コロナウイルス、本質が教えてくれること♪

私が3月10日にイギリスを発った時、イギリスの日常生活はまったくいつもと変わらず、空港では、“東京に行くんだ、ウイルスに気を付けてね”と空港スタッフに言われたぐらいでした。

ところが、その2,3日後から事態が変わり始め、2週間経った今、とうとうイギリス全土がロックダウンとなってしまいました。ジョンソン首相は昨晩、“私は皆さんにとてもシンプルな指導を伝えます。あなた方は家にいないといけません。”と語り始めました。

必需品の買い物と一日一時間の外でのエクササイズ(これも一人でやる)、買い物も他者との距離を2メートル置く。もし、不要な外出をしたら警察がパトロールしているので、罰金。

ビジネスもすべて営業停止、但し、従業員を雇い続けている会社は、従業員のお給料の8割を国が負担する。(←これ素晴らしい!でも、私みたいなフリーランスは?あとでググってみよう)

何が言いたいかというと、崩れ始めるとものすごいスピードで今まで築き上げてきたものが消えていくということです。それは地震や津波も同じですね。何十年という町の営みを一瞬にして破壊します。

私の友人はロンドンで20年以上お店を経営していますが、都市封鎖が終わった後、またビジネスを再開するのは不可能だろうと言っています。

振り返って日本は、唯一まだ日常が保たれている国ではありますが(しかし、オーバーシュートはなにかのきっかけであっという間に始まる)、それでも経済への打撃は大きく、コロナウイルスによる痛みは避けられないでしょう。

もちろん、私は無用に人を怖がらせたいのではありません。そうではなく、こういうときにこそ、物事の本質を見極めて行きたいなと心から思うのです。ということで順番にお話させてください。

まず一つはもともとすべては不確定で、ほんとうの意味で分かっているという状態はないこと、また将来も予想することがせいぜいで、いつも先のことはまったく見えていないということです。

つまり、私たちは常に未知の状態にあるよねということです。

ですが、ある意味私たちが一番恐れを感じるのは、未知であること、方法が分からないこと、正体が見えないことですよね。

もし、いついつまでに終息するとか、どうなるか分かっているとか、ウイルスの性質が解明されているとか、インフルエンザみたいに、毎年何万人が亡くなっても、必ず終息すること、またどう終息するか見えていれば、そこまでこのウイルスに脅威を感じないでしょう。

私たちは常に未知の状態にありながら、あたかも知っているかのように振舞い、世界は未知であるという真実を突き付けられると恐怖におののきます。

そしてまた、私たちはものごとは同じように続いていくという幻想の中に生き、そこに安心感を得て、またそうありたいと強く願うものです。なので、政治でもとりあえず現状維持が見える政権を選びがち。

ですが、もう一つの本質は、ものごとは常ならず(無常)だよと私たちに教えてくれます。変わっていくことに抵抗しても無駄だよ~ということです。しかし、私たちは突然の変化にパニックになりやすく、不安の渦が社会全体を覆ってしまうものです。

長く築き上げてきたものが崩される、自分の生活が壊される、蓄えていたものを失う・・・。どれも私たちの生存を脅かす恐ろしいことです。ですが、あったものは必ず消えていくのが常であり、同じ生活が続くほうが幻想ですよね。

もしかすると、ここで自分という存在や世界がとても不安定なものに感じられたかもしれません。

でもここからが大切。本質は、私たちは変化の中にくるくると振り回される小さくて無力な存在ではなくて、変化そのものだよとも教えてくれています。たとえ無一文になっても、あなたはまたそこから新しい変化(創造)を作り上げる存在であるよと。絶えることのない生命のエネルギーがあなたであるよと。

そして最後の秘密は、私たちはもともと自分の人生のかじ取りをしていないということ。

これは無力な存在ということではなく、生命のエネルギーというゆるぎないものに任せて良い(サレンダー)ということです。常に変化するということは、言い換えれば常に何かが新しく生まれるということ。

私たちが絶えることのない生命のエネルギーであるということは、すべてを失ったように見えても、無限のエネルギーという無尽蔵のパワーなかにいるということですね。だから、今の自分、これまでの成果に執着しなくて良いということ。

もし私たちが本質の自分に寄り添うことができれば、破壊は必ず新しく生まれるものの祝福へと変化するでしょう。

ということで、地に足を着けて、分からないことを良しとして、今というときに寄り添い、自分と生命を信頼しながら、目の前の生活や出来事に粛々と対応していく。

それだけしかできないし、それで充分♪

 

※もちろん、人が生きて行けるように、事業が倒産しないように最善の政策を智慧を出して守っていくなど、やれることをやった上での話です。

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

空と色のセミナーは両講座とも満席となりました。ありがとうございます♪

今後のセミナーの案内を希望する方は、こちらにご記入ください。↓

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愛に飢えて愛を拒否する

無力感や犠牲者意識のある意味すごいところは、他者の優しさや親切も“自分は不当に扱われている”と歪んで解釈してしまうことだなぁとつくづく思うのです。

例えば、無力感が強いと無意識に他者が自分によくしてくれること、自分が思うように動いてくれることをものすごく期待してしまうんですね。そうでないと自分は生き残れないので。そして、その期待が“してくれないと困る”に変化してしまい、助けてもらっても、その人の中ではやってくれて当たり前みたいに感じてしまいます。

しかも、助け方が自分が思うようなものと違うと、ここで犠牲者意識が顔をだし、私は分かってもらえていない、私は尊重されていない、お前は間違っているみたいな気持ちに満々になったりします。そして、相手に不満をぶつける。大人の場合、めっちゃ正論を持ち出してきます。

そして、これらぜ~~んぶ無意識です。

一方助けたほうは、時間を割いて手を差し伸べたり、または金銭的な援助をしたにもかかわらず、文句を言われたり、悪者扱いをされてしまったりするわけです。そうなれば当然、もう関わらないという決心をしてしまうので、その人から離れて行ってしまいますよね。

私がいまでも時々思い出しては心の中で謝っている出来事があります。20代後半の頃、長時間労働の超安月給で家賃を払うといくらも手元に残らず、お金に苦労していたため、自分は会社と社会の犠牲者だと満々に思っていました。

そんなとき、住んでいた建物が打ち壊されることになり、引っ越しを余儀なくされてしまいました。大家さんはきちんと立退料を払ってくれた(額は覚えていませんが、かなり良心的な額だったという記憶)のですが、そのとき、私はその好意を当たり前だと感じ、自分は立ち退きの犠牲者だと思い込んでしまいました。

ので、せっかく大家さんが自宅に呼んでくれて、相当な額を現金で渡してくれたのにもかかわらず、私はずっと仏頂面でいたのです。大家さんの良心(愛)を完全に無視した行為です。

こうやって、無力感や犠牲者意識は、愛を完全に見失い、マイナスな点だけがクローズアップされ、さらに犠牲者意識を膨らませていきます。

そんな状態はやはり生きづらくてたまらないので、セラピーを受けに行ったり、スピリチュアルにはまったり、または悟りを求めたりする人もいるでしょう。(またはネットで攻撃相手を見つけてぶつける)

