豊かさを生み出すもの♪

Youtubeで日本の貧困に関する動画を一つ見たところ、次々に貧困関係の動画がお勧めに出てきてしまい、結局日本、アメリカ、イギリス、オーストリアの貧困系の動画をたくさん見てしまいました。(いわゆる先進国の貧困問題)

個人的には、社会のシステムや経済のシステムは変わったほうが良いと思うし、ベーシックインカムも賛成しています。

ですが、たくさん見ているうちに社会のシステムを変えるだけではなく、個人のメンタリティが変わることもやっぱり大切だなぁとつくづく思ったのです。

つまり、人が貧困から抜け出すには、システムというハードウェアとメンタリティというソフトウェアの両方の変化が必要だよね~というある意味とっても普通な結論に着地しました。

とはいえ、そのシステムを作っているのは誰か?といえば、人の心であって、やっぱり心ははずせない要因です。

とりあえず、日英の両方の貧困動画が見て、一つ感じたことは大多数の人が雇用者メンタリティであることです。それは会社員だけではなく、個人事業主の人でもそのメンタリティの人が少なからずいるなぁと感じます。

例を挙げると、一つは日本でバブル景気のときにある業界(←忘れました)が業績が良いので、会社を辞めて独立した。会社の経営はうまく行っていたが、バブルがはじけたとき破綻し、その後家族が病気になったり、今では生活保護でギリギリ生活。

またはイギリスでは、大手の発注に頼っていた個人経営の会社が、その大手の支払いがストップしたことで、一気に業績ゼロ。幼い子供たちがいるのに家を手放すはめになり、就職先を探している・・・。

前者がなぜ従業員メンタリティかというと、バブルがはじけてすぐさま破綻してしまったということは、時代のトレンドから仕事をもらっていたようなものだからです。

後者は大手企業がある種雇い主のようなもので、そこが雇わなくなる(発注しなくなる)と一気につまづくという、やはり自分でビジネスを作り出していないんです。

あとは、就職難で非正規雇用にしかつけない若者たちとか、自分が仕事を生み出すというより、仕事を見つけるという発想の人がほとんです。

話はずれますが、日本も他の先進国もみんな社会環境があまりにそっくりで、グローバリズムの負の側面が見て取れるようでした。

さて話を戻して、人類の歴史を振り返ってみると、人口の大多数が雇われる側で、今もそれは続いています。なので人類の集合意識には、従業員メンタリティが強く刷り込まれていると思うのです。

で、これを少し心理的な面から見てみると、「雇われる私」と「雇うあなた」という対立構造が心の中にあるはずです。で、ほとんどの場合「雇われる弱い立場の私」と「雇う強い立場のあなた」になっているはずです。

また、歴史的に雇われる側が搾取されてきたケースも非常に多いため、雇い主に対して弱くて「無力な私」といった思いがおそらく多くの人の中に無意識にあるでしょう。

そしてこの私と他者、私と世界という二項対立的な世界観、つまり分離の世界観は、分離しているだけにどうしても限界があります。

また、「弱い立場の私」というのは、被害者意識も含んでいて非常に強い分離意識です。豊かさが全体だとしたら、分離意識はどんどんその豊かさから離れた視点になってしまうということです。

つまり、どんどん自分中心の見方しかできなくなり、視野が非常にせばまります。社会やものごとの流れが見えなくなり、正しい判断もできなくなります。ので、一度貧困に陥るとなかなか抜け出せないのは、社会のシステムだけではなく、せばまってしまった視野、固定された世界観、弱い私という自己像なども大いにあるなぁと思うのです。

ちなみに、自己責任みたいな観点とはまったく違います。人と社会はお互いに支えあっているわけで、社会のサポートが絶対あったほうが良いと思っていますし、そのために税金を使って欲しいと切に願っています。

さて、弱い立場の私の観点で書いてきましたが、では経営者メンタリティはどうでしょう? もちろん分離意識がバンバンで自分さえ利益があれば良いのだという経営者もいますよね。

最近言われているブラック企業なども、社員から絞るだけ絞りとり、自分は豊かに暮らすのだ・・・・みたいな。

でも、この場合、もしかすると人より多いお金が入ってくるかもしれませんが、ほんとうに豊かで、そこに持続可能な自然な循環があるのかどうかというと、限りなく疑問なわけです。

普通に考えて、ものごとが一番安定する形とは、分断されているよりもつながっていることですよね。一人で暮らすよりも、みんなで支えあうみたいな。

また自然を見回しても、すべてはつながった循環の流れで生命は存在できているわけで、強い分離意識は循環を乱し、そこに持続性はなくなっていきます。

ということで、そもそも、ほんとうの豊かさって何なのでしょう?

