部屋の模様替えをして、窓際に机を置いたら、外を眺める時間が増えて、とても良い感じ♪です。
このテーマで書くことは、今までの私のブログ史上、最も分かりにくい記事になるのではないかとか、ちょっと臆病な気持ちになるのですが、書きたい気持ちに勝てず(←あぁ、まどろっこしい~)、今日は “非二元”(Non-Duality)について書いてみたいなと思います。
非二元とは、簡単に言えば「悟りについて」です。じゃぁ、なんでわざわざ私は非二元という言葉を使うのかというと、悟りという言葉には、あまりに人それぞれのイメージ、思い込みが付随しているため、それらを避けたいからです。
また、「非二元」=「二つではない」という言葉のほうが、悟りとか一元という言葉より実感としてしっくり来るなぁと感じるからです。ということで、説明させてください。
般若心経に「色不異空、空不異色、空即是色、色即是空」とあります。現代語にすると、「事象は空(くう)と異なるものではなく、空(くう)は事象と異なるものではない。空(くう)は、まさに事象であり、事象は、まさに空(くう)である」という感じかと思います。
事象とは、この世に現れ出ているすべてものです。 つまり、事象と空という二つのものがあるように見えるけど、二つのものじゃないんだよ、という意味です。 “事象と空という唯一のものがある”とは言えないので、すべては一つとは言わず、般若心経でも二回も繰り返して、空=色なんだよと唱えているのかなと思います。
ちょっと理屈っぽくなってしまったかもしれません。が、私が求めているのは、頭の理解ではないんです。
さて、事象は移り変わる・・・、この言葉に反論する人はいないでしょう。どんなに永遠にそこにあるように見える山も、日々生命の呼吸をし、変化をしています。都市も常に姿を変え、100年後の東京は今とすっかり違う姿になっているでしょう。
私たちも、常に変化していますね。同じ一つの思いだけを一日中持ち続けたという人はいないはずです。いろいろな思いが通り過ぎ、感情もそのときどきで変化し、そして、体も日々変化しています。 では、この変化は誰が起こしているのでしょう? 自我は、自分だといいます。
私たちは、主体と客体という二元の考えに深くそまっているため、通常は誰か(主体)が何か(客体)を変えるという考え方しかしないでしょう。または、主体が何か(客体)を目指す、など。
悟りに関しても、私たちは二元的な考え方をしてしまいがちです。私(主体)が悟り(客体)を得る、または自分(主体)が悟って、二元の世界から一元の世界(客体)へ移行するなどなど。
話がずれましたが、とにかく誰かが何かをするという深い刷り込みがありますね。 では、ちょっと徹底的に正直になってみませんか? 徹底的に正直になって、自分を細かく見つめてみると・・・ 10分後に自分が何を考えているか、あなたは知っているでしょうか? 5分後は? そして、よく探ってみると、次にどんな思いが頭に出てくるか、分かっていますか?
正直な答えは、“私は分からない”のはずです。考えは、勝手に浮かんできているんです。 では、体はどうでしょう? 次に右ひじを机に置こう、あと2分後に右のほうを見よう、今から左足を上にして足を組むのだ・・・とか、いちいち体の動きをすべて決めているわけではないですね。
次に自分がどんな動きをするのか、徹底的に観察してみれば、正直な答えは、やはり“私は分からない”のはずです。体は、勝手に動いているんです。
リビングからキッチンへ歩いている途中、私の視線は、ふと床に移り、“あっゴミがある、掃除しなくては・・・”という思いが走りました。 なんで視線が急に床に移ったのか、私にはまったく分かりません。 “あっ、ゴミがある、掃除しなくては”という思いも、私がそう思うと決めて、思ったわけではありません。浮かんできたんです。年季が入ったフローリングだなとか、そういう思いが浮かんできても良いわけです。
こうやって注意深く見てみると、私たちは明日何が起きるか分からないだけではなく、次の瞬間の自分の思いが何なのか、自分の視線がどこに行くのか、体がどんな姿勢を次にとるのか、などなど、まったく知らないんです。
では、自分が知らないということは、誰が次の思考を決めているのでしょう? 誰が、次にどこに視線を持っていくかを決めているのでしょう? 何度も何度もしつこく、徹底的に正直に観察してみてください。
すると、「私は知らない」という真実に出会うはずです。自我は、「知らないこと」が大嫌いなので、物事のしくみを知って落ち着こうとします。また、知ることで、人生をコントロールしようと常にもがいています。
でももし、「私は知らない」という真実をハートを広げて受け取ったら、私たちは、自分がほんとうは、一瞬一瞬の変化そのもので、“なんだ、私は今までずっと人生の即興ダンスを踊っていたのだ”ということに気づくでしょう。
そして自分が、常に変化する動きそのものだったのだということが、真に深く体験されたとき、「主体は客体でもある、それは二つではない」としか言えないことにも気づくはずです。その瞬間、自我はそれを理解できず、もう真実にひれ伏すしかなくなるでしょう。
「空即是色、色即是空」 空を真我とし、色を即興ダンスとしたら、「真我とは、すなわち即興ダンス。即興ダンスとは、すなわち真我である」 即興でありながら、よく仕組まれた驚異的で荘厳なダンス。新しい動き(命、かたち、思い、感情、etc)が次々に生まれ、そして去っていき、決して留まることもなく、常に変化し続け、一切の制限もなく、永遠に、そして無限に舞い続ける。