ところが、この犠牲者の思いが強すぎて、セラピストやティーチャーにも同じような投影をしてしまいます。そこでまた絶望し・・・という苦しみのスパイラル。

また、普段感謝の心がいっぱいあって、愛を感じていたとしても、他者の言動や出来事によって、同じ負のスパイラルに陥ってしまうことは誰にでもあります。

特に私たちは自分が期待していたものと違う言動を相手がとると、えっ、なんで?、どうして分かってくれないの?どうしてそんなふうにするの?と、割と簡単に犠牲者意識に転げ落ちるものです。とくに、その期待が自分にとって大切なことだったりすると。相手は意外に良かれと思って行動しているかもしれないのに。

ちなみに、犠牲者意識を持ってはいけないとか、克服しなければいけないとか、そういう話ではまったくありません。自我にとってそれはほぼ無理です。そうではなく、犠牲者意識のしくみを知って、苦しくないほうへ自分を持っていきませんか?というお誘いです。

さて、相手の言動は100%相手に属しています。たとえ、どんなひどい言葉を自分に吐いてきたとしても、その言葉がその人の口から出たということは、相手のものですよね。

もし、今誰かに“お前の母さん、でべそ~”と言われても、不愉快だとは思いますが、犠牲者意識に陥ることはないでしょう。なぜなら、それは相手の問題だし、相手がそういう思いを持っていると分かるからです。

まったく同じように、“あなたは空気が読めなくて困る”と言われたとしても、それは相手の思いですよね。が、犠牲者意識は、それを“空気が読めないって言われた~~”と自分事、自分のものとして受け取ってしまうんです。

しかももし密かに“自分は空気が読めない”と思っていたとしたら、図星過ぎて痛くてたまらないでしょう。たちまち被害者意識が大発動です。

でも、しくみをきちんと理解していることで、被害者ストーリーに巻き込まれず、なぜそこに被害者意識があるのかを見ることができるんですね。

で、見て行くと、そこにはもれなく愛に飢えた思いがあって、その思いを理解し、受容してあげます。ので、癒しとは「奇跡のコース」が言うように、愛を防いでいるものを取ってあげることだとつくづく思うのです。

というのも、私たちは愛という大海の中にいつもいることが真実だから。

愛に飢え、愛を見失った犠牲者意識から愛へと目覚めて行くことも、一つの目覚めですね♪

 

 空と色のワンデーセミナー in 東京 

本質である私(空)と個である私(色・しき)について改めてガッツリ知ってみよう♪

詳細とお申込みは、下記のセミナー詳細をクリックしてご覧ください。

セミナー詳細はこちら

【日 程】
● 色(しき)のセミナー:2020年4月25日(土)10時半~16時半
自我のしくみを知ろう!(残席4名)

● 空(くう)のセミナー:2020年5月16日(土)10時半~16時半
(キャンセル待ち募集中)

【場 所】
早稲田奉仕園(地下鉄東西線早稲田駅)
https://www.hoshien.or.jp/map/

【参加費】
一つのみ参加の場合: 9,000円
両日とも参加の場合:16,000円

 

※コロナウイルスの影響が数週間前よりもだいぶ広まってきているようです。開催は春ですので、政府が集会一切禁止といった処置をとらない限り開催いたします。しかし、万が一開催できない場合は、それぞれ4回のオンラインセミナーに変更いたします。詳しくはお申込みの際に自動返信に掲載してあります。

それ、ストーリーです♪~苦しいものほど幻想~

こちらのブログ以外に「気づきのダンス」というブログも書いているのですが、だんだん二つを区別するのが難しくなってきた今日この頃です。

とはいえ、心の苦しみをマスターや非二元のティーチャーたちに訴えている人を見ると、真実が最終的に人を苦しみから解放するとしても、かなりの場合、悟りや非二元よりも癒しを目指したほうが早いなぁと思うのです。

苦しいということは、ものすごく簡単に言えば、歪んだ思考にはまっているということですね。そして、問題は自分の思考が歪んでいるとは微塵も感じられず、それが現実だと思ってしまっていることなんです。(みんなやっています。わたしもやっています)

例えば、“自分はずっと仕事もしていないし、家族の負担になっているだけで、まったく役に立っていない人間だ、そんな自分が生きていても価値があるのだろうか?”と毎日、悩み、苦しみ、鬱っぽくなっていたとします。

この人にとっては、仕事していないという思考もぜんぶが紛れもない事実なわけです。で、これを事実だとした上で考え方や見方を変えようと努力したり、「私はいない」というメッセージを利用して、役に立っていない自分なんて本当はいないから大丈夫♪みたいに思おうとしたりしてしまいます。

でも実はこれは、かなり無理があります。なぜなら、やっぱり自分の思考を信じているからです。

ところが、例えばバイロン・ケイティ風に、“自分はずっと仕事をしていないってほんと?”、“家族の負担になっているってほんと?”、“まったく役に立っていないってほんと?”とじっと思考を見て行くと、思考がいかに大雑把であって、また刷り込まれた思い込みまみれで、ありのままに対して物語を作っているだけかが見えてくるはずです。

ちなみに“自分はずっと仕事をしていないってほんと?”という問いに、“たまにはしていた・・・”とか、そういうことではありません。それでは、同じストーリー上にいるだけです。

ありのままに実際に起きていることは、“自分が家にいる、自分が食事を作っている、自分が・・・”という淡々と動きの連続が起きているだけです。

でもここで、「人は仕事するべきだ」「働かざるもの食うべからず」とか、社会全体の深い深い刷り込みがあるから、“仕事をしていない”というストーリーが生まれてくるわけです。そして苦しむ。

私が癒しのほうが早いというとき、セラピストさんがちちんぷいぷいと癒してくれるという意味ではなく、自分を徹底的に見つめたほうが早いということなんです。

仕事をしていないという思考を事実としたまま、マスターやティーチャーたちの言葉を聞いても、この歪んだ解釈が邪魔することはとってもありがちです。また、悟りや非二元に対しての思い込みもガッツリ持っていたりするものです。

なので、もし苦しみから抜け出すことが目的なのであれば、自分の内側を見て行く作業のほうが圧倒的に早く、効果的だろうなと自分自身の体験からも思うわけです。

ただ、難しいのは、潜在意識に抱えている思い込みの量のほうが圧倒的に多く、また自分の気づいていない思いに自分が気がつくこと自体が非常に難しいことです。

かつてイギリスでカウンセラーの資格を取るために、私は一年間に50セッションを受けたことがあります。必須課題だったので、仕方なく受けた始めたのですが、受けてみると、ものすごい思い込みの数々・・・・。

顕在意識(気づける思い)のレベルだけでも、そうとうな思考量と思い込みとストーリーがぐっちゃぐちゃにありました。(私はこれを思考の樹海と読んでいます)

これで思考の樹海はかなり整理されましたが、カウンセリングだけではなかなか潜在意識の深層までたどり着けません。ので、その後、いろいろなセラピーを学び、自分でも「気づきの問いかけ」を編み出し、かなり深い自分の心層まで行けるようになりました。

さて、今まで自分がまったく気づいていなかった部分を、私はよく「置き去りになった自分」と言ったりします。というのも、苦しみを生み出している部分は、必ず愛を求めているからです。

ずっと愛を求め続けて、まったく気づいてもらえず、抑圧されたままで、絶望や孤独に陥っている私です。

例えば、依存症や摂食障害といった症状も、たいていはこの「置き去りになった自分」の叫びが引き起こしています。

また、愛を求めているということは、言い換えれば自分否定があるということですね。自分否定が強ければ、自律神経も交感神経モードになりがちです。つまり、誰かが自分を攻撃する(批判する、責める、文句を言う、認めてくれない、排除する、などなど)という恐れと、だから自分を守る(人と会わない、心を開かない、などなど)というのが普通の状態になってしまったりします。つまり、生きづらいという状態です。

