インテグレイテッド心理学

本日よりインテグレイテッド心理学講座の募集を開始いたしました~!(と昨晩書いて、今朝見たら、全講座すでに満席となっていました。ありがとうございます!)

心理学というと、普通は学問を指すわけですが、インテグレイテッド心理学は心理学といいながら、まったく学問ではありません。私自身はアカデミズムもそれなりに好きなので、心理学系、哲学系の本なども昔はよく読んだものです。

ただ、このブログにも何度も書いておりますが、今まで何千というセッションをしてきた経験上、理論や分析がまったく役に立たないことはもう心底身にしみております。

で、私が密かに疑問を抱いているのは、過去の著名な心理学者たちは、自分自身の心の深いところをどれぐらい分かっていただろうか?ということです。

大学で心理学を教えている教授も、自分の心の深いところにどんな思いや感情があるのか知っているかな? 心療内科や精神科の先生はどうだろう?

聞いたことがないのでもちろん分かりませんが、もし、これらの専門家が自分自身の心の中にある闇、抑圧された思いや感情、それらがどう自分のものの見方、感じ方に影響しているのかが分かっていれば、もう少し世の中には楽になっている人が増えているはずではないか?と思ってしまうのです。

かつて私自身、自分と向き合おうと思ったとき、“嫌なことを思い出さなければいけない”、 “惨めな自分を見たくない”、“自分が思っている以上に私はダメかもしれない”・・などといった思いがわんさか沸いて、決心したのに半年以上始められませんでした。

しかし、なんとか重い腰をあげて、いやいや向き合ったとき、そこにあったのは、置き去りにされた傷ついた自分とそこに付随している感情や思いがあるだけでした。

自分と向き合うとは、つまり、泣いている自分、忘れられた自分、心細い自分、一人ぼっちの自分・・・を救いに行ってあげることなんだとよ~く分かったのです。

これらの自分を“ネガティブな感情”、“ネガティブな思い”とさらに批判し、向き合うなんてとんでもない!と、抑圧してないふりをしていたから、苦しかったわけです。

で、抑圧されたものは必ず周囲に投影されますので、例えば人間関係であれば、あの人は私を軽く見ている、あの人は私を信頼していないなどと感じたり、人生のあれこれにふか~い投影をし、苦しみを強めていたのです。

そういう意味で、インテグレイテッド心理学は、私たちのこころのしくみ、そして心の深いところを見ていくものです。

そして、多くの人にできれば経験してもらいたいなぁと思うことは、自分の深いところを見ていけば行くほど、どんなネガティブな感情の下にも必ず愛があるということです。最後はそこにしか行き着かないんですね。

“すべては愛である”と頭でいくら理解してもまったく意味がありませんが、こうやって経験していくことで、自分の体験として分かってくるんです。

“愛ってなんですか?”という質問を頂くたびに、まずは自分の中にある愛を感じて欲しいと思うのです。それを幾度も経験すれば、だんだんそれは「私の中の愛」ではなく、ただある普遍の愛だと分かるはずだからです。

もちろん、これを実感しても、何かが起これば感情的に巻き込まれることもあるでしょう。しかし、大丈夫感がそれを支えてくれるので、回復力がまったく違います

さて、話を戻します。

インテグレイテッド心理学のもう一つの特徴は、ご存知の通り、悟り(非二元)をベースとしていることです。「奇跡のコース」に記述されていた自我の働きがあまりに目からウロコだったため、当初はほぼそのまま採用していました。(最近はだいぶ変化しました。)

そして何よりも私にとって大きかったことは、それによってセッションで結果を出せるようになったことです。一見当たり前のことですが、一人の人間が苦しい状態から楽になっていく過程をサポートするのはけっこうな仕事です。

かつて自分の勉強のためと思い、ロンドンにあるアルコール依存症回復センターでボランティアをしていたときがありました。しかし、そのときセッションルームで話される数々の悲惨なストーリーの前に、私は無力感に打ちひしがれていたんです。知識はいろいろあるけど、なにを聞いたら良いのかまったく分からなかったからです。

しかし、インテグレイテッド心理学を基に、まず自分の心を一年以上見つめたおかげで、セッションの効果が飛躍的にアップし、新規のクライアントさんを断るまでになりました。(長い話を超短くしています)

