理想という名の魔境♪

自我にとって一瞥体験は非常にインパクトが大きくて、どうしてもあの体験をもう一度~!状態に陥るものです。

私もしばらくかなり深くはまっていました。当時、“それはただの体験に過ぎない”と言われたら、たぶん猛烈に反発してしまったでしょう。

私は真実を見たのだ!という思いが強すぎたのです。でも、問題は、そのために苦しんでいるという事実。

幸いなことに心はがっかりしてしまいましたが、非二元のティーチャー達に一瞥体験にしがみつくことは大きな間違いだと教わり、早めのうちに一瞥体験教から目覚めることができました。

何にしても求めるということは、どうしても苦しみを生み出します。

しかし、これは何も一瞥体験した人だけの特有のパターンではなく、日常を振り返ってみると、私たちは常に深いところで何かを求める衝動がカラカラと走っているものです。

私自身も自分をちょっと振り返れば、基本的にいつもより満足できるほう、良い気持ちになれるものを求めているなぁとつくづく思います。

悪いことだと言っているのではまったくありません。何が良いか悪いのかではなく、たんに自我のしくみというか性質のお話です。

自我とうまく付き合っていくために、その性質をよく理解していたほうが、悩みや苦しみが減りますよね。

とりあえず、ある意味当たり前すぎて、多くの人がその衝動に無意識ですが、無意識であるがために、人生を軽く振り回さすぐらいの多いなエネルギーになってしまいます。

自我とは言ってみれば、エネルギー体ですね。思いも感情、感覚、体も常に変化している流動体です。

そういう意味で人をエネルギーの流れとして見るインドや中国の医学は、人を肉の塊とみる西欧医学よりも、やっぱり本質をついているなぁと思います。

で、そのエネルギー体が衝動のエネルギーとして稼働している場合、そのエネルギーが大きければ大きいほど、それに反比例して“今”が空っぽになります。

そうすると心が渇き、余計求めるというサイクルに。

例えば、ワークホリックの場合は、頭の中にワークリストが常に消えない。それを終わらせれば自分はリラックスできると思っているけど、実際終わると物足りなさ、落ち着きのなさを感じ、ゆっくり休むよりは、また仕事を始めてしまう。

ここである意味難しいのは、仕事をすることで喜びや満足感を得つづけるので、ほんとうは衝動、焦燥があることに気づきにくいことです。

と、ここまで読んで、自分は仕事楽しいと思ってやっているんだけど、本当は衝動のサイクルにはまっているの?と思われる方もいらっしゃるでしょう。

それを見分ける方法は簡単です。常に疲れてきたら、そのサイクルにはまっているということです。

なんで分かるのか?というと、私がはまっているからです。へへ。

ただ、自分で言うのもなんですが、気づいているのと、まったく無意識であるのとでは雲泥の差があります。なぜなら気づいていれば、一度止まって振り返ることができるからです。

で、衝動のエネルギーをじっと感じて、なにがこのエネルギーを生んでいるのかを探ってみます。たいてい、不安や恐れです。

では、楽しんでいたはずのものがいつの間に恐れや不安になってしまうのでしょう? それは、もちろん人それぞれです。私の場合は、公私にわたっていろいろと責任が増えてからだなぁというのがよく分かります。

そこで今度は、その「公私にわたった責任感」というのを見てみます。ストーリー的にはもっともらしく、正論であり、守っていかなければいけないようにどうしても見えます。

家族のため、社員のため、~~のため・・・・みたいな。

でも、正しいストーリー、またはある理想的な形というのは、ある意味一番魔境で一番引きつけられてしまうものです。

生身の身近な人間が絡んでくるその幻想を見破るのは、かなり難しいものですね。とくに家族となれば、愛情もがっつり絡んできます。この子たちが自立するまでは・・・・・。親が退院するまでは・・・・。

今の状態が大変であるほど、気持ちはなんとか理想の形、または今より良い形へ持って行こうという衝動でいっぱいになるでしょう。

しかし、私自身を振り返っても、そういった衝動に基づいた行動は、どうしても無理があり、また人とぶつかることも多いなと思います。なぜなら、自分が思う理想の形へ周囲を引っ張っていこうとするので。

繰り返しますが、そういう意味でも、気づくことはとっても大きいことですね。サイクルを一旦中止させる。で、難しいけれども、自分が思う理想の形(魔境♪)は、実は実体のない絵空事であると見抜いていく。

衝動がもたらす望みというのは、衝動にとってはとっても必要に見えて、そして大変リアルなものです。でも、もしそのために苦しみがあるなら、やっぱり幻想にしがみついているということです。

苦しみとは、それが手に入っていないから苦しいのではなく、求めているものが幻想だから苦しいんですね。実体のないものにしがみついているから苦しんです。

じゃぁどうしたら良いのか?