そして自己否定が強いほど、自分を見つめることにも大きな恐れが生じてきます。大っ嫌いな自分なんか見たくない、情けない自分なんか見たくない・・・・。

自分を見つめたくないとき、つまり内側に行きたくないとき、私たちは当然外に求めていきます。

すごいマスター、すごいメソッド、すごい何かで癒されないだろうか・・・・。

または、人生を自分の思い通りにすること、何かを得ること、環境を変えることなどなど。

でも、自分を見つめて分かってくるのは、ダメな自分とか情けない自分というものは単なる思い込みだったということです。決してダメな自分を良い自分にすることではくて。

さて、「仕事をしていない自分」に話を戻すと、この思いが苦しみを生み出しているのなら、そこには必ず「置き去りになった私」がいます。なぜなら、自分に価値があると思っていれば、仕事していない自分もぜんぜんOKです。お金が必要であれば、どう対処するか考えるだけですね。

問題=対処するものであって、問題=苦しいではありません。

ので、その置き去りにされた私と対話すること。

愛に飢えて孤独と絶望にいる部分に気づき、理解し、受容してあげること。このとき、はじめて握りしめていた「仕事をしていないダメな自分」というストーリーが崩壊して行くんです。

つまり、事実ではなくて幻想だったと“経験的に”分かるんです。癒しとは、事実が幻想として崩壊していくこと。

そして、崩壊した先にありのままの空間、私の本質である気づきの意識と出会うこと。

本質は思っているよりもうんと身近にありますね♪

 

 空と色のワンデーセミナー in 東京 

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【日 程】
色(しき)のセミナー:2020年4月25日(土)10時半~16時半
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【場 所】
早稲田奉仕園(地下鉄東西線早稲田駅)
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【参加費】
一つのみ参加の場合: 9,000円
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投影と思考の現実化は似て非なるもの

投影という言葉から「思考が現実化する」という話だと勘違いする人はけっこういらっしゃいます。でも、これらは基本的にぜんぜん違う話なんです。

とりあえず、思考が現実化するのかどうかと言えば、人はたいてい自分が考える通りに行動するので、行動すれば結果につながり、そういう意味では思いは現実化するでしょう。

ただ、私たちは表面的な思いより潜在意識の思い(無意識のビリーフ、価値観、思い込み)のほうにより沿って行動しています。ので、一見自分の思いとちぐはぐな結果を得ているように見えることはよくあります。

そこであなたの思いが現実化しているのですよ・・・というのは、ある意味有効です。

でも、自分の思いが目の前にある現象すべてを作り出していると思ってしまったら、そこは少し気を付けないといけません。

インテグレイテッド心理学では、事実と解釈に分けるエクササイズを必ずします。例えば、夫が家事を手伝わないという悩みがある人の場合、たいていはそれが事実だと思っているんですね。

ですが、実際に旦那さんが何をしているのか?とお聞きすると、例えば夫はリビングでテレビを観ている、だったりします。つまり、現象としては「夫がテレビを観ている」が起きているんです。

それを“家事を手伝わない”と解釈しているんですね。もちろん、自分は子育てでいっぱいいっぱいだ、または共稼ぎで自分も仕事で疲れている、などなどそう解釈する理由はあるでしょう。

現象自体は、「夫がリビングでテレビを観ている」ですが、自分の気持ちとして手伝って欲しいと思っているだけですよね。

まったく同じ現象に対して、夫は働きすぎだ、健康が心配だと思っていたら、手伝わないという解釈ではなく、今日は残業がなくて良かったという解釈になるかもしれません。

ポイントは、現象はそのときの自分の事情や思い込みでいかようにも解釈されるということです。

ので、思考が現実を作るという以前に私たちは、そもそも現実(現象)を自分の思い込みや事情を通して歪んでみてしまっていて、たいてありのままを見ていなんですね。

例えば、ぜんぜん嫌われていないのに、自分は嫌われていると思い込んでしまっている人など見かけたことはないでしょうか?

その人にしてみれば、嫌われているは現実なわけで、自分はAさんに嫌われるという現象を生み出したと思ってしまうかもしれません。そして、自分はAさんに嫌われているという現実を生きていると思い込む。

こんなふうに私たちが現実だと思っているものの99%ぐらいが自分の解釈です。いやいやもっと事実を正確に捉えているはずだと思った方は多いでしょう。でも、がっつり吟味してみるとほとんど自分の解釈だらけです。

なので、バイロン・ケイティのザ・ワークは、どんなテーマに対しても、“それはほんと?”という質問で始まります。それぐらい私たちは常に解釈しかしていないからです。

ちなみに事実と解釈を分けるエクササイズでも、最初は自分の解釈をどうしてもそれは事実だと言い張る人続出です。それぐらい私たちは自分の解釈(投影)の中に生きているんです。

ので、まずは自分の投影にワークをし、それは事実ではなく自分の思いだったと認識し、その思いが出来てしまう大元を見つけ、そもそもそういう解釈が出なくなるまで癒す。

そのとき初めて、自分の思いと事実の区別がはっきりできてきます。ありのままの事実が見えてくるんです。そして、たいてい事実は中立で平和です。

また例えば、妻と娘を交通事故で失った夫にそれはあなたの思考が生み出した現実です、とはとても言えないですよね。言えないだけではなくそもそも間違っています。

ある一つの現象は、そこには関わる人すべての思いや感情がタペストリーのように関わり合って生まれているはずです。

ティク・ナット・ハンの本の中に(どの本だったのか記憶にないのですが)、私たちが食べるパンはパン職人や小麦粉を作る人や小麦を育てる人が関わっていて、私たちはそういったつながりのなかに生きているというようなことが書かれていました。

パンを食べるというシンプルな現象にも大勢の人の思考が関わっているんです。思考だけでなく、様々な感情やパッションも。

私の人生もいろいろな人と関りを持ちながら、交響曲のように出来上がっていて、音楽のように常に流れ、変化しています。

さて、実はある意味ここからが本番です。

思考が現実を作るという場合、その前提が「分離した個が思考で現象を生み出す」になっています。私という分離した個の存在が自分の思考で現象を創り出すわけです。

でも、分離した個の存在というものが、そもそも実体のない幻想だとしたら?

また、自分は分離した個の存在であって、体と思いと感情の存在であると信じ込み続けることが、ほんとうに救いや幸せ、平和に行きつくのでしょうか?

それよりも、自分が分離した個であるという夢から覚めることが、真の平和につながるのでは?

