先週末は、イギリス中部にあるスタンフォードシャー大学で開催された、EFT(Emotional Freedom Technique感情解放のテクニック)の国際シンポジウムに出かけていきました。トラウマに始まり、依存症、癌の薬の副作用の軽減など、いろいろな症状を対象にEFTがどれぐらい効果があるかという各国の発表です。
日本でもこういった国際会議で発表できるぐらい、EFTの認知度が高まっていくと良いなぁと思います。
ということで、EFTに関連して今回は感情について。といっても、一回のブログでは書ききれないぐらい山ほどあります。が、手が進むままに書いてみよう。
私自身がセラピストということもあり、“感情(又は感覚)を解放する方法は?”という質問をそれなりに受けます。気持ちは分かるのですが、この質問は、基本的にすぐにでも取り除きたいという思いがベースになっていますね。
でも、感情・感覚はきちんと向き合い、深く見ていくと、何層もの別の感情、思いが見えてくることがとても多いんです。
なので、さっさと解放しようとするより、この感情や感覚が持つメッセージは何なのだろう?どうして、ずっとここにあるのだろう?という、さぁ、向き合いましょう!といったアプローチのほうが、実りは大きいのです。
で、感情・感覚が持つメッセージとは、自分の中にある癒されていないトラウマ、心の傷が持つ声です。
その場合、少しでも似たような状況や状態があると、それが引き金となって、瞬時に当時の感情が出てくるか、またはものすごい怒りとなって現われることもあります。(感情のフラッシュバック)
なので、出てきた感情をどうにかしようというより、原因を癒したほうが良いんですね。
で、その原因を頭のレベルで探そうとする人も多いのですが、一番良いのは純粋に感情を追っていくことです。(フォーカシングやEFT、マトリックス・リインプリンティングなどを使います。)
というのも、原因が潜在意識のレベルで完全に抑圧されていたり、ときには過去世にたどりつくこともあり、頭で探してもとうてい分からなかったりするからです。
ちなみに、過去生ってあるの?と思われる人もいるかもしれませんが、自己ワークでも、セッションでもわんさか出てくるのでし方がありません。ご本人がそういったものを信じているかいないかに関わりなく。
非二元の観点からすると、すべてのストーリーは時間と空間のない神の遊戯(現象)であって、今世も前世も同じように夢であり、区別すること自体あまり意味がありません。
ただ、どう思われるかは、もちろん100%皆さん次第です♪
セラピストとして一番大切なのは、前世があるかどうかではなく、その結果、その人が楽になっているか、変化が起きているのかですので。
ということで、具体例を出したほうが分かりやすいかなと思いますので、私の例を。
以前、「ピュアな感じの女性に近寄れないぐらい憧れる、けどどこか悲しい」というテーマでワークをしていたときです。前回の記事に書いたポジティブ投影ですね。
で、ワークをしていくうちにお腹から喉にかけて覆いかぶさるような重たい感覚がありました。特に喉のあたりは息もしずらい感じです。また、その感覚は絶対動かないという意志を持っているかのようでした。
そこでまずその感覚をよく感じてから、“どうしてそこにいるの?”と尋ねてみました。すると、“お前を苦しめるため”という思いが沸き、その言葉は、その重苦しさと見事にマッチしていました。
そこで、心の中で“お前を苦しめるため”という言葉を繰り返していると、その重苦しい感覚が動き始めたため、さらに“なぜ、苦しめたいの?”と尋ねてみると、“純粋できれいなお前など苦しめるのだ!”という思いが沸いてきました。
そこから長くなりますので割愛しますが、ひどい拷問を受け、まばたきしかできないぐらい体がめちゃくちゃになってしまった状態の自分が浮かび上がってきました。そのとき感じていたのは、“自分は汚く、ダメな人間だ、このまま永遠にこういう目に遭うのが自分なのだ”という思いでした。
そう思い込んでいるので、イメージで癒しの光を送ったり、母親に寄り添うってもらうなどしても、きれいなもの、優しいものは受け取れないと、とにかく拒否されてしまいます。
しかしその自分は、突然、まだまばたきができるということを思い出したのです。絶望と自己否定の思いでいっぱいでその単純な事実に気づいていなかったのです。
そして、まつ毛に風を感じたとき、自分は生命の一部だったのだと深く感じ、その瞬間生命のエネルギーが一気に注ぎ込まれ、ぼろぼろだった体はみるみる癒されたのです。最終的に、ダメな自分から明るく微笑む自分にまでなってしまいました。
こんなに自分は汚い、純粋ではないと思い込んで抑圧していたら、そりゃぁ、誰かに投影するよねと大納得し、そして、何よりもたくさんの思い込み、感情を解放し、自分を慈しむ感覚が増えた暖かさがたまりませんでした。
このようなワークでは、時には、集合意識の痛みまで行くこともあります。エックハルト・トーレがいう女性や国家、人種のもつペインボディです。
最初は、うわぁ、勘弁してください!、自分一人では癒しきれません!!と思っていましたが、その深いレベルで空の意識(気づきの意識=生命)に注意を向けると、あっという間に癒されることが分かってきました。
もちろん、過去生に行かないことも多いですし、どんなレベルでもきちんと見ていった上で、解放をすれば、とても楽になります。
感情や思いという、本当は実体のないエネルギーが、あたかも“個人”が実在するかのように、ここまで深くストーリーを作り挙げていることに、私は毎回魅了されてしまいます。
神の遊戯は、“ただのストーリー”という言葉で片付けられない深さ、タペストリーのような複雑さ、そして神聖さに満ちているなぁとつくづく思うのです。
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最近、こちらのブログを読むようになりました。
最高です!!感激しています!
