安心したいなら自分を守るより大切なこと

悟りとか非二元とか聞くと、日常生活とはあまり関係ないことのように思えるかもしれません。が、やっぱり私たちの心の悩みから社会の歪みまでやっぱり密接に関係していると思うのです。

まず、多くの私たちは自分は個として存在している、自分と世界、自分とほかの人というように、自分とほかのものは分離していると強く感じているはずです。で、その世界観(幻想)の中で一番必要なものって何でしょう?

そう、まずは安心安全でいること。

振り返ってみれば、どうして好きでもない仕事を続けるのか?
どうして自分を押し殺してでても人に合わせるのか?
と考えてみれば、それはとりあえず食べていける安心、受け入れてもらえる安心があるからですよね。

その証拠にもし誰かに“あなたは自由ですよ。好きなように生きて行けるのです”と言われ、さぁ、自由の一歩を踏み出そうとすると、きっと恐れが湧いてくるはずです。

その恐れってなんでしょう?
失敗するかもしれない恐れ、
みんなに笑われる恐れ、
先が見えない恐れ、
自分には能力がないかもしれない恐れ、

人それぞれいろいろな恐れが湧いてくるでしょう。

そこでついとりあえず安心安全な「今の状態」にいたくなる。

実は脳科学の観点からも自律神経の観点からも人間(哺乳類)は、安心安全を求めるように出来上がっているんです。死ぬほど大雑把に書くと、危険だと感じたり、恐れを感じると、脳や自律神経が戦うか、逃げるか、またはフリーズするかというモードになります。

しかし、安心安全だと感じられると、社会迷走神経(詳しくはポリヴェーガル理論をご参照ください)になり、このとき脳も神経もバランスの取れた健全な働きをします。

つまり、単に精神論だけではなく、身体的にも私たちは恐れのほうへ向かうのを良しとしていないんです。ということで、心と体の両方が“安心安全でいたい”というのですから、自分の快適ゾーン(それが嫌な状態であっても)から踏み出すのは難しいですよね。

でも私たち(自我)が集団で勘違いしているのは、安心安全が分離した自分を守ることにあると思っていることです。

分離していて、しかも死がある(永遠の存在ではない)自我にとっては、食べて行けるという身体の生き残り、受け入れられているという精神の生き残りはとても大切です。(インテグレイテッド心理学で詳しくお話します)

自分の生き残りのために、自分を守っていく・・・・。ん?それのどこが悪いの? ある意味本能ですから、どこも悪くありません。

でも、“自分を守る”は、往々にして“自分、または自分の家族だけとりあえず良ければ・・・”という思いになりやすく、そしてそれはまた、“自分さえ良ければ”につながりやすいですね。

また、お金がある、パワーがある、権力がある・・・・などは、すべて生き残り率をうんと高めてくれると自我が思ってしまうものです。

しかし、もう一度脳科学と自律神経の話に戻ってみると、安心安全をいつ哺乳類が一番感じ、したがって、脳や神経が安心安全モードになるかというと、それは周囲とつながっていると感じるときなんです。

どんなに経済的な環境がそろっていても、どんなに良い子と周囲に思われていたとしても、親の愛を感じられなければ、子供の脳や神経は決して“安心安全”モードにはなりません。

つまり安心安全のキーワードは、“自分を守る”よりも“つながり”となります。そこで、一番最初につながりたいのが「自分自身」です。

私たちは毎日自分のことを考えているので、自分とはつながっていると思い込んでいるものです。

でも、自分の本心を知らないとき、私たちは自分とつながっていません。また、自分の感情に気がつかない、自分が疲れているかどうかも気がつかないとき、または、自分を責めたり、否定したり、自分にウソをついているとき、私たちは自分とつながっていませんね。

自分とのつながりを失えば失うほど、心も身体もバランスを崩し始め、そこから心の病やまたは身体の症状として現れてきます。

また、その状態で他者と交わるとか、社会の中で活躍するというのは、エネルギーが反対に向きすぎて難しいでしょう。

ということで、やっぱり自分との対話はとっても大切。自分の本心を知って、受け止めてあげること。自分の中の否定や批判、抑圧、抵抗をと対話して、紐解いてあげること。

そうするうちに人とのつながり、社会とのつながりが自然とできるようになりますね。人間も哺乳類で、基本的に群れて生きるように作られていると思うのです。なので、本来はつながっているのが自然な姿で、そこに安心安全を感じる生き物でしょう。

とはいえ、昔のように部落を作って住みましょうとか、大家族に戻りましょうとか(私は好きですけど)、そういうことを提案しているのでもありません。

人とのつながりを感じられるのは、理解、共感といったものです。それが広がった社会であれば、精神が前向きで、そして脳も活発に効果的に機能し、活力満ちた世界になるはず。

ひるがえって自己責任論は、つながりがなく、一人で頑張れ、一人で責任取れという脳や神経が緊張し、疲弊したり、フリーズしていく社会だと思うのです。

さ~て、ここまで書いて本当は一番書きたいことを我慢してきました。

それは、もちろん“私たちの本質”というもの。いきなり飛びます♪

自分の中に必ずある真の安心安全な場所。 “人生”を経験している誰かはいないということ。すべては神の夢(リーラ)であると知っている場所。

奇跡のコースの言葉を借りれば、“あなたは悪夢を見ているだけで、一度も暖かいベッドから離れたことはない”

本当はいつも安心安全♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

今日の記事とリンクしているセミナーをもっと細かくお話しさせて頂きます。

人の心が病むのはなぜだろう?
なぜ、被害妄想や強迫観念、パニック障害、依存症や鬱になるのだろう?

