奇跡のコースと無差別殺人

ご存知の方もそれなりにいると思いますが、インテグレイテッド心理学は奇跡のコースをベースにしています。

奇跡のコースでは、「投影」の真の意味が分からなければ、メッセージは理解できないと言われているほど、抑圧→投影のしくみを理解することはとっても大切です。

というのも、普通にしていると私たちのほとんどは自分の投影ストーリーにどっぷり浸かり、それが事実だと思い込んでいるからです。(講座で、事実と解釈を分けるエクササイズをやると毎回カオスになります。分けられない人、混乱する人続出♪)

自分の解釈を事実だと思い込みながら、真実を知る・・・というのは、けっこうな難しさでしょう。

ですが、ほんとうに難しいのは、事実と解釈を分けることだけではなく、私たちの投影ストーリーは無意識のうちに作られ、無意識のうちに潜在意識の中で形成されてしまうことなんです。

つまり、自分の中に自分がまったく気づいていない投影ストーリーがある。

奇跡のコースでは、この部分を映写機に例え、スクリーンに自分の心が投影されている図などがあったりします。

で、その言葉を引用すると、“What you project you disown, and therefore do not believe is yours. (あなたはあなたが自分のものではないとしているものを投影する、それゆえ、投影されたものが自分のものだと信じていない”

分かりやすくいきましょう。

例えば、自分に関して、「自分は気持ちが悪い」「自分は汚い」「自分の存在は迷惑」などといった思いがあったとして、これらはある日自覚的に決断して持つものではなく、育った環境や出来事のなかで無意識に持ち始めるものです。

例えば幼児虐待に見られるように、明らかに親の落ち度であっても、暴力を振るわれたら、子供はみな「自分がダメ」なのだと無意識に判断します。

このように例えば、「自分は汚い」という心の土台が出来上がってしまった場合、その思いを通して世界を見始めます。思いだけではなく、親になぐられたショック、恐れ、悲しみ、怒り、無力感など感情もパッケージとなり、歩く投影パッケージになっていきます。(歩く映写機)

ここで奇跡のコースの言葉に戻ると、本人が「自分は汚い」という思いに気づいていなかった場合(disown)、他者がそう思っている(投影)と思ってしまうということなんです。

例えば誰かに、“~~さんは、こっちよりあっちのグループのほうが合っているんじゃない?”と言われたとして、“私のことが嫌なんだ、あっちのグループへ行って欲しいんだ”といったように解釈してしまったり。

そのとき解釈だけではなく、投影パッケージが刺激され、恐れや無力感、悲しみがどわ~~と感じられます。

で、問題は、本人にとってはそれは紛れもない「事実」であり、また、無力感や悲しみ、怒りといった感情をどう処理して良いか分からないことです。

ので、家に引きこもって落ち込むか、または相手に苦手意識を持つか、または直接“余計なおせっかいだ!”、“あなたの言葉に傷ついた”と、相手を攻撃するか。

この部分、もっと詳しく書きたいのですがブログの限界です。疑問が残る方、来年の講座をぜひ受けてください♪

話を戻して、

さて、この「自分は汚い」という投影パッケージを毎日持ち歩き、他者の言動や出来事をすべてこのパッケージを通して解釈していくことで、このパッケージ自体がますます増幅していきます。

エックハルト・トールの「ニューアース」を読んでいらっしゃる方は、この投影パッケージを「ペインボディ」と読み替えてもまま同じです。

で、増幅していけばいくほど、最初は“職場のあの人は、私のことをバカにしている”から、“みんなが自分のことを嫌な奴だと思っている”に拡大していきます。

つまり、世間は自分に対して冷たくて、誰も理解してくれなくて、みんなが自分を嫌っている、そんな世間のせいで自分は苦しんでいる・・・・となっていくんです。

この状態になれば、ささいな出来事でも膨れ上がった投影パッケージを刺激し、自分の苦しみのもとを攻撃してやる!となってもおかしくないですね。

そして、苦しみのもとが「みんな、世間すべて」になっているので、「誰でも良かった」になってしまうんです。

さて、そもそもなぜこれを取り上げようと思ったのかというと、私たちはどうしても見える部分でものごとを判断しがちです。

なので、加害者が~~の障害があるから・・・・など、見える部分で理由探しをしてしまいがちです。(障害と心の状態は比例しない)

でも、ほんとうの理由は見えないところにある、つまり、その人の自分でも分かっていない心の深層にあるということなんです。

本人も自分が苦しくて、不幸感満々なのは分かっているけど、それは自分がどんな思いを抱いていて、どんな感情がたまっているのかというのは、まったく自覚できないんです。

ましてや、自分がそれを世間に投影しているなんて微塵も知らず、世間が自分に冷たいと信じ、それが「事実」だと思い込んでいるんですね。

もし、私たちが世の中から無差別殺人などいわゆる「恐ろしい出来事」をなくしていきたいのなら、もっと見えない部分、心の深層に光を当てていく必要があるでしょう。

見えないものを見る力、気づけないものに気づける力を私たちや社会が身に着けていくと良いなぁとつくづく思うのです。

☆OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)は、無意識の投影ストーリーを引出し、それを対話と受容で解体していきます。投影が解体された先には、自分の本質のエネルギーとの出会いが待っている♪

