三つの癒し♪

EFTマトリックス・リインプリンティング(MR)の募集を始めます♪

さて癒しとは、おおまかに三つの観点から眺めることができるかもしれません。一つは生物学的な観点、もう一つは心理学的な観点、そして私たちの本質という真実の観点です。

で、今回はEFTとMRがその三つにどう関わるかという点で書いてみたいなと思います。

ということでまずは、「生物学的な観点」から。

トラウマや重度のストレス、長い間握り締めているネガティブな感情がどう脳や神経、細胞に影響を与えるか?という研究や報告はたくさんあります。

つまり心の苦しみは、単純に心の問題だけではないんですね。身体の症状に心が関わっているように、心の悩みにも身体は関わり、心と体はやはり切り離して考えられないんです。

例えば、欝や依存症の原因の多くはトラウマにあります。事故や災害と違って、日常の生活の中で受けたトラウマは一見分かりにくく、本人がそれをトラウマだと認識していないケースもけっこうあります。

トラウマの場合は、感情脳といわれる大脳辺縁系が活発になり、ものごとを把握したり、行動を起こすことに関わる海馬が機能しなくなる・・・といったようなことがMRIなどで証明されています。(←超大雑把にまとめました)

で、これはトラウマが解除されるまでこの状態が続いてしまうんです。つまり、いくら本人が意思の力で克服しようとしても、自然にネガティブな思いばかりが出てくるし、やる気もでないし・・・となってしまうんですね。

薬物依存症なども社会は本人を責めがちですが、こういった知識がもう少し広まってくれるといいなと思ったりします。

話を戻すと、EFTやMRによって体(経絡)を刺激しながら、特定のトラウマに働きかけることで、このサイクルを解除することができるんです。オーストラリアのEFTの研究では、ストレスホルモンのコルチゾールを下げられることも分かっています。

直接身体に働きかけられるという点で、話だけをするセッションの限界を超えられる優れたツールだと思うのです。

で、次に「心理学的な観点」です。

私たちの意識の約96%は潜在意識だと言われています。つまり、自分の行動のほとんどに私たちは無意識なんです。

ちょっと木の根っこをイメージしてもらい、土の中にある根っこが潜在意識の思いやビリーフ、そして感情だとしますね。いくつもの根っこがあり、また幹に近いところから根っこの先まで深さのレベルも違います。私たちの思いや感情もそれぐらい複雑になっています。

例えば、“私はどこにいても受け入れてもらえない”という悩みがあった場合。ちなみにたいていの場合、これはご本人の投影です。(もちろん、お聞きしながら見極めますが)

実際は、受け入れられていないのではなく、なんらかのビリーフのせいで自分が受け入れられていないように見えたり、感じたりしているんです。

で、例えばその原因が、 “私は人としてどこかおかしい”というビリーフだったとして、タッピングで、そのビリーフが出来上がった出来事を見つけていきます。でも、それは通常のカウンセリングでもできるじゃないか?と思われるかもしれません。

ところが、思考で探した原因はいかにも合っていそうでも、私の経験上では半分ぐらい違っています。しかし、タッピングですとどんぴしゃりと行き着けるんですね。

そして、原因となった出来事や育った環境を見ていくうちに、ほんとうに自分が願っていた思いや感情が何重にも出てきたりします。で、ここがめちゃくちゃ大切です。

ここで決してストーリーには行かず、放置されていた思いや感情をすべて表に出してあげ、受け入れてあげると、すっきり感のレベルがぜんぜん違います。また、すっきりするだけではなく、 “なんだ、私普通にしていて大丈夫だ”といった認知のシフトも勝手に起きます。

そこでさらに、最後にポジティブな記憶(イメージ)を刷り込みことで、前は自分は受け入れてもらえないと緊張していたけど、今はどこにいても自然に普通していてOK・・・・となったりするんですね。

気がつくと感覚や行動が変わっている!という自然な変化が良いなぁと思っています。

で、最後に「私たちの本質」として、

タッピングというのは、結局経絡を刺激することで“気”(エネルギー)を流しているんです。で、エネルギーとは、もちろん生命のエネルギーですね。

そして生命のエネルギーというのは、流れ、変化し、発展していくのがその性質です。種から始まって、根が生え成長して、花が咲き、枯れて土に戻ってまた根になり…というように、常に循環を繰り返して変化、変容しています。

個の私たちもまったく同じで、体も思いも感情、感覚も常に変化、変容していますよね。人間もまさに自然と同じです。ただ違う点は、人間はその流れを抵抗や抑圧という形で止めてしまったり、またはフリーズさせて感情を閉じ込めたりできてしまうことです。

しかし、EFTやMRで自分を否定する自分と向き合ったり、放置していた思いに気づいてあげたり、トラウマでフリーズしてしまったショックを解放したりすることで、そこに生命の流れがよみがえってきます。

