思考から目覚める♪

自分がなにを考えているのかに気づいていない人がいて、
それは、思考の中に深く眠った状態
自分のことも世界のこともほとんど見えない

自分がなにを考えているかに気づける人がいて、
それは、深い眠りからの目覚め
自分や世界を知り始める

さらに、自分がなぜそもそもそんなふうに考えるのか分かる人がいて
それは、目覚めた生き方へのシフト
自分や世界を深いレベルで理解する

あなたはもはや思いや感情の奴隷ではなく、
あなたの目には多くのことが見えてくる

でもさらに、深く深く思いを見つめ、感情を追っかけていく
そこには、まったく無視されていた無数の声たちがある
私の声、あなたの声、集合無意識の声

それらの声を前に、あなたは自分が何も知らないことを知る
分かっていたと思っていた自分でさえ、この尽きない無限のエネルギーの前に

一体自分は何者なのか???・・・・

それは、エゴが降参した瞬間
あなたの真の目覚めの始まり☆

~・~・~~・~・~~・~・~

多くの人が、自分の考えにまったく気がつかずに過ごしているでしょう。なので、気が付き始めるとかなり目からウロコ状態になります。

“私は、母として完璧ではなければいけないって思っていたんだ!”
“人に頼ってはいけないと思っていた!”
“お金は私を不幸にすると思い込んでいた!”
などなど。

気づくまでは、とにかく良い母になることに必死になっていたり、一人で頑張って疲れていたり、お金が欲しいと思いながら、お金が受け取れなかったり。

この自分の思いに気づいていないときが、一番混乱や苦しみを生みがちです。なのでこの状態のとき、一番他者のアドバイスや教えを求め、それにしがみつきます。

苦しいけど、疲れているけど、完璧でいなければ、人に頼ってはいけない、といった思いも活発に生きているため、自分ではどうしたら楽になれるのか分からない・・・という状態です。

このレベルの苦しみは、自分の思いに気づくだけでもだいぶ楽になるでしょう。多くのカウンセリングはこのあたりで終わりです。

でも、気づいただけでは楽になれないという人もとても多いです。それは、そもそも「私は母として完璧でないといけない」という思いが生まれた理由があるからです。

たとえば、親から完璧さを求められていたことが理由であった場合、親に受け入れられたいという衝動や焦燥感、または受け入れてもらえなかった悲しみや怒りがあります。感情がある限り、思いを手放すことはとても難しいんですね。

この場合は、当然感情を解放していくことでぐんと楽になっていきます。ここでセラピーが活躍します。

そして、このように表面的な思いだけではなく潜在意識の思いも自分で見られるようになると、他者の言動も同じように深いレベルで見ることができるようになります。

この状態になれば、不愉快な相手に対しても自分が巻き込まれなくなります。周囲や環境のせいにしなくなり、自分に中心があると感じられ、また一段ぐんと楽になります。多くのセラピーはここで終わりです。

でも、私は欲張りなので、さらに見つめていきます。

完璧でない私はどんな私?親に受け入れられなかったらどうなるの?

セルフイメージと最大の恐れを探していくんです。というのも、それがその人の自我を形成し、大きく影響を与えているものだからです。

完璧でなければ・・・と思っているということは、明らかにセルフイメージの自分は完璧ではないんです。また、人は一番恐れていることを避けようといつも頑張っているんですね。

で探ってみると、もしかすると「私は欠陥品だ」とか「私は残り物」などが出てくるかもしれません。今まで多くのびっくりするような様々なセルフイメージに出会ってきました。

このレベルの癒しは、とても深いものとなります。なぜなら、ある意味その人のアイデンティティ、生き方、ふるまい、思いや感情を形成していた部分だからです。(セルフイメージは一つだけではありません)

そして、このセルフイメージに付随している感情に深く寄り添っていくと、人類が共通して抱いている思いや感情につながっていくことがあるんです。恐れや悲しみ、犠牲者意識など。当然、最初はそれらは自分の思いや感情だと思うでしょう。

しかし、いくら探っても、そこに個人的なストーリーはどうしても見つけ出せず、また、わけのわからない大きさを感じます。このとき、個人を超えた、深く、無限で、そして理解できない世界があることを知るんです。