それは今ここにないものではなく、今まさにあるものをよく見ていくこと。つまり、頭の中にしかないものを横に置いてみること。80%以上のストーリーは消えるはずです。

そしてできれば、苦しみのストーリーを生み出す、今まさに自分の心にあるものを見つめてみませんか?

“今”という実体へ少しづつシフトしていく。ほんと正気に戻れます(笑)。

 

☆☆☆ 衝動の下にあるもの ☆☆☆

さて、前々回、摂食障害について書きましたが、OADセッションを受けた方の素敵な感想文を頂きました。この感想文の素晴らしいことは、セラピストさんに頼るだけではなく、自らも普段から「衝動の声」に耳を傾けていらしたこと、良くなったり、戻ったりを繰り返しながらもあきらめずに向き合われてきたことです。衝動の下には何があったのでしょう? 宜しければぜひお読みください♪ →感想文

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

抑圧した思い、感情と対話し解放するツール、EFTを学んでみよう♪
すでにセラピストさんにも新しいメニューとしてきっと役立ちます☆

※溝口あゆか講師のEFTプラクティショナー講座はありません。

来年2018年1月26(金)27(土)28(日)のマトリックス・リインプリンティングを受講したい方は、ぜひいずれかのEFT講座を受講してください♪

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 東京

2017年10月7日(土)~9日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 仙台

2017年11月3日(金)~5日(日)3日間

詳細はこちら

☆☆ ハートレジリエンス協会が送る ☆☆
秋の5回シリーズセミナー

“自分にやさしい介護者(ケアラー)になる”

幻想の終わりは生の始まり♪

生と死が幻想だって聞いたら、
自我は生きる意味を見出せなくなるかもしれない。

どんな風に生きたって良いってこと?
今自分が楽しいっていうことも幻想なんだよね、
今自分が苦しいっていうことも幻想だよね、
人を殺しても幻想なら良いってわけ?
どうせ幻想なら、今頑張っても頑張らなくても良いってことだよね?

じゃぁ・・・・、どうしたら良いの?

でも、ほんとうに生と死が幻想だと真に気づいたら、
そこに見えているのは、
すべてが祝福されているということ、

わぁ、そうだったんだ、わぁ・・・。
そして大きな安堵感

そして気づく、生に執着しないから、生を目いっぱい讃えることができるのだと。
そしてまた、生に執着していたから、人生は自分の思うような形でないといけなかったことを。

私が思う幸せが欲しい、
私が思う夢を叶えたい
良いことだけが起きてほしいと思う

そのために私はどうしたら良いの?
そのために私は何をすれば良いの?

生の執着から解放されたとき、
叶わなかった夢もいとおしく祝福されていて、
一瞬、一瞬、起きていること、
ただそれだけで素晴らしく、

あはは、ただそれだけ・・・・
“ただそれだけ”という言葉がどんなに優しいのか知らなかった
自我は笑いながら、やっと生の素晴らしさを知る

死を恐れないから、
未来よりも今が大切になる
今、何が大切かよく見えてくるだろう。

より良く生き延びるために、死ぬまで安泰に暮らせるように
今を生きるのではなく、
今、自分にとってかけがえのないものが見えてくる。
もう人生の祝福を見逃さない。

あなたが犯したと思っている罪も
あなたが抱いている絶望も
あがいてもあがいても這い上がれないような暗闇も
すべてがこの瞬間に切なくも愛おしく、
祝福され、受容されている

だから、自分が自分を否定している重さ、痛さ、締め付けが
苦しみのストーリーを生み出していることがことさら見える
そして、自分を締め付ける手をそっと緩める

生と死が幻想であると分かって、
初めて自我は生を祝福できるのだろう♪

 

自分自身のユニークな人生の歌を聴きたい場合、それは“こうありたい”、“こうだったら良いのに”、“こうならないといけない”、“こういう自分でないと”・・・・と、ありたい状況、こうありたい自分になろうとする声ではなくて、もっと静かな部分に意識を向けてみませんか?

思いや言葉ばかりに気を取られている自我は、「静か=ない→何もない」と思ってしまうでしょう。でも、その静かな部分があなたの本質で、そしてあなたのユニークな人生を常にともにしている意識。純粋意識。空。

そして、言葉ではなくて、自分が最も良く知っている感覚、一番自分らしい感覚を探してみませんか?