 

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ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年7月4日(水)10:00~12:00
「子どもに怒ってばかりの私。ママでいる事が辛い!
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少人数です。聞きたいこと、相談したいことをお気軽にどうぞ♪

2018年6月23日(土)14:00~16:30
あゆかの部屋(オープンセッション)

心のしくみ、苦しみなどについてのお話し、
そして参加者の方にライブのカウンセリングをいたします♪

詳細はこちら↓
http://heart-resilience.com/number/shortseminar-201806

☆☆☆☆☆☆

JMET EFTプラクティショナー講座レベル1

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11月のマトリックス・リインプリンティング講座も受講できます。(講師:溝口あゆか)

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☆EFTプラクティショナーになるためには、レベル2の受講も必要です。

保身に回りたくなるのは?

自分の中に理念がないと保身に回ってしまうだろうなぁ・・・と思う現在の日本の出来事。

英語で「インテグリティ(integrity)」という言葉があります。正直で強い理念があるみたいなニュアンスで、それゆえ言動に一貫性があるといった意味合いです。

かつて、バブルの絶頂期にある企業弁護士さんが、“長年の経験の中で、しっかりした理念を持った会社だけが結局生き残っている”と言っていたのを耳にし、なぜかその言葉は私の心にしっかり刻まれました。

そして今でも本当にそうだなぁとつくづく思います。

強い理念、または明白な理念というのは、その人の基軸になりますよね。言い換えれば、自分がどうありたいか?ということです。

で、ここで突然話は非二元に飛びますが、自我はうすうすどこかで自分の不在を感じているものです。

「私」を構成している思いも体も感情も「般若心経」にあるように、すべて「空っぽ」であって実体のないものであることを。

もちろんそれは、実体がないとか、空っぽだという認識で分かっているのではなく、「生きた証」を残したいとか、自分の存在意義が必要だとか、影が薄いよりも存在感があるほうが心地良いとか、アイデンティティがないと落ち着かないとか、いろいろな感覚として現れ出ているでしょう。

なので、自分をなにか確実なものにしてそれを保持したいという無意識の衝動が私たちのなかにあるはずです。

そして、この自分を確実なものにする手段として人気が高いのが、アイデンティティを持つことですね。

“私は~~である”というアイデンティティは、一見自分の存在を非常に分かりやすく明白にしてくれます。

それは地位や名誉、ステータスを身に着けることであったり、または、活躍する~~な私、優しい母親の私、頼りになる上司である自分などなど、“良い自分”になることであったり。

そして、その自分がめでたく確立されたら、当然それを保持し、守っていきたい。

“私は~~である”というアイデンティティがある意味分かりやすいのに対し、理念は目に見えるものではないので、前回のブログにも書きましたが、私たちは見えないものを見過ごしてしまいがちです。

でも、樹木に例えてみれば、根っこにあたる部分が理念で、樹木がアイデンティティやその人の目に見える行動だと思うのです。

見えないだけに、根っこを育てることを忘れ、私たちはつい一生懸命樹木ばかりを育ててしまおうとしてしまいます。

私の業界であれば、自分はどうありたいか?を忘れ、早く“活躍するセラピスト”になりたいと頑張ってしまったり。

しかし、根っこがないところに必死に樹木を育てようとしても、どこかに焦りがあるため、空回りしがちです。

しかも、もしなれなかった場合、根っこも樹木もない「実体のなさ=こころもとなさ」が露呈し、不安定でしかたなく、なれなかった自己否定も加わり、苦しさへまっしぐら。

一方、めでたく見た目が立派(社会的に地位が高い、お金がある、権力がある)な樹木(アイデンティティ)を育てられたとしても、所詮根っこのないアイデンティティなのでやっぱりとっても不安定です。

ですから、樹木の危機を感じたら、どんな嘘をついてでも絶対守りたい。必死です。

一方、理念(根っこ)があれば、例え樹木が危うくなったとしても、理念で支えることができますよね。つまり、保身よりも理念に沿った言動が出てくるということです。なので、その人の言動にはインテグリティ(一貫性)がでてくるはずです。

ので、インテグリティのないところは、ものごとの辻褄が合わず、ダラダラと問題が続き、インテグリティがあるところは明白で分かりやすいので、解決に進みやすいですよね。

ちなみに、私も自分を守りたくて、嘘をついたり、他人のせいにしてしまったことが何度もあります。ので、理念のない人はダメだよね~みたいに人を裁くつもりはぜんぜんありません。