あゆかを創造したのは、あゆかの思考ではなく、生命のエネルギー、本質である私(I AM)です。その無限の生命のエネルギーとして私は深く考え、深く感じ、愛をベースに生きているか? 自分の思考を見張るより、その問いを自分に投げかけていきたい。

そしてもし、真の平和を求めるのなら、自分の思考を見張るよりも、たぶん本質を知ることなのだろうと思うのです。

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

今年からインテグレイテッド心理学は1年間のオンライン講座となります。

また、ノンデュアリティと癒しのカフェオンライン講座も予定しております。

詳細はまだ未定ですが、講座のご案内希望される方はこちらへ。↓

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失敗しても、間違えても、幸せになれる道♪

今年を振り返ってみても、たくさん間違えました、失敗しました。

そして、たぶん来年も間違えるし、失敗するけど、でも同じだけ間違えても2倍以上良い年にするコツをシェアさせてください。

ヒントは“頑張るポイントをシフトする”。ということで、

例えば、

失敗する、
間違える、
勘違いする、
誤解して誰かを責めてしまう、
誰かを傷つけてしまう、
などなど、

私たちはこういうことをしてはいけません、と教わっていますよね。
確かに、人を傷つけるということはできるだけ避けたほうが良いに違いありません。

でも、私たちはどうしてもぜんぶやってしまうというのも事実です。特に誰かを傷つけるというのは分かりにくく、自分ではしていないつもりでも相手が傷ついてしまっていることはよくあることですね。

例えば、親子の場合でも、子供に良かれと思ってやった言動に子供が自分の気持ちを否定されたと感じて傷ついてしまう・・・など、どの家庭にもあるかなと思うんです。

何が言いたいかというと、私たちはどうしても間違えたり、失敗したり、気づかぬうちに誰かを傷つけたりをしてしまう、完ぺきな人間として人生を終わらす人はいないという事実にまず目覚めたほうが良いかもということなんです。

なので、間違えないように頑張るよりも、間違えたという事実を認めるように頑張る・・・のほうが建設的だなぁと思うんです。

“間違えることは悪いことです。人間失格です・・・・”、みたいに教育されてしまうと、自分が間違えたという事実を認めにくくなりますよね。

特にもともと自己価値が低ければ、自分が間違っているなんて絶対認めたくことです。ので、うすうすどこかで自分が違うのかも?と分かっていても、絶対相手が悪いことにし続けてしまうでしょう。

私も自分が嫌になるほど、年中間違えたり、失敗したり、誤解して誰かを悪く見てしまったりなどなどしています。後で分かって、もう手を合わせて謝るしかないみたいな。

で、昔は自分の間違いを認めるのが痛すぎて、速攻で蓋をしていたものです。ですが、今は潔く?速攻で認めちゃいます。でも、そのおかげでめちゃくちゃ楽になりました。

自我は間違えない人でいるこで自己価値が保てて、安泰だという勘違いをしてしまいますが、実際は間違いを認めることで真実が瞬足で味方になってくれるんです。

真実が味方になる・・・ということは、自動的に真実の持つゆるぎない力強さ、受容、平和が自分のものになるということですね。

ので、温かい懐に落ちたような楽さを感じます。

振り返ってみると、この自分が何かまずいことをしたという「罪悪感」は、いろいろな感情の中で最も向き合いにくいものかもしれません。

怒りや悲しみといった感情よりも、罪悪感はある意味自己否定に直結する分、とっても難しい。

でも、罪悪感を抑圧すると、ほぼもれなく罪悪感を感じさせる相手に嫌悪感を感じるようになり、相手をさらに攻撃し始めます。

例えば、離婚した人が実家に戻り、しばらく両親の世話になるという場合。離婚という失敗をした自分、親に迷惑をかけている自分という風に思ってしまった場合、その罪悪感に向き合いたくないから蓋をしてしまうと、逆に親を責めてしまう・・・みたいな。

で、そんな自分がまた嫌になり・・・という悪循環に陥っていく。

でも、もし“自分は自分の人生をうまくやっていけなかった”(←もちろん、これも思い込みで、離婚は失敗ではありませんが)と心から受け止めてしまえば、とりあえず悪循環は終わります。

そして、自分を許してあげるんです。これも心から。許しているフリではなく。

よく罪悪感をなくしてしまうと、また同じことをしてしまうのではないか、他者に対して傍若無人になってしまうのではないか?とおっしゃる人がいます。

が、ポイントは、間違いを「認める」にあります。罪悪感をなくして、なかったことにするではないんです。

認めて、許して、罪悪感を手放す。悪循環を断ち切る。

間違いを素直に認めている人を攻撃するのは難しい、というより、助けてあげようかなぐらいに人はなるものですよね。だから、みんなが優しくなれる。

ということで、年末の大盤ぶるまい、

あなたの(私の)間違い、
勘違い、
誤解、
無知、
理解不足、
他者への批判、攻撃
知らずに傷つけてしまったこと

ぜんぶ、まとめて認めちゃいます!
そして、ぜ~んぶまとめて許しちゃいます!

来年もきっとまた間違えるでしょう、失敗するでしょう。
でも、今度は心から認められるから、許せるから、
来年は真実ともっと近く歩めるはず。

真実の懐を感じながら、そのうち存在の温かい懐のほうが、
自分だったと気づくまで♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

本質の自分を年明けに一緒に本質を感じてみませんか?

お部屋変更しました 参加募集中

日程:2020年1月5日(日)13時半~16時
場所:あうるすぽっと(有楽町線東池袋)
https://www.owlspot.jp/access/
参加費:5000円

申し込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/9EKAF

私はどうして今の私?~無意識からの目覚め

私たちは心身のどこかに不調をもたらすと、たいてい“自分のどこかがおかしい”って思いますよね? ある意味そうなのですが、実は体も心もある意味プログラム通りに動いているだけなんです。

自律神経の新しい機能(ポリヴェーガル理論)を発見したポージェス博士は、「身体の反応に悪い反応というものはない」とその著書に書いています。

例えば、トラウマを経験すれば、自律神経がシャットダウンという自己防衛モードにスイッチします。なので、トラウマが解除されない限り、エネルギーが下降気味になり、体が重く感じ、気持ち的にも憂鬱になっていきます。

また同時に警戒モードが高まるので、少しでもトラウマに似たような事柄が起きると、それがトリガーとなり、例えば心臓がバクバクしたり、不安や怒りが強くなったり、死にたい気持ちになるような強い鬱反応がでたりします。(めちゃくちゃ大雑把に書いています)

私たちはこういう自分をダメだと感じてしまいがちですが、体としては当たり前の反応をしているんですね。なので、症状が出るまでの一連の流れを見てみれば、納得のいく流れがそこにあるわけです。

そしてこれは、心もまったく同様で私たちはつじつまが合わない行動はとらないんです。

つまり、私たちが苦しいと感じるとき、なんだか人生がうまく行かないとき、自分のどこかがおかしいから苦しんでいるのではないんです。

人の意識の94,5%は潜在意識だと心理の世界では言われていますが、経験上ほぼあっている気がします。ということは、私たちの意識の膨大な部分が私たちが気がつかない心の動きに支配されているわけです。

例えば、表に見える部分が地上に見える花の分部だとしたら、地下の根っこや根っこの形が潜在意識の心の分部です。そこには目に見えるよりもうんと大きくてあちこちに広がり、絡み合い、複雑化した心の体系があるわけです。

そして、その複雑な体系(プログラム)に沿った行動だけが表に出てくるんです。どんな言動もです。

例えば、殺人という極端な例を挙げてみましょう。まず間違いなくすべての人が殺人は悪いこと、罰せられることと分かっていますよね。というか罰がなくても、人を殺すのは良くないことだと多分本能的に私たちは知っているでしょう。

