ハートの声の勘違い、ハートの声って?

ハートの声を聞こうという話は、よく聞くと思うし、私も何度もこのブログで書いています。が、分かりにくいと思う人も多く、今日はちょっと違う角度から。

まず、それなりにあるのが、思考のワクワクをハートのワクワクと勘違いすることです。例えば、“素敵なカフェを海が見えるところに作る”とか、“外国で通訳として活躍する”みたいな。これは、思考のワクワクですね。

思考というのはストーリーを作る性質があり、そして思考にはたいていいつもイメージがついてきます。そしてそのイメージが楽しいから当然ワクワクします。でもそれは、例えば不安なストーリーを描いて怖くなるのと同じレベルのただの空想、実体のないものです。

一方、ハートとは“深く感じるもの”で言葉(ストーリー)を持たず、時間も空間もありません。

また例えば、“外国で通訳として活躍する”の場合、ワクワクするかもしれませんが、“それが実現していない私”も必ず同時にいて、そのギャップがうっすらと焦りや欠如感を生みます。

しかも、思考が作り出すストーリーはただの幻想なので、現実を完全に無視してしまっています。なので、例えば外国に住み始めると、こんなはずじゃなかった・・・というギャップに思い知らされてしまったり。

ですが、ハートの声(感覚)は、今まさに満ち満ちて嬉しい、涙が出てきて温まるような感覚です。

多くの人にとって、思考のワクワクは分かりやすいのですが、では、どうやって感覚であるハートの声が聞けるのでしょうか?

聞けるといっても、それはもちろん比喩でハートがほんとうにしゃべるわけでもなく、言葉として聞こえるものではありません。“明白かつ深いところで感じる”ものです。

ということで、例えば、まず自分が自然に無理なく興味があるものを思い浮かべてみます。

美味しい食べ物を食べるでもなんでも良いんです。で、その中でどんなことに一番喜びを感じるか?と探っていくんですね。この場合、食材の組み合わせにワクワクしているだとします。

では、その食材の組み合わせのなかで何が一番面白い、またはワクワクすると思っているのか?と見てみると、食材という自然のものの組み合わせ、自然と人間のコラボに一番ときめきを感じているかもしれません。

では、人間と自然のコラボの何が一番ワクワクする?と見ていくと、“生命との共演”という言葉が出てくるかもしれません。

もしこれがヒットすれば(=ハートの声であれば)、この言葉がでたとたん、きゃ~~、楽しい!とその瞬間に感じるはずです。意味もなく嬉しいとか。

でも、この言葉はとくに具体的なストーリーもなければ、時間も場所もありませんね。もう今すでにとにかく良い感じ~♪

また、いつもすでに自分の中にあるものですから、現実とのギャップというのもありようがありません。

そして、これだ!ここが私がいつもいたい場所だったと思いだせるものです。わけもなく楽しい感覚、状況に関係なく自分の中から引き出せるもの。

そして、その感覚から発する衝動がもっとも自然に自分らしい人生を生み出しますよね。

私のハートの声は、書くとこっぱずかしいですが、子供のころからずっと“真実を知りたい、真実に抱かれていたい”です。

たまたま私の衝動がセラピストをさせていますが、仕事は何でも良いんです。人によって同じようなハートで科学者になるかもしれません。

また、もう一つそれなりにある勘違いが、例えば、仕事を辞める、辞めないと悩んでいるとき、どちらにするかをハートに従って決めるということ。AとBの選択肢のどちらかを決める基準にハートの声を使うなどです。

この勘違いをしている人は非常に多いような気がします。ですが、ハートの声とは基本的にどちらかを選ぶためのものではありませんね。

何かを対立させて一つを選ぶというのは思考の仕事でハートの性質ではないからです。ましてや何かを否定して、反対を選ぶというは、まったくハートの性質に反します。

しかも、ありがちなのは、辞めることにも辞めないことにも自分の分厚い投影(思い込みや解釈)やストーリーがくっついていて、投影と投影のはざまで揺れ動いているだけだったりします。その場合、ハートの声を聞いても、あまり意味がないというか、投影まみれすぎて真に感じるのはほぼ不可能です。

では、迷っているとき、何か決めなくてはいけないとき、どうしたらハートの声が聞こえるのでしょうか?

それには、例えば仕事を辞める、辞めないというテーマにおいて、どっちか?と自分に尋ねる前にまず、“自分としてどうありたいか?”、“どうあるのが、自分にとって一番自然で力が湧いてくるか?”と聞いてみることかもしれません。

例えば、“創造的でありたい”、“自分に正直でありたい”、“愛でありたい”などなど。

これを例えば、今の会社は創造力を発揮できないから・・・とやってしまうと、ハートの声に思考が混じって、基本思考が勝ってしまいます。

でも、創造的でありたいということを深くじっくり感じていれば、仕事の内容とは関係ないことが分かってくるはずです。なぜなら何に対しても創造的になれるからですね。当たり前だと思っていたもの、みんながつまらないと思うものでも、創造的になることはいつでもどこでもできます。