ここまで分離、分離と書いてきたので、お分かりかと思いますが、それはやはり、分離を超えた視線にあるのだろうと思うのです。

分離を超えた視線とは、存在そのものが自分であるという本質の目線で、「増えもしないし減りもしない存在(不増不減)」が自分であるという地平線です。

金持ちとか貧乏とか、お金が多いとか少ないとか、そういった二項対立的な世界を超えて、存在しているもの(←ものではありませんが)、現象を生み出し、現象そのものであって、全体そのものの自分。無尽蔵で無限である存在そのもの。

分離意識が欠乏を感じているとき、それはあたかも小波が大海の中で水不足を感じているようなものですね。

でも、おそらく分離意識があるうちは、私たちは豊かさの中で豊かさを見過ごしていくでしょう。

じゃぁ、悟らないといけないの?という話でもなく、私たちの中に常にあるもの、つまりハートをよく感じてみれば(思考を静めて)、そこには限界や分離もないはずです。

そのハートから出てくるもの、例えばすれ違った人に微笑むだけでも、そこに分離がぐんと減ります。ハートからの経験を増やしていくだけで、私たちは豊かさを感じられると思うのです。

微笑むという小さな行為も、自分が外に生み出した創造の一つです。そして、ハートは大海を思い出す直通のパイプですね。毎日何度でも感じてみると良いかもしれません。

そして、感じられるようになってきたら、私は今ハートから何を生み出せるかな?と問うことで、与えてもらうという従業員メンタリティから、「私が生み出す」というメンタリティにシフトしていくでしょう。

ということで自分で書いていて、知らない人に急に微笑んでみたくなった♪

 

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ハートの声と忍耐

ハートの声と忍耐・・・・・。なんかワクワク感があまりないですよね。

または、ハートの声と自分を律する力・・・。これもいまいち軽さが感じられないかもしれません。

とりあえず、ハートの声といえばワクワク♪だよねと思う人が圧倒的に多いかなと思います。

もちろん、それはその通りですよね。

ですが、ときどき “ん?それは本当にハートの声?”と思う状況に遭遇します。

例えばある人が“これは、私のハートの声だから・・・・”と言った後に、そこに“だから私はやりたいようにやるの”、“だからあなたはそれを許してくれないといけない”といったニュアンスがあり、でもこちらとしては迷惑なんだけどなぁとか、私があなたのハートの声に合わせないといけないの?みたいな場合があります。

で、それって本当にハートの声?と思うのです。

基本的にハートの声とは、自己愛から出てくるものですね。なので、自分の中に自己否定や恐れが多く、愛が隠れてしまっているときに、ハートの声を聞こうとしてもエゴの声のほうがうんと大声です。

ということで、インテグレイテッド心理学のおさらい~♪

まず、自我(=ここでは通常の私たちのことを指します)の根本的な衝動や欲望は「生き残ること(サバイバル)」にあります。ですので、自我の根本の恐れとは、肉体の死と精神の死ですね。

肉体が死なないように食べていけるように頑張る。だから嫌な仕事でも続けないといけない。または、お金がどんなにあっても、もし生きる意味が見つけられないとか、または自分などいてもいなくても良い存在だと思えば、やはり精神の死に向かっていきます。

なので、お金も充分あって、人の役に立っていて、素敵な夢やいきがいがあれば、生き残り率はぐんと上がり、安心だし、自己肯定感も高まって嬉しい。一方、お金がなくて、なんの役にも立っていない自分となれば、生き残り率も自己肯定感もどん下がりで苦しい。

私たちの人生を見回してみると、ほとんどが食べていくためと良い自分であるために費やされているはずです。

ですので、普通にしていると私たちは自分の生き残り率が高まることに、ワクワクしてしまうものです。つまり、エゴがワクワク嬉しくなることをハートの声と勘違いしてしまうことがあるとということです。

ですが、そもそもエゴのワクワクなので何だかどこかが自分勝手・・・。私がそうしたいの、私が~、私が~、(あなたのことは考える余裕なし)みたいな。

でも、今回書いてみたいポイントは「エゴのワクワクには忍耐力がない」という話です。

ということで話を戻して、生き残り率を高めたい・・・、言い換えれば、今の自分に何かが足りないんです。

意識されているかされていないかは別にして、何かが足りなくて、今の自分、今の状況が良くないんですね。

それは例えば、心の飢えや不安、恐れ、またはアイデンティティの不確定さ、自己価値の低さなどであり、それらが心の深いところにあるとき、心は何とか一刻も早くそれを解消したいと思います。

なので、早くやりたい、早くなりたいという衝動が非常に強いんです。

あまりに強いので、自分でそれに気づくことはほぼ不可能でしょう。衝動やある感情がものすごく強いとき、私たちはその衝動や感情そのものよりも、そこから沸いて来る思いのほうにどっぷりつかってしまうからです。

例えば、心の飢えが非常に強い場合、心の飢えからくる衝動そのものに気づくよりも、それを埋めてくれるもの、例えばソウルメイトとか、やりがいのある仕事とか、それをどう得られるか?という思いに完全に囚われてしまうんですね。

また、それらが手に入ると思うととってもワクワクし、こうしてエゴのワクワクが発動するんです。

このエゴワクワクはエネルギーもけっこう大きいので、やりたいことを達成する力もあれば、それなりに良い成果もあげられ、そのまま何年もその勢いでやっていけたりします。

またそこに「人を助けるため」などといった、これまた自己価値を上げてくれる大義名分もくっつき、ワクワク感も長続きしたりするでしょう。また、応援してくれる人も現われたり、けっこう楽しい。

