解体される心♪

現在、今年で最後のロンドンカウンセラー養成講座開催中です。ロンドンといっても、昨年からはロンドン郊外の修道院が会場です。(タイトルの上の写真) 14434996_10154100585874862_5857191209468420873_oシスターも親切で、空気も食事もおいしく、いろいろな意味で素晴らしい環境です。

ロンドンでのコースは10年目の今年で最後となり、来年以降は東京での開催とすることになりました。10年も同じコースをロンドンでできたこと自体、本当にありがたく思っております。

何でも5年以上続くときは、目に見えない何かが助けてくれていると誰かが言っていましたが、本当に自分の力だけではないことだけは確かだなぁとつくづく思います。

来年から場所を日本に移して、今後どんな展開となっていくのか、そちらはそちらでまたとても楽しみです。

もちろん、10年の間に内容ややり方などはどんどん変化、変容しましたが、その中で変わらずコースのかなめとなっているのが、「インテグレイテッド心理学」です。これは、10年を経た今、ますます重要だなぁと思っています。

インテグレイテッド心理学とは、以前にも書きましたが、いわば「心の解剖学」です。身体の症状に対しては、体の中をきちんと検査しようとするのに、心の苦しみや精神的な症状に関しては、その人の心の中をきちんと見るということはあまりしません。

例えば“亡くなる前にもっと大好きな叔母の世話をしてあげればよかった”と、ずっと後悔している人の場合、これは、インテグレイテッド心理学としては、症状のレベルです。

なので、“人は常にそのときのベストを尽くしているのだから、あなたは十分にやったのだと思います”とか、または“叔母さまは、あちらであなたが後悔しているのを見ても喜ばないと思いますよ”とか、考え方を変えて楽にさせよとするのは、症状をいじっているだけになります。

でも、表に出ている症状ではなく、もっとどんな思いや感情が隠されているのか、心の中を見ていくとどうでしょう?

私は自分なりに作り出した「問いかけ」や、またはフォーカシングやEFTなどのセラピーを使って心の中を見ていきます。体の症状でいえば、レントゲンやスキャンみたいなものですね。そうすると、ご本人が見えていなかった、後悔を生み出しているほんとうの思いや感情が見えてきます。

ちなみにインテグレイテッド心理学は、私や誰かの理論や説、または研究でもなく、人間すべてに共通している心の作用をまとめたものです。と、書くと大げさに聞こえますが、「奇跡のコース」や悟りのマスター達が伝える自我の機能をまとめただけです。(でも、やっている人がいない)

自我は自我の働きにはまっているため、自我目線で自我の働きを見ることは非常に難しいでしょう。しかし、自我目線を超えた視点からは、自我の働きが手に取るようによ~く見えます。

誰か一個人の考えや洞察ではないから、もっと普遍性があり、また思考を通さず、あるがままの人の心を描写しているだけなので、もっとも解剖学に近いとも言えるでしょう。解剖生理学に個人の考えや理論は要りませんから。

で、話を叔母の罪悪感に戻して、

自我は最終的に「自己価値の死」と「肉体の死」をいつも恐れているため、基本的にものすごく自分中心主義です。

なので、一見、叔母の世話をしてあげればよかったと、叔母に対する思いのように見えますが、ほんとうに苦しみを生んでいるのは、自分自身についての思いなんです。

で、心を切り開いてみていくと、例えば「私はいつも中途半端だ」といったようなビリーフが見えてきたりします。また、思いだけではなく、「最後まできちんとやり切れなくて、固い表情でたたずんでいる自分」みたいなセルフイメージももれなくついてきます。

本人はたいてい完全にスルーしていますが、常にこの思いやイメージを抱えているんですね。ですから、いろいろな人生の場面でこのビリーフは現れていますが、特に大好きだった叔母の死がこの思いを強く刺激するわけです。

そして、ここでセラピーを使って、このビリーフを解放したり、シフトさせたりします。すると、叔母への罪悪感も一緒に消えていくんです。

そのとき、罪悪感という眼鏡ではなく、今度は愛やなつかしさで叔母との思い出を振り返ることができるようになるでしょう。

ただ、解放といっても、自分を苦しませるビリーフはさっさと捨てよう!ということではありません。ネガティブなビリーフが生まれたとき、そこにはそれを信じてしまった自分がいますよね。例えば、「お前はなにやってもものにならないな」などと言われ続けた自分、傷ついてずっとその言葉を信じてきた自分です。

解放とは言い換えれば、忘れられていた傷ついた自分を救い出し、受け入れるということです。これによって変化が起きるんですね。

そして、その変化は本質の流れに沿った、ご本人にとって最も自然な状態となります。このツールとして、私はやっぱりマトリックス・リインプリンティングを使っています。

例えば、咳が出て止まらないとき、自分の体に中で何が起きているのかが分からないように、精神的に苦しんでいるときも、私たちは自分の心の中で何が起きているのかほとんど分かっていません。

