投影~思考は現実化しない♪~

「非二元蓋」という言葉を春のノンデュアリティの会で話したところ、かなりの人が「非二元豚」と受け取り、非二元の知識で肥えてしまった豚という意味だと思ったそうです。あはは、それはそれで面白い。

ですが、音ではなく漢字で見ればそのまんまですが、苦しみを非二元のメッセージで蓋をしてしまうという意味です。私はいないはずだから、私の苦しみも幻想なのだ・・・みたいな。

他に、自己啓発蓋、スピリチュアル蓋などもありますね。

さて、私たちが苦しいと感じるのは、自分の中に抵抗や否定、抑圧などがあるからです。

自分を許せない、自分は他の人より劣っている、ありのままの自分でいてはいけない、自分はどこにも属さない、などなど、100万通りの抵抗や否定を私たちは抱えています。

例えば、新しい職場で働くことになり、緊張と期待で行ってみたら、職場の雰囲気が殺伐としていて、分からないことを聞ける感じではないとします。

このとき、意識の深いレベルで“自分は能力がない”と思っていたら、不安の度合いはどれぐらいあるでしょう?

とりあえず、職場のほかの人たちが自分をどう思っているのかがすごく気になったり、または常に他の人と自分を比べ、自分は出来ていないと判断して焦ったり、自分をさらに否定をしたりするかもしれません。

家に帰っても緊張が残り、次の日の通勤電車の中でも重たい気持ちになっている・・・・、そんな日がずっと続く。

解消されない思いや感情を毎日持ち続けるとエネルギーが下がり、苦しさも増していきます。

でも、私たちはどうしたら楽になるかなど知らないので、自我が一番良く知っていて手っ取り早い方法が、なんとか抑圧すること。

お酒やネット、食べることなどなどで気を紛らわして蓋をして抑圧する。または、苦しみが大きくなると非二元蓋や宗教蓋、人によってはドラッグなどが必要になるかもしれません。

もちろん、本当の意味ではまったく楽にならず、どんなに蓋をしても、それらの思いも感情もしっかりあります。

で、次にどうなるかというと、それを外に投影するんですね。

蓋をして自分の中にはないことにしたものは、ぜんぶ外に投影され、リアル感100%です。これを“思考が現実化する”と勘違いする人が非常に多いのですが、まったく違います。(ないことにしたので、自分ではまったく気づかなくなります)

そのへんを説明するのに、もう少しついて来てください。

例えば、自分が気づいていないけど、実はしっかりある思いは、「自分は思っていない→他の人が思っているのだ」になります。

つまり、周囲の人が自分のことを“お前は能力がない”と思っているように見えるんです。

なので誰かが、“ちょっとこのレポート分かりにくいです”と言えば、“能力がないと思われている!”と解釈したり、上司に“ダメだ、こんなやり方は!”などと言われた日には、この思いにヒットしすぎて、すごく痛い。

で、たいていは“上司は自分のことをダメだと思っている。自分なりに頑張っているのに。上司ならもっと丁寧に部下を指導するべきだ”などと、上司憎し・・・になったり、または、上司が怖い、苦手だ・・となったり。

これは、嫌な上司を引き寄せたのでも、バカにされる現実を自分が作ったのでもなく、単に自分がそう解釈しているだけです。そう見えて、感じてしまっているだけなんです。

ただ、本当にそんなふうにしか見えないので、自分がそう感じているだけだとは到底思えないものです。なのでクライアントさんでも、それは事実です!と食い下がる人多しです。(細かくはインテグレイテッド心理学でやっています)

それだけ真実味、現実味が高いという意味では、人は自分の思考の現実を生きていると言っても良いでしょう。

ですが、基本的に思考はいつも後だしジャンケンです。思考がなくても、現象は起き続け、思考も現われては消える現象の一つです。

ただ多くの人はあまりに思考に同化しているため、自分=思考=主体のような感覚になっていますよね。

思考は観察される側であるのに、常にものごとを判断したり、解釈したり、レッテルを貼っているので、自分は観察側だ、主体の側だ、現象をコントロールできるのだと勘違いしてしまっているんです。

話を非二元豚に戻します。あっ、パソコンが豚と変換してしまった。蓋です。

ここで本当に苦しい原因は、“自分は能力がない”と思い込んだ自分が抑圧されていることですね。ちなみに、これはまだ大雑把なので、OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、どんなふうに能力がないのか?なにが欠けていると思っているのか?などを探り、もっと深いセルフイメージまで見ていきます。

するとそこにはたくさんの感情、思い、記憶、イメージがあります。そして、それらが暗闇にすっかり抑圧されていたため、苦しみを生んでいたのですね。上司や職場はある意味関係ないんです。