それがしっかり見えてきたとき、実は選択はどちらでも良いことが見えてくるはずです。先ほどの仕事は何でも良いのと同じです。具体性はいらないんです。

で、ハートの声をしっかり感じながら、“今の自分”にとってより自然なほうに動いていけば良いですよね。

英語で、“going with the flow”(流れに沿っていこう)という言葉あります。どうするの?と聞いて、誰かががこう答えるときは、特に決めないで、なんとなく自分の感じる流れに合わせていくという意味です。

つまり、自分の生命のワクワクをベースに、生命の流れに沿っていく。結果や損得はどうでも良くて、生命とつながった生き方ですね♪

 

☆☆☆悟りとエネルギー心理学☆☆☆ 
~“非二元”の視点から「悟り」と「エネルギー心理学」を学ぶ~

赤坂溜池クリニック付属・ホリスティックヘルス情報室企画

4回シリーズ(すでに2回終了)単発参加できます。

○第1回(10/24)
悟りから学べる心のしくみ(インテグレイテッド心理学)
○第2回(10/31)
抑圧と投影、防衛と攻撃という自我のしくみ
○第3回(11/14)明日!
エネルギー心理学とは?
第4回(12/5)
人生の問題、依存症や鬱にどうワークするか?

<受講料> *会場、zoom共に
4回 22,000円(税込)
単発 5500円
詳細、お申込みはこちらから↓

http://holistichealthinfo.web.fc2.com/201910_satori.pdf

☆☆☆ セミナー案内希望 ☆☆☆

OADセラピスト養成講座終了にともない、
2020年後半よりオンラインなどで新しい講座を開催予定しています。

新しい講座、または単発の講座の案内希望の方はこちらにご記入してください。
https://www.form-answer.com/applications/AEPPX

お金と心の見えない分部

今回はちょっと珍しくお金の話から・・・。

ということで例えば、お金持ちはなぜお金持ちなのか?と考えた場合。何をもってお金持ちと定義するかはちょっと置いておき、社会の中の割合として、いわゆる普通レベルの人が一番多いとして、お金持ちという部類に入る人たちはおそらく少数派だと思います。

なぜでしょう?

いろいろ理由はあるでしょうが、一つの大きな要因として、お金に対してどこまで見えているか?の違いがあると思うのです。

説明させてください。

例えば、お金を得るという概念の中で、時間や労働の対価としてお金を得ると考えているのか、お金が入ってくるしくみを作って得ると考えているのかで、見えるものがだいぶ変わると思うのです。

時間や労働、サービスの対価としてお金を払う、または得るというのは、非常に分かりやすく見える部分です。ので、それなりに多くの人がどうお金を得るか?どうお金持ちになるか?と考えた場合、この対価的な発想になっているかなと思います。

さて一方で、いわゆるお金持ちの人たちは、普通の人が働いている間にホテルでくつろいでいるかもしれませんよね。つまり、明らかに彼らは対価という形でお金を得ていないということです。

彼らは、お金が入ってくるしくみを作り上げ、それがうまく機能すれば、時間や労働の量と関係なくお金が生み出されます。そして、このしくみは目に見えない部分です。

私はかつてロンドン大学の修士課程で芸術運営学を学んでいました。そこでは、美術館などの運営を研究し、新しい形を提案したりするのですが、例えばテート美術館と東京近代美術館では、まったく経営が違います。

その美術館が主に公的資金で運営されているのか、それともチケット収入で運営されているのかなどで、まず展覧会の内容がぜんぜん違ってきます。そのほか美術館の人事、ネットワークなどなども。

その美術館が利益主義なのか、社会貢献を第一にしているのかなどは、お金の流れを見れば一目瞭然です。でも、それは外に見えるものではなく、見える部分はチケットを買って展覧会を見ました­~というところだけです。

でも、明らかにものごとを左右しているのは、見えない部分であって、それがすごく大切なんですね。

そしてお金持ちとは、基本的にこの見えない部分のお金が入るしくみを作った人たちだと思うのです。

つまり、世の中には上手にしくみを作り上げた人、またはしくみを動かせる立場の人と、その作り上げられたしくみの中で働く人たちの二通りがいるわけです。

で、しくみを作る人とは違い、しくみの中で働いている人たちは、仕事が与えられ、それに対して時間と労働の対価としてお給料をもらうことになり、たいていは自分がいくらもらえるのか?にしか意識がいきません。

そして、もちろん一番お金の流れを作り出しているのは、金融のしくみや財政政策ですが、それも目に見えにくい部分です。

税金を払った後、それがどうなっているのかさっぱり分かりませんし、財政政策も規模が大きくなるほどなんだかよく分からなくなってしまいます。

しかし、この見えない部分が、最も私たちの生活に大きな影響を与えていて、みんなが共存共栄していけるか、貧富の差が広がるかはしくみ次第です。

と、ここから心の話になっていきますが、うっ、いっぱい書きたいことがある。長くなりすぎるので主なことだけ。

一つは、心も見えない部分がとても大切だということです。自分が気がついていない心の部分が一番私たちを支配し、またそれによって私たちは世界を把握しています。自分が気がついていない思いが一番外に投影され、それを事実だと思い込んで生きてしまう。(インテグレイテッド心理学)