次に何が現れるのか、まったく知らないから、一瞬、一瞬が新しい出会い。「何も知らない」という真実の中に、もっとも高い知恵と愛が見えてくる。
すべてを包む信頼のなかで、人生をコントロールするという自我の重荷から解放され、あなたは踊り続ける。
「空即是色、色即是空」 そして、あなたはダンスを踊っている(色)と同時に、そのダンスを見ている静かな観察者(空)。
☆☆☆お知らせ☆☆☆
11月にAAMET認定EFTレベル1&2(11月2日~4日)とマトリックス・リインプリンティングのプラクティショナーコース(11月22日~24日)を開催します。詳細は7月後半以降になります。 のコースを受けるためには、EFTのレベル1&2を受講していることが必須となります。 す。)
おはようございます。記事を読んで涙がじわっと滲み鼻の奥がツンと痛かったです・・・。
何かが「知っていた」ようなそんな感覚です・・・。ありがとうございます。
何かが「知っていた」ようなそんな感覚です・・・。
↑
こういって頂けるのは何より嬉しいです♪ こちらこそありがとうございます。
私の自作のうたに
生々流転 と言ううたがあって
解け落ちたひとしずくは
山掛けて谷超え野を走り
海原にたどり着いて
永遠のうねりへ旅立つ
流れる水はいつも流れ流れとめども無く
吹いてく風は吹いて吹いていどころ無く
流れるままに 吹いてくままに
大切に唄いたいと改めて想いました。
有難うございます!
あゆかさん、こんにちは。
つい最近、「”それ”は在る」ヘルメス・J・ジャンプ著という本を購入しました。
あゆかさんのBlogを読んでいなかったら、本屋さんで見かけても素通りしていたと思います。
私にはその本はあゆかさんがBlogで伝えようとしてくださっている事と同じ事を
何度も表現を変えて繰り返し書いてくれている本のように感じました。
あゆかさんが「私が求めているのは頭での理解ではないんです」と言う事、とてもよく解ります。
前述の本を読んでいても、あゆかさんのBlogを読んでいても、これに近い感覚はよく知っている、と思うのですが
そんなことをわざわざ思う必要がないぐらい、「それそのもの」である感覚の体験?(どんな言葉を使うと近いのか難しいですね)は私はしていません。(忘れてしまっている、と言ったほうがいいのかな…)
すべては幻想なこの世界でした「頭での理解ではない体験」もまた、一瞬で消えてゆくなかで、
なぜ何人もの人がそのことを、それこそ色即是空と流れるままにせずに、書き留めて世に表現したりしているのか少し不思議に思いました。
すばらしいそれを、みなも頭でなく解るようになれば…と思ってくださっているんでしょうか。
あゆさかさんは以前にその理由を言葉は違うと思いますが、面白い体験をしたら単に話したい性分だから、
というようなさら〜っとした感じで書いてくださったことがあったように思うのですが
やっぱり私は一度、なぜ、あゆかさんはみなに伝えようとしてくださるのか、そこをガッツリうかがってみたいです。
だって、こうしてBlogで言葉で伝えるのも大変というか、簡単な事ではないのに、
それでもなんとか表現して伝えようとしてくださる理由が知りたくなってしまったんです。
長くなってしまってごめんなさい。
焦点が横道にそれた質問かもしれないのですが、もし出来たらお時間があるときに書いてくださると嬉しいです。
ワクワクするコメントをありがとうざいます!がっつりと言われると、お腹の深いところでこそばゆい感じがし、嬉しさがこみ上げてきます。(笑)
>これに近い感覚はよく知っている、と思うのですが
↑
内なる真実が呼応しているんですね。とても嬉しいことです♪
>面白い体験をしたら単に話したい性分だから、というようなさら〜っとした感じで
↑
あはは!自分で書いていてなんだかおかしいです。でも、ほんとうにその一言につきます。シェアしたいから、終わり、という感じです。ウキウキ、ワクワクしてしまいます。(ハートトーク)
ただ、今回は、体験したことを書いているのではないんですよ。体験は、去っていきますが、真実は決して去っていきませんね。その真実を書いているつもりなんです。
でも、このシェアしたいという気持ちも、ダンスの一部ですね。その気持ちを出したいと頑張ったわけではなく、自然に勝手に沸いてきて、次にブログを書くという行為も起きて、そして・・・・と、毎日即興のダンスをしているんです。
そして、このシェアしたいという気持ちは、沸いて、消えていくものですが、同時に「空」でもあるんです。たんに幻想です、終わり、というわけでもないんです。
これからも、ぜひブログをお読み続けてくださいね☆
あゆかさん、ありがとうございます。
返してくださったコメントの、この部分…
「そして、このシェアしたいという気持ちは、沸いて、消えていくものですが、同時に「空」でもあるんです。たんに幻想です、終わり、というわけでもないんです。」
私にとっては、とてもハッとするものがありました。
なんていうか…上手く表現できないのですが、この世で起こるすべてのことは幻想だから、結局は空っぽ、
何をどうしようと何を感じようと幻想でお終い。ではないんですね。
あゆかさんが般若心経の「空」という言葉を引用して表していることがどういったことであるのか、
自分自身で感じられるようになる助けとしても
これからもBlogの更新、楽しみにしています!