セッションはたいていとても個人的なストーリーから始まります。夫が~~、仕事場で~~、お金が~~~、姑が~~、子供が~~~とあらゆる個人のストーリーがあります。

しかし、深いレベルまで見ていくと、途中から状況はほんとうにある苦しみ、自分が抑圧した苦しみを刺激しているだけなのだと分かってくるでしょう。

また、この抑圧された思いは、基本的に私たちが100%そうだと信じている思いです。なので、ものすごくリアルですし、“個の私がいる”感をバンバンに感じさせます。

ですから、実は苦しい人ほど、分離感、“個の私がいる”感が強く、非二元のメッセージなどはすごく遠く感じるはずなんです。

ちなみに、自分がいなくなった状態になるのではなく、“初めから個の自分はいなかったと知る”です。どんなに個の自分がいる感じがしても、それはこういったビリーフや感情の集積がそう感じさせているだけです。

ということで、まずは自分を自分の抑圧から解放してあげられると良いですね。

みんなの中に本質、愛へ戻りたいという欲求が必ずあり、それを癒しを通して実現することも目覚めの一つのかたちでしょう♪

 

PS: 思考が現実を創る~の誤解に関しては、その人がどう定義しているかにもよるでしょう。とりあえず、今回は非常に端折っていますのでいつかちゃんと書いてみま~す。

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みんなが密かに求めているもの♪

イギリスに戻って、ロンドンの地下鉄に座っているとまさに人種のるつぼで、私は心底心地よさを感じます。

人種が違うカップルもたくさんみかけるし、それぞれがそれぞれに生きる姿を見て、ほんと人間として同じだなぁと何ともいえない暖かい気持ちになります。

で、ずっと私のなかにある夢があります。それは、ジャン!

世界平和♪

地下鉄に乗っている多くの国の違う人たちを見て、もし、この人たちが“自分の国のために”ではなく、 “人類のために”と一緒に考え、手を結んだら、どんなにパワフルで素晴らしいだろう・・・・と夢想するのです。

それぞれの違う文化をお互いに尊重し、自分の国を愛するから、他の人たちが自国の文化を愛する気持ちも理解できる。

愛国心という言葉がありますが、真の愛とは分離を知りません。好き、嫌いを判断するのは愛ではなくて思考です。

なので、本当に自分の国を愛しているのなら、その愛は国や人種を超えてすべてに微笑むはずです。なのでもし、自分の国は愛しているけど、ある人種は大嫌いと言うなら、それはウソの愛です。

人種まるごと嫌いというような大雑把な嫌い方をし、自分の国は素晴らしい、自分たちは何も悪いことなど一切していないという見方は、基本、自己嫌悪の投影です。

本当は自分のことをダメだ、嫌いだと思っているけど、そういった思いに向き合っているのは辛いので、自分は良いのだという思いで蓋をし、なので自分への批判は一切受け入れられず、抑圧した嫌悪感を外に投影するんですね。

これは、分離の最も強い状態です。自分の気持ちともつながっておらず、ましてや他者の気持ちなどぜんぜん分からない。つまり、真の愛から最も遠く、愛を知らない状態です。なので実は苦しいはず。

話を戻して・・・・、

例えば、家族を守るために戦う、国を守るためになら自分の命も投げ出す・・・という思いは、どの時代、どの国でも賞賛される思いでしょう。

では、私はそれをやるだろうか?と振り返ったとき、死ぬこと自体は怖くないけど、喜びよりも悲しみのほうが大きく感じるんです。なぜなら、もし家族や国が守れたとしても、戦いである限り、多くの命が奪われ、誰かが悲しみ、そして誰かが憎しみを持ってしまうからです。

憎しみが残ってしまう限り、気持ちが重くなってしまうのです。

では次に、人類が分離の幻想から目覚めるために死ぬことはできるだろうか?とイメージしてみると、すっごく嬉しさが沸いてきます。超ワクワクして、今すぐにでも死ねる!と本気で思います。

きれいごとを言っているのではまったくありません。

なぜなら、これはある意味ホームカミングで、本質(愛)に戻るというすべての自我が密かに一番望んでいることだからです。

非二元の本のタイトルに例えば、“Die to Love”(邦題:愛のために死す)とか、“I hope you die soon”(邦題:早く死ねたらいいね!)などがありますが、それは自分は分離した個であるという幻想が死んで、本質に目覚めるという意味です。

もし、みながついに分離の幻想から目覚め、愛でつながり、お互いが本当は愛し合っていることを思い出せたら、これ以上に完結した感覚、恍惚感は味わえないはずです。

とはいえ、現在の自我の恐れが非常に強い地球で、すべて愛だよね~と無防備になろうと言いたいのではもちろんありません。自衛隊も必要でしょうし、家の戸締りも必要です。

でも、戸締りを強化することばかりにエネルギーを注ぎ、分離感を強めていくのではなく、自分の中や社会、世界の中に愛を増やすにはどうしたら良いのだろう? 心の国境を超えるにはどうしたら良いのだろう?と真剣に見つめてみることはできると思うのです。

非二元は、「空(純粋意識=私たちの本質)と「色(現象=自我)」は二つではないと教えてくれていますね。つまり、自我と自我の本質は決して分けられないのです。

自我の本質とは純粋意識であり、純粋意識もが持つ性質は、愛、受容、静けさ、平和です。だから私たちは、この本質そのものでもあるんです。すべての人の中に仏性があると言っても同じことでしょう。

