なぜ自分で自分を癒すのは難しいの?

本やブログでなんとか自分の悩みを解決したい、自分の苦しみをなくしたいと思う人はけっこう多いかと思います。ところが、これまたきっと多くの人が感じているように、自分で自分を癒すってなかなか難しいですよね。

なぜなんでしょう? 自分の苦しみを冷静に客観的に見るのは難しいから? いろいろあるでしょうが、私が思う一番難しい理由は、

じゃん、「私たちの中には3人の私がいる」からです。

説明させてください。

まず、もし自分が誰かの言動に傷ついていたとします。で、引きずりたくないのに、どうしてそのことを考えてしまい、悲しくなったり、腹が立ったり、苦しみが止まらないとしますね。

この場合、そもそもその誰かの言動に反応してしまう「置き去りになった私」がまず自分の中にいるんです。そうでなければ、相手の言動は不愉快かもしれませんが、傷ついて引きずるということはないんです。

つまり、苦しくなるものは、相手の言動のせいではなく、そもそも自分の中に癒されていない私がいるからなんです。

で、そのとき同時にもう一人の私が活動し始めます。私はそれを「コメンテーター」と呼んでいます。

つまり、自分が傷ついていること、苦しいことに対して、いろいろ分析したり、理由を考えたり、どうにかしようと頑張ったり、また批判したりする私です。

“私がこんなに傷つくのは、母親にコントロールされてきたからかもしれない”
“なんでこんなに引きずってしまうのだろう、情けない・・・”
“まだこんなに動揺しちゃうなんて、私は自己の本質に近づいていない”
“この嫌な気持ちを早くどうにかしたい。普通の状態に戻りたい”
“あの人はいつも不安を抱えているからあんなことを言うのだ”

コメンテーターは、心理学の知識や非二元やスピリチュアルにも詳しいかもしれません。とりあえず、コメンテーターがどれだけ分かっていようと、「置き去りになっている私」は、ここでも放置されたままです。

そのうち「コメンテーター」の声の方が大きくなりすぎたり、またはあれこれコメンテーターが思うように癒してみたりしますが、ほぼ間違いなく「置き去りになった私」の声はスルーされます。

“その問題はすでに何度も癒したのですが・・・”とおっしゃる方も多いのですが、言葉のニュアンスにまったくスッキリしていないのがよく分かります。そんな場合、たいてい「置き去りの私」がまだ抑圧されたままだからです。

ということで、もうお分かりかと思いますが、楽になるコツ、シフトが起きるコツは、コメンテーターに静かになってもらい、直にこの「置き去りになった私」と対話していくことです。

でも、ここでまた難しいのは、長年自分が抑圧してきた、自分がまったく気づいていない思いや感情にどうアクセスするのか?です。

OAD心理セラピスト養成講座では、そのために「気づきの問いかけ」というスキルを教えているんですね。

この気づきの問いかけは一見ただ質問をしているようで、実はけっこう難しいんです。一つは人の心とは実はかなり複雑で、問題によってはかなり複雑な状態になってしまっています。また、なによりもコメンテーターに静かになってもらうのがとっても難しい。

なぜなら、コメンテーターとは意識上の思いで、私たちはたいていコメンテーターの声を聞きながら暮らしているからです。おそらくコメンテーターが静かになった経験している人がそもそも非常に少ないかもしれません。

ので、コメンテーターに静かになってもらうために登場して欲しいのが、3番目の私、「本質の私」なんです。つまり、気づいている意識、純粋意識としての私です。気づいている意識も普段コメンテーターによってまったくスルーされています。

気づいている意識である本質の私は、あらゆること、いかなる思いや感情、感覚にもただ気づいているだけですね。そして、一切何も否定せず癒しにとって一番大切な「無条件の受容」そのものです。

“こんなネガティブな感情はやくなくしたい”
“こんな情けない自分と対面したくない”
“自分がそんなひどい思いを持っていたなんて思いたくない”

などなどと言った声を持たず、自分の中にあるものを静かに100%受容してくれる私。

この無条件の受容の私の中で、置き去りになった私は自由にオープンにどれだけ自分がショックだったか、どれだけ腹が立ったか、だれだけ憎んでしまったか、どれだけ絶望したか・・・をすべて表に出すことができるんです。

これは、自分と自分との対話の中でセラピーを使いながら進めていきます。

そしてセラピストは、クライアントさんが自分と対話できるようサポート役に徹します。多くのカウンセラーやセラピスト養成講座は、知識を学ぶことで、ある意味、セラピストのコメンテーターの訓練をしているかもしれません。

しかし、OAD心理セラピスト養成講座では、理論やスキル、テクニックも多く学んで頂きますが、「置き去りになった私」とダイレクトに対話ができる能力が一番学んで頂きたい点です。