ですが、どうしても目線が自己中心になってしまうので、視野が狭く、周囲と折り合いがつかなかったり、何かしらの摩擦を生んでしまったりもします。

また、批判に弱く、すぐに犠牲者意識に陥ってしまったり(自己防衛や他者への攻撃もすごい)、または、何かで心がポキっと折れて、やっていたことそのものを辞めたくなったり、うまくいかないと、そもそも本当にやりたかったのか?みたいな混乱に陥ってしまったりもするでしょう。

で、早く!の反対は、もちろんゆっくりですが、ここで忍耐力と自己を律する力に話が戻ります。

というのも、ハートの声に従っていても必ずチャレンジはあり、それらを乗り越えるには、自分や他の人、そしてものごとへの深い理解がないとけません。

歯を食いしばるような苦しい我慢ではなく、深い智慧と理解による忍耐は、そこに優しさと落ち着きがありますね。また、ただひたすら頑張る自己抑制ではなく、“私は私の衝動を自分でケアできますよ~”という自己を律する力には強さがあるでしょう。

真のハートの声とは単にワクワクしているだけではなく、こういったクオリティがあるだろうと思うのです。

ということで、ゆっくり、じっくり、急がば回れ。まずは自分の中の愛を育てて行きたいですね。

 

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憎しみが癒される場所

オウム真理教の死刑執行に関して、遺族の方が「悲しみは癒えない」「死刑よりも重い刑罰がないのが残念だ」というようなことをおっしゃっていました。

この言葉から、心の傷がどれだけ大きいのかがよく感じられます。

毎日毎日愛する人への思いが走り、不条理な出来事に数え切れないほどの“なぜ?”を心の中で投げかけたことでしょう。

面と向かって自分を苦しめた相手に大声で叫びたかったかもしれません。

“お前は私の愛する人に一体何をしてくれたんだ!”

“何も罪もない私の大切な人に!”

“私の人生を返して!私の希望を返して!”

どこにも吐き出せない声をずっと押し殺さなければいけない辛さ。それが、年月が経つほどたまってしまう。

もちろん、遺族の方々の心の内には、もっともっといろいろな思いや感情が大量に巡り巡っているはずで、彼らの心を分析したいのでもまったくありません。

それよりも、憎む相手が死んでも心が癒されないとき、私たちはどうしたら心の平和を見つけられのか?を考えてみたいのです。

私たちは憎む相手が罰せられたら、痛めつけられたら、自分と同じ目に遭ったら、心は晴れると思いがちです。ところが、それがたとえ実現したとしても、そのときは一瞬心が晴れるかもしれませんが、やはり悲しみや苦しみは癒されないのです。

よく死んだ人が帰ってくるわけでもないというように、だから希望が持ているわけでも、喜びが戻ってくるわけでもありません。

ではこんな場合、私たちはどこに心の平和を見出せるのでしょう?

こういった問いは、ハウツーで答えるものではなく、これが人間を生きるということだと思うのです。

この問いを生きること自体が、生きる意味でもあるというか。

ネット上では、死刑制度に賛成する人と反対する人であふれていますが、遺族は死刑を望み、でも、心は癒されない、また犯罪防止にもまったくなっていない。。。。

遺族の方々がほんとうに望んでいるのは、死刑なのか?それとも心の平和なのか?

私たちは注意深く考える必要があるでしょう。

ということで、私自身も明確な答えを持っているわけではありません。

ただ、一つ確信していることは、癒しは愛によってもたされるということです。憎しみや恐れ、分離ではなく、理解、受容、許し、そして生命の流れといったものによってです。

とはいえ、憎む相手を許しましょうといった短絡的なことを言いたいのでもありません。オウム真理教によってどんなふうに愛する人を奪われたのか、一人一人の背景を知るほど、そのようなことは軽々しく言えるものではありません。

そうではなく、もっともっと深いレベルで見ていきたいのです。(もちろん許すことができたら一番心は癒されますが、無理やりしようとしたり、または押し付けることではないでしょう)

もし、自分の心を深く探って、自分が最も求めているものが心の平和であるなら、もしかすると私たちは一度人生の形(こうあって欲しい、こうあるべき)を忘れてみる必要があるかもしれません。

アジャシャンティは“Our mind is looking for an answer but our heart is looking for a deep, direct experience with existence.(思考は答えを求めるけど、ハートは存在の直接的で深い経験を求めているのだ”と言っています。

思考は人生に形を求め、自分が望む形になることが幸せだと言ってきます。その形の中には悪いことも、不条理なこともあってはならないし、すべてが自分の望む形ではないと思考は絶望します。

将来こうなるはずだったのに閉ざされた、こんなふうになるはずではなかった、まさか自分に、私たちはこういった思いとともに絶望し、人生の生きる意味を失っていきます。

一方、ハートは形を求めず、人生の中で現れては消えていくすべてを深く経験することを求め、それが生命の動きだと知っています。

だから、心の平和を見つけたいとき、私は形を求める思考を一度横に置いて、“私がここで一番望んでいることは何?”とハートに尋ねます。(もちろん頭で考えてしまわないこと)