そのとき、ネガティブな感情と向き合っているにもかかわらず、個としての自分と全体が一つの意識の中で境がないことを感じ、なぜか深く腑に落ちます。

私は全体であり、全体の一部でもあり、何者なのか定義できないけど、一つだけ確信できることは、私が今ここにいること。それは、個が消えて、真の自分を実感する始まり♪

 

☆今週の日曜日名古屋でお会いする皆さん、とても楽しみにしております!
「悟り(非二元)について語ろう」in 名古屋
2014年12月21日(日)13:15~16:50 (残席わずか)

自分が消え、愛と出会う

いろいろなセラピーや非二元のセミナーに参加することは、私の大きな楽しみの一つです。日本にいるときは、忙しくてなかなか行けないのですが、今回はすでに、EFTジャパンのブレンダさんのコースを見学させてもらい、そして、いまここ塾の阿部敏郎さんのセミナーにも参加し(日本語で聞く非二元のセミナーは初めて!楽しかった~。)、なんだかもうお腹いっぱいです。

と、思っていたら、ナチュラル・スピリットの今井社長にレナード・ジェイコブソンさんのセミナーにご招待いただき、今回はボーナスだらけです。ふふ。(11月15日イブニングセミナー、16,17日ワークショップ)

さて、今回もご質問にお返事させてください。コメントをありがとうございます!お二人の方からです。

「無条件の愛」の”愛”ですが、愛をエネルギーと置き換えても大丈夫ですか?愛というと、いろいろな意味を持つので、自分のイメージと違うと思うのです。

あゆかさんが「真の私たちは、無条件の愛である」と仰るときの「愛」はどのような意味の愛でしょうか。私は、「存在」と同義に感じているのですが…。できるだけ、あゆかさんの表現をそのまま受け取りたいので、あゆかさんが使うときの「愛」がどんな意味か示して頂けたら嬉しいです♪

言葉はほんとうに人によって定義やイメージが様々ですね。私もそのときの内容によっては、違う意味で使っていたりします。しかし、非二元の話のなかで「愛」と私がいうとき、それは、愛=生命=真実=万物(色)=万物を構成するもの(空)、あなたを生み出し、あなたをつくっているもの、です。

さて、ここでの大きなジレンマと問題が生じます。とういのは、自我が「愛」を理解する対象物として捉えてしまっていることです。「愛」を理解する対象物としている限り、絶対に真実(=愛)は見えてこないんですね。

自我は、真理を見極めたいと思い、また自我は、分離感がなくなれば良いと思っていたりします。ところが、真理が顔を出し、分離感がなくなるために一番必要なことは、自我がなくなることなんです。もっと正確に言えば、自我は存在していなかったと見抜くことです。

何かを理解しよう、把握しよう、としたとたん、私(主体)が、何か(客体)を理解するというモデルにどうしてもなってしまいます。すると、そこに主体と客体という、二元の構造ができてしまうんです。

また、私たちがよくやりがちなのは、自分なりの悟りのイメージや、自分なりの「愛とは、こういうもの」とか、自分なりの「なんちゃら」が漠然とあり、覚者の話を聞きながら、それが合っているかどうか無意識に確かめ、違っていたら修正し、という感じに自分が理解できるものにしていくことです。つまり、思考活動です。

私もやりますが、みんなもやっているはずです。そして、これはある程度までは、とても役に立ちます。やはり、なにかイメージしたり、近そうなものを想定するなど、なにかとっかかりがないと、始まりようがありません。

大海と小波の例えなども、その一例ですね。ただ、正しく捉えたら、先に進めると思いすぎていると、いつまでも真実に辿りつけなくなってしまいます。

ときどき般若心経の意味についてネットで読んでいると、ものすごい勢いで理解しようとしている、というか、頭だけで理解できると思っているんだなぁという人をそれなりに見かけます。ちなみに、般若心経の英訳はものすごく分かりやすいです。(英語では「ハート(心)・スートラ(経)」と訳されています。)漢語というワンクッションなしに、現代語で訳されているからかもしれません。

話を戻すと、私が一番愕然としたのは、「私(自我としての)は、ここにいる」という思いすら、真実を指していないと見えたときでした。体に同化しているときは、自我の私はここにいると思っているのですが、同化しないと、とたんに自分を位置づけることは不可能になります。