なので、叔母の死のように、私たちは出来事や他者が自分を苦しめていると勘違いしてしまうんですね。

ですが、人間関係や仕事、家庭の問題、恋愛などから、鬱や依存症といった特定の問題まで、苦しみや症状を生んでいるのは、自分が気がついていない何かしらの思いを信じ込んでいたり、自分の一部を切り離していたり、抑圧したり、抵抗したり、または否定していたりするからです。

人の心は、体のように切り開いて目に見えるものではありませんね。見えないだけに、それを見ていくことは簡単ではありません。私もまだまだ見えないことがたくさんあります。

でも、セラピストの判断や推測、意見、アドバイスなど一切なしに、クライアントさんの心の中に何があるのか?だけを真摯にただ見ていく、そんな仲間をさらに増やしたいなぁと思うのです。

そして、自分の中に葬り去れていたものを表に出して受容していくことで、私たちの中に愛、受容という本質がどんどん顔を出していきます。

もともとあるけど、隠れていたもの。

自分を癒していくうちに、いつの間にかそっちが自分の土台になっていく・・・。これが癒しの醍醐味ですね♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

MRJ主催1日フォーカシング講座

私も自己ワークにセッションに乱用しています♪

ハートレジリエンス協会のショートセミナー

「お金と仲良くなろう~!お金の不安から脱出するセミナー」

*来年の心理セラピスト養成講座の募集は10月上旬から中旬を予定しております。

案内は近日中に「一般社団法人ハートレジリエンス協会のサイトにアップの予定です。案内を希望の方は、hhclondon@yahoo.co.jpまで。(現在講座中のため、返信が少し遅れ気味となりますが、ご了承くださいませ。)

ヘイトスピーチの心理

ドナルド・トランプ氏といえば、人種差別、女性差別的言動で有名ですね。その攻撃的な態度や発言は、年中ニューズに取り上げられています。またヨーロッパでも排他的、人種差別的な政治家の人気が高まっていて、日本でもここ数年ヘイト・スピーチのような動きがあります。

共通していることは、特定の人種を徹底的に攻撃するということでしょう。そして、それに共感する人たちがいる。

そもそも、人間はなぜこれほどまでに分離感が強く、個人的に攻撃されてもいない特定の人種をそこまで嫌うことができるのでしょうか?

というのも、分離感とは、お分かりの方も多いと思いますが、単に私とあなたは分離しています、という中立的な感覚ではないですね。

ちょっとイメージして頂くと、自分が完全だった状態から分離したと思ったとき、どんな感覚になるでしょうか?

分離感というのは “私は何かが欠けている”、“私はうまくやっていない”という感覚を同時に生み出します。なので、欠如感や空虚感なども生まれ、奇跡のコースではそれを“罪悪感”と言っています。

つまり、自我=分離感=自己憎悪です。

で、これは本当にそうだなぁと思うのです。

以前のブログに書きましたが、一瞥体験をした直後、自分の首を絞めたくなるような自己嫌悪、憎悪が出てきたとことに、私は非常に驚きました。

それはほんとうにモンスターのような大きなエネルギーでしたが、最終的に“私を殺しても良いよ”と許可を与え、その感覚は消えていきました。

で、先日、このドナルド・トランプ氏とその支持者たちに関する面白い記事を見つけました。「ドナルド・トランプの自己憎悪を理解する」というタイトルで、奇跡のコースの観点から書かれたものです。

その中でとくに私の目を引いたのが下記の文章です。

“奇跡のコースの過激的な人間心理への診断は、人間の心理のベースは、殺人的な自己憎悪であるということだ”

あぁ~~、これだ!私が出会ったモンスターのような自己憎悪!

とりあえず、当時の私は調子も良く、癒しもけっこう進んだし、いろいろな抑圧された声を受け入れ、自己愛高くなって、あぁ~生きやすい~♪と思っていました。

それだけに、そのモンスター自己憎悪にはかなり驚き、訳が分からず、しばし考え込んでしまったものです。そこまで自分(自我)の自己憎悪が大きく深いものだとは思っていもいなかったのです。

ですが今では、そもそもデフォルト(初期設定)が自己否定であれば、数々の人生の出来事(前世まで含めてしまうと膨大な数)でそれが増大して、モンスターになるのまったくうなづけます。

親から否定的な言葉を投げられていた、いじめに遭った、自分らしさが許されなかったなどなど、様々な人生の場面で私たちの中の自己否定は、いとも簡単に膨らんでいってしまいます。

どんな状態の中でも、私たちは自己否定をしていなければ苦しみませんが、特に人生で何も悪いことが起きていなくても、自己否定が大きいとものすごく生き辛くなります。

でも、そういった心のしくみを家でも学校でも教えてくれませんので、たいてい私たちは、少しでも楽に幸せになるために、自分の中へ向かうよりも外に解決を求めます。

お金、名声、車、ブランド物の洋服、素敵なマンション、ホリデーなどなど、何かを得ることで、深いところにある不幸感を補おう。

または、恋愛、やりがいのある仕事、人の役に立つことやボランティア活動、または天使とつながるとか、スピリチュアルな覚醒、悟りなど。

ちなみに、これらを求めるのが悪いといっているのではありませんのでお間違えなく。

でも、これらを得られたらまだ良いのですが、人生が自分の思うようにいかなかったら? 会社でいじめにあって左遷された、病気になって失業した、恋愛がまったくできない・・・・などなど。