体をよく感じ、感情の発露、感情の声を待つのです。

だんだん気づいてくることは、どんなに絶望していても、何かが自分を生かしていることです。

そのうちに生命のあらゆることを無邪気に経験したかった子供のような自分に出会えます。それはおそらくすべての人の中にある最も原始的な魂の思い、純粋な欲望。

その子の目には人生はワンダーランドで、起きるすべてを体いっぱいに吸い込んで感じたいと思っています。

直感的に、私は自分の中でこのナイーブで純粋な子を育てれば良いのだ、この人生を感じ切る、すべてを経験したいと思っているこの子が成長したとき、私は人生のあらゆることに感謝できるようになるだろうと。

その子のナイーブさが深い経験に変わり、純粋さが深い智慧に変わり、生命の意味を真に理解していけば、私は生命の流れそのものになるだろう。

それは形にとらわれない人生への賛歌で、思考がひどい、非情だ、残酷だと思う出来事を癒してくれる。

でも、それはハウツーのように育てられるものでもなく、インスタントにできるものでもないでしょう。

ただ、この道へ方向転換することで、憎しみや悲しみのエネルギーから自分を救い出すことはできるかもしれません。

思考は人間はなんのために生きているのか?と尋ね、ハートは生命が紡ぎだすものを深く感じることと答えるでしょう♪

 

PS:もちろん、OADなどで悲しみや苦しみを生きやすいレベルまで癒すことは可能です。

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ノンデュアリティと癒しのお話会 in ロンドン

日時:7月28日(土)14時30分~16時30分、約2時間(14:15開場)
会場:Farm Street Church (114 Mount Street, London W1K 3AH)
(最寄り駅:Bond Street or Green Park)
料金:20ポンド(当日受付にてお支払いください)
ご予約:mariko.beswick@yahoo.com
※キャンセルの場合は出来るだけ早めにご連絡くださると助かります)

私たちは“複雑”なんです♪

来週イギリスに戻りま~す。イギリスに戻る前の数週間はいつも忙しく、なかなかブログがアップできません。ので、ちょっと短め♪

先日、日本ホリスティック医療協会というところで、新しい自律神経の理論「ポリヴェーガル理論」についてのお話をさせて頂きました。

こころと脳と、自律神経のつながり、ほんと~~に面白いです。

ということで、思ったこと。

私たちが、「こころと体はつながっている」というとき、

心理を学んだ人間は、“だから思いを変えれば、体も整う”と思うかもしれません。

一方で、ボディ系の人は、“だから体を整えれば、自然に心も変わっていく”と考えるかもしれません。

心理カウンセラーのカリキュラムに体のしくみはないし、イギリスの医学部のカリキュラムに心理学は3時間しかないそうです。(たぶん日本も少ない)

でも実際は、体のしくみが非常に複雑なように、心のしくみも非常に微細で複雑です。

そして、このこころと体が密接に、かつ複雑に入り組んでいる生命体が、私たちという存在なのだと思うのです。

そして、この高度に複雑な存在の源を見ていくと、それはすべてに流れている生命の息吹であり、そして、その生命の源をも見つめていくと、永遠の純粋意識である私たちの本質が見えてきます。

こんなふうに自分自身をミクロからマクロを見据えたとき、存在そのものへの称賛が自然と沸き上がり、自分の人生というストーリーに完全にはまっていた狭い視野から抜け出して、ちっぽけな自分から尊い存在としての自分が感じられるかもしれません。

そんな視点から、改めて自分の悩みや苦しみを見てみたとき、一つの苦しみがまるで入り組んだタペストリーのように様々なエピソードや思い込み、たくさんの感情などが絡み合い、または親や人類の苦しみともつながっていたり、決して単細胞的な単純なものではないでしょう。

なぜこんなに複雑、複雑~と連呼しているかというと、なかなか楽にならない、自己ワークがうまくいかないなどとおっしゃる方の多くが、ものすごく大雑把に自分を癒そうとしていると常々思うからです。

例えば、

一つのセラピーだけで癒そうとしていたり、

自分の思い込みを見ずにワークし、思い込みの中で癒そうとしている、

推測した原因にワークをしていたり(頭で原因を探ると一応辻褄が合うので、それだと思ってしまう)、

今の心の状態を見るのではなく、過去の出来事だけを癒していたり、

トラウマなど体のシステムが閉じているのに、思いや見方を変えるだけでどうにかしようとしていたり、

真我に目覚めれば良いのだと思い込んでいたり、

単純に知識やスキル不足で、意味のないワークをしてかすってもいなかったり

などなど他にもたくさん・・・・・。

(ネガティブナルシズムに陥っているケースもそれなりに多い)

そんな様子を見るたびに、いやいやもっと複雑だから、まずは自分の思いも体もじ~っくり丁寧に見て行こうよ~と言いたくなるのです。

ですが、自分の複雑さ、微細さを知らないと、この“じっくり”という言葉に待ちきれない人もそれなりにいます。“早く変わりたい、楽になりたい、誰かチャンチャンと癒して~”

もちろんその気持ちはものすご~く分かります。でも、その思い自体がほんとうの意味で苦しみと向き合うことを避けてしまいますね。結果的にいつまでも引きずってしまう・・・・。

でも、苦しみと向き合うということは、言い換えれば、自分ときちんと向き合う、自分の本当の思いと向き合う、そして自分を作り上げているミクロとマクロの世界と向き合うという意味でしょう。

自分が抱えている“悩み”というミクロの世界から自分の本質であるマクロの世界まで。

母が認知症になってね・・・・・、息子が引きこもっていて・・・・、自分に自信が持てなくて・・・・・、などなど、困った問題だ、早く解決したい、どうにかしたい、誰かアドバイスを!なにか方法は?良いセラピーは?