生命のエネルギーとは、言い換えれば無条件の愛ですね。なので、癒しが進むと同時に自然に自分の中の愛も深まっていきます。

実は私はこれが一番の癒しの醍醐味ではないかと思うのです。悩みや症状がなくなりました~というのも、もちろん良いことですが、自分の本質が実感されていくと生きる楽さがぐんと違います。

もちろん、どんなセラピーのツールも魔法ではありませんし、すべての人に効果があるものというのも存在しないでしょう。また、個人的にはどんなセラピーも、トークセッションと組み合わせたほうが効果が高いと思っています。

しかし一度学んでしまえば、指一本で自宅でできるツール。緊急時にも使えますので、ぴんと来ましたら一生のお供にぜひどうぞ♪

 

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くすぶりを見つめると愛と出会う♪

例えば、すごく嫌なことがあったとして、ネガティブな感情を感じ続けているのは、すごく不快ですよね。

で、自分を観察していてそんなとき何をしていますか?

ネットに向かったり、音楽を聴いたり、人と話したり、テレビを観たり、おいしいものを食べたり、いろいろ気を紛らしているかもしれません。

と、同時によ~く観察してみると、その嫌なことを納得して、終わらせたいという気持ちもどこかにあるはずです。

なので、“これが人生というものだ”、“~~さんにも事情があるのだろう”、“私も悪かった”などと、どうにか丸く治めようとする思考も出てくるはずです。

これが悪いといっているのではもちろんありません。出来事を違う方向や広い視野で見ようとすることは健全な心である証拠でしょう。ストレスが高まると、考えが狭くなり、自分中心の見方しかできなくなりますから。

ただ、このときに少し注意深くなってもらいたいのが、「こころの状態」です。というのも、考えによって「本心」が隠されてしまうことがよくあるからです。

つまり、何かくすぶってしまうことです。自分でもどこかすっきりしていないのは分かっているし、本当に心が晴れていないのも分かっているはずです。

でも、そうやって思考で納得したのだから・・・と、そのくすぶった心を放置してしまう。

くすぶった心がたまってしまうとどうなるかは、インテグレイテッド心理学でもやっていますが、今日は少し違う観点から書いてみたいと思います。

基本的にくすぶった感じ、すっきりしない感じ、どことなく沈んだ感じ、なんかイラついている感じ、うっすらとして不幸感などは、愛が隠されてしまっているよ~というサインですね。

でも、このサインはあまり主張しないし、言葉を持っていないので、大きな声で分かりやすい「思考」にあっという間に隠されてしまいます。

なので多くの人が、「考える」→「行動する」というパターンばかりを繰り返して、「感じる」を忘れ、心を置き去りにしてしまいます。

でもやっぱり、なんかすっきりしないので、どうしたら良いか?とまた考えるみたいな。で、そこでそれは置き去りにした心があるからだと気づく人はほとんどいません。

なので、たいてい「状況が変われば、きっと楽になる、幸せになる」という考えに着地します。

状況が自分の思うようになれば、私は幸せになるはず、というのは多くの自我がはまっている幻想です。社会全体で一斉に深くはまっているので、これが幻想だと気づいたり、抜け出すのはけっこう大変です。

でも、放置している自分の心をきちんと見ていくだけで、状況に関わらず、「愛」(安心、平和、幸せ)を取り戻せるんです。

「愛」というと、なにかふんわりした優しいものみたいなイメージをする人もいるかもしれません。でも、もちろんそうではまったくなく、愛には何事にも立ち向かっていける強さ、忍耐、強靭さがありますね。また共存、共鳴というすべてを包括する広がりもあります。

思考は、前にも書きましたが基本的に「必殺仕分け人」なので、ものごとを切り刻んで解釈する、レッテルを貼る、というような「分離作業」がその役割です。

ですから、思考中心になればなるほど、効率性とか損得、価値や有効性、役に立っているかどうかなどが大切になり、また分離感も強まるので、自分と相手は違うものという感覚も強まりますね。

しかし、愛を中心に世界を見れば、相手が外国人だろうが、障害を持つ人だろうが、あらゆるものが共存することがいかに自然なことか、きっと感じられるはずです。

思考は、防衛と攻撃によって自分は生き残れるといい、愛は、共存とつながりによって生き残れるといいます。

現在の社会では、愛とか平和、共存という言葉を発すると、理想主義と言われ、地に足が着いていないと思われがちかもしれません。

しかし、それを自分のレベルに落とし込んだとき、自分の中で心の葛藤や攻撃が起きているとき、そこに自分を維持し、成長させてくれる生命の輝きはあるでしょうか? またそこに力強さはあるでしょうか? それとも萎縮した緊張感があるだけでしょうか?