モンスター的自己憎悪を隠し、抑えてくれるものがなかったら? 自分の中で増大する苦しみを和らげるには、誰かを悪者にして攻撃することですね。

万が一欲しいものが手に入ったとしても、もともと自己憎悪が大きい場合、その幸せは短命です。

でも、誰かを悪者にして攻撃しているときだけ、「自分は酷い人間だ」という向き合えない思いを他者に転嫁できるため、ちょっと楽になった気がするんですね。

ですから、ヘイト・スピーチでの暴力的な発言は、ほんとうはぜんぶ自分に向けられたものです。

トランプ氏が、メキシコとの国境に壁を作って入れないようにすると言うとき、それぐらい自分を受け入れていないということです。

そして、もちろん私たち全員の中にヘイトスピーチもトランプも存在しています。

では、どうしたら良いか?

根本的な解決は、間違ったアイデンティティ(自我の自分が私だ)から目覚め、分離は幻想であって、いまここにそんなものはどこにもないよ~と体験的に気づいていくことでしょう。

もちろん、人類が一斉に陥っている幻想から抜け出すのは、言うほど簡単ではないかもしれません。

でも、とりあえず自分の中にある自己否定を癒していくことから始めてみる。これも大きな大きな助けになるはずです。

自分を受け入れていれば、心は穏やかであって、誰かを攻撃したい気持ちにはとてもならないですよね。

ということで、やっぱり自己愛は本質への扉だなぁ~というシンプルな結論に落着。

PS:自分をいたわるとか褒めるといった表面的なことから始めるのも大切ですが、心の深いところへ行けるだけ行くことが個人的にはお勧めです♪

自己催眠から目覚める♪

例えば、人が「お金がない」というとき、たいていそれは事実だと思っていますよね。

でも、それは解釈ですね。

(インテグレイテッド心理学講座を受けてくださった皆さん、復習で~す♪)

銀行の残高が1万円だったとして、それを「お金がない」と解釈する人もいれば、「お金がある」と解釈する人もいるでしょう。状況や年齢によって解釈は違ってきますね、

同様に、預金が10万円あった場合、それをまた、「お金がない」と解釈する人もいれば、「お金がある」と解釈する人もいるでしょう。

かつてイギリスで税理士の日本人の友人が、“イギリスのお年寄りは、預金が3000ポンド(約50万円)で老後が充分だと思っているのよ”と聞いたとき、日本と違うなぁとつくづく思ったものです。

とにかく事実とは、“銀行口座に◎◎◎円あります。”ですね。

それ以外はすべて解釈です。

今日は別にお金の話をしたいわけではないので、違う例で先に進めます。

例えば、ある人が上司に“今日のプレゼンは少し分かりにくかった”と言われたとします。

で、ある人は「私は上司に認められていない」と解釈し、ある人は「上司の好みのやり方じゃなかったから、そういうふうに見えたんだ」と解釈するかもしれません。

事実は、上司は“今日のプレゼンは少し分かりにくかった”と言った、です。

で、それ以外はすべて解釈です。

なんで、こんなことをくどくど書いているかというと、ほとんどの人が自分の解釈を事実だと思いこんで悩んでいるからです。

で、事実ではなく、解釈をベースに現実を変えようとか、楽になろうとかしている人が多く、また、カウンセリングでもクライアントさんの話を鵜呑みにしているカウンセラーも非常に多いです。

で、この解釈を別の言葉で言えば、「投影」ですね。字幕と言っても良いでしょう。

上司が“今日のプレゼンは少し分かりにくかった”というセリフを言っている画面の下に、「自分は上司に認められていない」という字幕が走っているわけです。

また、思考が現実を創る系にはまっていたら、「認められない」という現実を私は作っていると思ってしまうかもしれません。

でも、「認められない」という現実を作っているのではなく、「認められない」という解釈をしているんです。

ここを混乱している人は非常に多いです。

極端な話、「私はあなたの仕事を認めない」と上司が言ったとしても、やっぱりそれをどう解釈するかです。上司は性格悪いなぁと解釈すれば、自分の問題というより、上司の性格の問題になりますね。

念のため、解釈であって事実ではないから、そう感じてはいけないとかそんな話をしたいわけではもちろんありません。

さて、百歩譲って自分の解釈を事実だと思い込んだまま、ワークをしたとします。

つまり、上司に認められるようになりたい!ということで、自分の思いやビリーフを変えようと頑張ったとしますね。

すると、自分の中に自分を認めない思いがたくさんあるのが分かり、それを解放して、「私は私を認める」とか、「私は認められる価値がある」と本気で思えるようになったとします。

