解剖心理学のススメ~辛さの根源へ~

インテグレイテッド心理学の上級講座まで終わりました!気を抜いたせいか、風邪でダウンしてしました~。で、病院嫌いの私がついに近所の病院へ・・・・。

医者:どうされましたか?
私:おとといから喉が痛くて、頭痛があります。
医者:喉を見させてください。あっ、真っ赤ですね。次は、心音を取りますね~。はい、ちょっと首を触らせてください。喉頭炎ですね。お薬を出しておきましょう。

この会話は、ありふれた医師と患者の会話でしょう。しかし、心の問題となるとある部分が完全に抜けてしまうのです。この会話が心の医療だとしたら、下記のような感じかもしれません。

医者:どうされましたか?
患者:おとといから喉が痛くて、頭痛があります。
医者:どんな痛みで、どんなときに痛みますか?どれぐらい痛みは続きますか?睡眠はどうですか?何か原因は思い当たりますか?
患者:いつもヒリヒリ痛い感じで、寝起きがひどいかもしれません。でも一応眠れていますが、先日急に気温が下がったのに薄着でいたからかもしれません。
医者:なるほど。おそらく喉頭炎でしょう。とりあえず痛み止めだしておきますね。

何が抜けているのでしょう?と考えるまでもないですね。そうです。問診のみで体の中をまったく見ていないんです。患者さんとしては、“いえいえ、先生ちゃんと喉の奥を見たり、検査してください”と思うはずです。

では、心の問題のやりとりも見てみましょう。

医者:どうされましたか?
患者:主人が半年前に交通事故で急死して以来、眠れないんです。気持ちも体も重くて、外に出かける気もまったく出てこないんです。
医者:まだ半年ですから、気持ちが沈んでしまうのも自然なことだと思いますよ。
患者:はい、でももし私がこのままだと、子供にも影響があるんじゃないかと心配で。
医者:お気持ちは分かります。でも、時間薬という言葉もありますし、少し様子を見てみましょう。とりあえず、睡眠薬と安定剤を出しておきますね。

この会話も同じように一つ抜けているものがあります。そう、その人の心の中を見ていないことです。ところが、それは誰もおかしいと思わないんです。

ではカウンセリングはというと、話をひたすら聞くもの、心理学の理論や概念をあてはめるもの、認知を変えようとするものなどいろいろあります。

でも、実はこれらの方法もその人の「心の中がどうなっているのか」を丁寧に見ていくのでなければ、辛さはあまり変わらなかったりします。では、心の中を見るとは、一体どういうことでしょうか? この例で行くと・・・・。

心理セラピスト:どうされましたか?

クライアント:主人が半年前に交通事故で急死して以来、眠れないんです。気持ちも体も重くて、外に出かける気もまったく出てこないんです。

心理セラピスト:ほかにどんなお気持ちや思いがありますか?

クライアント:はい、もし私がこのままだと、子供にも影響があるんじゃないかと心配で。それに主人に日頃の感謝の気持ちを伝えたかったのにできなかった・・・(涙)

心理セラピスト:いろいろな思いや気持ちがあるかと思いますが、ご主人様に感謝の気持ちを伝えられなかったことが一番辛い感じでしょうか?

クライアント:あぁ、そうですね。そうか・・・。

心理セラピスト:ご主人様に感謝の気持ちを伝えられなかったというのは、ご自分にとってどんな意味があるでしょうか?どんなふうにお辛いのでしょうか?

クライアント:???

心理セラピスト:たとえば、人生が区切りのないままで次へ進めない感じなのが苦しいとか、・・・。

クライアント:あぁ、そういう思いもあります・・・。でもそれより、私、なんか意地っ張りになっていて、主人に感謝の言葉や優しい言葉をかけてあげられなくて・・・・、許して欲しい(嗚咽)・・・。

もちろん、これは架空の会話です。セッションは生ものですから、毎回まったく違いますし、テーマによって聞く質問も異なり、これは何万とある可能性の一つです。

しかし、ここで大切なのは、ご本人がほとんど気づいていなかった「許して欲しい」という思いを見つけ出すことと、そこに相当大きな感情があることを知ることです。

で、EFTやマトリックス・リインプリンティングなどで、それらを解放することで、認知のシフトも勝手に起きて、この方はそれだけでもかなり楽になるんです。

もちろん、このほかに将来への不安や事故を知ったときのショック(トラウマ)などなど、様々な思いや感情の解放が必要となるでしょう。

まったく同じ経験をしても、人の心は様々です。のどが痛いという同じ症状でも、体の中の状態は一人一人違うように。

それを丁寧に見ていき、どんな感情の層があって、どの感情が一番たまっているのか、またどんな思いやビリーフがあって、どうそれが苦しみを生み出しているのかをカウンセリング(問いかけ)で探り、セラピーで解消していくこと。

