事実10%、解釈90%の世界に生きる私たち

先週末より、インテグレイテッド心理学始まりました! またの名を現場主義心理学~♪

現場主義・・・・。理論や分析などに一切頼らず、今、自分の心のなかで何が起きているのか?を徹底的にベースにしています。

じっくり見つめていくと、個人個人のいろいろな心模様やパターン以外に、すべての人が共通して持っている心のしくみも見えてくるはずです。で、その中の一つに私たちは『事実と解釈をほとんど区別しない』というのがあります。

私たちは普段あまり自分の心を見つめたりしませんので、推測や解釈、事実もごっちゃにしてただ考えていることが多いんですね。

で、その自分の解釈を紛れもない事実だと思い込んでしまい、苦しんでしまうんです。

例えば・・・・・・と、例も挙げられないぐらい、私たちの思考は解釈だらけですが、敢えて「リストラにあった」という例を挙げてみた場合、

事実は、「会社が私に解雇を告げた」です。

でも、思考は「解雇された」と個人的な表現に変え、そして「食べていけなくなる」、「この年で再就職は難しい」、「自分はこんなに会社に貢献したのに」、「今は不景気だから求人が少ないのにどうしよう・・・」などなどストーリー(解釈、意味づけ、etc)を暴走させます。

これらは事実に付随している解釈ですが、本人にとってはどれも事実になってしまうんです。

でも、ある人はまったく同じ状況で、「自分を活かせる場所が他にあるはずだ」、「自分を認めない会社なら長くいなくて良かった」、「いっそうのこと自分で事業を始めようか」、「学んだこともたくさんあった」といったようなストーリーになるかもしれません。

ストーリーの違いは、本人の自己価値の高さによります。自分を肯定的に捉えている人ほど、湧いてくるストーリーは緩く、前向きなものが多くなりますね。一方、そもそも被害者意識が高く「私は無力だ」みたいなセルフイメージを持っていれば、リストラは悲惨な事実として確固たるものになりがちです。

リストラは、一般的に「悪いこと」と解釈されることが多いため、苦しむのは当然だと皆が思いますよね。このある意味集団的解釈が、ますますストーリーから抜け出すのを難しくします。

しかし、インテグレイテッド心理学が目指している癒しは、「リストラにあった惨めな自分」を癒すことではなく、ネガティブに解釈してしまう大元のビリーフ、「私は無力だ」を癒すことです。これによって根こそぎ楽になります♪

しかし、中には「今は不景気だから求人が少ない」というのは事実なのだ!と、統計まで持ってきそうな勢いで説得しようとしてくる人もいます。だから自分が苦しむのは当たり前だ!と自分の苦しみを正当化するというか。

もちろん、気持ちはものすご~く分かります。私もあらゆることが、事実だとしかど~~しても思えなくて超苦しんでいましたので。いやぁ、ほんと~~に苦しかったです。で、その頃、「それはただの解釈です」と言われたら間違いなく怒っていたでしょう。

でも、基本、私たちが事実だと思っていることの90%ぐらいが解釈です。盛りに盛ったストーリーです。(インテグレイテッド心理学中級講座で詳しくやります♪)

ですが、自分が事実だと握りしめている思いを緩め、解釈なのだと見えてくると、そこに本当の助けが待っているんですね。

「真実」は状況のいかんにかかわらず、そこに「優しさ」をもたらしてくれます。状況は何も変わっていないのに、(苦しみから)「救われた」と深いところで感じるんです。

ちなみに、解釈をしてはいけないとか、考えてはいけないという話ではもちろんありません。それは不可能です。ただ自分の解釈を無条件に信じるのではなく、見つめてみようというご提案です♪(バイロン・ケイティのザ・ワークもお薦め)

さて、この流れでお知らせがあります!

まず、東北大震災のメンタルケアプロジェクトを目的に発足した「ハートサークル」は、今年に入り「一般社団法人ハートレジリエンス協会」と名称が変わりました。

新しい活動も始まりつつあり、その最初の一つとして「介護をしているケアラーのあなたへ~こころを軽くするヒント集」という無料冊子を作成いたしました。

家で一人で介護していると、日々の仕事の量の多さから外にあまり出かけられず、つい孤立してしまいがちです。すると、今ご説明してきたように自分の一つの思い(解釈)に落ち込んでしまい、いつしか「もう死ぬしかない・・・」と思い詰めてしまってもおかしくありません。

そこでまず、そんな緊張した思いを緩めてもらうことと、そしてまた、介護が大変であるからこそ自分をケアして欲しいという気持ちを込めて作ってみました。

イメージとしては、こういったブログを読んでいなくて、こころのしくみも何も知らずに日々頑張っているケアラーの方々の手元に届けることです。

ということで、もちろんご自分がケアラーの方でも、またそんな人が身近にいる、または、病院や役所の福祉課に勤めている、民生委員をしている、介護サービスに関わっているなどなど、希望者の方には無料で配布いたします。(郵送料のみご負担ください)

ただ、ボランティアで対応しておりますので、

1)50部ごとに受付け、注文がまとまったときに発送という形を取らせてもらっています。

2)1、2部必要な方はサイトから無料でダウンロードして頂けます。

お申込み、ダウンロードはこちらから

で、お詫びですが、複数でチェックしたにもかかわらず、誤字脱字がそれなりにございます。ハートレジリエンス協会の中心メンバーは、人の心を楽にしたい!という情熱はとっても大きいのですが、なぜか、1)数が数えられない、2)スーツケースを忘れる、という性格の者が多数おります。今回どうもこれに、3)目が節穴、という項目も加わることとなりました。ほにゃ。(代表の性格が反映しているのか?)