単に心のしくみのお話です。

さて、ここまで「理念」と言う言葉を使ってきましたが、理念とは頭で作るよりもハートから生まれてくるものだと思うのです。どうありたいか?というハートの声です。

例えば、「真実の発露でありたい」、「大いなるもののしもべでありたい」、「すべての子供の母でありたい」、「表現の羽ばたきでありたい」などなど、なんでもハートに感じる思いです。

自分の中の最も静かなところに寄り添い、そこから自然に出てくる思い。

そして、それを自分の中で育てていく。日々の生活や人生の様々な場面で理念に従っていくと、現実はどうなっていくのだろう? それはある意味人生の予測できない面白さですよね。理念を持ちつつも、あとは生命におまかせみたいな。

またはときに、理念など吹っ飛んでしまうぐらい保身に回りたくなってしまうこともあるでしょう。

でも、そんなとき自分の中の何がこれほど危ういと感じているのだろう?何が攻撃されたと感じているのか?と見ていくと、そこに自分の目線を上げてくれる大きな癒しの宝庫があるかもしれません。

自分はどうありたいか? 

そこに戻れたとき、問題が何も解決されていなくても私の中に安心感が広がります。

自分が寄って立てる場所、本質の匂いがもっとも感じられるところ。

自分の中にそんな場所があると良いですよね♪

 

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ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年6月23日(土)14:00~16:30
あゆかの部屋(オープンセッション)

心のしくみ、苦しみなどについてのお話し、
そして参加者の方にライブのカウンセリングをいたします♪

◇内容◇
詳細はこちら↓
http://heart-resilience.com/number/shortseminar-201806
◇場所:弘済会館(最寄り駅:四谷)
http://www.kousaikai.or.jp/hall/access/
◇定員:80名
◇参加費:6,000円(ペイパル)
【お申し込みフォーム】
パソコン・携帯共用:https://pro.form-mailer.jp/fms/ddd9a98f86117
※開かない場合は、アドレスをコピー&ペーストしてください。

☆☆☆☆☆☆

ノンデュアリティと癒しのカフェ (キャンセル待ち募集中♪)
2018年6月16日(土)14時~16時半
場所:あうるすぽっと(東池袋)
http://www.owlspot.jp/access/
参加費:4500円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/6BKYH

地に足つけて見えないものを見据える♪

たぶん、Youtubeのおススメで出てきたからだと思うのですが、「下流老人」とか、「非正規雇用の実体」とか「若者の貧困」といった動画をたくさん見てしまいました。

お金がないがために悩み、時には自殺を考えるほど苦しんでいる人たちの姿を見ていると、私がビル・ゲイツだったら・・・・とか妄想してしまいます。

とはいえ、お金をぽんとあげてしまうことも決して答えにはならないでしょう。が、一方でコメント欄に多かった「自己責任」というのもなんか違う気がします。

また、ある種の自己啓発的には、“貧乏な思考”をしているからダメなのだとなるのかもしれませんが、なんかこれも私的にはしっくりきません。

などと、つらつらと考えているうちに、やっぱりそうだよねと思ったのです。

説明させてください。

私たちは、普段「目に見えるもの」に囚われていて、確実にあるけど「見えないもの」はスルーしがちだと思うのです。

例えば、お金がある、食べ物が買える・・・というのは、分かりやすく見えるものです。なので私の単細胞脳は、瞬間的に「お金をあげる」と連想したんですね。

ただ同時に私のハートが「違うよ~、彼らが必要なのは愛とつながりだ」とささやきかけてきました。

例えば、昔のように長屋みたいなものがあって、コミュニティとのつながりがあれば、助け合うことや分かち合うことができます。

ですが、現代の日本社会ではどちらかというと、「自分のことは自分で解決すること」という思いが強いような気がします。その流れで「自己責任」という言葉が出てくるのかなと。

自分のことは自分でという「自己責任」は一見正論のように見えるし、文字化できるし、分かりやすいですよね。

一方、愛やつながりというのは文章化し辛く、文章化すると往々にして陳腐になることさえ多いものです。

結果、文章化、見える化できないものは、スルーされたり、後回しにされたりしがちだなと思うのです。

ので、行政も本来人のためにあるはずなのに、文字化された規則の方が人より上位に立ち、人が後回しになることもしばしばありますよね。

そんな社会に生きている私たちが、自分がより良く生きるために、または生き残っていくために何が必要か?と考えると、たいていお金を蓄えるという発想に行くでしょう。なぜなら、今書いてきましたように「目に見えて分かりやすい」からです。

愛や信頼、つながりをたくさん蓄える・・・という発想はあまりないはずです。

なんだかんだいって、愛じゃ家賃払えないしね、コンビニのおにぎりさえも買えないと思うわけです。

実際、愛や信頼、つながりはちゃんと目に見える形になっていくもの(協力し合って困難を一緒に乗り越えるとか)ですが、それがイメージしきれないし、そもそも自分の発想や感覚の中に入ってこない。