で、これを書きながら頭の中で流れている曲は、もちろん、ジョン・レノンの「イマジン」

“想像してみよう、国境がない世界を(Imagine there’s no countries)”
“あなたは私のことを夢想家と言うかもしれない。(you may say I’m a dreamer)”

例え夢想家だとか理想主義だといわれても、誰かが言い続ける必要はあるでしょう。

では、歌が下手っぴーな心理セラピストとして、私がやれることは何か?と考えれば、先ほども触れたように、癒しを通して自分の中に愛を取り戻していくこと。

私の心の中の分断、分離、恐れを見ていく。表面ではなく、深いレベルでどれぐらい自分を受け入れている? どれぐらい自分が許せる? どれぐらい自分を責める思いから解放されている? 自分の中の恐れも含めて、どれぐらい自分が愛おしい?

本質を知り、自分の中に愛が増えるに連れ、ジョン・レノンが夢想家なのでもなんでもなく、本当は多くの人が逆に夢の中にいるのだと感じられてくるはずです。

でも、イマジンの歌に共鳴する人が世界中でたくさんいることが、私たちが本質を忘れていない証拠でもありますね。

ということで、I hope someday you’ll join us  and the world will be as one ♪♪♪
(いつかあなたも僕たちに加わってくれたら、世界は一つになるだろう)

 

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目覚めと癒しの微妙な関係♪♪

実は、二つのブログ(魂のケアと気づきのダンス)を合体させようかな計画を考えています。というのも、今年から今までやっていた癒しの方法に「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」という名前をつけ、心のケアと非二元を同時に語れたらなぁと思うようになってきたからです。

とはいえ、非二元のメッセージ自体は人を癒すものではなく、基本的には「太陽は東から昇って西に沈む」みたいなあるがままの真実を語っているものです。

それを人生や苦しみの解消に役立てようというのは、やはり無理があるでしょう。ですが、昔から真実の教えは、人類を苦しみから救う究極のものとして捉えられてきました。

なぜでしょう?

それは“分離は幻想である”というあるがままの真実は、私たちを多くの恐れから解放してくれるからなのでしょう。

つまり、非二元の真実は個人のストーリーを癒すものではないけど、人類の根本の恐れ(=分離)を癒すことはできるのです。

ちなみに非二元とは、アドヴァイタ(アド=not、ヴァイタ=two)というサンスクリッド語を日本語に訳したもので、直訳は「二つではない」です。

非二元という言葉は、人によって解釈が微妙に違ったりするので、一層のこと「二つではない」という言い方のほうがある意味分かりやすいかもしれません。

「二つではない論」。無理があるでしょうか? でも二つではないと聞けば、すぐに思うのは、“どの二つ?”かなと思います。

で、アドヴァイタの教えによると、それは「ブラフマン(個を超えた自分)とアートマン(自分の本質)」の二つではない、「空と色」の二つではない、それらは同じものだよ~という意味です・・・・。(空即是色)

こう聞いてワクワクしませんか? 私は始めて聞いたとき、なんだか鳥肌が立つほどワクワクしてしまいました。やっぱり変態なのかもしれません。(ため息)

さて話を戻して、つまり大海と小波に例えれば、大海(ブラフマン)と小波の本質(アートマン)」は同じだよ~ということです。

問題は、私たちは常に大海(ブラフマン)を忘れ、自分の本質(アートマン)も忘れ、自分はただの小波でしかなくて、大海(世界)とも他の小波とも分離している・・・・という錯覚で生きていることですね。

世界(大海)は恐ろしいところで、なんとか自分を守って生きていかなければいけない、他の小波たちが何を考えているかも分からないし、そしてもし食べていけなくなったら、大海の中で野垂れ死にする・・・・。小波が大海の中で死ねるのかどうかは別にして。

とりあえず、これが通常の私たちの感覚でしょう。

なので、権力やお金で自分を守ろうとしたり、または自己啓発などで“あなたの思いで好きな現実が創れます!”とか、小波がパワーやコントロールを得られるものが流行ったりするのもうなづけます。

でも、そうやって権力、経済力、思考力を鍛えてもやっぱり小波は小波。どうしても頼りなさはつきまといます。じゃぁということで、もっと何かを得よう!、そうだ悟りだ!悟りを得よう!

悟れば、すべてが解決するに違いない!あらゆる恐れもなくなって、それこそ大船に乗った気分で毎日が暮らせるだろう。自分の長年抱えている悩みもちゃらになるはずだ・・・。

しかし、自分の中にある抵抗や無視している部分、否定して嫌がっているものたちをしっかり抱えたまま、大海の自分とか、大海のメッセージを聞いてもどうもぴんと来ません。

この自分の頼りなさ、そこはかとない生き苦しさをどうにかしたいから、大海セミナーに来ているのに、さっぱり変わらないぞ!と焦りと怒りのほうが増してしまったり・・・。

さて、一方で真実を探求していた小波が大海の自分に目覚めたとします。大海としての自分が深く認識され、いろいろな恐れも消えていきました。

ところがしばらくして気がつくのです。大海の自分を認識しているはずなのに、他の波の言動が心に突き刺さる。腹が立つ、悲しくなる・・・・。

小波は混乱します。なぜ?