もしこの冊子が好評で2刷りまで行けば、外部の方に校正をお願いし、きちんと修正をする予定でおりますが、優しい目で見て頂けますと有難く思います。m(__)m

ということで状況がどんなに変わらなくても、“解釈”という思考の夢から目覚めてみれば、きっと優しさがそこに見える♪

☆☆☆☆ セミナーのご案内 ☆☆☆☆

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探しものは何ですかぁ~~♪♪

さて、今回もノンデュアリティと癒しという限りなくグレーな記事をかいてしまおう。

「真理を知りたい」と「苦しみから逃れたい」は、コインの表裏のように、多くの人の「悟り」のイメージのなかにあるかもしれません。

確かに、苦しみは何か“偽”りを信じ込んでしまっているときに生み出されます。分離していないのに分離しているという思い込みから始まり、自分が状況をコントロールできるという思い込み、そして様々な誤ったビリーフ、セルフイメージ。

また、「出来事」(=あるがまま)を私たちはどうしても判断したり、解釈してしまいます。そのため、「出来事」=(あるがまま)は歪曲され、そこに抵抗を生み、やっぱり苦しみが生まれますね。

こういった自我の勘違いやもがきは、人間ドラマを作るには必要だけど、そのかわりもれなく苦しみもついてきます。

そういう意味で、“偽り”から目覚めれば、根本的な苦しみに終止符を打つことができます。フィニート♪

しかし一方で、日々悩んでいる人、苦しんでいる人を相手に仕事をしていると、ノンデュアリティのメッセージが個人のストーリーを癒せない現実にも年中直面しています。

いくら悟ったところで癌細胞が消えるわけではないように、幼少の頃のトラウマもやっぱりそのままあります。

しかし、真理は苦しみを癒すはずだと、イギリスのサットサンでも子供の病気のことや恋愛の悩み、生き辛さを訴える人をけっこう見かけます。

気持ちはとても理解できるのですが、この場合、本当に求めているのは真理ではなく、自分の苦しみが癒されることですよね。

真理は苦しみを癒すけど、真理は癒しのツールにはならないんです。この微妙な違いは、非常に大きいんです。

というのも、すべてをあきらめたときにやっと真理の門に立てるのに、ある意味その正反対を目指してしまうからです。

つまり、失敗が約束されている旅に出てしまうんです。

しかも、悟り(解放?恩寵?)などいつ訪れるかも分からず、カウンセリングやセラピーも受けず、結局苦しみをひっぱり続けることになりがちです。

で、どうなるかというと、ティーチャーやメッセンジャー達に怒りを持ち始めたりするんですね。

ルパート・スパイラのリトリートでも、“2万ドル払ったのに(彼が今まで払ったリトリートの合計らしい)、まったく何も変化がないし、効果がまるで感じられない!!”と食ってかかっている男性を見かけました。

なぜかランチタイムでその男性が隣に来て、話をしているうちにEFTをやってくれということになり、午後の休憩タイムにそれをテーマに見ていきました。すると、“もう自分は70歳になるのにまだ真理が見えない。”、“私はいつも失敗する”といった思いがあることが分かりました。(←子供の頃の心の傷につながる)

結局、自分の焦りや不安が怒りとなってティーチャーにぶつけていたんです。その男性は、仕事も辞めて、家を売って、真理を知る旅を始めただけに焦りも相当あったんですね。

まぁ、人のリトリートで何やってんだ私・・・・?とも思いましたが、リトリートは休憩時間のほうが長いので、よくセッションを頼まれたものです。

話を戻しま~す。

で、悟りに助けを見出そうとする心のしくみをちょっと覗いてみると・・・・、

例えば、「神でさえ私の問題など解決できない」「誰も自分を助けられない」などと、助かる道、楽になる希望は一切ないと思い込んでいるとき、絶望の底のかなり苦しい状態にいます。

部屋に完全にひきこもっているか、またはなんとか生活はしているけど、できれば死にたいと思っているような状態です。

でも、なんらかのきっかけで、「もしかすると、何か、または誰かが私を助けてくれるかもしれない」という気持ちが生まれると、苦しさはさほど変わりませんが、ほんの少し前向きな気持ちが生まれます。

そして、セミナーなどに出かけ始めますが、「誰か(何か)が自分を救うだろうという発想なので、基本的に依存先を探しているんです。もちろん、本人はそう思っておらず、単純に自分が楽になるメッセージやメッセンジャー、またはツールを探しているだけだ・・と思っています。

が、ここがミソなんです。

本人は無意識ですが、気持ち的には、そのメッセージやツールにすがってしまっているため、それによって楽にならないと、たいていそれがものすごい怒りに変化してしまいます。