その感覚から出てくる衝動、その感覚にマッチする思い、感情。それがあなたのユニークな人生の歌ですね。

たとえ今そこに悲しい歌が流れていたとしても、その自分らしい感覚が必ず癒しに導いてくれるはず。

あなたが流れるべきところへと連れて行ってくれるでしょう♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

抑圧した思い、感情と対話し解放するツール、EFTを学んでみよう♪
すでにセラピストさんにも新しいメニューとしてきっと役立ちます☆

※溝口あゆか講師のEFTプラクティショナー講座はありません。

来年2018年1月26(金)27(土)28(日)のマトリックス・リインプリンティングを受講したい方は、ぜひいずれかのEFT講座を受講してください♪

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 東京

2017年10月7日(土)~9日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 大阪

2017年9月16日(土)~18日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

※仙台は11月です。

☆☆ ハートレジリエンス協会が送る ☆☆
秋の5回シリーズセミナー

“自分にやさしい介護者(ケアラー)になる”

愛へと降参する

降参ということが本当に分かるまで、
自我は自分の過去の選択に悔やむだろう。
違う選択ができたはずだ、
私はもっとやれたはずなのに、

降参ということが本当に分かるまで、
自我は、将来への決断に緊張し続けるだろう。
先々で後悔しないように、
間違った決断をしてまずい状態に陥らないように、

でも、
自己の不在をほんとうに見抜いて、
そして、自分が何だったかを思い出したとき、
降参は静かに近寄ってくる。

降参は静かに、でも耐え切れないような恐れも運んでくるだろう
あなたは恐れの中にうずくまり、
死にたくないと何度も叫ぶ、

そしてふと気づく、
死にたくないと叫んでいるのは自我であることを
あぁ、死にたくないんだね
自分の夢、自分のストーリー、自分の愛するものを
手放したくないんだね。

そして再び気がつく
いつの間にか握り締めていたものがなくなって、
降参が自分をすっかり覆っていることを
降参と愛は同義語だったと知り、
一度死んだ自我はふたたび生まれ変わる。

でも、今度は生命が主役だと知り、
生命を信頼して、過去や未来よりもハートを求める
ハートの歌はいつも“いまここ”にしかなく、
その心地よさに酔いしれる。

自我(私たち)は、何かをして何かを得るという発想に深くはまっていますよね。そのため、降参によって愛を知ると聞くと、必死に降参しようとするかもしれません。でも、降参はするものではなくて、起きるものですね。

じゃぁ、ただボーッと待っていればいいの? 何もしないで普通に暮らしていて、突然来るの?と思うかもしれません。

自我の望みが悟りや真実についてくる“おまけ”や“おみやげ”である場合、例えば、ずっと平和な心の状態でいられる、苦しみが消える状態になる、特別な能力がつく状態などであったら、それは降参の真反対な動きになってしまいます。

私がこうなる、私の欲望、私の目的、私の・・・。自我は無意識にいつも今より良い状態を求めているので、単にそのパターンを繰り返し、強化することになるんです。

でも、自我の望みが純粋に“ただ真実を知りたい、なぜなら私は真実何なのか分からないから”であれば、自我は降参の方向へ向かっていくでしょう。

でも、自分の望みが、“ただ真実を知りたい”であっても、真実を知る、理解する、理解しようという方へ向かうとまた迷子になるでしょう。

なぜなら、自我は理解する、理解できた、分かったということに喜びを見出すからです。そしてまた、分かろうとする行為も“理解を得る”というgo and get(外に探して得る)といういつもの自我のパターンにはまっているだけだからです。

でも、“真実を知りたい”が、ただそこに留まって、今あるものを深く見ていく行為になれば、それは勘違いや思い込み、幻想を落としていく作業になるでしょう。

まずは自分に関わる様々な間違った思い込み(私は無能だ、私は汚い、私は罪深い・・・)を見つめ、そしてそこにまつわるストーリー(=ファンタジー)を見つめ、分厚い緊張のエネルギーを解体していきます。

こうやって外に向かっていた意識が内に向いて、自分の中のファンタジーが溶けていくと(自己の不在への目覚め)、同時に外の世界のファンタジーも薄まっていき、世界は自分が思っていたほど実体のあるものではなかったと気づくでしょう。