ですが、カウンセリングはもちろん、セラピーも気づいている部分だけにワークしているケースが非常に多いんです。

また、もう一つ、ものすごく大雑把に言うと、基本的にしくみを作る人のメンタリティは、「私には力がある」で、しくみの中にいる人のメンタリティは、「私には力がない」です。

で、私には力がないというメンタリティは、簡単に犠牲者意識にもなります。

もちろん、それを普段感じることはあまりないでしょう。就職するのが当たり前で、そこで与えられた仕事を上手にこなすことに邁進し、周囲となるべくうまくやっていくことにほぼ100%意識は向いてしまっているからです。

アメリカの有名な司会者の女性が、彼女がまだ駆け出しのアナウンサーだった頃、地方局で女性で黒人ということでセクハラ、パワハラなど酷い目に遭ったとインタビューで答えていました。

しかし、彼女は続けて“でも、私はやりたいことがはっきり分かっていたから、割り切って、欲しい経験だけそこで積んで、違う局に移った”と話していたのです。

つまり、物理的には彼女は組織というしくみの中にいましたが、彼女の心はつくる側の心だったんですね。彼女の場合、自分の人生を創るという意味で。なので、会社は彼女にとってツールにしか過ぎなかったんです。

ですが、とにかく与えられるものをただこなしていくという心だと、自分がゼロから生み出す力があることを忘れてしまい、やっぱり「無力な私」感が生まれてきてしまいます。

見えない部分をみようとすること自体は、癒され度とはまったく関係なく、またもちろん頭の良さとか、経験値とも関係なく、そこを見たいと思う意思や好奇心があるかどうかだけです。

現在の社会のなかで、しくみが見えて作れる人が明らかに優位に立っているように、自分が気づいていない心の分部が見えている人ほど、自分や自分の人生を創りだすことができるなぁと思うのです。

“自分が気づいていないものに私たちは振り回される”

ということで、まずは自分が見えていない自分の中の部分を見てみませんか?♪

 

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悟りから学べる心のしくみ(インテグレイテッド心理学)
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人生の問題、依存症や鬱にどうワークするか?
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反射思考から純粋思考へ~やりたいことをみつける

最近はSNSのおかげで(せいで?)、何かの出来事に対して、あらゆる人の考えを前よりもいっそう知ることができますね。

先日、台風19号の際にホームレスさんが住所がないということで、避難所に入ることを断られたという出来事がありました。

そのとき、フェイスブック上に流れてきた意見の中に「ホームレスさんにも命はあるけど、住所のない人がいることは危険だから、市民を守るという点で台東区は正しい判断をした」という意見に多くのいいねがついていました。

また、“ホームレスを受け入れるべきだという人は、臭いがする人が横にいても大丈夫なのか? 私は嫌だ”という声もそれなりに見受けられました。

私はHSPのため、光にも音にも匂いにも非常に敏感です。なので、ホームレスの人が横にいたら私も正直耐えられないと思ったのです。ただ、香水が強い人も同じように耐えられませんが。

多くのいいねがされていた意見は、言ってみれば、ホームレスは助けなくて良い、死んでも仕方がないということです。

私はすべての命は同等に助けたいし、断られた気持ちを推測するとすごく胸が痛みます。どんな気持ちで引き返したのだろう・・・。

そこで、せっかく人間に与えられた頭脳を使うべきじゃないかと思ったのです。こういうときにイノベーションを発揮させ、どうしたらすべての命を救い、かつ、衛生面やにおいの問題を解決し、またみんなが安心、安全を確保できるか?

みんなで頭脳と創造力を持ち寄って、今までにない避難所を作りだせば良いわけです。正論の応酬合戦をして、どっちが正しいかとかやっているより建設的だし、ワクワクします。

こうやって振り返ってみると、私たちは毎日ものすごい量の考え、思考活動をしているわけですが、ないものを生み出すような純粋な思考活動ってどれぐらいしているだろうと思ったのです。

あっ、ちなみに純粋思考活動という言葉を今、勝手に作りました。

でも、自分の思考を振り返ってみると、

・繰り返し思考(同じレベルの同じパターンの思考)
・みんな思考(みんなも~~しているから私も・・・)
・刷り込まれた思考(親、社会などから刷り込まれた思い)
・傷にとりつかれた思考(恐れ、不安、欠如感や分離感から来る思考)
・あやふや思考(ホームレスは危険だというような、漠然とした思考)
・マネジメント思考(これを片付けて、そのあとこれをして・・・)

他にもいろいろあるでしょう。

要は、今までの枠にないまったくゼロから純粋に生み出すことに頭を使っているかな?ということです。

出来事に対して思ったことを言っているだけでは、ただの反射反応で、本当の意味で頭を使っているとはいえないでしょう。

話は一見ひどく飛びますが、“今の会社を辞めたいのですが、でも、やりたいことが分からなくて・・・”というご相談はそれなりにあります。

今の仕事を辞めたい理由はいろいろあるとして、もし現在とにかくお金のために続けています的な発想のままであれば、おそらくずっとやりたいことは分からないだろうと思うのです。