ということで養成講座の案内になっていますが、今までブログでしていなかったので続けちゃいます。

そして、自分が自分との対話が上手なったとき、始めて私たちは、クライアントさんがご自身と対話するサポート役になれるんです。

そういう意味で、とにかく大切なのは「自分を見つめたいか?」なんです。これだけがある意味応募条件です。

ので、私はセラピスト向きか?とか、知識が足りないのでは?とか、まだ癒されなさすぎかも?とか、ほとんど関係ありません。

また将来セラピストにならないという方でももちろん歓迎です。というか、自分のために受ける方のほうが毎年圧倒的に多いです。

話を戻して、コメンテーターの私ももちろん必死だから、本当は自分が大好きだから、だからなんとかしたくて声が大きくなってしまうんですね。

傷ついている私もコメンテーターの私もみな愛という大海(本質の私)の現れであって、すべて愛おしい私です♪

 

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安泰な人生~お金よりも当てになるもの♪

基本的に自我は、自分がどううまく生き残るか?ということにまい進して生きているものです。

なので、経済的に安泰であればあるほど良いし、自分が社会的に受け入れられていればいるほど良いわけです。

お金が十分に稼げないとか、周囲からバカ扱いされるというのは、たんに心配だとか、腹が立つということだけではなく、深いレベルでは、「生きる意味がなくなる」ことへの恐れを感じているんですね。

ので、どう自分を経済的に安定させるか、どう“良い自分”にしておくかというのは、自我活動の大きな基盤です。

これはある意味私たちにとってあまりに当たり前になりすぎていて、自分がそれをやっていることにも意識がないかもしれません。

生活費を稼ぐためにあれこれ考えるとか、周囲との折り合いをつけるためにそれなりに良い自分として振舞うとか、普通にやっていることのはずです。

でも、どうでしょう?

ロンドンでカウンセラーのカレッジに通っていた時、印象的な話をある先生がしてくれました。その先生のクライアントの一人にアメリカ人の大金持ちがいて、その人の家も何もかもとにかく豪華だったそうです。でも、その人はひどい鬱で何一つ楽しめず、家の中の輝く装飾と対照的であったそうです。

ひどい鬱というのは、自殺願望も生み出し、自我が描いている安泰な人生とは程遠いですよね。

この人ほどではなくても、お金は物質を供給しても、親子の確執や失恋の痛手をカバーしてくれるわけではないので、経済的安定が必ずしも「うまく生きていく」ことを保障するとは限らないわけです。

では、世間受けが良い自分でいることはどうでしょう? 「できる私」「成功している私」「優しい私」であれば、私の人生は安泰するということで、自分が思う「良い私」づくりにまい進したとします。

で、頑張った甲斐があって、他者から賞賛されたり、尊敬されたり、すごいね~と言われて良い感じ。ところが、あれっ? 腹を割ってバカ話する友達がいない・・・・。

良い私でいるために、自分のバカなところ、弱いところ、しょうもないところをぜんぶ隠してしまったため、表面的な付き合いの友達と呼べないような友達しかいない。

そして、だんだん心が空っぽな気がしてきます。お金もあるし、人からも賞賛されて、人生は安泰してきたけど、なんだか生きる意味があやふやになってきた・・・・。

またもロンドンでの話ですが、毎日乗っていたバスの経路にある病院があり、その病院の前庭のベンチには、いつもホームレスの酔っ払いのグループがたむろしていました。

最初はあまり気にかけていなかったのですが、さすがに毎日見ていると、彼らの様子が分かってきます。で、ある日気がついたのです。彼らはお互いにものすごく助け合っているということに。

泣いている人の肩を抱いて、みんなでなぐさめていたり、食べ物や飲み物をシェアしていたり、心が通じ合っている様子がよく分かります。

実は気にかけていなかったというより、私の偏見のためにそれがしばらく目に映ってこなかったのです。

そのとき、この人たちは惨めなかわいそうな人たちじゃなくて、幸せな人たちなのかもしれないという感覚が襲い、軽いショックを受けたのです。

そのことを思い出すたびに、最終的に私たちが生き残るために必要なものは、「つながり」なんじゃないかと思うのです。

たぶん、こんなこと今まで多くの人が言ってきたことでしょうし、そりゃそうだよねと思う人も多いことでしょう。

にもかかわらず、世の中の動きを見ると「つながり」を育むというよりは、政治や経済では、攻めと守りのレース、また教育では、良い点数、良い大学、良い就職先、自己啓発においては、素敵な私や自分の望む状況を実現するのだ!みたいなエネルギーが強いなぁと思うのです。

日本は特に「自己責任」とか、人に迷惑をかけてはいけない、という社会的な暗黙のルールが強く、人とのつながりで持ちつ持たれつ助け合うというよりは、自分でなんとかするべきと思っている人の方が多いかもしれません。