ということで、自分でどうにかしようとする人も多いのですが、心も体と同様、かなり複雑なんです。

ある場合は、問診だけで十分かもしれないし、ある場合は複雑な手術が必要かもしれません。また急性や慢性の場合など、一回で済むものや、ある程度時間がかかるものなどあります。

ちなみに手術や薬にあたる部分が、セラピーといえるかもしれません。

話を戻して、この仮のケースの場合、自責の念や後悔にまつわる感情値が非常に大きく、それがいつまでも解消されない場合、不眠や鬱になってもまったくおかしくありません。

こう振り返ってみたら、インテグレイテッド心理学は「解剖心理学」だったんです。心を解体していき、たまったものを解放していく。ここでいう解放とは、自分の中にある思いや感情を受け入れ、理解し、いたわり、そして変容させていくこと。

状況が変わらなくても、悟らなくても、楽になる方法が私たちには用意されているんです♪

※このテーマは、とてもブログでは書き切れませんので、現在冊子を作ることを構想中。

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ハートレジリエンス協会が送るショートセミナー!

5月29日(日)14時~16時半
世代間連鎖のループから抜け出し、自分の人生を取り戻したいあなたへ

6月17日(金)18時半~20時半
思考派、体感派?タイプ別、疲れない話の聴き方
~身近な人の愚痴、悪口、怒りと付き合うコツ~

癒しをスピードアップさせるコツ♪

もし、あなたが癒しをスピードアップさせたいと思ったら、そのために何が役に立つと思いますか?

もちろん、その人の状態とか人それぞれ違うでしょう。が、それでも私は「思考と距離を置くこと」と言ってしまいたいのです。

思考を眺めるとか、自分の思いに気づいているとか、そういうことです。これができていないと何も始まらないとさえ思っています。

かつてロンドンにある書店で、ぼーっとベストセラーコーナーの前に立っていたとき、ある若者が “この本めちゃくちゃ良いから。絶対お薦め!”と熱心な声で指差した先が、エックハルト・トーレの「The Power of Now」でした。(これ前にも書いた気がする)

そんなに言うならとつい買って、家で読み始めたところ、1ページ目から目からウロコが落ち始め、読み終わったときには全身のうろこが激しく落ちていました。(笑)

で、あらゆることが三日坊主に終わってしまう私ですが、思考のおしゃべりに乗っ取られるのは辞めよう!と深く決心し、その日から自分の思いを眺め始めたのです。

始めは、「ただ考えている状態」に慣れすぎていたため、思考を眺めるのがとても不自然で億劫に感じました。ので、一日1分みたいな短い時間から始め、長くやるというよりは、その回数を増やすというやり方で行ったのです。

すると半年も経ったころでしょうか、思考を眺めることが普通に自然にやれるようになってきたのです。で、今振り返っても、この恩恵は計り知れないと思っています。

これは、お金もスキルもなにも要りませんのでほんとお勧めです♪

とはいえ、始めのうちはどちらかというと、思考が思考を観察しているような感じになる人が多いかなと思います。例えば、“私は今~~と思っているのだ、そうかそうか”というように思考を眺めて、それを思考が確認しているみたいな。

最初のステップとしては、これでもぜんぜん良いかと思います。ただ、人によっては眺めている思考に対する思考のコメントがうるさすぎて(“ちっ、またこんなくだらないことを考えている”)苦しくなる人もいます。

ので、次のステップは、そういったコメントもただ単に眺めて流しちゃいます。そういう思いがあるなぁと気づいているだけで充分です。

また放置してしまうことで、思考のパワーは勝手になくなっていきます。

ちょっと例えを使ってみましょう。

これが雲を眺めるエクササイズだったとして・・・。

思考が思考を観察している状態とは、雲(思考)の上に乗ったまま、他の雲の動きを見ているような感じです。

ですがここで言う「思考を眺める」とは、雲から完全に降りてしまって、青空に浮かんでいる雲をただ眺めている感じです。このほうが雲の様子がよく見えませんか?

ちなみに、思考に振り回されてぐるぐる行き詰っているときは、雲の上にも乗っておらず、完全に雲の中に取り込まれ、青空も目に入らなければ、俯瞰した視点もまったくない状態です。

こんなふうに思考にはまったまま、癒そうとしても、思考が邪魔をして遅々として進みません。癒しの方法や癒しの進み具合、セラピストさんに対してなど、いちいちあれこれ思考が走り、ものごとを複雑にしてしまいます。

思考にはまっているから苦しい、でも同時に、思考にはまっているから抜け出せない・・・という行き詰まり状態になりがちです。

とはいえ、じゃぁ眺めれば良いのだ~と言っても、それもなかなか難しくありませんか? 私たちはどうしてこれほど思考に呑み込まれてしまうのでしょうか?

例えば、目をつぶって“今日は晴れだ(雨だでも)”と思ってみてください。そこになにか感覚や感情があるでしょうか?

