何も知らない安堵感♪

この世のしくみを知ろう、分かろうとすることをやめてみてもいいかもしれない

私たちは、次にどんな思いが浮かんでくるかさえ知らないのだから
知っているのは可能性だけ

次の瞬間に席を立って一服したくなるかもしれない
次の瞬間に誰かから電話がかかってくるかもしれない
次の瞬間に昔の出来事が思い出されるかもしれない

無限の可能性があるけど、でも、私たちは知らない

自我はすべてが分かれば、目からうろこですっきりすると思っているかもしれない
世界のしくみが解明されたら、すべての解決方法が分かって、自分は安全になると思っているかもしれない
宇宙の秘密を解き明かしたら、ものごとをすべて自分の思い通りにコントロールできると思っているかもしれない

でも、それでも私たちが次にどんな思いが浮かんでくるのかさえ知らない、という事実は変わらない。

本当は何も知らないと深く腑に落ちたとき

「いまここ」は、無限の可能性の場となって
壮大なミステリーがあなたを覆う

つまらない日常の生活が、生命の息吹で満ちた奇跡の場となる

私たちは何も知らないかもしれない

でも、

それが深く腑に落ちたとき

ただ起こることに身をゆだね

包むような安堵感が訪れる

このブログを書き始めて、もう10年になります。書き始めたころとは、やはり随分見えていたこと、感じていたことが変化しました。

と簡単に書くとなんだか不思議な気もします。変化という言葉で済ませられないような・・・、変化というより、「パラダイムの崩壊」のほうが合っているかもしれません。

とくに最後のパラダイム崩壊は、あまりに予想以上で、すべてがひっくり返りました。
ということでちょっと、ここに私のパラダイム崩壊の歴史を書いてみます。

●物心がついた年齢から30代前半まで、パラダイム1の観点で生きる。

●30代前半に留学で訪れたロンドンで不思議体験をし、スピリチュアルな教えに目覚め、パラダイム1が崩壊する。以来、パラダイム2を生き始める。

●2011年に悟りの一瞥体験をする。パラダイム2が崩壊する。パラダイムが消え、ミステリーの中を生き始める。

2004年に出した最初の本は、パラダイム2を興奮した気持ちで発信したものです。このときにブログも始めました。

万が一、そんな昔からつきあってくださっている読者の方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございます。私にとって一緒に歩んできた家族のような気がします。

さて、そろそろパラダイム1とか2って何だぁと思われることでしょう。ということで、下記に書いてみました。

パラダイム1:自分は肉体に意識がついた存在で、死んだら終わり。

パラダイム2:自分は魂の存在で、死ねば魂の世界(あの世)に戻る。地上は魂の成長の場

です。

おそらく世界の中の多くの人がパラダイム1で生きているだろうと思います。特に先進国などは。ただ、最近アメリカや日本で「死後の世界」についてお医者様が書いた本などがかなり売れているようです。なので、最近ではパラダイム2の世界観を持つ人も増えてきたように思えます。

パラダイム1から2への世界観も、私にとってはものすごく大きなものでした。しかし、悟りの一瞥体験以来の探求によって、パラダイム自体が崩壊してしまったのです。生まれる、死ぬといったことさえ超えた、まさに般若心経の世界そのものが真実だったのだと知りました。

ちなみに「般若心経」は現代語風に解釈せずに、あのままの言葉通りだと読んだほうが良いだろうと思います。

こう書くと、真実の全貌が分かったと受け取る方もいるかもしれませんが、まったくそうではありません。というか真逆です。

パラダイム1も2も「わたし」という主体がいることで成り立っている世界観です。私の人生、私の魂、私の魂の成長・・・。私とあなた、私と世界、私と宇宙・・・。私が生まれる、私が死ぬ、私が学校へ行く、私が音楽を聴く、私が買い物をする、私が悟る・・・

しかし、パラダイムの崩壊=「わたし」の崩壊です。

「わたし」がいないのなら、生まれる、死ぬ、学校へ行く、という出来事は一体どう起きているのでしょうか?