ツールや方法を探し求めることももちろん大切ですが、そこにあるものにほんとうに向き合ってみると、自分の心も体も深く理解され、そこからマクロの自分にきっと辿りつけるはず。

そのときはきっと、苦しみが無くなってせいせいした~ではなく、その苦しみがあって良かった♪と思えているでしょう。

それはまったく違った目線になった強さ、安心感、そして本質に触れた喜びという大きなおまけつきで。

ということで、

自分がぜ~~んぶの存在というのは分かったけど、じゃぁ、私は知識やスキルがないから自分では何もできないっていうこと?と思った方、悩みは解決されないかもしれませんが、それに向けた準備体操(笑)はできるかもしれません。

あくまでも準備体操です。根本の解決にはならないです~。

が、とりあえず、

1)思いを眺める

雲を眺めるように眺めるだけ、眺めた思いを分析したり、ジャッジしたり、何かしようとしない。

2)感情を眺める(体感覚も同じ)

同じ要領で。

※どんなドロドロした思い、みにくい感情、嫌な感覚でも、ぜんぶそこにあって良い♪

3)それらを眺めながら、鎖骨の下あたりを軽く指でトントンしながら、深呼吸をする

思いを見て、感情を感じて、そして最後に、

4)それらすべてに気づいている意識にただあってみる(寄り添う)

呼吸は適当に続ける。好きなだけやって終わり♪

では、次回はイギリスから~☆

☆☆☆☆☆☆

ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年7月4日(水)10:00~12:00
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JMET EFTプラクティショナー講座レベル1

2018年7月7日(土)10:00~17:00
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奇跡のコースと無差別殺人

ご存知の方もそれなりにいると思いますが、インテグレイテッド心理学は奇跡のコースをベースにしています。

奇跡のコースでは、「投影」の真の意味が分からなければ、メッセージは理解できないと言われているほど、抑圧→投影のしくみを理解することはとっても大切です。

というのも、普通にしていると私たちのほとんどは自分の投影ストーリーにどっぷり浸かり、それが事実だと思い込んでいるからです。(講座で、事実と解釈を分けるエクササイズをやると毎回カオスになります。分けられない人、混乱する人続出♪)

自分の解釈を事実だと思い込みながら、真実を知る・・・というのは、けっこうな難しさでしょう。

ですが、ほんとうに難しいのは、事実と解釈を分けることだけではなく、私たちの投影ストーリーは無意識のうちに作られ、無意識のうちに潜在意識の中で形成されてしまうことなんです。

つまり、自分の中に自分がまったく気づいていない投影ストーリーがある。

奇跡のコースでは、この部分を映写機に例え、スクリーンに自分の心が投影されている図などがあったりします。

で、その言葉を引用すると、“What you project you disown, and therefore do not believe is yours. (あなたはあなたが自分のものではないとしているものを投影する、それゆえ、投影されたものが自分のものだと信じていない”

分かりやすくいきましょう。

例えば、自分に関して、「自分は気持ちが悪い」「自分は汚い」「自分の存在は迷惑」などといった思いがあったとして、これらはある日自覚的に決断して持つものではなく、育った環境や出来事のなかで無意識に持ち始めるものです。

例えば幼児虐待に見られるように、明らかに親の落ち度であっても、暴力を振るわれたら、子供はみな「自分がダメ」なのだと無意識に判断します。

このように例えば、「自分は汚い」という心の土台が出来上がってしまった場合、その思いを通して世界を見始めます。思いだけではなく、親になぐられたショック、恐れ、悲しみ、怒り、無力感など感情もパッケージとなり、歩く投影パッケージになっていきます。(歩く映写機)

ここで奇跡のコースの言葉に戻ると、本人が「自分は汚い」という思いに気づいていなかった場合(disown)、他者がそう思っている(投影)と思ってしまうということなんです。

例えば誰かに、“~~さんは、こっちよりあっちのグループのほうが合っているんじゃない?”と言われたとして、“私のことが嫌なんだ、あっちのグループへ行って欲しいんだ”といったように解釈してしまったり。

