三つの癒し♪

EFTマトリックス・リインプリンティング(MR)の募集を始めます♪

さて癒しとは、おおまかに三つの観点から眺めることができるかもしれません。一つは生物学的な観点、もう一つは心理学的な観点、そして私たちの本質という真実の観点です。

で、今回はEFTとMRがその三つにどう関わるかという点で書いてみたいなと思います。

ということでまずは、「生物学的な観点」から。

トラウマや重度のストレス、長い間握り締めているネガティブな感情がどう脳や神経、細胞に影響を与えるか?という研究や報告はたくさんあります。

つまり心の苦しみは、単純に心の問題だけではないんですね。身体の症状に心が関わっているように、心の悩みにも身体は関わり、心と体はやはり切り離して考えられないんです。

例えば、欝や依存症の原因の多くはトラウマにあります。事故や災害と違って、日常の生活の中で受けたトラウマは一見分かりにくく、本人がそれをトラウマだと認識していないケースもけっこうあります。

トラウマの場合は、感情脳といわれる大脳辺縁系が活発になり、ものごとを把握したり、行動を起こすことに関わる海馬が機能しなくなる・・・といったようなことがMRIなどで証明されています。(←超大雑把にまとめました)

で、これはトラウマが解除されるまでこの状態が続いてしまうんです。つまり、いくら本人が意思の力で克服しようとしても、自然にネガティブな思いばかりが出てくるし、やる気もでないし・・・となってしまうんですね。

薬物依存症なども社会は本人を責めがちですが、こういった知識がもう少し広まってくれるといいなと思ったりします。

話を戻すと、EFTやMRによって体(経絡)を刺激しながら、特定のトラウマに働きかけることで、このサイクルを解除することができるんです。オーストラリアのEFTの研究では、ストレスホルモンのコルチゾールを下げられることも分かっています。

直接身体に働きかけられるという点で、話だけをするセッションの限界を超えられる優れたツールだと思うのです。

で、次に「心理学的な観点」です。

私たちの意識の約96%は潜在意識だと言われています。つまり、自分の行動のほとんどに私たちは無意識なんです。

ちょっと木の根っこをイメージしてもらい、土の中にある根っこが潜在意識の思いやビリーフ、そして感情だとしますね。いくつもの根っこがあり、また幹に近いところから根っこの先まで深さのレベルも違います。私たちの思いや感情もそれぐらい複雑になっています。

例えば、“私はどこにいても受け入れてもらえない”という悩みがあった場合。ちなみにたいていの場合、これはご本人の投影です。(もちろん、お聞きしながら見極めますが)

実際は、受け入れられていないのではなく、なんらかのビリーフのせいで自分が受け入れられていないように見えたり、感じたりしているんです。

で、例えばその原因が、 “私は人としてどこかおかしい”というビリーフだったとして、タッピングで、そのビリーフが出来上がった出来事を見つけていきます。でも、それは通常のカウンセリングでもできるじゃないか?と思われるかもしれません。

ところが、思考で探した原因はいかにも合っていそうでも、私の経験上では半分ぐらい違っています。しかし、タッピングですとどんぴしゃりと行き着けるんですね。

そして、原因となった出来事や育った環境を見ていくうちに、ほんとうに自分が願っていた思いや感情が何重にも出てきたりします。で、ここがめちゃくちゃ大切です。

ここで決してストーリーには行かず、放置されていた思いや感情をすべて表に出してあげ、受け入れてあげると、すっきり感のレベルがぜんぜん違います。また、すっきりするだけではなく、 “なんだ、私普通にしていて大丈夫だ”といった認知のシフトも勝手に起きます。

そこでさらに、最後にポジティブな記憶(イメージ)を刷り込みことで、前は自分は受け入れてもらえないと緊張していたけど、今はどこにいても自然に普通していてOK・・・・となったりするんですね。

気がつくと感覚や行動が変わっている!という自然な変化が良いなぁと思っています。

で、最後に「私たちの本質」として、

タッピングというのは、結局経絡を刺激することで“気”(エネルギー)を流しているんです。で、エネルギーとは、もちろん生命のエネルギーですね。

そして生命のエネルギーというのは、流れ、変化し、発展していくのがその性質です。種から始まって、根が生え成長して、花が咲き、枯れて土に戻ってまた根になり…というように、常に循環を繰り返して変化、変容しています。

個の私たちもまったく同じで、体も思いも感情、感覚も常に変化、変容していますよね。人間もまさに自然と同じです。ただ違う点は、人間はその流れを抵抗や抑圧という形で止めてしまったり、またはフリーズさせて感情を閉じ込めたりできてしまうことです。

しかし、EFTやMRで自分を否定する自分と向き合ったり、放置していた思いに気づいてあげたり、トラウマでフリーズしてしまったショックを解放したりすることで、そこに生命の流れがよみがえってきます。

生命のエネルギーとは、言い換えれば無条件の愛ですね。なので、癒しが進むと同時に自然に自分の中の愛も深まっていきます。

実は私はこれが一番の癒しの醍醐味ではないかと思うのです。悩みや症状がなくなりました~というのも、もちろん良いことですが、自分の本質が実感されていくと生きる楽さがぐんと違います。

もちろん、どんなセラピーのツールも魔法ではありませんし、すべての人に効果があるものというのも存在しないでしょう。また、個人的にはどんなセラピーも、トークセッションと組み合わせたほうが効果が高いと思っています。

しかし一度学んでしまえば、指一本で自宅でできるツール。緊急時にも使えますので、ぴんと来ましたら一生のお供にぜひどうぞ♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

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癒しをスピードアップさせるコツ♪

もし、あなたが癒しをスピードアップさせたいと思ったら、そのために何が役に立つと思いますか?

もちろん、その人の状態とか人それぞれ違うでしょう。が、それでも私は「思考と距離を置くこと」と言ってしまいたいのです。

思考を眺めるとか、自分の思いに気づいているとか、そういうことです。これができていないと何も始まらないとさえ思っています。

かつてロンドンにある書店で、ぼーっとベストセラーコーナーの前に立っていたとき、ある若者が “この本めちゃくちゃ良いから。絶対お薦め!”と熱心な声で指差した先が、エックハルト・トーレの「The Power of Now」でした。(これ前にも書いた気がする)

そんなに言うならとつい買って、家で読み始めたところ、1ページ目から目からウロコが落ち始め、読み終わったときには全身のうろこが激しく落ちていました。(笑)

で、あらゆることが三日坊主に終わってしまう私ですが、思考のおしゃべりに乗っ取られるのは辞めよう!と深く決心し、その日から自分の思いを眺め始めたのです。

始めは、「ただ考えている状態」に慣れすぎていたため、思考を眺めるのがとても不自然で億劫に感じました。ので、一日1分みたいな短い時間から始め、長くやるというよりは、その回数を増やすというやり方で行ったのです。

すると半年も経ったころでしょうか、思考を眺めることが普通に自然にやれるようになってきたのです。で、今振り返っても、この恩恵は計り知れないと思っています。

これは、お金もスキルもなにも要りませんのでほんとお勧めです♪

とはいえ、始めのうちはどちらかというと、思考が思考を観察しているような感じになる人が多いかなと思います。例えば、“私は今~~と思っているのだ、そうかそうか”というように思考を眺めて、それを思考が確認しているみたいな。

最初のステップとしては、これでもぜんぜん良いかと思います。ただ、人によっては眺めている思考に対する思考のコメントがうるさすぎて(“ちっ、またこんなくだらないことを考えている”)苦しくなる人もいます。

ので、次のステップは、そういったコメントもただ単に眺めて流しちゃいます。そういう思いがあるなぁと気づいているだけで充分です。

また放置してしまうことで、思考のパワーは勝手になくなっていきます。

ちょっと例えを使ってみましょう。

これが雲を眺めるエクササイズだったとして・・・。

思考が思考を観察している状態とは、雲(思考)の上に乗ったまま、他の雲の動きを見ているような感じです。

ですがここで言う「思考を眺める」とは、雲から完全に降りてしまって、青空に浮かんでいる雲をただ眺めている感じです。このほうが雲の様子がよく見えませんか?

