苦しいなら“内に”飛び込もう♪

かつてロダンの「考える人」は、私にとって人間のみが持つ「考える」という“崇高な能力”のシンボルのようなものでした。

いつの間にか、だんだんそれが「苦労する人」に見えてくるようになり、今では、まぁ、そう真剣にならずに~と肩をたたきたくなります。

この「考える」という能力は、素晴らしいものであると同時に、思考が持つ性質上、どうしても私たちを実体から遠ざけてしまいます。

例えば、私たちが将来について心配するとき、まだ何一つ起きていないことを真剣に悩んでしまでしょう。実体はゼロでも、「考え」によってないものを作り出し、いくらでも悩めるんです。

でも、私たちの多くは、考えることでものごとを対処していくことを常にしていますね。問題がある→考える→何かを参考にする→また考える、みたいなパターンです。

これは心の問題でも同じで、例えば、姑との問題でん悩んでいる→こんなふうに見方を考えてみよう!(自分にも落ち度があるのだし・・・)というような、たいてい私たちは考えのレベルで解決しようとします。

同じように、注意を別のところへ持って行こうということもするでしょう。悩みや嫌なことではなく、感謝できることや楽しいことへ自分の気持ちを向けて気分を変えようとか。

または、心理学や自分なりの理論を持ち出して、

誰かに嫉妬していて苦しい→嫉妬をするということは、常に比較をしているということだ(分析)→比較をするのを止めよう、といったようなパターンも見かけます。これはかなり無理無理です。実際にやってみればすぐに分かります。

他に多いのは、自己啓発系などでまったく新しい見方を提示してくれるもの。“そうか我慢しなくて良いんだ!”、“なるほど、そう考えられるんだ!”などなど、緊張した思いを手放して楽になる・・・というパターン。

これらはうまく作用すればかなり楽になれますし、思考レベルでのワークもきちんとやるのはお薦めです。

でも、本当に苦しい場合、こんなふうに「考え」で心の問題を解決しようとするのは、非常に限界があります。どれだけブログを読み歩いたり、本を漁ったりしても、まったく楽になりません。

じゃぁ、どうしたら良いか? そうです。

自分の中にダイブイン!するんですね。

ほんとうは苦しくない人にもぜひお薦めです。

私たちが苦しいと感じているときは、または慢性的に苦しい、もの心ついたときから生き辛いという場合、原因は人それぞれもちろんいろいろあります。

しかし、共通しているのは、必ず心の深いところでいくつもの「自己否定」が走っていることです。そして、それらの否定的な思いがきちんと表に出てこずに抑圧されていると、かなり苦しい状態になります。

また、そういった自己否定は他者否定や世界への否定(この世は醜い場所だ)として転換されますね。

もちろん中には、自分を否定していることぐらいわかっている・・・と思う方もいらっしゃるでしょう。その場合、そこから入っていけば良いんです。もっと下にいろいろな他の否定の思いや感情が隠されています。

で、解決の糸口になるのは、なんといっても「身体」です。苦しいとき、体のどこに一番苦しさ、緊張、ネガティブな感覚があるか? そこがダイブする入り口です。

ほとんどの人の中に自分を嫌っている自分がいるものです。“自分は分離した存在である”と錯覚した時点から、「自分は欠けている」「自分はいけていない」「何か自分にはまずいところがある」といった感覚が私たちの中に生まれます。

奇跡のコースではこれは「罪悪感」と呼んでいますね。つまり、自我はそもそも「自己否定」がベースになっているんです。

その上に、思考という善悪を判断したり、レッテルを貼ったり、ものごとを定義づけたりする「必殺仕分け人」の世界にどっぷり浸かるわけです。

「自己否定」+「善悪の判断」

この二つが混ざれば、もう見えてくるでしょう。自分を見たときにあれこれ「悪い」ことばかりが目に付いてしまいます。で、あまりに「悪い」ことばかり目に付いてくると、苦しくて抱えきれない→蓋をしよう→良い私になろう、と自分が本当に感じていることを抑圧していきます。

私自身もびっくりするぐらいたくさんの「自己否定」の声と出会ってきました。これは、ダイブインをしないと本当に出会えなかったとつくづく思います。

「出会う」と書いてしまうぐらい、普段まったく気がついていないんです。その声は「私は汚すぎてダメだ」、「何をやっても常に間違っている」などなどです。そこにはたいていものすごいエネルギー(感情)の量があります。

また、例えば「汚さ過ぎてダメ」という声と出会う前に、いくつもの抵抗や思いが覆いかぶさっていることも多く、何重にも抑圧していた自分の心が見えてくるんです。

ただ、ここで私は決して「取り除こう」としてダイブインをしているのではないんです。あくまでも自分の隠された声たちに会いにいき、抱きしめたいんです。

ネガティブな感情の裏には必ずポジティブな感情があります。たとえば、無力感や恐れの裏には、希望や愛を切実に求める声があるんです。その声は自分が本来そういったものであることを知っているんですね。

そこで無力感も希望を求める思いも一緒に抱きしめてあげれば、全身が愛で包まれます。

これは、どんな理論や分析、データよりも100倍以上パワフルです。いろいろしくみを書いていますが、基本的に私は完全に「体験派」です。(心理セラピストなのでいろいろなツールを使います)

愛がすべてを癒すのだとしたら、考えを超えたところまで深く潜ってみませんか?

 

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感情解放にも、自分の抑圧された声を見つけるツールとしても、とっても使えます♪

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“職場での境界線 どう引く?”

見えない心のガイドライン「境界線」を知って、快適な職場での人間関係を作る方法

解剖心理学のススメ~辛さの根源へ~

インテグレイテッド心理学の上級講座まで終わりました!気を抜いたせいか、風邪でダウンしてしました~。で、病院嫌いの私がついに近所の病院へ・・・・。

医者:どうされましたか?
私:おとといから喉が痛くて、頭痛があります。
医者:喉を見させてください。あっ、真っ赤ですね。次は、心音を取りますね~。はい、ちょっと首を触らせてください。喉頭炎ですね。お薬を出しておきましょう。

この会話は、ありふれた医師と患者の会話でしょう。しかし、心の問題となるとある部分が完全に抜けてしまうのです。この会話が心の医療だとしたら、下記のような感じかもしれません。

医者:どうされましたか?
患者:おとといから喉が痛くて、頭痛があります。
医者:どんな痛みで、どんなときに痛みますか?どれぐらい痛みは続きますか?睡眠はどうですか?何か原因は思い当たりますか?
患者:いつもヒリヒリ痛い感じで、寝起きがひどいかもしれません。でも一応眠れていますが、先日急に気温が下がったのに薄着でいたからかもしれません。
医者:なるほど。おそらく喉頭炎でしょう。とりあえず痛み止めだしておきますね。

何が抜けているのでしょう?と考えるまでもないですね。そうです。問診のみで体の中をまったく見ていないんです。患者さんとしては、“いえいえ、先生ちゃんと喉の奥を見たり、検査してください”と思うはずです。

