そろそろ体験のお時間です♪~自分への回帰~

2005年からずっとブログを書いておりますが、皆さんもご存知のように、私はブロガーではなく、心理セラピストです。

つまり、基本的に書く人ではなく「実践する人」なのです。なので、心のしくみなどについてたくさん書いてきましたが、「実践」の部分はどうしても文章化することができず、そこはほんと残念。

なんでこんなことを書いているかと言うと、先週末もOAD心理セラピスト養成講座を開催していましたが(*オンライン説明会を開催します。詳細はお知らせ欄で)、個人的に一番楽しいのは、やはり手取り足取り実践のアシスタントしているときなんです。超楽しい♪

ある意味当たり前すぎることですが、しくみを理解しているのと、それを実際にできるのとでは雲泥の差があります。

例えば、一般的に感情がどんなふうになっているのか?という話はブログでできますが、じゃぁ、実際にユニークな背景、ユニークなパーソナリティー、ユニークな感情の構造をもっているあなたの感情をどう具体的に扱うか?は、どうしても書けないんですね。

そうか~、なるほどね~という理解ももちろん大切です。ですが、醍醐味はやはり「実践」の中にあるわけです。

それは料理本を眺めているのと、実際に作ってみる違い、または地図を眺めているのと、実際にそこを歩いてみる違いと同じぐらい違うでしょう。

来週マトリックス・リインプリンティング(以下MR)のプラクティショナー講座を開催しますが(現在満席です♪)、MRは私の実践ツールの中で最も大切なものの一つです。

MRの良いところをあれこれ熱く語りたいところですが、なんといっても上手になれば、マトリックスという無限の量子フィールドの中でワークする面白さ、自由さ、意外性、そして潜在意識の叡智に触れたときの深い納得感。これらはれついやみつきになってしまいます。

一見話は逸れますが、現在の精神医療はもちろん、医療全般は基本的に物質主義がベースになっているでしょう。つまり、体があって、脳みそがあって、脳に意識が発生するという順番で捉えているわけですね。初めに体(物質)ありき。

個人個人の体はもちろん、個人個人の意識も分離して存在している、という世界観です。

なので、病気と言うのは体をとにかくいじって治すこと。鬱など心の症状も脳の機能だけ研究していれば、解決方法が見えるはず・・・というアプローチです。

しかし、悲しい、嬉しいという感情もほんとうに脳から生まれているのでしょうか?
脳の機能が正常であれば、私たちはいつもハッピーでいられるの?
それとも心の状態が先で、それに対して脳が反応しているのだとしたら?

量子学の父マックス・プランクが量子フィールドとは意識であると述べているように、量子フィールドという全体意識から人間の体が生まれ、脳が生まれる。つまり、始めに「意識ありき」だとしたら?

そして量子フィールドには、人類の集合意識である国家や女性、家系の集合意識(フィールド)などがあり、私たちはそのすべてのフィールドに影響を受けているとしたら?(エピジェネティックス)

つまり、脳はフィールドの情報を受信したり、それに影響を受けたりする受信機のような働きをしていると考えれば、本当に変えなければいけないのは、脳の状態ではなく、フィールドの情報となります。

MRでは、全体のフィールドに対して、ローカルフィールドという個人のフィールドがあり、そこにその人の記憶、思い、感情などなどが記録され、脳と密接に関係し合っていると考えています。

ので、大切なのは脳をいじることよりも、フィールドの情報(記憶、思い、感情など)を変えることなんです。

このように書くと、なんだか壮大でSFチックに感じるかもしれませんが、実際のワークは体をタッピングしながら、傷ついた自分、置き去りにされた自分と対話していくことがメインとなります。

対話によって握り締めていた感情や思い、記憶していた風景が自然と緩み、解凍し、変容が起きて、フィールドの情報が変わる。そして情報が恐れや緊張から安心、安全、または受容や愛に変わったことで、脳へ送る情報も変わり、心の状態も変わる、という流れです。

MRのセッションでは、クライアントが全く意図していないのに、前世が出てきたり、祖先の痛みや集合意識につながることも頻繁にあります。

そんな光景を目の当たりにしていると、やっぱり初めに意識ありきだよね~と思わざるを得ないのです。

そしてMRは、私が知っているセラピーの中でも最も効果が高くて持続するものの一つです。これ現場のセラピストとしては、ものすごく大切な重要ポイントです。

なんだかすごくMRの宣伝をしているみたいですが、たまにはしてみたい・・・。

ということで、話をはじめに戻すと、要は「体験してね♪」ということです。

もちろんここでいう体験というのは、自分自身と深く向き合うこと。(潜在意識の深いレベルまで)

実はそれは多くの人が無意識に避けようとしていることです。私自身も癒しオタクになる以前は、嫌で嫌でたまりませんでした。

理論に逃げたり、スピリチュアルや非二元の教えで蓋をしたり、ソウルメイトやお金や何かを得ることで埋めようとしたり、出来ている自分というイメージで隠したり、または惨めな自分を言い訳にしたり、私たちは自分の深いところと向き合わないように、無意識にあの手この手を使っています。