そうすると、その人の言動が変わりますから、上司のその人の見方も変わるかもしれません。または、上司がまったく変わらなかったとしても、上司の言動が違うように感じられてくるでしょう。

いずれにしても、その人の“経験”は変わりますね。

で、じゃぁ、結局同じところへ行くのだから、解釈を事実だと思い込んでいても良いじゃないか~と思うかもしれません。

でも、ここからが重要なところ♪ うぎゃ、たくさんありすぎて記事を分けたほうが良いかも~と思いつつ、書いてしまおう。

一つは、思いを変えれば良いんじゃないか~と思いのレベルだけでワークをしていると、ほとんどハートがスルーされてしまいます。意識が思考ばかりに行き、ハートが示す、本質(=愛)、知恵がおざなりになってしまうんです。

思考は形にこだわるので、お金が入ったとか、認められたとか、形の幸せが幸せだと思いこんでいます。でも、この幸せは状況が変わったり、うまくいかないことがあると、あっと言う間に不幸感満載になる短命な幸せです。

また、解釈を事実だと信じている場合、それはかなり深い夢の中です。自己催眠状態です。

私たちは、分離した個人がいるという壮大な夢の中にいますね。そのなかでも、自分は夢を見ていると気づいている人たちもいます。

でも、それに気づかず、自分が見ているものが現実だと信じている人が世の中は大半でしょう。ですが、そのなかでも、自分は思い込み(ビリーフや解釈)で世界を見ているかもと気づいている人たちもいます。

しかし、自分の思い込み(解釈)が現実そのものだと信じている人のほうが、やはり圧倒的に多いですね。

で、最後のパターンが一番深い夢であって、一番苦しむ場所です。

最も深い夢、最も苦しい夢は、完全に主観的な思い込みを全力で信じ込んでしまっているときです。(傍目から見るとかわいい女の子が、自分は醜いと思い込んで拒食症になってしまったりなど)

ちょっと最後に詰め込みすぎたかもしれません。
とりあえずものごとは、本当はものすごくシンプルで中立♪

三つの癒し♪

EFTマトリックス・リインプリンティング(MR)の募集を始めます♪

さて癒しとは、おおまかに三つの観点から眺めることができるかもしれません。一つは生物学的な観点、もう一つは心理学的な観点、そして私たちの本質という真実の観点です。

で、今回はEFTとMRがその三つにどう関わるかという点で書いてみたいなと思います。

ということでまずは、「生物学的な観点」から。

トラウマや重度のストレス、長い間握り締めているネガティブな感情がどう脳や神経、細胞に影響を与えるか?という研究や報告はたくさんあります。

つまり心の苦しみは、単純に心の問題だけではないんですね。身体の症状に心が関わっているように、心の悩みにも身体は関わり、心と体はやはり切り離して考えられないんです。

例えば、欝や依存症の原因の多くはトラウマにあります。事故や災害と違って、日常の生活の中で受けたトラウマは一見分かりにくく、本人がそれをトラウマだと認識していないケースもけっこうあります。

トラウマの場合は、感情脳といわれる大脳辺縁系が活発になり、ものごとを把握したり、行動を起こすことに関わる海馬が機能しなくなる・・・といったようなことがMRIなどで証明されています。(←超大雑把にまとめました)

で、これはトラウマが解除されるまでこの状態が続いてしまうんです。つまり、いくら本人が意思の力で克服しようとしても、自然にネガティブな思いばかりが出てくるし、やる気もでないし・・・となってしまうんですね。

薬物依存症なども社会は本人を責めがちですが、こういった知識がもう少し広まってくれるといいなと思ったりします。

話を戻すと、EFTやMRによって体(経絡)を刺激しながら、特定のトラウマに働きかけることで、このサイクルを解除することができるんです。オーストラリアのEFTの研究では、ストレスホルモンのコルチゾールを下げられることも分かっています。

直接身体に働きかけられるという点で、話だけをするセッションの限界を超えられる優れたツールだと思うのです。

で、次に「心理学的な観点」です。

私たちの意識の約96%は潜在意識だと言われています。つまり、自分の行動のほとんどに私たちは無意識なんです。

ちょっと木の根っこをイメージしてもらい、土の中にある根っこが潜在意識の思いやビリーフ、そして感情だとしますね。いくつもの根っこがあり、また幹に近いところから根っこの先まで深さのレベルも違います。私たちの思いや感情もそれぐらい複雑になっています。

例えば、“私はどこにいても受け入れてもらえない”という悩みがあった場合。ちなみにたいていの場合、これはご本人の投影です。(もちろん、お聞きしながら見極めますが)

実際は、受け入れられていないのではなく、なんらかのビリーフのせいで自分が受け入れられていないように見えたり、感じたりしているんです。

で、例えばその原因が、 “私は人としてどこかおかしい”というビリーフだったとして、タッピングで、そのビリーフが出来上がった出来事を見つけていきます。でも、それは通常のカウンセリングでもできるじゃないか?と思われるかもしれません。