前にも書いたような気がしますが、高校を卒業する最後の日に担任の先生が、“お前ら、人にいくらでも迷惑かけて良いんだぞ。でも、人を傷つけるのはいけないんだ。”と言ったとき、私は内心、ひゃっほ~、迷惑かけて良いんだ~と思ったものです。

他人に迷惑をかけないでいようとしたとたん、私たちは「一人で頑張る」という孤独の世界を歩きだすしかないですよね。

そうすると、「経済的な安定」や「できる私」でいる必要性もうんと高まります。

でも、“うまく生きていく”ということが、人とつながって助け合っていくということであれば、私たちの努力は違う方向へ向いていくはずです。

つまり、私は人とつながれるほどハートがオープンだろうか? 恐れや不安で城壁を巡らしていないだろうか? 私は私が好きか? 私は自分を許している? 私は愛を感じている?

こんなふうに見られたいという思いに囚われて、自分を見失っていないだろうか?
みんなの期待に応えようと、無理していないだろうか?
できない、分からないって言ってはいけないと思っていないだろうか?
ほんとうの自分を知られたらマズイと思っていないだろうか?

自分に強いている頑張りや無理、抑圧を解いて、ただ生身の人間になって、生身の人間とつながる。

弱さを見せられることが、本当の強さであることを学んでいく。

逃げも隠れもしない「ただの私」がそこにいて、人と交わって、助け合って生きていく。

うん、安泰♪ 安泰♪ (*^_^*)

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苦しみの根っこはすご~くシンプル♪

いきなりですが、苦しみって本当はシンプルなものだなぁといつも思います。どういうことかというと、例えば、家族と仲が悪く、そのことで毎日頭の中にぐるぐるとストーリーが走りまくっているとします。

苦しみの始まりは、その家族の言動に傷ついたとか、否定された気がしたとか、許せなく感じたとか、なにかもちろんあるわけです。(※愛着障害のようなケースはまったく違う見方が必要です。)

で、オリジナルのところだけに留まって、例えば、否定された気がした自分を見つめ、何を否定されたと感じたのだろう?と問いかけていくと、“自分の思いやりを無視された”→“私はこんなに努力しているのに”→“誰も私のことを見ていない”→“孤独で泣いている私”みたいな流れになるかもしれません。

そして、最後の“孤独で泣いている私”と対話して、セラピーなどしてあげれば、“否定されたと思ったけど、実は違うようだった”とか、または、“ほんとうは家族が大好きだった♪”とか、違う展開になり、めでたし、めでだしとなります。

ところが、そんなふうに見つめることなんて誰も教えてくれないので、どっちかというと、お互いに悲しみや怒りで相手の言動に反応し合い、そこから新たなストーリーも加わり、ヒートアップしてついには土曜サスペンス劇場~になったりすることもあるでしょう。

オリジナルの問題にストーリーがどんどん増えていき、何が一体苦しいのかさえ分からなくなってしまった状態でセッションに来られる方もとても多いんです。

それはまた、相手や出来事が特にない場合も同じで、例えば、自分はいまいち自分らしい人生を生きていないと感じていたとします。

それも自分を見つめてみて、「自分を生きていないような」ポイントは一体どこに一番あるのか?と見ていくと、例えば、“いつも周囲の思いや社会の暗黙の了解に合わせていた”→“自分が迷子になっている感じ”→“自分がどうしたいか分からない”→“ほんとうはもっと自分を表現したい”などとなったとします。(流れは1万通りあります)

で、“自分を表現したい”と言っている自分を充分受け入れ、なぜ表現できないの? 表現するとどうなるの? 何を表現したら自分らしい感じがする?などなど、セラピーをしながら対話をしていきます。

そうすると、同じ状況の中でも、自分を表現できることが見えてきたり、またはもっと自分らしい方向が見えてくるかもしれません。

しかし、ここでも自分を見つめるなんてあまり思いつかないので、生き辛さを引きずったまま、“自分の人生はこのままで終わるのか”という焦りや絶望のストーリー、または“あの人は、自分らしく生きていて羨ましい”という嫉妬のストーリーなどがついて、苦しみが複雑化したり。

そして、増幅したストーリーももちろんいちいちぜんぶ信じ切っているので、そりゃぁ苦しいはずですよね。鬱になってもおかしくありません。

とはいえ、自分を見つめるって、けっこう億劫ですし、またやり方が分からないということもあるでしょう。

でも、苦しいときは、ストーリーに流されないように頑張るとか、頭で説き伏せるとか、そういう努力よりも、とりあえず、自分の様々な声の中で一番感情がのっている声に意識を向けて、それを受け入れてあげるのも良いかもしれません。

そして、自分が苦しいのは状況や相手のせいではなくて、自分の中に自分が気づいていない「泣いている自分」がいるからだなぁ~とちょっと思ってみるのはいかがでしょうか?