心の病はたまたまなるものではないはず。だとしたらどういうメカニズムでどのように健康状態から病の状態へ移行していくのだろうか?

心のしくみ、脳や自律神経の機能、悟りの真実の観点から。

2019年11月30日(土) 13時半~16時半
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癒しても癒しても終わらないワケ

☆今回はいきなり本質から入って、そして自我と癒しのお話♪

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本質を見過ごしている限り、癒しは永遠に終わらないだろう。

本質を見過ごしている限り、幸せはいつも桃源郷の中にあるだろう。

分離した自分がいるというものすごく精密かつ巧妙にできている幻想の中で、私たちは自分の癒し、自分の幸せを求める。

もちろん、ものすごくリアルな世界の中で心軽く、幸せに暮らすことも“ある期間”は可能だ。でも、生命の性質に従って、すべては移り変わり、生まれては消えていく。または、幸せが絶望に、絶望が幸せに移り変わっていく。

分離を信じている時点で、私たちは本質を見失っている。

自分がいると思っている時点で、私たちは本質を見失っている。

自分の人生が確実に存在していると感じている時点で、私たちは自分の本質を見失っている。

“私が悟るのだ”、“私が癒されるのだ”と思っている限り、その旅は永遠に終わらないだろう。

それよりも、その“私”が幻想であると目覚めたとき、私たちは本質の手の中に落ちていく。

でも、

“私”にはたくさんの大切なものがあって、それを手放すことはとうていできない。

私の愛する人、愛するもの、私のいきがい、私がこれまで積み上げてきた成果、私の夢・・・。

これらは、“私”のとても大切な宝物。私がいないなんてわかったら、これらはすべて霞の中に消えていってしまう。こんなに頑張ってきた私がいないなんて虚しすぎる。

こうやって、“私”は本質に目覚める幸せを願いながらも、自分の夢の中に戻っていく。本当は、本質が夢も生きがいもすべて与えてくれると知らずに。

夢の中で真の幸せは見いだせないと本当に分かるまで、“私”は何度も夢の中に戻っていく。

そして、それで良いのだろう。

植物が少しづつ芽を出すように、私たちの中の本質を呼ぶ声も少しづつ育っていくのだから。

だから、しばらくは夢の中から本質に憧れるのも良いのかもしれない。

本質をすっかり忘れ去って、夢の中の人生だけに囚われない限り♪

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ある程度、自分癒しをしていると必ずぶつかる壁が、“いつまで癒せば良いんだ、ワークしていると限りなく何か出てくる”、“前と比べるとずいぶん楽になったけど、コアの部分が変わっていない気がする”というものかもしれません。

これは私自身もずいぶん感じてきたことです。でも、自我がどう自我として存在しているのか?が見えてくればくるほど、癒しが終わるはずがないなということも分かるんです。

ということで、なぜ? なぜ終わらないの?

というのも、自我とはある意味、分離感をベースに存在している投影マシーンだからです。

もう少し説明しましょう。

分離感とは、「私と世界」、「私とあなた」、「私とそのほか」というように、私以外の何かが自分の外に存在します。

なので、必ず世界やあなた、そのほかのものを解釈せざるを得ません。

そして、自我とは、「思い」と「感情、感覚」、そして「体(分離の象徴)」で構成されていますね。

体が、私は分離している~と主張し、思いと感情が世界や他者を解釈していきます。ある自我は、世界は楽しいと解釈し(投影)、ある自我は世界は恐ろしい場所だと解釈(投影)します。

こう書くととてもシンプルですが、体がどれだけ緻密に出来上がっているか(体に関して解明できないこともまだたくさんあります)、また、思いや感情の体系がどれだけ複雑であるか、そして心と体のつながりなど、細胞の機能から心の微細な動きまでを考えてみれば、自我とは非常に優れた生命の創造物だと分かるでしょう。

AIなど足元にも及びません。

でも、この精密な投影マシーンは、その精密さゆえに自分が存在していると勘違いしてしまいます。当たり前です。名前だって与えられますから。

そして、自分癒しを始めると、ついこの精密な思考・感情体系と体がピカピカになって、癒すところがない状態になるはずと思ってしまう。

ところが、分離していることがベースになっている限り、どうしてもそこには恐れがあります。

そして、恐れがある限り、自我が思い描く(少なくとも私は思い描いていた)、いつも穏やかで楽しい私はどうしても実現しません。

分離とは言い換えれば、「飢えと恐れ」ですので、自分が分離していると思っている限り、これはどこまでもつきまといます。

じゃぁ、本質に一気に目覚めてしまえば、自我の苦しみぜんぶチャラになるんじゃない?と思われるかもしれません。

残念ながらこちらもノーなんです。(この点は長くなるので、違う機会でまた書いてみたいです)

空(気づきの意識)と色(自我)は、分けることができず、自我意識を完全に消すというのは、夢物語です。

自我意識がある限り、自我のなかにトラウマがあれば、それは強力に自我を夢に戻します。または大きな抑圧された飢えがあれば、いくら真実が見えていても、無意識に自分も人も傷つけてしまいがちです。

では、どうしたら良いのでしょう?