そのとき解釈だけではなく、投影パッケージが刺激され、恐れや無力感、悲しみがどわ~~と感じられます。

で、問題は、本人にとってはそれは紛れもない「事実」であり、また、無力感や悲しみ、怒りといった感情をどう処理して良いか分からないことです。

ので、家に引きこもって落ち込むか、または相手に苦手意識を持つか、または直接“余計なおせっかいだ!”、“あなたの言葉に傷ついた”と、相手を攻撃するか。

この部分、もっと詳しく書きたいのですがブログの限界です。疑問が残る方、来年の講座をぜひ受けてください♪

話を戻して、

さて、この「自分は汚い」という投影パッケージを毎日持ち歩き、他者の言動や出来事をすべてこのパッケージを通して解釈していくことで、このパッケージ自体がますます増幅していきます。

エックハルト・トールの「ニューアース」を読んでいらっしゃる方は、この投影パッケージを「ペインボディ」と読み替えてもまま同じです。

で、増幅していけばいくほど、最初は“職場のあの人は、私のことをバカにしている”から、“みんなが自分のことを嫌な奴だと思っている”に拡大していきます。

つまり、世間は自分に対して冷たくて、誰も理解してくれなくて、みんなが自分を嫌っている、そんな世間のせいで自分は苦しんでいる・・・・となっていくんです。

この状態になれば、ささいな出来事でも膨れ上がった投影パッケージを刺激し、自分の苦しみのもとを攻撃してやる!となってもおかしくないですね。

そして、苦しみのもとが「みんな、世間すべて」になっているので、「誰でも良かった」になってしまうんです。

さて、そもそもなぜこれを取り上げようと思ったのかというと、私たちはどうしても見える部分でものごとを判断しがちです。

なので、加害者が~~の障害があるから・・・・など、見える部分で理由探しをしてしまいがちです。(障害と心の状態は比例しない)

でも、ほんとうの理由は見えないところにある、つまり、その人の自分でも分かっていない心の深層にあるということなんです。

本人も自分が苦しくて、不幸感満々なのは分かっているけど、それは自分がどんな思いを抱いていて、どんな感情がたまっているのかというのは、まったく自覚できないんです。

ましてや、自分がそれを世間に投影しているなんて微塵も知らず、世間が自分に冷たいと信じ、それが「事実」だと思い込んでいるんですね。

もし、私たちが世の中から無差別殺人などいわゆる「恐ろしい出来事」をなくしていきたいのなら、もっと見えない部分、心の深層に光を当てていく必要があるでしょう。

見えないものを見る力、気づけないものに気づける力を私たちや社会が身に着けていくと良いなぁとつくづく思うのです。

☆OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)は、無意識の投影ストーリーを引出し、それを対話と受容で解体していきます。投影が解体された先には、自分の本質のエネルギーとの出会いが待っている♪

 

☆☆☆☆☆☆

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少人数です。聞きたいこと、相談したいことをお気軽にどうぞ♪

2018年6月23日(土)14:00~16:30
あゆかの部屋(オープンセッション)

心のしくみ、苦しみなどについてのお話し、
そして参加者の方にライブのカウンセリングをいたします♪

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保身に回りたくなるのは?

自分の中に理念がないと保身に回ってしまうだろうなぁ・・・と思う現在の日本の出来事。

英語で「インテグリティ(integrity)」という言葉があります。正直で強い理念があるみたいなニュアンスで、それゆえ言動に一貫性があるといった意味合いです。

かつて、バブルの絶頂期にある企業弁護士さんが、“長年の経験の中で、しっかりした理念を持った会社だけが結局生き残っている”と言っていたのを耳にし、なぜかその言葉は私の心にしっかり刻まれました。

そして今でも本当にそうだなぁとつくづく思います。

強い理念、または明白な理念というのは、その人の基軸になりますよね。言い換えれば、自分がどうありたいか?ということです。

で、ここで突然話は非二元に飛びますが、自我はうすうすどこかで自分の不在を感じているものです。

「私」を構成している思いも体も感情も「般若心経」にあるように、すべて「空っぽ」であって実体のないものであることを。

もちろんそれは、実体がないとか、空っぽだという認識で分かっているのではなく、「生きた証」を残したいとか、自分の存在意義が必要だとか、影が薄いよりも存在感があるほうが心地良いとか、アイデンティティがないと落ち着かないとか、いろいろな感覚として現れ出ているでしょう。

なので、自分をなにか確実なものにしてそれを保持したいという無意識の衝動が私たちのなかにあるはずです。

そして、この自分を確実なものにする手段として人気が高いのが、アイデンティティを持つことですね。

“私は~~である”というアイデンティティは、一見自分の存在を非常に分かりやすく明白にしてくれます。

それは地位や名誉、ステータスを身に着けることであったり、または、活躍する~~な私、優しい母親の私、頼りになる上司である自分などなど、“良い自分”になることであったり。

そして、その自分がめでたく確立されたら、当然それを保持し、守っていきたい。

“私は~~である”というアイデンティティがある意味分かりやすいのに対し、理念は目に見えるものではないので、前回のブログにも書きましたが、私たちは見えないものを見過ごしてしまいがちです。