しかし、例えば、相手は自分の夢を奪った→そんな奴に生きている存在価値はない→天に代わって罰する、みたいな心の流れは、本人的にはつじつまが合っているんです。

でも、自分の夢を奪われたと思った人が全員相手を殺すわけではありませんよね。ということで、その人の心の深いところをもっと見ていくと、例えば、

小さいころから母親は自分の思いを聞かず、すべて決めてしまっていた→私の気持ちは重要ではない(怒り、無力感)→理解されていない→母親とつながりを感じない(愛の飢え、空虚感)→何かで埋めたい→なんとか自分の好きなものを見つけて満ちた感覚が欲しい→やっと見つけた夢にすがりついていないと私はダメになる・・・・

みたいな、もしこういった心の流れがそもそもあった場合、可能性として、

① 相手は自分の夢を奪っていないが、母親を投影してしまうので奪われたように感じる

② ほんとうに自分の夢実現の邪魔をされたが、相手に母親を投影するので、憎しみが倍増。

いずれにしても、相手に母親を投影しますので、相手には母親に対してたまりたまった様々な感情、抑圧されてきた怒りや無力感、寂しさ、虚しさなどぜんぶ感じてしまいます。そういった感情に支配されてしまえば、理性よりもそれらの気持ちを処理するほうが優先となってしまいます。つまり、それらの感情の原因である(勘違いだけど)相手をつぶす。

一方、そういった心の流れがない人は、腹は立つけど、仕切り直してやり直そうと比較的楽に心を切り替えられるかもしれません。

例えばやはり頭では悪いと分かっている依存症なども、その人の中にこのような心の流れがあれば、どうしても衝動は生まれてしまいます。

逆に言えば、どうしても麻薬への衝動が出てきてしまうのなら、まだその人の心の中にそれを生み出すなんらかのつじつまが合う心の流れがあるからです。そしてそれにマッチする身体の連携。ぜんぶ無意識の領域であり、そういったことを無視して意思の力でどうにかしようとしてもほぼ無理です。

ちなみに英語ではこの心の苦しみを生み出す心の流れを“コヒーラント”(一貫性、つじつまなど)と言ったりもしています。

そしてこれは、特定の症状や言動だけではなく、私たちの人生一般のすべてに現れています。職場の人間関係、夫婦関係、仕事選び、恋愛、お金の問題などはもちろん、洋服の好み、ものごとを選ぶ基準、日々の癖や習慣などなど。

自分がなぜそう感じるのか?なぜそのような言動をするのか?、同じ経験をしても、なぜほかの人は違うように感じて、違う言動になるのか?は、この心の深いところにあるパターン(つじつまが合う流れ)が人それぞれ違い、みなそれに沿った行動をしているからです。

ただもちろん、持って生まれた性質もあり、例えばエニアグラム(超おススメ)など、もともと生まれ持った資質も絡んできます。

例えば私はタイプ9なので、平和でいたいという欲求が他のタイプよりも強く、喧嘩が始まるとその場から去ってしまうタイプですが、タイプ8なら逆によっしゃ~っと入っていくでしょう。(タイプ9も健康レベルになれば、仲介役としての能力を発揮します)

なので、もともとの性質と育った環境で出来上がった心のパターンがブレンドし、同じ家に育った兄弟でも心の深いところにある流れは違ってきます。

しかも、こういった心の動きは体とも連携していて、自律神経が反応したり、脳に回路が出来たり、無意識のうちにさまざまなその人だけのユニークな心身の形が出来上がっていきます。人間というのは私たちが思っている何十倍も複雑な生き物なんです。

そしてこれらはみな“自然に”出来上がっていくもので、誰も意識的に作り上げているわけではありません。

ということで、まずは自分が苦しいと感じているとき、自分のどこかが悪いわけではない、そしてそれを自分で解決できなくてもそれは自分が情けないからではないということです。

OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、この心の深層にある思いや感情の流れをなるべく正確に引き出し、セラピーで解除することを目的にしています。なので、セラピストの考えや分析は入らないほうが良いんです。

自分と向き合うということは、自分というユニークな現れの構造を知っていくということ。それは無意識のパターンではなく、自分の意思で生きる始まり。そして自然に出来上がっていく過程で自分を守ろうとした自分と出会っていくこと。

入り口は苦しくても出口はとっても優しく力強い♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

本質の自分を年明けに一緒に本質を感じてみませんか?

お部屋変更しました 参加募集中

日程:2020年1月5日(日)13時半~16時
場所:あうるすぽっと(有楽町線東池袋)
https://www.owlspot.jp/access/
参加費:5000円
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ハートの声の勘違い、ハートの声って?

ハートの声を聞こうという話は、よく聞くと思うし、私も何度もこのブログで書いています。が、分かりにくいと思う人も多く、今日はちょっと違う角度から。

まず、それなりにあるのが、思考のワクワクをハートのワクワクと勘違いすることです。例えば、“素敵なカフェを海が見えるところに作る”とか、“外国で通訳として活躍する”みたいな。これは、思考のワクワクですね。

思考というのはストーリーを作る性質があり、そして思考にはたいていいつもイメージがついてきます。そしてそのイメージが楽しいから当然ワクワクします。でもそれは、例えば不安なストーリーを描いて怖くなるのと同じレベルのただの空想、実体のないものです。

一方、ハートとは“深く感じるもの”で言葉(ストーリー)を持たず、時間も空間もありません。

また例えば、“外国で通訳として活躍する”の場合、ワクワクするかもしれませんが、“それが実現していない私”も必ず同時にいて、そのギャップがうっすらと焦りや欠如感を生みます。

しかも、思考が作り出すストーリーはただの幻想なので、現実を完全に無視してしまっています。なので、例えば外国に住み始めると、こんなはずじゃなかった・・・というギャップに思い知らされてしまったり。

ですが、ハートの声(感覚)は、今まさに満ち満ちて嬉しい、涙が出てきて温まるような感覚です。

多くの人にとって、思考のワクワクは分かりやすいのですが、では、どうやって感覚であるハートの声が聞けるのでしょうか?

聞けるといっても、それはもちろん比喩でハートがほんとうにしゃべるわけでもなく、言葉として聞こえるものではありません。“明白かつ深いところで感じる”ものです。

ということで、例えば、まず自分が自然に無理なく興味があるものを思い浮かべてみます。

美味しい食べ物を食べるでもなんでも良いんです。で、その中でどんなことに一番喜びを感じるか?と探っていくんですね。この場合、食材の組み合わせにワクワクしているだとします。

では、その食材の組み合わせのなかで何が一番面白い、またはワクワクすると思っているのか?と見てみると、食材という自然のものの組み合わせ、自然と人間のコラボに一番ときめきを感じているかもしれません。

では、人間と自然のコラボの何が一番ワクワクする?と見ていくと、“生命との共演”という言葉が出てくるかもしれません。

もしこれがヒットすれば(=ハートの声であれば)、この言葉がでたとたん、きゃ~~、楽しい!とその瞬間に感じるはずです。意味もなく嬉しいとか。

でも、この言葉はとくに具体的なストーリーもなければ、時間も場所もありませんね。もう今すでにとにかく良い感じ~♪

また、いつもすでに自分の中にあるものですから、現実とのギャップというのもありようがありません。

そして、これだ!ここが私がいつもいたい場所だったと思いだせるものです。わけもなく楽しい感覚、状況に関係なく自分の中から引き出せるもの。

そして、その感覚から発する衝動がもっとも自然に自分らしい人生を生み出しますよね。

私のハートの声は、書くとこっぱずかしいですが、子供のころからずっと“真実を知りたい、真実に抱かれていたい”です。

たまたま私の衝動がセラピストをさせていますが、仕事は何でも良いんです。人によって同じようなハートで科学者になるかもしれません。

また、もう一つそれなりにある勘違いが、例えば、仕事を辞める、辞めないと悩んでいるとき、どちらにするかをハートに従って決めるということ。AとBの選択肢のどちらかを決める基準にハートの声を使うなどです。