なぜなら生の自分と出会ってしまったら、自分へのウソやごまかしが崩壊すると薄々分かっているから。

今まで嫌な自分、弱い自分、できない自分を見せないように頑張ってきた仮面が剥がれてしまうから。

でも、自我が知らないことは、それ自体が幻想だということ。

自分についてあらゆることが思い込みだったと知る瞬間は同時に愛と受容を感じる瞬間でもあり、それはすべての自分についての物語が始まる前、「原初の私」を思い出す瞬間でもある。

太古の昔から知っていたようななつかしい私らしさ。ある種のホームカミング♪

そこは私の始まりの場でもあり、究極の逃げ場、そしてあなたがずっと求めていた場所♪

 

マトリックス・リインプリンティング講座は年に一回です。こちらを受けたい方はまずEFT講座を受講してください。

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

OAD心理セラピスト養成講座説明会開催

Zoomオンラインによる説明会を開催します。
(Zoomのアカウントがなくとも、URLをクリックするだけで参加できます)

日時:2018年1月30日(火)
時間:20時から30分ぐらい
場所:ご自宅♪

説明会へご参加希望の方はこちらからお申込みください。↓

https://www.form-answer.com/applications/KWW8D

現在、40数名の方がお申込みされています。最高50名まで受け付け予定。
もちろんプレッシャーゼロ、申し込みをしなくてもまったくかまいません。
ご興味ある方、お気軽にどうぞ♪

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2018年2月JMET EFTプラクティショナー講座 in 東京

自分との対話にタッピングは欠かせない♪ 

先日アメリカ3大ネットワークテレビ局の1つ、NBCの1950年代から続く看板番組「TODAY」にEFTが取り上げられました。↓ (4年間苦しんであらゆる治療を受けて良くならなかった背中の痛みが、心のストレスをタッピングして2回のセッションで消えた〜というお話し。)

https://www.today.com/video/could-tapping-be-the-solution-to-chronic-pain-and-anxiety-1137958467625

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OAD心理セラピスト養成講座募集♪

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たくさんの私♪

 

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この絵には「彼女は失ったものを見つけるだろう(She will find what is lost by Brian Kershisnik)」というタイトルがついています。私は時々、「置き去りにされた私」という表現を使いますが、この絵を見た瞬間、まさにこの絵はそれを象徴しているな~とちょっと興奮♪

えっ!こんなにたくさんいるの??と思われるかもしれませんが、経験上もっとたくさんいます。ある意味この集合体が自我の精神構造そのもので、自我であるといっても良いかもしれません。

この置き去りになった私とは、思いや感情、イメージで成り立つエネルギー体で、ある意味幻影です。でも、しっかり存在感があり、このたくさんの私たちの思いや感情が投影されて、個人個人が経験する世界が出来上がります。(思考が現実を創るという意味ではまったくありません→☆

もちろん、ものごとの見方のベースを作るようなコアの私やある出来事だけに反応する私や、その大きさや深さはいろいろです。

ということで、ちょっとある日の私の自己ワークを紹介させてください♪

ある出来事によって強い悲しみに襲われてしまい、それがなかなか消えないどころか大きくなってしまったことがありました。(ちなみに出来事が私を悲しませるのではなく、出来事はたいていトリガーです)

とりあえず悲しみをよ~~く感じながら、そこにある思いやイメージを見つけていきます。すると、“◎×△×◎~~!!”(←忘れました)と言って悲しみにくれている4、5歳ぐらいの自分が浮かんできました。

いくつもの問いかけとタッピングをし、罪悪感や怒りや様々な思いを癒し、その子はだいぶ落ち着いてきました。が、相変わらず暗い場所にいるので、“明るいところに来ない?”と声をかけてみると、ものすごい抵抗が。

その抵抗をよく感じ、さらに対話を続けると、なんとその子は“私は悲しみの番人だ”と言い張っているのです。

悲しみの番人?

一瞬、喜びの番人とかしてくれないのかな?と思ったのですが、その子からは喜びの番人なんて絶対ダメ!という拒否しか感じられません。

ので、さらに感じ続けて対話をしていると、“ネガティブな感情があるから、生命は生命としていきいきと動き出す”とその子は強く感じているようでした。

もしポジティブな感情しか自分になかったら、自分はうすっぺらい存在になって、生命の真の息吹を知らないままウソの世界を生きることになる・・・・と思っているのです。

しかも、悲しみの番人なので、自分の悲しみだけではなく、みんなの悲しみもあるね~、あるね~と番をしている・・・・・。

深層心理の不条理な面白さにいつも感動してしまいますが、ほんと人の心は複雑です。万が一これを他人事のように読んでいらっしゃっているとしたら、あなたの中にも必ずあります♪