また、愛は決して現実から目をそらさず、むしろまっすぐ本質に向かってそれを見据えようとします。

例えば、社会に起きた悲惨な事件、芸能人のゴシップ、世界の情勢、政治などなど、思考はああだこうだと批判したり、分析したり、自分の考えが正しいと言い張ったりします。

でも、愛はその出来事になかに、自分を見つけることはできるだろうか?と探します。なぜなら、すべての本質は自分(愛)であって、それが抑圧されているところに摩擦や苦しみがあると分かっているからです。

なので、出来事を批判したり、分析するよりも、愛が抑圧された場所を知り、その抑圧が解かれることを願います。自分を一見分離させているものを本質に戻そうとするんですね。

ここまで思考型になった社会が一夜で愛を思い出すことは、なかなか難しいでしょう。それまではどうしても、今ある制度や政策が必要かもしれません。

でも、心をきちんと見ていくということ自体は、そんなに難しいことではありません。なので、今までのやり方を維持する、強化するというよりは、私たちの本質である「愛」をどう取り戻していくか?に人々の意識が向けば良いのになぁと思うのです。

という気持ちもあり、ハートレジリエンス(ハートから生まれる強靭性)協会の活動もやっていきたいと思ったりしています。地道に気楽に~♪(基本、まったりしているときが一番が好き。)

そうそう、もしかすると、もしこの世界がありのままですでに完璧なら、または、もしこの世界が幻想なら、どうして、世界のために何かするの?という思いを持っている方もいらっしゃるかもしれません。

で、私が好きな言葉は、バイロン・ケイティの“それが愛がすることだから”です。(*^▽^*)

 

☆近々、EFTマトリックス・リインプリンティングの一般募集を始めます。ご興味がある方は、次回のブログをぜひお読みください。

☆一般社団法人ハートレジリエンス協会 熊本地震メンタルケアプロジェクト!

現在、HPに不具合があり、熊本地震メンタルケアプロジェクトが更新できません。フェイスブックページでご覧になって頂ければ幸いです。

 

虐待の癒し

なぜか急に書きたくなって、今回は虐待についてです。

ですがその前に、実はブログにはあまりセラピーのことは書かないようにしているんです。というのも、ブログの性質上、どうしても簡略して書いてしまうので、読んだ方が誤解したり、分かったつもりになってしまうのを避けるためです。

ので、今回もほんのさわりですので、そのつもりでお読みくださいませ~☆

まず、虐待というのは、たいていある一定の時期に繰り返し行われているため、カテゴリー的には「複雑性トラウマ(Complex PTSD)」となります。

ちなみに、一般的にはトラウマというと、災害や交通事故による一過性トラウマ(PTSD)のことを指しています。

ということで、虐待は基本的にトラウマとして扱うものです。

さて、私たち人間とは、「思い-感情(感覚)-体」の三位一体の存在ですよね。楽しいことを思うと、ウキウキした感じになり、体が軽くなる。ネガティブなことをイメージすると、不安が出てきて、体が緊張する・・・というように。

また、ものすごく怖かったときなど、体が震えますよね? 現代人はかなり思考型になっているので、つい忘れがちですが、「思い-感情-体」というのは、常に連動して機能しています。

では、どんなふうにトラウマができるのか?

かつては、「戦うか逃げるか(Fight or Flight)」という場面で作られるというのが定説となっていましたが、現在では、「逃げることも戦うこともできずに、フリーズしたとき(Fight, Flight, Freeze)」にトラウマになることが分かってきています。

と、ここまでまるで、トラウマに関する理論を書いているように読めるかもしれませんが、めちゃくちゃ経験とマッチします。一応、経験とマッチしない理論は採用しない主義です。

で、例えば、小さな子どもが大人から暴力を振るわれる場合、戦うことも逃げることもできないわけです。ので、大声で叫ばれながら、体を叩かれたりした場合、なんとかそこで精神的に生き残るには、感情を麻痺させて、受けているショックを自分から切り離してしまうことです。

これは、身を守るという生理的な現象であって、その人の性格が強いとか弱いとか関係なく、身体の自動的な機能です。

で、そのときはそれでなんとか精神的に壊れずに、自分を守るわけですが、問題は、フリーズされた感情やショックは、解放されない限り、体にそのまま残ってしまうことなんです。

ちなみに、欧米では「トラウマはまず体から」という認識はかなり浸透しています。なので、出来事自体は過去のことですが、体のレベルではトラウマは現在進行形で生きているんです。

そのため、出来事自体は何年も前のことなのに、フラッシュバックや不安症、動悸、不眠、抑制できない突発的な怒り、欝、生き辛さなどなどが、今、症状として出てくるんですね。

で、体のレベルでそのときのショックや感情が残っている限り、例えば「私は無力だ」とか、「私の存在は人の迷惑だ」とか、そういったビリーフもどうしても生きてしまいます。

また、ショックや感情は自分が抱えきれないほど大きかったから麻痺させたわけで、その大量のエネルギー(感情だけではなく、そのときにあった匂い、音、ビジュアル、すべて体はダウンロードしてフリーズしています)をフリーズさせ続けておくには、けっこうなエネルギーが使われます。