ところが、思考で探した原因はいかにも合っていそうでも、私の経験上では半分ぐらい違っています。しかし、タッピングですとどんぴしゃりと行き着けるんですね。

そして、原因となった出来事や育った環境を見ていくうちに、ほんとうに自分が願っていた思いや感情が何重にも出てきたりします。で、ここがめちゃくちゃ大切です。

ここで決してストーリーには行かず、放置されていた思いや感情をすべて表に出してあげ、受け入れてあげると、すっきり感のレベルがぜんぜん違います。また、すっきりするだけではなく、 “なんだ、私普通にしていて大丈夫だ”といった認知のシフトも勝手に起きます。

そこでさらに、最後にポジティブな記憶(イメージ)を刷り込みことで、前は自分は受け入れてもらえないと緊張していたけど、今はどこにいても自然に普通していてOK・・・・となったりするんですね。

気がつくと感覚や行動が変わっている!という自然な変化が良いなぁと思っています。

で、最後に「私たちの本質」として、

タッピングというのは、結局経絡を刺激することで“気”(エネルギー)を流しているんです。で、エネルギーとは、もちろん生命のエネルギーですね。

そして生命のエネルギーというのは、流れ、変化し、発展していくのがその性質です。種から始まって、根が生え成長して、花が咲き、枯れて土に戻ってまた根になり…というように、常に循環を繰り返して変化、変容しています。

個の私たちもまったく同じで、体も思いも感情、感覚も常に変化、変容していますよね。人間もまさに自然と同じです。ただ違う点は、人間はその流れを抵抗や抑圧という形で止めてしまったり、またはフリーズさせて感情を閉じ込めたりできてしまうことです。

しかし、EFTやMRで自分を否定する自分と向き合ったり、放置していた思いに気づいてあげたり、トラウマでフリーズしてしまったショックを解放したりすることで、そこに生命の流れがよみがえってきます。

生命のエネルギーとは、言い換えれば無条件の愛ですね。なので、癒しが進むと同時に自然に自分の中の愛も深まっていきます。

実は私はこれが一番の癒しの醍醐味ではないかと思うのです。悩みや症状がなくなりました~というのも、もちろん良いことですが、自分の本質が実感されていくと生きる楽さがぐんと違います。

もちろん、どんなセラピーのツールも魔法ではありませんし、すべての人に効果があるものというのも存在しないでしょう。また、個人的にはどんなセラピーも、トークセッションと組み合わせたほうが効果が高いと思っています。

しかし一度学んでしまえば、指一本で自宅でできるツール。緊急時にも使えますので、ぴんと来ましたら一生のお供にぜひどうぞ♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

JMET認定EFTプラクティショナー講座
2016年10月28日(金)~30日(日)
申し込み

キャンセル待ち募集中

マトリックス・リインプリンティングプラクティショナー講座
2016年11月25日(金)~27日(日)
申し込み

キャンセル待ち募集中

 

くすぶりを見つめると愛と出会う♪

例えば、すごく嫌なことがあったとして、ネガティブな感情を感じ続けているのは、すごく不快ですよね。

で、自分を観察していてそんなとき何をしていますか?

ネットに向かったり、音楽を聴いたり、人と話したり、テレビを観たり、おいしいものを食べたり、いろいろ気を紛らしているかもしれません。

と、同時によ~く観察してみると、その嫌なことを納得して、終わらせたいという気持ちもどこかにあるはずです。

なので、“これが人生というものだ”、“~~さんにも事情があるのだろう”、“私も悪かった”などと、どうにか丸く治めようとする思考も出てくるはずです。

これが悪いといっているのではもちろんありません。出来事を違う方向や広い視野で見ようとすることは健全な心である証拠でしょう。ストレスが高まると、考えが狭くなり、自分中心の見方しかできなくなりますから。

ただ、このときに少し注意深くなってもらいたいのが、「こころの状態」です。というのも、考えによって「本心」が隠されてしまうことがよくあるからです。

つまり、何かくすぶってしまうことです。自分でもどこかすっきりしていないのは分かっているし、本当に心が晴れていないのも分かっているはずです。

でも、そうやって思考で納得したのだから・・・と、そのくすぶった心を放置してしまう。

くすぶった心がたまってしまうとどうなるかは、インテグレイテッド心理学でもやっていますが、今日は少し違う観点から書いてみたいと思います。

基本的にくすぶった感じ、すっきりしない感じ、どことなく沈んだ感じ、なんかイラついている感じ、うっすらとして不幸感などは、愛が隠されてしまっているよ~というサインですね。

でも、このサインはあまり主張しないし、言葉を持っていないので、大きな声で分かりやすい「思考」にあっという間に隠されてしまいます。

なので多くの人が、「考える」→「行動する」というパターンばかりを繰り返して、「感じる」を忘れ、心を置き去りにしてしまいます。

でもやっぱり、なんかすっきりしないので、どうしたら良いか?とまた考えるみたいな。で、そこでそれは置き去りにした心があるからだと気づく人はほとんどいません。

なので、たいてい「状況が変われば、きっと楽になる、幸せになる」という考えに着地します。

状況が自分の思うようになれば、私は幸せになるはず、というのは多くの自我がはまっている幻想です。社会全体で一斉に深くはまっているので、これが幻想だと気づいたり、抜け出すのはけっこう大変です。