自分の中にある緊張した感覚、そこにあるストーリー、思い込みを見つめ、癒し、そして気づきの意識にくつろぐ。癒しと本質への目覚めの両輪でいくんです。

そのうち、癒されない苦しみでさえ、生命の表現として慈しむことができるようになるまで。そして、それはぜんぜん難しいことではない♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

自分の本質について、癒し、自我、人生についてのお話会です。

10月の会は満席となりました。

11月10日(日)、12月22日(日)も同じ場所、同じ時間で開催いたします。

次回案内ご希望のかたは申し込みフォームからどうぞ♪

日程:10月20日(日)13時~15時半(満席)

11月10日(日)10月上旬、募集開始予定
12月22日(日)11月上旬、募集開始予定

場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
http://www.ko-o-ri.com/contents/information.html

参加費:5000円

お申込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/F4TPE

誤解されたと思ったとき・・・

ロンドン郊外の今日の気温はなんと18度。みんな頭が夏モードなので半そで来ているけど、寒そうに見える。

さて、今日のお題は「誤解」。何を隠そう、私は誤解されるのはすごく嫌なんです。たぶん、私だけではなく、きっと多くの人が自分が誤解された、誤解によって批判や否定をされたと思えば、その誤解を解きたくなるはずです。

とりあえず、私はすぐにどう誤解を解くか?と考えてしまいます。言い換えれば、防衛ですね。私は悪くないのだと証明して、自分を守りたい。

で、ただ誤解を解こうとするだけではなく、ついでに“そんな誤解するなんてアホじゃないか、お前こそ間違っている!”と怒りも湧いてきます。つまり、相手を攻撃したくなる。

例えば、“そんなことをするなんて、なんて卑怯な人間なのだ!”と言われたとして、自分は“えっ、そんなつもりじゃなくて、それはこういうことで・・・”とすご~く言いたくなるし、誤解だとわかっていても、腹が立つし、傷ついたりもします。

えっ、私のどこが卑怯なの?私は卑怯じゃない!あなたは間違っている!!みたいな。と、同時に、ひょっとして私って卑怯? そう思って振り返ってみると、確かに自分には卑怯なところもある。言われても仕方ないのか、でもなんかモヤモヤする・・・。

というわけのわからない感情と思考の樹海の中をいつの間にかさまよい歩いていたり・・・・。

もちろん、自分の思いや事実を説明することは、自分を大切にするという観点でしたほうが良いと思うのです。

でも、自分にも卑怯なところがあるし・・・とか思ってしまうと、それもどこまでして良いのか分からなくなるかもしれません。

また、もし相手に自分の思いを伝えたとしても、“なるほど、自分が間違っていました。ごめんなさい”と言ってくれる確率がどれぐらいあるかどうかも大変怪しい。

どちらかというと、相手に言い返される確率のほうが高いかも。そして、相手との行く先が見えない戦い?(対立、分離)がやはりモヤモヤと続く。

言わなくてもモヤモヤ、言ってもモヤモヤ。

どうしたらこのモヤモヤした樹海から抜けだすことができるのでしょうか?

ということで、誤解されたと思ったとき、心の中で何が起きているのか、少し見ていきませんか?

例えば、あなたは卑怯な人間だ!と言われとき、これはある意味、本当は黄色のジャケットを着ているのに、“なにその赤いジャケット?”と批判されたような気分になっているはずです。(この例え良いのだろうか?)

なので、“私は赤いジャケットなんか着ていない!これは黄色だ!”とすごく言いたくなるみたいな。でも、その訴えもむなしく、その人の中で赤いジャケットを着た自分が勝手に一人歩きしているような感覚・・・。

つまり、誤解を解かない限り、卑怯な私がある種の実体をもってきてしまうような落ち着かない感じ。人から押し付けられた自分像が自分自身よりも大きくなっていってしまうような恐れ。ほんとうの自分自身が間違った自分像に消されていくような感覚。

モヤモヤ、モヤモヤ。

このとき私たちを救ってくれるのは、もちろん、自分をきちんと見つめて、“私は黄色のジャケットを着ている”ときちんと事実確認をすることですね。つまり、私は私の真実をちゃんとわかっているということ。

これが私だ、私は真実を知っているから大丈夫。真実は必ず私を守ってくれるという原点に戻っていくことでしょう。

黄色のジャケットとは、自分の真実、自分のまっすぐな情熱、自分のビジョンです。そして、それを日々生きているということ。(黄色のジャケットを毎日着ているということ)

