降伏という名の癒し

すごい!イギリスは、まだ夏が続いております!青い空はやっぱり良いですね♪ さて、今回もロンドンのカウンセリングコースの卒業生の癒しのジャーニーをシェアさせて頂きます。

自我(普段の私という感覚)にとって大切なことは、自分が出来事をコントロールしていること、自分は何か出来ると感じることです。これによって、自分が生き延びることができ、そして自己価値も保てるわけです。

自我がネガティブな思考と同化しすぎると、自分を見失い、自分で自分をコントロールするのが難しくなり、無力感が強まります。しかし、思考から自由になるにつれ、自分を取り戻し、ハートとつながり、“私はやれる”“私は大丈夫”という感覚にシフトしていきます。これは、とても大切なプロセスで、カウンセリングやセラピーは、基本的にこのシフトをお手伝いするものです。

しかし、いくら自我がコントロールを取り戻しても、または、自分はやれると思っていても、最終的に自我は、自分の思いやコントロールを超えて、物事はただ起きているということを真に知るときがやって来ます。そのとき、皮肉にも私たちは最も深いレベルで「無力感」から解放され、真我(真の私)の大きな愛に出会います。無力感を癒し、自分を取り戻し、そして、自分を手放す旅です。(この順番で、目覚めに至るということではありません。)

また、私たちは、いわゆる“ネガティブ”な出来事に遭遇すると、すぐに意味付けをしようとするでしょう。しかし、その思考の誘惑ではなく、出来事に真に降伏したとき、私たちはネガティブな感情でさえも、苦しまずに感じることができます。それは、生きることを深く豊かにしてくれるものでしょう。

今回の旅の主役は、イギリス在住の看護師、伊佐奈津子さんです。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

私は先日流産しました。妊娠8週にしての流産。月曜日の勤務中、患者さんに食事介助をしているところで、何かが下りてきた感じがあり、念のためトイレでチェックしてみると、量の多い真っ赤な鮮血が下着についていました。つい先日近くに住む友人が流産した時の話と妙にかぶり、かなり動揺しました。震える声ですぐにマネージャーに報告。幸運にもその日お休みだったパートナーに迎えに来てもらい、その足で救急外来へ向かいました。検尿、採血の結果、感染症、その他血液系の問題はないということで、翌日のエコーの予約と共に帰されました。翌日火曜日のエコーで、あの子の心拍が確認できた時は、本当に嬉しかった。

そして水曜日、朝また出血がありました。鮮血ではなかったので迷いつつも、救急外来を訪れたところ、結果として「鮮血でない出血は予測範囲内」との見立てで、私自身もその可能性が高いと思っていたこともあり、ある意味安心して帰宅しました。しかし午後になると、おなかの張ったような感じが強くなってきました。ベッドに横になることに決めて、本を読んだりして意外にも心穏やかに過ごしました。しかし、夕方6時ごろトイレに行くと今度は鮮血の出血。時が経つにつれ、座っていてもたらーっと流れ出るのが分かるようになってきました。夜10時過ぎ、救急外来を再診しました。

待合室で6月末にしては冷たすぎる空気を感じながら、ただただ重くなる出血を体でまざまざと感じ、そんなことをしても無意味とは分かっているのに、血ができるだけ身体から流れ出ないように体勢を変えました。お願いだからおなかの中に留まって、と願うと同時に感じる、痛みを伴う子宮の収縮。まるで私の身体は私の意図に反してこの子を排出しようとしているようで、それに対して何もできない自分に、得も言われぬ無力感を感じました。

何度も繰り返される収縮に、必死に外に出ようとするこの子を私の身体の中に閉じ込めようとすることが理不尽に感じられ始め、「もういいよ、もうそんなに頑張らなくて出てきていいよ」と言わざるを得ませんでした。そう言いながらも、もちろんこの時点で心から納得なんてしておらず、涙が滝のように流れました。

そのとき、10歳の私が一緒に泣いているのが分かりました。この子は自己ワークとカウンセリングの中で出会った子で、小学校5年生くらいの頃、ホームルームで先生に言われた「人間所詮一人。みんな人に頼らなくても生きていける人間になるんだぞ。」という叱咤激励の言葉を、頭での理解とは裏腹に恐怖とともに抱え込んできた子でした。

彼女はこの言葉を知る前は、人はみんなつながっているという温かい世界に幸せに暮らしていましたが、先生のこの言葉で、「人とは分かり合えない、だから、みんなを繋げておくためには私が頑張らなければならないのだ」と無意識のうちに決心し、それ以来ものすごいスピードで生きてきたのでした。

そのため、それまでウキウキと始めたことでも、なぜか途中から続けることが苦しくなったり、体調を壊して、ドクターストップまでかかったりしました。また、ありのままの自分ではダメ(ありのままの自分ではみんながバラバラになってしまうから)だから、ありのままではない私を強固に固める必要があり、そのために私が選んだのは、看護師というアイデンティティーでした。看護師を辞めても看護師であることにしがみついていたのも、この10歳の私が、みんながバラバラになって、私が独りぼっちになってしまうことから守るためにしていたことだったのです。それが分かったのは、ここ数か月のことでした。

