自分という存在もこの世も幻想って感じられる?そして幻想なら人を殺しても良いの?

この世が幻想だということは、非二元やスピリチュアルの世界で言われますが、実際にはものすごく実感しずらいでしょう。ほとんどの私たちにとっては自分が経験していることは、リアル以外の何ものでもないはずです。

で、それが見えてくるためには、空の領域に達しないと〜とか、自分がいないって分からないと〜とかあるかもしれません。

しかし、私たちは本質からできていて、本質の場にしかいないので、実はものすごく近いというか、近すぎるぐらいです。

ということで、その近すぎる本質に気づくには、ただ座ってみる。

思考を一切はさまずに本質(気づいている意識)に寄り添っていくと、自分の呼吸と外の音の間にあったはずの距離がなくなる。

そして、そこにひたすら居続けると、自分と思っていたもの(体の感覚、感情、思考)がすべて観察できる対象であって、しかも他の対象物(部屋の中の音とか)と分離できないことが見える。

そうやって自分という分離した個が消えていく。所詮「私という個がいる」という思考に支えられていただけで、もともと私はいないから。

自分が消えるとそこにあるのは、膨大な事象の流れ。ある現象が現れて、流れて、動いているのみ。

今までの自分の「過去」はリアルだったけど、すべて流れて消えていき、一秒前さえも存在していない。はかない記憶として残っているだけ。朝起きたときに記憶としてしか残っていない夢と同じ。

でも、一つだけ、ずっとあるのは、それらに気づいている意識。

そして、そこに居続けると、現象は気づいている意識そのものだと分かるだろう。

そう、気づいている意識しかなくて、それが私たちの本質。

そこから「あゆか」を眺めてみよう。あゆかはいつも愛されていて、守られていて、すべての失敗も間違いもあらゆることが許されている。

そこから、世界にある戦争や痛ましい事件を見てみよう。すべての傷は癒やされ、すべての悲しみは受け入れられ、優しく本質に戻っていく。

すべてが幻想なら、すべてが癒やされて、本質に戻るなら、世の中を良くしなくても良いよね?極端な話、人を殺しても良いよね? すべて許されるんだよね?

そんな質問にお答えしてみました。ナチュラル・スピリットさんのインタビュー動画、よろしかったらぜひ御覧ください。