ちなみに、思考に振り回されてぐるぐる行き詰っているときは、雲の上にも乗っておらず、完全に雲の中に取り込まれ、青空も目に入らなければ、俯瞰した視点もまったくない状態です。

こんなふうに思考にはまったまま、癒そうとしても、思考が邪魔をして遅々として進みません。癒しの方法や癒しの進み具合、セラピストさんに対してなど、いちいちあれこれ思考が走り、ものごとを複雑にしてしまいます。

思考にはまっているから苦しい、でも同時に、思考にはまっているから抜け出せない・・・という行き詰まり状態になりがちです。

とはいえ、じゃぁ眺めれば良いのだ~と言っても、それもなかなか難しくありませんか? 私たちはどうしてこれほど思考に呑み込まれてしまうのでしょうか?

例えば、目をつぶって“今日は晴れだ(雨だでも)”と思ってみてください。そこになにか感覚や感情があるでしょうか?

で、次に目をつぶったまま“近いうちに消費税が10%になる”と思ってみて、さっきと比べてどうでしょうか? 何かちょっと感情や感覚が走りませんか?

では、最後に“~~さんに馬鹿にされた”、“私は本当はできていない”、“メールの返事が来ない”とか、直接自分に関わるネガティブな思いを思ってみてください。一番最初の思いと比べて何か重量がありませんか?

思い、そして感情&感覚、体は、基本的にいつもコラボしています。

ですので、感情や感覚を強く引き起こす思考は、強烈な三位一体のコラボとなり、私たちは瞬く間に取り込まれてしまうんです。

繰り返しますが、「を巻き込む思考」に私たちは呑まれやすいんです。なのでここでEFTやマトリックス・リインプリンティングなどの感情解放のツールが役立つんですね。

感情や感覚が体からなくなってしまえば、思考を支えられなくなるので、自然に思いもなくなったり、もっと緩やかなものに変わったりします。

さて、でもこういった苦しみを生む思いよりも、意外にやっかいな思考は、おそらく「大切そうな思考」、「当たっていそうな思考」、「自分を支えてくれそうな思考」などでしょう。

例えば、「生きる目的を持ったほうがいい」、「癒しとは、~~~という感じで進むもの」、「私は以前よりずっと分かっている」などなど。

こういった思いは、なんとなく良いことのように感じるので、スルーしてしまいがちです。しかし、自分を振り返ったとき、一番手ごわいのは、実はこういう微妙な思考だなぁとつくづく感じるのです。

知らないうちにその思いに固執し始め、柔軟性を失ったり、真実を見過ごしてしまったりするからです。

でも、たとえ思考に巻き込まれながらでも、雲から降りる習慣がつけば、ある思いはまってしまっていることにも気づけるようになるでしょう。そうやって気づけて手放せるようになればなるほど、思考の中ではなく、もっとハート中に安住できるようになりますね♪

 

探しものは何ですかぁ~~♪♪

さて、今回もノンデュアリティと癒しという限りなくグレーな記事をかいてしまおう。

「真理を知りたい」と「苦しみから逃れたい」は、コインの表裏のように、多くの人の「悟り」のイメージのなかにあるかもしれません。

確かに、苦しみは何か“偽”りを信じ込んでしまっているときに生み出されます。分離していないのに分離しているという思い込みから始まり、自分が状況をコントロールできるという思い込み、そして様々な誤ったビリーフ、セルフイメージ。

また、「出来事」(=あるがまま)を私たちはどうしても判断したり、解釈してしまいます。そのため、「出来事」=(あるがまま)は歪曲され、そこに抵抗を生み、やっぱり苦しみが生まれますね。

こういった自我の勘違いやもがきは、人間ドラマを作るには必要だけど、そのかわりもれなく苦しみもついてきます。

そういう意味で、“偽り”から目覚めれば、根本的な苦しみに終止符を打つことができます。フィニート♪

しかし一方で、日々悩んでいる人、苦しんでいる人を相手に仕事をしていると、ノンデュアリティのメッセージが個人のストーリーを癒せない現実にも年中直面しています。

いくら悟ったところで癌細胞が消えるわけではないように、幼少の頃のトラウマもやっぱりそのままあります。

しかし、真理は苦しみを癒すはずだと、イギリスのサットサンでも子供の病気のことや恋愛の悩み、生き辛さを訴える人をけっこう見かけます。

気持ちはとても理解できるのですが、この場合、本当に求めているのは真理ではなく、自分の苦しみが癒されることですよね。

真理は苦しみを癒すけど、真理は癒しのツールにはならないんです。この微妙な違いは、非常に大きいんです。

というのも、すべてをあきらめたときにやっと真理の門に立てるのに、ある意味その正反対を目指してしまうからです。

つまり、失敗が約束されている旅に出てしまうんです。

しかも、悟り(解放?恩寵?)などいつ訪れるかも分からず、カウンセリングやセラピーも受けず、結局苦しみをひっぱり続けることになりがちです。

で、どうなるかというと、ティーチャーやメッセンジャー達に怒りを持ち始めたりするんですね。

ルパート・スパイラのリトリートでも、“2万ドル払ったのに(彼が今まで払ったリトリートの合計らしい)、まったく何も変化がないし、効果がまるで感じられない!!”と食ってかかっている男性を見かけました。

なぜかランチタイムでその男性が隣に来て、話をしているうちにEFTをやってくれということになり、午後の休憩タイムにそれをテーマに見ていきました。すると、“もう自分は70歳になるのにまだ真理が見えない。”、“私はいつも失敗する”といった思いがあることが分かりました。(←子供の頃の心の傷につながる)

結局、自分の焦りや不安が怒りとなってティーチャーにぶつけていたんです。その男性は、仕事も辞めて、家を売って、真理を知る旅を始めただけに焦りも相当あったんですね。

まぁ、人のリトリートで何やってんだ私・・・・?とも思いましたが、リトリートは休憩時間のほうが長いので、よくセッションを頼まれたものです。

話を戻しま~す。

で、悟りに助けを見出そうとする心のしくみをちょっと覗いてみると・・・・、

例えば、「神でさえ私の問題など解決できない」「誰も自分を助けられない」などと、助かる道、楽になる希望は一切ないと思い込んでいるとき、絶望の底のかなり苦しい状態にいます。

部屋に完全にひきこもっているか、またはなんとか生活はしているけど、できれば死にたいと思っているような状態です。

でも、なんらかのきっかけで、「もしかすると、何か、または誰かが私を助けてくれるかもしれない」という気持ちが生まれると、苦しさはさほど変わりませんが、ほんの少し前向きな気持ちが生まれます。

そして、セミナーなどに出かけ始めますが、「誰か(何か)が自分を救うだろうという発想なので、基本的に依存先を探しているんです。もちろん、本人はそう思っておらず、単純に自分が楽になるメッセージやメッセンジャー、またはツールを探しているだけだ・・と思っています。