というのは、やりたいこととは、言い換えれば、生命がイエス!やる!と言っているものです。では、生命ってどんなエネルギーかというと、それは「生み出す、創造する」エネルギーです。

言われたことをただこなしていくだけのエネルギーのままで、この生み出すエネルギーにシフトすることは難しいだろうなと思うのです。

じゃぁどうするの?今の仕事つまらないのにと思うかもしれません。

私が会社員だった頃、まったく興味ない仕事やつまらない仕事も山ほど与えられていました。特に30年以上も昔なので、女性の新人社員など雑用とかお茶くみとか、ワクワクする仕事などほとんどもらえませんでした。

が、めちゃくちゃつまらない棚の資料整理とか、あまりにつまらないので、速攻で簡単に整理できる方法を編み出したところ、上司に驚かれ、ちょっと一目を置かれるようになりました。

また、新聞や雑誌に新しい事業の記事掲載お願いの文章を書いて送っておいてね~といきなり頼まれ、そんなもの書いたことないぞとパニックに陥りながら、過去の例を見つけ出し、最初はそれをそのまま真似て書いて送るという作業をしていました。

しかしだんだん、新聞や雑誌の担当者はとにかく忙しいので、彼らが求めていることは、あまり手直しをしないで済んで、そのまま掲載できるものを好むということに気づき始めました。

そこで、掲載のお願いをする雑誌に合わせた文体を工夫して書き、目に付く写真をつけて送るようにしたところ、90%ぐらいの割合で掲載されるようになったのです。

こうやって普通なら広告費を払って、新しく始めた事業を宣伝しなければいけないところをただで記事として掲載してもらえるわけで、会社としては嬉しい、私も嬉しい。お給料はアップしなかったけど。

最終的に人間関係に疲れて辞めることにしましたが、会社のリソースを使って、工夫する、創造するというエネルギーを養えたことは大きかったと思います。

このエネルギーがだんだん自分らしいやりたいことの発見や流れにつながっていったなぁとつくづく感じるからです。

そして、この前例にないことを考える、またはいろいろと工夫をしているとき、私たちは純粋思考活動をしているのだと思うのです。

ホームレスさんが避難所に入れるか?というテーマから、新しい避難所の形が出来上がれば、それはホームレス問題というよりもすべての人がハッピーになりますよね。

思考の話をしてきましたが、共感、理解というハートをベースにしてものごとを考えたとき、おのずとそれは純粋思考になっているでしょう。

そこには対立のない、すべての人にウィン、ウィンなものが生み出されているはず。

私たちは生命のエネルギーから誕生し、生命のエネルギーに帰っていく。だから、紛れもない事実として、すべての人にユニークな創造性と、ゼロから生み出す力が備わっている。

だから、単に刷り込まれた思考や反射思考だけで生きるのはもったいないかもしれませんね♪

☆☆☆ 治療効果が上がる心理セラピー ☆☆☆

人の心が病むのはなぜだろう?
なぜ、被害妄想や強迫観念、パニック障害、依存症や鬱になるのだろう?

心の病はたまたまなるものではないはず。だとしたらどういうメカニズムでどのように健康状態から病の状態へ移行していくのだろうか?

心のしくみ、脳や自律神経の機能、悟りの真実の観点から。

2019年11月30日(土) 13時半~16時半
“治療効果が上がる心理セラピー”
OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)
無 料♪
医療法人むつみホスピタル
徳島県徳島市南矢三町3丁目11-23

詳細はこちら

☆☆☆ セミナー案内希望 ☆☆☆

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一番大切で、でも一番無意識に守っているもの

私たちは自分に関するいろいろなものを守って生きていますが、その中で最も大切で、最も無意識で、最も失いたくないのがアイデンティティかもしれません。

ちなみに精神面の話で、自分の身体を危害や病気から守りたいとか、家族を災害から守りたいなどは、ここでは横に置いてしまいます。

アイデンティティとは、ご存知の通り「私は~~である」という思いですね。

例えば、「私は母である」というアイデンティティが一番強ければ、その人は家の外でもそのアイデンティティを軸に振る舞い、母として、または子供中心の目線で世界を見ていきます。

または、自分は社長だというアイデンティティであれば、会社の外でもあたかも社長のように振舞ったりするでしょう。赤の他人の女性を自分の部下のように見てしまったり、お店でも自分を上に扱ってもらうのが当然だと思ってしまったり。

これらのアイデンティティはもちろん無意識のうちに作られたものですね。意識的に作っている人はほとんどいないでしょう。

では、どのように無意識に作られるのか?