そうすると、もともとの生き辛さに加え、楽にならない怒りも加わり、余計苦しみが増す・・・という状況に陥ってしまうんです。

または、苦しみの理由が満たされない愛であった場合、メッセンジャーと恋愛関係になることを目指したり、度を超えた熱狂的ファンのようになってしまうこともよ~くあります。

頭では真理が自分を救ってくれると思い、セミナーやリトリートへ出かけますが、実は真理なんて全く求めていないし、でも癒しも起きない・・・という状態を自ら作ってしまっているんです。

そんな人々をたくさん見てきて、自分がセラピストだからということもありますが、苦しいならやっぱりセラピー受けようと思ってしまうのです。

で実際、分離感を癒したいのだ~とか、真理に目覚めたいとか思っていても、いざ楽になってしまうと、もう非二元には興味ありません~~みたいになったりする人もけっこういます。

つまり、自分が本当は何を求めているのか、よ~く探ってみる価値はある!ということなんです。

喉が渇いている人には真理よりも水が必要であるように、愛に渇望している人にも真理よりも癒し(自分の中の愛に気づくこと)なのかもしれません。

そして、ある程度渇きが癒されたら、「自分に役立つか?」といった思いなどで歪曲されずに、真理を指すメッセージがその人の心にきっとまっすぐ届くことでしょう。(*^_^*)

愛が苦しみを生み、そして癒す

さて、すでに満席となりましたが、11月8日に「ノンデュアリティの夜明け」というタイトルで阿部敏郎さんらとコラボさせていただきます。)

カウンセラー&セラピストの私が、ノンデュアリティについて書くと、悟り=苦しみの解消みたいな構図が強化されてしまうかも・・・と思い、こちらのブログは「癒し」を中心に、もう一つのブログ「気づきのダンス」では、ノンデュアリティについて書いております。

と、言いつつ、その辺は限りなくグレーです。あはは。

ということで、今日は ジャン!“そもそも人はなぜ苦しむのか?”という大きなテーマで行きます。

まず、セラピーの観点からすると、私たちが“苦しい”、“辛い”というときは、様々な感情、またはある一つの感情がいっぱいいっぱいになっている状態です。

例えば、ちょっと悲しいぐらいなら苦しくないですが、何していてもどうしようもないぐらい悲しいと苦しくなりますよね。

または、怒りや罪悪感、混乱や絶望感といった様々感情が重なり、それらが高まってくると、やっぱり苦しくなります。

なんとか押さえつけたり、ないふりしたり、気を紛らわすことで忘れられたら、それほど苦しくないかもしれません。が、それらもできないほど、感情がたまってしまった状態が苦しい状態なんです。

ですので、苦しい、辛いとおっしゃっている方に、何が苦しいのですか?とお聞きしても、“とにかく苦しくて・・・”とか、“何もかもが辛い”というように、話が漠然としてしまいます。

というのも、そもそも感情が抱えきれない状態になったのも、様々な思いが絡み合っているからです。なので、何から話して良いか分からない、自分でも何が苦しいのか分からない、という状態になっているからです。

ですから、そういった場合は、とりあえずパンパンに溜まってしまった感情をEFTやマトリックス・リインプリンティングで少し解放し、ある程度落ち着いてから、きちんと見ていくというのが私はお薦めです。

ということで、一つは感情がたまりすぎたとき、私たちは苦しみます。

で、この話の流れのまま、もう一つ私たちが苦しむ理由を書いていくと、

例えば、病気のせいで働けなくなり、他者に依存しないと暮らせなくなってしまったという場合、どうして自分だけ病気になったのだ!という怒りや自己憐憫、他の人の負担になってしまっているということへの罪悪感や悲しみ、自己否定や無力感などといった様々な思いや感情が一人の人の中で起きがちです。

そのたまった思いや感情の中には、人にこんなこと言われた、こんなふうに扱われたといったたくさんのエピソード、そして“自立してこそきちんとした社会人だ”、“自分を活かせない人生は無駄だ”といったような、その人なりのビリーフがいくつも絡んであります。

このように思い、感情、エピソード(記憶)が複雑に絡み合って、私たちは苦しみを体験します。なので、こういったものを一つ一つほぐし、ほどいていくと、状況は変わらなくても、心は少しづつ楽になっていきます。

そうやって重くのしかかっていた感情や思いの束が薄くなっていったとき、私たちはしばしば大きな喪失感と出会います。(もちろん、人それぞれです。)

喪失感というのは、自分が愛した何かを失ったときに出てくるものですね。自分が愛さないものがなくなっても、私たちは喪失感を感じないはずです。

なので、喪失感と愛は表裏一体なんです。じゃぁ、このとき出遭う喪失感は何か?というと、「愛している自分」「愛している自分の人生」への喪失感なんです。

“私はこんなはずではなかった”、“私の人生はこんなはずではなかった”