で、次に目をつぶったまま“近いうちに消費税が10%になる”と思ってみて、さっきと比べてどうでしょうか? 何かちょっと感情や感覚が走りませんか?

では、最後に“~~さんに馬鹿にされた”、“私は本当はできていない”、“メールの返事が来ない”とか、直接自分に関わるネガティブな思いを思ってみてください。一番最初の思いと比べて何か重量がありませんか?

思い、そして感情&感覚、体は、基本的にいつもコラボしています。

ですので、感情や感覚を強く引き起こす思考は、強烈な三位一体のコラボとなり、私たちは瞬く間に取り込まれてしまうんです。

繰り返しますが、「を巻き込む思考」に私たちは呑まれやすいんです。なのでここでEFTやマトリックス・リインプリンティングなどの感情解放のツールが役立つんですね。

感情や感覚が体からなくなってしまえば、思考を支えられなくなるので、自然に思いもなくなったり、もっと緩やかなものに変わったりします。

さて、でもこういった苦しみを生む思いよりも、意外にやっかいな思考は、おそらく「大切そうな思考」、「当たっていそうな思考」、「自分を支えてくれそうな思考」などでしょう。

例えば、「生きる目的を持ったほうがいい」、「癒しとは、~~~という感じで進むもの」、「私は以前よりずっと分かっている」などなど。

こういった思いは、なんとなく良いことのように感じるので、スルーしてしまいがちです。しかし、自分を振り返ったとき、一番手ごわいのは、実はこういう微妙な思考だなぁとつくづく感じるのです。

知らないうちにその思いに固執し始め、柔軟性を失ったり、真実を見過ごしてしまったりするからです。

でも、たとえ思考に巻き込まれながらでも、雲から降りる習慣がつけば、ある思いはまってしまっていることにも気づけるようになるでしょう。そうやって気づけて手放せるようになればなるほど、思考の中ではなく、もっとハート中に安住できるようになりますね♪

 

新しいものを新しいままに

新年あけましておめでとうございます!
今年もよろしくお願い申し上げます♪

かつてはスピリチュアル・レッスンという本を出していたり、最近では悟りセラピーという本も出したりしておりますので、私がそういった類(どういった類だ?)のセラピーをやっていると思っていらっしゃる方も多いかもしれません。

が、自分自身のセッションの中ではスピも悟りもほとんど話すことはないんです。クライアントさんからお話しが出たときだけ、ほんの少しだけ話したりはしますが。

カウンセラーやセラピストが何を信じていようと、またどんな世界観でいようとそれは個人の勝手ですね。でも、それらがセッションに反映されないほうが、より中立で透明なセッションになると思うからです。

例えば、白い紙の上に円や三角を描けば、その線の太さ、微妙な筆のズレ、描き方のくせなどよく見えますよね。でも、すでに色やデザインがついている紙の上に描いたら、良く見えなかったり、または違うデザインが出来上がってしまったりするでしょう。

カウンセリングやセラピーのセッションも同じで、カウンセラーやセラピストの考えや信念、世界観などが色濃く出てしまうと、クライアントさんの中の思いや感情があるがままに見えにくくなってしまいます。

または、セラピストが「無条件の愛を感じてもらえれば、すべて癒される」と決めかかっていたりすると、クライアントさんの中をきちんと見ていくというより、そちらへ誘導するセッションとなってしまいがちです。

それによって、ご本人が抱えている苦しみの原因を見過ごしてしまうこともままあります。

なので、クライアントさんにはアドバイスはもちろんのこと、自分の価値観や判断が反映しないよう自分の思考もよく観察し、極力しないようにしているんです。

そして、明らかにその方がセッションの結果も良いんです。

過去を遡れば、自分の考えや分析が入ってしまって大失敗したセッションはいくつもあり、当時のクライアントさんが戻っていらしたら返金させて頂きたいぐらいです。

もちろん、セッション自体はいつもベストを尽くすつもりでやっていますので、自分の判断は良いのだと本気で信じていたわけです。ところが、散々な結果に終わったり、ぼんやりしたセッションになってしまったり、まず良いセッションにはなりませでした。

また、自分の信念や世界観、考えだけでなく、過去の経験からくる知識や判断さえ横に置いていたほうが良いこともとても多いんですね。

セラピストとして経験を積んだほうが良いことは、強調してもしきれませんが、そこで問題になってくるのは、経験のデータがたまってくるほど、現在起きていることを無意識にデータにあてはめてしまうことです。

セッションをしながら、“このケースは何度もやった、今までいつもこんなふうになっていた・・・”という経験からくる判断が入ってきてしまうんです。

ところが、実は途中まで非常に似ていたケースでも、途中からぜんぜん違っていた・・・ということも頻繁にあるのです。

なので、経験から出てくる知識でさえ、やはり横に置いておいたほうが良いんです。

それはある意味、セッションだけではなく、普段の生活の中でも言えるかもしれません。

往々にして私たちは、何か新しいことを聞いたとき、 例えば“それは、~~と~~を合わせたようなものだな”などと、自分の知っているものにあてはめて理解しようとするでしょう。