ということで、いきなり非二元(悟り)の観点に飛んでしまいます。私たちの本質である「気づきの意識(空)」には、なんの性質も属性もありません。まったくのゼロです。生まれがばかりの赤ちゃんはこの状態に限りなく近く、名前でさえもまだ自分のアイデンティティにはなりませんね。

私の弟も3歳ぐらいだったか、“僕、男だっけ?女だっけ?”と母に聞いていたのを覚えています。それぐらい「自分とは~~だ」という概念がまだ作られていないわけです。

ところが私たちは大人になるにつれ、様々なアイデンティティを身に着けていきます。名前はもちろんのこと、性別、年齢、国籍といった属性から、「自分はつまらない人間だ」といった思い込みなど、「自分はこういう人です」というものがたくさん出来上がります。

で、このように様々な「これが私だ」という属性やビリーフを身にまとっていきますが、コアのアイデンティティとなるものは、毎日一番そこにエネルギーを注いでいるものとなります。

毎日なので日常化してしまい、あまり意識上に上って来ないのですが、上の例では、毎日母として何をすべきか?、どうあるべきか?と考えていれば、それが一番強いアイデンティティになっていきます。

その場合、子育てが終わり、子供が巣立っていくと、ものすご~く空っぽな気分になり、私の今までの人生って何だったのだろう・・・となりがちです。

このように“役割”に同化し、それがアイデンティティになるケースは非常に多いですが、「毎日エネルギーを一番注いでいるもの」という観点からすれば、必ずしもそうだとは限りません。

例えば、私の場合、「心理セラピスト」として長い間日々仕事をしてきましたので、役割的?仕事的?には明らかに私の中心のアイデンティティとなります。

ところが振り返ってよ~くみてみれば、私が一番エネルギーを注いでいるところ、努力しているところは、「セラピストである」ことではなく、心のしくみを知ること、真実を知ること、それをシェアしていくという「プロセス」です。

このプロセスそのものが私には非常に大切であり、それが「私」なのです。

なので、セラピストとして否定されるのは、実はあまり痛くないし、積み上げてきた成果を否定されても、気分は悪いけどあまり痛くない。でも、“ずっと”(←ここにプロセスの意味合いが入る)積み上げてきたんだよというところを否定されると痛い、痛い。

積み上げてきたプロセスの中に様々な感情や思いや思い出があり、それが「自分」になっているので、それが否定されたら、私はまさに消えてしまう。

例えば、“あゆかさんは出来るけど、私には出来ない”というような一見誉め言葉みたいなことでも、私の中のやさぐれアイデンティティが、“いやいやずっと追及して頑張ってきているからだよ、そういうことじゃない!!”と暴れだします。

単に“誰でもできますよ~”と返事すれば良い話のことなのですが、コアのアイデンティティがスルーされたと感じて傷ついてしまう。

または、慢性の病気を抱えている人で病気がコアのアイデンティティになっている場合もよくあります。良くなりたいし、苦しいからではあるけど、毎日毎日病気や症状のことを考え、そこに意識を向けているため、無意識に「その症状を持つ私」が自分のアイデンティティになってしまうんです。

この場合、症状が改善するということは、自分が消えてしまうことになるため、無意識の抵抗が強く現れてしまいます。無意識にセラピーに抵抗したり、本当に核心に近づくとセッションを受ける気持ちがなくなってしまったり。

さて、もう一度悟り(非二元)の観点に戻ると、私たちの本質からすれば、人生の何かにどれだけエネルギーを注いできたとしても、それは本質の自分ではありません。

しかし、私たちは本質をまったくスルーしているため、無意識に構築してきた「自分」にこだわり、その自分を守ろうとしていきます。なので、それが無視された、否定されたと感じると傷つき、相手を攻撃的に見てしまいますね。(嫌う、苦手意識を持つなど)

ネガティブなイメージやビリーフに同化し、それがあたかも自分であるかのように生きるのも十分に苦しいですが、一見ポジティブで良さげなことでも、それを守る必要があれば、やっぱりそこに苦しみは生まれます。

とはいえ、社会の中で機能していくために、私たちには何らかのアイデンティティは必要です。

ので、アイデンティティを捨てちゃいましょうという話でもありません。

でも、

なんの属性もなく、時間も記憶も思い込みもすべて何もない気づきの意識にいつも立ち戻ることができたら、私たちは自然と構築されるアイデンティティを楽しむことができるようになるでしょう。

私たち(=自我)がほんとうに寄って立てるところは、無意識に出来上がったアイデンティティではなく、本質にあると思うのです。

それには、まず自分は何に一番エネルギーを注いでいるだろう? それがない自分でも大丈夫?と問いかけることから始まるのでしょう。

そして、本質を思い出すこと。自我がほんとうに求めていること、それは本質に同化すること♪

 

☆☆☆ノンデュアリティと癒しのカフェ☆☆☆

自分の本質について、癒し、自我、人生についてのお話会です。

ご都合がつく方はぜひいらしてください。

満席となりました。キャンセル待ち募集中

日程:11月10日(日)13時~15時半
場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
http://www.ko-o-ri.com/contents/information.html
参加費:5000円

お申込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/W5YKD

☆☆☆ 治療効果が上がる心理セラピー ☆☆☆

人の心が病むのはなぜだろう?
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安心したいなら自分を守るより大切なこと

悟りとか非二元とか聞くと、日常生活とはあまり関係ないことのように思えるかもしれません。が、やっぱり私たちの心の悩みから社会の歪みまでやっぱり密接に関係していると思うのです。

まず、多くの私たちは自分は個として存在している、自分と世界、自分とほかの人というように、自分とほかのものは分離していると強く感じているはずです。で、その世界観(幻想)の中で一番必要なものって何でしょう?