そして、だんだん降参が静かに忍び寄ってきて、ある日自我は生まれ変わり、真実の手の中に転げ込むのかもしれません。

そこではすべてが許され、受け入れられ、そして慈しまれていて、思考はすっかり頭を垂れる♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

抑圧した思い、感情と対話し解放するツール、EFTを学んでみよう♪
すでにセラピストさんにも新しいメニューとしてきっと役立ちます☆

※溝口あゆか講師のEFTプラクティショナー講座はありません。

来年2018年1月26(金)27(土)28(日)のマトリックス・リインプリンティングを受講したい方は、ぜひいずれかのEFT講座を受講してください♪(詳細は近々アップします)

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 東京

2017年10月7日(土)~9日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 大阪

2017年9月16日(土)~18日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

※仙台は11月です。

☆☆ ハートレジリエンス協会が送る ☆☆
秋の5回シリーズセミナー

“自分にやさしい介護者(ケアラー)になる”

 

 

 

摂食障害~スルーされているもの~

本職のセラピーについてはあまりブログでは書いていないのですが・・・という記事をたま~に書きます。

書かない理由は、短く分かりやすく書くことが難しいのと、万が一簡潔に書けてしまうと、それで理解できたと思われるのも困るなぁと思うからです。

という長い前置きですが、摂食障害について少し書きたいと思います。というのも、摂食障害と万引きという記事をたまたま読み、あぁ、もっとセラピーについて広く知ってもらえたらと思ったからです。

心の専門家としては、精神科医、臨床心理士、心理学者、カウンセラー、心理セラピストなどが浮かぶと思います。

で、実はこのなかでセラピーの分野というのは、医療機関や大学といった枠組みがないために、おそらく最も自由な試みができる場所です。

ある意味大企業よりも町工場のほうが、自由に新しい技術に取り組めるのと同じかもしれません。またオタク気質な人も多いので、あちこちの町工場でとても優れた技術が密かに生まれたりしていますよね。

同じように、セラピーの世界でもたくさんの発見、その上にたった多くの豊富な臨床があり、今の精神医療で役立つ情報やスキルはたくさん眠っています。

ただ、“エビデンス”という町工場の資金力とネットワークではとても出せない大きな壁があり、なかなか世に認めてもらえないんですね。

話を戻して、NHKで取り上げた摂食障害の動画を見ると、刑務所の刑務官はもちろん、担当の医師もあまり手段を持っていないように見えます。

では、セラピーの世界では摂食障害をどう扱うのかというと、まず、摂食障害にしても、依存症にしても、理性や意志の力では抑えられない衝動があるわけです。頭では良くないと分かっていても、そんな思考も吹っ飛ぶほど衝動が大きいんですね。

なので、その衝動がなぜ起きるのか? そして、その衝動の中味は何か?というところをきちんと見て行きます。

まずはじめに鍵は、衝動が起きる瞬間です。例えば、食べ物に手を伸ばす瞬間、依存症の場合、アルコールやドラッグに手を伸ばす、またはギャンブル行為に走る瞬間ですね。

これらの行為はすべて衝動を抑えるためにしているわけです。衝動への蓋です。で、手を伸ばす瞬間が、一番衝動が高いときで、ここにいろいろな鍵があります。

では、なぜ衝動がそもそも起きるのでしょうか?

例えば、なんらかの理由で不安で仕方がないとします。そんなとき、不安をただ感じ続けるよりも、私たちは何かで気を紛らわそうとしますね。いわゆる蓋行動です。

衝動の中味は、いつも未消化の感情のかたまりです。多くの場合はトラウマで、複雑性トラウマのように一つ以上のことも非常に多いです。(トラウマのメカニズム、未消化の感情や体との関係はここでは省きます)

問題は、トラウマや未解消の感情を本人が抑圧していることにまったく気づいてない、というか無意識に一生懸命抑圧をしていることです。

しかし、抑圧された感情は少しでもトリガーがあると一気に衝動となって現われます。つまり、衝動が高いときは何がトリガーになっているのか、そしてそこにどんな感情や思いがあるかを探るのに一番良い場所なのです。

なので、まずセッションで聞くことは、どんなときに食べ物に手が伸びるか? 一日でいつ頃食べたくなるか?などです。分からない場合は、とりあえず一番最近で食べ物に手が伸びたときを教えてもらいます。

そして、そのときの衝動を再現し、よく感じてもらい、私の場合はフォーカシングを使って、そこからどんな感情や思いがあるかを引き出していきます。

一度は、その感情と声を認識しただけで、10年間続いていた摂食障害が一ヶ月間止まったと教えてくれた人もいました。再度始まったきっかけは母親との会話ということで、そこにトリガーがあるとはっきり分かり、それはそれでよかったのです。