なので、相手に伝わらないとき、誤解が解けないと感じたき、最も大切なことは、自分がこれらを忘れないでいることだと思うのです。

そうすれば、押し付けられた自分像は自分の中で影響力を失っていくでしょう。

しかし、それがあやふやであれば、あなたは~~~な人です、と言われるたびに、私たちの心は右往左往してしまうはずです。

さて、自分の真実、情熱、ビジョンとは一言でいえば、その人なりのハートのことです。バラがバラになり、タンポポがタンポポになるように、その人が持っているもっともナチュラルでその人の中にある自分らしい開き方、その人なりの色、パッションです。

ところが、私たちはどちらかというと、ハートよりも自分像をベースに生きてしまっていることが多いものです。

例えば、自分は大した人間ではない、取るに足らない存在だといった自分像があった場合、その思いにふさわしい行動をし、その思いにふさわしい経験をしていきますよね。つまり、ハートよりも自分像のほうが人生を歩いているわけです。

でも、自分像というのは、よく見てみると、そこには思い込みと感情、そしてイメージがあるだけです。つまり、どれも実体のないものです。

しかし、本人にとってはそれは事実そのもので、それが現実だと思って真剣に生きてしまうわけです。もちろん、自分はそういう人間だと思い込むほどの環境や出来事があったからで、そう思ってしまうことが悪いわけではありません。

刷り込まれた思いに心の傷がたくさんついているほど、私たちはハートよりも自分像を生きてしまうでしょう。しかも、ハートを育てるよりも、ポジティブな自分像を作る(変わりたい、違う自分になりたい、良い自分になりたい)ほうに邁進しがちです。

でも、自分像を生きるとは、思い込みが一人歩きしているような状態です。なので、それがたとえポジティブなものでも、そのポジティブなイメージを守る必要がでてきます。

でも、もし思い込みではなくハートを一人歩きさせたら?

そのとききっと私たちはイメージという実体のないものを超えて、生命という確かなものが私たちを支えてくれるでしょう。

あっ、でも、癒しの順番として、まずはポジティブな自分像に落ち着くちというのは十分にありです。そしてそこからハートにシフトしていくのも良いですね♪

ハートというもっとも存在の真実に近い場所、強さと優しさの源、そこに何度も立ち返りたい。

誤解を解く戦いから自分を解放し、正気に戻れる場所、そして本当に自分でいられる場所♪

うっすら不幸感と炎上のしくみ

世の中を見まわして、なぜこんなに生きづらい人が多いのだろう?
なんか社会がギスギスしている感じがするのはなぜ?
なぜYouTubeのコメント欄にはびっくりするような誹謗中傷があったりするのか?
そして何よりも、私はなぜ幸せな感じ、平和な感じがしないのだろう?

と思ったりすることは、おそらく誰にでもあるでしょう。

ということで、いきなり悟りと非二元の世界に飛んじゃう。

非二元本である「奇跡のコース」には、「罪悪感」を癒す大切さが何度も出てきます。私たちの心の深層にある罪悪感を癒すことが本質への目覚めにつながると・・・。

ここでいう罪悪感とは、何か悪いことをしでかしてしまった罪意識というよりも、“何か自分には欠けているところがある”、“なんか自分はうまくやれていない”といった、自我の根底にある自己否定を指しています。

自分の本質である「純粋意識」、仏教でいう「空」という、分離もなく、身体や思いでもなく、そして時空もない、純粋意識な意識そのものである自分を忘れ、自分は分離した存在であるという勘違いをしたとたん、「全体でない、何かが欠けた分離している私感覚」が生まれます。

つまり、人生が何一つ始まる前に、この勘違いから生まれた罪悪感が私たちの中にすでにビルトインされているんです。

そして、生まれ育つ過程で、 “頑張らないといけない”(=今のままではダメ)と思わされたり、家庭環境が暴力に満ちていたり、または衣食住に欠けていたり、または学校でいじめに遭ったりなど、私たちの中にもともとビルトインされている「自分ダメ感、自分足りない感」がさらに強化されてしまいます。

このように大きくなってしまった罪悪感は、普段、うっすらとした不幸感や不満、または不安や恐れ、怒りといった形で表面に現れてきます。しかし、日常の忙しさの中で私たちはそれらの感情に気づくことはあまりありません。

たとえ気がついたとしてもどうしたら良いかわからず、せいぜい気をそらす何かを見つけるぐらいです。

ですが、この私たちの中にある未処理の罪悪感は、必ず外に向かい、攻撃する相手を見つけ出そうとします。(もちろん無意識)

なぜなら、誰か、または何かを攻撃することで自分が正当化され、自分が悪いのではないと落ち着けると無意識に思うからです。こうして無意識下で、常に「攻撃レーダー」が作動し始めます。

そしてまずは、一番身近な人がターゲットになります。ので、夫や妻、子供など家族が犠牲になること多しです。(たいていはお互いに攻撃し合う)相手の言動のいろいろなことが気に食わない、腹が立つ、許せない、おかしい・・・と、心の中が戦争状態になります。

ですが、家庭内での戦争に勝てなかった場合、くすぶりはさらに増えていきます。すると次に犠牲になるのが、職場の人々や近所の人など次に身近な人たちですね。または始めから、家庭と会社の両方で同時に戦っている人もとっても多いです。