この勘違いをしている人は非常に多いような気がします。ですが、ハートの声とは基本的にどちらかを選ぶためのものではありませんね。

何かを対立させて一つを選ぶというのは思考の仕事でハートの性質ではないからです。ましてや何かを否定して、反対を選ぶというは、まったくハートの性質に反します。

しかも、ありがちなのは、辞めることにも辞めないことにも自分の分厚い投影(思い込みや解釈)やストーリーがくっついていて、投影と投影のはざまで揺れ動いているだけだったりします。その場合、ハートの声を聞いても、あまり意味がないというか、投影まみれすぎて真に感じるのはほぼ不可能です。

では、迷っているとき、何か決めなくてはいけないとき、どうしたらハートの声が聞こえるのでしょうか?

それには、例えば仕事を辞める、辞めないというテーマにおいて、どっちか?と自分に尋ねる前にまず、“自分としてどうありたいか?”、“どうあるのが、自分にとって一番自然で力が湧いてくるか?”と聞いてみることかもしれません。

例えば、“創造的でありたい”、“自分に正直でありたい”、“愛でありたい”などなど。

これを例えば、今の会社は創造力を発揮できないから・・・とやってしまうと、ハートの声に思考が混じって、基本思考が勝ってしまいます。

でも、創造的でありたいということを深くじっくり感じていれば、仕事の内容とは関係ないことが分かってくるはずです。なぜなら何に対しても創造的になれるからですね。当たり前だと思っていたもの、みんながつまらないと思うものでも、創造的になることはいつでもどこでもできます。

それがしっかり見えてきたとき、実は選択はどちらでも良いことが見えてくるはずです。先ほどの仕事は何でも良いのと同じです。具体性はいらないんです。

で、ハートの声をしっかり感じながら、“今の自分”にとってより自然なほうに動いていけば良いですよね。

英語で、“going with the flow”(流れに沿っていこう)という言葉あります。どうするの?と聞いて、誰かががこう答えるときは、特に決めないで、なんとなく自分の感じる流れに合わせていくという意味です。

つまり、自分の生命のワクワクをベースに、生命の流れに沿っていく。結果や損得はどうでも良くて、生命とつながった生き方ですね♪

 

☆☆☆悟りとエネルギー心理学☆☆☆ 
~“非二元”の視点から「悟り」と「エネルギー心理学」を学ぶ~

赤坂溜池クリニック付属・ホリスティックヘルス情報室企画

4回シリーズ(すでに2回終了)単発参加できます。

○第1回(10/24)
悟りから学べる心のしくみ(インテグレイテッド心理学)
○第2回(10/31)
抑圧と投影、防衛と攻撃という自我のしくみ
○第3回(11/14)明日!
エネルギー心理学とは?
第4回(12/5)
人生の問題、依存症や鬱にどうワークするか?

<受講料> *会場、zoom共に
4回 22,000円(税込)
単発 5500円
詳細、お申込みはこちらから↓

http://holistichealthinfo.web.fc2.com/201910_satori.pdf

☆☆☆ セミナー案内希望 ☆☆☆

OADセラピスト養成講座終了にともない、
2020年後半よりオンラインなどで新しい講座を開催予定しています。

新しい講座、または単発の講座の案内希望の方はこちらにご記入してください。
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お金と心の見えない分部

今回はちょっと珍しくお金の話から・・・。

ということで例えば、お金持ちはなぜお金持ちなのか?と考えた場合。何をもってお金持ちと定義するかはちょっと置いておき、社会の中の割合として、いわゆる普通レベルの人が一番多いとして、お金持ちという部類に入る人たちはおそらく少数派だと思います。

なぜでしょう?

いろいろ理由はあるでしょうが、一つの大きな要因として、お金に対してどこまで見えているか?の違いがあると思うのです。

説明させてください。

例えば、お金を得るという概念の中で、時間や労働の対価としてお金を得ると考えているのか、お金が入ってくるしくみを作って得ると考えているのかで、見えるものがだいぶ変わると思うのです。

時間や労働、サービスの対価としてお金を払う、または得るというのは、非常に分かりやすく見える部分です。ので、それなりに多くの人がどうお金を得るか?どうお金持ちになるか?と考えた場合、この対価的な発想になっているかなと思います。

さて一方で、いわゆるお金持ちの人たちは、普通の人が働いている間にホテルでくつろいでいるかもしれませんよね。つまり、明らかに彼らは対価という形でお金を得ていないということです。

彼らは、お金が入ってくるしくみを作り上げ、それがうまく機能すれば、時間や労働の量と関係なくお金が生み出されます。そして、このしくみは目に見えない部分です。

私はかつてロンドン大学の修士課程で芸術運営学を学んでいました。そこでは、美術館などの運営を研究し、新しい形を提案したりするのですが、例えばテート美術館と東京近代美術館では、まったく経営が違います。

その美術館が主に公的資金で運営されているのか、それともチケット収入で運営されているのかなどで、まず展覧会の内容がぜんぜん違ってきます。そのほか美術館の人事、ネットワークなどなども。

その美術館が利益主義なのか、社会貢献を第一にしているのかなどは、お金の流れを見れば一目瞭然です。でも、それは外に見えるものではなく、見える部分はチケットを買って展覧会を見ました­~というところだけです。

でも、明らかにものごとを左右しているのは、見えない部分であって、それがすごく大切なんですね。

そしてお金持ちとは、基本的にこの見えない部分のお金が入るしくみを作った人たちだと思うのです。

つまり、世の中には上手にしくみを作り上げた人、またはしくみを動かせる立場の人と、その作り上げられたしくみの中で働く人たちの二通りがいるわけです。

で、しくみを作る人とは違い、しくみの中で働いている人たちは、仕事が与えられ、それに対して時間と労働の対価としてお給料をもらうことになり、たいていは自分がいくらもらえるのか?にしか意識がいきません。

そして、もちろん一番お金の流れを作り出しているのは、金融のしくみや財政政策ですが、それも目に見えにくい部分です。

税金を払った後、それがどうなっているのかさっぱり分かりませんし、財政政策も規模が大きくなるほどなんだかよく分からなくなってしまいます。

しかし、この見えない部分が、最も私たちの生活に大きな影響を与えていて、みんなが共存共栄していけるか、貧富の差が広がるかはしくみ次第です。

と、ここから心の話になっていきますが、うっ、いっぱい書きたいことがある。長くなりすぎるので主なことだけ。

一つは、心も見えない部分がとても大切だということです。自分が気がついていない心の部分が一番私たちを支配し、またそれによって私たちは世界を把握しています。自分が気がついていない思いが一番外に投影され、それを事実だと思い込んで生きてしまう。(インテグレイテッド心理学)

ですが、カウンセリングはもちろん、セラピーも気づいている部分だけにワークしているケースが非常に多いんです。

また、もう一つ、ものすごく大雑把に言うと、基本的にしくみを作る人のメンタリティは、「私には力がある」で、しくみの中にいる人のメンタリティは、「私には力がない」です。