ここで思考は降参するしかなく、無限の「分からない」ミステリーの世界に放り出されます。でもそのときには、あなたはほんとうの自分はこの無限のミステリーのほうだと分かっているでしょう。

小波(わたし)が消えたとき、見えてくるのは大海の自分だけ。大海は、次にどんな波が生まれるか知っている必要もなく、嵐でも晴天でも、大海が大海でなくなることは決してありません。だから、ただ起きるがままにいるだけですね。

本当のあなたは、大海、空、気づきの意識、マトリックス☆

※シンポジウムでは、本当の私という観点からも癒しのツール、マトリックス・リインプリンティングをお話ししたいと思っています。ぜひいらしてください♪

お知らせ

☆☆☆☆☆☆ 次世代癒しのシンポジウム開催! ☆☆☆☆☆☆

2014年11月30日(日)

4つの次世代癒しのツールについて
物質から波動へ
分離から統合の治療へ
エネルギー、ストレス、ビリーフから健康を考える

参加者全員にマトリックス・リインプリンティングを
5千円で受けられるチケットプレゼント!

☆☆☆☆「悟り(非二元)について語ろう」in 名古屋☆☆☆☆
2014年12月21日(日)13:15~16:50

何も知らない安堵感♪」への6件のフィードバック

  1. はじめまして。こんにちは。
    2012年冬至にアセンションがあると言われていましたが、あゆかさんはアセンションなさいましたか?
    また、アセンションという現象についてどう考えていらっしゃいますか?

  2. 2005年夏、不本意に遠い土地へ転居し失意の中、大きな書店であゆかさんの一冊目の本が目に留まりました。当時、すでに既婚でしたが。。。ホームページはご自分で作成されたのか親近感たっぷりで、それがあゆかさんを身近なお姉さんのように感じさせました。

    その後、あゆかさんの世界がどんどん広がっていって、ホームページやブログも進化していかれました。当時スピリチュアルマップなども提唱されていて、セミナーに参加すると、ホワイトボードにどーっと文字を書かれて、論理的な気がしました。

    ところが近年は、あゆかさんがブログに書いておられることが、一読では理解できなくなってきたと感じていました。悟りの体験は2011年とのこと。今回、あゆかさんがご自身のあゆみを時系列で書いて下さり納得が行きました。ミステリーと言われている通りです。

    正直、遠い所へ言ってしまわれたなあという気がします。付いて行きたいけれど、自分はまだまだ現実にどっぷり足を取られています。
    >「わたし」がいないのなら、生まれる、死ぬ、学校へ行く、という出来事は一体どう起きているの
    まさしく、その段階での足踏みです。時には、あゆかさんは好きなことができているから、、、なんて思ってしまったりします。

    私も分かりたい。いえ、分かる必要はないのかもしれません。
    でも、今の仕事は嫌だ、私のやりたいことではないという気持ちは拭えません。出来る限りの努力をしてたどりついた最善の道ではあるけれど、これは私のしたいことでは無いのだという気持ちははっきりあります。
    私にもずっと続けていきたいと思っていた仕事はありました。でも、それはいつも他人(夫の転勤や上司の人事的圧力)によって中止を余儀なくされていました。それは思いもかけなくて、青天の霹靂、ガンでいきなり余命を宣告された人ってこんなのかなと分かったような気がしました。

    >ただ起きるがままにいるだけ
    そうなんです。分かるけど、変化を待ち望んでいる自分がどうしてもいます。今は、そんな自分なんだなあと自分を受け止めることしかできません。。。

    • 名無しの花さん、もし目の前にいらっしゃったら、思いっきりハグさせて頂きたい気分です。長い間おつきあいしてくださっていて、本当にありがとうございます。とっても嬉しく思います。

      ご質問されているわけではありませんが、次回に記事でお返事させてください。

  3. すっごい極端な話しをすると
    ニュースを見とかなきゃ
    昔のカンボジアのポル・ポトみたいなのが政権を握ってひどいことになるかもしれない、拷問を受けながら惨殺されるかもしれない。
    夫が無駄遣いをするのを見張ってないと、老後お金がなくなって悲惨な最期になるかもしれない、
    とかそんな風に考えちゃいます。極端ですが。
    だから、全部手放して、自由♪ とか思えないんです。

    • こんにちは!いつもありがとうございます。

      コメントを拝読して、ブログの記事をあまり長くしないようにしているせいもあり、私の説明が不十分になっているなと思いました。なので、勘違いなさる方も多いだろうと推測いたします。が、とりあえず、何もしないで事態をただ見ているだけという意味ではないんです。

      波は出来事だけではなく、その人の思いや感情も波なんです。なので、心配な思いがわいてきたら、それはそれが起きているということで、きちんと受け止めてあげると良いんですね。そして、何か行動に起こしたいという衝動がわいたら、それも波ですから、その衝動に従うんです。

      ただ、そこにやたら判断や期待や執着がないということなんですね。また、説明させてくださいね♪

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