私の意図とは裏腹に私の身体がこの子を排出しようとする不条理とも言える無力感と、あの10歳の私が感じた「私にはどうすることもできない」という無力感が私の体の中で完全に一致しました。そう、私が真に恐れていたのは、本当の意味ではあの子を失うことではなく、失いそうになった時に何もできない無力感だったのです。何かを得るために遮二無二頑張ることを続けてきた私にとって、得るどころか、失なうことを防ぐために何かすることもまったくできないという状況こそが、無力の極みだったのです。

しかし同時に、真我の存在もそこに感たのです。私がこんなに辛い時に「それでいい」って言われても(実際には真我は無言ですが。)と思ったり、また、さらに真我に焦点を合わせと、もっと泣けてきてしまい、「そんなんじゃ何の慰めにもならない!」と不貞腐れてもみました。

それでも、真我の温かさはもう絶対で、全ては私のコントロールの及ばない、私の力ではどうしようもないところで起こっているのだということが、何の矛盾もささくれ立った感じもなく、身体にストンと入って来たのです。「そうかぁ、そういうことだったのか」と大きな安堵感でいっぱいになりました。おかしな言い方かもしれませんが、私は看護師として働きながら、何度となく死への壮絶な無力感を感じ、その度に私の中の大切な何かをすり減らしてきました。しかし、私が無力なのは死を意味することだけではなく、この世に起こる全てにおいてなのだと「分かった」とき、涙と一緒にその無力感が解けて、体の内側から力が湧いてきたのです。

ふっと、私はこんなに辛いことでもなければ、あの10歳の私を本当の意味では解放してあげられなかったということなのだろうか、という思いが横ぎります。刹那的な叱責の声です。でも、そのすぐ後に別の声も続きます。いや、そういうことじゃないんだろう、と。私のこの流産に、何か意味があったかどうかなんて「分からない」と、ことさら爽やかに響きます。今でも私の手帳に仕舞ってある心拍を確認できた時のエコーの写真を眺めると、本当に愛おしく、逢いたかったなーと心から想って涙が溢れてきます。でももう、あの血の気の引くような無力感はくっついてきません。

http://ameblo.jp/mylifeintheuk/

☆☆☆お知らせ☆☆☆

★本年度のIntegrated Counselling Diploma Courseは、満員となりました。

11月にAAMET認定EFTレベル1&2(11月2日~4日)とマトリックス・リインプリンティングのプラクティショナーコース(11月22日~24日)を開催します。詳細は7月後半以降になります。

※プラクティショナーとしての資格が取れるコースですので、マトリックス・リインプリンティングのコースを受けるためには、EFTのレベル1&2を受講していることが必須となります。

11月まで待てない!もっと早くEFTを習得しておきたい!という方は、EFTジャパンでも、今月末と7月にコースが開催されます。こちらのコースの修了者もマトリックス・リインプリンティングのコースを受けて頂けますので、ご都合がつけば、ぜひご参加ください♪(EFTジャパンと私のEFTコースの受講費は同じです。どちらでもプラクティショナーの資格も習得できます。)

私は引退しました&インテグレイテッド心理学

先週末は三日間の上級講座が終わりました。ご参加いただいた皆さんありがとうございます!

スピリチュアル心理学の上級ということで、マインドのステージ、ハートのステージを詳しくみた上で、「真我(真の私)」についてもがっつり行いました。

スピリチュアルに傾倒していた人によっては、自分が信じ、求めていたことが崩壊するような気持ちになったり、混乱してしまった方もいらっしゃったかもしれません。また、人によっては、スピリチュアルな世界を放浪し、やっと謎が解けたと感じた方もいらっしゃったかもしれません。

また、私は目覚めたいわけじゃない!という方もいらっしゃったかもしれませんね。でも、エクササイズ自体は、思い込みを外すセラピーとしても十分使える役立つものだったのでは・・と思っております。

そして!講座でもアナウンスしたのですが、スピリチュアル心理学の名前を変更することにしました!

新しい名前は、「インテグレイテッド心理学(Integrated Psychology)」です。

というのも、スピリチュアルという名前から多くの方が、オーラ、前世、霊能者、といったものをイメージするようで、“あゆかさんは、見えるんですか”などと度々聞かれたりするからです。また、私は心理カウンセリングとセラピーを融合させているだけなのですが、スピリチュアルカウンセリング(って、なんだかよく分からないのですが、リーディングとかチャネリングなどだと思います)をしていると思っている方もけっこういらっしゃいます。

そこで、ロンドンのカウンセリングコースの正式名称が、インテグレイテッド・カウンセリング・ディプロマコースなので、そこから名前を取ることにしました。インテグレイテッドとは、融合とか統合といった意味で、「目覚め(非二元)と心理学の融合」という意味でもぴったりだと思っています。