でも、樹木に例えてみれば、根っこにあたる部分が理念で、樹木がアイデンティティやその人の目に見える行動だと思うのです。

見えないだけに、根っこを育てることを忘れ、私たちはつい一生懸命樹木ばかりを育ててしまおうとしてしまいます。

私の業界であれば、自分はどうありたいか?を忘れ、早く“活躍するセラピスト”になりたいと頑張ってしまったり。

しかし、根っこがないところに必死に樹木を育てようとしても、どこかに焦りがあるため、空回りしがちです。

しかも、もしなれなかった場合、根っこも樹木もない「実体のなさ=こころもとなさ」が露呈し、不安定でしかたなく、なれなかった自己否定も加わり、苦しさへまっしぐら。

一方、めでたく見た目が立派(社会的に地位が高い、お金がある、権力がある)な樹木(アイデンティティ)を育てられたとしても、所詮根っこのないアイデンティティなのでやっぱりとっても不安定です。

ですから、樹木の危機を感じたら、どんな嘘をついてでも絶対守りたい。必死です。

一方、理念(根っこ)があれば、例え樹木が危うくなったとしても、理念で支えることができますよね。つまり、保身よりも理念に沿った言動が出てくるということです。なので、その人の言動にはインテグリティ(一貫性)がでてくるはずです。

ので、インテグリティのないところは、ものごとの辻褄が合わず、ダラダラと問題が続き、インテグリティがあるところは明白で分かりやすいので、解決に進みやすいですよね。

ちなみに、私も自分を守りたくて、嘘をついたり、他人のせいにしてしまったことが何度もあります。ので、理念のない人はダメだよね~みたいに人を裁くつもりはぜんぜんありません。

単に心のしくみのお話です。

さて、ここまで「理念」と言う言葉を使ってきましたが、理念とは頭で作るよりもハートから生まれてくるものだと思うのです。どうありたいか?というハートの声です。

例えば、「真実の発露でありたい」、「大いなるもののしもべでありたい」、「すべての子供の母でありたい」、「表現の羽ばたきでありたい」などなど、なんでもハートに感じる思いです。

自分の中の最も静かなところに寄り添い、そこから自然に出てくる思い。

そして、それを自分の中で育てていく。日々の生活や人生の様々な場面で理念に従っていくと、現実はどうなっていくのだろう? それはある意味人生の予測できない面白さですよね。理念を持ちつつも、あとは生命におまかせみたいな。

またはときに、理念など吹っ飛んでしまうぐらい保身に回りたくなってしまうこともあるでしょう。

でも、そんなとき自分の中の何がこれほど危ういと感じているのだろう?何が攻撃されたと感じているのか?と見ていくと、そこに自分の目線を上げてくれる大きな癒しの宝庫があるかもしれません。

自分はどうありたいか? 

そこに戻れたとき、問題が何も解決されていなくても私の中に安心感が広がります。

自分が寄って立てる場所、本質の匂いがもっとも感じられるところ。

自分の中にそんな場所があると良いですよね♪

 

☆☆☆☆☆☆

ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年6月23日(土)14:00~16:30
あゆかの部屋(オープンセッション)

心のしくみ、苦しみなどについてのお話し、
そして参加者の方にライブのカウンセリングをいたします♪

◇内容◇
詳細はこちら↓
http://heart-resilience.com/number/shortseminar-201806
◇場所:弘済会館(最寄り駅:四谷)
http://www.kousaikai.or.jp/hall/access/
◇定員:80名
◇参加費:6,000円(ペイパル)
【お申し込みフォーム】
パソコン・携帯共用:https://pro.form-mailer.jp/fms/ddd9a98f86117
※開かない場合は、アドレスをコピー&ペーストしてください。

☆☆☆☆☆☆

ノンデュアリティと癒しのカフェ (キャンセル待ち募集中♪)
2018年6月16日(土)14時~16時半
場所:あうるすぽっと(東池袋)
http://www.owlspot.jp/access/
参加費:4500円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/6BKYH

地に足つけて見えないものを見据える♪

たぶん、Youtubeのおススメで出てきたからだと思うのですが、「下流老人」とか、「非正規雇用の実体」とか「若者の貧困」といった動画をたくさん見てしまいました。

お金がないがために悩み、時には自殺を考えるほど苦しんでいる人たちの姿を見ていると、私がビル・ゲイツだったら・・・・とか妄想してしまいます。

とはいえ、お金をぽんとあげてしまうことも決して答えにはならないでしょう。が、一方でコメント欄に多かった「自己責任」というのもなんか違う気がします。

また、ある種の自己啓発的には、“貧乏な思考”をしているからダメなのだとなるのかもしれませんが、なんかこれも私的にはしっくりきません。

などと、つらつらと考えているうちに、やっぱりそうだよねと思ったのです。

説明させてください。

私たちは、普段「目に見えるもの」に囚われていて、確実にあるけど「見えないもの」はスルーしがちだと思うのです。

例えば、お金がある、食べ物が買える・・・というのは、分かりやすく見えるものです。なので私の単細胞脳は、瞬間的に「お金をあげる」と連想したんですね。

ただ同時に私のハートが「違うよ~、彼らが必要なのは愛とつながりだ」とささやきかけてきました。

例えば、昔のように長屋みたいなものがあって、コミュニティとのつながりがあれば、助け合うことや分かち合うことができます。

ですが、現代の日本社会ではどちらかというと、「自分のことは自分で解決すること」という思いが強いような気がします。その流れで「自己責任」という言葉が出てくるのかなと。