自分はどこにもいないし、すべての経験の中にいるし・・・・と、ここで言葉が落ちます。

インテグレイテッド心理学の上級やロンドンのカウンセリングコース(そして12月の悟りについて語ろうのセミナーでも少しやります)では、真我を感じるエクササイズをやっていますが、これらは、実は「ダイレクト・パス」という流れなんです。真我を直接に感じる問いかけやエクササイズをやるんですね。西欧では、ルパート・スパイラ(私の先生)、フランシス・ルシール(ルパートの先生)などの流れです。また、禅にも同じような流れがあるそうです。

一方、最も多いのが「プログレッシブ・パス」という流れで、インドを中心に、自我のカルマを浄化したり、精神意識を高めたり、グルのもとについて学びを高め、悟りに達するというようなやり方です。

まっ、このようなカテゴリー別けは、まったく重要ではありません。が、個人的には、覚醒体験後、ルパートさんの問いかけ、誘導のおかげで、体験的理解度、そして定着度がぐんと深まったと思います。

もう一度話を戻すと、「個としての自分がいる」という思いから→分離感覚が生まれる→何かが欠けている感覚につながる→それを埋めようと外に求める、という図式がそこから生まれますね。(インテグレイテッド心理学基礎でやりましたね。)

求めるものは、「人から認められること、人から愛されること、受け入れられること」(そうすれば、私は欠けていないと感じられる)だったり、目標の達成、仕事の成功、ソウルメイト、経済的安定などなどだったり。

世の中を見回すと、自分に満足している人より、人から認めて欲しくて頑張っている人のほうが圧倒的に多いでしょう。基本的に「個としての自分がいる」と信じて、分離感覚を持ちながら、無条件の愛を知ることは不可能なんです。

とはいえ、誰でも人生のなかで何度か自分が消えて、無条件の圧倒的な愛を感じたことがきっとあるに違いありません。例えば、素晴らしい芸術を目の前にしたとき、自分がそこにいるかどうかも、ましてや、自分は~~だ、といったセルフイメージもなく、ただ言葉を失い、あなたと作品を分けるものがまったくなくなったとき。

または例えば、赤ちゃんから発せられるあまりに純粋な笑顔に圧倒された瞬間、または、猛獣に襲われた子供を救おうと猛獣の口に自分の手をつっこんでいるとき(←この体験はしていませんが)、やはり思考が止まり、自分の存在がどうかなど忘れているはずです。

そのとき、愛は、美と呼ばれたり、暖かさ、勇気などと呼ばれるのかもしれません。

真の愛を知るために、まず自分に関する思考はすべてデタラメと思うところから始めてみても良いかもしれません。自分は、無力だとか、欠けているとか、つまらない人間だとか、または、ポジティブなセルフイメージでさえもすべて何も真実を照らしていないと。それが見えてくると、今の自分と違う人間になるための膨大な努力、または今の自分のイメージを守る努力もしなくて良いんです。

あぁ、楽チン!

さて、来週はハートサークルの活動で、気仙沼と仙台に滞在します。ので、更新ができないと思います。宜しければ、過去の記事など読んでみてくださいね♪

☆☆☆☆☆セミナー・プロジェクトのご案内☆☆☆☆☆

11月に「被災地におけるメンタルヘルスプロジェクト」を気仙沼で開催します。

気仙沼に近い被災地にお住まいの方、またお知り合いがいらっしゃる方、または、ボランティアをしている方、ぜひ参加しませんか?必要な方に情報が届きますよう、フェイスブックなどでのシェア大歓迎です。

大阪「あゆかの部屋」、「悟りについて語ろう」募集中!(残席少なくなって来ました)

思考の催眠から目を覚まそう!