自分を愛しているから、幸せになって欲しかった、自分の大切な人生だから、良い人生であって欲しかった。

愛していない人の人生は、正直に言えば、どうでも良いはずです。心を痛めることもあるでしょうが、それが苦しみにはならないはずです。

苦しみになるのは、愛している自分、愛している家族、または愛している誰かが、うまくいかなかったときですね。

だから、私たちが苦しむのは、そこに「愛があるから」なんです。自己否定してしまうのも、逆に言えば自分を愛しているから。

なので今までの経験上、喪失感までたどり着くと、癒しは実は進みやすくなります。(喪失感に囚われすぎない限り)

どうするのかというと、喪失感を感じながら、自分をイメージの中でいっぱい抱きしめてあげるんです。ごめんね、大好きだよ、頑張ったね、ありがとう、などなど、かけてあげたい言葉をかけながら。

この段階で、マトリックス・リインプリンティングを使うのもとても効果的です。イメージの自分にタッピングをするので、喪失感に呑み込まれずに、その裏にある暖かい愛の感情へスムースに移行できます。

こうやって、自分の中の自分を愛するエネルギーに触れたとき、真の癒しが訪れます。また、それを自分で実感することがとても大切なんですね。なぜなら、自分で実感したものは、決して消えないからです。

厳しい状況の中でも、愛を忘れずにいられるんですね。

悟りや非二元は、究極の癒しであることはほんとうに間違いないです。でも、個人、個人の悩みに対応するものではないんですね。

なので、もし今あなたがっとても苦しい思いをしていたとしたら、自分の中の愛に触れる方向へ向かってみるのはいかがでしょうか?

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ハートサークル(ボランティア団体)では、毎月ショートセミナーを東京で開催しています。

10月のセミナー「怒りの解放~自分や他人、世の中への怒りで辛い時の心の仕組みと対処方法」、講師は自らも深い苦しみから抜け出し、今は他の人を自分の愛へとつなげるセラピスト浦松ますみです。http://healing-space-mamy.net/

(ブログを書いているうちに、お陰さまで定員満員となりました。また同じテーマで開催しますので、そのときはぜひご参加ください!)

見つめきった先に見えるもの

Anne Hathway's Cottage

Anne Hathway’s Cottage

イギリスは一年で一番きれいな季節です。先日は、シェークスピアの奥さんの実家を訪ねてみました。(写真) お庭が、イギリスの童話の世界そのままでとてもかわいらしかったです。ただ、ガイドによると当時の生活はかなり悲惨だったよう。

さて、前回の記事の続きのような、そうでないような。

とりあえず、始めに明白にしておきます!分かってくだっている方も多いかと思いますが、セラピストとして、クライアントさんに悩みに対して、“あなたの苦しみは幻想です”とは、決して言いません。

人は自分の苦しみが理解されたと感じたとき、少し楽になれるものです。ですから非二元のメッセージを持ち出し、“何もおきていません”などとただ言われても、まるで自分の苦しみが否定されたかのように感じられ、心が傷ついてしまう可能性のほうが高いでしょう。

ただ、もしクライアントさんが、このメッセージを考えのレベルではなく、真に見抜き、感じ取ることができれば、それは必ず根本的な癒しをもたらします。とはいえ、自我的世界観が深く刷り込まれている私たちにとって、それは簡単なことでありません。

ですので、今苦しいのなら、非二元のメッセージでどうにかしようとするよりも、カウンセリングやセラピーを受けたほうが良いですよと私はいつもお話ししています。

で、例えば“すべては幻想”とか、“全てはありのままで完璧”といったメッセージを聞くと、たいていは、“あり得ない!この社会のあり様、悲惨な出来事、人々の苦しみが見えないの!”という疑問がきっと沸いてくるでしょう。

なので、そんなきれいごとを言っている場合じゃないとか、生ぬるい戯言とか、現実を見よといった、批判が出てくるのも理解できます。

でもそのへんを、今日はちょっと違う角度からこのテーマを見てみたいと思います。

私たちは往々にして、外に起きている様々な出来事、他者の苦しみに目が行ってしまいがちです。なので、“全てはありのままで完璧”といったようなメッセージを聞くと、そんなこと言っている場合ではない、人の苦しみを和らげなくて良いのか?といった気持ちになるのは、ある意味しごく当然です。

では、ちょっと目を向ける方向を変えて、自分の内側の世界を見てみるとどうでしょう? そこはどんな世界でしょうか? きちんと目を向けなければいけない痛みや苦しみはあるでしょうか? 自分の中にあるダークな部分、癒されていない心、怒り、悲しみ、絶望感、無力感、喪失感といったものに、きちんと向き合ってケアしているでしょうか?

こう振り返ってみると、多くの人があまり何もしていないんです。何もしていないだけではなく、気づいてもいないことも多いですね。

嫌なことがあっても、気を紛らわしたり、大丈夫なふりをしたり、忘れるようにしたり、または、人生は辛いものだとあきらめ、我慢して過ごしたり。一番の問題は、誰も自分との向き合い方など教えてくれないことだとは思いますが。

いずれにしてもこうやって自分の心の中を見ないことは、ある意味“そんな感情など私にはありません。(何も起きていない)”と言っているようなものなんです。

そんな場合、 “何も起きていない。すべては幻想”といったようなメッセージを聞くと、ケアされていない自分の痛みに触れて、かなり腹が立つはずです。(抑圧→投影) なので、もしあなたが憤りを感じたら、そんなことを言っている場合か!という思いは、本当は自分に向けられたものなんです。

さて、“すべては幻想”とか、“全てはありのままで完璧”というメッセージがほんとうなのかどうかを確かめるには、どうしたら良いのでしょうか? いつか悟り体験や覚醒体験をするのを待つしかないのでしょうか?