でもそんなふうに、目に見えないけど確実にあるものをスルーすればするほど、私たちはものごとの全体図を見失っていきます。

目の前の起きていることだけに意識が向き、自分に見えている部分だけで判断し、狭い考えの中に落ち込んで行ってしまいますね。

そして狭い見方に陥れば陥るほど、私たちの中に犠牲者意識が芽生えていく・・・。

というのも、愛やつながり、信頼、そして自分の本質をスルーした狭い世界の中に見えているものは、分離した人々がいる分離した社会だからです。

分離感が強まれば、どうしても敵が生まれ、自己防衛にお金や正論が必要となってきます。そして、そんな社会の中の“ちっぽけな自分”はあっという間に犠牲者意識に陥ります。

この目線で人生を転換させるのは非常に難しいでしょう。

すると、今度は振り子が逆に振れるかのように、目に見えないものだけに頼ろうとしてしまうこともあります。宗教的なものやスピリチュアルなもの、または自己啓発的なものなど。

“今の現状”という目に見えるものをきちんと見るよりも、期待や未来になっているはずの象という目に見えないものだけを信じてしまう。

聞いた話ですが、お金に困っていた人がお金をもっと使うと入ってくると教わり、結果的に破産してしまったとか。

個人的にはスピリチュアルも好きですし、自己啓発もそれぞれの考えに一理はあると思っています。問題は、目に見えるもの、目に見えないもの、どちらかをまったく無視してしまうと全体像を見失なってしまうということです。

ですが、ここがある意味難しいのは、そもそも全体像をはじめから見失っているから、「~~すれば、~~になる」みたいなテクニックに頼りがちになり、そのテクニックが自分の状況に合っていないことも見えないんです。

あぁ、なんだか話がややこしくなってきました。ので、まとめると、

1)地に足を着けてしっかり現状を見ようよ。

2)自分に徹底的に正直になってみよう。どこか見たくないとかごまかしたいとかそういう思いはない? ほんとうにない?

3)心の中で誰か、または何かを敵にしていない? (支配されている、自由を奪われている、不当に扱われている、コントロールされている、etcと感じていない?)

4)自分を信頼している?

5)生命(大いなる流れ、個を超えた愛)を感じている?

実はこれらは私がよく自分に問いかけていることです。

自我の心はすぐに現実逃避したがるし、臭いものに蓋をしたがるし、誰かのせいにしたがるし、将来に不安を抱き、そして生命(=愛)という大きな流れを忘れてしまう。

それが悪いことだと言いたいのではなく、そうやっているとき、私はもれなく苦しむということです。ので、そこを見つめていくと、あぁ~そうか~と、私に見えなかったものが見えてきます。

それは私の目線自体を上げてくれ、例外なく心の平和に導いてくれるのです♪

 

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ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年6月23日(土)14:00~16:30
あゆかの部屋(オープンセッション)

心のしくみ、苦しみなどについてのお話し、
そして参加者の方にライブのカウンセリングをいたします♪

◇内容◇
詳細はこちら↓
http://heart-resilience.com/number/shortseminar-201806
◇場所:弘済会館(最寄り駅:四谷)
http://www.kousaikai.or.jp/hall/access/
◇定員:80名
◇参加費:6,000円(ペイパル)
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2018年6月16日(土)14時~16時半
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人は心の苦しみを体で感じるもの

いきなりですが、アジャシャンティの言葉の和訳から~。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

人生で自分が避けていることは、あなたがきちんとそれに向き合うまで繰り返し起こりつづけるでしょう。問題の本質を真に見極める唯一の方法は、私たちが自分に言い聞かせているストーリーを解放することなのです。

私は生徒によく自分のストーリーをしっかり見つめなさい、それが幻想だと分かるまでと言います。分かるだけではなくて、きちんとそれが感じられるまで。

瞑想的な自分への問いかけをすることと人生の犠牲者でいるのと、どちらを選択するのか? 自分の考えやビリーフの犠牲者でいるのか、それともそれらが落ち去るまで自分の内側に向けてきちんと感じるのか、そういう選択をあなたは持っているのです。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

先日、TOKIOの会見の抜粋をネットで見かけました。そこに山口メンバーが、“(いろいろ失敗しているのに)でも同じことを何度でも繰り返してしまう”と話していたことが記載されていました。(この件に関わる全ての人に心の平和が訪れますように)

そう遠くない昔(今でも)まで、依存症は心が弱いからだなどといった誤解がありましたが、最近は病気であるという認識もだいぶ広まってきたようで嬉しいなと思っています。

すると今度は木村太郎さんが、テレビで“欧米ではアルコール依存症を治すのは不可能と言われている”と発言なさったそうで、あ~~~~、違う・・・・。

ということで、アルコール依存症について書きたいと思います。

昨年、ハートレジリエンス協会で「依存症とトラウマからの回復セミナー」を開催しましたが、そのときフェイスブックに投稿した記事が下記のものです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

歯が痛いときは、痛み止め飲みますよね?
喉が痛いときは、風邪薬を飲んだり、
捻挫して痛いときは、湿布を貼ったり。

では、心が痛いときはどうしますか?

