私たちは“過去”の投影を“いま”全力で生きている〜愛への帰還を始めよう〜

先日あるキャンプに参加してきました。この過去3年間を振り返って、今後どう個人の自由を確保していくのか? 個人の主権とはなにか?、健康について、トラウマの癒やしについて、新しいお金の制度についてなど広範囲に渡ってのセミナーや討論が盛りだくさん。

また、なつかしいキャンプファイアーをしたり、踊ったり、歌ったり、心から楽しんできました。ですが、今回はその内容ではなく、キャンプで起きた出来事から書いてみたいと思います。

2日目のランチタイムでたまたま近くに座っていた女性が、“今回のイベントのスピーカーはほとんど男性ばかりで、すごく男性主導のイベントだと思う。もっと女性を出してほしい。”と怒りを顕にして話しかけてきました。

私自身は男女比はまったく気にしていなかったし、そう言われて振り返っても、多くの女性スピーカーやファシリテーターがいるなと思ったので、一瞬頭が???となってしまいました。

その時はセラピストの癖で、“この人めっちゃ怒っているなぁ。あの怒りを解放しないと、そのうち体に来るぞ”と思ったあと忘れていました。

しかし最終日に、今回のイベントを企画した男性が最後のトークをしていたところ、例の女性が急に立ち上がり、“なんであなたばかり話をしているのよ!あなたの話はたくさん聞いたから、もう聞き飽きたわ!もっと女性のスピーカーを出しなさいよ!”と叫んだのです。

このときは、ランチタイムで話したときよりも怒りの形相が激しく、まくし立てているという感じでした。

私のブログの読者さんはお分かりだと思いますが、これは見事な「投影攻撃」ですね。100万歩譲って、この男性がイベント中に一番多く話をしていたとします。(確かに代表として司会役も努めていたので、年中顔を出しているようには見えました。)

で、それが良くないと思っても、怒って怒鳴りつける必要はないでしょう。フィードバックとして伝えれば良いだけです。

また、企画者と参加者という立場でほとんど交流もないので、彼女がこの男性に対してここまで怒りを持つ理由もないはずです。

ということで、自分が誰かに嫌悪感や怒りを持ったら、相手がどんなに悪く見えても、とりあえず自分を見てみる・・・というルールに戻りたいのです。

この女性とはもう話ができないので、推測しかできませんが、私が真っ先に思ったのは、“どの男性がこの女性を傷つけたのだろうか?”でした。またこの怒りの度合いの強さから、おそらく長期に渡って傷つけられたはずです。

それによってできたビリーフ(例:男性は私を支配する、私は無力だ、などなど)とそこにある感情を癒やしていないと、それを私たちは外に投影します。つまり、たとえば男性を「私を支配する」人と見るわけです。で、それを真実だと思い込む。

本人が心からこの企画者が悪いと信じている様子から、男性に対する何らかのビリーフはこの女性の一部になっているでしょう。(潜在意識にしっかり組み込まれている)

さて、ここが人間関係の面白い?ところですが、この企画者の男性は、ずっと子供の頃から引っ込み思案で、クラスでもほとんど発言してこない大人しいタイプだったそうです。それが、自分に対してたくさんの癒やしやワークをしたことで、人前で発言できるようになったとのこと。

それが、4年ぐらい前のことだそうです。で、いくら癒やしてきたとはいえ、このように正面から“あなたの話なんか聞きたくない”と叫ばれてしまえば、かなり痛いはずです。

しかし、素晴らしいと思ったのは、体が固まって緊張している様子ではありましたが、人前で話ができるようになるまで自分がどれだけワークしてきたか、そして、“誰かが僕の言葉を聞きたくないという理由だけで、僕は決して黙らない”と返したことです。

面白いと書いたのは、このように私たちの人間関係は、自分の傷を相手にぶつけ、またそれは相手の傷を刺激するということです。

ところがよくあるのは、自分が傷ついていることも相手の傷を刺激していることも私たちは気がつかず、彼は支配的な人だ、彼女は面倒くさい人間だなどとそれぞれに思い、自分の投影だということも気づかず、それが実際に起きている現実だと思って生きていることです。

でも現実(事実)は、“代表の男性がマイクを持ってみんなの前で話をしている”だけです。このシンプルな出来事からこれだけのドラマが生まれるわけです。もちろん私たちもまったく同じことをしているのですが、ある意味この叫んだ彼女は分かりやすくそれを見せてくれたと思うのです。

というわけで、家族内も会社内もこのような「投影合戦」(と私は呼んでいます)だらけで、心の傷が深いほどドラマが激しくなります(笑、経験たっぷり)。

さて、分かりやすいので彼女の例をそのまま使ってしまうと、男性に対するネガティブなビリーフよりも、最終的に自分に対するビリーフが最もドラマを作ります。

つまり、男性との関係に対して“自分がどうか”ということです。例えば、(男性に対して)自分は、“支配される”、“攻撃される”という思いがあって、支配される私は“弱い私”、“無力な私”などといったビリーフができます。

こういったビリーフができる理由が当然あり、実際に誰か(男性)が過去に彼女を何らかの形で傷つけたのでしょう。しかし、じゃぁ、“私は弱い”が真実か?と問えば、どうでしょう?

それは絶対的な真実?それとも経験から生まれた思い込み?

過去の経験は今どこにも存在していなくて、“弱い私”は今どこに実際に存在しているでしょうか?記憶も思い込みも実際に今存在しているでしょうか?

すべて頭の中だけですね。頭の中にイメージとして残っているだけです。それ以外にはどこにも一切存在していません。でも、私は弱いという感覚はものすごくリアルで、現実味が私たちにはあるんです。だから、頭の中のイメージだとは思いにくい。

そして、こうやって私たちは自分に対する思い込みを全力で生きて、それが自分だ、それが自分の環境だ、これが私が生きていかなければいけない現実だと思い込むんです。

勘違いして欲しくないのは、頭だけで理解して、そうだよね、そんな自分は存在していないよね、苦しんではいけないんだと思ってしまわないことです。

エゴはなんでも、すべきとかこっちが良いことだと解釈しがちです。頭の中のイメージでしかないという事実と自分がでも苦しんでいる事実は共存していて良いんです。事実を理解した上で、じゃぁ、どうして頭の中のイメージがこれほどリアルなんだろう?と見ていくことが大切ですね。

頭では理解したのにまだ苦しくて、だから探求して、その中で自分を理解し、本質を理解し、そして結局愛がすべてを癒やし、恐れは夢で、自分は過去の投影を生きていたこと、そして愛だけが実体であると経験的に学んでいく・・・。

それが私たちみんなが歩む愛への帰還。

自己を深く見つめて、そして自己のない本質へ目覚める。

だからまずは自分がどんなドラマを作っているのか?なぜそのドラマが生まれるのか?そこから始めてみよう♪