では、心の問題のやりとりも見てみましょう。

医者:どうされましたか?
患者:主人が半年前に交通事故で急死して以来、眠れないんです。気持ちも体も重くて、外に出かける気もまったく出てこないんです。
医者:まだ半年ですから、気持ちが沈んでしまうのも自然なことだと思いますよ。
患者:はい、でももし私がこのままだと、子供にも影響があるんじゃないかと心配で。
医者:お気持ちは分かります。でも、時間薬という言葉もありますし、少し様子を見てみましょう。とりあえず、睡眠薬と安定剤を出しておきますね。

この会話も同じように一つ抜けているものがあります。そう、その人の心の中を見ていないことです。ところが、それは誰もおかしいと思わないんです。

ではカウンセリングはというと、話をひたすら聞くもの、心理学の理論や概念をあてはめるもの、認知を変えようとするものなどいろいろあります。

でも、実はこれらの方法もその人の「心の中がどうなっているのか」を丁寧に見ていくのでなければ、辛さはあまり変わらなかったりします。では、心の中を見るとは、一体どういうことでしょうか? この例で行くと・・・・。

心理セラピスト:どうされましたか?

クライアント:主人が半年前に交通事故で急死して以来、眠れないんです。気持ちも体も重くて、外に出かける気もまったく出てこないんです。

心理セラピスト:ほかにどんなお気持ちや思いがありますか?

クライアント:はい、もし私がこのままだと、子供にも影響があるんじゃないかと心配で。それに主人に日頃の感謝の気持ちを伝えたかったのにできなかった・・・(涙)

心理セラピスト:いろいろな思いや気持ちがあるかと思いますが、ご主人様に感謝の気持ちを伝えられなかったことが一番辛い感じでしょうか?

クライアント:あぁ、そうですね。そうか・・・。

心理セラピスト:ご主人様に感謝の気持ちを伝えられなかったというのは、ご自分にとってどんな意味があるでしょうか?どんなふうにお辛いのでしょうか?

クライアント:???

心理セラピスト:たとえば、人生が区切りのないままで次へ進めない感じなのが苦しいとか、・・・。

クライアント:あぁ、そういう思いもあります・・・。でもそれより、私、なんか意地っ張りになっていて、主人に感謝の言葉や優しい言葉をかけてあげられなくて・・・・、許して欲しい(嗚咽)・・・。

もちろん、これは架空の会話です。セッションは生ものですから、毎回まったく違いますし、テーマによって聞く質問も異なり、これは何万とある可能性の一つです。

しかし、ここで大切なのは、ご本人がほとんど気づいていなかった「許して欲しい」という思いを見つけ出すことと、そこに相当大きな感情があることを知ることです。

で、EFTやマトリックス・リインプリンティングなどで、それらを解放することで、認知のシフトも勝手に起きて、この方はそれだけでもかなり楽になるんです。

もちろん、このほかに将来への不安や事故を知ったときのショック(トラウマ)などなど、様々な思いや感情の解放が必要となるでしょう。

まったく同じ経験をしても、人の心は様々です。のどが痛いという同じ症状でも、体の中の状態は一人一人違うように。

それを丁寧に見ていき、どんな感情の層があって、どの感情が一番たまっているのか、またどんな思いやビリーフがあって、どうそれが苦しみを生み出しているのかをカウンセリング(問いかけ)で探り、セラピーで解消していくこと。

ということで、自分でどうにかしようとする人も多いのですが、心も体と同様、かなり複雑なんです。

ある場合は、問診だけで十分かもしれないし、ある場合は複雑な手術が必要かもしれません。また急性や慢性の場合など、一回で済むものや、ある程度時間がかかるものなどあります。

ちなみに手術や薬にあたる部分が、セラピーといえるかもしれません。

話を戻して、この仮のケースの場合、自責の念や後悔にまつわる感情値が非常に大きく、それがいつまでも解消されない場合、不眠や鬱になってもまったくおかしくありません。

こう振り返ってみたら、インテグレイテッド心理学は「解剖心理学」だったんです。心を解体していき、たまったものを解放していく。ここでいう解放とは、自分の中にある思いや感情を受け入れ、理解し、いたわり、そして変容させていくこと。

状況が変わらなくても、悟らなくても、楽になる方法が私たちには用意されているんです♪

※このテーマは、とてもブログでは書き切れませんので、現在冊子を作ることを構想中。

 

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ハートレジリエンス協会が送るショートセミナー!

5月29日(日)14時~16時半
世代間連鎖のループから抜け出し、自分の人生を取り戻したいあなたへ

6月17日(金)18時半~20時半
思考派、体感派?タイプ別、疲れない話の聴き方
~身近な人の愚痴、悪口、怒りと付き合うコツ~

カウンセラーだから、アドバイスしません♪

セミナーなどで、こんなときはどうしたら良いのでしょうか?といったタイプのご質問をそれなりに頂きます。

“私の周囲に~~~な人がいます。そんな人にはどう対応すれば良いのでしょうか?”
“~~~~(事情説明)~~~~、こんな状況ですごく辛いのですが、何かアドバイスは頂けますか?”

壇上に立って、心のしくみを教えている人に自分の悩みを相談してみようというのは、しごく当然な発想かもしれません。

ですが、こういったご質問には二つの理由でお返事できないんです。

一つは、これはある意味、セミナーでお医者さんに「これこれこんな感じでお腹が痛いのですが、何かアドバイスをもらえますか?」と聞いているようなものなんです。

どれだけ「お腹がいたい」という状況を細かく教えてもらったところで、実際に触診したり、レントゲンを撮ってみないと分からないように、個人セッションでその人の心の中を見ていかないと何をどうしたら良いかは、まったく分からないんです。

多くの人は状況が自分を苦しめているから、状況への対処法が分かれば、自分は楽になると思っているものです。

しかし、このブログの読者さんはお分かりかと思いますが、私たちを苦しめているのは、状況ではなく、状況をどう解釈しているかですよね。

なので、ある状況の中で辛いのであれば、辛さを生んでいる思いや解消されていない心の傷、抑圧された感情や思いの層などを見ていく必要があるんです。体を切り開いていくように、心を解体していくのです。

ですがときどき、いわゆる心の専門家のような人が「引きこもりの人は、朝9時には起きる習慣をつければ良いのです」とか、「うつの人はやりたいことを見つけることが治るカギです」など、ざっくりしたハウツーを話しているのを見かけます。

一見、分かりやすくて実行にすぐ移せそうなので(たぶん無理だと思うけど)、私たちの中に手ごろなハウツーがあるはずだという印象がついてしまうのかもしれません。

ですが人の心とは、皆が思っている以上に複雑なものです。また、人とは呼吸し、変化し、感情や思いも刻々と変化している生命体です。

そして、雪の結晶が一つ一つ違うように、人の心も一人一人が複雑に異なった心模様を持っています。また、生命としてのリズムも違い、性質、共鳴するもの、傾向も違う上に、育った環境や現在の環境も人それぞれです。