心が苦しくて、耐えられなくて、平常でいられない・・・。
心の痛み止めは薬局に売っていませんね。
我慢し続ける?考え方を一生懸命変える?遊びに行く?お酒を飲む?おいしいものを食べる?買い物に行く?

多くの人に知ってもらいたいのは、依存症は「心の痛み」を感じなくさせる行為だということです。お酒やギャンブルや麻薬、依存するすべてのものは、その人にとって「痛み止め」なんですね。

そのあと後悔することになっても、その短時間は痛みを忘れることができるんです。頭では良くないと分かっていても、心の痛みは「体の衝動」となって現れ、どうしようもないんです。

ひどい痛みやかゆみは、理性ではどうにもならないですよね。

なので、依存を辞めさせようとしたり、麻薬中毒者を罪人扱いするのではなく、その人の心の痛みはなんなのか?に注目することが大切です。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

心の痛みとは、大雑把にいってしまえば、未消化のネガティブな感情や思いの集積です。

さて、ではなぜ、回復は「不可能」などという情報があるのでしょうか? それはある意味今まで依存症のセッションがほとんど「カウンセリング(話をするだけ)」のみだったということにあるかもしれません。

体の痛みが体感に来て辛いのと同じように、実は心の痛みも体感を伴っています。例えば、「私は誰からも相手にされない」と思ったとき、もしその思いだけだったらどうでしょう?

そこに感情がなければ、ただの文字面です。でも、そのとき悲しみや怒り、無力感などが沸き、それらの感情を束で体に感じるために、苦しい~~となります。

何が言いたいのかというと、苦しみは「体感」が強く伴うということです。でも、お酒を飲んでいる間は感情を麻痺させることで、その苦しい「体感」を感じなくて済むんです。

感じないだけではなく、楽しい気分にもなれば、普段苦しいだけに病み付きになってしまいます。

ということで、依存症のセッションは会話をしているだけではどうにもならないんです。

なので、EFTやマトリックス・リインプリンティングでは、まず「衝動」「体」でよく感じてもらい、その中に隠されている感情を探り出していきます。(欧米では多くの良い結果がでています。EFTは心と体の両方に同時に働きかけるツールです。)

でも、単に表層の感情だけタッピングしていても効果がありませんので、「問いかけ」をしながら、その下にさらにどんな感情や思いがあるのか、衝動の根源をピンポイントで探り出し、それらを解消していくんです。

衝動の元になっているものは、感情だけでなく、そこには思いやイメージ、ビリーフ、またはトラウマ、過去の出来事などなどが束になってあります。

さて、話を一番最初に戻すと、これらの心の深いところにある思いや感情、ビリーフや記憶が、アジャシャンティの言う「自分に言い聞かせているストーリー」です。

そしてこのストーリーは、心の深いレベルにあって、自分が気がついてないからこそ、毎日毎日自分に無意識に言い続けてしまいます。そして、これが常に感じる生き辛さとなって現れ、頭では分かっていても同じことを繰り返してしまうんです。

アルコール依存として出なくても、買い物やスマホ、仕事中毒、またはスピリチュアルや悟りにはまるなど、いろいろな依存があります。

自我は多かれ少なかれ、物や誰か何かに依存する傾向があるでしょう。自分は何を心の痛み止めにしていて、どんな無意識のストーリーを自分に語っているのか振り返ってみても良いかもしれません。

PS: ということで、依存症は回復できます。

☆☆☆☆☆☆

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2018年6月16日(土)14時~16時半
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少人数で開催♪

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投影を解体する♪

今週末から「OAD心理セラピスト養成講座第2期(通称J2)が始まります♪

ということでOADの要のインテグレイテッド心理学。インテグレイテッド心理学が他の心理学と違う点は、やはりもともとが「奇跡のコース」の教えに基づいていることでしょう。奇跡のコースは、キリスト教用語が多いため、少し読みづらいのですが、ベースはまったくの非二元(悟りの教え)です。

なので、インテグレイテッド心理学もそこから生まれた癒しのプログラム「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」も、そのベースは非二元です。

非二元に基づいているというのはどういうことか?というと、誰の理論でも発見でもないということです。ので、私が打ち立てた心理学でもありません。

ただ、非二元の教えを実践的な癒しのワークに活かせるように心理学としてまとめたものです。セッションでは、結果を出すこと、実践的であることが求められますが、単にお話のやりとりではそれはなかなか実現されません。