もし、葉っぱについて知りたかったら、家で葉っぱについて考えたり、辞書を調べたり、葉っぱの専門家(幼稚な言葉で失礼します)のブログを読んだりするよりも、実際に葉っぱを手にとってよく見てみることが一番大切ですね。

同じように、自分が経験していること、起きている出来事をよく見つめることでしか、これらのメッセージが真実かどうなのか見えてこないんです。なので、決して起きている悲惨な出来事を “本当は幻想だから”と、起きていないことにしてしまうのではないんです。

その反対で、自分の中に沸いてきている思いや感情と真正面から向き合うんです。それも一度だけではなく、何度も何度も。

例えば、自分の存在自体が打ちのめされたようなショック、足元が振るえて立てないほどの後悔、体全身が引きつりそうなほどの悲しみ、上半身中心を通り抜けるような孤独感、いくつものトラウマ的な出来事。

それらと向き合い、寄り添い、そして解放していくうちに、どんな苦しみ、どんな悲惨な出来事も現れては去っていくものだということが、否応無く見えてきます。あんなに自分を苦しめた感情も、感じたくなくて強く抵抗した感覚も、消えてなくなっていくのです。

どんなに頑張って見つめても、すべては流動的で、不変に留まるもの、実体と言えるものは一つもないのです。ところが、それに気づいている意識だけは、ずっとあるんです。ただの一瞬も消えることなく。

そして、その気づきの意識に立っていると、すべては現れては消えていくはかないものにとして感じられてくるでしょう。

ある日思いを眺める瞑想をしていたときです。中にはいくつか私を長年苦しめていた思いもありました。しかし、感情を見つめ、解放してきたかいもあり、私は感情に巻き込まれることも、それらの思いを信じることもなく、とにかくただただ眺め続けていました。するとある瞬間、 “なんだ、何も起きていないじゃないか”とふと腑に落ちたのです。これは、一瞥体験で感じたときよりもずっと普通な感じで入ってきました。

そしてまた、安堵感もそよそよと私の中を流れていきました。私は長い間自分を癒してきたけれど、そもそも「癒しが必要な傷ついた私」というのは存在していなかったと、十分に認識できたからです。本当の私たちは、本質的に傷つくことは不可能なんです。そして、今度はその感覚が私の中に残り続けました。

でもこれを、また頭で「私は傷つくことができない存在である」と情報として受け取ってもまったく意味がありません。だから、傷ついている人にそんなことは決して言わないのです。

気づきの意識に寄り添っているとき、思考が邪魔しない分、人の苦しみももっとまっすぐ感じることができるでしょう。はかないものと認識しつつ、同時に出来事をいっぱいに感じるんです。

はかないのに、生命の息吹に満ち溢れた現象。

絶え間なく存在する気づきの意識。

そしてそれらすべてが、本当の私たち♪

“私の居場所は、今ここ”

今回も、ロンドンのカウンセリングコース(Integrated Counselling Diploma Course)参加者の癒しの旅をご紹介させてください!

痛みがあったり、ネガティブな感情が沸いてきたりすると、思考は瞬時にそこから物語を作り始めます。“悪性の病気だったらどうしよう”、“いつまで続くのだろう?”、“きっと自分に欠けているところがあるのだ”、“自分はうまくやっていないに違いない”、“ネガティブな感情が出てくるなんて、私の波動はまだ低いのだ”などなど。

この物語は、「今ここ」にある痛みの感覚、ネガティブという感情を嫌がり、抵抗し、そこから逃げたい、変えたいともがき、それらの感覚を大きな問題に仕立て上げていきます。しかし、頭の妄想を取り除けば、そこには純粋な痛みや感情があるだけ、私たち自身に何も問題はないんです。

私たちが、深いレベルで求めているのは心の平和でしょう。痛みやネガティブな感情があることを許すことで、頭の妄想は去っていきます。そして、痛みや感情に対処すれば、妄想ではなく、真実をベースに癒しが起きるでしょう。ということで、今回の旅の主役は、Kee(みやぎひさえ)さんです♪

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“自己を見つめる”。小さな頃から苦しいときには「なんでだろう?なんで私はこんな気持ちなんだろう?この“苦しい”って何だろう?」と考え、問いかけてきました。そして、自分ではそれを「自己を見つめ」ていることだと思っていました。でも、問いかけのあとに私がしていたことは“エゴがハートの声をを抑える”こと、“律して、正すこと”であり“結論付けること、判断して批判すること”でした。

三歳で両親が離婚してからは、祖父母にも面倒を見てもらいながら働く母に育てられました。母からも祖父母からも十分な愛情を注がれてはいましたが、どことない寂しさや「欠けている」という感覚は常にありました。大きくなるにつれて、「父親がいない家庭で育った私は足りないところがある欠陥品」という思いも強くなっていました。

