セラピストとして食べて行くには?

振り返ってみると、スピリチュアルな本を出したり、自己啓発的な本も書いたり、一見外に向いた活動をしているようですが、私の本質は内向きの「職人」(または、おたく)だなぁとつくづく思うのです。

というのも、「本を書く人になりたい」とか、「セラピストになりたい」とか、そういう思いよりも、「探求したい」「極めたい」という思いのほうが強く、結果としてそれが本になったり、セラピストという仕事になっているからです。

また、何度も書きましたが、イギリスで学んだ心理学やカウンセリングスキルが、ボランティアをしていたアルコール依存症の回復センターでまったく役に立たなかったとき、ゼロから探し始めることができたのも癒しへの「こだわり」だったと思います。

例えば、レイプのトラウマが原因でアルコール依存症になってしまった女性が、“来週裁判で、また犯人の顔を見ないといけない。嫌だけど仕方がない”と話すのに対して、私が学んだ知識は手も足も出せませんでした。(彼女は重度の鬱にもなっていました)

何もできない自分に無力さを感じると同時に、密かに職人魂が、“彼女が絶対に楽になる方法があるはずだ。私が知らないだけだ”と叫んでいたのです。

長い話をすっ飛ばすと、それがきっかけで学んだ心理学をすべて捨て、まったくのゼロからインテグレイテッド心理学を生み出し、問いかけを生み出し、年月にすれば6年ぐらいはかかりました。

そんなこんなでゼロ出発から15年ぐらい経ち、今ではインテグレイテッド心理学講座も私以外の人も開催するようになり、問いかけスキルに熟練したOADセラピストさんたちも活躍するようになってきました。

さて、この話がどこに行くのかというと、活躍しているセラピストさんたちを見て、 “あの人たちのようになりたい、なるためにはどうしたら良いか?”的な質問が増えてきたなぁと感じるのです。

もちろん、興味や情熱もあるのでしょうが、癒しを極めたいという思いよりも、早く「活躍するセラピストになる」ことが一番の目的になってしまっているように感じるのです。

私自身がゼロから始めたとき、一体どんな方法があるのかも皆目見当もつかないし、ひょっとしたら何年かかっても見つけられないかもしれない、また、見つけたとしても、それで食べて行けるのかどうかもさっぱり分からない・・・・という、ほんとうにないない尽くしの状態でした。

でも、お手本ゼロ、保障ゼロ、仲間ゼロでも続けられたのは、癒しのへの情熱というか、職人魂というか、それ以外になかったなぁと思うのです。

みなが同じ道を通るべきだと思っているのでは、もちろんまったくありません。

ただ、基本的にセラピストは、100%自由業で、なんの後ろ盾もなく、一人勝負の仕事ですから、「セラピストになる」ことよりも、「癒しを極めたい」という気持ちが勝っていないと、続かないだろうなということなんです。

ところが、それなりの人が「こんなふうになる」、「こんなふうになりたい」という形のほうに囚われすぎ、そういう風になるには?という発想になっているような・・・。

で、形に囚われてしまうと、まだそうなっていない自分への焦りが生まれたり、人と比べたり、時間(2年内には・・・など)に囚われたり、資格の条件をこなすことが一番の目的となったり、エネルギーがまったく意味のない方向へ向いてしまうでしょう。

また、セラピストになったとしても、セッションで結果が出せなかったとき、そこを追求しようというより、自分には向いていないと思ってしまったりするかもしれません。

しかし形に囚われるのではなく、“どうしてこの人の苦しみはなくならないのだろう?”、“こういうケースの場合、私には何が見えていなくて、まったく変化がないのだろう?”といった思いのほうに囚われたら?

真剣な追求、探求モードになったとき、時間や人との比較など基本どうでも良くなるはずです。そこには純粋な好奇心、興味、情熱があるだけ。

なので、何も見えていない段階でも楽しく、焦りも出てきませんね。

もちろん、そんな保障ゼロの一人旅を始めたのが30代後半だったので、将来食べていけるのだろうか?という不安は普通にありました。あまりにお金がなくて、バスに乗るのも節約していたぐらいです。

でも、確信犯貧乏でしたし、情熱のほうが勝ってしまっていたのです。振り返っても、楽しかったなぁとしか思い出せない・・・・。

もちろん、同じぐらいの情熱を持ちましょうという話でもありません。

ただ、“セラピストになりたい!”ではなく、“癒しを極めたい!”という思いが、自然に食べていけるセラピストを生み出すと思うのです。

というか、何の仕事でも同じことが言えるでしょう。

どの道でも極めていくと、それを認めてくれる人たちが必ず現れ、それがビジネスにつながっていきますよね。

ここまで読んで、私にはそこまでの情熱がないと思う人もいるかもしれません。

情熱と言っても、熱い感覚がずっとあるということではなく、興味、好奇心がなくならないということです。

そして、情熱がないなぁと思う前に、自分が自分をどれだけ受け入れているのか?どれだけ優しい目でみているのか?どれだけ肯定しているのか?を見てみませんか?

自分への否定は、情熱への否定とほぼ同じことです。

自分への否定がやめられないのなら、やめられない自分を理解することから始めても良いですね。

ということで、最後は自己受容のいつもの話で落着♪

そういえば昔書いた「まずは思い込みを捨てましょう」という本にも同じようなことをもっと詳しく書いています♪ (絶版なので、中古品よりお買い求めください。)

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北海道函館セミナー“自分を愛する&悟りとセラピー”

日程:2017年6月24日(土)
時間:10時~16時30分
場所:函館市亀田福祉センター
http://www.kame-fuku.com/
費用:1万2千円
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