ところが、過去のデータにあてはめて理解していくことで、私たちは新しいものを「自分流解釈の古いもの」にしてしまうんです。

大人になればなるほど、ある分野の知識や経験が増えれば増えるほど、このデータ機能が働き、新しいものが提示してくれるはずの新鮮なエッセンスを見過ごしてしまいかねます。

私自身、セラピーおたくですので、何か新しいセラピーの話をきいたりすると、このデータ機能がフル回転し始めます。

で、ときどきはっとするのです。あぁこうやって人はいつの間にか成長が止まるのだろうと。いつの間にか自分が知っていることだけにあてはめて満足し、そしてそそれだけではなく、それらを守ることへ勤しみ始める。

また、ときにややこしいのは、データの内容(自分のやり方)がそれなりにクリエイティブで自分らしさがあったりすると、新しい情報を手垢のついた古いものにしている感覚があまりないことです。

そんな場合、どんな話を聞いても、どんなに新しいことを学んでも、“私らしさ”とか“自分流”という名の結局は同じやり方で料理され、新鮮さがなくなってしまいます。

と、他人事のように書いておりますが、ある意味自分に向けて書いています。(ちなみに、自分のやり方を貫き通したい場合は、それはそれで素晴らしいですね。これは、せっかく新しいものを学んでいるのにという場合です。)

セラピーのセッションが透明な方が良いという話からこんなにずれてきました。まぁ、いいでしょう。

何が言いたいかと言うと、セラピーのセッションでも、日常の生活でも、生命のエネルギーは毎瞬、毎瞬私たちに新しいものを提示してくれているということです。

本当は知っていることというものも、まったく同じように繰り返されるものもないんです。

知識という思考のフィルターを通してみるために、あたかも知っているかのように、または同じかのように見えるだけなんですね。

もちろんお分かりかと思いますが、思考はいらないとか、思考を落として生きましょうといった話をしたいのではまったくありません。

ただ、思考のフィルターを通している限り、私たちはみずみずしい生命の世界ではなく、自らの思考が映し出した投影の世界の中にいます。あらゆることが思考によって解釈され、そっちが現実の世界だと私たちは信じているんですね。(インテグレイテッド心理学で詳しくやります♪)

なので、同じ思考を毎日持ち歩くことで、人生は生命の輝きよりも、繰り返しの多い単調なものになってしまったり、または生きづらいものになってしまうでしょう。

ということで、ときには知識を通さずにダイレクトにものごとを経験してみるのも良いかもしれません。この幼い少女が「雨」という知識を持たず、雨を経験しているように♪ →動画

非二元、心理学、そして癒し♪

偶然、同じような内容が書かれているコメントを同時に頂きました。ので、それについて書いてみようかと・・・。下記のコメントです。ありがとうございます!

1)私は心の癒しを何年かやってきて、かなりの変化があったのですが、途中で行き詰まってしまいました。コースをやっている方が「今までの二元のやり方は間違っていたんですよ」とおっしゃっていたのですが、それを聞いてショックでした。でも、そんなことはないのですね??「心理学は二元のやり方」と聞いたのですが、私は心理学が好きなんですよね(・-・;) 奇跡のコースをベースにしていれば、EFTやそのほかの心理療法なども真の癒しに繋がるということなのでしょうか・・?

2)心の病があるのですが、それはセラピーなどで治して良いのですね(二元?の世界の方法では病気は治らないとおっしゃる方も多いので)

実は、「二元のやり方」という言葉には初めて触れました。ので、解釈がぜんぜん間違っているかもしれませんが、勝手に書いていきます。えへへ。

で、もし、その二元的なやり方というのが、物質主義的な世界観に基づいているやり方という意味であれば、私もその考えに賛成かもです。

昨年、「次世代癒しのシンポジウム」というものを開催しましたが、心身の問題を肉体のレベルだけではなく、エネルギーのレベルでも見ていくことで、癒しが飛躍的にアップすると思っています。

心の病でも、原因が分からないにもかかわらず脳の問題として捉えているため、薬物療法しかないわけです。しかも、改善されるケースの方がまれで、ひどくなっている人も多いのが現状です。

しかし、もっとエネルギーの観点から見れば、今の医学では完全にスルーされている潜在意識(量子学的には、個人の意識をローカルフィールドと呼んでいます)に抑圧されている緊張、ネガティブな思い、感情などに光を当てられます。

そして、それがどう心身に影響を与えているのかをベースにしているのが、すっごく乱暴にまとめてしまうと「エネルギー医療」なんです。

なので、私自身は欧米では「エネルギー心理学」というカテゴリーにある、EFTやマトリックス・リインプリンティングが有効だと経験上とっても実感しています。

また、個人的には、通常の心理学に非二元的な要素が入ると、ぐっと深くなるし、変化も深いなぁと感じています。

つまり、大雑把にいえば、個人とは分離している実体のある存在であるという観点から心のしくみを見るのか、分離という幻想に陥っている実体無き存在という観点から見るのかという違いです。