しかし、大海の自分に寄り添えば添うほど見えてくるのです。小波としてのユニークな自分も消えることはないということが。(現象がなくなることはない)

自分のユニークな性格や素質、才能だけではなく、否定的な思い込みや抑圧された感情も含めてすべてそのままにあることを。

でも違うのは、それらがすべて受容されていることがはっきり分かること。だから、どうであっても自分は絶対大丈夫だということ。

大海の自分とユニークな個の自分。二つはどうしても同時にあって、そしてそれらは同じものだから。

ちなみに、小波の自分の思いや行動がどう沸き起こるのかをよ~く見つめれば、そこに行為者がいないことも見えるはずです。小波が自分で波を起こしたり、波の行き先を決めているの?それとも?

さて、すべては受け入れられていて、すべては大丈夫だけれど、小波の自分を癒したいという欲求も起きてくるかもしれません。

でも、それは悪いものだから癒されるべきだ・・・ということではなく、本質が本質に戻りたいという自然な欲求です。不自然な状態から自然な状態に戻りたいんです。

オープン・アウェアネス・ダイアローグとは、小波が抱える否定や抵抗、抑圧された思いを大海という受容のオープンな場に持ってくること、そしてそれらとダイアローグすることで、握り締めた勘違いをほどといていくものです。

自然の流れの発露であることがきっと私たちの真の欲求だから♪

 

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ペインボディ~怒りの炸裂~

あまり時事ネタを取り上げることには興味がないのですが、今回は暴言で話題となっている国会議員さんについて思ったことを書いてみます。

とはいえ、心理セラピストなので、彼女についてというより、彼女をネタに心のしくみを書いてみたいという感じです。

ということで、

彼女の近しい人たちが、彼女について「完ぺき主義」という言葉が何度も発っしていることや、少しのミスも許せないような様子から、彼女がエニアグラムのタイプ1だとしましょう。(100%推測です。エニアグラムとは人の性質をタイプ1からタイプ9まで9つに分けるシステムです。)

エニアグラムのタイプ1は「完ぺき主義」であり、また“私は何が正しいのか分かっている。”と真剣に思っている人たちです。エニアグラムはその健康のレベルが9つ(不健康の3レベル、平均の3レベル、健康の3レベル)ありますので、これは平均のレベルのタイプ1の場合です。

自分は何が正しいのか分かっていると信じているだけに、すべてを自分の考える通りに動かそうと状況や他者を必死にコントロールしようとします。なので、タイプ1が親である場合、子どもの進路から着る洋服までぜんぶ決めてしまったりもします。

で、それはもちろん自分に関してもそうで、「正しい人」「完璧な人」を目指し、自分の中にある完璧ではない部分、正しくない部分に対して、無意識ですが常に叱咤激励し責め続けています。

ですが、それは普段意識されないので、この自分のダークな部分は抑圧されていきます。

しかし、ここで問題なのは、抑圧された部分は黙って大人しくしているのではなく、その人をコントロールし始めてしまうことです。

一つは、爆弾のような怒りをいつも抱えている状態になり、ちょっとしたことで怒りが爆発してしまいます。そのため、正しい人、良い人、完璧な人を目指しているにもかかわらず、大きな子どものような癇癪を人前で起こしてしまうことも、タイプ1には多いのです。

ただ癇癪を起こすのは、ストレスがたまっている不健康なレベルですね。たまった怒りのエネルギーが大きすぎると、当然不健康になりますし、またいつもその放出先を求めてしまいます。

また、ダークな部分を抑圧することで、逆にそれが歪んだ形で出てしまうこともしばしばあります。幼児の性的虐待撲滅キャンペーンをしていた牧師が、実は性的虐待をしていたとか、誠実であることの大切さを生徒に教えていた女性教師が不倫相手を殺害してしまった・・・みたいなケースです。

多くの人があんな真面目な人がまさか・・・・と驚きますが、自分の中の不完全性を許さず、それを長年抑圧してきたために、一見表と裏でまるで違う人格のように現われたりするんですね。

つまり、抑圧したものは何らかの形で必ず外に出てしまうんです。とくに自分の中の弾圧したものには、完全に振り回されてしまいます。

かなり昔の話ですが、ドアを開けたとたん目に一杯涙を溜めて“ヘルプミー!”となだれこんできたイギリス人のクライアントさんがいました。(この方はとても印象的だったので、拙書にもケーススタディとして掲載しています)

話を聞いていくうちに、周囲が自分の思い通りにならないことでものすごいストレスをため、怒りと悲しみでいっぱいになっていました。

自分はまったく理解されていない・・・・、職場の環境を完璧に持って行こうと頑張っているのに、周囲からは敵意ばかりが増えていく・・・、寂しい、悲しい、腹が立つ、

しかし、彼女はただ泣いているのではなく、職場では周囲を大声でどなりつけ、電車の中でも“間違ったことをしている人”がいると、叱りつけていることも分かってきました。ただ、本人はそういう意識はほとんどなく、電車でも他の人たちがへんな目で私を見た、私は正しいことをやっているのに・・・・みたいな感じです。