話を戻して、それだけ自分の役割をがっつり守っていれば、明るい場所などに出てくるわけがありません。

そこでそのまま悲しみの番人を必死に頑張っている子をよく感じ、ありがとうの言葉をたくさんかけ、ただ寄り添うにことにしました。

そして、その子が欲していることってなんだろう?と感じてみると、 “こんなに頑張っていることを誰かに気づいて欲しい”という声がしてきたのです。

その瞬間からすべてが崩壊し、目から鼻から涙がこぼれ・・・、ぐちゃぐちゃ。

実はこの声が一番抑圧されていたんですね。

この思いは一見よくある承認欲求みたいな思いなのですが、顕在意識で“自分の頑張りを誰かに気づいて欲しい”と思っているのと、深層にあって長い間抑圧していた思いとして出てくるのでは、同じ言葉でも100万光年ぐらいのギャップがあります。

長い流れを省略して、最終的にこの子は自然界のすべてのもの、風や太陽の光や空気がいつも自分に気づいてくれている・・・ということに心から満足し、ポジティブもネガティブもある生命の光が優しい世界ではしゃぐ姿に変わりました。

また一つ、私の一部が自然へと帰り、何か今までと違う地平線に立ったような感覚がしました。

癒しとは、本質に戻りたいという自我の真の欲求に応えてあげることですね。

例え気づきの意識である自分の本質が理解されたとしても、オセロをひっくり返すように置き去りになった私がすべて自動的に本質に戻るわけではありません。

非二元のティーチャーであるルパート・スパイラやアジャシャンティが悟後のプロセスとして、自分の中にある分離や真実の理解とマッチしないものにワークしていくことが大切といっているのも、このことなのだろうと思います。

トラウマのショックでフリーズしてしまっている私、自分を罰し続けている私、無力さを握りしめている私などと対話していくことで、一つ一つ自我の幻想からも目覚めていけます。

ちなみにこの「感情とイメージと思い」のエネルギー体である置き去りになった私は、脳科学では「感情学習(emotional learning)によってできた結合(consolidation)」にあたります。

この「感情学習」とは無意識のうちに行われ、感情脳(大脳辺縁体)に回路がしっかり作られますが、本人がまったく気づいていないため、いわゆる通常のカウンセリングでは解除されないことも分かってきています。

つまり、脳科学の観点からも潜在意識の領域や感情そのものにワークすることの大切さが分かってきているんですね。超ワクワクします♪

話があちこちに飛び過ぎてきたのでこの辺にしますが、置き去りになった私を癒し尽くしましょうという話しではまったくありません。

もし苦しいと感じることがあれば、または何かに大きく反応してしまうのであれば、これも一つの方法ですよ~というご提案です。

今の自分がどんなであれ、それはそれで愛おしくベストを尽くしている自分です。新年の日の出のように、どんな自分も暖かい目で見ることができると良いですね♪

本年もどうぞよろしくお願いいたします☆

 

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「ノンデュアリティと癒しのカフェ」開催します♪

日程:2018年2月4日(日)14時~17時
場所:CTW表参道(原宿、表参道)
http://www.cultureomotesando.com/access-map/
参加費:5000円
申込フォーム:https://www.form-answer.com/applications/BWPNW

満席となりました。ありがとうございます♪

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2018年1月12日(金)19:00~21:00 (東京表参道)

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寂しさもコーヒーのおともに~ダバダ~♪

“自分の人生はどうありたいか?”、“どうなって欲しいか?”というのは、やはり私たちの最大の関心事でしょう。

例えば、若い人ならざっくりと「自分の家庭を持つこと」「仕事で成功すること」「自分の好きなことをしていくこと」とか、仕事を引退する年齢になれば、「夫婦で旅行をたくさんすること」「会社に縛られずに自分を表現すること」などなどかもしれません。

人生の目標を持つことや、こうありたいと願うこと自体はとても自然で、それが人間としての営みを面白く、深くもさせてくれますよね。

一方で目標を達成するために、または願いを叶えるためには、自分がどうにかしないといけないわけで、そうなるようにと頑張ったり、それを目指した行動をしたりするでしょう。

ところがこの自分がしなければ~の思い(私の意志)が強いほど、人生は「私」が頑張ることになり、他者や状況は「私の」目標や夢に合っていないといけなくなります。

家庭を持つことであれば、なかなか結婚に踏み切れない彼をどうにかしないといけないし、仕事で達成することであれば、それに関わる人たちは自分の思うように動いて欲しいし、夫婦で旅行をするなら、相手も同じ夢を持ってくれないといけません。(または健康でいてくれる)

しかし、人生はときには残酷で、思ったように運ばないこともたくさんありますよね。そんなとき、目標や夢が大切であるほど、私たちは生きる意味までも見失ってしまったりします。

でも周りを見渡せば、“仲良い家庭”や“仕事の充実”、“幸せな老後”を得た(ように見える)人たちは社会にたくさんいて、自分の人生は失敗だった感がますますリアルに感じられたりするかもしれません。

あっ、お気づきになっていると思いますが、心理セラピストであるので、私はどうしても楽しんでいる人ではなく、悩んでいる人、苦しんでいる人に思いが行ってしまいます。特にクリスマスや年末は・・・。