根本的な解決に至らなくても、苦しみの中にスペースが生まれて、深呼吸ができるようになるかなと思います。

さて、いろいろな理由でセッションの動画や録音は公開したことがなかったのですが(守秘義務があるし)、たまたま比較的短い時間でセラピーも含めて50分ぐらいで終わったデモセッションが、たまたま録音されていて、こんな“たまたま”が二回続くことはあまりないので、初公開しちゃおうかなと思います。(※被験者の方の許可を得ています)

もちろん、セッションはすべて流れがいつも違います。これは無数にある中のたった一つの例です。もっと複雑なケースや重いケースの方が圧倒的に多く、一回で終わることはほとんどありません。今回は比較的浅いレベルで問題が解決されたケースです。

とりあえず、私の考えや判断、アドバイスや分析などなどが一切なく、クライアントさんの言葉だけでセッションが進み、解決まで至っているということに注目して頂けると嬉しいです♪

途中セラピーの部分はマトリックス・リインプリンティングの変形をやっています。

今日の記事の内容が具体的に分かって頂けるかなと思います。

ということで、宜しければお聞きください♪ テーマ~お金を稼げていない~

 

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人生の風通しが良くなるシンプルな秘訣♪

驚くかもしれませんが、多くの人が自分が苦しんでいることに気づいていないんです。

自分は大丈夫だ、それなりにうまくやれていると思っていたりするんです。

ロンドンのカウンセリングのカレッジで50時間のセッションを受けないといけないと知ったとき、私もまさに“自分はなにも問題ないし、今調子良いのに面倒だなぁ、回数減らすように学校に掛け合おうかな”と真剣に思ったものです。

ところが、受け始めたらざっくざっく・・・・。

私はほんとうは困っていたんだ、私はほんとうは怒っていたんだ、私はほんとうは不安だったのだ~~~~。

“あなたにもたくさんの苦しみが本当はあるんですよ~~。ウヒヒ。”と黒セラピストみたいな話をしたいのではありません。

ざっくざっく出てきて驚いたと同時に見えてきたことは、自分の本当の気持ちに気づかないでいると、相手や状況、出来事ばかりに意識が向かってしまうということでした。

で、それに対するストーリーが爆走して止まらない・・・・。

例えば、自分が新しい職場でほんとうはすごく不安なんだということに気づかないと、不安を外に投影して、人や状況ばかりに目がいき、「〇〇さんは、もっと丁寧に伝えてくれても良さそうなのに」「このプロジェクトの進め方は良くないのに、私の考えを上司は聞いてくれない」などなど無数のストーリーが生まれてきます。

または、自分はほんとうは怖いのだと気づいていないと、たいてい自分への言い訳(防衛)と相手への攻撃というストーリーが展開されるものです。

で、そのストーリーそのものがかなりのエネルギーを持っているため、私たちはすっかりのりに乗ってしまいます。そして自らのストーリーに振り回されてしまう。にもかかわらず、一生懸命にやっている自分の方に気を取られ、“私は大丈夫”だと本気で思っていたりするんです。

こうやってストレスが知らない間に蓄積されていくんですね。ある日ぷっつりエネルギー切れを起こして、鬱っぽくなってもまったくおかしくありません。

話を戻して、例えば新しい職場で不安を感じるというのは、ある意味とても当たり前で自然な感情です。(もちろん、その度合いが異常に高い場合は別ですが)

そして、それはその人にとってシンプルな真実ですね♪

“私は不安だ”終わり。

ですが、そんなシンプルな真実に気づかないため、「私は~~~、同僚は~~~、上司は~~~、会社が~~~」という投影物語が始まり、妄想の世界へようこそです。

ちなみに、私たちはこの妄想を「現実」と呼んでいます。

エネルギーが乗っかっているストーリーほど現実味があるものはありません。逆に言えば、苦しければ苦しいほど妄想にはまっていると思って間違いないです。

じゃぁ、妄想から抜け出すには、“これは妄想だ”と自分に言い聞かせること?

もちろん違います。

お分かりのように「自分にとっての真実」に戻ることです。

“私は不安だ”

で、そこから生まれるストーリーではなくて、不安が持っている声に耳を傾けることですね。

つまり、“私の考えを上司は聞いてくれない”というストーリーではなく、“分からない”、“よく見えない”といった不安の声のほうです。

面白いことに、自分の本当の気持ちとそこにある声をしっかり受け止めてあげると、心の中に落ち着きと力強さが蘇ってくるんですね。

真実が持っているパワーなんです。

良い意味のあきらめ(=降参)も生まれ、周囲に投影する代わり、“よく分からないところがあって不安なんです”という自分の真実が語れるようになる。

これはとっても楽なポジションなんですね。

なので、例えば話し合いでも、

A:〇〇さん、もっと丁寧に言ってもらえませんか?(怒り、不満)
B:(なんか攻撃されている感じ~、嫌だなぁ)分かりました。努力してみます。

というなんかお互い言いたいことを隠している感満載のウソっぽい会話よりも、

A:〇〇さん、私、よく分からなくて不安なんです。だからもっと丁寧に説明してもらえると助かります。(普通に)
B:(不安なんだ、助けてあげようかな)分かりました。努力してみます。