この欠如感や、そして「私は異常なんじゃないか。」という恐怖もあったので、本などでたくさん情報を集めました。「アダルトチルドレン」や「トラウマ」という言葉を見るたびに、自分が弱者であることを決定的にするようかのように捉えてしまい、「離婚したら、すぐトラウマなんて」とか「親から言われたことで傷ついてたら、この世はACだらけで、みんなが異常じゃないか」と怒りを感じ、自分の思いや叫びに気づかず、批判だけしていました。本当は、寂しくて恐くてどうしようもない、苦しいし、不安。どうすればよいかわからない。頼りたいけど頼れない。甘えたいけど、甘えてはいけない。弱音を吐いてはいけない。こういうルールを小さな自分に課し、「立って!進んで!背筋を伸ばして!休んじゃだめ!」としていたのです。

このひずみは高校生の半ばぐらいに心身のバランスを崩す形で出ました。そんな自分は「異常な自分、ダメな私、」だと信じ、親にも友達や彼にも誰にも相談できずにいました。さらにこの時期に母の心身にも不調が出てしまい、「何でも助けてくれる神様がいるんなら、どうして私たちは、こんなに苦しいの!神様がいたら世の中に苦しみや飢餓、戦争なんかない!神様なんていない!うそだ!」と叫んでいました。そして、母を責める一方、大好きな母を責める自分をまた責め、何重もの苦しみにいたのです。

苦しさが募っていたある日、大学である先生に出会い、カウンセリングを受けることになりました。話せたときの安堵感、そして、先生が言ってくれた「君は病気じゃないよ。」という一言。「救われた。わかってもらえた。私は異常なんかじゃない。」このときの思い、安心感、これが、一番最初の癒しの体験と言えるでしょう。

カウンセリングが進む過程で狂ってしまったと思っていた母のことも、再び違う目で見ることができるようになりました。その違う視点で眺めたときに、母の抱えていた苦しみ、人が持つ心の動きが少し理解できました。この経験によって、「人を癒す前にまず自分のことを見ないと、それはただの共依存になる」と学んだと思います。

ロンドンコースには去年の2012年に参加しましたが、ここでの体験と学んだ知識、仲間は本当に大きなものになっています。腑に落ちる感覚、ハートが「コレ!!」という感覚もたくさんありました。「周りの人や自分をセパレートしなくても、大丈夫なんだ。この心地よさに身を開いていいんだ。」「このトンネルには出口があったんだ。もう、いろいろ答えを探したり、自分を責めたり、誰かのせいにしなくていいんだ。」という安心感や、また自分を責める気持ち、悔しさ、それを大きく包む愛、いろいろな感情が混ざり合って湧き出したことを思い出します。

今までとは違う、そして、本当は最初から何も変わらずOKな日常が始まっています。ただ、「私は、私たちは愛だった。」これを思い出すだけです。マインド、ハート、ソウルレベルでの理解があると、私たちは一瞬一瞬がなんて愛の中にいるのだろう・・と感じます。相変わらず怒りや悲しみはやってきますが、以前のように、私は「苦しみ」そのものにはなりません。

答えや安心感も外に求めるのではなく、自分の中に探すようになりました。そして常にあった「今、ここじゃない。私の居場所はどこ?」が「私の居場所は、今ここ。私は、ここにいて、そして、十分な存在である。」ことに変わりました。

この「みやぎひさえ」というストーリー、周りで展開されるストーリーが本当に美しく愛しく感じられます。そして、たくさんの物語が織り成してできている今この瞬間、「私」も「誰」もない、一部としての私(言葉にできないですね。)を思い出せたことに喜びを感じています。誰に、どこにむかってかわからない「ありがとう。」を感じ続けています。

Kee(みやぎひさえ)ホリスティック ヒーリングサロン AROHAM

☆☆☆☆☆セミナーのご案内☆☆☆☆☆

「あゆかの部屋」「悟りについて語ろう」募集中! 

東京「あゆかの部屋」は満席となりました。キャンセル待ち募集中!

※ネットがつながらない場所に9月3日(火)までおります。お振込みいただいた皆様、お返事が少々遅れ、ご迷惑をおかけいたしますが、ご了承くださいませ。

「問題だ」という思いをはずして見ると・・・

爽やかな良い天気が続いていますね。すべてのセミナーが終わり、日本滞在もまた終盤となりました。ご参加いただいた皆様、本当にありがとうございます!