通常の心理学では、人を完全に「個」として扱います。個(分離)とは幻想であるという視点はほとんどありません。地球上の多くの人の世界観に反することは入らないんですね。

ところが、人間の根本的な苦しみはそこから始まるわけで、これを抜きに語るわけにはいかない!と心から思うのです。

また、自我(通常の私たち)が自我を観察することはかなり無理がありますが(自分が自分を見るのが一番難しいように)、自我の視点を離れたとき、つまり非二元の視点で自我を見たときに、もっと鮮明に自我の性質や働きがよ~く見えてきます。

なので、自我目線ではない悟りのティーチャーやメッセンジャーの話などは、非常に参考になりますね。(バイロン・ケイティ、エックハルト・トーレ、アジャシャンティなど)

ですがもちろん、この講座は悟りや目覚めを目指しているわけではありません、あくまでも私たちがどう楽に自然に生きていくか?がテーマです。

非二元とこころの癒しは、重なり合う部分もあれば、ベクトルが間逆に向いているときもあります。そういう意味で、両方を同時に語ることはほんと難しいなぁと感じることもしばしばあります。

でも、真実が癒しのベースになったとき、単純に傷ついた心を癒すだけではない、もっと深いレベルの癒しが実現できるでしょう。それは、深い深い夢から覚めていくことの始まりでもあり、埋もれていた真実の芽の誕生となるかもしれません♪

☆☆☆☆ お知らせ ☆☆☆☆

一般社団法人ハートレジリエンス協会(旧ハートサークル)ショートセミナー

ストレスと食べ過ぎ~ついつい食べ過ぎてしまうあなたへ~

心と身体のダイエット専門家の君崎綾子が講師を勤めます♪

新しいものを新しいままに

新年あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願い申し上げます♪

かつてはスピリチュアル・レッスンという本を出していたり、最近では悟りセラピーという本も出したりしておりますので、私がそういった類(どういった類だ?)のセラピーをやっていると思っていらっしゃる方も多いかもしれません。

が、自分自身のセッションの中ではスピも悟りもほとんど話すことはないんです。クライアントさんからお話しが出たときだけ、ほんの少しだけ話したりはしますが。

カウンセラーやセラピストが何を信じていようと、またどんな世界観でいようとそれは個人の勝手ですね。でも、それらがセッションに反映されないほうが、より中立で透明なセッションになると思うからです。

例えば、白い紙の上に円や三角を描けば、その線の太さ、微妙な筆のズレ、描き方のくせなどよく見えますよね。でも、すでに色やデザインがついている紙の上に描いたら、良く見えなかったり、または違うデザインが出来上がってしまったりするでしょう。

カウンセリングやセラピーのセッションも同じで、カウンセラーやセラピストの考えや信念、世界観などが色濃く出てしまうと、クライアントさんの中の思いや感情があるがままに見えにくくなってしまいます。

または、セラピストが「無条件の愛を感じてもらえれば、すべて癒される」と決めかかっていたりすると、クライアントさんの中をきちんと見ていくというより、そちらへ誘導するセッションとなってしまいがちです。

それによって、ご本人が抱えている苦しみの原因を見過ごしてしまうこともままあります。

なので、クライアントさんにはアドバイスはもちろんのこと、自分の価値観や判断が反映しないよう自分の思考もよく観察し、極力しないようにしているんです。

そして、明らかにその方がセッションの結果も良いんです。

過去を遡れば、自分の考えや分析が入ってしまって大失敗したセッションはいくつもあり、当時のクライアントさんが戻っていらしたら返金させて頂きたいぐらいです。

もちろん、セッション自体はいつもベストを尽くすつもりでやっていますので、自分の判断は良いのだと本気で信じていたわけです。ところが、散々な結果に終わったり、ぼんやりしたセッションになってしまったり、まず良いセッションにはなりませでした。

また、自分の信念や世界観、考えだけでなく、過去の経験からくる知識や判断さえ横に置いていたほうが良いこともとても多いんですね。

セラピストとして経験を積んだほうが良いことは、強調してもしきれませんが、そこで問題になってくるのは、経験のデータがたまってくるほど、現在起きていることを無意識にデータにあてはめてしまうことです。