が、ここがミソなんです。

本人は無意識ですが、気持ち的には、そのメッセージやツールにすがってしまっているため、それによって楽にならないと、たいていそれがものすごい怒りに変化してしまいます。

そうすると、もともとの生き辛さに加え、楽にならない怒りも加わり、余計苦しみが増す・・・という状況に陥ってしまうんです。

または、苦しみの理由が満たされない愛であった場合、メッセンジャーと恋愛関係になることを目指したり、度を超えた熱狂的ファンのようになってしまうこともよ~くあります。

頭では真理が自分を救ってくれると思い、セミナーやリトリートへ出かけますが、実は真理なんて全く求めていないし、でも癒しも起きない・・・という状態を自ら作ってしまっているんです。

そんな人々をたくさん見てきて、自分がセラピストだからということもありますが、苦しいならやっぱりセラピー受けようと思ってしまうのです。

で実際、分離感を癒したいのだ~とか、真理に目覚めたいとか思っていても、いざ楽になってしまうと、もう非二元には興味ありません~~みたいになったりする人もけっこういます。

つまり、自分が本当は何を求めているのか、よ~く探ってみる価値はある!ということなんです。

喉が渇いている人には真理よりも水が必要であるように、愛に渇望している人にも真理よりも癒し(自分の中の愛に気づくこと)なのかもしれません。

そして、ある程度渇きが癒されたら、「自分に役立つか?」といった思いなどで歪曲されずに、真理を指すメッセージがその人の心にきっとまっすぐ届くことでしょう。(*^_^*)

非二元、心理学、そして癒し♪

偶然、同じような内容が書かれているコメントを同時に頂きました。ので、それについて書いてみようかと・・・。下記のコメントです。ありがとうございます!

1)私は心の癒しを何年かやってきて、かなりの変化があったのですが、途中で行き詰まってしまいました。コースをやっている方が「今までの二元のやり方は間違っていたんですよ」とおっしゃっていたのですが、それを聞いてショックでした。でも、そんなことはないのですね??「心理学は二元のやり方」と聞いたのですが、私は心理学が好きなんですよね(・-・;) 奇跡のコースをベースにしていれば、EFTやそのほかの心理療法なども真の癒しに繋がるということなのでしょうか・・?

2)心の病があるのですが、それはセラピーなどで治して良いのですね(二元?の世界の方法では病気は治らないとおっしゃる方も多いので)

実は、「二元のやり方」という言葉には初めて触れました。ので、解釈がぜんぜん間違っているかもしれませんが、勝手に書いていきます。えへへ。

で、もし、その二元的なやり方というのが、物質主義的な世界観に基づいているやり方という意味であれば、私もその考えに賛成かもです。

昨年、「次世代癒しのシンポジウム」というものを開催しましたが、心身の問題を肉体のレベルだけではなく、エネルギーのレベルでも見ていくことで、癒しが飛躍的にアップすると思っています。

心の病でも、原因が分からないにもかかわらず脳の問題として捉えているため、薬物療法しかないわけです。しかも、改善されるケースの方がまれで、ひどくなっている人も多いのが現状です。

しかし、もっとエネルギーの観点から見れば、今の医学では完全にスルーされている潜在意識(量子学的には、個人の意識をローカルフィールドと呼んでいます)に抑圧されている緊張、ネガティブな思い、感情などに光を当てられます。

そして、それがどう心身に影響を与えているのかをベースにしているのが、すっごく乱暴にまとめてしまうと「エネルギー医療」なんです。

なので、私自身は欧米では「エネルギー心理学」というカテゴリーにある、EFTやマトリックス・リインプリンティングが有効だと経験上とっても実感しています。

また、個人的には、通常の心理学に非二元的な要素が入ると、ぐっと深くなるし、変化も深いなぁと感じています。

つまり、大雑把にいえば、個人とは分離している実体のある存在であるという観点から心のしくみを見るのか、分離という幻想に陥っている実体無き存在という観点から見るのかという違いです。

後者の観点から心のしくみを見たほうがいろいろな意味で腑に落ちます。

そして、驚く方も多いかもしれませんが、カウンセリングとセラピーは基本的に別業界です。カウンセラーさんはあまりセラピーを使いませんし、セラピストさんはあまりカウンセリングをやらないという傾向があります。

しかし、明らかに二つを組み合させたほうが有効であって、どうしていまだに両方を同時に教えるコースがないのか不思議でたまりません。

ので、私の方程式(笑)は、

カウンセリング×セラピー×心理学×非二元=深い変化と癒し

です。

ということで、宣伝になってしまいますが、インテグレイテッド心理学はそんな心理学なんです。

以前にも書きましたが、かつて学んだ伝統的な心理学があまりにも役に立たなかったため、奇跡のコースと現場の経験をベースにまとめていったものです。エゴの仕組みを簡潔に、かつ深く見ていくものとなっています。

奇跡のコースにある「抑圧→投影→攻撃→防衛」の自我のしくみなどは、ほんと~~~っに実際のセッションに役立ちします。なので、またの名を「現場主義心理学」とも呼び、しかも毎年進化しています。うふふ。

もちろん、すべての人に必ず効果がありますとは言えませんが(そんなものないし)、変化を遂げた人、楽になった人、症状から解放された人はたくさんおります。

実際、この仕事を長年やっているのも、やっぱり自分にもクライアントさんにも成果が出ているということがとても大きいんです。じゃないとつまらなすぎてとっくの昔に辞めているでしょう。

宣伝終わり。

で、真の癒しが何を意味するかにもよりますが、心の苦しみを癒すキーワードは、

◎自我のしくみ
◎潜在意識
◎身体
◎エネルギー
◎流れ

だと私は思っています。大雑把な流れとしてはこんな感じです。

自我のしくみをよく知ることで、自分の何をどう見つめていけば良いのかが分かる

潜在意識にある、自分がまったく気づいていなかったネガティブな思いや感情をカウンセリング(問いかけ)で見つけていく。

身体に働きかけるセラピーで、ネガティブな感情を解放する。心の問題であっても、身体に働きかけることはものすごく重要

停滞していたエネルギー(ネガティブな感情)が解放され、生命のエネルギー(愛)が流れ始める。

私としては、最後の「流れ」がとっても大きいと感じています。なぜなら、生命のエネルギーに抵抗(抑圧)することで苦しみが生まれ、反対にそれが流れることで発展、変容、癒しが起きるからです。

また、このエネルギーそのものは愛でもあるので、頑張らずとも自然に自己愛、そして普遍の愛を自分の中に取り戻せるからです♪

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心理学を勉強しても人の心は分からない?