しかし、なかなかそこも勝てる場所ではありません。そんなとき、誰か芸能人のスキャンダルでも起きれば、よっしゃ~!と罪悪感は勇んでコンピューターに向かい、自分が会ったこともない人を攻撃します。

つまり、炎上とは罪悪感のはけ口とも言えますね。どこかに吐き出さないと苦しい。心が平和で幸せな人にとってはそんなことをするほうが疲れるはず。

または特定のグループや民族を常に敵対視することもありますね。自分自身はその人たちから直接にはなんの被害も受けていないのですが。

しかし、罪悪感は自分が直接にはまったく何も被害を受けていないという事実はまったく無視し、他の罪悪感と呼応し合います。集団化してしまうんです。

グループの中で誰か一人がほかのメンバーを批判し始めると、他の人も一緒に乗って一人を攻撃するとか、大人の世界でもありますよね。

さて、でも残念ながら、どんなに自分の考えが正当に見えて、どんなに相手を攻撃したところで、私たちの心はまったくスッキリしません。なので、攻撃が終わらないし、罪悪感はうろうろとさまよい続け、不幸感はやっぱり残ります。

ということで、ほんと~にスッキリして心が平和でいるにはどうしたら良いのか?

そうです。皆さんもお分かりのように内なる罪悪感を癒すことです。

ここで難しいのは、相手や社会や状況を長い間批判してきたことで、自分の中に正論や怒りもしっかり育ってしまっていることです。

なのでまずは、正論の後ろに隠れている声、怒りを癒してあげることが必要なんですね。“なんで話聞いてくれないのよ~”、“私をバカにするな!見下すな!”、“いい加減にしろ!甘えんな!”といったような声です。

そして、それらの声の下にあるのが、“私を受け入れてほしい”、“私を認めてほしい”、“私も助けが欲しい”といったような声。

そしてそのさらに下にある声が、“私はそもそも受け入れてもらえない人間だ”、“誰も私のことなんか重要視しない”、“助けてくれる人なんていない”というような声。

そしてその下に(場合にはよってはもっと下に)やっと罪悪感の声があります。“私は存在自体が迷惑”、“私は透明人間”、“私は天から見放された存在だ”・・・。

そもそもこの声が生まれた理由には、その人特有のストーリーがそこにあります。それを丁寧に癒してあげたとき、そこから生まれていたいくつもの思いや感情も一緒に癒されていくんです。

どんな汚い言葉、キツイ言葉、乱暴な言葉が表面上に発せられていようが、最終的に傷ついた子供の声にたどり着くんですね。

もし、みんなが自分の中の罪悪感を見つめて、傷ついた子供の声を癒してあげることができたら、世の中はもっと生きやすくなるだろうと思うのです。

そして、さらに言えば、もし私たちが自分の本質を思い出すことができたら・・・・。ということで、最後にまた非二元に飛びます。

「本質の私」に立ち戻れば、どんなにリアルな思いも感情も最終的にすべて実体のないものです。移り変わりものはすべて基本的には存在しておらず、究極的には何も起きていません。(空)

あなたは悪夢を見ているだけで、ほんとうは暖かいベッドの中にいつもいるのだよと、「奇跡のコース」がいうように、自分を傷つけた相手も、傷ついた自分というのも存在せず、私たちは本質的に大丈夫なんです。

ということで、幻想とはいえ、「ユニークな個である自分」の大切な人生を時々本質に立ち戻りながら自分を表現していけると良いですね♪

投影~思考は現実化しない♪~

「非二元蓋」という言葉を春のノンデュアリティの会で話したところ、かなりの人が「非二元豚」と受け取り、非二元の知識で肥えてしまった豚という意味だと思ったそうです。あはは、それはそれで面白い。

ですが、音ではなく漢字で見ればそのまんまですが、苦しみを非二元のメッセージで蓋をしてしまうという意味です。私はいないはずだから、私の苦しみも幻想なのだ・・・みたいな。

他に、自己啓発蓋、スピリチュアル蓋などもありますね。

さて、私たちが苦しいと感じるのは、自分の中に抵抗や否定、抑圧などがあるからです。

自分を許せない、自分は他の人より劣っている、ありのままの自分でいてはいけない、自分はどこにも属さない、などなど、100万通りの抵抗や否定を私たちは抱えています。

例えば、新しい職場で働くことになり、緊張と期待で行ってみたら、職場の雰囲気が殺伐としていて、分からないことを聞ける感じではないとします。

このとき、意識の深いレベルで“自分は能力がない”と思っていたら、不安の度合いはどれぐらいあるでしょう?