セッションをしながら、“このケースは何度もやった、今までいつもこんなふうになっていた・・・”という経験からくる判断が入ってきてしまうんです。

ところが、実は途中まで非常に似ていたケースでも、途中からぜんぜん違っていた・・・ということも頻繁にあるのです。

なので、経験から出てくる知識でさえ、やはり横に置いておいたほうが良いんです。

それはある意味、セッションだけではなく、普段の生活の中でも言えるかもしれません。

往々にして私たちは、何か新しいことを聞いたとき、 例えば“それは、~~と~~を合わせたようなものだな”などと、自分の知っているものにあてはめて理解しようとするでしょう。

ところが、過去のデータにあてはめて理解していくことで、私たちは新しいものを「自分流解釈の古いもの」にしてしまうんです。

大人になればなるほど、ある分野の知識や経験が増えれば増えるほど、このデータ機能が働き、新しいものが提示してくれるはずの新鮮なエッセンスを見過ごしてしまいかねます。

私自身、セラピーおたくですので、何か新しいセラピーの話をきいたりすると、このデータ機能がフル回転し始めます。

で、ときどきはっとするのです。あぁこうやって人はいつの間にか成長が止まるのだろうと。いつの間にか自分が知っていることだけにあてはめて満足し、そしてそそれだけではなく、それらを守ることへ勤しみ始める。

また、ときにややこしいのは、データの内容(自分のやり方)がそれなりにクリエイティブで自分らしさがあったりすると、新しい情報を手垢のついた古いものにしている感覚があまりないことです。

そんな場合、どんな話を聞いても、どんなに新しいことを学んでも、“私らしさ”とか“自分流”という名の結局は同じやり方で料理され、新鮮さがなくなってしまいます。

と、他人事のように書いておりますが、ある意味自分に向けて書いています。(ちなみに、自分のやり方を貫き通したい場合は、それはそれで素晴らしいですね。これは、せっかく新しいものを学んでいるのにという場合です。)

セラピーのセッションが透明な方が良いという話からこんなにずれてきました。まぁ、いいでしょう。

何が言いたいかと言うと、セラピーのセッションでも、日常の生活でも、生命のエネルギーは毎瞬、毎瞬私たちに新しいものを提示してくれているということです。

本当は知っていることというものも、まったく同じように繰り返されるものもないんです。

知識という思考のフィルターを通してみるために、あたかも知っているかのように、または同じかのように見えるだけなんですね。

もちろんお分かりかと思いますが、思考はいらないとか、思考を落として生きましょうといった話をしたいのではまったくありません。

ただ、思考のフィルターを通している限り、私たちはみずみずしい生命の世界ではなく、自らの思考が映し出した投影の世界の中にいます。あらゆることが思考によって解釈され、そっちが現実の世界だと私たちは信じているんですね。(インテグレイテッド心理学で詳しくやります♪)

なので、同じ思考を毎日持ち歩くことで、人生は生命の輝きよりも、繰り返しの多い単調なものになってしまったり、または生きづらいものになってしまうでしょう。

ということで、ときには知識を通さずにダイレクトにものごとを経験してみるのも良いかもしれません。この幼い少女が「雨」という知識を持たず、雨を経験しているように♪ →動画

悪夢から目覚めへ(インテグレイテッド心理学募集開始!)

インテグレイテッド心理学講座へ、すでにたくさんのお申し込みをありがとうございます!どの講座もすべて半分以上埋まってきました。

いろいろと考えた結果、今年からシステムや料金を改正しました。基礎と中級の参加費用を上げ、上級を下げた結果、すべての講座を受ける方にとっては、今までより弱冠お安くなりました。安くしようと思ったわけではありませんが、ハートに従ったらそうなりました。(笑)

さて、インテグレイテッド心理学とは、乱暴に一言で言ってしまうと、エゴの夢、とくに悪夢(苦しみ)から覚めるための大事なポイントや心のしくみ、エクササイズを盛り込んだものです。

で、講座の中でも特に「基礎講座」はとても重要だ!と思っています。“基礎”とは、簡単であるとか初心者向けです、というより私の場合とにかく皆に知って欲しいという意味です。

その中核となるのが、「抑圧→投影」のしくみです。投影に関しては、他の心理学講座でも触れているところもありますが、抑圧→投影というしくみでがっつり教えているところは、私が知る限りどこにもありません。