で、私には力がないというメンタリティは、簡単に犠牲者意識にもなります。

もちろん、それを普段感じることはあまりないでしょう。就職するのが当たり前で、そこで与えられた仕事を上手にこなすことに邁進し、周囲となるべくうまくやっていくことにほぼ100%意識は向いてしまっているからです。

アメリカの有名な司会者の女性が、彼女がまだ駆け出しのアナウンサーだった頃、地方局で女性で黒人ということでセクハラ、パワハラなど酷い目に遭ったとインタビューで答えていました。

しかし、彼女は続けて“でも、私はやりたいことがはっきり分かっていたから、割り切って、欲しい経験だけそこで積んで、違う局に移った”と話していたのです。

つまり、物理的には彼女は組織というしくみの中にいましたが、彼女の心はつくる側の心だったんですね。彼女の場合、自分の人生を創るという意味で。なので、会社は彼女にとってツールにしか過ぎなかったんです。

ですが、とにかく与えられるものをただこなしていくという心だと、自分がゼロから生み出す力があることを忘れてしまい、やっぱり「無力な私」感が生まれてきてしまいます。

見えない部分をみようとすること自体は、癒され度とはまったく関係なく、またもちろん頭の良さとか、経験値とも関係なく、そこを見たいと思う意思や好奇心があるかどうかだけです。

現在の社会のなかで、しくみが見えて作れる人が明らかに優位に立っているように、自分が気づいていない心の分部が見えている人ほど、自分や自分の人生を創りだすことができるなぁと思うのです。

“自分が気づいていないものに私たちは振り回される”

ということで、まずは自分が見えていない自分の中の部分を見てみませんか?♪

 

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反射思考から純粋思考へ~やりたいことをみつける

最近はSNSのおかげで(せいで?)、何かの出来事に対して、あらゆる人の考えを前よりもいっそう知ることができますね。

先日、台風19号の際にホームレスさんが住所がないということで、避難所に入ることを断られたという出来事がありました。

そのとき、フェイスブック上に流れてきた意見の中に「ホームレスさんにも命はあるけど、住所のない人がいることは危険だから、市民を守るという点で台東区は正しい判断をした」という意見に多くのいいねがついていました。

また、“ホームレスを受け入れるべきだという人は、臭いがする人が横にいても大丈夫なのか? 私は嫌だ”という声もそれなりに見受けられました。

私はHSPのため、光にも音にも匂いにも非常に敏感です。なので、ホームレスの人が横にいたら私も正直耐えられないと思ったのです。ただ、香水が強い人も同じように耐えられませんが。

多くのいいねがされていた意見は、言ってみれば、ホームレスは助けなくて良い、死んでも仕方がないということです。

私はすべての命は同等に助けたいし、断られた気持ちを推測するとすごく胸が痛みます。どんな気持ちで引き返したのだろう・・・。

そこで、せっかく人間に与えられた頭脳を使うべきじゃないかと思ったのです。こういうときにイノベーションを発揮させ、どうしたらすべての命を救い、かつ、衛生面やにおいの問題を解決し、またみんなが安心、安全を確保できるか?

みんなで頭脳と創造力を持ち寄って、今までにない避難所を作りだせば良いわけです。正論の応酬合戦をして、どっちが正しいかとかやっているより建設的だし、ワクワクします。

こうやって振り返ってみると、私たちは毎日ものすごい量の考え、思考活動をしているわけですが、ないものを生み出すような純粋な思考活動ってどれぐらいしているだろうと思ったのです。

あっ、ちなみに純粋思考活動という言葉を今、勝手に作りました。

でも、自分の思考を振り返ってみると、

・繰り返し思考(同じレベルの同じパターンの思考)
・みんな思考(みんなも~~しているから私も・・・)
・刷り込まれた思考(親、社会などから刷り込まれた思い)
・傷にとりつかれた思考(恐れ、不安、欠如感や分離感から来る思考)
・あやふや思考(ホームレスは危険だというような、漠然とした思考)
・マネジメント思考(これを片付けて、そのあとこれをして・・・)

他にもいろいろあるでしょう。

要は、今までの枠にないまったくゼロから純粋に生み出すことに頭を使っているかな?ということです。

出来事に対して思ったことを言っているだけでは、ただの反射反応で、本当の意味で頭を使っているとはいえないでしょう。

話は一見ひどく飛びますが、“今の会社を辞めたいのですが、でも、やりたいことが分からなくて・・・”というご相談はそれなりにあります。

今の仕事を辞めたい理由はいろいろあるとして、もし現在とにかくお金のために続けています的な発想のままであれば、おそらくずっとやりたいことは分からないだろうと思うのです。

というのは、やりたいこととは、言い換えれば、生命がイエス!やる!と言っているものです。では、生命ってどんなエネルギーかというと、それは「生み出す、創造する」エネルギーです。

言われたことをただこなしていくだけのエネルギーのままで、この生み出すエネルギーにシフトすることは難しいだろうなと思うのです。

じゃぁどうするの?今の仕事つまらないのにと思うかもしれません。

私が会社員だった頃、まったく興味ない仕事やつまらない仕事も山ほど与えられていました。特に30年以上も昔なので、女性の新人社員など雑用とかお茶くみとか、ワクワクする仕事などほとんどもらえませんでした。

が、めちゃくちゃつまらない棚の資料整理とか、あまりにつまらないので、速攻で簡単に整理できる方法を編み出したところ、上司に驚かれ、ちょっと一目を置かれるようになりました。

また、新聞や雑誌に新しい事業の記事掲載お願いの文章を書いて送っておいてね~といきなり頼まれ、そんなもの書いたことないぞとパニックに陥りながら、過去の例を見つけ出し、最初はそれをそのまま真似て書いて送るという作業をしていました。

しかしだんだん、新聞や雑誌の担当者はとにかく忙しいので、彼らが求めていることは、あまり手直しをしないで済んで、そのまま掲載できるものを好むということに気づき始めました。

そこで、掲載のお願いをする雑誌に合わせた文体を工夫して書き、目に付く写真をつけて送るようにしたところ、90%ぐらいの割合で掲載されるようになったのです。

こうやって普通なら広告費を払って、新しく始めた事業を宣伝しなければいけないところをただで記事として掲載してもらえるわけで、会社としては嬉しい、私も嬉しい。お給料はアップしなかったけど。

最終的に人間関係に疲れて辞めることにしましたが、会社のリソースを使って、工夫する、創造するというエネルギーを養えたことは大きかったと思います。

このエネルギーがだんだん自分らしいやりたいことの発見や流れにつながっていったなぁとつくづく感じるからです。

そして、この前例にないことを考える、またはいろいろと工夫をしているとき、私たちは純粋思考活動をしているのだと思うのです。

ホームレスさんが避難所に入れるか?というテーマから、新しい避難所の形が出来上がれば、それはホームレス問題というよりもすべての人がハッピーになりますよね。

思考の話をしてきましたが、共感、理解というハートをベースにしてものごとを考えたとき、おのずとそれは純粋思考になっているでしょう。

そこには対立のない、すべての人にウィン、ウィンなものが生み出されているはず。

私たちは生命のエネルギーから誕生し、生命のエネルギーに帰っていく。だから、紛れもない事実として、すべての人にユニークな創造性と、ゼロから生み出す力が備わっている。

だから、単に刷り込まれた思考や反射思考だけで生きるのはもったいないかもしれませんね♪

☆☆☆ 治療効果が上がる心理セラピー ☆☆☆

人の心が病むのはなぜだろう?
なぜ、被害妄想や強迫観念、パニック障害、依存症や鬱になるのだろう?