それを一切無視して「9時ごろまでに起きる習慣をつける・・・・」みたいな大雑把なハウツーは基本無理です。

ですので、私はなるべくお返事しないようにしているんです。

で、二つ目の理由は、「人生にマニュアルはない」からです。

例えば、「ものすごくネガティブな人がいて、周囲の人にも影響を与えてしまっています。こういう人にはどう対応したら良いのでしょうか?」といったようなご質問も非常に多く頂きます。

しかし、私自身も家族やまた他者に対して、どう対応したら良いか分からないときなどしょっちゅうあります。それは、人も人生も「なまもの」であって、一つの「いつもこうしたら良い」的なマニュアルにあてはめられないからです。

こういったご質問の裏には、「この状況は悪い」、「正しい方法、より良い対処の仕方があるはず」という思いがあるでしょう。

でも、これは完全に思考活動であって、生きた人間の活動を思考の枠に入れようとする試みなんです。で、たいていうまく行きません。

また、心理セラピストの経験の中から、「悪いものを良くしよう」という発想は、必ず抵抗や苦しみがついて回ることも学んできました。

なので私の場合、カウンセリングやセラピーと同様、「どうしたら良いか?」ではなく、「いまここに何があるのだろう?」とただシンプルに見ることにしています。

“ものすごくネガティブな人”は、今、嘆いているの?怒っているの?何か要求しているの?

私は、今、どう感じているの?疲れているの?面倒だって思っているの?余裕がある感じなの?

そして、今あるものが“嘆き”と“疲れている”であれば、それがそこにあるだけなんです。“いつもネガティブだ”、“また同じ嘆きだ”などといった思考も横に置いて(←めっちゃ難しいけど)、純粋に今まさにあるものだけを見て対応する、というか私たちはそもそも本当はそれしかできないんです。

で、今は疲れているから嘆きは聞かない~でもまったく良いんです。または、余裕があるから聞いてあげようでも。

人生には正解もなければ、より正しいやり方もないでしょう。うまくいったとかいかないとか、正しいとか間違っているとか、どのみち思考がレッテルを貼っているに過ぎないんです。

なので、もう一つ、

「ものごとをうまくいくようにしよう」とか、「今より良い状況になる方向へ持って行こう」

という欲求を持たないのも超楽です。と、書くとなんか人生をあきらめた年寄りの境地みたいに聞こえるかもしれません。

そうではなく、人生に降伏して、今あることに対処するというシンプルな生き方なんです。前回の記事と重なりますが、今人事を尽くして「天命にあってみる」だけ。

極端な話、今より悪くなっていたり、まったく良くなっていなくても良いんです。真の平和は状況の良し悪しの中にはなく、そういったことを気にしなくなったところにあるでしょう。

でも、不思議なことにそんな緊張がない静かな場所から生まれた思いは、無理がなく、自分の中でもっとも納得がいく思いなんですね。

で、心から納得がいく思いは、状況に関わらず心の平和をもたらしてくれますね♪

事実10%、解釈90%の世界に生きる私たち

先週末より、インテグレイテッド心理学始まりました! またの名を現場主義心理学~♪

現場主義・・・・。理論や分析などに一切頼らず、今、自分の心のなかで何が起きているのか?を徹底的にベースにしています。

じっくり見つめていくと、個人個人のいろいろな心模様やパターン以外に、すべての人が共通して持っている心のしくみも見えてくるはずです。で、その中の一つに私たちは『事実と解釈をほとんど区別しない』というのがあります。

私たちは普段あまり自分の心を見つめたりしませんので、推測や解釈、事実もごっちゃにしてただ考えていることが多いんですね。

で、その自分の解釈を紛れもない事実だと思い込んでしまい、苦しんでしまうんです。

例えば・・・・・・と、例も挙げられないぐらい、私たちの思考は解釈だらけですが、敢えて「リストラにあった」という例を挙げてみた場合、

事実は、「会社が私に解雇を告げた」です。

でも、思考は「解雇された」と個人的な表現に変え、そして「食べていけなくなる」、「この年で再就職は難しい」、「自分はこんなに会社に貢献したのに」、「今は不景気だから求人が少ないのにどうしよう・・・」などなどストーリー(解釈、意味づけ、etc)を暴走させます。

これらは事実に付随している解釈ですが、本人にとってはどれも事実になってしまうんです。

でも、ある人はまったく同じ状況で、「自分を活かせる場所が他にあるはずだ」、「自分を認めない会社なら長くいなくて良かった」、「いっそうのこと自分で事業を始めようか」、「学んだこともたくさんあった」といったようなストーリーになるかもしれません。

ストーリーの違いは、本人の自己価値の高さによります。自分を肯定的に捉えている人ほど、湧いてくるストーリーは緩く、前向きなものが多くなりますね。一方、そもそも被害者意識が高く「私は無力だ」みたいなセルフイメージを持っていれば、リストラは悲惨な事実として確固たるものになりがちです。

リストラは、一般的に「悪いこと」と解釈されることが多いため、苦しむのは当然だと皆が思いますよね。このある意味集団的解釈が、ますますストーリーから抜け出すのを難しくします。

しかし、インテグレイテッド心理学が目指している癒しは、「リストラにあった惨めな自分」を癒すことではなく、ネガティブに解釈してしまう大元のビリーフ、「私は無力だ」を癒すことです。これによって根こそぎ楽になります♪

しかし、中には「今は不景気だから求人が少ない」というのは事実なのだ!と、統計まで持ってきそうな勢いで説得しようとしてくる人もいます。だから自分が苦しむのは当たり前だ!と自分の苦しみを正当化するというか。

もちろん、気持ちはものすご~く分かります。私もあらゆることが、事実だとしかど~~しても思えなくて超苦しんでいましたので。いやぁ、ほんと~~に苦しかったです。で、その頃、「それはただの解釈です」と言われたら間違いなく怒っていたでしょう。

でも、基本、私たちが事実だと思っていることの90%ぐらいが解釈です。盛りに盛ったストーリーです。(インテグレイテッド心理学中級講座で詳しくやります♪)

ですが、自分が事実だと握りしめている思いを緩め、解釈なのだと見えてくると、そこに本当の助けが待っているんですね。

「真実」は状況のいかんにかかわらず、そこに「優しさ」をもたらしてくれます。状況は何も変わっていないのに、(苦しみから)「救われた」と深いところで感じるんです。

ちなみに、解釈をしてはいけないとか、考えてはいけないという話ではもちろんありません。それは不可能です。ただ自分の解釈を無条件に信じるのではなく、見つめてみようというご提案です♪(バイロン・ケイティのザ・ワークもお薦め)

さて、この流れでお知らせがあります!