彼女も怒りのエネルギーがすごく、あるときは、セッション後に事務的な話をしていたつもりが、彼女の逆鱗に触れて、椅子を蹴って部屋を出て行ったときもありました。

そのとき自分のセッションの効果のなさに一瞬落ち込みましたが、怒りが彼女を常に支配してしまっていることは明らかでした。

つまり、私たちはたまりにたまった感情や自分の中の否定しているものに完全に支配されてしまうんです。特に幼い頃から家庭環境の中で内側に蓄積されてきた感情や思いは、モンスターのようなエネルギーになってしまいます。

エックハルト・トーレがいう「ペインボディ」ですね。ペインボディは、あらゆる状況で反応し、衝突し、死にたくなるほど落ち込んだり、また、そのタイプによっては外にわめき散らしたりしてしまいます。そして、どんなにそれをやったところでスッキリしません。

と、ここまでいろいろと書きましたが、一番書きたいことは、もし、私たちが自分の内側とちゃんとつながっていることの大切さを知っていたら、もし、自分がどれだけ怒りやストレスがたまっているかを知っていて、それらをケアすることができていたら、世界はもっと平和で過ごしやすいだろうということです。

ちなみにエニアグラムのどのタイプも不健康なレベルになると、自分も苦しいけど、周囲も振り回してしまいます。また、怒りだけがペインボディなるのではなく、あらゆる負の感情や思によって形成されます。

経済でも政治でも、よく見れば、人の感情がかなり渦巻いているのが分かるはずです。一見、理性的な判断をしているつもりで、実はその下にある恐れや嫉妬、怒りなどが本当の動機であることも多々あります。

私たちが育っていく過程で、「感情の扱い方」などまったく教わりませんが、感情のケアの仕方を知らないと、実は自分の人生がそれによって振り回されてしまったりするでしょう。

ペインボディを癒すには、ペインボディの飢えをきちんと聞いてあげることです。愛に飢えた声が必ずあるんですね。承認欲求みたいな声ですが、それはとてもかわいい声でもあり、それをなくそうとするのではなく、受け入れてあげることから癒しは始まります♪

今まで否定したり、弾圧したり、抑圧してきた自分の一部(分離)を受け入れ、変容させ、そして統合していくんです。

ということで、良い感じで宣伝させてください。9月に大阪でEFT(感情解放のテクニック)のプラクティショナー講座があります。感情とは?感情の性質、そして解放の仕方をじっくり学んでみませんか?

 

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セラピストとして食べて行くには?

振り返ってみると、スピリチュアルな本を出したり、自己啓発的な本も書いたり、一見外に向いた活動をしているようですが、私の本質は内向きの「職人」(または、おたく)だなぁとつくづく思うのです。

というのも、「本を書く人になりたい」とか、「セラピストになりたい」とか、そういう思いよりも、「探求したい」「極めたい」という思いのほうが強く、結果としてそれが本になったり、セラピストという仕事になっているからです。

また、何度も書きましたが、イギリスで学んだ心理学やカウンセリングスキルが、ボランティアをしていたアルコール依存症の回復センターでまったく役に立たなかったとき、ゼロから探し始めることができたのも癒しへの「こだわり」だったと思います。

例えば、レイプのトラウマが原因でアルコール依存症になってしまった女性が、“来週裁判で、また犯人の顔を見ないといけない。嫌だけど仕方がない”と話すのに対して、私が学んだ知識は手も足も出せませんでした。(彼女は重度の鬱にもなっていました)

何もできない自分に無力さを感じると同時に、密かに職人魂が、“彼女が絶対に楽になる方法があるはずだ。私が知らないだけだ”と叫んでいたのです。

長い話をすっ飛ばすと、それがきっかけで学んだ心理学をすべて捨て、まったくのゼロからインテグレイテッド心理学を生み出し、問いかけを生み出し、年月にすれば6年ぐらいはかかりました。

そんなこんなでゼロ出発から15年ぐらい経ち、今ではインテグレイテッド心理学講座も私以外の人も開催するようになり、問いかけスキルに熟練したOADセラピストさんたちも活躍するようになってきました。

さて、この話がどこに行くのかというと、活躍しているセラピストさんたちを見て、 “あの人たちのようになりたい、なるためにはどうしたら良いか?”的な質問が増えてきたなぁと感じるのです。

もちろん、興味や情熱もあるのでしょうが、癒しを極めたいという思いよりも、早く「活躍するセラピストになる」ことが一番の目的になってしまっているように感じるのです。

私自身がゼロから始めたとき、一体どんな方法があるのかも皆目見当もつかないし、ひょっとしたら何年かかっても見つけられないかもしれない、また、見つけたとしても、それで食べて行けるのかどうかもさっぱり分からない・・・・という、ほんとうにないない尽くしの状態でした。