さて話を戻して、もし自分の人生が自分が思うように行かなかったとき、気づいてみれば、こんなふうになるはずではなかった・・・と失望や落胆、後悔に暮れてしまうとき、それは実は一見キラキラしてみえる「理想」「目標」「夢」の囚われの身だったのかもしれません。

「私の人生はこうあるべき」という形以外は目に入らず、その思いの中でしか人生が見えず、生命が違う形でくれたものに価値が置けない。

目の前にある幸せも、自分が思うものと違うから受け取ることができない。または気づかない。

私自身も“仲良い家庭”を持つことに強く憧れていたので、夏休みやら、クリスマスやら、家族の行事が持ちあがるシーズンは、一人ぼっち感と無力感(自分でどうにもならない)が増していたものです。

その無力感は、一度は私を精神的な死に向かわせましたが、死ぬほどの絶望感もなく、宙ぶらりんな気持ち悪さを抱えたまま、結局残された場所は一つしかない。そう、私は自分の中へと行くしかなかったのです。

途中、抑圧された思い込みや感情とたくさん出会い、決してスムースな旅ではありませんでしたが、おかげで私は私自身と親密になれ、しかも生命そのもの、自分の本質と出会うことができたのです。

自分の夢という囚われの身から自由。一人で過ごすという形にこだわりすぎて、自分自身の存在のありがたさ、多くのつながり、サポート、あらゆる関わりの奇跡を見過ごしてしまっていた。そして、その生命が織りなす人生は、これからどんなふうになるのかさっぱり分からない・・・・。私はいかなる形にでもなりうるのだ。

深い呼吸ができて、自分と自分の人生の無限性に目覚めたというか。

そして「私の意志」は、「生命の意志」に仕える道具となり、サレンダーとは無限への切符だと知ったのです。

まだまったくのヨチヨチ歩きではあっても、歩み出したことで人生は達成するもの、夢を叶えるものではなくなり、寄り添うもの、あるもの、現れるものを深く味わうものとなりました。

正直言えば、子供たちにクリスマスのプレゼント~みたいなことをやってみたかったと寂しく感じることもあります。

でも、そんな寂しさも一杯のコーヒーのおともなんです。

自分の寂しさに酔っているという意味ではありません。そこにあるのはサレンダー。

本質の錬金術が、コーヒーの味を受容と愛に変えてくれますね。

そしてサレンダーとともにあゆかの意志はなくなり、本質の流れが主役となる。

あゆかが必死に一人にならないように頑張るとか、寂しさをどうにかしようとするのではなく、本質があゆかの寂しさを受容し、あゆかを無限に目覚めさせてくれます。

クリスマスや年越しを一人で過ごす・・・というのは、あゆかにとってはそれがすべてでも、本質にとっては無限の一つの現れ。一つの愛の形。

そう、寂しさも愛! すべて愛!

すべては愛の中にしかいない。

このように書くと、自我は“よし!サレンダーすれば良いんだな。”と読み取り、サレンダーしようとしてしまうかもしれません。

が、その方向はほとんどウソっぽいサレンダーになりがちです。それよりも、思考を横に置いて、寂しさなら寂しさとともにただあってみるのはどうでしょうか?

寂しさというものがただのエネルギーになって、その後もただそれとともにあること。一切の取引きもなく。一体自分がどこにいるのかさえ分からなくなるまで。受容の静けさが感じられるまで。

でも、潜在意識の中にたくさんの思いや感情があれば、本質よりもどうしてもストーリーに引っ張られてしまうかもしれません。

例えば私の中には、仲が良い家庭を持つ人→人生の勝者、持たない人→敗者、みたいな強い思い込みがありました。しかも、敗者は人間以下の地獄にいる餓鬼みたいな様相(←自分へと投影)をしていたのです。うひゃ~。

この餓鬼の私の思いと向き合い、その私を抱きしめてあげたり、なんやかんやで(覚えていない)すっかり落ち着きました。(*^_^*) (私の場合、タッピング+自分との対話は最強の組み合わせです。)

最終的に癒しとは何かを得るためや、自分を変えるためではなく、その人を本質に向かわせるものだあぁと思うのです♪

ということで皆様、良い年越しをお迎えください☆

 

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「この世は幻想」の二つの意味、二つの夢♪

先日、脳科学の観点から心について書かれた本を読んでいて、ほらね~~っ!と嬉しくなってしまった文面がありました。

それは、

“the world is not an external reality at all, but rather a vivid illusion or mirage maintained by his own implicit constructs experience themselves.”世界とは外側に存在する現実ではまったくなく、むしろ(世界とは直接関係のない)彼自身の経験そのものによって維持されている、とても鮮明な蜃気楼、幻想であるのだ。(by ‘Unlocking the Emotional Brain’)

