あなたの中にある恩寵♪

今年のクリスマスは、10年ぶり(?)ぐらいに日本で過ごしました。皆が普通に働いているのが、ある意味新鮮です。(イギリスは交通機関もすべてお休みです。)

さて仕事柄、「どうすれば良いですか?」というご質問を多く頂きます。

「友人が癌で苦しんでいるんですけど、どう接したら良いのでしょうか?」
「~~してきて、今はこんな感じです。この後どうしたら良いのでしょうか?」
「~~~な状態にいます。アドバイスをお願いします。」

などなど。

こんなとき、私はその人が求めている「~~したらどうでしょう。」というお返事は一切しないんです。

反対に、

「あなたは、ご友人にどう接したいですか?」
「何が心の底から求めていることですか?」

とお聞きします。

その人がどうしたら良いかなどは、私には一切分かりません。自分でも、自分がどうしたら良いかなど、分からないぐらいですから。ただ、私は自分がなにをしたいかは、はっきり分かっています。そして、その人もちゃんと分かっているはずです。

どうしたら良いか?を「頭で」考えてしまうので、分からなくなるんですね。また、正解があると思い込んでいる人も多いでしょう。

でも、自分がどうしたいか?が、はっきりすれば、その思いを中心に行動を起こしていけば良いだけです。(もちろん、試行錯誤や失敗もあるでしょう。でも、中心がずれていない限り、心には大丈夫感があります。)

なので、自分が心から望んでいるあり方、望んでいるものを知らずに、「どうしたら良いか?」と他者に尋ねることは、どこに行きたいかを言わずに、道を聞くようなものですね。

また、先生とか、人前に立つ立場にいる人の中には、行先を言わない(知らない)人の質問に、「~~したら良い」とか、「~~してあげてください」とか、答えてしまう人もいます。

そして、その先生の言う通りに歩みだして、少し進んでみたが、また新たな疑問や分からない状態が出てきて、そんなとき、また先生に「どうしたら良いですか?」と尋ねることになります。つまり、道しるべを他者にしてしまっているんです。

もちろん、アドバイスする方は、心から役に立ちたいという親切心で答えている人もほうが多いでしょう。しかしそれは、他者に行先をゆだねてしまったのも同じことなんです。

でも、もしその人の望みがはっきり分かっていれば、その人の質問は、「そこへ行くには、車が良いですか?電車でも行けますか?」といった、もっと具体的な質問になるでしょう。

このとき、すでにその道を通った人であれば、具体的な良い情報やアドバイスをもらえますね。

ということで、やはり百万回言ってきた同じこと、“ハートの声を聞きましょう♪” ちゃんちゃん♪

と終わりにしたいところですが、「どれがハートの声ですか?」「どうやって聞くのですか?」「~~と思うのですが、これはハートの声なんでしょうか?」などなど、たくさん質問をほんとうによく頂きます。

それぐらい、人間は「思考型」になっているんだなぁと感じます。

これにも、もう何百回と同じことを答えてきたので、今日はなんだか叫びたい気分です。ということで、

ハートの声についていろいろ考え込まない!
合っているのか、間違っているのか?と悩まない!
思考が心配するぐらい、シンプルになる!

以上。

その上で、昔も書いたと思いますが、ハートの声のエクササイズを書いてみますね。

もし、あなたの欲しいものが「安定した生活」であったら、次に「それが手に入ったら、どんな感じ?」と問いかけます。もしそれが「安心感」であれば、さらに「安心感が手に入ったらどんな気持ち、気分になる?」と聞いてみます。

多くの人は、自分の求めているものは「安定した生活」「海外で仕事すること」「南の島でゆっくり休むこと」などなど、といった認識で終わっています。なので、引き寄せの法則が流行るのですね。

でも、もう少し深く見てみると、本当に欲しいものは、「安心感」や「解放感」「自由」であったりします。

そしてたとえば、本来「安心感」はもともと自分の中にあって、安定した生活など、状況にかかわらず手に入ることが見えてくれば、真の幸せにかなり近づきますね。

でも、もう少し頑張って「安心感」が手に入ったら、どんな気分、気持ちになるか?とさらに見ていきます。もしかすると「平和な気持ち」かもしれません。

こうやって、どうしてももう次が出てこないぐらいまで、同じ質問を繰り返します。ちなみに私の声は、「つながり」です。この感覚をよく感じると、自分が解けて消えていく感じになるんです。

そうやって出てきた「答え」は、あなたを支える土台であって、同時に人生という道を歩む道しるべでもあり、そしてあなたが一番信頼できる心の声です。

そして、この深いハートの声は、あなたを表面的な欲求から本質(真のあなた)に戻してくれるでしょう♪ クリスマスの夜、あなたのハートの声にそっと耳を傾けてみませんか?そこに恩寵のベルが鳴っているかもしれません。(*^_^*)

ロンドンコース卒業生限定で開催している「悟り(非二元)について語ろう」の会の一部を動画にアップしました。→ https://www.youtube.com/watch?v=ye0lsSUHpFw&list=UUKc5elW9zBTXPnVSDZrDJzA

来年からは、このブログのほかに、非二元だけを掲載する新しいブログも始めます。(*^_^*)

あなたの中にある恩寵♪」への9件のフィードバック

  1. 「悟り(非二元)について語ろう」の会の動画の一部が観られてとても嬉しいです。
    クリスマスプレゼントをいただきました。
    非二元だけを掲載する新しいブログ、心待ちにしております。