でも、お手本ゼロ、保障ゼロ、仲間ゼロでも続けられたのは、癒しのへの情熱というか、職人魂というか、それ以外になかったなぁと思うのです。

みなが同じ道を通るべきだと思っているのでは、もちろんまったくありません。

ただ、基本的にセラピストは、100%自由業で、なんの後ろ盾もなく、一人勝負の仕事ですから、「セラピストになる」ことよりも、「癒しを極めたい」という気持ちが勝っていないと、続かないだろうなということなんです。

ところが、それなりの人が「こんなふうになる」、「こんなふうになりたい」という形のほうに囚われすぎ、そういう風になるには?という発想になっているような・・・。

で、形に囚われてしまうと、まだそうなっていない自分への焦りが生まれたり、人と比べたり、時間(2年内には・・・など)に囚われたり、資格の条件をこなすことが一番の目的となったり、エネルギーがまったく意味のない方向へ向いてしまうでしょう。

また、セラピストになったとしても、セッションで結果が出せなかったとき、そこを追求しようというより、自分には向いていないと思ってしまったりするかもしれません。

しかし形に囚われるのではなく、“どうしてこの人の苦しみはなくならないのだろう?”、“こういうケースの場合、私には何が見えていなくて、まったく変化がないのだろう?”といった思いのほうに囚われたら?

真剣な追求、探求モードになったとき、時間や人との比較など基本どうでも良くなるはずです。そこには純粋な好奇心、興味、情熱があるだけ。

なので、何も見えていない段階でも楽しく、焦りも出てきませんね。

もちろん、そんな保障ゼロの一人旅を始めたのが30代後半だったので、将来食べていけるのだろうか?という不安は普通にありました。あまりにお金がなくて、バスに乗るのも節約していたぐらいです。

でも、確信犯貧乏でしたし、情熱のほうが勝ってしまっていたのです。振り返っても、楽しかったなぁとしか思い出せない・・・・。

もちろん、同じぐらいの情熱を持ちましょうという話でもありません。

ただ、“セラピストになりたい!”ではなく、“癒しを極めたい!”という思いが、自然に食べていけるセラピストを生み出すと思うのです。

というか、何の仕事でも同じことが言えるでしょう。

どの道でも極めていくと、それを認めてくれる人たちが必ず現れ、それがビジネスにつながっていきますよね。

ここまで読んで、私にはそこまでの情熱がないと思う人もいるかもしれません。

情熱と言っても、熱い感覚がずっとあるということではなく、興味、好奇心がなくならないということです。

そして、情熱がないなぁと思う前に、自分が自分をどれだけ受け入れているのか?どれだけ優しい目でみているのか?どれだけ肯定しているのか?を見てみませんか?

自分への否定は、情熱への否定とほぼ同じことです。

自分への否定がやめられないのなら、やめられない自分を理解することから始めても良いですね。

ということで、最後は自己受容のいつもの話で落着♪

そういえば昔書いた「まずは思い込みを捨てましょう」という本にも同じようなことをもっと詳しく書いています♪ (絶版なので、中古品よりお買い求めください。)

☆ ☆ ☆

北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー”

日程:2017年6月24日(土)
時間:10時~16時30分
場所:函館市亀田福祉センター
http://www.kame-fuku.com/
費用:1万2千円
【詳細とお申し込みはこちらから】

すでに80名様お申込み♪ ありがとうございます!

“承認欲求”は分離を癒す入り口♪

“分かって欲しい”、“理解して欲しい”、“認めて欲しい”といった思いを心理学では承認欲求と言ったりしますね。ググってみるとあんまりピンとくる記事がないので、インテグレイテッド心理学風に見てみたいと思いま~す。

まず、私たち人間はみんな承認欲求があるよね~という前に、なぜそもそも、それがあるのでしょうか?

インテグレイテッド心理学的には、そもそもそういった思いの始まりは、「分離感」にあるとしています。

というか、ぜひ心の中を観察してもらいたのですが、私がいて、あなたがいて、私がいて、社会があって・・・という見方そのものに「分離感」がありませんか?

私は他者や外界と分離した一つの“個”である・・・という感覚です。おそらくほとんどの人にあるはずです。私たちにとって当たり前すぎるので、普段は完全にスルーしているはずです。

それでは、次にその分離した個の私は、どうしたら世の中に生き残れるのでしょうか? それも考えないで観察してみてください。

まずは、食べていけることですよね? そして、次には社会(周囲)から受け入れられていること。村八分になった自分をイメージして、のんきに暮らしている感じはないはずです。

つまり、この分離感が「周囲から認められ、受け入れられていること」を求めているわけです。では、自分は周囲から受け入れられている、認められている、理解されているとイメージしてみたら?

なんかすごく「いて良い感じ」とか「安心、安全」な感じがしませんか?落ち着きますよね?