ちなみに私はこの蜃気楼、幻想のことを投影と呼んでいます。またこれは、「思考が現実を創る」・・・ともまったく違う話です。

例えば、知らない人たちのグループに始めて参加するとき、そこでほんとうに起きていることは、「いろいろな人たちがいる」終わり、ですよね。

でも、そこに「自分だけ溶け込んでいない」「自分は上手に話ができていない」「みんなが自分のことを変だと思っている」などなど、そこにないものを盛り込み、あたかもそれが外側にある現実かのように強く感じてしまうことを言っているんです。

「グループに溶け込めないという現実」を作っているのではなく、「そう感じる」「そう見える」ということです。

もちろん、本当にそれを信じ込んで、自ら溶け込めないふるまいをし続ければ、当然周囲もそんなふうに見始めるでしょう。こうやって蜃気楼は強固なものになっていくわけです。

またかなり昔、とあるコミュニティの食事会の後にお皿を洗っていたところ、ある女性に「それは私がやろうと思っていたんです!!」とすごい剣幕で怒られてしまったことがありました。

ずっと後でお話しして分かりましたが、その女性はコミュニティの中で自分は何もできていない、役に立っていないと引け目を感じていたらしく、そのため、自分が唯一役に立つチャンスを奪われたと感じてしまったためだったのです。

これらはすべて、事実とは直接何の関係もない、自分の中にあるまったくスルーされた思いと感情によって見えてしまっている蜃気楼、幻想なんですね。

しかし、癒しが進んでいくと、幻想がいくつも落ちていき、ありのままのシンプルな優しさが顔を出してきます。

これはこれで、ある意味とても大きな目覚めだと私は思うのです。

さて、ノンデュアリティのメッセージでも、「世界は幻想である」とありますよね。じゃぁ、それはこのことを言っているのか?と言えば、そうではありません。

そうではなく、私たちが「起きている」と思っていること、「ありのまま」にあると思っていること自体が「起きていない」ということなんです。

何も起きていないんです。

もっと正確に言えば、「起きていて、起きていない」です。

ここからは思考はついていけないし、言葉も追いつきません。

じゃぁ、なんで書くの?といえば、

大切なポイントは、「私は何?」に尽きるかと思うからです。自分は何ものなのか?です。

自我は事象のしくみを知ることに意識や情熱が向かいがちですが、自我が分かるものは、どうしても自我目線のものでしかありません。

でも、私は何か?という問いを「男である」「女である」「人間である」といった思考のレッテルを剥がしていき、徹底的に体験のみを深く見つめて行けば、それは自我目線を超えた経験的な理解に落ちていくしかありません。

何もないとか、何も起きていないと分かっているのは、誰なのか?

最後の最後まで、レッテルを剥がしまくり、ストーリーを取り去り、現象を取り去り、あらゆるすべてを取り去っても、最後に残るものは何か?

これを考えずに、体験的に見つめて行く。ある意味とてもシンプルですが、思考がものすごく入り込んでくるため、いつの間にか体験ではなくて、考えを見つめていたりするでしょう。

しかもそのことに気づかない。自我はそれぐらい「思考」そのものです。

そういう意味で、これは哲学でも思想でもなく、教えでもありません。

強いて言えば、ありのままをただ見つめていく自然科学です。

自分とは起きていて、起きていないことの目撃者であって、同時にその幻想そのもの。

まずは、自分の心が生み出した夢から目覚め、そして、今度は自分という夢から目覚める。

もちろん、この順番はどちらが先でも良いし、順番通りに起きることでもありません。

ただ、自分の心が生み出した夢を現実だと深く信じているうちは、ノンデュアリティのメッセージも本当の意味では伝わらないかもしれません。

生き辛さを感じている人ほど、悟りやノンデュアリティに惹かれる様子を見ると、心理セラピストとしては、先に自分の夢から覚めると楽だよ~~と言いたくなります。

とはいえ、何がその人にとってベストなのかなど私は分かりませんので、単に一つの見解です。

起きていて、起きていないということ、

私は何か?という問い、

これが指し示しているのは、誰も本当の意味で傷つくことはできないということ。

取り返しのつかない人生、償いきれない罪、もう二度と会うことができない愛する人、無駄になった人生、などなどすべて何もないということ。

苦しみも喜びも「本質の私」という受容の中であたかも起きたかのように過ぎていく。

でも、私たちが二つの夢から覚めたとき、そこにあるのは「受容」と「愛」だけ。それは究極の癒しですよね♪

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なぜ自分で自分を癒すのは難しいの?