とりあえず、職場のほかの人たちが自分をどう思っているのかがすごく気になったり、または常に他の人と自分を比べ、自分は出来ていないと判断して焦ったり、自分をさらに否定をしたりするかもしれません。

家に帰っても緊張が残り、次の日の通勤電車の中でも重たい気持ちになっている・・・・、そんな日がずっと続く。

解消されない思いや感情を毎日持ち続けるとエネルギーが下がり、苦しさも増していきます。

でも、私たちはどうしたら楽になるかなど知らないので、自我が一番良く知っていて手っ取り早い方法が、なんとか抑圧すること。

お酒やネット、食べることなどなどで気を紛らわして蓋をして抑圧する。または、苦しみが大きくなると非二元蓋や宗教蓋、人によってはドラッグなどが必要になるかもしれません。

もちろん、本当の意味ではまったく楽にならず、どんなに蓋をしても、それらの思いも感情もしっかりあります。

で、次にどうなるかというと、それを外に投影するんですね。

蓋をして自分の中にはないことにしたものは、ぜんぶ外に投影され、リアル感100%です。これを“思考が現実化する”と勘違いする人が非常に多いのですが、まったく違います。(ないことにしたので、自分ではまったく気づかなくなります)

そのへんを説明するのに、もう少しついて来てください。

例えば、自分が気づいていないけど、実はしっかりある思いは、「自分は思っていない→他の人が思っているのだ」になります。

つまり、周囲の人が自分のことを“お前は能力がない”と思っているように見えるんです。

なので誰かが、“ちょっとこのレポート分かりにくいです”と言えば、“能力がないと思われている!”と解釈したり、上司に“ダメだ、こんなやり方は!”などと言われた日には、この思いにヒットしすぎて、すごく痛い。

で、たいていは“上司は自分のことをダメだと思っている。自分なりに頑張っているのに。上司ならもっと丁寧に部下を指導するべきだ”などと、上司憎し・・・になったり、または、上司が怖い、苦手だ・・となったり。

これは、嫌な上司を引き寄せたのでも、バカにされる現実を自分が作ったのでもなく、単に自分がそう解釈しているだけです。そう見えて、感じてしまっているだけなんです。

ただ、本当にそんなふうにしか見えないので、自分がそう感じているだけだとは到底思えないものです。なのでクライアントさんでも、それは事実です!と食い下がる人多しです。(細かくはインテグレイテッド心理学でやっています)

それだけ真実味、現実味が高いという意味では、人は自分の思考の現実を生きていると言っても良いでしょう。

ですが、基本的に思考はいつも後だしジャンケンです。思考がなくても、現象は起き続け、思考も現われては消える現象の一つです。

ただ多くの人はあまりに思考に同化しているため、自分=思考=主体のような感覚になっていますよね。

思考は観察される側であるのに、常にものごとを判断したり、解釈したり、レッテルを貼っているので、自分は観察側だ、主体の側だ、現象をコントロールできるのだと勘違いしてしまっているんです。

話を非二元豚に戻します。あっ、パソコンが豚と変換してしまった。蓋です。

ここで本当に苦しい原因は、“自分は能力がない”と思い込んだ自分が抑圧されていることですね。ちなみに、これはまだ大雑把なので、OAD(オープン・アウェアネス・ダイアローグ)では、どんなふうに能力がないのか?なにが欠けていると思っているのか?などを探り、もっと深いセルフイメージまで見ていきます。

するとそこにはたくさんの感情、思い、記憶、イメージがあります。そして、それらが暗闇にすっかり抑圧されていたため、苦しみを生んでいたのですね。上司や職場はある意味関係ないんです。

セッションはたいていとても個人的なストーリーから始まります。夫が~~、仕事場で~~、お金が~~~、姑が~~、子供が~~~とあらゆる個人のストーリーがあります。

しかし、深いレベルまで見ていくと、途中から状況はほんとうにある苦しみ、自分が抑圧した苦しみを刺激しているだけなのだと分かってくるでしょう。

また、この抑圧された思いは、基本的に私たちが100%そうだと信じている思いです。なので、ものすごくリアルですし、“個の私がいる”感をバンバンに感じさせます。

ですから、実は苦しい人ほど、分離感、“個の私がいる”感が強く、非二元のメッセージなどはすごく遠く感じるはずなんです。

ちなみに、自分がいなくなった状態になるのではなく、“初めから個の自分はいなかったと知る”です。どんなに個の自分がいる感じがしても、それはこういったビリーフや感情の集積がそう感じさせているだけです。

ということで、まずは自分を自分の抑圧から解放してあげられると良いですね。

みんなの中に本質、愛へ戻りたいという欲求が必ずあり、それを癒しを通して実現することも目覚めの一つのかたちでしょう♪

 

PS: 思考が現実を創る~の誤解に関しては、その人がどう定義しているかにもよるでしょう。とりあえず、今回は非常に端折っていますのでいつかちゃんと書いてみま~す。

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苦しいなら“内に”飛び込もう♪

かつてロダンの「考える人」は、私にとって人間のみが持つ「考える」という“崇高な能力”のシンボルのようなものでした。

いつの間にか、だんだんそれが「苦労する人」に見えてくるようになり、今では、まぁ、そう真剣にならずに~と肩をたたきたくなります。

この「考える」という能力は、素晴らしいものであると同時に、思考が持つ性質上、どうしても私たちを実体から遠ざけてしまいます。

例えば、私たちが将来について心配するとき、まだ何一つ起きていないことを真剣に悩んでしまでしょう。実体はゼロでも、「考え」によってないものを作り出し、いくらでも悩めるんです。

でも、私たちの多くは、考えることでものごとを対処していくことを常にしていますね。問題がある→考える→何かを参考にする→また考える、みたいなパターンです。

これは心の問題でも同じで、例えば、姑との問題でん悩んでいる→こんなふうに見方を考えてみよう!(自分にも落ち度があるのだし・・・)というような、たいてい私たちは考えのレベルで解決しようとします。