まず、東北大震災のメンタルケアプロジェクトを目的に発足した「ハートサークル」は、今年に入り「一般社団法人ハートレジリエンス協会」と名称が変わりました。

新しい活動も始まりつつあり、その最初の一つとして「介護をしているケアラーのあなたへ~こころを軽くするヒント集」という無料冊子を作成いたしました。

家で一人で介護していると、日々の仕事の量の多さから外にあまり出かけられず、つい孤立してしまいがちです。すると、今ご説明してきたように自分の一つの思い(解釈)に落ち込んでしまい、いつしか「もう死ぬしかない・・・」と思い詰めてしまってもおかしくありません。

そこでまず、そんな緊張した思いを緩めてもらうことと、そしてまた、介護が大変であるからこそ自分をケアして欲しいという気持ちを込めて作ってみました。

イメージとしては、こういったブログを読んでいなくて、こころのしくみも何も知らずに日々頑張っているケアラーの方々の手元に届けることです。

ということで、もちろんご自分がケアラーの方でも、またそんな人が身近にいる、または、病院や役所の福祉課に勤めている、民生委員をしている、介護サービスに関わっているなどなど、希望者の方には無料で配布いたします。(郵送料のみご負担ください)

ただ、ボランティアで対応しておりますので、

1)50部ごとに受付け、注文がまとまったときに発送という形を取らせてもらっています。

2)1、2部必要な方はサイトから無料でダウンロードして頂けます。

お申込み、ダウンロードはこちらから

で、お詫びですが、複数でチェックしたにもかかわらず、誤字脱字がそれなりにございます。ハートレジリエンス協会の中心メンバーは、人の心を楽にしたい!という情熱はとっても大きいのですが、なぜか、1)数が数えられない、2)スーツケースを忘れる、という性格の者が多数おります。今回どうもこれに、3)目が節穴、という項目も加わることとなりました。ほにゃ。(代表の性格が反映しているのか?)

もしこの冊子が好評で2刷りまで行けば、外部の方に校正をお願いし、きちんと修正をする予定でおりますが、優しい目で見て頂けますと有難く思います。m(__)m

ということで状況がどんなに変わらなくても、“解釈”という思考の夢から目覚めてみれば、きっと優しさがそこに見える♪

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JMET主催EFTプラクティショナーコース
5月3日~5日

キャンセル待ち募集

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人は鏡~対人関係のストレスを本質的に解消する方法

夫婦や親子、職場等での対人関係の悩みを持っていらっしゃる方へ

 

ネガティブと戦わずして得る平和♪

「戦い」や「禁止」が多い社会って、どうでしょうか? 過ごしやすいとはあまり思わないですよね。ところが、私たちは自分の中をこの戦いと禁止事項でいっぱいにしていたりするものです。

しかも、社会がそう信じているように(さらなる武力と法整備を!)、それによって自分の心の中に平和が訪れ、心の秩序も保たれ、より良い社会(自分)になると私たちは思っていたりするのです。

ということで、今日は「戦い」と「禁止」というキーワードで見てみようかなと思います♪

「戦い」とは、自分の中に何か悪いもの、悪い傾向、トラウマ、いらないもの、ネガティブな思い、ネガティブな感情などなどがあるから、それを取り除かないといけないという思いで、それと戦ってしまうことです。

私たちは育っていく中で、自分の中に何か悪い部分があった場合、「それを直すべき」→「そのために何かをする」→「良くなる」という思考パターンを刷り込まれていますね。

なので、それがなくなれば楽になれる、幸せになれる、または悟れると思ってしまい、どうやったらそれがなくなるか?を必死に考えてしまったりします。

ですので、セミナーでもいきなり「瞑想を続けるにはどうしたら良いでしょうか?」みたいな、自分がやっているハウツーの質問もそれなりに多いです。

まぁ、瞑想とか続かないのなら、やらなくて良いのに・・・・と私は思ってしまいますが。

しかし、たいていこういったご質問の裏には、それをすれば何か克服できる、何か今とは違う状態になれるというような思いがあり、「そのために何かする」発想で瞑想でも何でもやっていることが多いですね。

で、そういう場合はたいてい楽しくないし、本当にやりたいわけではないので、やっぱり続きません。私のジム通いみたいに。えへへ。

ですが「何かをする」という発想にはまっていると、続けられない自分を責めて、だからやっぱり自分はよくならない・・・・とさらなる苦しみになっている人もそれなりに多いです。

そこで違うハウツーを求めて、セミナーやティーチャーを渡り歩いたり。

で、頭の中の知識だけは増えていき、今度はそれがお互いにぶつかりあったりして(あの人とあの人は言っていることが違う~~)混乱!みたいな。これは「戦い」が長期化し、入り組んできた状態とも言えるでしょう。

楽になれるはずの悟りや癒しや自己啓発が、さらなる苦しみのもとになってしまっているというか。

また同じ発想で、私たちは「禁止」事項も増やしてしまったりします。

例えば、「今ここ」にくつろぐと楽になるというメッセージを聞けば、頭の中で「今ここにくつろぐべき」に翻訳され、そして、→「過去や未来のことばかり考えてはいけない」→「あぁ、また考えている」→「私はまだまだダメだ」というように・・・・。

と、“じゃぁ、どうしたら良いの?”と思考はやっぱりハウツーを求めてくるかもしれません。
でも、そうです。ハウツーを考えてはいけないという話でももちろんありません

ということで、戦争や禁止よりも穏やかで先に進めるハウツーとなれば、それは、まさに世界平和と同じく「対話」であると経験上断言してしまいます。

例えばもし、何らかの病気があって、それを取り除きたいと思っているのなら、病気に対する思いや感情と対話していくんです。

“将来が途絶えた”、“思うようにできない”、“人に頼る自分は嫌だ”といった思い、絶望感、苛立ち、悲しみと対話をしてみるのです。

例えば、「将来が途絶えた」→「生きる意味がない」となったら、そう思っている自分と対話してみます。

“どんな気持ち?”→“惨め”→“惨めなんだね。言い分思いっきり聞いてあげるよ”→“惨めなの!嫌なの!バカバカしいし!もう消えてしまいたい!めちゃくちゃにぶち壊したい!”ぶわ~~~~っ、びえ~~~っ、涙~~。

もし、徹底的に言い分を聞いてあげて、感情をすっかり吐き出させてあげられたら、きっと“私は私を愛している”という感覚がこみ上げてくるでしょう。(何度も経験済み)

なぜなら、自分への絶望値の深さは、自分への愛の深さと同じだからです。愛していないものに対して、私たちは絶望も抱きません。

愛を感じること。これが一番パワフルな問題解決方法だと思うのです。

ただ、「生きる意味がない」のところで対話が終わった気持ちになってしまい、そこに留まってしまったり、またはそこからどんどんストーリーに行ってしまったり、単に苦しくなって終わってしまう人も非常に多いです。

ので、セラピーだと早いし、便利だよと思ってしまいます。うふふ。

ですが、もちろん皆さん次第です♪

いずれにせよ、自分の中にある衝動、衝突、正論、絶望、欲などなどと対話をしていくと、それらの下にはたいてい、とっても繊細で愛を忘れて震えている感覚(思いや感情)があるだけです。

それを受け止めるだけでも、心は落ち着きを取り戻していきますね。

問題は相変わらずあるかもしれません。でも、私たちはもっと優しい目でそれを見ることができるようになっているんです。そして、そんな静かな心から湧いてくる思いは、戦わずして私たちをさらなる高みへ連れて行ってくれるでしょう。

ということで、自分との対話いかがでしょうか?