でも、放置している自分の心をきちんと見ていくだけで、状況に関わらず、「愛」(安心、平和、幸せ)を取り戻せるんです。

「愛」というと、なにかふんわりした優しいものみたいなイメージをする人もいるかもしれません。でも、もちろんそうではまったくなく、愛には何事にも立ち向かっていける強さ、忍耐、強靭さがありますね。また共存、共鳴というすべてを包括する広がりもあります。

思考は、前にも書きましたが基本的に「必殺仕分け人」なので、ものごとを切り刻んで解釈する、レッテルを貼る、というような「分離作業」がその役割です。

ですから、思考中心になればなるほど、効率性とか損得、価値や有効性、役に立っているかどうかなどが大切になり、また分離感も強まるので、自分と相手は違うものという感覚も強まりますね。

しかし、愛を中心に世界を見れば、相手が外国人だろうが、障害を持つ人だろうが、あらゆるものが共存することがいかに自然なことか、きっと感じられるはずです。

思考は、防衛と攻撃によって自分は生き残れるといい、愛は、共存とつながりによって生き残れるといいます。

現在の社会では、愛とか平和、共存という言葉を発すると、理想主義と言われ、地に足が着いていないと思われがちかもしれません。

しかし、それを自分のレベルに落とし込んだとき、自分の中で心の葛藤や攻撃が起きているとき、そこに自分を維持し、成長させてくれる生命の輝きはあるでしょうか? またそこに力強さはあるでしょうか? それとも萎縮した緊張感があるだけでしょうか?

また、愛は決して現実から目をそらさず、むしろまっすぐ本質に向かってそれを見据えようとします。

例えば、社会に起きた悲惨な事件、芸能人のゴシップ、世界の情勢、政治などなど、思考はああだこうだと批判したり、分析したり、自分の考えが正しいと言い張ったりします。

でも、愛はその出来事になかに、自分を見つけることはできるだろうか?と探します。なぜなら、すべての本質は自分(愛)であって、それが抑圧されているところに摩擦や苦しみがあると分かっているからです。

なので、出来事を批判したり、分析するよりも、愛が抑圧された場所を知り、その抑圧が解かれることを願います。自分を一見分離させているものを本質に戻そうとするんですね。

ここまで思考型になった社会が一夜で愛を思い出すことは、なかなか難しいでしょう。それまではどうしても、今ある制度や政策が必要かもしれません。

でも、心をきちんと見ていくということ自体は、そんなに難しいことではありません。なので、今までのやり方を維持する、強化するというよりは、私たちの本質である「愛」をどう取り戻していくか?に人々の意識が向けば良いのになぁと思うのです。

という気持ちもあり、ハートレジリエンス(ハートから生まれる強靭性)協会の活動もやっていきたいと思ったりしています。地道に気楽に~♪(基本、まったりしているときが一番が好き。)

そうそう、もしかすると、もしこの世界がありのままですでに完璧なら、または、もしこの世界が幻想なら、どうして、世界のために何かするの?という思いを持っている方もいらっしゃるかもしれません。

で、私が好きな言葉は、バイロン・ケイティの“それが愛がすることだから”です。(*^▽^*)

 

☆近々、EFTマトリックス・リインプリンティングの一般募集を始めます。ご興味がある方は、次回のブログをぜひお読みください。

☆一般社団法人ハートレジリエンス協会 熊本地震メンタルケアプロジェクト!

現在、HPに不具合があり、熊本地震メンタルケアプロジェクトが更新できません。フェイスブックページでご覧になって頂ければ幸いです。

 

虐待の癒し

なぜか急に書きたくなって、今回は虐待についてです。

ですがその前に、実はブログにはあまりセラピーのことは書かないようにしているんです。というのも、ブログの性質上、どうしても簡略して書いてしまうので、読んだ方が誤解したり、分かったつもりになってしまうのを避けるためです。

ので、今回もほんのさわりですので、そのつもりでお読みくださいませ~☆

まず、虐待というのは、たいていある一定の時期に繰り返し行われているため、カテゴリー的には「複雑性トラウマ(Complex PTSD)」となります。

ちなみに、一般的にはトラウマというと、災害や交通事故による一過性トラウマ(PTSD)のことを指しています。

ということで、虐待は基本的にトラウマとして扱うものです。

さて、私たち人間とは、「思い-感情(感覚)-体」の三位一体の存在ですよね。楽しいことを思うと、ウキウキした感じになり、体が軽くなる。ネガティブなことをイメージすると、不安が出てきて、体が緊張する・・・というように。

また、ものすごく怖かったときなど、体が震えますよね? 現代人はかなり思考型になっているので、つい忘れがちですが、「思い-感情-体」というのは、常に連動して機能しています。

では、どんなふうにトラウマができるのか?

