遅ればせながら、あけましておめでとうございます!本年も宜しくお願いいたします。ブログを読んでくれる皆さまがいらっしゃることに改めて感謝しつつ、今年もさらに気持ちはゆるく、行動は活発に行きたいと思っております♪
さて、今回もコメントにお返事させてください。コメントをありがとうございます!
(質問は)過去の自分の、辛かったある経験についてです。今現在の自分は、「当時は自分の存在を消したいほど辛かったが、今は状況もなんとか収まっているし、その状況を引き寄せたのは、至らない部分を持った自分にも落ち度はあったのだから、今後は気をつけていこう」と思っています。でも、現時点では自覚のない、当時の自分自身が感じた辛い感情を解放するプロセスというのは、やはり必要なのでしょうか?心の中で当時の自分自身にアクセスしようとしても、存在が全く感じられないのです。<省略>いろいろな思い込みや記憶をクリアして新しい自分になりたいのですが、人生最大のショックであった出来事ときちんと向き合わなければ、また同じことの再現が起こるのでしょうか?
まず、「やはり必要なのでしょうか?」というご質問ですが、必要かどうかよりも「自分がしたいかどうか」なのかなと思います。
ただ、どうしてこういうご質問が沸いてくるのかは分かる気がします。スピリチュアル系の本の中には、低い波動(ネガティブな思いや感情)が悪い出来事を引き寄せる・・・というようなことが書かれているものがありますね。恐らくそういったことを想定していらっしゃるのかなと思います。
たとえば、小学校のときにいじめに遭い、そのときに「私は醜い人間だ」「私は犠牲者だ」「私は弱い」などといった思い込みが出来上がり、無力感、怒り、悲しみといった感情などいろいろ感じたとします。
で、確かに一度いじめに遭っていると、中学校や高校でもまたいじめに遭ってしまうということは良くあります。私もそういったクライアントさんに何人も会いました。では、それは彼らの中の癒されない部分がが引き寄せたのでしょうか? ある意味その通りですが、もう少し細かく見ていきたいと思うのです。
もし、ある人が「私は醜い人間だ」と心底信じていたとしたら、普段どんな言動になるでしょうか?その人のもともとの性格によっていろいろですが、ある人は引っ込みがちでどこか暗い感じになったり(醜い私は隅っこにいるべき・・・)、ある人はちょっとしたことで言い返してくる(絶対犠牲者なんかにならない!)など、必ず普段の言動にでるんですね。
また、「私は弱い」と深く思い込んでいて、クラスのみんなの前で堂々と発表するとか、くったくなく楽しく友達と話をするとか、そういったことができるでしょうか? おそらく出来ないでしょう。では、明るくて活発で話しかけやすい人と、暗い感じや攻撃的な人とどちらがいじめの対象になりやすいでしょうか?
いじめられるのは、その人が悪いといっているのではありません。どんな場合でも、人をいじめて良い理由など一つもありませんので。ただポイントは、私たちが普段無意識にとっている言動が状況を作っていることがとても多いということです。
また、2回も3回もいじめに遭うと、思い込みが強まっていきますので、そういう目で人や世の中を見始めてしまいます。すると、いじめに遭っていないのに、「いじめられた!」と感じてしまったりすることも多いです。こうなると、ない出来事もあったことになってしまうんですね。
でも、もしその人がいじめられたときのショックや感情を癒し、「私は醜い人間だ」から「私は悪くない」「私は大丈夫だ」という思いに変わったとします。そうすると当然ふるまいや周囲に与える雰囲気、言動が変わっていきます。そうなれば、当然経験することも変化していきますし、その人に対する周囲の態度も変わっていきますね。
もし、過去にとてもショックだった出来事を癒していなかったとしたら、そのときに出来た思い込み、抱いた感情による影響は、毎日の自分の言動のなかに必ず出ているはずです。そして、それが状況を作り上げ、思い込みに沿った経験をします。
ただ一番多いのは、同じ出来事が繰り返し起こるというよりも、過去の癒されていない心の傷が知らず知らずのうちに今の自分の可能性に制限をかけているというパターンです。
本当はもっと自分の才能を伸び伸びと生かせるのに、ほんとうはもっとスムースに行くのに、気づかない恐れの思いで複雑にしてしまっていた・・・などなどです。“悪いこと”が起きているわけではないし、今までずっとこんな感じで来たから、とくに問題を感じていない・・・といったパターンが多いですね。
しかし、心の傷を癒したとき、あれっ!こんなに楽に生きられるんだったんだ!、もっと早く癒しておけば良かった~と初めて気づくという感じです。
それならよし、過去のショックな出来事と向かい合おうと思ったとき、コメントの方がどのようにやっていらっしゃるのか分かりませんが、ただ目をつぶって思い出そうとしても何も感じられないことは、よくあることです。ある意味そのためにセラピーのツールがあるんですね。
潜在意識の深いところにどうアクセスするかは、ブログで書くにはあまりに無理なのでここでは省きます。ただ、コツは普段から体の感覚に慣れ親しんでいることです。なぜなら潜在意識への窓口は、思考ではなく感情であって、感情をよく感じるには体に集中しないといけないからです。
さて、話の角度を少し変えると、ショックな出来事を振り返って、“あぁ、あれが起きて本当に良かった。そのおかげで私は自分について、そして生きることについて多くを学び、一つ高い位置からものごとが見られるようになったなぁ。しみじみ・・”となったとき、真の意味で癒しが終了したと言えるでしょう。
もし癒しをする理由が、悪いことが起きることを避けるためだったり、または、今の自分はいまいちで、癒して良い自分にしたいから・・・だとすると、たぶん険しい道になってしまいます。なぜなら不安と自己否定がベースになっているからです。
それよりもまずは、ハートの深いところに“私が本当に本当に求めているものは何?”と尋ねて見ませんか? これ(物)があったらいいな、こんなふう(状況)だったら良いなというレベルではなく、もっともっと深いところに尋ねてみましょう。
あなたのハートの奥深くに輝いているもの、見つけたとたん涙があふれてくるような心の底から欲しているもの。自由?つながり?無限の可能性?愛?真実?創造性?何でしょうか?
そして、見つけたときなぜ涙が出てくるか分かりますか? それは、それが自分がずっと求めていたものだったのだとはっきり分かり、そしてそれは自分の中にずっとあったことが分かるからです。
自分はもう求めるものを持っていて、また自分はすでに求める姿であると知った上で、どうして普段私はそれを感じられないのだろう?どうして普段それが見えないのだろう?と振り返ってみましょう。そして、それを塞いでいる思いや感情を癒していくのはどうでしょうか?
ハートの奥底にある純粋な欲求を中心に持ってきたとき、癒しはうんとスムーズになり、また望まなくても人生は私たちに多くのものを与えてくれるようになりますね♪
PS:現在悩んでいること、苦しいことがある場合は、それから手をつけることをお勧めします。