ないのが不思議すぎて、教え始めた頃は、“私はまったく必要のないことを教えているのだろうか?”と思ってしまったぐらいです。こんなにみんなが毎日無意識にしていることなのに・・・と。

インテグレイテッド心理学講座は、もともと「奇跡の講座」にあるエゴのしくみをベースにしています。カウンセラーになるために心理学はそれなりに学びましたが、実際のセッションではまったくと言って良いほどその知識は使えませんでした。

ところが、この「奇跡の講座」のエゴのしくみやエックハルト・トーレのなど、悟り(非二元)系の本にあるエゴの記述は、ものすごく役に立ったのです。まず、自分自身が普段どれだけ投影された世界を真実だ、事実だ!と信じ込んできたことか、そしてそのドラマにどっぷり浸かり、苦しんでいたのかが目からウロコぼろぼろに分かりました。

ぼろぼろ落ちて、その後自己ワークを続けたところ、一年後ぐらいには、なんだか違う世界に生まれ変わったような気がしたものです。そして、恐る恐るこのしくみをベースにカウンセリングを始めると、クライアントさんもやはり同じように楽になっていくのです。この頃からリピーター率も100%になっていきました。

とはいえ、すべての人がまるまる楽になったわけではありません。こちらの見えていないこと、スキル不足などなどももちろんあるでしょうが、基本的にクライアントさん自身が変化の鍵を握っているからです。

とりあえず話を戻して、地球上のほとんどの人は、自分の投影ワールドに住み、それが真実だと思っています。

ちなみにこれは、思考が現実を作るという話とは、まったく違うものです。(昨年の講座でこれに関して、たくさんご質問を受けました。今年もあればお答えしますよ♪)

投影している“もと(潜在意識”)がポジティブであれば楽しい夢を見て、ネガティブであれば悪夢を見ることになります。

ちなみに、ほとんどのセラピー、カウンセリング、自己啓発のツールなどは、楽しい夢を見るためのものです。それはそれで必要なものですが。

ただ、基本的にエゴ(自我)は、どうしても恐れベースです。自分は外界や他者から分離していて、命に限りある存在だと信じている時点で、どんなにポジティブな状態であろうとも、無意識にいつも生き残りに対する恐れがあります。

十分な食べ物(お金)はあるか? 自分の健康は大丈夫か? 他者から攻撃される可能性はあるか? 持っているものを奪われないか? 自分は社会(周囲)から受け入れられているか? 充分なスキルや知識、能力はあるか?などなど。

そして、基本的にエゴは、より多く持っている、より優れている、より能力があるなどなどのほうが、生き残り率が高いと思っているものです。

なので、他者や他国よりもより優れていたほうが良い、多くの資源を確保しておいたほうが良い、進んだ技術や知恵を持っていたほうが良い、だから、より優れた軍事力、権利や利権、パワーを持つことが安全なのだ、となるのも不思議ではありません。

個人のレベルでも、貯金がたくさんある、能力が高い、特別なスキルがある、容姿に優れている、または皆の人気者などといったほうが生き残り率が高いだろうと、無意識のどこかで思っているはずです。

ですから、他者と比較してしまう衝動はほぼ全員の中にあるでしょう。グループの中に入れば、何かしらマッハの勢いで比べているはずです。そして、能力が低いとか容姿が悪いとか、年をとっているとか、とりえがないとか自分で判断してしまうと、それが苦しみになっていきますね。

また、投影ワールドでは、常にどこかに危険が潜んでいるので、いとも簡単に「敵」」「悪者」「間違った考えの人たち」という存在を生み出します。

で、その人たちとの関係で苦しんだり、ストレスになったり。

私も振り返れば、かつての職場で思いっきり敵を作っていたなぁと思います。感覚としては当時は、被害者意識のほうが大きかったのですが。とにかくストレス度はものすごく高かったです。

誰かを悪者にして、その人を罰する、攻撃するという構図を作っている限り、私たちはエゴのトランスから抜け出せず、真の平和は実現しないでしょう。(攻撃とは、愚痴、無視する、避けるといったことも入ります。)