かつては、「戦うか逃げるか(Fight or Flight)」という場面で作られるというのが定説となっていましたが、現在では、「逃げることも戦うこともできずに、フリーズしたとき(Fight, Flight, Freeze)」にトラウマになることが分かってきています。

と、ここまでまるで、トラウマに関する理論を書いているように読めるかもしれませんが、めちゃくちゃ経験とマッチします。一応、経験とマッチしない理論は採用しない主義です。

で、例えば、小さな子どもが大人から暴力を振るわれる場合、戦うことも逃げることもできないわけです。ので、大声で叫ばれながら、体を叩かれたりした場合、なんとかそこで精神的に生き残るには、感情を麻痺させて、受けているショックを自分から切り離してしまうことです。

これは、身を守るという生理的な現象であって、その人の性格が強いとか弱いとか関係なく、身体の自動的な機能です。

で、そのときはそれでなんとか精神的に壊れずに、自分を守るわけですが、問題は、フリーズされた感情やショックは、解放されない限り、体にそのまま残ってしまうことなんです。

ちなみに、欧米では「トラウマはまず体から」という認識はかなり浸透しています。なので、出来事自体は過去のことですが、体のレベルではトラウマは現在進行形で生きているんです。

そのため、出来事自体は何年も前のことなのに、フラッシュバックや不安症、動悸、不眠、抑制できない突発的な怒り、欝、生き辛さなどなどが、今、症状として出てくるんですね。

で、体のレベルでそのときのショックや感情が残っている限り、例えば「私は無力だ」とか、「私の存在は人の迷惑だ」とか、そういったビリーフもどうしても生きてしまいます。

また、ショックや感情は自分が抱えきれないほど大きかったから麻痺させたわけで、その大量のエネルギー(感情だけではなく、そのときにあった匂い、音、ビジュアル、すべて体はダウンロードしてフリーズしています)をフリーズさせ続けておくには、けっこうなエネルギーが使われます。

若いうちは、なんとかうまく抑えておくこともできるので、考え方、見方を変えることで、自分では克服したつもりになっている人にもけっこうお会いしました。

でも、残念ながら思考だけでどうにかしたつもりでも、ダウンロードされてフリーズされたものは、そのままという場合が圧倒的に多いんです。

なので、更年期になってきたりすると、抑える力がなくなり、欝っぽくなってしまったり、身体になんらかの形ででてきたり。

また、若いうちでも、やはり人生のなかに何らかの形ででてしまいます。例えば、父親に殴られていた人は、権威と映るものに対して恐れや怒りがあったり、自分を他者を信頼するのが難しかったりなどなど。

また、無意識に常に警戒・防衛体制になっている場合も非常に多いです。子供のころ、いつ親が怒り出して叩かれるか分からなかった場合などは、常に危険を察していないといけなかったため、無意識に周囲の様子や人の様子をうかがっていたり。

ただほとんどの場合、本人がそれがトラウマ(虐待)のせいだと分かっていないものです。

さて、虐待(複雑性トラウマ)の具体的な癒しの方法は、残念ながらブログには書けませんし、それこそ一人でワークするのはかな~り難しいです。

しかし、身体のレベルでのセラピーを根気よく続け、また、ビリーフなど思いのレベルでもワークしていくことで、ほんとうにひどい虐待の経験からよくなった人も多く見ています。

私自身、一過性のトラウマを身体(感情)のレベルのワークを中心に、いくつかすっかり癒すことができました。

ちなみに私の場合、身体のレベルのワークというのは、例えば、EFTやマトリックス・リインプリンティングです。個人的にはTRE(トラウマ解放のエクササイズ)もとても役に立ちました。

正直いえば、虐待の癒しはそれなりに時間がかかります。でも、地に足を着けて、長年置き去りにした自分を会いに行く、愛をまた見つけに行くジャーニーだと思えると良いかもしれません。

解放の途中には、ものすごい怒りとともに親への罵詈雑言、自分を否定するどぎつい言葉などが、わんさと出てきます。それでも、それらの声のすべてが受け入れられ、変容していったとき、認知のシフト(見方、考え方が変わる)が自然に起きるんですね。

そして、ほんとうは自分がどんなに親を愛していたかが思い出されたり、自分は常に愛とともにあったことが分かったり、それらの声で見えていなかったものが顔を出してきます。

そして、セラピーのお話上、虐待は複雑性トラウマとして見ると書きましたが、もし、あなたにその体験があったとして、あなたは「複雑性トラウマがある人」ではありません。

単なる便宜上のレッテルをアイデンティティにする必要はまったくありませんよね。あなたはあなたであって、フリーズしてしまった自分の部分を解放してあげる癒し手☆

最後にしつこいようですが、超さわり、大雑把にしか書いておりませんので、そのようにご理解くださいね。

もう少し詳しく知りたいという方、ハートレジリエンス協会では、8月27日(土)にこのテーマと重なる「愛着障害」のショートセミナーを開催します。ご都合がつけばぜひ~♪

 

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8月 “その生き辛さ、もしかして愛着障害かも?”