そう、まずは安心安全でいること。

振り返ってみれば、どうして好きでもない仕事を続けるのか?
どうして自分を押し殺してでても人に合わせるのか?
と考えてみれば、それはとりあえず食べていける安心、受け入れてもらえる安心があるからですよね。

その証拠にもし誰かに“あなたは自由ですよ。好きなように生きて行けるのです”と言われ、さぁ、自由の一歩を踏み出そうとすると、きっと恐れが湧いてくるはずです。

その恐れってなんでしょう?
失敗するかもしれない恐れ、
みんなに笑われる恐れ、
先が見えない恐れ、
自分には能力がないかもしれない恐れ、

人それぞれいろいろな恐れが湧いてくるでしょう。

そこでついとりあえず安心安全な「今の状態」にいたくなる。

実は脳科学の観点からも自律神経の観点からも人間(哺乳類)は、安心安全を求めるように出来上がっているんです。死ぬほど大雑把に書くと、危険だと感じたり、恐れを感じると、脳や自律神経が戦うか、逃げるか、またはフリーズするかというモードになります。

しかし、安心安全だと感じられると、社会迷走神経(詳しくはポリヴェーガル理論をご参照ください)になり、このとき脳も神経もバランスの取れた健全な働きをします。

つまり、単に精神論だけではなく、身体的にも私たちは恐れのほうへ向かうのを良しとしていないんです。ということで、心と体の両方が“安心安全でいたい”というのですから、自分の快適ゾーン(それが嫌な状態であっても)から踏み出すのは難しいですよね。

でも私たち(自我)が集団で勘違いしているのは、安心安全が分離した自分を守ることにあると思っていることです。

分離していて、しかも死がある(永遠の存在ではない)自我にとっては、食べて行けるという身体の生き残り、受け入れられているという精神の生き残りはとても大切です。(インテグレイテッド心理学で詳しくお話します)

自分の生き残りのために、自分を守っていく・・・・。ん?それのどこが悪いの? ある意味本能ですから、どこも悪くありません。

でも、“自分を守る”は、往々にして“自分、または自分の家族だけとりあえず良ければ・・・”という思いになりやすく、そしてそれはまた、“自分さえ良ければ”につながりやすいですね。

また、お金がある、パワーがある、権力がある・・・・などは、すべて生き残り率をうんと高めてくれると自我が思ってしまうものです。

しかし、もう一度脳科学と自律神経の話に戻ってみると、安心安全をいつ哺乳類が一番感じ、したがって、脳や神経が安心安全モードになるかというと、それは周囲とつながっていると感じるときなんです。

どんなに経済的な環境がそろっていても、どんなに良い子と周囲に思われていたとしても、親の愛を感じられなければ、子供の脳や神経は決して“安心安全”モードにはなりません。

つまり安心安全のキーワードは、“自分を守る”よりも“つながり”となります。そこで、一番最初につながりたいのが「自分自身」です。

私たちは毎日自分のことを考えているので、自分とはつながっていると思い込んでいるものです。

でも、自分の本心を知らないとき、私たちは自分とつながっていません。また、自分の感情に気がつかない、自分が疲れているかどうかも気がつかないとき、または、自分を責めたり、否定したり、自分にウソをついているとき、私たちは自分とつながっていませんね。

自分とのつながりを失えば失うほど、心も身体もバランスを崩し始め、そこから心の病やまたは身体の症状として現れてきます。

また、その状態で他者と交わるとか、社会の中で活躍するというのは、エネルギーが反対に向きすぎて難しいでしょう。

ということで、やっぱり自分との対話はとっても大切。自分の本心を知って、受け止めてあげること。自分の中の否定や批判、抑圧、抵抗をと対話して、紐解いてあげること。

そうするうちに人とのつながり、社会とのつながりが自然とできるようになりますね。人間も哺乳類で、基本的に群れて生きるように作られていると思うのです。なので、本来はつながっているのが自然な姿で、そこに安心安全を感じる生き物でしょう。

とはいえ、昔のように部落を作って住みましょうとか、大家族に戻りましょうとか(私は好きですけど)、そういうことを提案しているのでもありません。

人とのつながりを感じられるのは、理解、共感といったものです。それが広がった社会であれば、精神が前向きで、そして脳も活発に効果的に機能し、活力満ちた世界になるはず。

ひるがえって自己責任論は、つながりがなく、一人で頑張れ、一人で責任取れという脳や神経が緊張し、疲弊したり、フリーズしていく社会だと思うのです。

さ~て、ここまで書いて本当は一番書きたいことを我慢してきました。

それは、もちろん“私たちの本質”というもの。いきなり飛びます♪

自分の中に必ずある真の安心安全な場所。 “人生”を経験している誰かはいないということ。すべては神の夢(リーラ)であると知っている場所。

奇跡のコースの言葉を借りれば、“あなたは悪夢を見ているだけで、一度も暖かいベッドから離れたことはない”

本当はいつも安心安全♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

今日の記事とリンクしているセミナーをもっと細かくお話しさせて頂きます。

人の心が病むのはなぜだろう?
なぜ、被害妄想や強迫観念、パニック障害、依存症や鬱になるのだろう?