若いうちは、なんとかうまく抑えておくこともできるので、考え方、見方を変えることで、自分では克服したつもりになっている人にもけっこうお会いしました。

でも、残念ながら思考だけでどうにかしたつもりでも、ダウンロードされてフリーズされたものは、そのままという場合が圧倒的に多いんです。

なので、更年期になってきたりすると、抑える力がなくなり、欝っぽくなってしまったり、身体になんらかの形ででてきたり。

また、若いうちでも、やはり人生のなかに何らかの形ででてしまいます。例えば、父親に殴られていた人は、権威と映るものに対して恐れや怒りがあったり、自分を他者を信頼するのが難しかったりなどなど。

また、無意識に常に警戒・防衛体制になっている場合も非常に多いです。子供のころ、いつ親が怒り出して叩かれるか分からなかった場合などは、常に危険を察していないといけなかったため、無意識に周囲の様子や人の様子をうかがっていたり。

ただほとんどの場合、本人がそれがトラウマ(虐待)のせいだと分かっていないものです。

さて、虐待(複雑性トラウマ)の具体的な癒しの方法は、残念ながらブログには書けませんし、それこそ一人でワークするのはかな~り難しいです。

しかし、身体のレベルでのセラピーを根気よく続け、また、ビリーフなど思いのレベルでもワークしていくことで、ほんとうにひどい虐待の経験からよくなった人も多く見ています。

私自身、一過性のトラウマを身体(感情)のレベルのワークを中心に、いくつかすっかり癒すことができました。

ちなみに私の場合、身体のレベルのワークというのは、例えば、EFTやマトリックス・リインプリンティングです。個人的にはTRE(トラウマ解放のエクササイズ)もとても役に立ちました。

正直いえば、虐待の癒しはそれなりに時間がかかります。でも、地に足を着けて、長年置き去りにした自分を会いに行く、愛をまた見つけに行くジャーニーだと思えると良いかもしれません。

解放の途中には、ものすごい怒りとともに親への罵詈雑言、自分を否定するどぎつい言葉などが、わんさと出てきます。それでも、それらの声のすべてが受け入れられ、変容していったとき、認知のシフト(見方、考え方が変わる)が自然に起きるんですね。

そして、ほんとうは自分がどんなに親を愛していたかが思い出されたり、自分は常に愛とともにあったことが分かったり、それらの声で見えていなかったものが顔を出してきます。

そして、セラピーのお話上、虐待は複雑性トラウマとして見ると書きましたが、もし、あなたにその体験があったとして、あなたは「複雑性トラウマがある人」ではありません。

単なる便宜上のレッテルをアイデンティティにする必要はまったくありませんよね。あなたはあなたであって、フリーズしてしまった自分の部分を解放してあげる癒し手☆

最後にしつこいようですが、超さわり、大雑把にしか書いておりませんので、そのようにご理解くださいね。

もう少し詳しく知りたいという方、ハートレジリエンス協会では、8月27日(土)にこのテーマと重なる「愛着障害」のショートセミナーを開催します。ご都合がつけばぜひ~♪

 

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7月 “職場での境界線 どう引く?”

見えない心のガイドライン「境界線」を知って、快適な職場での人間関係を作る方法

8月 “その生き辛さ、もしかして愛着障害かも?”

愛着障害と克服セミナー

ブログが書けない?

人気ブロガーなどが脚光を浴びる今日この頃、私も~ということで、ブログを書こうとする人も増えているようですね。

または、セラピストやヒーラーさんなど、いわゆる自営業であれば、自分のブログはあったほうが良いよね~という認識も広がっているでしょう。

でも、それじゃぁということで、ブログの記事を書こう!、ん?・・・書けない・・・手が止まってしまう・・・という類のご相談も増えているようです。

そもそも何か書きたい!という情熱あるのか、それとも自分が成功するために書いたほうが良いと思っているのか?でも当然大きな違いがありますよね。

で、書けない理由はもちろん一つではありませんが、多いパターンとして、自分が一体何を求めているのか?が、はっきりしていないというのがあります。

自我とは基本的に思考型で、今に満足しておらず、先回りをしたがる傾向があります。つまり、こうなりたい(未来)というイメージに引っ張られがちなんです。

例えば、“あんなふうに人気があってキラキラしている人になりたい”、“あの人はお話会に人がたくさん集まって楽しそうだ。私もあぁなりたいな”などなど。

で、そうなるには、みんなの共感を得る記事を書くことだ、みんなが面白がる記事を書くべきだ・・・と、ハウツーに意識が行ってしまいます。

ところが、コンピューターの前に座ると、う~ん、何を書いたら良いか分からない・・・。

この場合、当然何を書いたら良いかなどまったく分からないでしょう。なぜなら意識が、“みんなが面白がる”、“みんなが共感する”など、“みんな”にあるからです。

“みんな”というのは、一体誰を指しているのかがあいまいで、非常に抽象的で、捉えにくいものです。なので、“みんな”を対象にしたとたん、迷子になりますね。

すると、いやいや、30代の独身女性とか、ある程度客層を絞れば良いのだとか、アドバイスをくれる人もいるかもしれません。

なるほど~と、30代の独身女性が何を求めているかを考えてみる・・・。これもたぶん、うまく行かないでしょう。やはり、意識が自分ではなく“外”にあるからです。

念のため、マーケティングやツールを否定しているのではありません。

何が言いたいかと言うと、こんなふうに意識が内側にきちんと向かず、イメージばかりが先行して、ツールが重要だ!と思ってしまった場合、たいてい地に足が着かずにふらふらしてしまうということです。