とはいえ、じゃぁそこだけ見ていけば良いね~とか、例えば原因が複雑性トラウマの場合、トラウマを一つ一つ解消していけば良いという単純な話でもありません。

人間の精神構造はかなり複雑で、トラウマを抱えた私というアイデンティティができあがっていたり、または、二度とトラウマ体験をしないようにと恐れを握り締めていたり、また自分が自分を罰して心のもっと深いところに閉じ込めていたり、乖離や同化、抵抗などがいろいろあります。

ちなみに恐れや怒りを手放したら無謀になってしまい、また攻撃されるのではないかという声にはよく出会います。これらはすべて心の深いところにあり、まったくスルーされている思いです。

こういった思いや声、イメージ、そして未消化の感情などを一つ一つ明るみに出し、対話していくことで、衝動が少しづつ薄らいでいきます。(時間はそれなりにかかります)

このとき大切なのは、セラピストが何らかの理論や自分の考えをはさまないことです。それをしたとたん、こえらの思いや声は拾ってもらえず、心の中に隠れたままになってしまいます。

なので、ここは非二元的な受容の空間と心を解剖していく問いかけが非常に役立ちます。(と何気にOADを宣伝♪)

精神医療や心理学を否定するつもりはまったくなく、そこにも有益な発見や技術はたくさんあります。

しかし、脳の機能とか、理論や分析ベースのアプローチだけではなく、もっと自然でシンプルにクライアントさんの心の声に耳を深く傾ける技術を学ぶことも大切だと思うのです。

ということで、塀の中の彼女たちの深い心の叫びがいつかきちんと拾われますように☆

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

抑圧した思い、感情と対話し解放するツール、EFTを学んでみよう♪
すでにセラピストさんにも新しいメニューとしてきっと役立ちます☆

東京も募集開始しました!

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 東京

2017年10月7日(土)~9日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 大阪

2017年9月16日(土)~18日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

※仙台は11月です。

☆☆ ハートレジリエンス協会が送る ☆☆
秋の5回シリーズセミナー

“自分にやさしい介護者(ケアラー)になる”

 

 

 

分からない素晴らしさ♪

お気づきのように、ブログを統合して「オープン・アウェアネス・ダイアローグ」という名前にしました! 皆様、今後ともどうぞ宜しくお願いいたします♪

長いカタカナの横文字ですが、個人的には意味はとても気に入っており、OADと略して普段使っております。

2005年に楽天のブログを始めてから12年、今回で3回目の名前変更です。また、いつもそれなりに長い文章を書くスタイルですが、そちらも変更していくかなぁ~と思っています。

つぶやきみたいだったり、動画だったり、などなど。

ということで、今回はつぶやき風で行ってみます♪

☆~☆~☆~☆☆~☆~☆~☆☆~☆~☆~☆☆~☆~☆~☆

思考に同化すればするほど、人は愛よりも正論にしがみつく。
あたかも正論が自分を守ってくれるかのように、
正しいことを言っていれば、自分は大丈夫、堂々とできる、ドヤ顔ができる
正しい行いをしていれば、私は自分にも回りにも恥じなくて済む、きっと誰かが見ていてくれる。

でも、微妙だけど、どこかほっとしない。

自分は間違ったことを言っていない? 自分のふるまいは大丈夫?
あっ、いけない気をつけなければ、変だと思われる・・・。

なんだかいつも自分を監視している感じ。
だから、他人も監視してしまう。
他人のあらが気になってしまう。
正しい行いをしていない人に腹が立つ。

自分なりに正しく生きているはずなのに、どこか喜びが少ない。
そこはかとない怒りさえいつもある。

正しさを捨てたら良い? べきを捨てる??
いやいやそれはかなりヤバイでしょう。
非社会的な人になってしまうし、自己中になってみんなに嫌われるだろう。
第一、みんながそんなになってしまったら、社会の規制が保たれない。
無法地帯になるかも。

ハートの声に従う? だいたい、何がハートの声なのかさえ分からない。
私はずっと思考の言うとおりに、思考に従って生きてきたんだし、
それにハートの声なんて、そういう自己啓発みたいな、スピみたいなフワフワした話は危ないよね。