現在ロンドンでのカウンセリングコースの再中です。私のブログでしか募集しておりませんので、それぞれの個性、目的、課題は違っていても、似たような考えに共感している人々が集まっているのが、ものすごくありがたく、そしてとても楽しいです♪

さて、つくづく思考とはパワフルなものだなぁ・・・と思います。それは、思考が現実を生むという意味でのパワフルだということではなく、私たちを真実から眼をそらし、眠りに閉じ込めておくパワーがすごいという意味です。

たとえば、「私は他の人のように振舞えない」という思考は、何一つ真実を表していません。他の人って誰? 他の人はみんな同じように振舞っているの? などなどと突っ込んでいけば、一体何と比較しているのか、まったくあやふやになるはずなんです。

事実は、“いろいろな人がいろいろな振る舞いをしている、終わり”ですね。ところが、「私は他の人のように振舞えない」という思考を心底信じていると、だから、「自分はダメだ」、「そんな自分は、人から受け入れられない」、「他の人に迷惑をかける存在だ」、「変わらなくてはいけない」などなど、といったような思いのループに落ち込んでいったりします。

つまり、「私は他の人のように振舞えない」という思考の催眠に陥り、生き辛い~となるわけです。

「私は、人より劣っている」
「私は、無能だ」
「私は、つまらない人間」
「私は、みんなみたいに気軽に話ができない」→「私はダメだ」
「私は、無力だ」

などなど、私たちを思考の催眠に落し入れる思いは、いろいろとあるでしょう。それがどんな思いであれ、パワーがすごいという意味は、その人の一生を支配してしまうからです。

私の頭のなかでは、その人が1ミリも変わらなくても、ただ思いだけが変わり、「自分はいけている」と思って笑っている姿、または「優劣なんてどうでも良い」と思って、リラックスしている姿、どんな姿でもイメージすることができます。

ですので、“苦しい、いつになったらこの苦しさから抜け出せるのか?”と聞かれると、 “その思いを信じるのを止めたとき”と答えたくなります。(カウンセラーとしては、もちろんそうは言いませんが)

基本的に私たちの多くは、思考崇拝主義者です。思考は、感情よりもものごとを正確に捉えている、思考は、間違っていることもあるが、おおむね事実を正確に言い表している、何よりも自分が考えていることはほぼ正しい・・・、というように。

たとえば、「あれは雲です」、「これは犬です」といった思いは、思いというよりは事実だと誰もが思うでしょう。では、雲という言葉の代わりに「ぽこぽん」という名前にしたとします。「あれは、ぽこぽんです。」

みんながそれが何を指しているのかが分かれば、どんな言葉でも良いわけです。雲にしてみれば、自分が雲であろうが、ぽこぽんであろうが、名前がついていなかろうが、何一つ変わりません。そっちが事実です。思考のほうではありません。

この世からすべての概念を取り去っても、何一つ変わるものはないんです。思考が一切なくなっても、世界は消えないし、ただありのままの姿が見えてくるだけです。「空」という概念がなくなったからといって、空が消えるわけではありませんね。

何が言いたいかというと、世界は思考がなくても何の問題もなく存在できるということです。

で、私たちも同じなんです。男だとか女だとか、自分の名前とか、「私は人より劣っている」などなどといった思いがなくなると自分が消えてしまうわけではありません。これらのレッテルがない「ありのままの自分」がいるだけなんです。

「人より劣っている」自分がいるのではなく、「人より劣っている」という思いを持っている自分がいるだけです。「私の思い」と言うように、思いは持つもので、あなたではありません。

“いやいや、私は学校の成績が悪かった”、“仕事が下手で首になった”、などなど「事実」があるから、これは思いではなく、「事実」を語っているだけだと思う方もいるでしょう。

しかし、これらは何の証拠にもならないんです。では、質問です。“誰もが納得する「劣っている人」の定義をしてください。” どうでしょうか? もし何人かで話し合えば、みんなが主観的なものさしで言い合うだけになるということが、すぐに分かるでしょう。

もちろん、思考排他主義になろうと言っているのではありません。思考は、私たちが人生を創造するための優れたツールです。ただ、ツールではなく、絶対視(信じ込む)すると、苦悩が始まりますね~という話です。

一般的に癒しとは、「私は人より劣っている」という思いが出来た原因(出来事かもしれないし、育った環境かもしれません)を探し、感情を解放し、思いを変えていく作業です。これは、とても有効です。

しかし中には、何か分かりやすい原因があるわけではなく、たとえば「なにか自分は人と違う」という感覚から、こういったネガティブなセルフイメージを作り上げている人もいます。

いずれの場合にせよ、根本的な癒しを求めるのであれば、思考の催眠から目を覚ますのが一番です。それには、まず「レッテルや思いがなくても自分はいる」というところに目を向けて見るのはいかがでしょうか?