のほうが、より真実に近い会話になりますよね。

もちろん、相手の反応がネガティブなときもあるでしょう。でも、相手の問題だとはっきり分かるので、意外に大丈夫なんです。

ということで、自分の本当の気持ちを知って、それを十分に受け止めることができれば、それだけでだいぶ人生の風通しが良くなります。

ということで、私も丸裸に正気になるから、みんなもなろうよ!というのが、提案です。

ときどきこういう提案に、“あなたの説明が下手くそすぎて分かりません!”みたいな妄想を言い放って、正直になったつもりになってしまう人がいますが、それももちろん違います。

相手や状況について考えが走っているうちは、自分の本当の気持ちはまだ見えていないでしょう。

さて、丸裸に正直になると聞いて、ちょっと怖いと思った人、素晴らしいです。

自分のすべてを知られたら、まずいことになる・・・・・というストーリーが意識のどこかに走っているはず。それは自分と世界を分離する濃い投影です。見てみる価値はあるかもです。

というのも、そこには宝がざくざくあり、実はそこは本質の愛への道筋でもあるから。

最も深い投影(苦しみ)が愛への道案内って、なかなか“神の遊戯”も悪くないですね♪

 

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フォーカシング &リバーシング1 day 講座♪

【日付】12月9日(土)
【時間】10:30~16:30
【場所】東京・両国(KFC Hall & Rooms)10階
【参加費】各12,000円

詳細はこちら

 

すべての苦しみには正当な理由がある♪

う~~む、面白い本を読んでいます。セラピーの専門書です。専門書ですが、心理系の本は「ダムの構造」みたいな本と違って「こころ」というすべての人間にとって関係あるし・・・ということで記事に書いちゃおう♪

まず読んでいて、なるほど~そういう分け方があったかぁ・・・・と、ひざをポンと叩いた部分がありました。というのも、以前からOAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)のやり方と他の心理療法がどう違うかを説明するのに苦労していたのですが、心理療法には大きく分けて二種類あるということなんです。

一つはCounteractive系(対抗)、もう一つはtransformation系(変容)。

説明させてください。

例えば、「ラジオのパーソナリティーになれるという話しがあったが、言われた書類を提出せず、そのチャンスを逃してしまった。こんなふうにいつも成功のチャンスがあるとなぜか逃してしまう」という悩みがあったとします。

それを例えばOADの「気づきの問いかけ」を使って心の中を見ていくと、

母親がものすごい癇癪持ちで、いつどんなときに癇癪を起すか分からなかった。また、代々みんな同じような仕事、同じような経済レベルといるものだという暗黙の決まりがあり、親を超えてしまうことはまずいという感覚が強くあった。そんなことをしようものなら、絶縁されそうだと感じていた。

つまり、「成功する=親を超える=母親の癇癪と絶縁、チーン」というストーリーが潜在意識のなかに走っているわけです。

本人はまったくスルーしているストーリーです。で、一番の問題はストーリーが走っているだけではなく、ここに感情がごっちゃりついていることです。これを「感情学習」と呼びます。

この感情学習は大脳辺縁系にパターンとして記録されることが、脳神経学のリサーチで分かっているそうです。

ちなみに、この感情学習によってできたパターンはあまりに強固なため、2004年の脳神経の新しいリサーチが出るまでは、一度できてしまった脳の回路はもう解除できないという結論が出されていたそうです。

さて、Counteractive系の心理療法は、これを「認知の歪み」として捉え、それを正すという考え方をします。

つまり、“親を超えてはいけない”という思いを「間違った認識」とし、“成功を逃すことはメリットがない”とか、“成功することは自分にとって良いことだ”という「正しい認識」にしていこうとするわけです。

または、成功している自分をイメージしてもらったり、とりあえず先に行動をしてしまうことで、認識を変えようとしたりなど、「なにかする」ことでそれを変えようとするやり方です。

またストレスが高いときや鬱症状などがある場合は、コーピングのようなテクニックやリラクゼーションテクニックを教えたり。

この場合、脳に記録されたパターンはそこに残ったままで、その上に上書きするように「正しい認識」「好ましいイメージ」を載せていくため、パターンが強固な場合は、それらのテクニックをし続けなければいけなくなります。

一方、transformation系の心理療法は、この感情学習によってできたパターンは「当然の認識」だし、「辻褄が合う認識」であって、間違っていることではないので、正したり、何かのテクニックでカバーしたりするものではないと捉えます。