今回、イブニングセミナーでは、「目覚め」「真のわたし」を話しまくり、顔に?マークをつけてお帰りになった方もいらっしゃったかもしれません。今後の私の課題は、伝えたい気持ちは大きいのに、その言葉がないもどかしさをどう克服していくかだなと強く思いました。

とはいえ、たとえ情報としてだけでも、「真実」を知ることは、大いに意義はあると思っています。醜いあひるの子が、自分は白鳥だったと気づいたように、大海の小波だと思っている私たちは、実は大海そのものなんだよ、と気づくことで、生き方や見え方はうんと変わってくるでしょう。

さて、日本滞在の終盤はいつも加速的に忙しく、更新も遅れがちです。なので、今日はちょっと短めです。

昨日、ガイアの夜明けを観ました。中国の農村の少女が始めて大都市へ出稼ぎに行く日、少女は大粒の涙を流して泣いていました。それを見守る両親も幼い妹たちもみんな泣いていました。

初めて家を離れる心細さ、家族に会えなくなる寂しさ、妹たちの学費を無事稼ぐことへの不安が、すべてあいまって流れる大粒の涙がまっすぐ私のハートに伝わってきました。私ももらい泣きしながら、同時にこれほどにまっすぐにあふれてくる感情の純粋さに、人間として生きることの美しさを思い出した気がしました。

この情景をかわいそうだ、貧困は辛いことだと判断することもできるでしょう。でも、もしそういうレッテルを貼らないで観てみると、そこに見えてくるものは、家族の愛や少女が人生に立ち向かうひとつひとつが重なり合った感情の波です。

私たちはとかく、ネガティブな感情を嫌います。寂しくないほうが良いし、悲しくないほうが良いし、不安がないほうが良いと思っているでしょう。

しかし、それを「悪いことだ」「問題だ」としなければ、すべての感情は、人間として生きるうえで人生を豊かにしてくれるなぁと思うのです。

時を経て、大泣きした少女の悲しみは、帰郷するときのうずくような興奮、結婚、出産のあふれる喜びに変化し、そしてそれもまた変化していきます。すべてものが移り変わっていくなかで、私たちは、なんとしてでもいつもポジティブな感情だけ味わっていたい、状況をいつも自分の思い通りにしたいと頑張ることで、逆にストレスを作っているかもしれません。

しかし、大海に様々な波が起きるように、私たちの世界には、昔も今も様々な出来事が生じます。それが自然のなりわいですね。

誰かの家では、病人がいて
誰かの家では、アルコール依存症の父が叫び
誰かの家では、家にひきこもっている人がいて
誰かの家では、家を旅立つ人がいて
誰かの家では、命を絶った人がいて
誰かの家では、新しい誕生があり
誰かの家では、無事の帰郷を祝い
誰かの家では、ひとりぼっちで泣いている人がいて

あらゆる出来事のなかに、あらゆる感情があり、喜びも苦しみもあり、またすべて必ず形を変えていきます。

なぜ私はこんな目に遭うの? なぜ私の家ばかりこんなに大変なの? “普通は、みんなは、もっと楽に生きているのに・・・” この思いが私たちを自分のドラマの犠牲者にし、苦しみはさらに増してしまうでしょう。

しかし、起きていることすべては、悪くもなければ、良くもなく、そこにはさまざまな思い、感情があふれ出ているだけですね。これは問題だ!という目で見れば、その人も、その状況も「問題」「悪いこと」としてしか見えないでしょう。

でも、その思いをはずして見ると、そこにあるなまの人間の感情がきっとあなたのハートにストレートに響き、批判のない純粋な共感心がわいてくるでしょう。

同じように自分を見てみると、“自分は問題を抱えている”、“自分はダメだ”、“自分は変わらなくてはいけない(でも変われないからダメ)”と自分を見るのをやめ、思考をすべて横に置いてみると、そこにあるのは、なまの感情や感覚だけです。

そして、ふか~い息を吸って、「この状況の中で、私はどうありたいか?」(正直でありたい、やさしくありたい、平和でありたい、etc)と自分に真剣に問いかけ、全身でその思いを感じれば、きっと力が沸いて来るのが感じられるでしょう。

正反対のことが、両方とも真実?

日本の台風被害は、イギリスではほとんど報道されていませんが、被害がかなり大きいようですね。自然がそんなことしないことは重々承知の上、つい「あぁ、もうこれ以上日本をいじめないで~」とかつい思ってしまいます。

さて、今回もコメントへお返事させていただきます。下記のコメントです。ありがとうございます!(長かったので多少省略しました。)

わたしはあゆかさんのすすめられている神との対話や引き寄せの法則を読んでから、これらの本にかかれている教えてを信じていました。ですが最近ガンガジの動画をみたり調べたりするようになって、全く違ったことがいわれていてびっくりしています。<省略>・・・・(ガンガジは)物語を捨てなさいと言っています。でも物語はセラピーやカウンセリングにかかせないことですよね? ガンガジの師パパジは、「私を捨てなさい」と言っています。でも引き寄せの法則では、私はこうしますとか、私というフレーズが最も強力な力をもっているっていってましたよね。それにガンガジは、私とは何者かを考えることが私たちを邪魔してるといいますが、神との対話では私とは何者か?を定義するために生きているとかいてありました。まだまだあるんですがこういう対極の意見って一体どういうことなのでしょうか?