理性第一! 理性が私を守る! きちんと頭で考えるのだ!
それに、ひょっとすると思考は現実化しちゃうかもしれないしね。
自分の思考に気をつけよう。

自我は常に時間と空間、ストーリーの中で生きている。

でも、気づいていた?
もし、思考がなくなったら、時空もストーリーも消えてしまうことを。

ハートは言葉を持たず、今ここしか知らず、ものごとを判断することもない。
ハートは喜びを知っていて、つながりを糧にし、愛の知性と智慧を携えている。
“真実を知りたい!”という欲求として私たちの中に現われ、ハートは私たちを本質へと誘う。

だけど、それも思考があっという間に奪い取り、すべて頭の理解へ持っていってしまう。
そうかそうか、悟りってそういうことか、自己の不在ってそういうことか、
なるほど、なるほど。
自分は“正しく”理解してきたぞ。
そして、悟り論争の始まり。

もちろん思考は悪者ではないけど、思考偏重の社会は理屈抜きの優しさを忘れがち。
理屈抜きに自分を愛することを忘れてしまう。

ハートにくつろぐ時間を増やしてみる。
そこには、過去も未来もなく、計画や判断もない、定義やストーリーもなく、思考ははじめ戸惑うだろう。
なにも掴めるものがない!

分かろうとすることを辞めてみる。
そして、分からないということにくつろいでみよう。
と同時に、自分の中の分離の思いを癒してみる。深いところにしまってしまった自己否定の思いを癒すのだ。
その下には必ず“否定される以前の生命のままの自分”がいるから。

きっとそのうちハートのエネルギーが自分の中に広がっていくだろう。
そして、だんだん見えてくるのは、思考の頼りなさとハートのゆるがない実体性。

私たちの本質、ハート、純粋意識は、すべて同義語だと気づいたとき、新しい地平線が見える♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

抑圧した思い、感情と対話し解放するツール、EFTを学んでみよう♪
すでにセラピストさんにも新しいメニューとしてきっと役立ちます☆

東京も募集開始しました!

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 東京

2017年10月7日(土)~9日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 大阪

2017年9月16日(土)~18日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

※仙台は11月です。

☆☆ ハートレジリエンス協会が送る ☆☆
秋の5回シリーズセミナー

“自分にやさしい介護者(ケアラー)になる”

 

 

みんなが密かに求めているもの♪

イギリスに戻って、ロンドンの地下鉄に座っているとまさに人種のるつぼで、私は心底心地よさを感じます。

人種が違うカップルもたくさんみかけるし、それぞれがそれぞれに生きる姿を見て、ほんと人間として同じだなぁと何ともいえない暖かい気持ちになります。

で、ずっと私のなかにある夢があります。それは、ジャン!

世界平和♪

地下鉄に乗っている多くの国の違う人たちを見て、もし、この人たちが“自分の国のために”ではなく、 “人類のために”と一緒に考え、手を結んだら、どんなにパワフルで素晴らしいだろう・・・・と夢想するのです。

それぞれの違う文化をお互いに尊重し、自分の国を愛するから、他の人たちが自国の文化を愛する気持ちも理解できる。

愛国心という言葉がありますが、真の愛とは分離を知りません。好き、嫌いを判断するのは愛ではなくて思考です。

なので、本当に自分の国を愛しているのなら、その愛は国や人種を超えてすべてに微笑むはずです。なのでもし、自分の国は愛しているけど、ある人種は大嫌いと言うなら、それはウソの愛です。

人種まるごと嫌いというような大雑把な嫌い方をし、自分の国は素晴らしい、自分たちは何も悪いことなど一切していないという見方は、基本、自己嫌悪の投影です。

本当は自分のことをダメだ、嫌いだと思っているけど、そういった思いに向き合っているのは辛いので、自分は良いのだという思いで蓋をし、なので自分への批判は一切受け入れられず、抑圧した嫌悪感を外に投影するんですね。

これは、分離の最も強い状態です。自分の気持ちともつながっておらず、ましてや他者の気持ちなどぜんぜん分からない。つまり、真の愛から最も遠く、愛を知らない状態です。なので実は苦しいはず。

話を戻して・・・・、

例えば、家族を守るために戦う、国を守るためになら自分の命も投げ出す・・・という思いは、どの時代、どの国でも賞賛される思いでしょう。

では、私はそれをやるだろうか?と振り返ったとき、死ぬこと自体は怖くないけど、喜びよりも悲しみのほうが大きく感じるんです。なぜなら、もし家族や国が守れたとしても、戦いである限り、多くの命が奪われ、誰かが悲しみ、そして誰かが憎しみを持ってしまうからです。