愛着障害と克服セミナー

ブログが書けない?

人気ブロガーなどが脚光を浴びる今日この頃、私も~ということで、ブログを書こうとする人も増えているようですね。

または、セラピストやヒーラーさんなど、いわゆる自営業であれば、自分のブログはあったほうが良いよね~という認識も広がっているでしょう。

でも、それじゃぁということで、ブログの記事を書こう!、ん?・・・書けない・・・手が止まってしまう・・・という類のご相談も増えているようです。

そもそも何か書きたい!という情熱あるのか、それとも自分が成功するために書いたほうが良いと思っているのか?でも当然大きな違いがありますよね。

で、書けない理由はもちろん一つではありませんが、多いパターンとして、自分が一体何を求めているのか?が、はっきりしていないというのがあります。

自我とは基本的に思考型で、今に満足しておらず、先回りをしたがる傾向があります。つまり、こうなりたい(未来)というイメージに引っ張られがちなんです。

例えば、“あんなふうに人気があってキラキラしている人になりたい”、“あの人はお話会に人がたくさん集まって楽しそうだ。私もあぁなりたいな”などなど。

で、そうなるには、みんなの共感を得る記事を書くことだ、みんなが面白がる記事を書くべきだ・・・と、ハウツーに意識が行ってしまいます。

ところが、コンピューターの前に座ると、う~ん、何を書いたら良いか分からない・・・。

この場合、当然何を書いたら良いかなどまったく分からないでしょう。なぜなら意識が、“みんなが面白がる”、“みんなが共感する”など、“みんな”にあるからです。

“みんな”というのは、一体誰を指しているのかがあいまいで、非常に抽象的で、捉えにくいものです。なので、“みんな”を対象にしたとたん、迷子になりますね。

すると、いやいや、30代の独身女性とか、ある程度客層を絞れば良いのだとか、アドバイスをくれる人もいるかもしれません。

なるほど~と、30代の独身女性が何を求めているかを考えてみる・・・。これもたぶん、うまく行かないでしょう。やはり、意識が自分ではなく“外”にあるからです。

念のため、マーケティングやツールを否定しているのではありません。

何が言いたいかと言うと、こんなふうに意識が内側にきちんと向かず、イメージばかりが先行して、ツールが重要だ!と思ってしまった場合、たいてい地に足が着かずにふらふらしてしまうということです。

「私は~~をやりたい」という一番大切な土台がないからです。

“みんなが~”とか“30代の独身女性が~”ではなく、「私がこれを書きたい」「私はこう思う」という土台です。

私はこう思うから、こう書きたい、終わり。

共感してくれるかどうかは、後からついてくるものですね。最初から狙うものではなく。

セラピストになりたいという人に、理由は?とお聞きすると、“人の役に立ちたいから”という方もそれなりにいます。が、私は、う~ん、大丈夫かな~と思ってしまいます。

人の役に立てる職業は山ほどあり、なんだか漠然としているからです。人の役に立っている自分というイメージに引っ張られていないかなぁと思ってしまうのです。または、人の役に立っている自分になれたら、自分を好きになれるという飢えた思いからきているかもしれません。

ハートの声とは、イメージや飢えた気持ちなどがなく、“今”ただ興味がある、ただ好き、ただやりたい、ものですね。

今、心のしくみを知るのが面白くてたまらない、今、セラピーをやっているのがとにかく楽しい、トラウマの解消という言葉にワクワクする、などなど。

一方、イメージというのはたいてい未来にあります。今目の前にあるものや、やっていることをわざわざイメージしたりしないでしょう。

または今と違う状態。今はそうじゃないけど、“成功している自分”とか。やっぱり、未来ですね。

先ほど書きましたが、自我の「先回りぐせ」です。

先にこうなるために今がある、将来こういう自分になるために、今これをやる・・・みたいな。

じゃぁ、将来小説家になりたいから、ライターの学校に通うのはどうなの?と思う方もいらっしゃるかもしれません。

その場合、例えば、みんなを感動させる小説を書いて有名になりたいというイメージが先行しているのか、理由はないけどなんか書きたい、自分の中にあるものを、沸いて来るものをただ表現してみたいということなのか、ですね。

キラキラしたイメージ、ポジティブなイメージは、一見あたかもハートから出ているように見えるかもしれません。それこそワクワクするかもしれませんし、楽しい感じがするでしょう。

今までずっと思考中心でイメージを追ってきた人ほど、ハートの声とキラキライメージの区別が難しいかもしれません。

でも、ハートの声はいつも「今」にあります。それが大きな違いですね。

「今」やりたいことはあるの?ないの? 何か惹かれるものはあるの?ないの? あってもなくても、どちらでも良いんです。

ハート(生命)に戻ることが大切です。そうすれば、いつか何か現れてくるでしょう。

ということで、「結果(イメージ)→ツール」という発想から、「ハート→ツール→結果はおまかせ」というパターンはいかがでしょうか?

創造の源は今にしかなく、そこは生命というものを生み出す発露ですね♪

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