が、もちろん「対話するべき」と頭の中で変換しないでくださいね~。

やってみたかったらやってみるというシンプルさでどうぞ♪

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「ノンデュアリティと癒しのカフェ」

名古屋:5月14日(土)、大阪:5月15日(日)

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ハートレジリエンス協会ショートセミナー

「人は鏡~対人関係のストレスを本質的に解消する方法」

講師:寺石ゆか

 

あなたをずっと待っているあなた

今年のイギリスでのカウンセラー養成講座(Integrated Counselling Diploma Course)は、募集をする前に定員数の4倍上のお問い合わせがあり、すでに満席となりました。ほんとうにありがとうございます。

募集開始を待っていらっしゃった皆さん、心よりお詫び申し上げます。私も問い合わせるよりは待ってしまうタイプですので、余計申し訳なく感じます。

実はイギリスでの開催は今年で終了し、来年からは日本での開催となります。イギリスの形式とはまったく変わる予定ですが、現在いろいろと模索中です。いずれにせよ、地に足の着いた中身の濃いコースを提供したいと思っております。ですので、今年ご参加できなかった皆さん、またはコースに興味があるという皆さん、ぜひ来年以降日本で受けて頂ければ嬉しく思います。

さて、あるアメリカの非二元のメッセンジャーが、セラピーは問題を取り除くという姿勢だから、非二元とは違う・・・といったようなことをおっしゃっていました。

なるほど、確かにそれが一般の人のカウンセリングやセラピーのイメージかもしれないと思ったのです。実際、そういう姿勢でやっているセラピーも多いかもしれません。

しかし長年の経験から、カウンセリングやセラピーの真の目的は、問題を取り除くというよりも、その人の中で抑圧されていたものに光を当て、抑圧から自由にしてあげることだとつくづく感じています。

実際にそのほうが変化はずっと起きます。

例えば、私はフォーカシングというツールなども頻繁に使いますが、これはどんなネガティブな思いや感情ともまず友達になることから始まります。フォーカシングのマニュアルのタイトルに“過激な受け入れ(Radical Acceptance)”とあったりしますが、とにかくどんな思い、感情、感覚もすべて受け入れます。

で、始めた当時はまったく気づいていませんでしたが、これは非二元にもすごくマッチするなぁとこれまたつくづく思うのです。

で、自分の中の抑圧された部分とは、置き去りにされた傷ついた自分なんです。で、その自分が一番望んでいるのは、誰よりも自分に受け入れてもらうこと。

自分を見つめるというのは、基本的に億劫なものです。特にどう見つめていけば良いかなど私たちは教わりませんので、たいていの場合、見つめているつもりが、単に自分の思考のなかに埋没してしまいがちです。

ということで、これを話すと驚く人も多いのですが、私のカウンセリングのコツは、「ストーリーを無視すること」。

先日もイギリス人の友人(セラピスト)が私のやり方をちょっと体験してみたいということで、簡単な問いかけセッションをやってみました。

私は彼女のなかに抑圧されている思い、そしてそこにたっぷりくっついている感情を探すため、いくつかの質問を投げかけると、質問に答えるや否や、 “でも、それは母親にこんなふうにされて、こんなふうに言われたことが原因で・・・”と過去のエピソードが始まります。

そのたびに私は、それはとりあえず今横に起きますね。とにかく、問いにだけ集中してもらって良いですか?という会話を何回も繰り返しました。

心理学やセラピーを学んでいる人ほど、自分の問題の原因は“~~だ”と頭で分かっていたりするものです。ところがそれがいくら分かったところで、楽にならないことが多い。つまり、苦しい本当の原因である抑圧されているものが見えていないからなんですね。

さて、抑圧を違う言葉で言えば「抵抗」です。自我の性質の一つは、常に変化するということですね。思いも感情も体も日々変化し続けています。それは生命のエネルギーであって、川の水が常に流れているように、自我も流れるエネルギーの生命体です。

ところが抑圧とは、嫌なものだから感じたくない!と、ネガティブな思いや感情を封じ込め、その流れを止めてしまっている状態です。で、その封じ込め(抵抗)が苦しみを生み出します。

ネガティブな感情や感覚が好きな人はいませんので、私たちはたいていどう取り除くか?ということしか頭に浮かばないものです。怖い、嫌だ、私は大丈夫か?なくなれ!というように。

これらは当たり前の思いではあると同時に、嫌だ!という思いは起きていることに対する「抵抗」なので、逆に自分の中に閉じ込めてしまうんです。

ちなみに「抵抗」が悪いということではありません。そういった何かを悪いこと、取り除くべきという発想では、癒しはなかなか起きないよね~という話なんです。(抵抗も受け入れる!抵抗の言い分を聞いてあげる♪)

さて、ストーリーを無視するという話に戻ります。もちろん、無視するといっても、情報収集は必要ですので、お話はきちんと伺います。ただ、ストーリーの内容自体は重要ではないということです。

それよりも、一番抑圧されている感情は何? 怒り?恐れ?罪悪感? そして、どんな思いが隠されているの? “今”その人の中で何が起きているの?ということを中心に耳を傾けるんです。

つまり、過去の話という「今ないもの」ではなく、今実際に「あるもの」に集中するんです。

今感じている感情や今ある思い。そして、そこからつながって出てくる、今“現在進行形”で抑圧され泣いている自分を見つけ出し、癒すんですね。

その自分を受け入れ、自由にさせてあげる。本質のエネルギーに戻してあげる。

さて、明日から3日間マトリックス・リインプリンティングの講座です。(これは昨年キャンセル待ちになった方々用なので、一般の募集をしませんでした。)

マトリックス・リインプリンティングは、抑圧された自分とガッツリ対話し、受け入れ、エネルギーを本質に戻して、変容させるのに優れたツールです。(今年11月開催予定)

ということで、私たちは嫌なもの、悪いものなど一つも抱えておらず、ただ受け入れられるのを待っている思いと感情があるだけなんです。

それらを受け入れ、自由(解放)し、抵抗がなくなるほど、生命への信頼へも高まりますね♪

 

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「ノンデュアリティと癒しのカフェ」

名古屋:5月14日(土)、大阪:5月15日(日)

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守りを落として分離を癒す♪

ほんとつくづく、批判したり、嫌ったり、さらには憎んでしまったりする相手というのは、自分の中の分離を癒す絶好のチャンスになるなぁと思うのです。

で、よく相手は自分の鏡と言いますが、嫌いな相手を“自己中な奴だ!”と解釈し、私も自己中なんだ~と振り返るのは、ちょっと大雑把かもしれません。

自分の中の分離と書きましたが、ある意味「自我=分離の錯覚」ですので、正確に言えば、私=分離です。私が分離感を持っているのではなく。ですが、他者を嫌っているときというのは、より深い分離の錯覚にはまっていると言えるでしょう。