本やブログでなんとか自分の悩みを解決したい、自分の苦しみをなくしたいと思う人はけっこう多いかと思います。ところが、これまたきっと多くの人が感じているように、自分で自分を癒すってなかなか難しいですよね。

なぜなんでしょう? 自分の苦しみを冷静に客観的に見るのは難しいから? いろいろあるでしょうが、私が思う一番難しい理由は、

じゃん、「私たちの中には3人の私がいる」からです。

説明させてください。

まず、もし自分が誰かの言動に傷ついていたとします。で、引きずりたくないのに、どうしてそのことを考えてしまい、悲しくなったり、腹が立ったり、苦しみが止まらないとしますね。

この場合、そもそもその誰かの言動に反応してしまう「置き去りになった私」がまず自分の中にいるんです。そうでなければ、相手の言動は不愉快かもしれませんが、傷ついて引きずるということはないんです。

つまり、苦しくなるものは、相手の言動のせいではなく、そもそも自分の中に癒されていない私がいるからなんです。

で、そのとき同時にもう一人の私が活動し始めます。私はそれを「コメンテーター」と呼んでいます。

つまり、自分が傷ついていること、苦しいことに対して、いろいろ分析したり、理由を考えたり、どうにかしようと頑張ったり、また批判したりする私です。

“私がこんなに傷つくのは、母親にコントロールされてきたからかもしれない”
“なんでこんなに引きずってしまうのだろう、情けない・・・”
“まだこんなに動揺しちゃうなんて、私は自己の本質に近づいていない”
“この嫌な気持ちを早くどうにかしたい。普通の状態に戻りたい”
“あの人はいつも不安を抱えているからあんなことを言うのだ”

コメンテーターは、心理学の知識や非二元やスピリチュアルにも詳しいかもしれません。とりあえず、コメンテーターがどれだけ分かっていようと、「置き去りになっている私」は、ここでも放置されたままです。

そのうち「コメンテーター」の声の方が大きくなりすぎたり、またはあれこれコメンテーターが思うように癒してみたりしますが、ほぼ間違いなく「置き去りになった私」の声はスルーされます。

“その問題はすでに何度も癒したのですが・・・”とおっしゃる方も多いのですが、言葉のニュアンスにまったくスッキリしていないのがよく分かります。そんな場合、たいてい「置き去りの私」がまだ抑圧されたままだからです。

ということで、もうお分かりかと思いますが、楽になるコツ、シフトが起きるコツは、コメンテーターに静かになってもらい、直にこの「置き去りになった私」と対話していくことです。

でも、ここでまた難しいのは、長年自分が抑圧してきた、自分がまったく気づいていない思いや感情にどうアクセスするのか?です。

OAD心理セラピスト養成講座では、そのために「気づきの問いかけ」というスキルを教えているんですね。

この気づきの問いかけは一見ただ質問をしているようで、実はけっこう難しいんです。一つは人の心とは実はかなり複雑で、問題によってはかなり複雑な状態になってしまっています。また、なによりもコメンテーターに静かになってもらうのがとっても難しい。

なぜなら、コメンテーターとは意識上の思いで、私たちはたいていコメンテーターの声を聞きながら暮らしているからです。おそらくコメンテーターが静かになった経験している人がそもそも非常に少ないかもしれません。

ので、コメンテーターに静かになってもらうために登場して欲しいのが、3番目の私、「本質の私」なんです。つまり、気づいている意識、純粋意識としての私です。気づいている意識も普段コメンテーターによってまったくスルーされています。

気づいている意識である本質の私は、あらゆること、いかなる思いや感情、感覚にもただ気づいているだけですね。そして、一切何も否定せず癒しにとって一番大切な「無条件の受容」そのものです。

“こんなネガティブな感情はやくなくしたい”
“こんな情けない自分と対面したくない”
“自分がそんなひどい思いを持っていたなんて思いたくない”

などなどと言った声を持たず、自分の中にあるものを静かに100%受容してくれる私。

この無条件の受容の私の中で、置き去りになった私は自由にオープンにどれだけ自分がショックだったか、どれだけ腹が立ったか、だれだけ憎んでしまったか、どれだけ絶望したか・・・をすべて表に出すことができるんです。

これは、自分と自分との対話の中でセラピーを使いながら進めていきます。

そしてセラピストは、クライアントさんが自分と対話できるようサポート役に徹します。多くのカウンセラーやセラピスト養成講座は、知識を学ぶことで、ある意味、セラピストのコメンテーターの訓練をしているかもしれません。

しかし、OAD心理セラピスト養成講座では、理論やスキル、テクニックも多く学んで頂きますが、「置き去りになった私」とダイレクトに対話ができる能力が一番学んで頂きたい点です。

ということで養成講座の案内になっていますが、今までブログでしていなかったので続けちゃいます。

そして、自分が自分との対話が上手なったとき、始めて私たちは、クライアントさんがご自身と対話するサポート役になれるんです。

そういう意味で、とにかく大切なのは「自分を見つめたいか?」なんです。これだけがある意味応募条件です。

ので、私はセラピスト向きか?とか、知識が足りないのでは?とか、まだ癒されなさすぎかも?とか、ほとんど関係ありません。

また将来セラピストにならないという方でももちろん歓迎です。というか、自分のために受ける方のほうが毎年圧倒的に多いです。

話を戻して、コメンテーターの私ももちろん必死だから、本当は自分が大好きだから、だからなんとかしたくて声が大きくなってしまうんですね。

傷ついている私もコメンテーターの私もみな愛という大海(本質の私)の現れであって、すべて愛おしい私です♪

 