つまり、親に愛されたい、恐れを避けたいという思いは当然であって、それによって出た思いや行動とることは辻褄が合うというベースです。

なので、癇癪を起こす母を怖いと思っている自分、家族を超えてはいけないと感じている自分と直に対話することで、そのパターンを細かく紐解いていきます。

そしてOADでは、この対話をマトリックス・リインプリンティングなどのタッピングをしながら行います。ので、対話していくうちに当時の恐れや悲しみも解消されていくんですね。

で、感情が解消されると何もしなくても勝手に「認知のシフト」がおきます。で、そのシフトは恒久的で、そのままなんの努力もいらないんです。

しかも! 脳神経学によるとこのtransformation系のやり方は、大脳辺縁系に記録されたパターンを解除できることが実験で明らかになっているとのことです。おぉ~~!

アメリカでtransformation系のセラピーをしているBruce Eckarというセラピストがそれを知ったときは、宝くじに当たった気分だったと言っていましたが、私も同じ気持ちで~す。

ちなみに、ここで挙げた例ですが、実際に紐解いていくと、もっと詳しい深層の心模様が見えてきます。

例えば、「親を超えるといけない」という思いには、“自分を思いっきり表現できない息苦しさ”、“ほんとうの自分を親は知らない”、“分かりあえなかった悲しみ”、“母とのつながりが持てなかった喪失感”などなどといったような強い感情がともなう思いが他にもたくさんあります。

なので、一つ一つ丁寧に紐解いていくことがとっても大切なのです。なぜなら、何かとりこぼしがあると、本当の意味でシフトが起きないからです。

これをきちんとやっていくには、職人的なスキルが必要なんです。ですが、心のオタクにとってはたまらなく楽しい作業なんですね~。

で、一見人の心模様を紐解く様は地道な作業ですが、深いレベルまでいけば、ちょっとした存在の本質への旅でもあるんです。

というのも、何度も書いていますが、一人一人の心とは、大海の中の渦巻きのようなもので、ほんとうは分離しておらず、集合意識、純粋意識と常につながっている・・・・というより、純粋意識そのものなんですね。

渦巻きをどんどん下に深く潜れば、そこは無限の大海であるように、人の心も深く潜れば、まさに純粋意識の静けさ、安堵感に出会えるんです。

正確にいえば、渦巻きは常に大海そのものだけど、深いところのほうがより自分の本質がわかりやすいとも言えるでしょう。

そこに何度も触れることで、自分の中に自然に安堵感や安心感が定着していくんです。

ということで話を戻して、あらゆる心の問題や悩みは、自分の中に何かまずいものがあるのでもなく、どこかが悪いのではなく、その人の心の中では筋道が通った流れなんです。

なので、大切なのはその流れをきちんと見ていくこと、そして流れはいつでも変えられんです♪

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大好きなツールで、セッションで必ずといって良いほど使っています。
お料理でいえば、「だし」のようなもの。フォーカシングが上手になれば、
自己ワークやセッションスキルがぐんとアップします♪

好かれる自分になるという幻想♪

ときどきセミナーで、“隣の人の自分に対する思い込みを推測してみてください”というのをやります。だいたい、皆さん笑って“皆目見当がつかない”とおっしゃいます。

ですが、“自分はどう思われているのか?”というのは、自我の大きな関心事ですよね。

なので、例えば「自分は頭が悪い」と思い込んでいたら、周囲にそう思われないように頑張ったりするでしょう。

そういう意味で、自我は基本的に自分はできているか? 自分はそつがないか? 成功しているように見えているか?などなど年中自分のことを気にしています。

でも、そもそもなぜ私たちは自分のことや周囲の目をそんなに気にするのでしょうか?

インテグレイテッド心理学でもいつも話していますが、それは「良い自分」でないと生き残り率が下がってしまう(と思っている)からですね。

ダメな自分は周囲から受け入れられない→一人ぼっちになる→食べて行けない。

役に立たない自分は価値がない→価値がない自分は生きる意味がない→死んだほうがまし

というように。

なので、試しに“もし、どんなにダメダメな自分、ブサイクで、能力がなくて、誰の役にも立たない自分でも、周囲が温かくて完全に受け入れてくれて、生き残りが100%保障されているとしたら、ダメな自分はどれぐらい気になりますか?”と聞くと、たいていの人は別に大丈夫と答えてくれます。

またもし、どんな自分でも周囲に受け入れてもらえたら、良い自分、能力がある自分になるために頑張りますか?と尋ねると、これまた多くの人が首を横に振ります。

ほとんどの私たちにとっては、頑張らないでそのままの自分でいるのがなんといっても楽ですよね。

でも、現実といえば、頑張らないと受け入れてもらえない気がバンバンにするわけです。

なので、生き残り率を上げるために、なるべく「良い私」「優しい私」「能力がある私」「なにかひとつ秀でたものがある私」・・・・・などと、その人によってどんな私かは分かりませんが、そういった私であることが必要なように感じるわけです。