二つと同じ雪の結晶がないように、そこにあるのは、生命のエネルギーが生んだとてもユニークな「あるがままのあなた」です。二度と同じ形で現れることがない、あなたというエネルギーのダンス☆ 変わる必要がまったくないユニークな存在。人と同じステップを踏もうとするのではなく、自分らしいリズムとステップを楽しんでみませんか?

☆☆☆☆☆セミナー・プロジェクトのご案内☆☆☆☆☆

11月に「被災地におけるメンタルヘルスプロジェクト」を気仙沼で開催します。

EFT(現地では、“つぼトントンセラピー”と命名)の講習会です。PTSDや日々のストレス緩和などに抜群の威力があります。つぼとんとんセラピー(EFT)が、ハイチやルワンダなどで使用されている様子のビデオはこちら→☆

気仙沼に近い被災地にお住まいの方、またお知り合いがいらっしゃる方、または、ボランティアをしている方、ぜひ参加しませんか?必要な方に情報が届きますよう、フェイスブックなどでのシェア大歓迎です。

大阪「あゆかの部屋」、「悟りについて語ろう」募集中!

東京「あゆかの部屋」は満席となりました。キャンセル待ち募集中!

セルフイメージ

このところ東京は青空が仰げる日が続いていますね。日本にいて得した気分になれます。スーパーで日本食が何でも買えるのが、楽しくて仕方ありません♪♪

スピリチュアル心理学基礎講座無事終わりました。ご参加いただいた皆様、大変ありがとうございます!中級も有意義な講座にしたいと思っております♪

さて、今回はセルフイメージについて触れて見たいと思います。

私たちの人生が「私の人生」というタイトルの映画だとします。主人公はもちろん自分です。このとき、主人公にキャラクター(性格)をつけないと、物語が構築できませんね。明るく大胆な主人公なのか、それともシャイで口数がすくない主人公なのかなど、なにか主人公にキャラがないと、この人はどんなことをするのか、または周囲の人とどんな会話をするだろうかなど、物語をどう展開させていくかを決めるのは難しいでしょう。

で、まったく同じように、私たちは無意識に持っている「セルフイメージ」(自分に関するコア・ビリーフ)に頼って人生を構築しています。もちろん、自分でイメージを選んだというよりは、“生まれた頃から私はこうでした”というのが普通の感覚だと思います。

いずれにしてもポイントは、私たちは潜在意識のレベルでいくつかの自分像を持ち、それを軸に生きているということです。そして、「私は~~だ」(私は常識を守る人だ、私は信頼できる人だ、私は人当たりが良い人だ、または、私はきちんとした母だ、私は人を楽にするセラピストだ、等々)といったセルフイメージを守るための言動を常にしているはずです。

例えば、ある人が“話を聞いてあげてもいつまでも落ち込んでいる人が苦手”だったとします。スピ心理学の基礎を受けてくださった方はもうお分かりですが、これは投影ですね。そこで、なぜ苦手なのか探っていくと、“私には提供するものがなにもない(私はつまらない人だ)”という思いが見つかったとします。

で、これが潜在意識にあるセルフイメージです。この“私はつまらない人だ”という思いは、例えば “お前はどうせ何もできないんだから、せめて人の言うことぐらい聞け!”などと親に言われていたなど、小さいときに刷り込まれたもので、本人としては思い込みというより、事実なのだ!ぐらいにリアルなものです。

で、もちろんこのセルフイメージをいつも抱えているのは辛いし、つまらない自分では、他者に受け入れてもらえないので、例えば“ほがらかで人の話をよく聞いて、助けてあげる私”という新しい自己像をこれも無意識に作り出します。(これは、例として適当に書いているだけで、人によって様々です) すると、疲れているときでも一生懸命悩みを聞いてあげたり、怒りを表現しないようにしたり、といった自己像が歩き出し、人生を作っていきます。

でも、“私はつまらない人だ”という思い自体が消えたわけではありません。そして、抑圧するほど投影しますので、他者のちょっとした振る舞いに“あの人はこの間話をちゃんと聞いてあげなかったから、私のことをつまらない人間だと思ったのかもしれない”などといった推測が走ったります。

そしてまた、例えばいくら話を聞いてあげても、いつまでも落ち込んでいたり、聞いてあげていることを認識してもらえなかったりすると、“ほがらかで人の話をよく聞いて助けてあげる私”像が脅かされてしまいます。なので、その人がとても苦手になったり、嫌な人に見えたり、または自信がなくなったり、不安になったりします。