心の病はたまたまなるものではないはず。だとしたらどういうメカニズムでどのように健康状態から病の状態へ移行していくのだろうか?

心のしくみ、脳や自律神経の機能、悟りの真実の観点から。

2019年11月30日(土) 13時半~16時半
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癒しても癒しても終わらないワケ

☆今回はいきなり本質から入って、そして自我と癒しのお話♪

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本質を見過ごしている限り、癒しは永遠に終わらないだろう。

本質を見過ごしている限り、幸せはいつも桃源郷の中にあるだろう。

分離した自分がいるというものすごく精密かつ巧妙にできている幻想の中で、私たちは自分の癒し、自分の幸せを求める。

もちろん、ものすごくリアルな世界の中で心軽く、幸せに暮らすことも“ある期間”は可能だ。でも、生命の性質に従って、すべては移り変わり、生まれては消えていく。または、幸せが絶望に、絶望が幸せに移り変わっていく。

分離を信じている時点で、私たちは本質を見失っている。

自分がいると思っている時点で、私たちは本質を見失っている。

自分の人生が確実に存在していると感じている時点で、私たちは自分の本質を見失っている。

“私が悟るのだ”、“私が癒されるのだ”と思っている限り、その旅は永遠に終わらないだろう。

それよりも、その“私”が幻想であると目覚めたとき、私たちは本質の手の中に落ちていく。

でも、

“私”にはたくさんの大切なものがあって、それを手放すことはとうていできない。

私の愛する人、愛するもの、私のいきがい、私がこれまで積み上げてきた成果、私の夢・・・。

これらは、“私”のとても大切な宝物。私がいないなんてわかったら、これらはすべて霞の中に消えていってしまう。こんなに頑張ってきた私がいないなんて虚しすぎる。

こうやって、“私”は本質に目覚める幸せを願いながらも、自分の夢の中に戻っていく。本当は、本質が夢も生きがいもすべて与えてくれると知らずに。

夢の中で真の幸せは見いだせないと本当に分かるまで、“私”は何度も夢の中に戻っていく。

そして、それで良いのだろう。

植物が少しづつ芽を出すように、私たちの中の本質を呼ぶ声も少しづつ育っていくのだから。

だから、しばらくは夢の中から本質に憧れるのも良いのかもしれない。

本質をすっかり忘れ去って、夢の中の人生だけに囚われない限り♪

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ある程度、自分癒しをしていると必ずぶつかる壁が、“いつまで癒せば良いんだ、ワークしていると限りなく何か出てくる”、“前と比べるとずいぶん楽になったけど、コアの部分が変わっていない気がする”というものかもしれません。

これは私自身もずいぶん感じてきたことです。でも、自我がどう自我として存在しているのか?が見えてくればくるほど、癒しが終わるはずがないなということも分かるんです。

ということで、なぜ? なぜ終わらないの?

というのも、自我とはある意味、分離感をベースに存在している投影マシーンだからです。

もう少し説明しましょう。

分離感とは、「私と世界」、「私とあなた」、「私とそのほか」というように、私以外の何かが自分の外に存在します。

なので、必ず世界やあなた、そのほかのものを解釈せざるを得ません。

そして、自我とは、「思い」と「感情、感覚」、そして「体(分離の象徴)」で構成されていますね。

体が、私は分離している~と主張し、思いと感情が世界や他者を解釈していきます。ある自我は、世界は楽しいと解釈し(投影)、ある自我は世界は恐ろしい場所だと解釈(投影)します。

こう書くととてもシンプルですが、体がどれだけ緻密に出来上がっているか(体に関して解明できないこともまだたくさんあります)、また、思いや感情の体系がどれだけ複雑であるか、そして心と体のつながりなど、細胞の機能から心の微細な動きまでを考えてみれば、自我とは非常に優れた生命の創造物だと分かるでしょう。

AIなど足元にも及びません。

でも、この精密な投影マシーンは、その精密さゆえに自分が存在していると勘違いしてしまいます。当たり前です。名前だって与えられますから。

そして、自分癒しを始めると、ついこの精密な思考・感情体系と体がピカピカになって、癒すところがない状態になるはずと思ってしまう。

ところが、分離していることがベースになっている限り、どうしてもそこには恐れがあります。

そして、恐れがある限り、自我が思い描く(少なくとも私は思い描いていた)、いつも穏やかで楽しい私はどうしても実現しません。

分離とは言い換えれば、「飢えと恐れ」ですので、自分が分離していると思っている限り、これはどこまでもつきまといます。

じゃぁ、本質に一気に目覚めてしまえば、自我の苦しみぜんぶチャラになるんじゃない?と思われるかもしれません。

残念ながらこちらもノーなんです。(この点は長くなるので、違う機会でまた書いてみたいです)

空(気づきの意識)と色(自我)は、分けることができず、自我意識を完全に消すというのは、夢物語です。

自我意識がある限り、自我のなかにトラウマがあれば、それは強力に自我を夢に戻します。または大きな抑圧された飢えがあれば、いくら真実が見えていても、無意識に自分も人も傷つけてしまいがちです。

では、どうしたら良いのでしょう?