「私は~~をやりたい」という一番大切な土台がないからです。

“みんなが~”とか“30代の独身女性が~”ではなく、「私がこれを書きたい」「私はこう思う」という土台です。

私はこう思うから、こう書きたい、終わり。

共感してくれるかどうかは、後からついてくるものですね。最初から狙うものではなく。

セラピストになりたいという人に、理由は?とお聞きすると、“人の役に立ちたいから”という方もそれなりにいます。が、私は、う~ん、大丈夫かな~と思ってしまいます。

人の役に立てる職業は山ほどあり、なんだか漠然としているからです。人の役に立っている自分というイメージに引っ張られていないかなぁと思ってしまうのです。または、人の役に立っている自分になれたら、自分を好きになれるという飢えた思いからきているかもしれません。

ハートの声とは、イメージや飢えた気持ちなどがなく、“今”ただ興味がある、ただ好き、ただやりたい、ものですね。

今、心のしくみを知るのが面白くてたまらない、今、セラピーをやっているのがとにかく楽しい、トラウマの解消という言葉にワクワクする、などなど。

一方、イメージというのはたいてい未来にあります。今目の前にあるものや、やっていることをわざわざイメージしたりしないでしょう。

または今と違う状態。今はそうじゃないけど、“成功している自分”とか。やっぱり、未来ですね。

先ほど書きましたが、自我の「先回りぐせ」です。

先にこうなるために今がある、将来こういう自分になるために、今これをやる・・・みたいな。

じゃぁ、将来小説家になりたいから、ライターの学校に通うのはどうなの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。

その場合、例えば、みんなを感動させる小説を書いて有名になりたいというイメージが先行しているのか、理由はないけどなんか書きたい、自分の中にあるものを、沸いて来るものをただ表現してみたいということなのか、ですね。

キラキラしたイメージ、ポジティブなイメージは、一見あたかもハートから出ているように見えるかもしれません。それこそワクワクするかもしれませんし、楽しい感じがするでしょう。

今までずっと思考中心でイメージを追ってきた人ほど、ハートの声とキラキライメージの区別が難しいかもしれません。

でも、ハートの声はいつも「今」にあります。それが大きな違いですね。

「今」やりたいことはあるの?ないの? 何か惹かれるものはあるの?ないの? あってもなくても、どちらでも良いんです。

ハート(生命)に戻ることが大切です。そうすれば、いつか何か現れてくるでしょう。

ということで、「結果(イメージ)→ツール」という発想から、「ハート→ツール→結果はおまかせ」というパターンはいかがでしょうか?

創造の源は今にしかなく、そこは生命というものを生み出す発露ですね♪

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“職場での境界線 どう引く?”

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苦しいなら“内に”飛び込もう♪

かつてロダンの「考える人」は、私にとって人間のみが持つ「考える」という“崇高な能力”のシンボルのようなものでした。

いつの間にか、だんだんそれが「苦労する人」に見えてくるようになり、今では、まぁ、そう真剣にならずに~と肩をたたきたくなります。

この「考える」という能力は、素晴らしいものであると同時に、思考が持つ性質上、どうしても私たちを実体から遠ざけてしまいます。

例えば、私たちが将来について心配するとき、まだ何一つ起きていないことを真剣に悩んでしまでしょう。実体はゼロでも、「考え」によってないものを作り出し、いくらでも悩めるんです。

でも、私たちの多くは、考えることでものごとを対処していくことを常にしていますね。問題がある→考える→何かを参考にする→また考える、みたいなパターンです。

これは心の問題でも同じで、例えば、姑との問題でん悩んでいる→こんなふうに見方を考えてみよう!(自分にも落ち度があるのだし・・・)というような、たいてい私たちは考えのレベルで解決しようとします。

同じように、注意を別のところへ持って行こうということもするでしょう。悩みや嫌なことではなく、感謝できることや楽しいことへ自分の気持ちを向けて気分を変えようとか。

または、心理学や自分なりの理論を持ち出して、

誰かに嫉妬していて苦しい→嫉妬をするということは、常に比較をしているということだ(分析)→比較をするのを止めよう、といったようなパターンも見かけます。これはかなり無理無理です。実際にやってみればすぐに分かります。