その分離幻想が見せてくれるものとは、本当は手放して良いのに、私たちが握り締めてしまっているものなんです。

ということで、説明させてください。

例えば、あるクライアントさんは、同業者のある人に対してすごく苦手意識があり、また嫌悪感があるというテーマでいらっしゃいました。(そしてまた、自分を宣伝するのがとても怖い)

で、潜在意識を掘っていくと、「自分が本当に信じていることを話したら殺される」という思いがあったのです。(過去生が絡んでいました)

まず、私たちは自分が深く信じてるものを、いつの間にか自分のアイデンティティにもしてしまいます。なので、自分の信じていることに対して誰かが「間違っている」と言えば、それは自分を否定されたことにもなるんですね。

その方の場合も「本当に信じていること」というのは、「自分の仕事の上での信条」であって、それは彼女にとって非常に大切なものだったのです。

なので、その同業者が、自分とまったく違う信条を降りかざし、堂々と自分を宣伝し、人気があることがすごく嫌だったんですね。

殺されてしまうから声を挙げられない自分は、その人がそばで活躍するのを見ているしかない。でも、なんだか自分の信条が置き去りにされていく、無視されていく、つまり、自分自身が置き去りにされていかれるような気持ちになっていたんです。

こういったところが見えてくるまで、彼女は「成功している同業者を嫌う自分」を恥ずかしく感じ、責めてもいました。

最終的には「自分が本当に思っていることを話したら殺される」と思っている部分の自分を癒すことで、その人はその人でいいんじゃな~いぐらいまで緩んだのです。

これは無数にあるうちのほんの一例に過ぎません。いずれにせよ、私自身の自己ワークでも、クライアントさんへのワークでも、誰かを嫌ったり、憎んだり、批判したりなど、強い分離感を持っているときは、

「セルフイメージ」「自分の大切な人」「自分の大切なもの」「自分が深く信じている思想」など、自分が同一化してしまうほど大切で守らなければいけないもの、

または、

一生懸命隠している、絶対知って欲しくない部分の自分(ダメな私、バカな私、etc)や守り通して見せないでおきたいもの。

という「守りたいもの」を必ず見つけることができます。

つまり言い換えれば、守りたいもの、握り締めておきたいものが多いほど、人間関係において分離感も強くなるんです。

では、なせそもそもセルフイメージとか、信念とか、そういったものを私たちは握り締めているのでしょう?

自我の構造を考えた場合、自我とは体と思い、感情(&感覚)の集積です。私の体、私の思い、私の感情(&感覚)・・・・というように。難しい理論を持ち出さなくても、自分を振り返れば、これらが自分の構成要素であることは分かるでしょう。

ということは、ある意味、

自我=セルフイメージ、ビリーフ、信念といったものの集積なんです。

つまり、セルフイメージ、ビリーフ、信念といったものは、自我にとっては自分そのものなんです。なので、それらを手放すということは、ある意味自分の死でもあるんですね。(もちろん無意識のレベルで)

例えば、ネガティブなセルフイメージをどうしても手放せない場合も、深いところで、自分がいなくなるよりましだと思っていたりすることも多いんです。

ということで、大切なビリーフほど私たちはしっかり守ろうとするし、考えを攻撃されると自分が攻撃されたと受け取り、様々な感情が出てきます。

カウンセリングやセラピーで、こういったビリーフを緩ませていったり、すべての感情の奥底にある「愛」を度々経験していくことで守りの壁が落ちていき、か~なり楽になっていきます。ほんと。

と同時に、もし、真の自分は「気づいている意識」のほうだと認識できれば、必死に握りしめていたものは、ただの思いだということもよ~く見えてくるはずです。

しかも、そもそも守らなければいけない自分などいなくて、ただそういう思いがあるだけであることも。

それが見えてくれば、自分にとって苦しみとなる「守っているもの」、つまり手放してよいものと、愛の思いから守っていたいのものの区別がつくようになるでしょう。

自分の癒しを進めていくことと、ノンデュアリティの理解を深めていくことは、お互いにサポートしてくれることも多いなぁとつくづく感じています。

ここ数年の欧米のノンデュアリティシーンでは、心の癒しとノンデュアリティの融合がますます強いトレンドとなっているようです。前回、そして今回の「科学とノンデュアリティの国際会議」でも、トラウマの癒しやサイコセラピーとの融合といったテーマでの会議がいくつもありました。

もちろん、一方で癒しとノンデュアリティはベクトルが真反対に向くことも多く、ケース・バイ・ケースの繊細さがそれなりに必要です。

ということで昨年に引き続き、名古屋と大阪で「ノンデュアリティと癒しのカフェ」を開催いたします。基本的にはノンデュアリティが中心のお話し会です。ご都合がつきましたら、ぜひいらしてください♪

☆☆☆☆ お知らせ ☆☆☆☆

「ノンデュアリティと癒しのカフェ」

名古屋:5月14日(土)、大阪:5月15日(日)

お申し込みはこちら

癒しをスピードアップさせるコツ♪

もし、あなたが癒しをスピードアップさせたいと思ったら、そのために何が役に立つと思いますか?

もちろん、その人の状態とか人それぞれ違うでしょう。が、それでも私は「思考と距離を置くこと」と言ってしまいたいのです。

思考を眺めるとか、自分の思いに気づいているとか、そういうことです。これができていないと何も始まらないとさえ思っています。

かつてロンドンにある書店で、ぼーっとベストセラーコーナーの前に立っていたとき、ある若者が “この本めちゃくちゃ良いから。絶対お薦め!”と熱心な声で指差した先が、エックハルト・トーレの「The Power of Now」でした。(これ前にも書いた気がする)

そんなに言うならとつい買って、家で読み始めたところ、1ページ目から目からウロコが落ち始め、読み終わったときには全身のうろこが激しく落ちていました。(笑)

で、あらゆることが三日坊主に終わってしまう私ですが、思考のおしゃべりに乗っ取られるのは辞めよう!と深く決心し、その日から自分の思いを眺め始めたのです。

始めは、「ただ考えている状態」に慣れすぎていたため、思考を眺めるのがとても不自然で億劫に感じました。ので、一日1分みたいな短い時間から始め、長くやるというよりは、その回数を増やすというやり方で行ったのです。

すると半年も経ったころでしょうか、思考を眺めることが普通に自然にやれるようになってきたのです。で、今振り返っても、この恩恵は計り知れないと思っています。

これは、お金もスキルもなにも要りませんのでほんとお勧めです♪

とはいえ、始めのうちはどちらかというと、思考が思考を観察しているような感じになる人が多いかなと思います。例えば、“私は今~~と思っているのだ、そうかそうか”というように思考を眺めて、それを思考が確認しているみたいな。

最初のステップとしては、これでもぜんぜん良いかと思います。ただ、人によっては眺めている思考に対する思考のコメントがうるさすぎて(“ちっ、またこんなくだらないことを考えている”)苦しくなる人もいます。

ので、次のステップは、そういったコメントもただ単に眺めて流しちゃいます。そういう思いがあるなぁと気づいているだけで充分です。

また放置してしまうことで、思考のパワーは勝手になくなっていきます。

ちょっと例えを使ってみましょう。

これが雲を眺めるエクササイズだったとして・・・。

思考が思考を観察している状態とは、雲(思考)の上に乗ったまま、他の雲の動きを見ているような感じです。

ですがここで言う「思考を眺める」とは、雲から完全に降りてしまって、青空に浮かんでいる雲をただ眺めている感じです。このほうが雲の様子がよく見えませんか?