あゆかさんの文字を追うままに、自分を見つめてみたら・・・
本当に、私が次に何を考えるか私は「わからない」んですね!
ちょっと自我があっけにとられていました^^
コントロールしたって無駄なのですね。
目からウロコでした。
私は、私に勝手に湧き上がってくる思いを、ただ観察する存在。
抵抗するのが、なんだか無駄に思えてきました。
力を抜いて、ただ味わってみようと思います。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
更新が毎回楽しみですo(^∇^)o
即興ダンスっていい言葉だなあ…
私はかなり自由な立場で仕事をしてるのですが
組織の一部だからっていう理由で
あるいは他にも色々理由をつけて
自分で自分を縛ってるって思います
自由がこわいというか
幻想がこわいっていうか。
先が見えないのがこわい
制限がないのがこわい
自由すぎるのがこわいって。
でも、こわいのはもっと別のものだったんだって思います。
即興ダンスはこんなにも軽やかであり得るのだから。
そのステップが重く止まってしまうことも
当然あるとしても
止まらない動きに自分を乗せることも
同じように出来るって思いました。
ACIMに取り組んでいます。あゆかさんのブログのお陰でずいぶん理解が深まりました(まだまだ難しいところもいっぱいありますが…)。
いつもどうもありがとうございます。
こんにちは!
いつも拝読しています。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
魂が洗われる感じがします(*^^*)
「分からない」ってことが心地よく感じました。
「分からない」が心地よいって初めてです^^
こんばんは!
すっごくびっくりしました!本当に、自分は一瞬先の考えを何も知らないのです。
物事に不変はないのですね〜。そしたら、恋愛で悩んでいるのは、自分が悩む思考を選んでいるんだというのもわかりました。それに相手の言動で一喜一憂しているのですが、それもその時の思考に従ってるだけで、その思いに振り回されているだけでした。
今まで、コントロールを手放すってやったことないのですが、目標立てたり、頑張ったり、恋愛で悩んだり・・・そういうこと、一切辞めた〜、一瞬一瞬の気持ちに従う、ってしても良いんですよね。何だか、ドキドキしています。過去にとらわれず、未来に希望も持たず、今の気持ちにだけ従う・・・ちょっと、やってみようかなと思います。
ありがとうございました。
いつも八方塞がりになった時、あゆかさんの本やブログを開かせて頂く度に気づきをもらっています。ありがとうございます。
最近、
無意識に自分を責め続けていた事に気づきま した。 今事務所を立ち上げようと行動しています。 以前職場を片付けていて、こうしたら心地よ くなるのではないかなと、思っていた時に、 「あっ!これを仕事にしよう。
大好きなインテリアを通してお客さんに楽し いを伝えたい。」と、思い立ちました。 以前は建築にこだわってばかりいて、キャリアの為に資格をとろうとしていたのです が、今は家を知ってお客さんのお役に立ちた いと考え資格試験を受けているのですが、落 ち続けています。理由は全く勉強をしていな いからです。しないといけないと思っても、 全く手につかず、したくなく、逃げてばかり で、そんな努力をしない自分を責め続けてい ます。家族に金銭的にも応援してもらっているのに、頑張れな い自分がなさけなく涙がでてきます。 土壇場になって、どうしてもっと早くから勉強しなかったのかと情けなくなり、ストレスで調子をくずすの繰り返しです。
まわりの人はこつこつ勉強しているのに、私も頑張りたいのに、頑張れない。怠けてるだけだと、責めてしまい、悪循環です。
今回あゆかさんの記事を読ませて頂いて、縛っていたのは自分なのだなと感じました。でもまだ、頭がぐるぐるして、努力できる人になりたいとばかり思ってしまっています。なのでまず今日は自分の中に浮上してくる気持ちを押し込めず、否定しないで、耳をかたむけてみようと思います。
長文失礼しました。