憎しみが残ってしまう限り、気持ちが重くなってしまうのです。

では次に、人類が分離の幻想から目覚めるために死ぬことはできるだろうか?とイメージしてみると、すっごく嬉しさが沸いてきます。超ワクワクして、今すぐにでも死ねる!と本気で思います。

きれいごとを言っているのではまったくありません。

なぜなら、これはある意味ホームカミングで、本質(愛)に戻るというすべての自我が密かに一番望んでいることだからです。

非二元の本のタイトルに例えば、“Die to Love”(邦題:愛のために死す)とか、“I hope you die soon”(邦題:早く死ねたらいいね!)などがありますが、それは自分は分離した個であるという幻想が死んで、本質に目覚めるという意味です。

もし、みながついに分離の幻想から目覚め、愛でつながり、お互いが本当は愛し合っていることを思い出せたら、これ以上に完結した感覚、恍惚感は味わえないはずです。

とはいえ、現在の自我の恐れが非常に強い地球で、すべて愛だよね~と無防備になろうと言いたいのではもちろんありません。自衛隊も必要でしょうし、家の戸締りも必要です。

でも、戸締りを強化することばかりにエネルギーを注ぎ、分離感を強めていくのではなく、自分の中や社会、世界の中に愛を増やすにはどうしたら良いのだろう? 心の国境を超えるにはどうしたら良いのだろう?と真剣に見つめてみることはできると思うのです。

非二元は、「空(純粋意識=私たちの本質)と「色(現象=自我)」は二つではないと教えてくれていますね。つまり、自我と自我の本質は決して分けられないのです。

自我の本質とは純粋意識であり、純粋意識もが持つ性質は、愛、受容、静けさ、平和です。だから私たちは、この本質そのものでもあるんです。すべての人の中に仏性があると言っても同じことでしょう。

で、これを書きながら頭の中で流れている曲は、もちろん、ジョン・レノンの「イマジン」

“想像してみよう、国境がない世界を(Imagine there’s no countries)”
“あなたは私のことを夢想家と言うかもしれない。(you may say I’m a dreamer)”

例え夢想家だとか理想主義だといわれても、誰かが言い続ける必要はあるでしょう。

では、歌が下手っぴーな心理セラピストとして、私がやれることは何か?と考えれば、先ほども触れたように、癒しを通して自分の中に愛を取り戻していくこと。

私の心の中の分断、分離、恐れを見ていく。表面ではなく、深いレベルでどれぐらい自分を受け入れている? どれぐらい自分が許せる? どれぐらい自分を責める思いから解放されている? 自分の中の恐れも含めて、どれぐらい自分が愛おしい?

本質を知り、自分の中に愛が増えるに連れ、ジョン・レノンが夢想家なのでもなんでもなく、本当は多くの人が逆に夢の中にいるのだと感じられてくるはずです。

でも、イマジンの歌に共鳴する人が世界中でたくさんいることが、私たちが本質を忘れていない証拠でもありますね。

ということで、I hope someday you’ll join us  and the world will be as one ♪♪♪
(いつかあなたも僕たちに加わってくれたら、世界は一つになるだろう)

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

自分を見つめるツール、EFTを学んでみよう♪

すでにセラピストさんにも新しいメニューとしてきっと役立ちます☆

東京も募集開始しました!

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 東京

2017年10月7日(土)~9日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 大阪

2017年9月16日(土)~18日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

※仙台は11月です。

目覚めと癒しの微妙な関係♪♪

実は、二つのブログ(魂のケアと気づきのダンス)を合体させようかな計画を考えています。というのも、今年から今までやっていた癒しの方法に「オープン・アウェアネス・ダイアローグ(OAD)」という名前をつけ、心のケアと非二元を同時に語れたらなぁと思うようになってきたからです。

とはいえ、非二元のメッセージ自体は人を癒すものではなく、基本的には「太陽は東から昇って西に沈む」みたいなあるがままの真実を語っているものです。

それを人生や苦しみの解消に役立てようというのは、やはり無理があるでしょう。ですが、昔から真実の教えは、人類を苦しみから救う究極のものとして捉えられてきました。

なぜでしょう?