同じように、注意を別のところへ持って行こうということもするでしょう。悩みや嫌なことではなく、感謝できることや楽しいことへ自分の気持ちを向けて気分を変えようとか。

または、心理学や自分なりの理論を持ち出して、

誰かに嫉妬していて苦しい→嫉妬をするということは、常に比較をしているということだ(分析)→比較をするのを止めよう、といったようなパターンも見かけます。これはかなり無理無理です。実際にやってみればすぐに分かります。

他に多いのは、自己啓発系などでまったく新しい見方を提示してくれるもの。“そうか我慢しなくて良いんだ!”、“なるほど、そう考えられるんだ!”などなど、緊張した思いを手放して楽になる・・・というパターン。

これらはうまく作用すればかなり楽になれますし、思考レベルでのワークもきちんとやるのはお薦めです。

でも、本当に苦しい場合、こんなふうに「考え」で心の問題を解決しようとするのは、非常に限界があります。どれだけブログを読み歩いたり、本を漁ったりしても、まったく楽になりません。

じゃぁ、どうしたら良いか? そうです。

自分の中にダイブイン!するんですね。

ほんとうは苦しくない人にもぜひお薦めです。

私たちが苦しいと感じているときは、または慢性的に苦しい、もの心ついたときから生き辛いという場合、原因は人それぞれもちろんいろいろあります。

しかし、共通しているのは、必ず心の深いところでいくつもの「自己否定」が走っていることです。そして、それらの否定的な思いがきちんと表に出てこずに抑圧されていると、かなり苦しい状態になります。

また、そういった自己否定は他者否定や世界への否定(この世は醜い場所だ)として転換されますね。

もちろん中には、自分を否定していることぐらいわかっている・・・と思う方もいらっしゃるでしょう。その場合、そこから入っていけば良いんです。もっと下にいろいろな他の否定の思いや感情が隠されています。

で、解決の糸口になるのは、なんといっても「身体」です。苦しいとき、体のどこに一番苦しさ、緊張、ネガティブな感覚があるか? そこがダイブする入り口です。

ほとんどの人の中に自分を嫌っている自分がいるものです。“自分は分離した存在である”と錯覚した時点から、「自分は欠けている」「自分はいけていない」「何か自分にはまずいところがある」といった感覚が私たちの中に生まれます。

奇跡のコースではこれは「罪悪感」と呼んでいますね。つまり、自我はそもそも「自己否定」がベースになっているんです。

その上に、思考という善悪を判断したり、レッテルを貼ったり、ものごとを定義づけたりする「必殺仕分け人」の世界にどっぷり浸かるわけです。

「自己否定」+「善悪の判断」

この二つが混ざれば、もう見えてくるでしょう。自分を見たときにあれこれ「悪い」ことばかりが目に付いてしまいます。で、あまりに「悪い」ことばかり目に付いてくると、苦しくて抱えきれない→蓋をしよう→良い私になろう、と自分が本当に感じていることを抑圧していきます。

私自身もびっくりするぐらいたくさんの「自己否定」の声と出会ってきました。これは、ダイブインをしないと本当に出会えなかったとつくづく思います。

「出会う」と書いてしまうぐらい、普段まったく気がついていないんです。その声は「私は汚すぎてダメだ」、「何をやっても常に間違っている」などなどです。そこにはたいていものすごいエネルギー(感情)の量があります。

また、例えば「汚さ過ぎてダメ」という声と出会う前に、いくつもの抵抗や思いが覆いかぶさっていることも多く、何重にも抑圧していた自分の心が見えてくるんです。

ただ、ここで私は決して「取り除こう」としてダイブインをしているのではないんです。あくまでも自分の隠された声たちに会いにいき、抱きしめたいんです。

ネガティブな感情の裏には必ずポジティブな感情があります。たとえば、無力感や恐れの裏には、希望や愛を切実に求める声があるんです。その声は自分が本来そういったものであることを知っているんですね。

そこで無力感も希望を求める思いも一緒に抱きしめてあげれば、全身が愛で包まれます。

これは、どんな理論や分析、データよりも100倍以上パワフルです。いろいろしくみを書いていますが、基本的に私は完全に「体験派」です。(心理セラピストなのでいろいろなツールを使います)

愛がすべてを癒すのだとしたら、考えを超えたところまで深く潜ってみませんか?