つまり、めちゃくちゃ実践的であると同時に、一般的に最もわかりにくい非二元の教えをベースにするという、それなりに難しい組み合わせなんです。

個人的な自我のストーリーに深く細かく入りながら、すべては幻想であることをベースにセラピーをしていくという・・・。

では、これを実際のセッションの中でどう実現しているかというと、クライアントさんのお話に深く共感するけど、話を信じないというスタンスになります。

信じないというのは、もちろんクライアントさんが嘘をついているとか、勘違いをしているとか、そういうことではまったくなく、それはありのままに投影された話だとして見ているということです。

自分への投影、他者への投影、風景、状況、出来事への投影。投影だらけ。すべては投影。

自分への投影は、「私がいる」に始まり、私は女だ、男だ、人間だ、日本人だ、何歳だ、そして、私はユニークだ、私はつまらない存在だ、私はできる、私は無力だといったセルフイメージまで。

言ってみれば、自我はフィルムを搭載した映写機が歩いているようなものです。

このときものすごく勘違いされてしまうのが、映写機から映し出される現実は、その人が創ったものだという考えです。

これはある意味ものすごく危険な考えですよね。というのは、映写機が自分がすべての現実を創っていると思い込み、自分は世界の創造主だ、神だと思ってしまうようなものだからです。

映写機がやっていることは、あくまでもすでにある「あるがまま」の人、状態、出来事に自分のフィルムを投射(投影)しているだけです。

そして、お分かりのように映写機自体が生まれては消えていくもので、創造された存在の一部ですよね。

とはいえ、強く願ったものが手に入るみたいなことを否定しているわけではありません。創造物と創造物の関係性で現象が起きることは充分あるでしょう。ただ、それらも最終的には意味づけなんです。

話を戻すと、お母さん映写機から生まれた私たちは、生まれたときからフィルムを搭載しているため、私たちはほぼ「ありのまま」を知りません。

知らないだけに、映写機が投影している世界を事実そのものだと思い込んでしまうんです。物心つく前から、名前を呼ばれ、かわいいねとか、かわいくないねとかいろいろ言われ、フィルムには何千ものイメージや感情やビリーフなどが刷り込まれていきます。

インテグレイテッド心理学が目指していることは、映写機がもつフィルムの分析ではなく(心の分析)、フィルムそのものを解体してしまうことです。

ただもちろん例外はあり、重度のトラウマ、依存症、強迫観念症、摂食障害などはセラピー中心の違ったアプローチになります。

また、前回に書きましたネガティブ・ナルシズムに陥っている場合は、逆にフィルムの内容はいじらず、フィルムと映写機を分けるワークなどやはり異なってきます。

ので、もちろんその人のタイプやテーマによってセッションのアプローチそのものが変わります。(OAD心理セラピスト養成講座ではすべてカバーします)

さて、多くのクライアントさんは、目覚めや悟りを目指しているわけでもなく、スピリチュアルな成長を目的としているわけでもなく、今悩んでいる問題、苦しんでいることを解決することが一番の望みです。

そうであっても、例えば“いつも自分に自信がない”というテーマの場合、なぜ自信がないのか?どうしたら自信が持てるのか?とフィルムにいっぱい書き込みをしていくよりも、そのフィルムそのものが消えてしまうと、そこに残るのは「ありのままの自分」になりますね。

で、それが一番自然で本質に近く、そして楽なんです。

アメリカ人でザ・ワークを教えているバイロン・ケイティもやり方は違いますが、同じこと目指してやっているなぁと思います。

例えば、“お父さんが認知症になりかけて苦しんでいる、それを見ているのが辛いし、自分も将来あぁなるのかもしれないと思うと不安だ”という悩みを、一つ一つ“それは本当?”、“もしその思いがなければ、あなたはどんな人?”などと、思い込みの幻想性を露わにし、剥がして行っています。

これがOADであれば、一番不安に感じていること(=最も投影が濃いところ)を見つけ出し、そこにある感情、ストーリー、イメージを受容しながら対話し(気づきの問いかけ)、EFTやマトリックス・リインプリンティングなどのセラピーを使うことで、それが実体のない幻想であったことに気づいていく・・・・となります。

もっとも濃い投影というのは、たいてい心の深いところにあり、本人もまったく気づいていないものです。なので、頭で“すべては幻想だ~”と思い込ませても、すべては幻想という新しいビリーフを作っているだけであまり意味がありません。

なので、カギは“自分がまったく気づいていなかった思いや感情に出会うまで見つめる”ですね。

最終的に、映写機も生まれては消えていき、当然そこにあるフィルムも現れて去っていくもの、そして宇宙も世界も山も海も常に変化し、形を変えています。

変化するものはすべて起きていて、起きていない、実体のないもの。これがやはり非二元の教えです。

そして唯一変化しないもの、それが気づいている意識であって、それが私たち。

でも、変化するもの(色)と変化しないもの(空)は二つではない。

ここに存在の神秘と真実、そして分離を知らない愛がありますね♪

 