本来の私たちが大海だとしたら、本当に求めているのは、この大海である落ち着いた自分を感じることなんです。「いて良い」なんて超えた存在そのものの自分です。

でも、個であると思っている私たちにとって、幼い頃は親が大海であり、世界ですね。ですので、親から愛されているということは、世界が自分を承認しているということになり、大海を感じられるんです。

思春期になると、友達が世界となり、友達に受け入れられているということは、やはり世界が自分を受け入れてくれていることになります。

なので、いじめというのは、世界が“お前はいらない”と言っているのと同じで、文字通り生きる場がなくなるため、非常に苦しいんですね。小さな胸の内は分離感と孤独感、絶望感でいっぱいです。それが分かっていれば、“いじめられる方も悪い”なんてとても言えません。

さて、大海であることを忘れた個の私が、承認欲求と同時に持ってしまうのが「欠如感」ですね。これもぜひ観察してみてください♪

個の私は、完全、完結した感じはあるでしょうか? それとも、何かが足りない、何かが完結していない感じがあるでしょうか? おそらく、欠如感のほうが感じられるはずです。

つまり個の私は、そもそもが「承認欲求」と「欠如感」が組み込まれているんです。

それでも、小さいときに充分に親から愛情を注いでもらっていれば、「大丈夫感」とともに、「自分は受け入れられる人だ」「周囲は自分を認めている」という感覚も育まれるでしょう。

ところが、それが十分に感じられなかった場合、もともとある「承認欲求」と「欠如感」が刺激され、そちらのほうが育っていってしまいます。

「私は理解されていない」「私は受け入れられていない」「私は認められていない」という欲求と飢えが育ってしまうんですね。

で、それが「理解されない私はダメ」「受け入れられない、認めてもらえない私はダメ」というビリーフともなり、自己否定も強まっていきます。

そうなると、例えば自分の思い通りに行かなかった場合、それは「理解されないダメな私」と「飢え感」を同時に刺激し、ものすごい怒りとなって出たりします。

すると周囲は、大人のくせに子供みたいな我儘なやつだ!とけむたがり、ますます「理解されないダメな私」が肥えてしまう・・・・という悪循環へ。

または、その飢えた感覚を「仕事の成功」や「恋愛のパートナー」や「引き寄せ」や「SNSでのイイネ」などなど、外から何かや注目をゲットするという行為に走ります。これはほぼ無意識で、あまりにいつもやっているので、意識されることはあまりないでしょう。

基本、自我は何をするか?何を得るか?で頭はいっぱいです。悟りもそのなかにほぼ組み込まれますね。(悟りに到達する、いつも平和な状態を得る・・・)

では、どうしたらこのサイクルから抜け出せるのでしょうか?

自分の何を理解して欲しいのか、どう受け入れて欲しいのかは、人それぞれです。なので、まずは自分の中にあるそれらの声に気づいてあげることです。

私の場合、それらの声がたくさんありすぎて、最初はやりきれないぞ~と思いましたが、一番強い声、傷ついている声に寄り添うことから始めました。で、くれぐれも、その声をなくそうとか、黙らそうとかしないように~。

そうではなくて、それがずっと求めていたこと、つまり「理解」をすること、「受け入れる」こと、ずっといて良いよと言ってあげることです。その声が欲しいものを与えてあげるんです。

ただ、ここで難しいのは、本当に理解して欲しい声や欲求は、往々にして潜在意識の深いところにあるものです。で、そこへのアクセス方法は、正直、ブログでは無理!出し惜しみではなくて無理~。

とりあえず、気づける声だけでも受け入れてみる価値はぜんぜんあります♪

最終的に、私たちが求めているものは両親や誰かの愛が意味するもの、つまり「大海の自分」を感じること、それを思い出すことですね。

つまり、分離の錯覚からの目覚めです。

と書くと、自我はすぐに“じゃぁ、自分を見つめるなんて地味なことをしないで、悟っちゃえば早いよね”と言うでしょう。または、一見スピリチュアルストーリーにも聞こえるので、高い次元への覚醒を目指せ!とも言うかもしれません。

違います。

自分の中にある飢えが大きいということは、分離感が激しいということですね。その状態のまま、分離の幻想から目覚めるというのは、ブレーキを引きながらアクセルを踏んでいる感じというか、基本ベクトルが逆過ぎます。

分離していると錯覚していた渦巻きが自分を深く見つめたら、渦が大海であることが分かるはずですね。

まったく同じように私たちが自分深くじっくり見つめていくと、自分に関するあらゆる思いや感情がすべて幻想だと分かるでしょう。

そして、幻想が落ちたとき、そこに残っているのは本質だけ♪

 

☆ ☆ ☆

北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー”

日程:2017年6月24日(土)
時間:10時~16時30分
場所:函館市亀田福祉センター
http://www.kame-fuku.com/
費用:1万2千円
【詳細とお申し込みはこちらから】

“ないもの”をあると信じている私たち♪

今週末はインテグレイテッド心理学講座です。年に一回の開催のため、毎回新鮮な気持ちなります。

正確に言えば、インテグレイテッド心理学は心理学というより「観察学」です。または、本来心理学が観察学であるべきなのかもしれません。つまり、誰の理論でもなく、人(自我)の心の働きをただありのままに見たものです。

で、そのためには、自我視線ではない「悟り」の視線が非常に役立っているわけです。自我がどう作用しているかは、自我活動にはまっていたら見えませんよね。そこから一歩離れた視点が必要なんです。

なので、奇跡のコースを始め、エックハルト・トーレやいわゆる悟りのマスターの言葉が非常に参考になり、インテグレイテッド心理学はそれがベースとなっているわけです。

ので、理論を覚える必要もなければ、分析も何も必要なしです。ある意味とてもシンプルなのですが、実はほとんどの人が一回の講座では理解してくれません。

なぜかというと、自我活動にはまりきっているからです。

説明させてください。

まず、椅子を見てみましょう。なぜそれが椅子だと分かるのでしょうか?