ちなみに、思考に振り回されてぐるぐる行き詰っているときは、雲の上にも乗っておらず、完全に雲の中に取り込まれ、青空も目に入らなければ、俯瞰した視点もまったくない状態です。

こんなふうに思考にはまったまま、癒そうとしても、思考が邪魔をして遅々として進みません。癒しの方法や癒しの進み具合、セラピストさんに対してなど、いちいちあれこれ思考が走り、ものごとを複雑にしてしまいます。

思考にはまっているから苦しい、でも同時に、思考にはまっているから抜け出せない・・・という行き詰まり状態になりがちです。

とはいえ、じゃぁ眺めれば良いのだ~と言っても、それもなかなか難しくありませんか? 私たちはどうしてこれほど思考に呑み込まれてしまうのでしょうか?

例えば、目をつぶって“今日は晴れだ(雨だでも)”と思ってみてください。そこになにか感覚や感情があるでしょうか?

で、次に目をつぶったまま“近いうちに消費税が10%になる”と思ってみて、さっきと比べてどうでしょうか? 何かちょっと感情や感覚が走りませんか?

では、最後に“~~さんに馬鹿にされた”、“私は本当はできていない”、“メールの返事が来ない”とか、直接自分に関わるネガティブな思いを思ってみてください。一番最初の思いと比べて何か重量がありませんか?

思い、そして感情&感覚、体は、基本的にいつもコラボしています。

ですので、感情や感覚を強く引き起こす思考は、強烈な三位一体のコラボとなり、私たちは瞬く間に取り込まれてしまうんです。

繰り返しますが、「を巻き込む思考」に私たちは呑まれやすいんです。なのでここでEFTやマトリックス・リインプリンティングなどの感情解放のツールが役立つんですね。

感情や感覚が体からなくなってしまえば、思考を支えられなくなるので、自然に思いもなくなったり、もっと緩やかなものに変わったりします。

さて、でもこういった苦しみを生む思いよりも、意外にやっかいな思考は、おそらく「大切そうな思考」、「当たっていそうな思考」、「自分を支えてくれそうな思考」などでしょう。

例えば、「生きる目的を持ったほうがいい」、「癒しとは、~~~という感じで進むもの」、「私は以前よりずっと分かっている」などなど。

こういった思いは、なんとなく良いことのように感じるので、スルーしてしまいがちです。しかし、自分を振り返ったとき、一番手ごわいのは、実はこういう微妙な思考だなぁとつくづく感じるのです。

知らないうちにその思いに固執し始め、柔軟性を失ったり、真実を見過ごしてしまったりするからです。

でも、たとえ思考に巻き込まれながらでも、雲から降りる習慣がつけば、ある思いはまってしまっていることにも気づけるようになるでしょう。そうやって気づけて手放せるようになればなるほど、思考の中ではなく、もっとハート中に安住できるようになりますね♪

 

インテグレイテッド心理学

本日よりインテグレイテッド心理学講座の募集を開始いたしました~!(と昨晩書いて、今朝見たら、全講座すでに満席となっていました。ありがとうございます!)

心理学というと、普通は学問を指すわけですが、インテグレイテッド心理学は心理学といいながら、まったく学問ではありません。私自身はアカデミズムもそれなりに好きなので、心理学系、哲学系の本なども昔はよく読んだものです。

ただ、このブログにも何度も書いておりますが、今まで何千というセッションをしてきた経験上、理論や分析がまったく役に立たないことはもう心底身にしみております。

で、私が密かに疑問を抱いているのは、過去の著名な心理学者たちは、自分自身の心の深いところをどれぐらい分かっていただろうか?ということです。

大学で心理学を教えている教授も、自分の心の深いところにどんな思いや感情があるのか知っているかな? 心療内科や精神科の先生はどうだろう?

聞いたことがないのでもちろん分かりませんが、もし、これらの専門家が自分自身の心の中にある闇、抑圧された思いや感情、それらがどう自分のものの見方、感じ方に影響しているのかが分かっていれば、もう少し世の中には楽になっている人が増えているはずではないか?と思ってしまうのです。

かつて私自身、自分と向き合おうと思ったとき、“嫌なことを思い出さなければいけない”、 “惨めな自分を見たくない”、“自分が思っている以上に私はダメかもしれない”・・などといった思いがわんさか沸いて、決心したのに半年以上始められませんでした。

しかし、なんとか重い腰をあげて、いやいや向き合ったとき、そこにあったのは、置き去りにされた傷ついた自分とそこに付随している感情や思いがあるだけでした。

自分と向き合うとは、つまり、泣いている自分、忘れられた自分、心細い自分、一人ぼっちの自分・・・を救いに行ってあげることなんだとよ~く分かったのです。

これらの自分を“ネガティブな感情”、“ネガティブな思い”とさらに批判し、向き合うなんてとんでもない!と、抑圧してないふりをしていたから、苦しかったわけです。

で、抑圧されたものは必ず周囲に投影されますので、例えば人間関係であれば、あの人は私を軽く見ている、あの人は私を信頼していないなどと感じたり、人生のあれこれにふか~い投影をし、苦しみを強めていたのです。

そういう意味で、インテグレイテッド心理学は、私たちのこころのしくみ、そして心の深いところを見ていくものです。

そして、多くの人にできれば経験してもらいたいなぁと思うことは、自分の深いところを見ていけば行くほど、どんなネガティブな感情の下にも必ず愛があるということです。最後はそこにしか行き着かないんですね。

“すべては愛である”と頭でいくら理解してもまったく意味がありませんが、こうやって経験していくことで、自分の体験として分かってくるんです。

“愛ってなんですか?”という質問を頂くたびに、まずは自分の中にある愛を感じて欲しいと思うのです。それを幾度も経験すれば、だんだんそれは「私の中の愛」ではなく、ただある普遍の愛だと分かるはずだからです。

もちろん、これを実感しても、何かが起これば感情的に巻き込まれることもあるでしょう。しかし、大丈夫感がそれを支えてくれるので、回復力がまったく違います

さて、話を戻します。

インテグレイテッド心理学のもう一つの特徴は、ご存知の通り、悟り(非二元)をベースとしていることです。「奇跡のコース」に記述されていた自我の働きがあまりに目からウロコだったため、当初はほぼそのまま採用していました。(最近はだいぶ変化しました。)

そして何よりも私にとって大きかったことは、それによってセッションで結果を出せるようになったことです。一見当たり前のことですが、一人の人間が苦しい状態から楽になっていく過程をサポートするのはけっこうな仕事です。