後者の観点から心のしくみを見たほうがいろいろな意味で腑に落ちます。

そして、驚く方も多いかもしれませんが、カウンセリングとセラピーは基本的に別業界です。カウンセラーさんはあまりセラピーを使いませんし、セラピストさんはあまりカウンセリングをやらないという傾向があります。

しかし、明らかに二つを組み合させたほうが有効であって、どうしていまだに両方を同時に教えるコースがないのか不思議でたまりません。

ので、私の方程式(笑)は、

カウンセリング×セラピー×心理学×非二元=深い変化と癒し

です。

ということで、宣伝になってしまいますが、インテグレイテッド心理学はそんな心理学なんです。

以前にも書きましたが、かつて学んだ伝統的な心理学があまりにも役に立たなかったため、奇跡のコースと現場の経験をベースにまとめていったものです。エゴの仕組みを簡潔に、かつ深く見ていくものとなっています。

奇跡のコースにある「抑圧→投影→攻撃→防衛」の自我のしくみなどは、ほんと~~~っに実際のセッションに役立ちします。なので、またの名を「現場主義心理学」とも呼び、しかも毎年進化しています。うふふ。

もちろん、すべての人に必ず効果がありますとは言えませんが(そんなものないし)、変化を遂げた人、楽になった人、症状から解放された人はたくさんおります。

実際、この仕事を長年やっているのも、やっぱり自分にもクライアントさんにも成果が出ているということがとても大きいんです。じゃないとつまらなすぎてとっくの昔に辞めているでしょう。

宣伝終わり。

で、真の癒しが何を意味するかにもよりますが、心の苦しみを癒すキーワードは、

◎自我のしくみ
◎潜在意識
◎身体
◎エネルギー
◎流れ

だと私は思っています。大雑把な流れとしてはこんな感じです。

自我のしくみをよく知ることで、自分の何をどう見つめていけば良いのかが分かる

潜在意識にある、自分がまったく気づいていなかったネガティブな思いや感情をカウンセリング(問いかけ)で見つけていく。

身体に働きかけるセラピーで、ネガティブな感情を解放する。心の問題であっても、身体に働きかけることはものすごく重要

停滞していたエネルギー(ネガティブな感情)が解放され、生命のエネルギー(愛)が流れ始める。

私としては、最後の「流れ」がとっても大きいと感じています。なぜなら、生命のエネルギーに抵抗(抑圧)することで苦しみが生まれ、反対にそれが流れることで発展、変容、癒しが起きるからです。

また、このエネルギーそのものは愛でもあるので、頑張らずとも自然に自己愛、そして普遍の愛を自分の中に取り戻せるからです♪

★★★ お知らせ ★★★

ハートサークルの11月のショートセミナー

人は鏡~対人関係のストレスを本質的に解消する方法

残席わずか

★★★ 記事の内容のやり方のセッションにご興味がある方 ★★★

ブログ登録セラピスト
ハートサークル登録セラピスト

※スカイプセッションも対応しています。
※溝口あゆかは現在新規の個人セッションを受け付けておりません。

すべての人に用意されているもの♪

家族が健康で笑っていること、仕事が順調に進んでいること、心が通った友達とともにいることなどなど、こういった状態を私たちは幸せと感じるものでしょう。

人の笑顔はとても素晴らしいし、ほんとそれに越したことはありません。

しかし一方で、人生はいつもそんな風に行くとは限らず、自分か家族が誰かが病気になったり、仕事につまづいたり、失業したり、親しい友達を失ったり・・・などなど、幸せな状態、状況とはとても言えないこともたくさんあります。

こんなとき、私たちはまず状況を改善しようとしますよね。で、もちろん、そういった必要に応じた努力はもちろんしたほうが良いでしょう。

でも、問題は努力でどうにもならない事情や状況などもたくさんあるわけです。

そうすると、私たちの中に悲しみ、怒り、不安、焦り、罪悪感、無力感、嫉妬といった、様々な感情が生まれます。また、もちろんそこには様々なストーリーもありますね。

私たちの多くは、状況がすべてだと思っているので、「状況が変えられない=終わらない苦しみにいる自分」と捉えがちです。

または、こんな自分はダメだ、自分も変えられない・・・という絶望に陥ることもよくあります。

でも、この変えられない状況、変えられない自分は、ほんとうに不幸でいるしかないのでしょうか?起きたことが起きただけで、はい、終わり、なのでしょうか?

そしてまた、私たちが真に望んでいること、求めていること、「幸せ」というイメージの中に求めていることは一体何なのでしょう?