他に多いのは、自己啓発系などでまったく新しい見方を提示してくれるもの。“そうか我慢しなくて良いんだ!”、“なるほど、そう考えられるんだ!”などなど、緊張した思いを手放して楽になる・・・というパターン。

これらはうまく作用すればかなり楽になれますし、思考レベルでのワークもきちんとやるのはお薦めです。

でも、本当に苦しい場合、こんなふうに「考え」で心の問題を解決しようとするのは、非常に限界があります。どれだけブログを読み歩いたり、本を漁ったりしても、まったく楽になりません。

じゃぁ、どうしたら良いか? そうです。

自分の中にダイブイン!するんですね。

ほんとうは苦しくない人にもぜひお薦めです。

私たちが苦しいと感じているときは、または慢性的に苦しい、もの心ついたときから生き辛いという場合、原因は人それぞれもちろんいろいろあります。

しかし、共通しているのは、必ず心の深いところでいくつもの「自己否定」が走っていることです。そして、それらの否定的な思いがきちんと表に出てこずに抑圧されていると、かなり苦しい状態になります。

また、そういった自己否定は他者否定や世界への否定(この世は醜い場所だ)として転換されますね。

もちろん中には、自分を否定していることぐらいわかっている・・・と思う方もいらっしゃるでしょう。その場合、そこから入っていけば良いんです。もっと下にいろいろな他の否定の思いや感情が隠されています。

で、解決の糸口になるのは、なんといっても「身体」です。苦しいとき、体のどこに一番苦しさ、緊張、ネガティブな感覚があるか? そこがダイブする入り口です。

ほとんどの人の中に自分を嫌っている自分がいるものです。“自分は分離した存在である”と錯覚した時点から、「自分は欠けている」「自分はいけていない」「何か自分にはまずいところがある」といった感覚が私たちの中に生まれます。

奇跡のコースではこれは「罪悪感」と呼んでいますね。つまり、自我はそもそも「自己否定」がベースになっているんです。

その上に、思考という善悪を判断したり、レッテルを貼ったり、ものごとを定義づけたりする「必殺仕分け人」の世界にどっぷり浸かるわけです。

「自己否定」+「善悪の判断」

この二つが混ざれば、もう見えてくるでしょう。自分を見たときにあれこれ「悪い」ことばかりが目に付いてしまいます。で、あまりに「悪い」ことばかり目に付いてくると、苦しくて抱えきれない→蓋をしよう→良い私になろう、と自分が本当に感じていることを抑圧していきます。

私自身もびっくりするぐらいたくさんの「自己否定」の声と出会ってきました。これは、ダイブインをしないと本当に出会えなかったとつくづく思います。

「出会う」と書いてしまうぐらい、普段まったく気がついていないんです。その声は「私は汚すぎてダメだ」、「何をやっても常に間違っている」などなどです。そこにはたいていものすごいエネルギー(感情)の量があります。

また、例えば「汚さ過ぎてダメ」という声と出会う前に、いくつもの抵抗や思いが覆いかぶさっていることも多く、何重にも抑圧していた自分の心が見えてくるんです。

ただ、ここで私は決して「取り除こう」としてダイブインをしているのではないんです。あくまでも自分の隠された声たちに会いにいき、抱きしめたいんです。

ネガティブな感情の裏には必ずポジティブな感情があります。たとえば、無力感や恐れの裏には、希望や愛を切実に求める声があるんです。その声は自分が本来そういったものであることを知っているんですね。

そこで無力感も希望を求める思いも一緒に抱きしめてあげれば、全身が愛で包まれます。

これは、どんな理論や分析、データよりも100倍以上パワフルです。いろいろしくみを書いていますが、基本的に私は完全に「体験派」です。(心理セラピストなのでいろいろなツールを使います)

愛がすべてを癒すのだとしたら、考えを超えたところまで深く潜ってみませんか?

 

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“職場での境界線 どう引く?”

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相手を責めるとき、苦しい本当の理由

「あの人の言動のせいで私は傷ついた」「あの人の言動が悪い」「あなたは、私にひどいことをした」「あなたは私を悲しませる」「あの人は言動を変えるべきだ」・・・・。

「あなたが悪い、間違っている」という思いは、人間関係のなかで私たちが度々持つ思いでしょう。というか、人間関係が難しいと感じているとき、私たちはたいてい相手を悪く見ているはずです。

でも、最近は「相手のせいばかりではいけないよね、自分も見つめてみようよ」という視点を持つ人も増えてきたかもしれません。

このブログでも、「自分を見つめる」という話は、百万回ぐらいしてきたかなと思います。(というか、それぐらい書いた気持ちになっている。)

ということで、私たちは誰かを悪者にして、相手の何がいけないか、相手がどう変わるべきか、相手が何をするべきでないかという思いに囚われているとき、言い換えれば、ベクトルがすっかり相手に向いているとき、私たちの心の中では、実際に何が起きているのか?という観点から書いてみたいなと思います。