なんだかとっても久しぶりな感じがします♪ 二週間のカウンセラー養成講座が無事終わりました。素晴らしい自然と、イギリスでは珍しいことにとってもおいしい食事に恵まれ(笑)、濃いコースになったのではと思っております。

で、そんな続きで、私が常々思うことをツラツラと・・・・。

私が個人セッションを始めたとき、学んだ心理学がまったくといって良いほど使えなかったことから、私のカウンセラー&セラピストとしてのジャーニーも始まりました。

とりあえず始めに書いておくと、私は心理学を否定しているのではありません。それなりの知識はあったほうがもちろん良いと思っています。ただ、学んだ知識は現場では使えなかったんです。

フロイトやユングなどの大御所からロジャースやゲシュタルトなどなどを、カウンセラーの資格を取るために、私はイギリスにあるサイコセラピーのカレッジで学びました。本もたくさん読んだし、論文もたくさん書きました。

しかし、それらの学んだ知識は、例えば親を立て続けになくして、うつ状態になっている人、レイプに遭い、裁判でまた心が傷ついてしまった人、事故で足を悪くし、仕事を失い、生きる希望を見失った人などなど、目の前にいる生身の人間、ユニークな歴史と複雑な思いや感情の層がある人間を前に、ほとんど無効だったのです。

今、振り返ればそりゃそうだと思います。なぜなら、心理学は学問ですが、人の心は「生きている」からです。

雪の結晶が一つ一つ違うように、人の心のパターンや思いや感情のありようも実にさまざまです。そしてまた、万華鏡のように複雑な模様を作りながら、変化している「生き物」なんですね。

一方、心理学はある人の観察が理論としてまとめられたもので、ひとたび学問として認められると、同じ理論がただただそのまま踏襲されていきます。

学問も本来なら、フィールドからの情報を得て、変化、進化していくものでしょう。ここでいう心理学のフィールドとは、実際の人の心です。

そして、私たちにとって一番近いフィールドは自分の心のなかですね。ですので私に言わせれば、心理学者こそ、人一倍自分の心のなかを知っていて良いはずなのです。ところが、“自分の心を深く見つめています”という心理学者には、とりあえず今のところ会ったことがありません。

まぁそんな調子ですから、心理学者だけではなく、多くの人も自分の心がほんとうはどうなっているのか分かっていないんですね。

私ももちろん例外ではなく、見えていないことも見えておらず、ある程度は分かっているさぐらいに思っていたのです。

しかし、カウンセラー開店休業状態が3年ほど続き、時間がたっぷりあったおかげで、自分の心を見ていく作業にじっくり取り組むことができました。で、このときに参考にした本は、心理学の本ではなく、ひどい苦しみから抜け出し、大きな気づきと成長を遂げて、現在はセラピストとして活躍している人たちの本でした。

また、奇跡のコースやエックハルト・トールなど悟り系の本も自我の特質を知るのに本当に役立ちました。

それらの本を手がかりに自分の心を見つめ、見事にな~~んにも見えていなかったことに心底驚き、よく今まで生きてきたものだとさえ思えました。と、同時に変化していく自分に喜びを感じていたのです。

特にグルジェフの「ほとんどの人は眠ったままの機械である」という言葉から、自分の潜在意識を探る作業をコツコツ手探りで始めたことは、今でも大きな財産です。

ということで、心のしくみや苦しみからの解放を学ぶのに一番役に立っているのが、成果を出している現場のセラピストやカウンセラーの発見と情報交換です。特に自己の癒しもちゃんとしている人のケースはほんとうに役立ちます。

ある意味、繁盛するお店を経営したいのなら、経済学者にアドバイスを求めるより、成功している経営者に聞いたほうが役立つというのと同じです。

あっ、セラピストとして儲けたいのならという話をしているのではありませんので、お間違いなく。セッションで成果を出したいのならという意味です。

話を戻して、日本ではまだセラピーが自己啓発のツールのように思われていたり、スピリチュアルと同じカテゴリーに入れられたり、欧米ほどポジションが確立していないだけに、現場の情報というのも見えにくいなぁと感じています。

なので、なかなかイギリスを離れられない・・・。

話がツラツラし過ぎていますが、私が言いたいことは、

心理学をベースに自分の心の状態を探るのではなく、自分の心をきちんと探って、それが心理学と合っていなかったら、学問のほうを捨てたほうが良いということです。

癒しは、現場主義が一番!

そうそう、この流れである動画を見つけました。心の中をしっかり探ることなく、出来上がってきた現在の精神医療。良かったらご覧ください。

ということで、昨年の冬ぐらいから非二元の話もそれなりにし始めましたが、私のパッションは、やはり「癒し」にあり、心を見つめていくことの大切さをいつまでも強調していきたいのです。

人を癒すということは、決して簡単なことではないなぁといつもつくづく感じています。自分自身を癒すだけでも難しいわけですから、ある意味当然でしょう。

しかし、深く見えていけば行くほど、いつも最後には誰の心にも愛があります。ほんとうに。なぐさめでもなんでもなく。どんなに分厚いネガティブな感情の層でも一番下には、必ず愛があるんです。

だから、どんな状況下の人でも、誰もが癒される可能性を必ず持っているんですね♪

 

☆次回からは、もっと更新アップして、通常の内容で行きます!

非二元は癒しのツールになるか?

前回、「非二元のメッセージを癒しのツールにしないように~」と書いたところ、数名の方から「なぜ?」というご質問を頂きました。ので、今回はそのお返事です。

ところが、書き出そうとしたら・・・・、このテーマはとても深い!ということに気づきました。

まず非二元とは、基本的に「日は東から昇る」、「地球は丸い」、「主体はない」というように、シンプルに真実を語っているだけのものです。

なので、そもそも自我がより良く生きていくためとか、苦しみを和らげるためにあるものではないんですね。

ただ、「地球は丸い」に比べると、「主体はいない」「すべてはあるがままに起きている」といったことは、自我の錯覚=苦しみに大きくかかわっているために、癒しと結びつきやすいですよね。

実際、アメリカとヨーロッパで年に一回開催されている「科学と非二元の国際会議」では、毎回セラピーと非二元についてはテーマの一つになります。→★

非二元が真に理解されれば、分離感や死の恐れから解放されるわけですから、ある意味究極の癒しともいえます。

ただ、それは非二元の真実が理解され、その副産物としてついてくるという感じです。

そんなふうに考えていると、このテーマで両者はうまく交わったり、まったく矛盾したり、一筋縄ではいきません。

とにかく「私はいない」という話と、「私を癒す」という話を同時にするわけですから。なので、この文章も矛盾をどうしてもはらみます。

とりあえず今回は、非二元のメッセージを理解するにあたって、陥りがちな自我の性質をいくつか書き出してみます。(ぜんぶではありません)

◎非二元を二元的な視点で理解する。

自我は、二元の世界観しか知りません。なので、例えば「いまここ」という言葉を聞くと、時間と空間的な視点で解釈してしまいがちです。つまり、過去、いま、未来のなかの「いま」であると理解してしまうなどです。(ちなみに、この点について詳しくはこちらをどうぞ→★

◎達成する目標にしてしまう。

自我は、何かをして結果を得る、目的に到達するという考え方、やり方が深く刷り込まれています。ですので、悟りも同じように考えて、エクササイズなどをして「いつか悟った私」という未来を想定してしまいがちです。それによって、いまここに充分にある真実を見過ごしがちです。

◎生きるための「考え方」として採用してしまう。

自我は不安ベースなので、常に生き方の指針を探しています。特に悟りなどは生き方の指針としてベストのツールとして捉えがちです。ですので、たとえば“すべてはただ起きているだけ”というメッセージで自分がどう生きるべきか・・などと考えてしまいがち。

とはいえ、メッセージや悟りの考えが今の自分を楽にしているのなら、それはぜひ採用してくださいね。(*^_^*)

◎非二元の理解で癒せないものがある

イギリスで参加した非二元のミーティングで、ある男性が幼少の頃のトラウマを涙ながらに話していました。ティーチャーは、“誰が苦しんでいるのか?”という質問をし、そして、その感情に寄り添うことを促していました。

そのティーチャーは今でも尊敬していますが、その点だけは譲れず、セラピストとしてこれは無理すぎると思いながら聞いていました。ある意味、非二元の理解で癌やエイズを治そうとしているようなものです。