その答えは、やはり私たちの「本質」にあるのではないかと思うのです。つまり、「普遍の愛」です。(無条件の愛とも同じ)

「普遍の愛」・・・、なんだか崇高そう? 高い次元? 遠い感じ? 悟った人だけのもの?

いえいえ、自分の中にある思いや感情を受け入れていくことで、私もクライアントさんも何度も普遍の愛に触れ、包まれ、文字通り癒されてきたなぁとつくづく感じています。

なので、私たちの一番の問題は、自分の中に普遍の愛があること、そしてそこに触れていくことで癒されるということが、あまり知らされていないことじゃないかと思うのです。

“神様は乗り越えられない試練を与えない”という言葉をしばしば見かけます。試練とか、与えられたとか、そういう言語はあまり好きではないのですが、一つ言えることは、神を愛と訳せば、愛はどんな試練も癒せるというのは真実だと思うのです。

どうして私に?(悲しみ、怒り)
これからどうなるの?(不安)
あの頃は良かったのに(悲しみ)
ああしておけばこんなふうにはならなかった(後悔)
親に苦労をかけて悲しませている(罪悪感)
どうにかできるかもしれないのに分からない(焦り)
どうにもならない(無力感、絶望)
元気な人たちを見たくない(嫉妬)
自分はもう夢を持てない、持っても無駄だ(怒り、悲しみ、絶望)

こういった思いや感情に加え、過去にあった出来事、今起きている出来事のストーリーがさらにくっつき、そしてそれらに完全に呑み込まれたとき、私たちは、とにかく人生大っ嫌い、人も嫌い、自分も嫌い!状態になったりします。

この状態からどうしたら普遍の愛を感じられるようになるのでしょう?

で、もちろんこれだけの感情や思いが消え去ることは、簡単なことではありません。ただ長年癒しの仕事をしていますが、簡単ではない一番の理由、同時に唯一の理由は、実は本人がそれらのストーリーや感情にしがみついているからなんです。

私たちはとくにストーリーにしがみつくものです。ただほとんどの場合、無意識なので、自分の感覚ではとにかく早く楽になりたい!・・・となっています。

ということで、簡単とは言えませんが、もちろん解放することはできます。自分の中にあるうずまく感情を一つ一つ抱きしめるように受け入れていくことで、それらの感情は本質へと戻っていきますね。

または、単純に感情解放のセラピーを使ってしまうのも手です。(EFTやマトリックス・リインプリンティングなど)これらのツールはいつの間にか自分の内側へどんどん入っていけます。

そして、これらの感情が解放されるにつれ、自然と今まで忘れていた優しさ、もろさ、繊細さが顔を出してくるんですね。

私はこの段階で勝手にありがとうという言葉が出てくることもよくあります。何にありがとうというより、「すべてがあること」にただありがとう、という思いです。

どうにもならない状況もすべて含めてありがとうになっているんです。自然に。そして、これはすべての人に用意されている愛です。

なぜなら、小波(自我)は大海(普遍の愛)でもあり、大海の外に行くこともあり得ないからです。なので、どんなルートを辿ろうと、自分の中に深くもぐり、すべてを受け入れていけば、たどり着くところは同じ場所です。

そして、この愛に触れたとき、状況とは関係なく、私たちの心は落ち着いてきます。

ただ、自我とは、思考に囚われ、形に囚われ、守りを固め、恐れのほうへより傾く性質があるため、なかなか抜け出すのは容易ではありません。

でも、感情をため込まず、一つ一つ丁寧に向き合って、受け入れ、本質に戻してあげる(=感情の解放)ことで、自我は普遍の愛を知ることができます。

人の愛情、動物の愛情ももちろん私たちを癒してくれるでしょう。

しかし、すべてを生み出す「愛」は、出来事を超えた、存在の根本から癒してくれると思うのです♪

愛が苦しみを生み、そして癒す

さて、すでに満席となりましたが、11月8日に「ノンデュアリティの夜明け」というタイトルで阿部敏郎さんらとコラボさせていただきます。)

カウンセラー&セラピストの私が、ノンデュアリティについて書くと、悟り=苦しみの解消みたいな構図が強化されてしまうかも・・・と思い、こちらのブログは「癒し」を中心に、もう一つのブログ「気づきのダンス」では、ノンデュアリティについて書いております。

と、言いつつ、その辺は限りなくグレーです。あはは。

ということで、今日は ジャン!“そもそも人はなぜ苦しむのか?”という大きなテーマで行きます。

まず、セラピーの観点からすると、私たちが“苦しい”、“辛い”というときは、様々な感情、またはある一つの感情がいっぱいいっぱいになっている状態です。

例えば、ちょっと悲しいぐらいなら苦しくないですが、何していてもどうしようもないぐらい悲しいと苦しくなりますよね。

または、怒りや罪悪感、混乱や絶望感といった様々感情が重なり、それらが高まってくると、やっぱり苦しくなります。

なんとか押さえつけたり、ないふりしたり、気を紛らわすことで忘れられたら、それほど苦しくないかもしれません。が、それらもできないほど、感情がたまってしまった状態が苦しい状態なんです。