自分のことは自分でという「自己責任」は一見正論のように見えるし、文字化できるし、分かりやすいですよね。

一方、愛やつながりというのは文章化し辛く、文章化すると往々にして陳腐になることさえ多いものです。

結果、文章化、見える化できないものは、スルーされたり、後回しにされたりしがちだなと思うのです。

ので、行政も本来人のためにあるはずなのに、文字化された規則の方が人より上位に立ち、人が後回しになることもしばしばありますよね。

そんな社会に生きている私たちが、自分がより良く生きるために、または生き残っていくために何が必要か?と考えると、たいていお金を蓄えるという発想に行くでしょう。なぜなら、今書いてきましたように「目に見えて分かりやすい」からです。

愛や信頼、つながりをたくさん蓄える・・・という発想はあまりないはずです。

なんだかんだいって、愛じゃ家賃払えないしね、コンビニのおにぎりさえも買えないと思うわけです。

実際、愛や信頼、つながりはちゃんと目に見える形になっていくもの(協力し合って困難を一緒に乗り越えるとか)ですが、それがイメージしきれないし、そもそも自分の発想や感覚の中に入ってこない。

でもそんなふうに、目に見えないけど確実にあるものをスルーすればするほど、私たちはものごとの全体図を見失っていきます。

目の前の起きていることだけに意識が向き、自分に見えている部分だけで判断し、狭い考えの中に落ち込んで行ってしまいますね。

そして狭い見方に陥れば陥るほど、私たちの中に犠牲者意識が芽生えていく・・・。

というのも、愛やつながり、信頼、そして自分の本質をスルーした狭い世界の中に見えているものは、分離した人々がいる分離した社会だからです。

分離感が強まれば、どうしても敵が生まれ、自己防衛にお金や正論が必要となってきます。そして、そんな社会の中の“ちっぽけな自分”はあっという間に犠牲者意識に陥ります。

この目線で人生を転換させるのは非常に難しいでしょう。

すると、今度は振り子が逆に振れるかのように、目に見えないものだけに頼ろうとしてしまうこともあります。宗教的なものやスピリチュアルなもの、または自己啓発的なものなど。

“今の現状”という目に見えるものをきちんと見るよりも、期待や未来になっているはずの象という目に見えないものだけを信じてしまう。

聞いた話ですが、お金に困っていた人がお金をもっと使うと入ってくると教わり、結果的に破産してしまったとか。

個人的にはスピリチュアルも好きですし、自己啓発もそれぞれの考えに一理はあると思っています。問題は、目に見えるもの、目に見えないもの、どちらかをまったく無視してしまうと全体像を見失なってしまうということです。

ですが、ここがある意味難しいのは、そもそも全体像をはじめから見失っているから、「~~すれば、~~になる」みたいなテクニックに頼りがちになり、そのテクニックが自分の状況に合っていないことも見えないんです。

あぁ、なんだか話がややこしくなってきました。ので、まとめると、

1)地に足を着けてしっかり現状を見ようよ。

2)自分に徹底的に正直になってみよう。どこか見たくないとかごまかしたいとかそういう思いはない? ほんとうにない?

3)心の中で誰か、または何かを敵にしていない? (支配されている、自由を奪われている、不当に扱われている、コントロールされている、etcと感じていない?)

4)自分を信頼している?

5)生命(大いなる流れ、個を超えた愛)を感じている?

実はこれらは私がよく自分に問いかけていることです。

自我の心はすぐに現実逃避したがるし、臭いものに蓋をしたがるし、誰かのせいにしたがるし、将来に不安を抱き、そして生命(=愛)という大きな流れを忘れてしまう。

それが悪いことだと言いたいのではなく、そうやっているとき、私はもれなく苦しむということです。ので、そこを見つめていくと、あぁ~そうか~と、私に見えなかったものが見えてきます。

それは私の目線自体を上げてくれ、例外なく心の平和に導いてくれるのです♪

 

☆☆☆☆☆☆

ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年6月23日(土)14:00~16:30
あゆかの部屋(オープンセッション)

心のしくみ、苦しみなどについてのお話し、
そして参加者の方にライブのカウンセリングをいたします♪

◇内容◇
詳細はこちら↓
http://heart-resilience.com/number/shortseminar-201806
◇場所:弘済会館(最寄り駅:四谷)
http://www.kousaikai.or.jp/hall/access/
◇定員:80名
◇参加費:6,000円(ペイパル)
【お申し込みフォーム】
パソコン・携帯共用:https://pro.form-mailer.jp/fms/ddd9a98f86117
※開かない場合は、アドレスをコピー&ペーストしてください。

☆☆☆☆☆☆

ノンデュアリティと癒しのカフェ (キャンセル待ち募集中♪)
2018年6月16日(土)14時~16時半
場所:あうるすぽっと(東池袋)
http://www.owlspot.jp/access/
参加費:4500円
【申し込みフォーム】
https://www.form-answer.com/applications/6BKYH