脳科学や物理学的な質問ではなく、単純に「そう教えてもらったから」です。つまり、知識を通して見ているからですね。ズッコケた方もいるかもですが、こういう当たり前すぎることのなかに真実へのヒントがたくさんあったりしますよね。

で、もし椅子という知識がなければ、私たちはそれをありのままの物体として見るはずです。つまり、すでに物と自分の間に「知識」が介入しているんです。そして、私たちはその「知識」のほうを見ているんです。

いやいや、自分は椅子のカタチ、色、そのものを見ている!と思うかもしれません。が、「椅子」として見ている限り、それはもう椅子という概念の中でしか見えていないんです。

で、ここは頭では理解されるのですが、けっこうすぐに忘れられてしまうところなんです。忘れてしまうので、あっという間にストーリー=事実となり、そこに溺れてしまう・・・。

例えば、“何軒もアンティークショップを回って、やっと見つけたお気に入りの椅子に姑が自分のコートを椅子の背にいつもかけてしまう。本当は嫌だけど、細かいことのようで言いにくい・・・。”

椅子と私と姑の物語~♪みたいな。

ちなみに、

「何軒もアンティークショップを回った」
「お気に入り」
「いつも」
「姑の~~~」

は、頭の中にしか存在していません。

「いまここ」には存在していないことです。

厳密に言えば、椅子もコートもすべて知識という頭の中にしかないものですが、癒しのワークの中ではそこまでやらなくても大丈夫です♪

例えば、その椅子を写真に撮ったとして、何も知らない人が見たら、そういうストーリーは思いもつかないですね。どんな椅子なのか、誰のコートなのかなどなど。

もちろん、私たちはただのストーリーに苦しんでいるよね~、常にいまここにいましょう~~とか言いたいのでは、まったくありません。無理だし。

何かしましょうとか提案したいのではなく、私たち一体何をやっているの?というのがポイントです。

で、よ~く観察してみると、「私たちは、ほぼいつもないもののほうにどっぷり浸かって生きている」ということです。

くり返しますが、ほとんどの人が「ないもの」(言い換えれば、頭の中にしかないもの)の中に生きているんです。

事実は、椅子にコートがかかっている。終わり。優しくてとてもシンプル。

でも、やっぱりストーリーがとってもリアルで引っ張られてしまう・・・、なぜ?引っ張られてしまうの?どうして巻き込まれてしまうの?

自分は、「ないものを」見ているのだという点をしっかり踏まえた上で、次になぜ「ないもの」がそんなにリアルに感じるのだろう?というしくみを見ていくんです。

例えば、亡くなった母親への後悔が手放せない・・・・、母親ももういないし、頭では何一つ「いまここ」にないのはよ~く分かっている。でも、私の中ではしっかりすべてが生きていて苦しい・・・。

それは自分の中にそのストーリーを生きさせている、自分が気がついていない思いや感情の集積があるからなんですね。(私はそれを投影パッケージと呼んでいます)

その集積はかなりのエネルギー量を持っているので、とってもリアルです。そして、例えば母親の写真を見るたびに、ありのままの母親ではなく、そのエネルギーの集積であるパッケージを通して見ているんですね。(投影)

で、話をガンガンにスッ飛ばしてしまうと、これにはまだ種明かしがあります。うふ。

私たちがそういった様々なストーリーのパッケージを持っているのではなく、そのストーリーの所有者は不在だということです。

つまり、私がストーリーを持っているのではなく、(個)の私=自我=ストーリーの集積なんです。自我とはとても複雑に様々な思いや感情が身体とともに絡み合ったエネルギー体です。

インテグレイテッド心理学が目指しているのは、亡くなった母親への後悔というストーリーの中で何らかの慰めを見つけることではなく、その複雑に絡み合ったストーリー自体と対話しながら解体していくことです。(ある意味自我の解体)

そして、解体されたその先にあるものは、受容という本質。そのとき、苦しいだけ、悲しいだけ、悲惨なだけだと思っていたストーリーは、本質によって愛されていて、とても愛おしいストーリーだったと知るでしょう。

そしてこれが、究極の癒しなのかもしれません♪ (*^_^*)

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北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー”

日程:2017年6月24日(土)
時間:10時~16時30分
場所:函館市亀田福祉センター
http://www.kame-fuku.com/
費用:1万2千円
【詳細とお申し込みはこちらから】

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