ですので、苦しい、辛いとおっしゃっている方に、何が苦しいのですか?とお聞きしても、“とにかく苦しくて・・・”とか、“何もかもが辛い”というように、話が漠然としてしまいます。

というのも、そもそも感情が抱えきれない状態になったのも、様々な思いが絡み合っているからです。なので、何から話して良いか分からない、自分でも何が苦しいのか分からない、という状態になっているからです。

ですから、そういった場合は、とりあえずパンパンに溜まってしまった感情をEFTやマトリックス・リインプリンティングで少し解放し、ある程度落ち着いてから、きちんと見ていくというのが私はお薦めです。

ということで、一つは感情がたまりすぎたとき、私たちは苦しみます。

で、この話の流れのまま、もう一つ私たちが苦しむ理由を書いていくと、

例えば、病気のせいで働けなくなり、他者に依存しないと暮らせなくなってしまったという場合、どうして自分だけ病気になったのだ!という怒りや自己憐憫、他の人の負担になってしまっているということへの罪悪感や悲しみ、自己否定や無力感などといった様々な思いや感情が一人の人の中で起きがちです。

そのたまった思いや感情の中には、人にこんなこと言われた、こんなふうに扱われたといったたくさんのエピソード、そして“自立してこそきちんとした社会人だ”、“自分を活かせない人生は無駄だ”といったような、その人なりのビリーフがいくつも絡んであります。

このように思い、感情、エピソード(記憶)が複雑に絡み合って、私たちは苦しみを体験します。なので、こういったものを一つ一つほぐし、ほどいていくと、状況は変わらなくても、心は少しづつ楽になっていきます。

そうやって重くのしかかっていた感情や思いの束が薄くなっていったとき、私たちはしばしば大きな喪失感と出会います。(もちろん、人それぞれです。)

喪失感というのは、自分が愛した何かを失ったときに出てくるものですね。自分が愛さないものがなくなっても、私たちは喪失感を感じないはずです。

なので、喪失感と愛は表裏一体なんです。じゃぁ、このとき出遭う喪失感は何か?というと、「愛している自分」「愛している自分の人生」への喪失感なんです。

“私はこんなはずではなかった”、“私の人生はこんなはずではなかった”

自分を愛しているから、幸せになって欲しかった、自分の大切な人生だから、良い人生であって欲しかった。

愛していない人の人生は、正直に言えば、どうでも良いはずです。心を痛めることもあるでしょうが、それが苦しみにはならないはずです。

苦しみになるのは、愛している自分、愛している家族、または愛している誰かが、うまくいかなかったときですね。

だから、私たちが苦しむのは、そこに「愛があるから」なんです。自己否定してしまうのも、逆に言えば自分を愛しているから。

なので今までの経験上、喪失感までたどり着くと、癒しは実は進みやすくなります。(喪失感に囚われすぎない限り)

どうするのかというと、喪失感を感じながら、自分をイメージの中でいっぱい抱きしめてあげるんです。ごめんね、大好きだよ、頑張ったね、ありがとう、などなど、かけてあげたい言葉をかけながら。

この段階で、マトリックス・リインプリンティングを使うのもとても効果的です。イメージの自分にタッピングをするので、喪失感に呑み込まれずに、その裏にある暖かい愛の感情へスムースに移行できます。

こうやって、自分の中の自分を愛するエネルギーに触れたとき、真の癒しが訪れます。また、それを自分で実感することがとても大切なんですね。なぜなら、自分で実感したものは、決して消えないからです。

厳しい状況の中でも、愛を忘れずにいられるんですね。

悟りや非二元は、究極の癒しであることはほんとうに間違いないです。でも、個人、個人の悩みに対応するものではないんですね。

なので、もし今あなたがっとても苦しい思いをしていたとしたら、自分の中の愛に触れる方向へ向かってみるのはいかがでしょうか?

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ハートサークル(ボランティア団体)では、毎月ショートセミナーを東京で開催しています。

10月のセミナー「怒りの解放~自分や他人、世の中への怒りで辛い時の心の仕組みと対処方法」、講師は自らも深い苦しみから抜け出し、今は他の人を自分の愛へとつなげるセラピスト浦松ますみです。http://healing-space-mamy.net/

(ブログを書いているうちに、お陰さまで定員満員となりました。また同じテーマで開催しますので、そのときはぜひご参加ください!)

心理学を勉強しても人の心は分からない?