でもこれに関しては、心理学を持ち出さなくとも歴史が証明していますね。であるならば、なぜ、これだけ歴史が教えているのにもかかわらず、私たちは今もまったく同じことを繰り返すのか? 報復を報復で、傷を傷で、憎しみを憎しみで返す争いが終わらないのか? 私たちは今きっと、これを真剣に問う時期に来ているに違いありません。

それは何が正しいのかを探ることではなく、こういった状況を生み出す人間の心を深く見ていくことではないかと思うのです。分離しているという勘違い、そしてそこから生まれる恐れを見つめることです。

平和を生み出す唯一のやり方というものは存在しないでしょう。でも、一人一人の目覚めが、少しづつ人類の心のパターンを変えていけたらいいなと思うのです。

ということで、ピンと来ましたらぜひ会場でお会いいたしましょう♪

PS: ちなみに、今はなぜ心理学の中で「抑圧→投影」のしくみをがっつり教えていないのか分かります。単純に悟りの教えと心理学がまったく別フィールドになっているからです。なのでそれを統合(インテグレイテッド)したものになります。

☆☆☆ インテグレイテッド心理学講座 ☆☆☆

募集開始しました!詳細はこちらへ→☆

基礎、中級、上級講座とも満席となりました。ありがとうございます!

キャンセル待ち募集いたします。(毎年それなりに出ます)

成長の証し☆

あなたの成長、あなたの癒しの段階を知るには、
どれぐらいネガティブな思いがなくなったか、
どれぐらいネガティブな感情が解放できたか
ではなく、

どれぐらい
ネガティブな思い、
ネガティブな感情
を愛せるか

恐れや悲しみ、孤独感や後悔、自責の念
様々な感情をしっかり抱きしめて、
そこにいつもあるなつかしくかすかな甘さに気づけるか、

それは、はじめとてもかすかで、でも疑いようもなくそこにあり
そして、その優しい甘さは真の自分のエネルギーと知る

“私は真の自分から逃げていたのか?”
はぁ~~、

どんな感情からも逃げる必要なんて全くなかった・・・
それが体で腑に落ちたとき
あなたはきっと、自分の成長を祝福できるだろう。

~・~・~・~・~・~

ネガティブな感情が私たちを苦しめるのではなく、ネガティブな感情を嫌ったり、抑圧するために私たちは苦しむんですね。もし、私たちがネガティブな感情を100%受け入れたら、それは「気づきの意識」(真のあなた)のなかに変容していくだけです。

また、私たちはネガティブな感情や思いを抱いている自分を嫌うものです。でも自分を否定することで、私たちはまたもや苦しみを味わいます。

だから、私はEFTのオリジナルのセットアップフレーズが好きなんです。

“胸に一人ぼっちの孤独感があるけれども、私は私を深く愛し、受け入れます。”

この言葉は癒しの始まりですね。

多くの人が感情を抑圧して生きているから、まずは感情を解放できることを知ってほしいと思うのです。でも、本当に理解して欲しいことは、ネガティブな感情は悪者ではないということです。

とても苦しいのに、感情を感じることへの抵抗を持つ人は少なくはありません。ネガティブな感情にやられてしまうかもしれない、感情を押さえつけられなくなって、コントロールを失ってしまうかもしれないなどなど、恐れの声はいろいろあるでしょう。

“もう、終わったことですから良いんです”
“それは、もう癒したので、そこは見なくて良いんです”
“私は悟りの教えを実践してきたので、こういうワークは必要ないんです”
“私より大変な人たちがたくさんいますから”
“私は過去を振り返らない主義なんです”
“みんなストレスはあるのだから、そんなこといちいち言っていられないでしょ”

などなど・・・

これまでこういった多くのもっともらしい声を聞いてきました。賢そうな思考であっという間に自分を説得、納得させてみたり。また、恐れとともに「大丈夫な自分」、「癒された自分」、「悟った自分」といったセルフイメージを守りたい必死さもときには伝わってきます。

念のため、こういう思いを持ってはいけないという話ではありません。本当にそれで心の底からすっきりしているのか、生きるエネルギーを感じているのか、ということなんです。

自分がどういう状態なのか、常に忙しい毎日のなかで一度止まって、じっと自分の心を見つめないと分からないという人も多いでしょう。

また、感情を受け止めるというのは、抵抗したり、分析したり、原因や理由を探そうとする様々な思考を落として、自分が思っているよりもずっとオープンな状態になることです。または、完全に降伏してしまうことですね。そして、そのオープンさの中で徹底的に感情を感じたとき、それはとても親密な作業となるでしょう。