で、単刀直入に答えを言ってしまうと、ベクトルが相手に向いているとき(相手が悪いんだし)、当然、ベクトルは自分へ向きません。

なので、起きていることは、

「自分の本当の声を無視している」

です。

苦しみの原因は、実はこっちにあるんです。相手ではなく。

相手は本当にひどいかもしれないし、自分が100%正しいのかもしれません。でも、それはある意味どうでも良いんです。

どんなに相手を罵ったところで、決してスッキリしないことは、おそらく皆さんも経験していることでしょう。

というのも、いつまでたっても「自分の本当の声」が抑圧されたままだからなんです。また、その声(思い)にくっついている感情が解放されず、重たく、緊張したままに放置されているからです。

本当の声とは、その人、そのケースによって様々すぎて例にも挙げられないぐらいですが、例えば、“私の存在に気づいて”、“私の心がつぶされている”、“身動きができない”などなどといった、ほぼ自分がスルーしている思いです。

また、自分が正しくて、相手が間違っているのなら、本来めでたい話ですが、なぜか、相手が間違っていると思えば、思うほど苦しくなりますよね。

というのも、このとき自分の心の中を見つめてみると、「あなたのせいで私は不幸です」といったような感覚、思いがあるはずです。

で、これは、早い話、犠牲者意識ですね。

ですので、真に癒されたい声は自分によって無視され続け、相手が間違っていると思うほど、犠牲者意識は強まり、苦しい~~!となってしまうんです。

このとき、苦しさから抜け出す早道は、やっぱり「自分の声に耳を傾けること」。

自分の声とは、決して「もうこんなの嫌だ!」とか、「いい加減にして欲しい」とか、「私はこんなに我慢しているのに」とか、そういった表面にある声ではなく、それらの声のもっと下にある、たいてい自分が長い間放置していた声(思い)です。

そもそも、この放置された声があるから、相手の言動に反応してしまい、感情が噴出してしまってもいるんです。で、この声に耳を傾け、ずっと無視していてごめんなさい、気持ちはよく分かるよ、などとしっかり受け取ります。

これだけでも、怒りやら、悲しみやら、虚しさ、無力感やらが落ち着き、だいぶ正気を取り戻せます(笑)。

こうやって書くと、とてもシンプルに聞こえますが、自分をこのように見つめることは、実はかなり面倒なことです。

ある意味、相手のせいにしたままでいたほうが、自分の正当性が保たれ、そこに自分の存在価値を見出しているほうが簡単なんです。本当はまだ苦しいのですが、ある意味手軽な“なぐさめ”です。

そのなぐさめに、さらにスピリチュアルな意味合い(波動の低い人とは決別しよう・・など)を盛って、どんどん自分の声から遠ざかっている人もそれなりに見かけます。

または、あの人を見返してやる、自分が間違っていたことを思い知らせてやる・・・というような、相手に対する怒りを自分の生きる原動力にしてしまうこともあります。これは成功体験がくっついてしまうほど、「自分の声」から遠ざかってしまいます。(無視しっ放し)

なので、自分の意志は成し遂げたけど、心のどこかに大きな緊張感も残ってしまいます。

また、怒りを握りしめ、相手を悪者にし続けていることで、自分の長年投資してきた(?)価値観を守り続けられる・・・というのもあります。

他にセッションでは、相手に対して怒りを持ち続けていれば、相手からまた傷つけられないで済むと思っているケースなどもけっこうあります。

このような意識的、無意識的にいろいろな理由によって、自分を見ないようにする傾向は、すべての人(自我)のなかにあるでしょう。(ぜ~んぶ経験済み)

でも、自分の中にある隠された声。あったことも気づかないぐらい押しやられた声。これを探し出すこと。(入り口は感情です。)

ベクトルを相手ではなく、自分の深いところに向けたとき、真の癒しが始まります。

そして、この自分の隠れた声をしっかり受け止めたとき、それは始めて抑圧から解かれていけます。

それは犠牲者意識からの回復、私と私を傷つけるあたなという構図と正論という名の檻からの解放です。

それが起きたとき、きっと同じ風景がうんと優しく見えるはず♪

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ハートレジリエンス協会が送るショートセミナー

“職場での境界線 どう引く?”