それに、聞いた人がすぐにイメージが湧かないというのも、誤解されないという点で逆に良いかなと思いました。ですが、本当の名前は、「現場主義心理学」です。

現場(実際の人生)で役に立つ心のしくみしかやらないという意味です。しかし、人によっては目覚め(非二元)というと、なんだか遠い話に感じ、ぜんぜん現場じゃないように感じるかもしれません。“悟るなんて大それたことじゃなくて、私はただ私らしく生きたい”みたいな。

それは、もちろんまったく問題ありません。ただ、覚者は、思考とはなにか?感情とはなにか?人はなぜ苦しむのか?を、心理学のような知識ではなく、「真理」という立ち居地から実際によく見えているんですね。ですので、彼らのメッセージは、人間(自我)の思考、感情を理解したり、苦しみのメカニズムを理解するのに大変役立つんです。

なによりも、現場(セッション)で大いに役立っています。フロイトやユングなどなどよりもずっ~と実際に役に立っています。

ということで、スピリチュアル心理学改め、「インテグレイテッド心理学(Integrated Psychology)」、本名「現場主義心理学」をこれからも自分があきるまでこれからも続けていきます!

さて、何人かの方から「私は引退しました瞑想」のやり方を教えて欲しいというコメントを頂きました。私は、いろいろな本やセミナーを受けた上で、自分流のものを勝手に作るのが大好きです。

自分勝手に作ったセルフヒーリング、セルフセラピー、セルフ瞑想がいろいろあります。その場の勢い(クリエイティブとも言う)で作っているものも多く、再現不可能だったりもします。

ただ、例えばセラピーの場合、トラウマやパニック障害、依存症といったことも扱ったりしますので、知識とやり方の両面をきちんと学ぶ必要があると私は思っています。もちろん、創造性や直感は大切にしたほうが良いと思いますが、適当にやるというわけにはいかないでしょう。

また、いわゆるスピリチュアルな世界にも、メソッドと呼ばれるものも多く、そのメソッドを使えば、超意識になれるとか、変容意識に入れるとか、または高次の次元につながるとか、いろいろありますね。ヒーリングとか、違う意識に入るということが目的であるのなら、こういったメソッドを学ぶのも良いでしょう。

しかし、目覚めといったテーマの場合、私は逆にあまりメソッドやステップに囚われないほうが良いと思っています。というか、逆にそれらは邪魔になるかもとさえ感じます。このへんを混乱している人は多いかもしれません。悟るためには、今の自分でダメでなにかしないといけないと思っているというか。

しかし、上級講座に出席してくださった方々は、体験して頂けたと思いますが、真の私(真我)は呼吸よりももっと近く、すでにいつもここにあり、なので、知ること自体は非常にシンプルで、誰でも5分ぐらいの誘導で感じることが出来ます。(真我ってなに?という方は、の記事をご参考にしてみてください。)

ただ、私たちの多くは、普段自我にすっかり同一化しますので、これが真我だとわかっても、まだまだ個としての私の感覚が強く、真我の本質をほとんど感じられないんですね。

なので、多くの人が最初真我を感じてもらうと、「ただ、静かなだけ」「なにも感じない」「なんか無味無臭」などなどとおっしゃいます。え?こんな程度?という反応が一番多いです。イメージしていたような光と愛に満ちていて・・・みたいなことを体験する人はまずいません。

なので、真我自体にはすぐに出会えても、真我の目から世界を見る、また無限の愛、静けさ、永久の時といった真我の本質を感じるには、自我にひっこんでもらわないと感じられないでしょう。

そこで、「私は引退しました瞑想」を作ってみました。といっても、瞑想とも呼べないかもしれません。

「単に何かしようという思いをすべて止めてしまうだけ」です。瞑想しようとか、真我につながろうとか、「私がなにかする」ことを止めてしまうのです。そして、「私がいる」ことも忘れてしまいます。

そうすると、急にすべての音が耳に入ってくるでしょう。冷蔵庫の音や時計の音、誰かの話し声といった部屋の中の音から、自転車や自動車が過ぎ去る音、誰かが道を掃除している音など外の音。そして、そららすべてに気づいている意識がありますね。その意識が真の私であり、その意識に寄り添うだけです。

何かに到達しよう、なにかをしようとすると、どうしても「私」が頑張ってしまいます。しかし、皮肉にもこれが真我の意識から遠ざけてしまうんですね。なので、ものすごく地味な瞑想ですが、実は近道だったりします。

こうやって真我の立ち居地が深まってくると、次にどんな音、どんなことが起きるのか、私たちはまったく知らないことに気づきます。いつも未知との遭遇なんです。それが真に腑に落ちたら、なんとかしなければいけない、このままの自分ではまずい、といったようなストレスがどっと落ち、ストレスフリーで流れに身をまかせることができるでしょう。

それは、無力でたんに物事に流されているのではなく、無限の愛と知恵に身を委ねた真の理解に基づいた降参であって、それゆえに心に大きな平和が訪れます♪

※次回は、コメントのご相談にお返事いたしま~す!