7,8年前からスピリチュアルやヒーリングに興味を持っていろいろやっていましたがここ何年も体調不調で動けないでいます。
先日こちらのブログを読みながら痛みの中に入ってみたのですが、いっぱいいろんなものが出てきて3日間にわたって解放されていきました。全くわからなかった幼少期のころの事や生まれる前のお腹の中の感覚と出産の苦しみやその時の母親の感情を受け取ってず~っと持ち歩いていたこともわかりました。
非2元ももちろん興味ありますがつくづくすごいな~と思います。
なんと言ってもあゆかさんの純粋な暖かい人に対する思いを感じて、私もだいぶ年ですが、まるで優しいお母さんに癒してもらっているような感じがします。
本も読ませていただ来ましたが私はブログがやっぱり好きです。
名古屋でやっている何か学べることがありましたら行ってみたいな~と思っています。
本当にありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
しんこさん、ありがとうございます☆
人が癒されたという話は、三度の飯よりも好きなので、このようなご報告とても嬉しく思います。名古屋には年に1度か2度、オープンカウンセリングのセミナーなどを開催しておりますので、そのときにお会いできましたら幸いです♪
そして私、優しくないときも多々ございます(笑)が、せっかく頂いたお言葉はありがたく受け取らせて頂きますね。(*^-^*)
お返事いただいてうれしいやらびっくりするやら、ありがとうございました。オープンカウンセリングのセミナーなど、楽しみにしています。
意を決して、セラピーを受け始めました。
自分でも何度も癒したつもりなのに、長年どうしても手放せない感覚があって、途方にくれていました。
今回の記事を読み、初心に帰って(?)自分の感情を追ってみたら、愛をいっぱいもらっていたのに罪悪感に囚われて受け取れていなかったこと、至福感への期待や執着etc.に気づきました。
心の中で相手に謝って感謝すると、手を放すイメージが浮かびました。
あゆかさんのブログに出会えてよかった、ありがとうございます。
Kiyoshiさん、こんにちは☆
こちらも同様に、とても嬉しい語報告ありがとうございます。ご自分でできたのがすごいですね。素晴らしいです!
どうしても手放せない感情、感覚ほど、私たちに聞いて欲しい思い、受け取って欲しいもの、気づいてほしいことがわんさかありますので、忍耐が必要ですが、やりがいはありますよね。
今後とも宜しくお願いいたします♪
お返事ありがとうございます、うれしい ^ ^
セラピストさんが感情や感覚にアクセスしやすくしてくれて、ヒントを下さっていたんだと思います。
勇気を出して、セラピーを受けてみてよかったです。
まだまだ癒すものが山盛りありますが、感謝しながら、少しずつやっていきます。
> 感情や思いという、本当は実体のないエネルギーが、あたかも“個人”が実在するかのように、ここまで深くストーリーを作り挙げていることに、私は毎回魅了されてしまいます。
この言葉に深い気づきと感銘を受けました。
私は漫画を描きますが、キャラクターとは全て「感情」と「思い」なのです。
単なる「思い」が「カタチ」を成したものが「キャラクター」なのです。
そうでなければそれはただの「文字」であり「図形」なのです。
そしてそれは見る側の解釈によって、様々に「観える」
あたかも、それが生きて存在しているかのように、「観える。」
全ては「想い」でしかないのだなぁと…。
この「世界」は本当に奇跡だと思います。
はじめまして。
とても温かみのある言葉が多いので読むのが楽しいです。
質問があります。《ごめんなさい。この記事自体の内容とは関係なくて、色々な記事を読んでの質問です。》
時間や空間がないというフレーズを色々な本などで読んだりする度に頭で理解しようとします。でも、それは頭で理解できないのが正常という事ですか?二元の幻想から体験として目覚めてない状況としての正常という意味ですが。
もう一つですが、探求者の目覚めを妨げている行為《悟りを手に入れよう》は自我がおこなっているようですが、それもただ起こっているだけで、究極的にいえば、目覚めをさまたげてはいないということですか?
真理への探究心が最近強く感じます。湧き上がるものにまかせてみようと思ってます。
読んでいただいて本当にありがとうございます。
これからも楽しみに読ませていただきます。
sakiさん、こんにちは!
ご存知だとは思いますが、私の非二元のブログ「気づきのダンス」のほうの記事に少しヒントがあるかもしれません。
↓
https://danceofkizuki.wordpress.com/
真理への探究心、素晴らしいですね!
お返事ありがとうございます。
読んでて気づきがあったように感じます。
スクリーンと映像が切り離せない、聴いてる人と音楽は一体である、でしたっけ?その二つはなんかビビッときます。
本当にありがとうございます。
あゆかさんの癒しはマインドがつくったイメージにすぎません。
本当の癒しはもっと深いところにあります。
嫌なところから目をそらさずに、よーくご自分の中を見てあげてくださいね。
あゆかさんはとても深く自分自身を追求してきた人だと思いました。
私自身も、かなり精神的に苦しい思いをしてきたはずなのに、死んでしまおうと思ったこともあるのに、損得なしに正直に心の内容を見てきたはずなのに・・・
自我がまだ生き残っていることが、なんだか恥ずかしいくらい・・・
どこかでやっぱり隠されている何かがあり、しがみついてるのかもしれません。
あゆかさんの体験、なかなか言いにくいことも話されていてすごいなぁと思いました。
こちらも何でも話したい気持ちになります。