なぜなら、感情を抑圧するということは、自分の一部分と分離するということだからです。なので、感情を感じきるというのは、その部分の自分との密な関係の回復であって、それはまた真実へ帰る道でもありますね。

徹底的にオープンで親密。あなたと感情のリユニオン。このときはじめて、すべての感情を生み出す真のあなたが持つ、なつかしく甘いエネルギーを感じるんです。

もし、あなたがネガティブな感情に向き合うことに躊躇していたとしたら、とっても言いたいことは、

“リラックスしようよ、あなたが思っているようなことは何も起きないし、川の水が流れていくように、感情はただ変容し、大元(海)に戻っていくだけだから。そしてあなたは大海だから溺れることも決してない。”

です。

抑圧した感情や思いは、必ず外に投影されます。また、抑圧された感情や思いは、私たちの心の飢えとなって、私たちは外に幸せを求め続けます。

これが、苦しみのレシピです。

ちなみにインテグレイテッド心理学講座は、そんなしくみを分かりやすく説明します。(←宣伝)

自分の内側と向き合うことは、地味で億劫な作業かもしれません。でも、遅かれ少なかれ、すべての人に、向き合う時期が来るでしょう。

だから、苦しみは悪いことではなく、自分の内側を開けるサイン、そして取り除くものではなく、自分との本当のダイアローグの始まりですね♪

お知らせ

☆☆☆☆「悟り(非二元)について語ろう」in 名古屋☆☆☆☆

2014年12月21日(日)13:15~16:50 (残席わずか)

私は引退しました&インテグレイテッド心理学

先週末は三日間の上級講座が終わりました。ご参加いただいた皆さんありがとうございます!

スピリチュアル心理学の上級ということで、マインドのステージ、ハートのステージを詳しくみた上で、「真我(真の私)」についてもがっつり行いました。

スピリチュアルに傾倒していた人によっては、自分が信じ、求めていたことが崩壊するような気持ちになったり、混乱してしまった方もいらっしゃったかもしれません。また、人によっては、スピリチュアルな世界を放浪し、やっと謎が解けたと感じた方もいらっしゃったかもしれません。

また、私は目覚めたいわけじゃない!という方もいらっしゃったかもしれませんね。でも、エクササイズ自体は、思い込みを外すセラピーとしても十分使える役立つものだったのでは・・と思っております。

そして!講座でもアナウンスしたのですが、スピリチュアル心理学の名前を変更することにしました!

新しい名前は、「インテグレイテッド心理学(Integrated Psychology)」です。

というのも、スピリチュアルという名前から多くの方が、オーラ、前世、霊能者、といったものをイメージするようで、“あゆかさんは、見えるんですか”などと度々聞かれたりするからです。また、私は心理カウンセリングとセラピーを融合させているだけなのですが、スピリチュアルカウンセリング(って、なんだかよく分からないのですが、リーディングとかチャネリングなどだと思います)をしていると思っている方もけっこういらっしゃいます。

そこで、ロンドンのカウンセリングコースの正式名称が、インテグレイテッド・カウンセリング・ディプロマコースなので、そこから名前を取ることにしました。インテグレイテッドとは、融合とか統合といった意味で、「目覚め(非二元)と心理学の融合」という意味でもぴったりだと思っています。

それに、聞いた人がすぐにイメージが湧かないというのも、誤解されないという点で逆に良いかなと思いました。ですが、本当の名前は、「現場主義心理学」です。

現場(実際の人生)で役に立つ心のしくみしかやらないという意味です。しかし、人によっては目覚め(非二元)というと、なんだか遠い話に感じ、ぜんぜん現場じゃないように感じるかもしれません。“悟るなんて大それたことじゃなくて、私はただ私らしく生きたい”みたいな。

それは、もちろんまったく問題ありません。ただ、覚者は、思考とはなにか?感情とはなにか?人はなぜ苦しむのか?を、心理学のような知識ではなく、「真理」という立ち居地から実際によく見えているんですね。ですので、彼らのメッセージは、人間(自我)の思考、感情を理解したり、苦しみのメカニズムを理解するのに大変役立つんです。

なによりも、現場(セッション)で大いに役立っています。フロイトやユングなどなどよりもずっ~と実際に役に立っています。

ということで、スピリチュアル心理学改め、「インテグレイテッド心理学(Integrated Psychology)」、本名「現場主義心理学」をこれからも自分があきるまでこれからも続けていきます!

