそこにほっとしたような緩んだ感覚が伴います。それまでは、あることは分かっているけど、真の意味では認めたくないし、否定しているので苦しんです。

そして理解するということ。苦しんでいるよねと苦しんでいる自分を理解してあげる、どうにかしようとしないでただ理解してあげる。その上で、苦しみがあることを受け入れる。

受容とは、がむしゃらになんでも受け入れるという意味ではないでしょう。

戦争や暴力も同じように、まず戦争が起きていることを真に認める、そして理解してみる。すると、ただ悪いことだ!と思っていた戦争が人類の恐れのうごめきに見えてくるかもしれません。そして、それがあることを受け入れる。

そして、受け入れとは何もしないということではなく、理解したあとに自分の中から生まれる思いや行動も受け入れるわけです。

戦争があることを認め、理解し、受け入れたとき、自分の心から自然と戦争の根っこにあるものを癒したいという衝動が生まれるかもしれません。それももちろん受け入れる。

また、何かしくじってしまった、間違えてしまったなどなど、自己嫌悪と自己批判が止まらないときも時には(人によってはいつも)ありますよね。

そんなとき「間違った私」をただ受け入れようとするのは、そこに真の認知と理解がありませんね。

間違えたということを真に認めて、理解しようと見て行けば、そこに必ず良かれと思った自分がいるはずです。わざと間違えたい人はいないはずなので。

その自分を受け入れてみれば、健気さの中に自分なりの愛を感じるかもしれません。

また、どうしても自分を受け入れられない場合は、受け入れられないと頑なになっている自分がいることを認知し、その自分を理解してあげ、その頑なさがあることを許すなど。

さ~て、ここまで書いたのは「自我の受容」です。自分が自分や状況をどう受け入れるか?という話しです。

でも、非二元の受容、本質の受容はまったく異なるものです。オンラインのお話会では、ありのままの受容とは、自我がやるものではないですよ~とお話ししました。

というのも、受容とはやるものではなく、それは私たちの本質だからです。

これは自我が生命に降参したとき、自我の精神の死が起きたときに自然に起こるもので、それは自分という人生をコントロールしている意志が崩壊したときに起きるものです。

言い換えれば、激流を必死に漕いでいた漕ぎ手がいなくなり、流れそのものになったときに起きるものですね。自分が流れそのものだから、もう抗うこともなく、そこに摩擦も否定も生まれない。

じゃぁ、それができるまで本質の受容は分からないの?

いえいえ、自分がどんなにあがいているときでも、それにただ気づいている意識、言葉を持たない静寂な意識、それは常に私たちとともにあります。片時も離れず。そして、それはいつもすべてを受け入れていて、だから私たちは受容とともに生きているんです♪

 

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夢破れて愛を見い出す♪

私は自分の人生が良きものであるようにとずっと夢見ていた。
でも振り返ってみれば、叶わないときのほうが圧倒的に多かったようだ。

物心ついた頃から大人になっても、いつも微かな期待があった。
今度こそ今度こそ親は私の気持ちを理解してくるかもしれない・・・・
でも、そんな期待はついに叶うことなく、いつも裏切られ続けられ、
落胆がいつの間にか友達になっていた。

自分が望んでいることはとてもささやかなことだと思っていた。
愛する人がいて、愛されること。
とてもシンプルなはずなのに
なぜかいつもうまく行かなかった。
失望とため息、
幸せなんて夢物語にしか感じられなくなっていった。
私は必死に人生を愛そうとしたのに、人生は私を愛してくれない。

ある日いつもの音楽を聴いているとき、なぜだろう、突然昔の自分がまぶたに浮かんだ。
人生をまだ信じていて人生を愛そうとひたむきだった過去の自分。
とても純粋に希望を抱いていた自分。

そしてその瞬間何が起きたのだろうか、
もう一人の自分の存在に気づいたのだ。
ハートが呼応して頬に涙が流れだし、それはこれ以上になく明白だった。

それはひたむきな私の人生を見ているもうひとりの自分の存在、
言葉を持たず、ものすごく静かで、
裏切られたと思っている自分
落胆している自分をじっと見ている自分

そしてその自分はすべてを愛していた。
すべてを愛して包入れ、一時も離れることなく
徹底的に無言で、でも、圧倒的な愛で、

あぁ~~、私は人生に愛されていたのだ。
私のひたむきさ、胸に抱いた希望、
叶わなかった夢、落胆の涙、押さえつけた希望も
すべて愛されていたのだ
私はまるごと愛されていた。

愛とは、落胆や絶望、飢えた心がないことではなく、
それらを優しく見守るまなざしだったのだ。

そして、なんと私はそのまなざしだったのだ。

私はその優しいまなざしそのものだった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私たちが希望を抱いたり、落胆したりしている自分に同化しすぎればするほど、本当は愛という生命の中ですべての現象が起き、すべてが存在できることを見過ごしてしまうのだなぁと思うのです。

そしてもちろん同化してしまうのは、育ってきた環境の中で実際に起きたこと、そのとき自分が思い込んだこと、感じたことが自分の中に生きているからですね。

癒しの真の役割とは、その人を良い気持ちにさせたり、希望を持たせてあげることではなく(←それが必要な段階の人ももちろんいますが)、自分の中に根付いてしまった落胆や失望のストーリーを深く深く解体していくことなのかもしれません。

というのも、解体された先にあるものは、それを見ていた自分(気づいている意識)の眼差ししかないからです。そして、そこに何度も行くことで、私たちは真の自分の眼差しを持ちながらあらゆる感情、思いを抱き、「私の人生」を愛していけるのでしょう。

して、このとき癒しと目覚めは同義語になり、自分の刷り込まれた解釈を生きるのではなく、本当の意味で地に足がついた人生になるのかもしれませんね♪

 

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