心の病はたまたまなるものではないはず。だとしたらどういうメカニズムでどのように健康状態から病の状態へ移行していくのだろうか?

心のしくみ、脳や自律神経の機能、悟りの真実の観点から。

2019年11月30日(土) 13時半~16時半
“治療効果が上がる心理セラピー”
OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)
無 料♪
医療法人むつみホスピタル
徳島県徳島市南矢三町3丁目11-23

詳細はこちら

☆☆☆ セミナー案内希望 ☆☆☆

OADセラピスト養成講座終了にともない、
2020年後半よりオンラインなどで新しい講座を開催予定しています。

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一番大切で、でも一番無意識に守っているもの

私たちは自分に関するいろいろなものを守って生きていますが、その中で最も大切で、最も無意識で、最も失いたくないのがアイデンティティかもしれません。

ちなみに精神面の話で、自分の身体を危害や病気から守りたいとか、家族を災害から守りたいなどは、ここでは横に置いてしまいます。

アイデンティティとは、ご存知の通り「私は~~である」という思いですね。

例えば、「私は母である」というアイデンティティが一番強ければ、その人は家の外でもそのアイデンティティを軸に振る舞い、母として、または子供中心の目線で世界を見ていきます。

または、自分は社長だというアイデンティティであれば、会社の外でもあたかも社長のように振舞ったりするでしょう。赤の他人の女性を自分の部下のように見てしまったり、お店でも自分を上に扱ってもらうのが当然だと思ってしまったり。

これらのアイデンティティはもちろん無意識のうちに作られたものですね。意識的に作っている人はほとんどいないでしょう。

では、どのように無意識に作られるのか?

ということで、いきなり非二元(悟り)の観点に飛んでしまいます。私たちの本質である「気づきの意識(空)」には、なんの性質も属性もありません。まったくのゼロです。生まれがばかりの赤ちゃんはこの状態に限りなく近く、名前でさえもまだ自分のアイデンティティにはなりませんね。

私の弟も3歳ぐらいだったか、“僕、男だっけ?女だっけ?”と母に聞いていたのを覚えています。それぐらい「自分とは~~だ」という概念がまだ作られていないわけです。

ところが私たちは大人になるにつれ、様々なアイデンティティを身に着けていきます。名前はもちろんのこと、性別、年齢、国籍といった属性から、「自分はつまらない人間だ」といった思い込みなど、「自分はこういう人です」というものがたくさん出来上がります。

で、このように様々な「これが私だ」という属性やビリーフを身にまとっていきますが、コアのアイデンティティとなるものは、毎日一番そこにエネルギーを注いでいるものとなります。

毎日なので日常化してしまい、あまり意識上に上って来ないのですが、上の例では、毎日母として何をすべきか?、どうあるべきか?と考えていれば、それが一番強いアイデンティティになっていきます。

その場合、子育てが終わり、子供が巣立っていくと、ものすご~く空っぽな気分になり、私の今までの人生って何だったのだろう・・・となりがちです。

このように“役割”に同化し、それがアイデンティティになるケースは非常に多いですが、「毎日エネルギーを一番注いでいるもの」という観点からすれば、必ずしもそうだとは限りません。

例えば、私の場合、「心理セラピスト」として長い間日々仕事をしてきましたので、役割的?仕事的?には明らかに私の中心のアイデンティティとなります。

ところが振り返ってよ~くみてみれば、私が一番エネルギーを注いでいるところ、努力しているところは、「セラピストである」ことではなく、心のしくみを知ること、真実を知ること、それをシェアしていくという「プロセス」です。

このプロセスそのものが私には非常に大切であり、それが「私」なのです。

なので、セラピストとして否定されるのは、実はあまり痛くないし、積み上げてきた成果を否定されても、気分は悪いけどあまり痛くない。でも、“ずっと”(←ここにプロセスの意味合いが入る)積み上げてきたんだよというところを否定されると痛い、痛い。

積み上げてきたプロセスの中に様々な感情や思いや思い出があり、それが「自分」になっているので、それが否定されたら、私はまさに消えてしまう。

例えば、“あゆかさんは出来るけど、私には出来ない”というような一見誉め言葉みたいなことでも、私の中のやさぐれアイデンティティが、“いやいやずっと追及して頑張ってきているからだよ、そういうことじゃない!!”と暴れだします。

単に“誰でもできますよ~”と返事すれば良い話のことなのですが、コアのアイデンティティがスルーされたと感じて傷ついてしまう。

または、慢性の病気を抱えている人で病気がコアのアイデンティティになっている場合もよくあります。良くなりたいし、苦しいからではあるけど、毎日毎日病気や症状のことを考え、そこに意識を向けているため、無意識に「その症状を持つ私」が自分のアイデンティティになってしまうんです。

この場合、症状が改善するということは、自分が消えてしまうことになるため、無意識の抵抗が強く現れてしまいます。無意識にセラピーに抵抗したり、本当に核心に近づくとセッションを受ける気持ちがなくなってしまったり。

さて、もう一度悟り(非二元)の観点に戻ると、私たちの本質からすれば、人生の何かにどれだけエネルギーを注いできたとしても、それは本質の自分ではありません。

しかし、私たちは本質をまったくスルーしているため、無意識に構築してきた「自分」にこだわり、その自分を守ろうとしていきます。なので、それが無視された、否定されたと感じると傷つき、相手を攻撃的に見てしまいますね。(嫌う、苦手意識を持つなど)

ネガティブなイメージやビリーフに同化し、それがあたかも自分であるかのように生きるのも十分に苦しいですが、一見ポジティブで良さげなことでも、それを守る必要があれば、やっぱりそこに苦しみは生まれます。

とはいえ、社会の中で機能していくために、私たちには何らかのアイデンティティは必要です。

ので、アイデンティティを捨てちゃいましょうという話でもありません。

でも、

なんの属性もなく、時間も記憶も思い込みもすべて何もない気づきの意識にいつも立ち戻ることができたら、私たちは自然と構築されるアイデンティティを楽しむことができるようになるでしょう。

私たち(=自我)がほんとうに寄って立てるところは、無意識に出来上がったアイデンティティではなく、本質にあると思うのです。

それには、まず自分は何に一番エネルギーを注いでいるだろう? それがない自分でも大丈夫?と問いかけることから始まるのでしょう。

そして、本質を思い出すこと。自我がほんとうに求めていること、それは本質に同化すること♪

 

☆☆☆ノンデュアリティと癒しのカフェ☆☆☆

自分の本質について、癒し、自我、人生についてのお話会です。

ご都合がつく方はぜひいらしてください。

満席となりました。キャンセル待ち募集中

日程:11月10日(日)13時~15時半
場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
http://www.ko-o-ri.com/contents/information.html
参加費:5000円

お申込みフォーム
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人の心が病むのはなぜだろう?
なぜ、被害妄想や強迫観念、パニック障害、依存症や鬱になるのだろう?

心の病はたまたまなるものではないはず。だとしたらどういうメカニズムでどのように健康状態から病の状態へ移行していくのだろうか?

心のしくみ、脳や自律神経の機能、悟りの真実の観点から。

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