自分の中にある緊張した感覚、そこにあるストーリー、思い込みを見つめ、癒し、そして気づきの意識にくつろぐ。癒しと本質への目覚めの両輪でいくんです。

そのうち、癒されない苦しみでさえ、生命の表現として慈しむことができるようになるまで。そして、それはぜんぜん難しいことではない♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

自分の本質について、癒し、自我、人生についてのお話会です。

10月の会は満席となりました。

11月10日(日)、12月22日(日)も同じ場所、同じ時間で開催いたします。

次回案内ご希望のかたは申し込みフォームからどうぞ♪

日程:10月20日(日)13時~15時半(満席)

11月10日(日)10月上旬、募集開始予定
12月22日(日)11月上旬、募集開始予定

場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
http://www.ko-o-ri.com/contents/information.html

参加費:5000円

お申込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/F4TPE

あなたが本当に求めているもの♪

ものごころがつき始めたような小さな頃。

きっとみんなにあったと思う。うっすらと。

なんか違うところに自分がいるような、

なんか自分にはほんとうの場所があるような。

でも、人生はすでに始まっていて、自分はもうここにいるしかないという感覚。

微かだけど、何かを忘れてきた感覚。

そして、その何かこそがリアルなものであるような感覚。

成長するにつれ、私たちは“私の人生”にどんどんはまっていき、人生はリアル以上にリアルになり、小さい頃の感覚は遠い彼方にあたかも幻想のようになって消えていく。

でも、日常の忙しさの中で、人生の喧騒の中で、ふとそんな感覚が一瞬でもよみがえってくることがあるかもしれない。何か自分が大切なものを忘れている感覚。

癒しの真の目的は、その忘れてしまった本質をもう一度思い出していくことだろう。

人生の中で起きる不条理、愛する人との別れ、裏切り、ただ仕事をこなす日々・・・。自分はなぜなんのために生きているのだろう?

そんな思いが横切っても、答えなんかあるわけないと払拭して、スーパーの買い物袋に食品を詰めていく。

日常すぎる日常。

でも、ふとそんな瞬間があったとしたら、私は品物を詰めているあなたの横に立って“一緒に帰ろう”と言いたい。“どこへ?”とあなたは聞くかもしれない。

私は言うだろう。“あなたが私で、私があなたであったところへ”と。

そしてそれは、“いまここに、まさにいまここがその場所だよ”と。

この日常過ぎる日常の中で、あなたと一緒に微笑んで一緒に本質を思い出したい。

なんていったって、分離は幻想だから。

これはありきたりの真実♪ 荘厳なスピリチュアルでも、到達すべき悟りでもない。

そしてそれはあなたが一番心の底から求めているもの。いつもいつも。

分離から本質(愛)に目覚めることを。深いところで熱く恋焦がれるように。

それをあなたはずっと勘違いしてきた、自分の欲しいものはパートナーの愛だ、成功だ、お金だ、夢が実現することだ、いきがいを感じることだ・・・と。

違うよ。あなたが求めているものはぜんぜん違うもの。

私たちは私たちの夢を長く見過ぎた。もうそろそろ目覚めるころだって、本質が呼んでいる。

そう、幼い時、うっすらと自分は違う場所に来たように感じたあの感覚。

それは目覚めへの鍵♪

でもね、私たちは決して違う場所にきたのではなかった。人生にはまったのではなくて、分離という幻想にはまっただけだった。

だからあれは、真の自分を忘却の彼方に見失っていった感覚。

ほんとうは私は初めから正しい場所にいて、そう、私は常に本質とともにいた。

真の癒しとは、忘れた感覚をもう一度呼び覚まし、分離したと思った幼心を暖かく包みなおしてあげることだろう。

ケセラセラ、“私が大きくなったら可愛いくなれるの?お金持ちになれるの?”

幼い少女の胸は人生への期待と魅惑、そして不安でつまっていて、そしてその胸は大人になるにつれ、いくつもの傷を抱えてしまったかもしれない。

人生の裏切りが大きすぎて抱えきれず、倒れてしまったかもしれない。

だから、癒しとは人生を生きる中で身にまとっていたたくさんの苦しみのストーリーのベールを落としてあげること。

ストーリー(思いや感情)を改善するのではなくて、ストーリー(思いや感情)をはがして取っていく。

そして、人生に好奇心を抱いていた幼いあなたに戻っていくこと。

あなたの胸を温めてくれたたくさんの人やものごともあったことを思い出していくこと。

そして最後に、リアルだと思っていたものが幻想で、幻想だと思っているものが実体であると気づいて、あなたは微笑む。

あなたは私、私はあなた。

それがカミングホーム。私たちは100%祝福されている♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

久しぶりにリアルお話会を開催いたします。

自分の本質について、癒し、自我、人生についてのお話会です。

満席となりました。

キャンセル待ち&カフェ案内ご希望のかたは申し込みフォームからどうぞ♪

日程:10月20日(日)13時~15時半

場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
http://www.ko-o-ri.com/contents/information.html

参加費:5000円

お申込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/F4TPE