それは“分離は幻想である”というあるがままの真実は、私たちを多くの恐れから解放してくれるからなのでしょう。

つまり、非二元の真実は個人のストーリーを癒すものではないけど、人類の根本の恐れ(=分離)を癒すことはできるのです。

ちなみに非二元とは、アドヴァイタ(アド=not、ヴァイタ=two)というサンスクリッド語を日本語に訳したもので、直訳は「二つではない」です。

非二元という言葉は、人によって解釈が微妙に違ったりするので、一層のこと「二つではない」という言い方のほうがある意味分かりやすいかもしれません。

「二つではない論」。無理があるでしょうか? でも二つではないと聞けば、すぐに思うのは、“どの二つ?”かなと思います。

で、アドヴァイタの教えによると、それは「ブラフマン(個を超えた自分)とアートマン(自分の本質)」の二つではない、「空と色」の二つではない、それらは同じものだよ~という意味です・・・・。(空即是色)

こう聞いてワクワクしませんか? 私は始めて聞いたとき、なんだか鳥肌が立つほどワクワクしてしまいました。やっぱり変態なのかもしれません。(ため息)

さて話を戻して、つまり大海と小波に例えれば、大海(ブラフマン)と小波の本質(アートマン)」は同じだよ~ということです。

問題は、私たちは常に大海(ブラフマン)を忘れ、自分の本質(アートマン)も忘れ、自分はただの小波でしかなくて、大海(世界)とも他の小波とも分離している・・・・という錯覚で生きていることですね。

世界(大海)は恐ろしいところで、なんとか自分を守って生きていかなければいけない、他の小波たちが何を考えているかも分からないし、そしてもし食べていけなくなったら、大海の中で野垂れ死にする・・・・。小波が大海の中で死ねるのかどうかは別にして。

とりあえず、これが通常の私たちの感覚でしょう。

なので、権力やお金で自分を守ろうとしたり、または自己啓発などで“あなたの思いで好きな現実が創れます!”とか、小波がパワーやコントロールを得られるものが流行ったりするのもうなづけます。

でも、そうやって権力、経済力、思考力を鍛えてもやっぱり小波は小波。どうしても頼りなさはつきまといます。じゃぁということで、もっと何かを得よう!、そうだ悟りだ!悟りを得よう!

悟れば、すべてが解決するに違いない!あらゆる恐れもなくなって、それこそ大船に乗った気分で毎日が暮らせるだろう。自分の長年抱えている悩みもちゃらになるはずだ・・・。

しかし、自分の中にある抵抗や無視している部分、否定して嫌がっているものたちをしっかり抱えたまま、大海の自分とか、大海のメッセージを聞いてもどうもぴんと来ません。

この自分の頼りなさ、そこはかとない生き苦しさをどうにかしたいから、大海セミナーに来ているのに、さっぱり変わらないぞ!と焦りと怒りのほうが増してしまったり・・・。

さて、一方で真実を探求していた小波が大海の自分に目覚めたとします。大海としての自分が深く認識され、いろいろな恐れも消えていきました。

ところがしばらくして気がつくのです。大海の自分を認識しているはずなのに、他の波の言動が心に突き刺さる。腹が立つ、悲しくなる・・・・。

小波は混乱します。なぜ?

しかし、大海の自分に寄り添えば添うほど見えてくるのです。小波としてのユニークな自分も消えることはないということが。(現象がなくなることはない)

自分のユニークな性格や素質、才能だけではなく、否定的な思い込みや抑圧された感情も含めてすべてそのままにあることを。

でも違うのは、それらがすべて受容されていることがはっきり分かること。だから、どうであっても自分は絶対大丈夫だということ。

大海の自分とユニークな個の自分。二つはどうしても同時にあって、そしてそれらは同じものだから。

ちなみに、小波の自分の思いや行動がどう沸き起こるのかをよ~く見つめれば、そこに行為者がいないことも見えるはずです。小波が自分で波を起こしたり、波の行き先を決めているの?それとも?

さて、すべては受け入れられていて、すべては大丈夫だけれど、小波の自分を癒したいという欲求も起きてくるかもしれません。

でも、それは悪いものだから癒されるべきだ・・・ということではなく、本質が本質に戻りたいという自然な欲求です。不自然な状態から自然な状態に戻りたいんです。

オープン・アウェアネス・ダイアローグとは、小波が抱える否定や抵抗、抑圧された思いを大海という受容のオープンな場に持ってくること、そしてそれらとダイアローグすることで、握り締めた勘違いをほどといていくものです。

自然の流れの発露であることがきっと私たちの真の欲求だから♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

JMET認定EFTプラクティショナー講座 in 大阪

2017年9月16日(土)~18日(月祝日) 3日間

詳細はこちら

(東京は10月、仙台は11月です)