 

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解剖心理学のススメ~辛さの根源へ~

インテグレイテッド心理学の上級講座まで終わりました!気を抜いたせいか、風邪でダウンしてしました~。で、病院嫌いの私がついに近所の病院へ・・・・。

医者:どうされましたか?
私:おとといから喉が痛くて、頭痛があります。
医者:喉を見させてください。あっ、真っ赤ですね。次は、心音を取りますね~。はい、ちょっと首を触らせてください。喉頭炎ですね。お薬を出しておきましょう。

この会話は、ありふれた医師と患者の会話でしょう。しかし、心の問題となるとある部分が完全に抜けてしまうのです。この会話が心の医療だとしたら、下記のような感じかもしれません。

医者:どうされましたか?
患者:おとといから喉が痛くて、頭痛があります。
医者:どんな痛みで、どんなときに痛みますか?どれぐらい痛みは続きますか?睡眠はどうですか?何か原因は思い当たりますか?
患者:いつもヒリヒリ痛い感じで、寝起きがひどいかもしれません。でも一応眠れていますが、先日急に気温が下がったのに薄着でいたからかもしれません。
医者:なるほど。おそらく喉頭炎でしょう。とりあえず痛み止めだしておきますね。

何が抜けているのでしょう?と考えるまでもないですね。そうです。問診のみで体の中をまったく見ていないんです。患者さんとしては、“いえいえ、先生ちゃんと喉の奥を見たり、検査してください”と思うはずです。

では、心の問題のやりとりも見てみましょう。

医者:どうされましたか?
患者:主人が半年前に交通事故で急死して以来、眠れないんです。気持ちも体も重くて、外に出かける気もまったく出てこないんです。
医者:まだ半年ですから、気持ちが沈んでしまうのも自然なことだと思いますよ。
患者:はい、でももし私がこのままだと、子供にも影響があるんじゃないかと心配で。
医者:お気持ちは分かります。でも、時間薬という言葉もありますし、少し様子を見てみましょう。とりあえず、睡眠薬と安定剤を出しておきますね。

この会話も同じように一つ抜けているものがあります。そう、その人の心の中を見ていないことです。ところが、それは誰もおかしいと思わないんです。

ではカウンセリングはというと、話をひたすら聞くもの、心理学の理論や概念をあてはめるもの、認知を変えようとするものなどいろいろあります。

でも、実はこれらの方法もその人の「心の中がどうなっているのか」を丁寧に見ていくのでなければ、辛さはあまり変わらなかったりします。では、心の中を見るとは、一体どういうことでしょうか? この例で行くと・・・・。

心理セラピスト:どうされましたか?

クライアント:主人が半年前に交通事故で急死して以来、眠れないんです。気持ちも体も重くて、外に出かける気もまったく出てこないんです。

心理セラピスト:ほかにどんなお気持ちや思いがありますか?

クライアント:はい、もし私がこのままだと、子供にも影響があるんじゃないかと心配で。それに主人に日頃の感謝の気持ちを伝えたかったのにできなかった・・・(涙)

心理セラピスト:いろいろな思いや気持ちがあるかと思いますが、ご主人様に感謝の気持ちを伝えられなかったことが一番辛い感じでしょうか?

クライアント:あぁ、そうですね。そうか・・・。

心理セラピスト:ご主人様に感謝の気持ちを伝えられなかったというのは、ご自分にとってどんな意味があるでしょうか?どんなふうにお辛いのでしょうか?

クライアント:???

心理セラピスト:たとえば、人生が区切りのないままで次へ進めない感じなのが苦しいとか、・・・。

クライアント:あぁ、そういう思いもあります・・・。でもそれより、私、なんか意地っ張りになっていて、主人に感謝の言葉や優しい言葉をかけてあげられなくて・・・・、許して欲しい(嗚咽)・・・。

もちろん、これは架空の会話です。セッションは生ものですから、毎回まったく違いますし、テーマによって聞く質問も異なり、これは何万とある可能性の一つです。

しかし、ここで大切なのは、ご本人がほとんど気づいていなかった「許して欲しい」という思いを見つけ出すことと、そこに相当大きな感情があることを知ることです。

で、EFTやマトリックス・リインプリンティングなどで、それらを解放することで、認知のシフトも勝手に起きて、この方はそれだけでもかなり楽になるんです。

もちろん、このほかに将来への不安や事故を知ったときのショック(トラウマ)などなど、様々な思いや感情の解放が必要となるでしょう。

まったく同じ経験をしても、人の心は様々です。のどが痛いという同じ症状でも、体の中の状態は一人一人違うように。

それを丁寧に見ていき、どんな感情の層があって、どの感情が一番たまっているのか、またどんな思いやビリーフがあって、どうそれが苦しみを生み出しているのかをカウンセリング(問いかけ)で探り、セラピーで解消していくこと。

ということで、自分でどうにかしようとする人も多いのですが、心も体と同様、かなり複雑なんです。

ある場合は、問診だけで十分かもしれないし、ある場合は複雑な手術が必要かもしれません。また急性や慢性の場合など、一回で済むものや、ある程度時間がかかるものなどあります。

ちなみに手術や薬にあたる部分が、セラピーといえるかもしれません。

話を戻して、この仮のケースの場合、自責の念や後悔にまつわる感情値が非常に大きく、それがいつまでも解消されない場合、不眠や鬱になってもまったくおかしくありません。

こう振り返ってみたら、インテグレイテッド心理学は「解剖心理学」だったんです。心を解体していき、たまったものを解放していく。ここでいう解放とは、自分の中にある思いや感情を受け入れ、理解し、いたわり、そして変容させていくこと。

状況が変わらなくても、悟らなくても、楽になる方法が私たちには用意されているんです♪

※このテーマは、とてもブログでは書き切れませんので、現在冊子を作ることを構想中。

 

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