話はそれますが、トラウマはトラウマとしてセラピーを使って癒したほうが良いと思います。

で、話を戻して、このように自我は非二元のメッセージを参考にしたり、理解したり、実行したりすることで、苦しみから抜け出し、より楽で幸せな人生を想定します。

通常はこのアプローチでまったく良いのですが、非二元の真実に限っては、この姿勢そのものが真実への理解を塞いでしまうのです。

私自身の話になりますが、私の場合、真実への探求はエゴの取引がなくなったとき、ほんとうに始まったと言えるかもしれません。

そのときに強く湧きあがった思いは、“一生不幸でもいいし、苦しみがあってもいいし、何一つ良いことがなくてもいいから、とにかく真実を知りたい”というものでした。

自我が何かメリットを見出しているうちは、本当に求めているのはメリットで、真実ではありません。

また、真実がしっかり顔を出したと感じたのは、まるごとすべてをあきらめたときでした。自らあきらめたというより、あきらめの感覚が強く沸き起こったという感じです。

そのとき、お腹のあたりから「私の意志」という固いエネルギーが抜けていきました。

こう書くと、簡単にそれは起きたかのように聞こえるかも知れませんが、途中にたくさんの気づきやシフト、プロセスがありました。

とにかく自分をどうにかしようとしているうちは、自我がどうしても頑張ってしまい、真実を塞いでしまいます。

また、悟りを追い求めるあまり、一番肝心な自分の内側を見つめていないので、なかなか楽にもなれません。なので、頑張っている割には、欲求不満や苦しみが増してしまうことも多いです。

じゃあ、どうしたら良いの?と思われるかもしれません。

ということで個人的な意見としては、あなたが今求めていることが楽になることであるなら、きちとんと自分の内側を見つめていくタイプのカウンセリングやセラピーの方が早道だと思います。

それをしつつ、非二元のメッセージにも耳を傾けることは、プラスになるかもしれません。

一方、とにかく私は真実を知りたい!という方は、隠れたメリットがないのか、自分が真に求めているものは何か?を一度明白にしてみてはいかがでしょうか?

あなたが心の深いところで求めているもの。それがあなたの導き手ですね♪

 

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地球ひろしさんのearth-TVに6月20日(土)夜9時より出演します!
当日質問をしたい方は、アフリカTVの無料アカウントで入るか、FB、ツイッターでチャットに入れるそうです。
 

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体は決して間違いを犯さない

昨日、電車は駅に止まったけど、ドアが開かず、降りるつもりの乗客が次の駅まで連れて行かれてしまいました。こちらではときどきあります。

さて、今日は少し次世代の癒しシンポジウムについて書きたいと思います。そもそもなぜこのシンポジウムを開催しようと思ったのか・・・・。いくつもの思い入れがあり、長い文章にもできますが、心の叫び風に短く行くと、

もう、自分や世界を物質としてみるのではなくて、エネルギーとしてしっかり見ようよ!!

ということです。

10月に発売される「スター・ピープル」という雑誌に次のような冒頭文を書きました。

『これまでの一般的な世界観として、人体とは物質であり、同じくに物質で出来上がっている世界の中に、それぞれ分離して存在しているという見方が主流であると思います。そのため、物質としての人体の構造、機能を研究することに焦点が当てられ、症状という明らかに肉体レベルに見える部分を治療することに医学の研究は注がれてきました。つまり、症状を消す、抑えるという目に見える物質レベルの治療です。そういう意味で、原因といった目に見えない部分、レントゲンやCTスキャンなどで見えない部分は、ほぼ無視されてきたといっても過言ではないでしょう。』

ですから、精神治療の場合でも、心を見るよりも脳を調べることに研究が向けられます。それがいけないと思っているわけではありません。でも、脳だけを調べても答えは見つからないでしょう。

先日も、脳のある部分をいじると(←すみません、詳しく覚えていません。)トラウマの記憶がなくなる(変わる?)というマウス実験に成功したという記事を読みました。しかし、そんなふうに脳をいじらなくても、エネルギーのレベルで安全に、そして完全にトラウマ解放ができるわけです。しかも、症状ではなく原因を癒しているので、根本的な解決になります。

体は何の理由もなしに、突然ある日“もっとドーパミンを出そう”とか、“インシュリンを出すのや辞めよう”などと決めるわけではありませんよね。基本的に体は決して間違いを犯しません。

では、なぜ私たちは病気になるのでしょうか?

ブルース・リプトン博士によると、病気になる原因の5%は遺伝子によるもの、残りの95%は
次の3つによるということです。

  • トラウマ
  • 毒(あらゆる化学物質、電磁波なども含む)
  • ビリーフ(思考)

とくにビリーフは、心身の健康を実現するのにとても重要な鍵を握っています。

さて、とても素晴らしいユーチューブの動画を見つけました。重症の統合失調症の二人の女性が完全に回復するまでのドキュメンタリーです。↓(下記リンク)

https://www.youtube.com/watch?v=NMA2mAsIJns

これを見ると、ビリーフが病気を作り、ビリーフが変わることで回復の道が開けてくるということがよく分かります。

またこのドキュメンタリーの中で、WHOが薬が買える国と買えない国で精神疾患の回復率を比較する調査を行ったという話が出てきます。それによると、薬が買えない国のほうが2倍高い確率で病気から回復しているという結果が出たそうです。

また同じくWHOの新薬がどれぐらい効果があるかという調査でも、慎重に何度も行った結果、新薬は効果がなかったという結果が報告されたのです。最終的に「先進国に住むということは、病気から完全に回復することは決してないということが強く予測される」という公式な結論を出しているとのことです。繰り返しますが、WHOの報告です。

人体や世界をエネルギーとして見れば、症状だけではなく、原因にもっと意識が向いていくと思うのです。そして、本当にそれが理解されてくれば、体とは私たちが思っているほど「固体」ではないことも分かってくるでしょう。

また、エネルギーといっても、無機質なものではなく、それを知性や愛と言い換えても良いわけです。つまり、私たちの体は、「知性エネルギーの流れ(流動体)」なんですね。しかし、体を物体と見てきてしまったために、私たちは体の知性を長い間見過ごしてきたと思います。

私自身、自分の体は「私固有の分離したもの」ではなく、量子フィールドのエネルギーである流動体なのだなぁと実感できたとき、心なしか体がとても喜んでいるような気がしました。固体で制限があるものという思い込みから解放され、本来の自然な姿へと戻れたような喜びです。

分離の世界観は、物事を細分化することは得意でも、どうしても“全体性”を見失いがちです。しかし、全体的な世界観に立ったときに、私たちは自分や体をどう見ればよいのか、もっと答えが見えてくるのだろうと思うのです。

ノーベル賞受賞者のマックス・プランク博士が下記の言葉を残しています。

“科学は最終的な謎を決して解くことはできない。なぜなら、私たち自身がその謎の一部であるから。

つまり、私たち(自我)自身も現象の一部であるから、現象の一部分が現象のすべて知ることはできないということです。

でも、自我の分離的世界観から、現象を作り上げる知性エネルギーに目を向けていくことで、本質のパワーを使ったもっと無理のない癒しが実現するだろうと思うのです。

ということで、もし良かったら一度体によく集中し、体感に寄り添いながら、

“この体を「私の限りある体」という思いから解放し、すべてである本質へお返しします。ありがとう。愛しています。”

とつぶやいてみてはいかがでしょうか?(言葉は自分にしっくりくるものに変えてください)もしかすると、体が喜ぶのを感じられるかもしれません。

まる一日のシンポジウムでいろいろな角度から、エネルギーベースの新しい世界観、それに基づいた癒しのツール、症状ではなく原因をどう見るか?、体の知性の聞き方、そして心身の健康の実現についてどっぷり浸かってみませんか?