大変良いご質問ですね。とりあえず、私が理解していることは、こうです、という形でお返事を書かせてくださいね。「この世が幻想ってどういうこと?」という記事にも書きましたが、私たちが現実だと思っている世界は、エネルギーが移り変わっていくバーチャルリアリティの世界です。

私たちが、こうしたい、ああしたいと思っていることは、すべてこの移り変わるバーチャルリアリティの世界での話です。この世界では、「私は~だ」という思いを持てば、それがコマンドとなり、エネルギーが方向づけられ、それが自分の体験として現れ出てきます。バーチャルリアリティの世界が作られた理由が、「あらゆることを経験する」ことであれば、そこでなにを自分は体験したいのか、自分が何者でありたいのか?ということは、とても大切なことになります。

たとえば、“私は犠牲者だ”と思っていたら、自分が犠牲者だと思えてしまう体験をするでしょう。または、“私は優れている”と思っていれば、同じように自分が優れていると感じられる体験をします。思える、感じられると書いたのは、実際にそうかどうかは、また別の話だからです。

また、「私はこの荒地を緑の多い公園にするのだ!」と強く思い、行動すれば、どんな不毛な土地でも必ず緑豊かな土地になるでしょう。また反対に、「私は、~~で、だから~~できない」と宣言していれば(強く思っていれば)、できない、なにも起きないという現実を作り上げますね。これは、説明するまでもなく、皆さんよくご存知ですね。

ですから、私たちが「どんな自分」を体験したいのか、そしてどんなことを経験したいのかを決めるのに、「私は~だ」とか「私は、~~する」という思いはとても大切なわけです。

さて、しかし、これはすべてバーチャルリアリティの世界のなかの話です。この世界でどんなに幸せでも、移り変わるという幻想の法則のため、それは長続きはしません。どんな幸せの絶頂の出来事でも、いつかは消え去っていきます。同じレベルの幸福感が永遠に続くということは、まずないでしょう。

そこで、もし、あなたがバーチャルリアリティの移り変わる世界、幸せと不幸せ、喜びと苦しみを繰り返すといった輪から抜け出したかったら、ガンガジが言っているように「私について考えること」は、その妨げとなりますね。なぜなら、「私」という意識がシフトして、覚醒した意識(=「私」がいなくなること)になることで、永遠に不変不滅の愛の状態を知ることができるのに、自分について考えていたら、それは不可能です。

セラピーやカウンセリングは、バーチャルリアリティの世界で、できるだけ快適に過ごすために必要なものです。また、引き寄せの法則などに書かれていることは、バーチャルリアリティの世界で、どれだけどんな体験をするか、ということに大切なことですね。

わずかな時間でしたが、私が覚醒意識の状態でいたとき、自分は宇宙であり、すべてであるということが、はっきりと知覚されました。そして、バーチャルリアリティの世界(この世)で起きていることに、自分はまったく影響されないということもはっきり認知できました。(ここで、言葉の限界があるのですが、「自分」という言葉を使っていますが、私個人を指しているのではありません。私は存在しないんです。)

多くの人は、この世で幸せをつかむことが一番の関心事です。で、もちろん、それはとても意味あることですし、多いに幸せを追求すると良いと思います。私も、自分なりの幸せを実現しつつ、生きていますし、自分が何を体験できるかと考えると、ワクワクします。しかし、同時に「これは楽しいゲームであって、しがみつくものではない」とはっきり認識しています。

私たちの苦しみの多くは、夢が実現しないとか、現状を変化させたいのに、できないといったことから生まれてきます。そんなときもし、この世だけが現実だと思っていたら、かなり苦しいだろうと思うのです。

また、この世はゲームだと分かっていると、恐れがうんと減ってきます。肩の力を抜いて、リラックスしながら、最大に自分のやりたいことをやれば良いじゃんと思えてきますね。

そういう意味で、もし、「自分は真理の追究より、とりあえずこの世の幸せの追求でいいや」とあなたが思っていたとしても、頭の片隅にでも、「これは楽しいゲーム」と覚えておいて損はないでしょう。

さて、私が書いていることや、またいろいろな本に書かれていることを、そのままただ信じるのではなく、一つ一つ自分で試してみて、経験し、ほんとうにそうなのかを確かめていくと良いかもしれません。

また、神聖な二律背反という言葉があるように、正反対のことが両方真実であることもよくあります。例えば「人は自由である」「人は自由ではない」といった場合、両方とも真実だといえますね。

なにか信じられものを見つけて、それを基準にして生きていくのではなく、いろいろな教えを参考にしながら、自分の中で真実の基準を作っていくと良いかなと思います。他者の言葉ではなく、自分の言葉で生きる指針を作っていくことで、いろいろな教えや情報に振り回されることなく、歩んでいけるでしょう。

さて、♦ お知らせ ♦です!

母なる地球「ガイア」からのメッセージというページをアップしました。→★

これは、アメリカ人女性のペッパー・ルイスさんという方が、地球の意識体からのメッセージをチャネリングしたものです。実は、何年も前から参考にしていたのですが、英語を訳す時間と根気がなく、ご紹介しておりませんでした。現在、幻冬舎さんと日本の読者さんに発信する、日本語版出版を目指して、活動しております。本の形式は、基本的にQ&A形式となります。そこで!皆さんからもガイアに質問したいことを募集したいと思いました。

「地球について」「魂について」「生きることについて」「宇宙について」「日本について」「原発について」「地震について」「日常生活について」などなど、地球に聞いてみたい素朴な質問、基礎的な質問、難しい質問などなど、他にもなんでもOKです。まずは、ぜひメッセージをお読み頂きください。

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