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安泰な人生~お金よりも当てになるもの♪

基本的に自我は、自分がどううまく生き残るか?ということにまい進して生きているものです。

なので、経済的に安泰であればあるほど良いし、自分が社会的に受け入れられていればいるほど良いわけです。

お金が十分に稼げないとか、周囲からバカ扱いされるというのは、たんに心配だとか、腹が立つということだけではなく、深いレベルでは、「生きる意味がなくなる」ことへの恐れを感じているんですね。

ので、どう自分を経済的に安定させるか、どう“良い自分”にしておくかというのは、自我活動の大きな基盤です。

これはある意味私たちにとってあまりに当たり前になりすぎていて、自分がそれをやっていることにも意識がないかもしれません。

生活費を稼ぐためにあれこれ考えるとか、周囲との折り合いをつけるためにそれなりに良い自分として振舞うとか、普通にやっていることのはずです。

でも、どうでしょう?

ロンドンでカウンセラーのカレッジに通っていた時、印象的な話をある先生がしてくれました。その先生のクライアントの一人にアメリカ人の大金持ちがいて、その人の家も何もかもとにかく豪華だったそうです。でも、その人はひどい鬱で何一つ楽しめず、家の中の輝く装飾と対照的であったそうです。

ひどい鬱というのは、自殺願望も生み出し、自我が描いている安泰な人生とは程遠いですよね。

この人ほどではなくても、お金は物質を供給しても、親子の確執や失恋の痛手をカバーしてくれるわけではないので、経済的安定が必ずしも「うまく生きていく」ことを保障するとは限らないわけです。

では、世間受けが良い自分でいることはどうでしょう? 「できる私」「成功している私」「優しい私」であれば、私の人生は安泰するということで、自分が思う「良い私」づくりにまい進したとします。

で、頑張った甲斐があって、他者から賞賛されたり、尊敬されたり、すごいね~と言われて良い感じ。ところが、あれっ? 腹を割ってバカ話する友達がいない・・・・。

良い私でいるために、自分のバカなところ、弱いところ、しょうもないところをぜんぶ隠してしまったため、表面的な付き合いの友達と呼べないような友達しかいない。

そして、だんだん心が空っぽな気がしてきます。お金もあるし、人からも賞賛されて、人生は安泰してきたけど、なんだか生きる意味があやふやになってきた・・・・。

またもロンドンでの話ですが、毎日乗っていたバスの経路にある病院があり、その病院の前庭のベンチには、いつもホームレスの酔っ払いのグループがたむろしていました。

最初はあまり気にかけていなかったのですが、さすがに毎日見ていると、彼らの様子が分かってきます。で、ある日気がついたのです。彼らはお互いにものすごく助け合っているということに。

泣いている人の肩を抱いて、みんなでなぐさめていたり、食べ物や飲み物をシェアしていたり、心が通じ合っている様子がよく分かります。

実は気にかけていなかったというより、私の偏見のためにそれがしばらく目に映ってこなかったのです。

そのとき、この人たちは惨めなかわいそうな人たちじゃなくて、幸せな人たちなのかもしれないという感覚が襲い、軽いショックを受けたのです。

そのことを思い出すたびに、最終的に私たちが生き残るために必要なものは、「つながり」なんじゃないかと思うのです。

たぶん、こんなこと今まで多くの人が言ってきたことでしょうし、そりゃそうだよねと思う人も多いことでしょう。

にもかかわらず、世の中の動きを見ると「つながり」を育むというよりは、政治や経済では、攻めと守りのレース、また教育では、良い点数、良い大学、良い就職先、自己啓発においては、素敵な私や自分の望む状況を実現するのだ!みたいなエネルギーが強いなぁと思うのです。

日本は特に「自己責任」とか、人に迷惑をかけてはいけない、という社会的な暗黙のルールが強く、人とのつながりで持ちつ持たれつ助け合うというよりは、自分でなんとかするべきと思っている人の方が多いかもしれません。

前にも書いたような気がしますが、高校を卒業する最後の日に担任の先生が、“お前ら、人にいくらでも迷惑かけて良いんだぞ。でも、人を傷つけるのはいけないんだ。”と言ったとき、私は内心、ひゃっほ~、迷惑かけて良いんだ~と思ったものです。

他人に迷惑をかけないでいようとしたとたん、私たちは「一人で頑張る」という孤独の世界を歩きだすしかないですよね。

そうすると、「経済的な安定」や「できる私」でいる必要性もうんと高まります。

でも、“うまく生きていく”ということが、人とつながって助け合っていくということであれば、私たちの努力は違う方向へ向いていくはずです。

つまり、私は人とつながれるほどハートがオープンだろうか? 恐れや不安で城壁を巡らしていないだろうか? 私は私が好きか? 私は自分を許している? 私は愛を感じている?

こんなふうに見られたいという思いに囚われて、自分を見失っていないだろうか?
みんなの期待に応えようと、無理していないだろうか?
できない、分からないって言ってはいけないと思っていないだろうか?
ほんとうの自分を知られたらマズイと思っていないだろうか?