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過去を癒さないとまた悪い事が起こるの?

kotomi 08Jan14遅ればせながら、あけましておめでとうございます!本年も宜しくお願いいたします。ブログを読んでくれる皆さまがいらっしゃることに改めて感謝しつつ、今年もさらに気持ちはゆるく、行動は活発に行きたいと思っております♪

さて、今回もコメントにお返事させてください。コメントをありがとうございます!

(質問は)過去の自分の、辛かったある経験についてです。今現在の自分は、「当時は自分の存在を消したいほど辛かったが、今は状況もなんとか収まっているし、その状況を引き寄せたのは、至らない部分を持った自分にも落ち度はあったのだから、今後は気をつけていこう」と思っています。でも、現時点では自覚のない、当時の自分自身が感じた辛い感情を解放するプロセスというのは、やはり必要なのでしょうか?心の中で当時の自分自身にアクセスしようとしても、存在が全く感じられないのです。<省略>いろいろな思い込みや記憶をクリアして新しい自分になりたいのですが、人生最大のショックであった出来事ときちんと向き合わなければ、また同じことの再現が起こるのでしょうか?

まず、「やはり必要なのでしょうか?」というご質問ですが、必要かどうかよりも「自分がしたいかどうか」なのかなと思います。

ただ、どうしてこういうご質問が沸いてくるのかは分かる気がします。スピリチュアル系の本の中には、低い波動(ネガティブな思いや感情)が悪い出来事を引き寄せる・・・というようなことが書かれているものがありますね。恐らくそういったことを想定していらっしゃるのかなと思います。

たとえば、小学校のときにいじめに遭い、そのときに「私は醜い人間だ」「私は犠牲者だ」「私は弱い」などといった思い込みが出来上がり、無力感、怒り、悲しみといった感情などいろいろ感じたとします。

で、確かに一度いじめに遭っていると、中学校や高校でもまたいじめに遭ってしまうということは良くあります。私もそういったクライアントさんに何人も会いました。では、それは彼らの中の癒されない部分がが引き寄せたのでしょうか? ある意味その通りですが、もう少し細かく見ていきたいと思うのです。

もし、ある人が「私は醜い人間だ」と心底信じていたとしたら、普段どんな言動になるでしょうか?その人のもともとの性格によっていろいろですが、ある人は引っ込みがちでどこか暗い感じになったり(醜い私は隅っこにいるべき・・・)、ある人はちょっとしたことで言い返してくる(絶対犠牲者なんかにならない!)など、必ず普段の言動にでるんですね。

また、「私は弱い」と深く思い込んでいて、クラスのみんなの前で堂々と発表するとか、くったくなく楽しく友達と話をするとか、そういったことができるでしょうか? おそらく出来ないでしょう。では、明るくて活発で話しかけやすい人と、暗い感じや攻撃的な人とどちらがいじめの対象になりやすいでしょうか?

いじめられるのは、その人が悪いといっているのではありません。どんな場合でも、人をいじめて良い理由など一つもありませんので。ただポイントは、私たちが普段無意識にとっている言動が状況を作っていることがとても多いということです。

また、2回も3回もいじめに遭うと、思い込みが強まっていきますので、そういう目で人や世の中を見始めてしまいます。すると、いじめに遭っていないのに、「いじめられた!」と感じてしまったりすることも多いです。こうなると、ない出来事もあったことになってしまうんですね。

でも、もしその人がいじめられたときのショックや感情を癒し、「私は醜い人間だ」から「私は悪くない」「私は大丈夫だ」という思いに変わったとします。そうすると当然ふるまいや周囲に与える雰囲気、言動が変わっていきます。そうなれば、当然経験することも変化していきますし、その人に対する周囲の態度も変わっていきますね。

もし、過去にとてもショックだった出来事を癒していなかったとしたら、そのときに出来た思い込み、抱いた感情による影響は、毎日の自分の言動のなかに必ず出ているはずです。そして、それが状況を作り上げ、思い込みに沿った経験をします。

ただ一番多いのは、同じ出来事が繰り返し起こるというよりも、過去の癒されていない心の傷が知らず知らずのうちに今の自分の可能性に制限をかけているというパターンです。

本当はもっと自分の才能を伸び伸びと生かせるのに、ほんとうはもっとスムースに行くのに、気づかない恐れの思いで複雑にしてしまっていた・・・などなどです。“悪いこと”が起きているわけではないし、今までずっとこんな感じで来たから、とくに問題を感じていない・・・といったパターンが多いですね。

しかし、心の傷を癒したとき、あれっ!こんなに楽に生きられるんだったんだ!、もっと早く癒しておけば良かった~と初めて気づくという感じです。

それならよし、過去のショックな出来事と向かい合おうと思ったとき、コメントの方がどのようにやっていらっしゃるのか分かりませんが、ただ目をつぶって思い出そうとしても何も感じられないことは、よくあることです。ある意味そのためにセラピーのツールがあるんですね。

潜在意識の深いところにどうアクセスするかは、ブログで書くにはあまりに無理なのでここでは省きます。ただ、コツは普段から体の感覚に慣れ親しんでいることです。なぜなら潜在意識への窓口は、思考ではなく感情であって、感情をよく感じるには体に集中しないといけないからです。

さて、話の角度を少し変えると、ショックな出来事を振り返って、“あぁ、あれが起きて本当に良かった。そのおかげで私は自分について、そして生きることについて多くを学び、一つ高い位置からものごとが見られるようになったなぁ。しみじみ・・”となったとき、真の意味で癒しが終了したと言えるでしょう。

もし癒しをする理由が、悪いことが起きることを避けるためだったり、または、今の自分はいまいちで、癒して良い自分にしたいから・・・だとすると、たぶん険しい道になってしまいます。なぜなら不安と自己否定がベースになっているからです。

それよりもまずは、ハートの深いところに“私が本当に本当に求めているものは何?”と尋ねて見ませんか? これ(物)があったらいいな、こんなふう(状況)だったら良いなというレベルではなく、もっともっと深いところに尋ねてみましょう。

あなたのハートの奥深くに輝いているもの、見つけたとたん涙があふれてくるような心の底から欲しているもの。自由?つながり?無限の可能性?愛?真実?創造性?何でしょうか?

そして、見つけたときなぜ涙が出てくるか分かりますか? それは、それが自分がずっと求めていたものだったのだとはっきり分かり、そしてそれは自分の中にずっとあったことが分かるからです。

自分はもう求めるものを持っていて、また自分はすでに求める姿であると知った上で、どうして普段私はそれを感じられないのだろう?どうして普段それが見えないのだろう?と振り返ってみましょう。そして、それを塞いでいる思いや感情を癒していくのはどうでしょうか?