では話を最初に戻して、隣に座っている人は、自分が一体何を思い込んでいるかさっぱり分かりません。

で、恥ずかしいなぁと思いながら、“私は、自分のことを頭が悪いと思っていて、だから会社でもすごく頑張らないといけないと思っているんです”と告白したら、隣の人はただ、“へえ~~”というしかいないでしょう。

隣の人にとって大切なのは、実はその人が頭が悪いかどうかよりも、その人が自分に親切かどうか、自分にフレンドリーかどうかだけであったりするんですね。

で、自分に優しくしてくれてさえいれば、その人がどんな思い込みを持っていようが、どのみち知らないし、どうでも良いのです。

つまり、私たちは「~~~な私になれれば、周囲の人に受け入れられるようになるはずだ!」と頑張っているのですが、周囲の人にとっては意外にどうでも良いことなんですね。

もちろん、クライアントさんの中には“でも、上司にお前頭悪すぎて、一緒に仕事していて疲れる”って言われたし、他の人からも言われたこともあります。思い込みではありません~~”と、“証拠”を持ち出してくる方もいらっしゃいます。

でも、ブーッ。

証拠にはなりません。相手が頭悪いかどうかに関係なく、そんなことを言う人はどこにでもいます。100歩譲って、上司がほんとうに「頭が悪い」と思って言ったとしても、それは上司の解釈です。そして上司は神様ではありません。

もし「頭が悪い」という思い込みを持っていない人がそう言われたら、それはただの悪態に過ぎないか、もしくは“あんたに言われたくないし、こっちのほうこそ疲れる”と思ったりするかもしれません。

つまり、自分がそれらを証拠にしてしまっているだけです。なぜなら、自分がそう信じているから。

私たちの「思い込み」は年中証拠集めをしていて、無意識の中で“ほらね、やっぱりね”とつぶやき続けているんです。

OADセッションでやっていることは、もちろん例えば「頭が悪い私」を「頭が良い私」にすることでもなければ、思い込みを変える(ビリーフチェンジ)ことでもありません。「頭が悪いと思い込んでいる私」とクライアントさんが対話することで、その幻想性に気づいていくことなんです。

つまり、OADでいう「対話」とは、セラピストとクライアントの対話ではなく、クライアントさんとクライアントさんのインナーチャイルドとの対話です。(この対話を深いところに導いていくのがセラピストのサポートです)

インナーチャイルドというと幼い自分をイメージするかと思いますが、例えばマトリックス・リインプリンティング(MR)をやっていると、過去生が出てきたり、チャイルドでもなんでもない私もたくさん出てきます。

MRではそれらをエコー(量子フィールドにホログラムとして存在している自分)と呼んでいます。つまり、「頭が悪い私」があたかも実体があるかのように存在しているんですね。ワークをしてみるとすぐに分かりますが、このエコーには人格があり、なかなか自分の思い通りにはなりません。

でも、タッピングをしながら感情を解放し、問いかけて対話していくことで、頭が悪いと思ってしまった誤解や思い込みが溶けていくんです。

そして、その幻想性が溶けた先は、新しいポジティブなビリーフではなく(それもあっても良いのですが)真実そのもの、純粋意識しかありません。

「私は頭が悪い人だ」と、その思いに強固に同化して、その思い込みに基づいた人生を生きるという膨大なエネルギーが溶けるには、多少時間がかかるでしょう。

でも、真摯に正直に向き合えば、そのプロセスも素晴らしく、愛おしいものです。そのうちプロセスとゴールという時間軸も消え、どんな自分もすでに癒しのネエルギーの中にいることが見えてくるでしょう。

そのエネルギーが、私たちの本質、無限に開かれた気づいている意識(オープン・アウェアネス)なんです。

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鬱とノンデュアリティ

ほんとそうなんですよね~。って、何がと言うと、いきなり引用から始めちゃいます。

「唯物論は、意識を脳の働きに還元してしまった。意識は脳のはたらきの随伴現象に過ぎず、脳は意識に介入されずに機能できる物理・化学的機構とされる。」(禅と心理学:鈴木大拙)

例えば、鬱の具体的な治療法は薬物療法であるように、現代医学では心の問題も「脳」という臓器の問題に還元してしまっています。

なので、本屋さんで鬱に関する医師によって書かれた本を開くと、どれもこれも「休むこと」と「薬物療法」という ほぼ二つしか書かれていません。

でも、ここでいつも疑問が浮かぶのが、心の問題をほんとうに脳だけに還元してしまって良いのか?です。

なんか違う・・・と思う人もけっこういるかもしれません。で、薬物療法をなんとか避けたいと思って、医師以外の人が書いたものを探す人も多いでしょう。それらの本は、おおまかに分けると、しくみを詳しく書いているもの(でも、解決方法があまり書いていない)と提案型のもの(こんなふうに考えよう、こんなことをしてみよう・・・)が多いように思えます。