かつて自分の勉強のためと思い、ロンドンにあるアルコール依存症回復センターでボランティアをしていたときがありました。しかし、そのときセッションルームで話される数々の悲惨なストーリーの前に、私は無力感に打ちひしがれていたんです。知識はいろいろあるけど、なにを聞いたら良いのかまったく分からなかったからです。

しかし、インテグレイテッド心理学を基に、まず自分の心を一年以上見つめたおかげで、セッションの効果が飛躍的にアップし、新規のクライアントさんを断るまでになりました。(長い話を超短くしています)

通常の心理学では、人を完全に「個」として扱います。個(分離)とは幻想であるという視点はほとんどありません。地球上の多くの人の世界観に反することは入らないんですね。

ところが、人間の根本的な苦しみはそこから始まるわけで、これを抜きに語るわけにはいかない!と心から思うのです。

また、自我(通常の私たち)が自我を観察することはかなり無理がありますが(自分が自分を見るのが一番難しいように)、自我の視点を離れたとき、つまり非二元の視点で自我を見たときに、もっと鮮明に自我の性質や働きがよ~く見えてきます。

なので、自我目線ではない悟りのティーチャーやメッセンジャーの話などは、非常に参考になりますね。(バイロン・ケイティ、エックハルト・トーレ、アジャシャンティなど)

ですがもちろん、この講座は悟りや目覚めを目指しているわけではありません、あくまでも私たちがどう楽に自然に生きていくか?がテーマです。

非二元とこころの癒しは、重なり合う部分もあれば、ベクトルが間逆に向いているときもあります。そういう意味で、両方を同時に語ることはほんと難しいなぁと感じることもしばしばあります。

でも、真実が癒しのベースになったとき、単純に傷ついた心を癒すだけではない、もっと深いレベルの癒しが実現できるでしょう。それは、深い深い夢から覚めていくことの始まりでもあり、埋もれていた真実の芽の誕生となるかもしれません♪

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セラピストと古刑事、そのこころは?

前回の記事にコメントをくださった皆さん、ありがとうございます。(*^_^*) 日本滞在中の忙しさがピークになっておりまして、なかなかお返事ができません。でも、とても感謝しております。

さて、 “さんざん癒しのワークをしてきたのにまだ同じ問題にぶつかる”、“こんなにやってきたのに、まだ癒されていない”、“きりがなくて嫌になる”といったお言葉をけっこう耳にします。

また同時に、セラピーの講座などで“もうそのテーマは癒したから大丈夫”、“私は悟りを実践しているから、今悩みはないです”とおっしゃる方々にもお会いします。

ところが実際ワークを始めると、抑圧された感情がコチコチにあるにもかかわらず、自己防衛がガッツリ走り、まったく手が付けられないというケースもそれなりにあります。

さんざんワークをしても思っていたように楽になっていない場合、よくあるのは、そんな自分に向き合っているのが辛くなり、無意識に“大丈夫な私”にしてしまうことです。

そんな場合、今までやってきた自分の癒しや悟りの知識などでしっかり自分を守り、もうそれは分かっている!の一言で、自分の中に目を向けようともしなくなります。

こういったタイプの人にワークをするのはかなり難しい、というかほとんど不可能です。

ちなみに、さんざん癒しのワークをやってきたのに楽になっていないという場合、一番多いのは、ご本人は根本のレベルでワークをしたと思っているけど、実は深い所がまだ見えていないケースです。

一つのテーマは、たいてい一本の木のようになっていて、たくさんの枝があります。枝は細い枝ばかりではなく、それなりに大きいものもあるんですね。また、一つの枝にはいくつかの感情がついています。

ありがちなのは、枝のいくつかをワークしてワークをしたと思っているケース。木の根っこはまったくスルーされているケースです。

枝にワークをしていても、それなりにワークをした感、解放感がありますので、それでワークをしたと思ってしまうんです。

非常に多いです。ほんと。

他には、思考のレベルでワークをしていて、感情、体が置き去りになっているケース。

一つのある特定のセラピーだけでワークをしているケース。(取りこぼしがあったりします。)

などなど。

で、この本当は苦しいのに無意識に大丈夫にしてしまった場合、誰かを悪者にし、その人に怒りをぶつけることで少し楽なった気分になる・・・ということもしがちです。ネットなどその温床ですよね。

なので、まだ自分は苦しんでいると自覚している人はよっぽど良いです。

いずれの場合にせよ、カギは「自分に正直になること」ですね。

分かったこと、癒したつもりになっていないか? 自分に正直になってみることです。これは意外に難しいです。私もほんとうに何度も“そこはもうクリアした”というような思考の罠に陥ったことか。

“前は~~が見えていなかったけれど、今の私は違う。だから、もう見なくても良いのだ”などなど、思考は巧妙に横入りしてきます

ので、考えを横に置いて体に集中して問うてみると良いかもしれません。

また、“ノンデュアリティと癒しのカフェ”でも、質問は非二元についてですが、質問の動機自体は、自分の悩みを解決することであったりすることもとっても多いです。

“自分の人生の悩みは、このノンデュアリティの真実で解決されるかもしれない・・・・”という思考に乗ってしまうんですね。分離がないと分かれば、人間関係の苦労から逃れられるかも・・・・といったような。

ですが、その前提自体が誤った認識でいれば、迷路に迷い込んで行くばかりです。

また、真実を知りたいという動機が自分の悩みの解決だった場合、おそらく真実も見えてこないでしょう。自分をどうにかしたいという思いが最後まであり、自我が頑張ってしまうので。

なので、本当に望んでいることは何か?を見つめ、今自分の一番正直な思い、感情をスタート地点にしてみるんです。

正直とは、言ってみれば、今自分にとっての真実ですね。真実をベースにすれば、新たな真実がそこからまた開いていきます。

これも何度か書いていますが、私は自分のカウンセリング&セラピーを「現場主義」と呼んでいます。今、その人の心の中になにがあるか?というシンプルな“事実”をベースにしているからです。

その人の心の中といった場合、抑圧された部分(=本人がまったく気がついていない思いなど)ももちろん入ります。今、その人の中で何が起きているのか?その人の自我の構造はどうなっているのか?をひたすら引き出していきます。

私自身の分析や推測、アドバイスなどは一切入りません。それをしたとたん、現場から離れてしまうからです。

例えが悪いですが、刑事が現場検証や取調べなしに、勝手に何が起きていたのかを分析したり、推測しても意味がないのとまったく同じです。

べたな刑事ドラマみたいに、エリート長官ではなく、私は現場の古刑事なんです。あはは。

で、べたな古刑事と同じことを言いますが、現場はすべてを教えてくれるんですね。

違う思いや勝手な推測で覆わずにシンプルにただまっすぐ見てみる。そして、それらがどんなネガティブな思いや感情でも、受容し、批判の声(こんなこと思ってはいけない、まだこんな思いがある、etc)で蓋をしないこと。

そのとき、私たちは初めて自分の深いところと愛ベースの関係を作り上げることができます。

癒しとは、問題を取り除いたり、嫌なものをなくしたりすることではなく、自分の中にある愛と再びつながること、その一言に尽きるかもしれません♪

 

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