ハートの奥底にある純粋な欲求を中心に持ってきたとき、癒しはうんとスムーズになり、また望まなくても人生は私たちに多くのものを与えてくれるようになりますね♪

PS:現在悩んでいること、苦しいことがある場合は、それから手をつけることをお勧めします。

降伏という名の癒し

すごい!イギリスは、まだ夏が続いております!青い空はやっぱり良いですね♪ さて、今回もロンドンのカウンセリングコースの卒業生の癒しのジャーニーをシェアさせて頂きます。

自我(普段の私という感覚)にとって大切なことは、自分が出来事をコントロールしていること、自分は何か出来ると感じることです。これによって、自分が生き延びることができ、そして自己価値も保てるわけです。

自我がネガティブな思考と同化しすぎると、自分を見失い、自分で自分をコントロールするのが難しくなり、無力感が強まります。しかし、思考から自由になるにつれ、自分を取り戻し、ハートとつながり、“私はやれる”“私は大丈夫”という感覚にシフトしていきます。これは、とても大切なプロセスで、カウンセリングやセラピーは、基本的にこのシフトをお手伝いするものです。

しかし、いくら自我がコントロールを取り戻しても、または、自分はやれると思っていても、最終的に自我は、自分の思いやコントロールを超えて、物事はただ起きているということを真に知るときがやって来ます。そのとき、皮肉にも私たちは最も深いレベルで「無力感」から解放され、真我(真の私)の大きな愛に出会います。無力感を癒し、自分を取り戻し、そして、自分を手放す旅です。(この順番で、目覚めに至るということではありません。)

また、私たちは、いわゆる“ネガティブ”な出来事に遭遇すると、すぐに意味付けをしようとするでしょう。しかし、その思考の誘惑ではなく、出来事に真に降伏したとき、私たちはネガティブな感情でさえも、苦しまずに感じることができます。それは、生きることを深く豊かにしてくれるものでしょう。

今回の旅の主役は、イギリス在住の看護師、伊佐奈津子さんです。

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私は先日流産しました。妊娠8週にしての流産。月曜日の勤務中、患者さんに食事介助をしているところで、何かが下りてきた感じがあり、念のためトイレでチェックしてみると、量の多い真っ赤な鮮血が下着についていました。つい先日近くに住む友人が流産した時の話と妙にかぶり、かなり動揺しました。震える声ですぐにマネージャーに報告。幸運にもその日お休みだったパートナーに迎えに来てもらい、その足で救急外来へ向かいました。検尿、採血の結果、感染症、その他血液系の問題はないということで、翌日のエコーの予約と共に帰されました。翌日火曜日のエコーで、あの子の心拍が確認できた時は、本当に嬉しかった。

そして水曜日、朝また出血がありました。鮮血ではなかったので迷いつつも、救急外来を訪れたところ、結果として「鮮血でない出血は予測範囲内」との見立てで、私自身もその可能性が高いと思っていたこともあり、ある意味安心して帰宅しました。しかし午後になると、おなかの張ったような感じが強くなってきました。ベッドに横になることに決めて、本を読んだりして意外にも心穏やかに過ごしました。しかし、夕方6時ごろトイレに行くと今度は鮮血の出血。時が経つにつれ、座っていてもたらーっと流れ出るのが分かるようになってきました。夜10時過ぎ、救急外来を再診しました。

待合室で6月末にしては冷たすぎる空気を感じながら、ただただ重くなる出血を体でまざまざと感じ、そんなことをしても無意味とは分かっているのに、血ができるだけ身体から流れ出ないように体勢を変えました。お願いだからおなかの中に留まって、と願うと同時に感じる、痛みを伴う子宮の収縮。まるで私の身体は私の意図に反してこの子を排出しようとしているようで、それに対して何もできない自分に、得も言われぬ無力感を感じました。

何度も繰り返される収縮に、必死に外に出ようとするこの子を私の身体の中に閉じ込めようとすることが理不尽に感じられ始め、「もういいよ、もうそんなに頑張らなくて出てきていいよ」と言わざるを得ませんでした。そう言いながらも、もちろんこの時点で心から納得なんてしておらず、涙が滝のように流れました。

そのとき、10歳の私が一緒に泣いているのが分かりました。この子は自己ワークとカウンセリングの中で出会った子で、小学校5年生くらいの頃、ホームルームで先生に言われた「人間所詮一人。みんな人に頼らなくても生きていける人間になるんだぞ。」という叱咤激励の言葉を、頭での理解とは裏腹に恐怖とともに抱え込んできた子でした。

彼女はこの言葉を知る前は、人はみんなつながっているという温かい世界に幸せに暮らしていましたが、先生のこの言葉で、「人とは分かり合えない、だから、みんなを繋げておくためには私が頑張らなければならないのだ」と無意識のうちに決心し、それ以来ものすごいスピードで生きてきたのでした。

そのため、それまでウキウキと始めたことでも、なぜか途中から続けることが苦しくなったり、体調を壊して、ドクターストップまでかかったりしました。また、ありのままの自分ではダメ(ありのままの自分ではみんながバラバラになってしまうから)だから、ありのままではない私を強固に固める必要があり、そのために私が選んだのは、看護師というアイデンティティーでした。看護師を辞めても看護師であることにしがみついていたのも、この10歳の私が、みんながバラバラになって、私が独りぼっちになってしまうことから守るためにしていたことだったのです。それが分かったのは、ここ数か月のことでした。

私の意図とは裏腹に私の身体がこの子を排出しようとする不条理とも言える無力感と、あの10歳の私が感じた「私にはどうすることもできない」という無力感が私の体の中で完全に一致しました。そう、私が真に恐れていたのは、本当の意味ではあの子を失うことではなく、失いそうになった時に何もできない無力感だったのです。何かを得るために遮二無二頑張ることを続けてきた私にとって、得るどころか、失なうことを防ぐために何かすることもまったくできないという状況こそが、無力の極みだったのです。

しかし同時に、真我の存在もそこに感たのです。私がこんなに辛い時に「それでいい」って言われても(実際には真我は無言ですが。)と思ったり、また、さらに真我に焦点を合わせと、もっと泣けてきてしまい、「そんなんじゃ何の慰めにもならない!」と不貞腐れてもみました。

それでも、真我の温かさはもう絶対で、全ては私のコントロールの及ばない、私の力ではどうしようもないところで起こっているのだということが、何の矛盾もささくれ立った感じもなく、身体にストンと入って来たのです。「そうかぁ、そういうことだったのか」と大きな安堵感でいっぱいになりました。おかしな言い方かもしれませんが、私は看護師として働きながら、何度となく死への壮絶な無力感を感じ、その度に私の中の大切な何かをすり減らしてきました。しかし、私が無力なのは死を意味することだけではなく、この世に起こる全てにおいてなのだと「分かった」とき、涙と一緒にその無力感が解けて、体の内側から力が湧いてきたのです。

ふっと、私はこんなに辛いことでもなければ、あの10歳の私を本当の意味では解放してあげられなかったということなのだろうか、という思いが横ぎります。刹那的な叱責の声です。でも、そのすぐ後に別の声も続きます。いや、そういうことじゃないんだろう、と。私のこの流産に、何か意味があったかどうかなんて「分からない」と、ことさら爽やかに響きます。今でも私の手帳に仕舞ってある心拍を確認できた時のエコーの写真を眺めると、本当に愛おしく、逢いたかったなーと心から想って涙が溢れてきます。でももう、あの血の気の引くような無力感はくっついてきません。

http://ameblo.jp/mylifeintheuk/

☆☆☆お知らせ☆☆☆

★本年度のIntegrated Counselling Diploma Courseは、満員となりました。

11月にAAMET認定EFTレベル1&2(11月2日~4日)とマトリックス・リインプリンティングのプラクティショナーコース(11月22日~24日)を開催します。詳細は7月後半以降になります。

※プラクティショナーとしての資格が取れるコースですので、マトリックス・リインプリンティングのコースを受けるためには、EFTのレベル1&2を受講していることが必須となります。