では、これらの解決方法はほんとうに効果があるのでしょうか? 効果があった人ももちろんいるでしょうが、あんまり役に立っていないのでは?というのが正直現場の感覚です。おそらくそれは医療の現場でも同じでしょう。

医師の中には、重度の精神障害は治らないもので、薬でなんとかコントロールしていくだけだと信じている人もいるというか、実際にそう話していました。

とりあえず画期的な薬が開発されれば、または、脳のしくみがもっと見えてきたら、治療も進むかもしれない・・という「脳中心主義」的な考えが主流です。

じゃぁ、カウンセリングの方はというと「考え方や行動」を変えるという発想が主流ですね。

前にどこかで鬱から抜け出すには、「自分のやりたいことを見つけること」みたいなことを見かけましたが、それができる人は明らかにそもそも鬱じゃないですよね。これは極端な例ですが、鬱の人が少なくとも考え方を変えようとか、何かしないといけない提案がほとんどです。

どちらにしても、脳かもしくは考え方や行動といった、何かを変えて鬱という状態を変えるという発想ですね。

でも、ここでスルーされているのが、鈴木大拙が言っている「本質」なんです。話がとっても長くなるので省きますが、本質をベースに考えると、これは逆転してくるはずです。

つまり、「本質→心の状態→脳の機能&考え方や行動」という順番。

私たちの本質である「ありのまま」がなんらかの心の状態で抑圧されたり、遮断されたり、乱されると、それが脳に影響していく、または考え方や行動に現れる、というパラダイムです。

となれば、鬱というのは悪いものというより、本質が隠れていますよ~というサインです。ですから抗鬱剤などは、ある意味警報器の音がしないように抑えているようなもので、根本の解決にはならないはずです。

鈴木大拙は、私たちが意識を脳の機能に還元し、「見える」という対象にしやすいものだけを追求することで、「本質」というものが科学者だけではなく、一般人からも遠いものになってしまった。その結果、

「現代人は絶え間なく不安感にさいなまされ、なによりも悪いことにその原因がどこにあるかもわからない。これこそは、万人が生の知性化に対して支払っている代価である」

とも言っています。ほんとうにその通り。これはインテグレイテッド心理学で話をしていることそのまんま同じです。

本質の私を完全に見過ごしているために、思考にガッツリ同化してしまい、不安や苦しみまみれになってしまう。でも、思考に同化していない私なんて意味がまず分からない。

例えば、鬱は英語ではdepressionと言いますが、直訳すると「下に抑える、押し下がる」という意味です。

つまり、私たちの本質である自然な流れが下降に抑えられている状態を言っているんですね。生命の流れが下降に抑圧され、いきいきとした上向きの流れに戻れていないんです。

ではなぜ、その人のエネルギーは抑圧されているのだろう? なにが生き生きとしたエネルギーを阻害しているのだろう?と見ていくために、大切なのが、その人の心の状態を丁寧に深く紐解いていくことなんです。

心の状態とは、まじめな性格だとか、または考え方がネガティブだからとか、そういったことではまったくありません。

例えば、咳が止まらないという症状で病院へ行った場合、レントゲンやスキャンなどで実際に肺の状態を見るまでは、どれだけ咳にまつわる話を聞いたところで、医師も患者さんも体の中の状態は分からないわけです。

ここで言う心の状態も同じで、いつ頃から鬱になって、どんな感じで、職場や家庭ではどんなふうで・・・などなどストーリーを聞いただけでは、心の状態はまったく分かりません。

なので、OADでは「気づきの問いかけ」という特殊な問いかけ法とセラピーを用いて、もっと心の深い部分、自然なエネルギーの流れを止めているものを紐解いていくんです。

なぜ「紐解く」というのかというと、多くの場合、ビリーフや未消化の感情、抵抗や乖離といったパッケージになっているため、一つ一つ紐解いていくからなんですね。

そして紐解いていくベースはとにかく「受容」。無条件の受容とは、本質が持っている性質であって、その癒しのパワーを借りるのです。その受容のスペースの中で、本人の気づきによって勘違いがほどかれていくように対話をしていく。

最終的に私たちを真に癒してくれるものは、薬や考え方や行動を変えるという努力ではなく、真実でしょう。

なので、医学も心理学もほんとうは「私たちの本質」という真実に基づいていくほうが、もっと多くの人を救えるだろうと思うのです。

ということで、久しぶりにノンデュアリティと癒しのカフェを来月開催しま~す♪

☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆

キャンセル待ち受付中

日程:11月19日(日)14時から17時
場所:CTW表参道 少人数です♪
http://www.cultureomotesando.com/access-map/
参加費:5000円
申し込フォーム:https://www.form-answer.com/applications/PBNRE

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