うっすら不幸感と炎上のしくみ

世の中を見まわして、なぜこんなに生きづらい人が多いのだろう?
なんか社会がギスギスしている感じがするのはなぜ?
なぜYouTubeのコメント欄にはびっくりするような誹謗中傷があったりするのか?
そして何よりも、私はなぜ幸せな感じ、平和な感じがしないのだろう?

と思ったりすることは、おそらく誰にでもあるでしょう。

ということで、いきなり悟りと非二元の世界に飛んじゃう。

非二元本である「奇跡のコース」には、「罪悪感」を癒す大切さが何度も出てきます。私たちの心の深層にある罪悪感を癒すことが本質への目覚めにつながると・・・。

ここでいう罪悪感とは、何か悪いことをしでかしてしまった罪意識というよりも、“何か自分には欠けているところがある”、“なんか自分はうまくやれていない”といった、自我の根底にある自己否定を指しています。

自分の本質である「純粋意識」、仏教でいう「空」という、分離もなく、身体や思いでもなく、そして時空もない、純粋意識な意識そのものである自分を忘れ、自分は分離した存在であるという勘違いをしたとたん、「全体でない、何かが欠けた分離している私感覚」が生まれます。

つまり、人生が何一つ始まる前に、この勘違いから生まれた罪悪感が私たちの中にすでにビルトインされているんです。

そして、生まれ育つ過程で、 “頑張らないといけない”(=今のままではダメ)と思わされたり、家庭環境が暴力に満ちていたり、または衣食住に欠けていたり、または学校でいじめに遭ったりなど、私たちの中にもともとビルトインされている「自分ダメ感、自分足りない感」がさらに強化されてしまいます。

このように大きくなってしまった罪悪感は、普段、うっすらとした不幸感や不満、または不安や恐れ、怒りといった形で表面に現れてきます。しかし、日常の忙しさの中で私たちはそれらの感情に気づくことはあまりありません。

たとえ気がついたとしてもどうしたら良いかわからず、せいぜい気をそらす何かを見つけるぐらいです。

ですが、この私たちの中にある未処理の罪悪感は、必ず外に向かい、攻撃する相手を見つけ出そうとします。(もちろん無意識)

なぜなら、誰か、または何かを攻撃することで自分が正当化され、自分が悪いのではないと落ち着けると無意識に思うからです。こうして無意識下で、常に「攻撃レーダー」が作動し始めます。

そしてまずは、一番身近な人がターゲットになります。ので、夫や妻、子供など家族が犠牲になること多しです。(たいていはお互いに攻撃し合う)相手の言動のいろいろなことが気に食わない、腹が立つ、許せない、おかしい・・・と、心の中が戦争状態になります。

ですが、家庭内での戦争に勝てなかった場合、くすぶりはさらに増えていきます。すると次に犠牲になるのが、職場の人々や近所の人など次に身近な人たちですね。または始めから、家庭と会社の両方で同時に戦っている人もとっても多いです。

しかし、なかなかそこも勝てる場所ではありません。そんなとき、誰か芸能人のスキャンダルでも起きれば、よっしゃ~!と罪悪感は勇んでコンピューターに向かい、自分が会ったこともない人を攻撃します。

つまり、炎上とは罪悪感のはけ口とも言えますね。どこかに吐き出さないと苦しい。心が平和で幸せな人にとってはそんなことをするほうが疲れるはず。

または特定のグループや民族を常に敵対視することもありますね。自分自身はその人たちから直接にはなんの被害も受けていないのですが。

しかし、罪悪感は自分が直接にはまったく何も被害を受けていないという事実はまったく無視し、他の罪悪感と呼応し合います。集団化してしまうんです。

グループの中で誰か一人がほかのメンバーを批判し始めると、他の人も一緒に乗って一人を攻撃するとか、大人の世界でもありますよね。

さて、でも残念ながら、どんなに自分の考えが正当に見えて、どんなに相手を攻撃したところで、私たちの心はまったくスッキリしません。なので、攻撃が終わらないし、罪悪感はうろうろとさまよい続け、不幸感はやっぱり残ります。

ということで、ほんと~にスッキリして心が平和でいるにはどうしたら良いのか?

そうです。皆さんもお分かりのように内なる罪悪感を癒すことです。

ここで難しいのは、相手や社会や状況を長い間批判してきたことで、自分の中に正論や怒りもしっかり育ってしまっていることです。

なのでまずは、正論の後ろに隠れている声、怒りを癒してあげることが必要なんですね。“なんで話聞いてくれないのよ~”、“私をバカにするな!見下すな!”、“いい加減にしろ!甘えんな!”といったような声です。

そして、それらの声の下にあるのが、“私を受け入れてほしい”、“私を認めてほしい”、“私も助けが欲しい”といったような声。

そしてそのさらに下にある声が、“私はそもそも受け入れてもらえない人間だ”、“誰も私のことなんか重要視しない”、“助けてくれる人なんていない”というような声。

そしてその下に(場合にはよってはもっと下に)やっと罪悪感の声があります。“私は存在自体が迷惑”、“私は透明人間”、“私は天から見放された存在だ”・・・。

そもそもこの声が生まれた理由には、その人特有のストーリーがそこにあります。それを丁寧に癒してあげたとき、そこから生まれていたいくつもの思いや感情も一緒に癒されていくんです。

どんな汚い言葉、キツイ言葉、乱暴な言葉が表面上に発せられていようが、最終的に傷ついた子供の声にたどり着くんですね。

もし、みんなが自分の中の罪悪感を見つめて、傷ついた子供の声を癒してあげることができたら、世の中はもっと生きやすくなるだろうと思うのです。

そして、さらに言えば、もし私たちが自分の本質を思い出すことができたら・・・・。ということで、最後にまた非二元に飛びます。

「本質の私」に立ち戻れば、どんなにリアルな思いも感情も最終的にすべて実体のないものです。移り変わりものはすべて基本的には存在しておらず、究極的には何も起きていません。(空)

あなたは悪夢を見ているだけで、ほんとうは暖かいベッドの中にいつもいるのだよと、「奇跡のコース」がいうように、自分を傷つけた相手も、傷ついた自分というのも存在せず、私たちは本質的に大丈夫なんです。

ということで、幻想とはいえ、「ユニークな個である自分」の大切な人生を時々本質に立ち戻りながら自分を表現していけると良いですね♪