なんだかとっても久しぶりな感じがします♪ 二週間のカウンセラー養成講座が無事終わりました。素晴らしい自然と、イギリスでは珍しいことにとってもおいしい食事に恵まれ(笑)、濃いコースになったのではと思っております。

で、そんな続きで、私が常々思うことをツラツラと・・・・。

私が個人セッションを始めたとき、学んだ心理学がまったくといって良いほど使えなかったことから、私のカウンセラー&セラピストとしてのジャーニーも始まりました。

とりあえず始めに書いておくと、私は心理学を否定しているのではありません。それなりの知識はあったほうがもちろん良いと思っています。ただ、学んだ知識は現場では使えなかったんです。

フロイトやユングなどの大御所からロジャースやゲシュタルトなどなどを、カウンセラーの資格を取るために、私はイギリスにあるサイコセラピーのカレッジで学びました。本もたくさん読んだし、論文もたくさん書きました。

しかし、それらの学んだ知識は、例えば親を立て続けになくして、うつ状態になっている人、レイプに遭い、裁判でまた心が傷ついてしまった人、事故で足を悪くし、仕事を失い、生きる希望を見失った人などなど、目の前にいる生身の人間、ユニークな歴史と複雑な思いや感情の層がある人間を前に、ほとんど無効だったのです。

今、振り返ればそりゃそうだと思います。なぜなら、心理学は学問ですが、人の心は「生きている」からです。

雪の結晶が一つ一つ違うように、人の心のパターンや思いや感情のありようも実にさまざまです。そしてまた、万華鏡のように複雑な模様を作りながら、変化している「生き物」なんですね。

一方、心理学はある人の観察が理論としてまとめられたもので、ひとたび学問として認められると、同じ理論がただただそのまま踏襲されていきます。

学問も本来なら、フィールドからの情報を得て、変化、進化していくものでしょう。ここでいう心理学のフィールドとは、実際の人の心です。

そして、私たちにとって一番近いフィールドは自分の心のなかですね。ですので私に言わせれば、心理学者こそ、人一倍自分の心のなかを知っていて良いはずなのです。ところが、“自分の心を深く見つめています”という心理学者には、とりあえず今のところ会ったことがありません。

まぁそんな調子ですから、心理学者だけではなく、多くの人も自分の心がほんとうはどうなっているのか分かっていないんですね。

私ももちろん例外ではなく、見えていないことも見えておらず、ある程度は分かっているさぐらいに思っていたのです。

しかし、カウンセラー開店休業状態が3年ほど続き、時間がたっぷりあったおかげで、自分の心を見ていく作業にじっくり取り組むことができました。で、このときに参考にした本は、心理学の本ではなく、ひどい苦しみから抜け出し、大きな気づきと成長を遂げて、現在はセラピストとして活躍している人たちの本でした。

また、奇跡のコースやエックハルト・トールなど悟り系の本も自我の特質を知るのに本当に役立ちました。

それらの本を手がかりに自分の心を見つめ、見事にな~~んにも見えていなかったことに心底驚き、よく今まで生きてきたものだとさえ思えました。と、同時に変化していく自分に喜びを感じていたのです。

特にグルジェフの「ほとんどの人は眠ったままの機械である」という言葉から、自分の潜在意識を探る作業をコツコツ手探りで始めたことは、今でも大きな財産です。

ということで、心のしくみや苦しみからの解放を学ぶのに一番役に立っているのが、成果を出している現場のセラピストやカウンセラーの発見と情報交換です。特に自己の癒しもちゃんとしている人のケースはほんとうに役立ちます。

ある意味、繁盛するお店を経営したいのなら、経済学者にアドバイスを求めるより、成功している経営者に聞いたほうが役立つというのと同じです。

あっ、セラピストとして儲けたいのならという話をしているのではありませんので、お間違いなく。セッションで成果を出したいのならという意味です。

話を戻して、日本ではまだセラピーが自己啓発のツールのように思われていたり、スピリチュアルと同じカテゴリーに入れられたり、欧米ほどポジションが確立していないだけに、現場の情報というのも見えにくいなぁと感じています。

なので、なかなかイギリスを離れられない・・・。

話がツラツラし過ぎていますが、私が言いたいことは、

心理学をベースに自分の心の状態を探るのではなく、自分の心をきちんと探って、それが心理学と合っていなかったら、学問のほうを捨てたほうが良いということです。

癒しは、現場主義が一番!

そうそう、この流れである動画を見つけました。心の中をしっかり探ることなく、出来上がってきた現在の精神医療。良かったらご覧ください。

ということで、昨年の冬ぐらいから非二元の話もそれなりにし始めましたが、私のパッションは、やはり「癒し」にあり、心を見つめていくことの大切さをいつまでも強調していきたいのです。

人を癒すということは、決して簡単なことではないなぁといつもつくづく感じています。自分自身を癒すだけでも難しいわけですから、ある意味当然でしょう。

しかし、深く見えていけば行くほど、いつも最後には誰の心にも愛があります。ほんとうに。なぐさめでもなんでもなく。どんなに分厚いネガティブな感情の層でも一番下には、必ず愛があるんです。

だから、どんな状況下の人でも、誰もが癒される可能性を必ず持っているんですね♪

 

☆次回からは、もっと更新アップして、通常の内容で行きます!