さて、何人かの方から「私は引退しました瞑想」のやり方を教えて欲しいというコメントを頂きました。私は、いろいろな本やセミナーを受けた上で、自分流のものを勝手に作るのが大好きです。

自分勝手に作ったセルフヒーリング、セルフセラピー、セルフ瞑想がいろいろあります。その場の勢い(クリエイティブとも言う)で作っているものも多く、再現不可能だったりもします。

ただ、例えばセラピーの場合、トラウマやパニック障害、依存症といったことも扱ったりしますので、知識とやり方の両面をきちんと学ぶ必要があると私は思っています。もちろん、創造性や直感は大切にしたほうが良いと思いますが、適当にやるというわけにはいかないでしょう。

また、いわゆるスピリチュアルな世界にも、メソッドと呼ばれるものも多く、そのメソッドを使えば、超意識になれるとか、変容意識に入れるとか、または高次の次元につながるとか、いろいろありますね。ヒーリングとか、違う意識に入るということが目的であるのなら、こういったメソッドを学ぶのも良いでしょう。

しかし、目覚めといったテーマの場合、私は逆にあまりメソッドやステップに囚われないほうが良いと思っています。というか、逆にそれらは邪魔になるかもとさえ感じます。このへんを混乱している人は多いかもしれません。悟るためには、今の自分でダメでなにかしないといけないと思っているというか。

しかし、上級講座に出席してくださった方々は、体験して頂けたと思いますが、真の私(真我)は呼吸よりももっと近く、すでにいつもここにあり、なので、知ること自体は非常にシンプルで、誰でも5分ぐらいの誘導で感じることが出来ます。(真我ってなに?という方は、の記事をご参考にしてみてください。)

ただ、私たちの多くは、普段自我にすっかり同一化しますので、これが真我だとわかっても、まだまだ個としての私の感覚が強く、真我の本質をほとんど感じられないんですね。

なので、多くの人が最初真我を感じてもらうと、「ただ、静かなだけ」「なにも感じない」「なんか無味無臭」などなどとおっしゃいます。え?こんな程度?という反応が一番多いです。イメージしていたような光と愛に満ちていて・・・みたいなことを体験する人はまずいません。

なので、真我自体にはすぐに出会えても、真我の目から世界を見る、また無限の愛、静けさ、永久の時といった真我の本質を感じるには、自我にひっこんでもらわないと感じられないでしょう。

そこで、「私は引退しました瞑想」を作ってみました。といっても、瞑想とも呼べないかもしれません。

「単に何かしようという思いをすべて止めてしまうだけ」です。瞑想しようとか、真我につながろうとか、「私がなにかする」ことを止めてしまうのです。そして、「私がいる」ことも忘れてしまいます。

そうすると、急にすべての音が耳に入ってくるでしょう。冷蔵庫の音や時計の音、誰かの話し声といった部屋の中の音から、自転車や自動車が過ぎ去る音、誰かが道を掃除している音など外の音。そして、そららすべてに気づいている意識がありますね。その意識が真の私であり、その意識に寄り添うだけです。

何かに到達しよう、なにかをしようとすると、どうしても「私」が頑張ってしまいます。しかし、皮肉にもこれが真我の意識から遠ざけてしまうんですね。なので、ものすごく地味な瞑想ですが、実は近道だったりします。

こうやって真我の立ち居地が深まってくると、次にどんな音、どんなことが起きるのか、私たちはまったく知らないことに気づきます。いつも未知との遭遇なんです。それが真に腑に落ちたら、なんとかしなければいけない、このままの自分ではまずい、といったようなストレスがどっと落ち、ストレスフリーで流れに身をまかせることができるでしょう。

それは、無力でたんに物事に流されているのではなく、無限の愛と知恵に身を委ねた真の理解に基づいた降参であって、それゆえに心に大きな平和が訪れます♪

※次回は、コメントのご相談にお返事いたしま~す!