11月まで待てない!もっと早くEFTを習得しておきたい!という方は、EFTジャパンでも、今月末と7月にコースが開催されます。こちらのコースの修了者もマトリックス・リインプリンティングのコースを受けて頂けますので、ご都合がつけば、ぜひご参加ください♪(EFTジャパンと私のEFTコースの受講費は同じです。どちらでもプラクティショナーの資格も習得できます。)

「今ここ」の癒しパワー

イギリスは、晩秋の色がとてもきれいな季節となってきましたよ~。

さて、ブログを読んでだいぶ楽になりました~♪という嬉しいコメントも頂きますが、一方でなかなか楽になりませ~ん、という方のコメントも頂きます。ということで今回は、癒しがなかなか起きないケースについて書いてみたいと思います。

さて、今まで私は、ブログにも本にも癒しの方法やプロセスに関しては、ほんの少ししか書いていないんです。書かない理由は長くなるので省きますが、なんとなく日本では心のしくみなどを知るよりも、“こんな場合は、こうしたら良いです”という答えを探している人が多いような印象があります。

そういう意味で手前味噌ですが、答えを書かない私のブログを読み続けてくださる皆さんは、有難い存在です。ただ、最近はあれこれ試したけど、うまく行かなかった、何かがおかしい、もっと深く知りたいという人も全体的に増えてきた感じもします。癒しについてふか~く書いた本が一般的に売れるようになってくると嬉しいですね。(以前、深くて重すぎると出版社に断られました)

癒しがなかなか起きない理由は、人それぞれでかつ複雑です。また、日本のセラピー事情はまさに玉石混交で、癒しが起きない理由は、もちろんクライアントさんだけにあるわけではありません。ということを前置きに、最も癒しが起きにくいケースの大枠だけを書かせてください。

まず、「秘密の扉を開けよう!」に書いてありますように、基本的にマインドのステージに深くはまればはまるほど、人生は苦しくなっていきます。

マインド(思考)にはまるとは、一つの思いに捉われるということだけではなく、自分の思いの中に生き、体やハートと分離してしまうということです。

またハートというのは、感じる場所という意味ではなく、自分の中心にある愛、強さ、パワーのことです。実際、思考の世界に入り込むほど、私たちはものすごく感情的になります。

さて、ハートと分離してしまうと、当然「私には力がない」という思いが潜在意識に生まれてきます。または、「私には居場所がない」「私はここ(地球)にいたくない」といったような思いにもつながるかもしれません。

通常は、過去の出来事で傷ついた心を癒せば、かなり楽になります。しかし、ある人が「私は力がない人間だ」という思いにすっかり同一化しているとき、いろいろとセラピーを使って、どんなに過去を癒したり、感情の解放をしても、多少生きやすくなる程度で大きな変化は起きません。

まず、深い無意識のレベルで「私は力がない人間だ」という思いがあると、周囲にどうにかして欲しい、または何かしてくれるべきだという思いが強くなります。そしてまた、世界や周囲が大きくパワフルに見えてしまうので、人生でなにかがあると「私は犠牲者」という思いにすぐにつながっていきます。

そして何らかの理由で、この思いを小さい頃から持っている方は、今までの人生を無意識に「私は力がない犠牲者」という思いでずっと生きているため、自分がどんなに難しい環境にいるか、どれだけ苦しんできたか、などなどといった「私の苦しい人生」のストーリーもしっかり出来上がっています。

で、このように「私=力がない犠牲者」、「私の人生」=「苦しい犠牲者の人生」とすっかり同一化をしている場合、繰り返しになりますが、カウンセリングやセラピーどんなに受けても、いつもの苦しい私にすぐに戻ってしまいます。

ですのでこの場合、過去を癒すよりも「力がない犠牲者」という思いと自分を分離化し、ハートによりつながっていき、新しいアイデンティティを確立するセッションのほうが有効になってくるんですね。

ところがここで難しいのは、「私は力がない犠牲者だ」という思いは、その方にしてみれば、それは思いではなく、紛れもない過去の出来事に基づいた事実なんです。なので、過去を癒さないセラピー、傷ついた自分の心を癒さないセラピーなんて意味がないと思いこんでしまっていたりします。

また、苦しい状態にいる方ほど、セラピーなどに対する思い込みや恐れも高いので、こちらが提案するものを頭であれこれ考えて、これはこんなふうだから嫌、あれはこうだから自分には向いていないなど、結局はやらないという選択をしたり、または、自分の思い描く結果に執着するあまり、進歩を完全に見逃してしまい、効果が出てないと失望したりなど、いろいろなケースがあります。

で、効果がないと、「私は犠牲者」なので、「私はセラピストや情報に翻弄されている(犠牲者)」などと感じたり、または深いレベルで「あの人たちは私を助けてくれない」などと怒りをためていきます。

と同時にどこかで「自分がやらなくてはいけないのだ」とも分かってもいるため、自分自身も非常に責め、自分への怒りもためます。皮肉っぽく書いているように思うかもしれませんが、その方が心から苦しんでいることは、よく理解しないといけません。

ここまで苦しんでいるのですが、一方無意識のレベルで「苦しい私の人生」というストーリーを手放すよりは、いかに理解してもらうかのほうが大切なのでしがみついてしまいます。なので、「そんなに悪い人生じゃないですよね」とか「特に大きな災難が起きているわけではないですよね」などと言ってしまうと、自分の苦しみが理解されなかったと感じ、傷ついたりする人もいます。

もちろん、セラピストとしてできる限りのことはしますが、最終的にどこかの段階でご本人が「癒しは私がすることだ」という思いをもたない限り、大きな変化はどうしても起きません。(「秘密の扉を開けよう!」の癒しのステージを参照にしてみてください。)

さて、「私たちの中にはすべてがある」というお話もしてきました。私たちの中には、「力がない私」「かわいそうな犠牲者の私」もいれば、「力がある私」、「智恵がある私」などすべての要素が存在しています。

ですので、何十年と「力がない犠牲者」の私に100%同一化していたとしても、もちろん「力がある私」にアクセスすることは出来るんです。そのためには、やはりマインドからハートへ、つまり思考から体へシフトしていくことがポイントです。

その方法やツールはいくつかありますが、その方の性質や状態などによって使い分けますし、ある程度知識と経験がないと難しいので、ここでは、誰でもすぐにできる、シンプルかつパワフルなエクササイズをご紹介しましょう。(すべての人にお薦め)

【一日に30秒でも良いので、「体の息づかい、心臓の音、自分が存在している感覚」を感じてみてください。これを一日のうちに何回もやってみましょう。思考の中ではなく、体の中に入る回数を小刻みに増やしてください。ただ、それだけです。】

体の中にいる瞬間とは、言い換えれば「今ここ」にいるということです。思考は、過去と未来に住み、体は今ここに住んでいます。そして、「今ここ」に住めば住むほど、苦しみは激減していきます。逆に苦しみが高まっているときは、自分と思考と感情がすっかり同一化している証拠です。

体の中(今ここ)にいるとき、ハートにも意識を向けてみましょう。ハートのエネルギーをよく感じ、それが真のあなただと知ってください。マッハの勢いで入ってくる思考や感情は、空に流れる雲だと思ってただ眺めてみましょう。始めはあまり感じられなくても、続けてみてくださいね。

ということで、セミナーまだまだ募集中!ご都合がつけばぜひいらしてください。

★ERTコースは満員となりました。キャンセル待ち受付中!

★あゆかの部屋(2月2日)は、満員となりました。キャンセル待ち受付中!