見えない心のガイドライン「境界線」を知って、快適な職場での人間関係を作る方法

感情!楽になる近道♪

気仙沼で二日間、大セッション大会を開催しました♪ 現地のNPOさんのおかげで7人のセラピストが休むことなくフル稼働いたしました。

カウンセリングやセラピーは通常ある程度継続してもらう必要があります。ですが、被災地の場合一期一会であることが多いので、泣いても笑っても1時間のみです。

で、いつも思うんです。

もし、EFTやマトリックス・リインプリンティング(MR)がなかったらどうなっていただろう・・・・。

1時間お話をしていただけでは、それがどんなカウンセリングの手法であっても、とうていこんなにトラウマやストレスの解放はできないとつくづく感じます。

もちろん、カウンセリングの手法の中には、考え方、見方を変えて不安や怒りをなくそうというものもあります。今まで気がつかなかった角度からの見方を提示され、思いが変わることで楽になる・・・・というような。

しかし一方では、 “頭では、間違っていると分かっているんですが、どうしても思いを変えられないんです~”という訴えも非常に多いです。

また、震災のトラウマなどは、話をすることで再体験だけしてしまい、何も解放されずに余計苦しくなってしまった・・・というケースもよく見ます。

私の経験上では、もともと健康な下地がある人は、辛いことがあっても、こういった思考レベルだけのワークでも回復できます。が、もっと深いレベルで傷ついている場合は、かなり無理というか無理。

で、話は一見飛びますが、セミナーなどでたまに“あゆかさんは、~~~~なとき、どんなふうに自分に言い聞かせますか?”みたいなご質問を頂きます。

ですが、自分自身に言い聞かせるということは、私はまったくしないんです。

というのも、それで心底スッキリすれば別ですが、本当に思っていることを言い聞かせることでごまかしてしまうことも非常に多いからです。

それよりも、感情を解放してしまえば、思いは勝手に変わり言い聞かせる必要がまったくなくなります。(EFTでは、認知のシフトと呼んでいます)

で、例えばノンデュアリティでも、「起きることが起きているだけ」、「すべては幻想である」といったメッセージがありますね。

これを単に“そうなんだ~”と頭で理解し、自分に言い聞かせてしまうと、まったく同じことが起こります。

それなりに自己価値がしっかりしている人は、こういったメッセージを“これも起きていることが起きているだけなんだなぁ・・、目くじら立てたり、深刻になりすぎなくて良いじゃないか・・楽~”となるかもしれません。

とはいえ、頭の理解だけでは、知識が一つ増えたにすぎませんが。

しかし、もともと無力感が大きい、自己否定が強い、機能不全家族で育った、虐待があった、トラウマがある・・といった場合、心の中にたくさんの抑圧された感情があります。

なので、こんなふうに頭で言い聞かせてしまうと、これらの本来ならきちんと受け止めて解放されたい感情が、さらに蓋を閉められて、もっと苦しくなってしまうんです。

また、頭で理解しているだけなので、目線はがっつり自我目線です。なので、世の中にはたくさんの悲惨なことがあるようにしか見えません。

そこで疑問が沸くのです。“こんなひどいことがあるのに、幻想って言っちゃうの?”

これは言いかえれば、“私はこんなに苦しいのに、これが幻想ってことは、気にしちゃいけないの? みんな気にしてくれないの?”です。

抑圧された感情にもし声があるとしたら、“私はこんなに苦しんでいるから、ちゃんと見て欲しい、注意を向けて、受け入れて、ケアして欲しい”と叫んでいるんですね。

一番気づいて欲しい相手は自分ですが、その自分が言い聞かせてしまうことで、その声を無視してしまう。だから、スッキリもしなければ、持って行き場のない辛さだけ残ってしまいます。

でも、自分の心の中を丁寧に見つめ、一体どんな感情が抑圧されているのか? どんな気づいていない思いが封じ込められているのか?、そしてそこにごっちゃりついている感情の層は何?などなどが分かってくれば、それは確実に楽になっていく道筋です。

ということで、ほんと“感情だよ、感情!”と声を大にしたいのです。

どんなふうに考えれば良いのか?ばかりに集中せず、“今、私の心の中はどんな感じ?どんな感情、感覚があるだろう?”と体に聞くんです。

で、もしそれが不安なら、まずはそれが入り口です。そこから、もっと下の感情や原因となっている思い込みや解消されていないものが見えていきます。

私たちセラピスト仲間では、“ここから潜る”といったりします。

自分の中を見るというのは、ほんと億劫なものです。男女差別的発言をすれば、特に男性は感情に蓋をして、思考レベルでどうにかしようとする傾向が強いなぁと思います。で、悟りで一発逆転狙い!みたいな。

でも、ノンデュアリティは癒しのツールには決してなり得ません。ですが、自分の心の中を深く見ていくことで、自我とは何か?ネガティブな感情とは何か?を体験的に必ず知っていくことができます。

自我は真実への邪魔者ではなく、深く理解されることで真実への道しるべにもなり得ます。

いわゆるネガティブな感情の中に実はどれだけの愛が隠されているか、それは、感情やストーリーを深く見て(はまるのではなく)、しっかり受け入れ(すべての感情を100%許し、降参したとき)、静かにとどまり続けたときに実感できるものですね。

そしてその愛は、見事に不動で無条件で、徹底的に静かで時間もありません。「空」そのもの。

現象を深く見ていけば、「空」を知る。空と色は決して分けられない、この不可思議な「それ」がわたしたち。

最後はノンデュアリティになってしまいましたが、まっ、いいでしょう♪ うふふ。(*^_^*)