☆☆☆☆☆☆

JMET EFTプラクティショナー講座開催
2018年4月28日(土)~30日(月)3日間

少人数で開催♪

レベル1(1日)だけでも受けられるようになりました♪

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ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年5月18日(金)19:00~21:00

~なぜか生きるのが苦しいと感じているあなたへ~

詳細はこちら

“分からない”の贈り物♪

さて、たぶん、セラピストさんは皆経験していると思いますが、どんなに経験を積んでも、まったく分からないケースや一向に改善されないケースにどうしても出会いますよね。

しかもそれが、重度の心の病とかでもなく、“職場で~~”とか、“いつも自分に自信がなくて~~”など、よくある悩みについて話をしているのに。

そんなとき、自我的に心はクライアントのせいにしたくなったりするかもしれません。インテグレイテッド心理学で言う、抑圧→投影→防衛→攻撃が心の中で起きてしまうんです。

自分はこれぐらいの悩みには対応できるはずだ、自分はかなり勉強して来ている、経験を積んできているのだという思いから、「本当はできていない」、「本当は分からない」いう思いを抑圧して、相手に投影し、あなたの性格や態度のせいで良くならないのです、みたいに攻撃してしまう。

セラピストであることに自己価値を置き、そのアイデンティティを拠り所にしていると、できない自分を封印したくなってしまうので、こういったことが起きがちです。

またこういう場合、逆にクライアントさんに頼られたり、喜ばれたりすると、今度はクライアントと共依存になりやすいかもしれません。

クライアントさんは、セラピストの中でこういった心理が起きているとは知らないし、もともと自己否定が強く、気持ちが弱くなっていたりすると、自分がいけないとほんとうに信じてしまったりするでしょう。

他人事のように書いていますが、もちろん私の心にもこの一連の流れが起きます。ただ、ラッキーなことにそこに引っかからないだけの自己観察力が養われてきたので、途中で正気に戻れますが(笑)。

で、正気に戻って落ち着くと、あることが非常に明白になってきます。それは、「何が分からないかが見えてくる」ことです。

「何が分からないのかも分からない」から「何が分からないかが分かる」へのシフトはかなり大きいですよね。

かつてある時期から、“ただひたすらいつも苦しい”、“どんなセラピーを受けても良くならない”と訴えるクライアントさんが現れ始め、その通りなかなかに良くならない(楽にならない)ということが続きました。

 “私にはもうこれ以上できることないんですが・・・・”と伝えても、セッションを予約し続けてくれるので、長い付き合いになってしまいましたが、そのおかげで彼らの共通点などはよく見えてきました。

この時は本も出版していたし、ブログも書いていたし、カウンセラー養成講座も開催していましたので、「まったく分からないことがある」というのは、正直なんかマズイ感じもしました。

でも、たとえ分かったふりをしても、それは私の力を奪うことだけであることも明白だったので、分からない~と首を振り続け、悩み続け、考え続けていました。

そんなふうに数年間悩み続けたおかげなのか、たまたまアメリカのサイコセラピストが書いた本の中で“ネガティブナルシズム”という言葉と出会ったとき、落雷が落ちたようにピカッと分かったのです。

彼らは、ネガティブな状態のナルシズムなんだ!と。

セラピーが効かない理由も、どんなに感情解放をしたり、何をやってもなぜ同じようなレベルで苦しんでいるのかもストンと見えてきたのです。

それ以降、ネガティブナルシズムに陥っている人のセッションはやり方を完全に変え、以前より随分成果がでるようになりました。(とはいえ、ネガティブナルシズム簡単ではありません。)

ちなみにその本の中でのネガティブナルシズムは、私がひらめいたものとは違う意味で書いてありました。(その本での意味は忘れてしまいました)

途中から自慢話になってしまいましたが、自分の経験から、「私はまったく分からない」、「手だてがない」、「手を尽くしたのにクライアントは1ミリも変わっていない」ということをただそのままに認識することは、本当に大切だとつくづく思ったのです。

今でももちろん分からないこと、やり方を悩んでいることはいろいろあります。たぶん、永遠にあるでしょう。

でも、それはそこにはまだ私が知らない真実が隠れているということで、ある意味「ここ掘れワンワン」の場所だと思うのです。

そして、掘り続けて答えが見えてきたとき、それは自分から決して去らない真の智慧となりますね♪

 

☆ネガティブ・ナルシズムについては「インテグレイテッド心理学講座」で詳しくやります。うずうずしています(笑)。

今年の募集は終わりました。来年の案内を希望される方は、info_ayukahealingspace@yahoo.co.jpまで「セミナー案内希望」とお送りください。(ノンデュアリティと癒しのカフェなど、溝口あゆか講師のセミナー案内を送らせて頂きます)

☆ちょっとだけでも知ってみたいなという方、ハートレジリエンス協会主催の「なぜか生きるのが苦しいと感じているあなたへ」へぜひご参加ください。

 

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恐れという名の愛?