    うまく表現できませんが、感謝の気持ちをお伝えたくなりました。
    いつもありがとうございます。

  2. あゆかさん、動画のアップありがとうございます。
    名古屋の悟り(非二元)について語ろうに参加させていただきました。
    あれからずっと、自分の思いは何から出来ているか…探していました。
    探しても探しても、「何もない」しかわからなくて、主体と客体がなくてとらえられないモノ=気づきの意識 から生まれたモノかなぁと見えてきました。
    あの宿題で探す経験がなければ、今回の動画も知識として言葉だけの理解に終わったと思います。
    こういう形で、答えをいただいた事に感謝してます。ありがとうございます。
    来年から始まる非二元のブログ楽しみにしています。

    • 名古屋でのご参加、そしてコメントをありがとうございます。知識や思考ではなく、経験から答えを導きだしてくださったのが嬉しく思います。(*^_^*)

  3. はじめまして。
    いつも楽しく読ませて頂いています。
    無料ブログでためになる情報を提供していただいて
    本当に有難く、感謝しております。

    ぶしつけで恐縮ですが、質問がありまして、
    コメントをさせていただきます。
    (長文ですいません)

    溝口さんの仰っている「ハート」とは何でしょうか?
    ハートの声とは何なのでしょうか?
    (批判的な意味ではないです)

    私はNon-Dualiyの世界では否定的な表現としてよく使われる
    Intellectual Understanding寄りな人間です。

    溝口さんの先生、Rupertさんが言われる
    Awareness、Pure Awareness、
    他のNon-Dualityの先生方が言われるConsciousnessが
    溝口さんの仰るハートなのでしょうか?
    (間違っていたらすいません)
    先生方はそれらをEver Present、Never Changingと
    言っているようですが「変わらないもの」に
    「声」というのは存在するのでしょうか?
    それともSelf(真我)というものでしょうか?
    その場合、真我=アートマンでAwarenessやConsciousnessと
    言われているのはブラフマンという理解でよろしいのでしょうか?

    仏陀はNothing is permanent(無常)、 Non-self(無我)と
    言っていたというのも気になっております。
    仏陀の悟りはNon-Dualなのでしょうか?

    非次元論と仏教(Theravadaの方です)の間で
    思考がトラップにはまっていて抜け出せません。
    RupertさんのYoutube動画もほとんど見たのですが、
    そこには触れられておらず、他の先生方もそうでした。

    Satsangに参加する機会(経済力)もなく、
    溝口さんなら何か答え(もしくはヒント)を与えてくれるのではと思い、
    図々しいのは承知の上、ご質問させていただきました。
    (すみません・・・)

    Intellectual Understandingでは到達できないと言われてしまうと
    そこまでなのですが・・・宗教のバックグラウンドもなく、
    どうしても頭(理論)で理解したく真剣に悩んでいます。
    覚醒体験というのがないと、わからないものなのでしょうか?
    大変恐縮ですが、どうぞよろしくお願いいたします。

    • こんにちは!コメントをありがとうございます。「頭で理解しようとしているチャレンジャー」というお名前がとても正直で好きです。(笑)

      真剣に悩んでいらっしゃるのがとても感じられますので、私も真摯にお答えいたしますが、あまり気に入って頂けるお返事ではないと思います。

      さて、「Intellectual Understanding寄り」というよりは、なんとなく思考信奉というか、思考という宗教にはまっていらっしゃる気がいたします。(笑)

      思考の役割は、物事を分離させ、カテゴリーに分け、解釈をし、頭で理解させることですね。

      で、真実は分離することも、カテゴリーにいれることも、解釈し、頭で理解することもできないものです。

      ですので、思考にはまればはまるほど、真理から遠ざかってしまうでしょう。また、思考に同化していればいるほど、物事は分離して見え、時間や空間があるように感じられます。

      しかし、真実は分離がなく、時間も空間もないわけです。なのでどこかの段階で思考を捨てないと真実は見えてこないのです。

      ですから、私がもしお薦めできることがあるとしたら、思考信奉から抜け出すことです。

      思考をすべて捨てようとか、頭の理解を辞めましょうと言っているのではありません。最初は、頭のレベルの理解というものも必要です。ただ、頭の理解を経験の理解に持っていかない限り、真実は見えてこないということなんです。

      思考とは、空に流れる雲みたいなもので、実体のない頼りにならないものです。

      ちなみに、パソコンの手が滑っただけかもしれませんが、非次元(no-dimension)ではなく、非二元です。次元とはまったく関係ありません。でも、確かに次元もないですね。そして、仏陀の悟りは、非二元の理解と同じものだと思います。でも、そういうことはある意味どうでも良いことなんです。

      これは私が知りたいのですが、ルパートさん(ダイレクトパス=思考を通らず直接経験で導く方法)の動画をほとんど観て、どうしてそこまで思考の理解を求めているのか?がちょっと疑問です。

      なぜ自分がそんなに思考に頼りたいのかをちょっと見つめてみると良いかもしれませんね。

      PS:こちらのブログはどちらかというと心のしくみ、楽になる方法を中心にしております。よろしければ、もう一つの非二元のブログのほうにコメントくださいませ♪

      https://danceofkizuki.wordpress.com/ 「気づきのダンス」

      • 早速、お返事をいただいてありがとうございます。
        とても真摯にお答えいただいているのが伝わり、感動しました。
        ご指摘のとおり、思考で理解しようと試みています。
        そして場違いなコメントだったようで失礼しました!
        頂いたリンクのブログを読ませていただきます。
        ありがとうございました。

      • すみません。答えて頂いたのにこちらはご質問にスルーでした。

        「ルパートさんの動画を観ているのに、どうしてそこまで思考の理解を求めているのか?」

        たぶん、観ながら思考で判断しているからなのかな、と思いました。難しいです。

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