“ほがらかで人の話をよく聞いて助けてあげる私”像は、一見ポジティブに思えるかもしれませんが、それを死守しなければいけない限り、ストレスをどうしても生みます。

では、ちょっと極端な話をさせてください。もし、セルフイメージが一切なかったら? これはたいていの人にとって、自分の軸を失うようなものなんですね。どうやって振舞えば良いのか、急に分からなくなるはずです。

なので、それがどんなネガティブなセルフイメージでも、手放してしまうと自分がいなくなるような感じがし、怖くなって無意識に執着してしまうことはよくあります。これが無意識の抵抗として癒しの妨げになることもよくあります。でも、こんなに私たちの人生を振り回すセルフイメージ(コア・ビリーフ)も、突き詰めれば結局は一つの思考なんです。なので、実は現れては消えていく実体がまったくないものです。私たちがそれを真実だ!と握り締めることで、いつまでも自分の中に留まっているだけなんですね。

手放すと怖い気がしてしまうセルフイメージですが、手放したからといって、もちろん体も一緒に消えてしまうわけでもありませんし、周囲は相変わらず存在し、人生は続きます。

で、そうです。このとき私たちは、はじめてそこにハートが残っていることに気がつくんです。ハートは思考のように“そうそううまくやっているぞ、OKだ!”とか、“そんなんじゃダメじゃないか!”など、大きな声で指図をしてこないので、思考の指図に慣れて生きていると、なにも聞こえてくるわけでもないし、最初は戸惑うでしょう。

また、ハートも思考のように“こうしたら良いんだよ~”と指図してくるものだと思っていらっしゃる方もそれなりに多いようですね。

さて、何の指図もしてこないハートの感覚のままでいても、反応は勝手に出てきます。面白い話を聞けば笑うし、辛い話を聞けば、一緒に泣いてしまうし、意見を聞かれたら、考えますし、一見思考中心で生きていたときと同じように人生は続きます。

しかし、守るセルフイメージがないのでストレスがうんと減り、またセルフイメージが攻撃されたり、刺激されたりしないため、周囲に投影したり、誰かを悪者にして怒りを抱き続けるというストレスもなくなります。

もちろん、例えば誰かにいきなり道で突き飛ばされても、誹謗中傷の言葉を浴びせられても、ぜんぜん大丈夫♪ということではありません。不愉快に感じたり、こらっ!と怒鳴るといった反応も出てくるかもしれません。ただ、いつまでもそれを反芻し、引きずって苦しいということはなくなるんですね。

と、書くと“じゃぁ、セルフイメージをなくせば良いのだ!”ときっと思われる方もそれなりにいらっしゃるでしょう。ここは書くほうも気を配るところですが、思考は、あるかないかのどっちか、とか、悪いなら排除、みたいな考え方をどうしてもしてしまいます。

でも、まずは自分はどんなセルフイメージがあるかな?と探り、それが見えてきたら、ただそれに気がついていれば、それで十分です。

セラピーは、まずネガティブなセルフイメージを癒して、自己愛の高いポジティブなセルフイメージに移行するお手伝いをします。これはこれで、とても大切です。自分を肯定的に捉えることで、お腹がすいていて苦しい状態から、エネルギーに満ちて、元気に人生を歩める状態になれます。

でも、スピリチュアル心理学はもう少し欲張って、自分を十分に確立し、自分には力がある、自分にも他者にも愛を感じるという状態になったら、さらにセルフイメージすら脱ぎ捨ててみませんか?とお勧めしたいんです。なぜならそこでは、イメージではない、真の自分と出会えるからです。

明日は、一回目の「あゆかの部屋」です。ご参加いただける皆様とお会いするのを楽しみにしております♪

PS:頭でセルフイメージがないことにしてしまうと、本当はがしっとあるため、余計自分がなくなり、苦しくなるかもしれません。ので、“気がつく”ということを大切にしてくださいね。

★大阪あゆかの部屋はキャンセル待ち受付中★

★スピリチュアル心理学中級、上級キャンセル待ち募集★

★カール・ドーソン・EFT&マトリックス・リインプリンティングワークショップ募集中!★