今回は、前回も書いたルパート・スパイラさんのリトリートの体験をシェアさせて頂きま~す!で、多くのことをシェアしたいのですが、今日は5日目に体験したことを書きたいと思います。リトリートは、基本的に30分瞑想、30分ルパートの話、1時間質疑応答という2時間のミーティングが一日に朝と夕方二回という構成です。
5日目の瞑想時、前の晩よく眠れなかったせいもあり、私は目をつぶると寝ちゃうという状態が続きました。そこで、画期的な解決方法として、目を開けて(!)瞑想することにしたのです。目を開けたまま、前の日までやっていた瞑想、「thinking, sensing, perceiving」(思考、感覚、見る行為を観察する)をなにげなくやっていました。
自分の思考、体の感覚、感情を観察し、また目に見えるもの、会場の机、机の上の花、録音器具、暖房などなどを眺めていました。そのとき、その日までのルパートの話とプチ覚醒体験の状態が思い出され、すべては愛でできていて、これらすべてが真の自分なんだと感じていました。
とはいえ、プチ覚醒体験のような何かが大きくシフトした感じはありませんでしたが。そうこうしているうちに、突然今までルパートの口から毎日何度も聞かされていた言葉、「Awareness can not turn back and look at itself」(目覚めた意識は、自分を振り返って観察することができない)が浮かんだのです。
そこで、思考や感情、そしてテーブルなどを観察するように、「それらに気がついている意識」を観察しようと試みると、あっ、できない!・・・・、その瞬間、それがいかに真実であるかが体にヒットしたのです。私はすべてを観察できるけど、すべてに気がついている意識を眺めることができないと。
その直後、私の心臓はものすごく高鳴り、強い恐怖がわきあがってきました。息ができないような感覚になり、足も震えていました。直感的に、エゴが自分の死を感じて怖がっていると分かりました。
ただ、私は「おぉ、すごい恐怖が出てきたじゃないか」とけっこう楽しんでいました。腎臓も痛み出し、いかに恐怖のレベルが高いかも感じました。が、やっぱり怖くはないんです。(腎臓は次の朝まで痛かった)
意識は、すべてがくまなく無限の豊かさなのだということが分かっていました。時間は思考が生み出す幻想で、思考がなくなると、時間もなくなることもはっきり分かりました。
そして、この生命の無限の豊かさのなかで、私たちは制限のゲームをしているのだなぁとつくづく思ったのです。何かが終わるとか、なくなるとか、足りないとか、そういうことはあり得ず、自我は思考ですべてを捉えるために、無限の状態を完全に見過ごしてしまうのだと。
お金に例えると、大海のなかにいる魚が、500mlの水のボトルを手に入れ、“あぁ、1リットルのボトルがたくさん欲しい”と言っているのと同じだなと思いました。または、将来水がなくなるかもしれないから、ボトルをいっぱい貯めておこうとか。
ちょっとあるお魚の話をしましょう。
大海に住む魚のトビは、物心がついた頃から、自分の周りにはいろいろな存在やものがあって、なんだか周囲は怖いところだと感じていました。トビの目には、他の魚たちや海草やら、魚の家々やら、いろいろなものが分離して、お互いがまったく関係を持っていないように見えます。そして、はるかかなたまでいろいろな生き物が生息し、無限に続く海底の土を見渡し、自分はちっぽけな魚にすぎないと感じ、なんとか同じグループの魚たちに受け入れられて、えさを確保して生きていかなければ・・・と頑張っていました。
しかし、そんなふうに生きていくことに疲れ、疑問を持ち始めたトビは、ある日「あなたは魚ではない!」というショッキングはタイトルのセミナーを見つけました。なんとなく足を踏み入れてみると、そこでは、ある魚のマスターが「あなたは、本当は大海なんですよ。すべての存在の源であり、またすべての存在そのもので、そしてすべてを活かし、無限に広がる大海なのです」という話をしていました。
「い、意味が分からん!現にこの小さな体があるじゃないか。」と思いながらも、トビの心の奥底で大きく感じるものがありました。そこで、トビは機会があるごとにそのセミナーへ足を運ぶことにしました。
そのセミナーでは、体を感じる瞑想もあります。「尾ヒレをよ~く感じましょう。鱗が水と触れてかすかに動く感覚・・・・、そして、えらの感覚の先をずっと追っていってください。どこかで感覚が切れるところがあるでしょうか?・・・」など瞑想を繰り返すうちに、トビは、自分の体と大海はつながっているのだとだんだん感じられてきました。
何年かが過ぎ、真の自分のことについてだいぶ分かってきたなと感じていたある日、トビは「すべてが存在していること」を分かっている自分(意識)が常にいる(ある)ことにはっと気がつきました。それは、セミナーで魚のマスターが繰り返し言っていた言葉で、今まで何百回も聴いた言葉でした。存在している自分がいて、それを分かっている自分がいる。ぴちゃぴちゃ泳いでいる自分が自分で、じゃぁ、それを分かっている自分はなに? この問いが、なぜかこの日は、体全体がひっくり返るほどの衝撃を持ち、トビは本当の自分は、泳ぐ自分を永遠にじっと見ていた大海のほうだったのだと悟りました。
その後トビは、周囲は本当は温かい場所で、エサの心配をいつもする必要もないんだと分かり、平和な気持ちでトビとしての人生を送りました。
思考には、水が一切目に入りません。思考が把握できるものは、現れて消えていくものだけなんですね。なので、永遠にいつもすべてを通して、あまねくいきわたっているこの意識を感じることができないんです。でも、あまねくいきわたっているうので、探し求める必要もないんです。
思考が捉えられないだけです。とはいえ、思考を悪者にしたいのではありません。思考もこの無限の意識によって生み出されたものですから。
目覚めを求める姿は、ある意味私も含めて、毎日大海の中に住みながら、大海ってなんだろう?と考えるようなものです。ただ、私たちは思考と感情、そして肉体に100%同一化しているために感じられないんですね。
大海の中の魚が、自分が大海の中で生きていることを信じようが、信じまいが、その事実は変わらないように、真の私たちが無限の豊かさであることは、私たちが感じられようが感じられまいが、やはり真実は変わりません。
プチ覚醒体験をしただけの私は、まだまだ目覚めの生徒です。でも、これからも皆さんに知識ではなく、体験から分かったことをシェアしていきたい!と思っております♪