自分に強いている頑張りや無理、抑圧を解いて、ただ生身の人間になって、生身の人間とつながる。

弱さを見せられることが、本当の強さであることを学んでいく。

逃げも隠れもしない「ただの私」がそこにいて、人と交わって、助け合って生きていく。

うん、安泰♪ 安泰♪ (*^_^*)

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苦しみの根っこはすご~くシンプル♪

いきなりですが、苦しみって本当はシンプルなものだなぁといつも思います。どういうことかというと、例えば、家族と仲が悪く、そのことで毎日頭の中にぐるぐるとストーリーが走りまくっているとします。

苦しみの始まりは、その家族の言動に傷ついたとか、否定された気がしたとか、許せなく感じたとか、なにかもちろんあるわけです。(※愛着障害のようなケースはまったく違う見方が必要です。)

で、オリジナルのところだけに留まって、例えば、否定された気がした自分を見つめ、何を否定されたと感じたのだろう?と問いかけていくと、“自分の思いやりを無視された”→“私はこんなに努力しているのに”→“誰も私のことを見ていない”→“孤独で泣いている私”みたいな流れになるかもしれません。

そして、最後の“孤独で泣いている私”と対話して、セラピーなどしてあげれば、“否定されたと思ったけど、実は違うようだった”とか、または、“ほんとうは家族が大好きだった♪”とか、違う展開になり、めでたし、めでだしとなります。

ところが、そんなふうに見つめることなんて誰も教えてくれないので、どっちかというと、お互いに悲しみや怒りで相手の言動に反応し合い、そこから新たなストーリーも加わり、ヒートアップしてついには土曜サスペンス劇場~になったりすることもあるでしょう。

オリジナルの問題にストーリーがどんどん増えていき、何が一体苦しいのかさえ分からなくなってしまった状態でセッションに来られる方もとても多いんです。

それはまた、相手や出来事が特にない場合も同じで、例えば、自分はいまいち自分らしい人生を生きていないと感じていたとします。

それも自分を見つめてみて、「自分を生きていないような」ポイントは一体どこに一番あるのか?と見ていくと、例えば、“いつも周囲の思いや社会の暗黙の了解に合わせていた”→“自分が迷子になっている感じ”→“自分がどうしたいか分からない”→“ほんとうはもっと自分を表現したい”などとなったとします。(流れは1万通りあります)

で、“自分を表現したい”と言っている自分を充分受け入れ、なぜ表現できないの? 表現するとどうなるの? 何を表現したら自分らしい感じがする?などなど、セラピーをしながら対話をしていきます。

そうすると、同じ状況の中でも、自分を表現できることが見えてきたり、またはもっと自分らしい方向が見えてくるかもしれません。

しかし、ここでも自分を見つめるなんてあまり思いつかないので、生き辛さを引きずったまま、“自分の人生はこのままで終わるのか”という焦りや絶望のストーリー、または“あの人は、自分らしく生きていて羨ましい”という嫉妬のストーリーなどがついて、苦しみが複雑化したり。

そして、増幅したストーリーももちろんいちいちぜんぶ信じ切っているので、そりゃぁ苦しいはずですよね。鬱になってもおかしくありません。

とはいえ、自分を見つめるって、けっこう億劫ですし、またやり方が分からないということもあるでしょう。

でも、苦しいときは、ストーリーに流されないように頑張るとか、頭で説き伏せるとか、そういう努力よりも、とりあえず、自分の様々な声の中で一番感情がのっている声に意識を向けて、それを受け入れてあげるのも良いかもしれません。

そして、自分が苦しいのは状況や相手のせいではなくて、自分の中に自分が気づいていない「泣いている自分」がいるからだなぁ~とちょっと思ってみるのはいかがでしょうか?

根本的な解決に至らなくても、苦しみの中にスペースが生まれて、深呼吸ができるようになるかなと思います。

さて、いろいろな理由でセッションの動画や録音は公開したことがなかったのですが(守秘義務があるし)、たまたま比較的短い時間でセラピーも含めて50分ぐらいで終わったデモセッションが、たまたま録音されていて、こんな“たまたま”が二回続くことはあまりないので、初公開しちゃおうかなと思います。(※被験者の方の許可を得ています)

もちろん、セッションはすべて流れがいつも違います。これは無数にある中のたった一つの例です。もっと複雑なケースや重いケースの方が圧倒的に多く、一回で終わることはほとんどありません。今回は比較的浅いレベルで問題が解決されたケースです。

とりあえず、私の考えや判断、アドバイスや分析などなどが一切なく、クライアントさんの言葉だけでセッションが進み、解決まで至っているということに注目して頂けると嬉しいです♪

途中セラピーの部分はマトリックス・リインプリンティングの変形をやっています。

今日の記事の内容が具体的に分かって頂けるかなと思います。

ということで、宜しければお聞きください♪ テーマ~お金を稼げていない~

 

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