一般的に恐れがないほうが良いことだと思われているかもしれません。個人のレベルだけではなく、恐れベースの社会は不安や緊張が多く生きづらいものです。

また、私たち生命の本質が無条件の愛であるということを考えても、恐れとは往々にして私たちを本質から遠ざけてしまいますね。

ので、ある意味その通りだと思うのです。

ですが、そんな「恐れ」の中身をじっと見ていくとどうでしょう? すると、恐れのある役割が見えてくると思うのです。

それは、「私たちを守る」という役割です。

例えば、恐れがまったくなければ、危険だと言われている場所にも平気で入り、あぶない目に遭ってしまうかもしれません。

なので恐れは、“危険だ!逃げろ!”と私たちを危険からを回避し、そういう意味で私たちの体を守ってくれているわけです。

地震の揺れ、真っ暗闇な道、クマの足跡、やばそうな人(←どんな人だ)などなど、とりあえず怖い!という感情が“逃げろ!”と教えてくれるわけです。

かつて私の友人は二人のヤクザ風の喧嘩を興味深げにじっと眺めていたら、“お前何見ているんだよ!”と急に矛先が自分に向き、自転車で死にもの狂いで逃げたそうです。その話を聞いて、彼女の怖い警報は壊れているのかと思ったものです。

とりあえず、こういったときの恐れは非常に役立ちますよね。

ところが、ややこしいのは心理的な恐れです。心理的な恐れもよく見ると、やはり自分をそれこそ必死に守ろうとしています。

ただ、事故とか災害とか、事件みたいな具体的な恐れではなく、頭の中の自分のストーリーから自分を守ろうとしているんです。

例えば、

自分が意見を言うとみんなに迷惑かもしれないから、とりあえず黙っておく。
彼女に告白したいけど、拒否されるのが怖いからできない。
好きなことを仕事にしたいけど、失敗するかもしれないから今の状態のほうが良い。
本当はやりたくないけど、断ったら嫌われるからやる。

などなど、例をあげたらキリがありませんが、ここにある感情はすべて恐れですね。もしやってしまったら、またはもしやらなかったら、こんなまずいことがある(恐れ)・・・・というストーリーが走っているんです。

ので、やらないでおけば(またはやっておけば)、とりあえず「安全」だよ~と恐れは私たちにささやいてくるわけです。

心理セラピーのセッションでは、これをメリットと呼んでいますが、メリットは基本的に自分を守ろうとする行為で、そういう意味でとても愛らしい行為なんです。

ですので、セッションで出てきたときは、この恐れを十分受け入れて、そしてありがとう♪と感謝の声をかけたりします。

話を戻して、クマが追いかけてくるとか、土砂が崩れそうだとか、そういった実際的な恐れと違って心理的な恐れは、基本的にぜんぶ「幻想」です。

それでも、“もしかするとあのときのようにまた傷ついてしまうかもしれない”といったような心理的な恐れは、クマや土砂崩れと同じぐらいリアルなものです。

というより、それ以上に怖いかもしれません。目の前のクマは実体そのものなので、逃げる戦うか、または失神するかしかありませんが、実体のない無意識のストーリーは見えないだけに逆に怖い。

もし、~~たら...、あぁあってこうなって、いやもしかすると、こう思われるかも、そして自分はこうなって・・・。

見えないものは、どんどん膨らんでいき、分からない闇が大きく私たちを覆います。だとしたら、とりあえず分かっている安全なところでいよう、みたいな。

それが決して満足な場所ではなくとも、自分を安全な場所にかくまうほうが大事。

ですが、実はこんなふうに自分の恐れのストーリーを把握している人は非常に少なく、やりたいのになぜか気が進まない、やりたくないのにどうしてもやめられない・・・、なぜ?と思っている人のほうが多いものです。

ですが、無意識のストーリーをきちんと見ていけば、それは過去の経験から推測されたものであったり、刷り込まれた思い込みだったり、自己価値の低さからくる妄想だとか、その幻想性は完全に暴かれます。

ので、実は愛を選ぶのに一番ある意味ネックになっているのが、この「自分を安全な場所に置いておきたい」という自己への愛なんです。

あぁ、私たちってなんてややこしい~!

恐れという名の愛。とはいえ、真実の愛が顔を出したとき、消えてなくなる「幻影の愛」。

恐れを感じたとき、自我が瞬時に取る戦略は基本的に「逃げる」です。(考えない、やらない、気をそらすなど)

でも、恐れは見つめれば見つめるほど、その実体性は消えていきます。

そして残るのは幻影ではなく真実の愛♪ 

そこで恐れの先の真実がもたらす優しさと出会う♪

 

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