私たちは自力でコロナ流行に気づけたか?

またも久しぶりのアップです。書きたいこと、伝えたいことは山ほどあるのですが、発信の方法をブログから動画か音声に変えていこうかなぁと考えています。

私は心理セラピストなので、自分では人とのやりとりが一番楽しい、そして自分が輝く(笑)と思っています。ただ、動画や音声の編集とかできないし・・・みたいな感じでストップしておりました。

ということで、皆さんにお聞きしたいのは、ブログ、動画、音声のなかで一番どれが皆さんはお好きでしょうか?よろしければコメント欄に叫んでみたください。

さて、コロナ禍がまったく収束しませんね。ロンドンはまたもロックダウンに入り、これで3回目。私は現在一時帰国していますが(無事陰性でした♪)、劇場やコンサート、ミュージアムの再開を心待ちにしている身としては、やはり気持ちが下がります。

ですが、どうでしょうか? もし、政府やメディアが一切コロナについて報じていなかったら? 私たちはコロナが流行っていることに気づいたでしょうか?

もし、私たちにインターネットやメディアというものがなく、自分や周囲の状況しか分からない状態だったら、同じ現実をどう捉えていたでしょうか? コロナに関するニュース、情報、知識をすべてを横において、ただ自分や周囲に起きていることだけに集中したとき、自力で気づけたでしょうか? それとも自分の日常が淡々と起きているだけでしょうか?

コロナなんてないようね、と言いたいのではありません。いつもながらの私たちは事実よりもストーリーを生きているという話をしたいのです。

ちなみに私が事実というとき、例えば、“私は人間です”も解釈であって、事実はそういった知識もない「ありのまま」を指しています。

では、新型コロナウイルスの事実というとデータのみになりますね。

陽性者数、感染者数、死者数、回復率、致死率、年齢別、基礎疾患の有無などなどといったデータです。そして、そこに危機だ、大変だ〜、このままでは〜〜といった解釈がつきます。

で、私たちは数字ではなく、解釈の方に反応しますよね。例えば、東京都の感染者700人、過去最多だ、広がっている、警戒しましょう〜!と聞けば、大変だ〜、気をつけないと〜という解釈のほうを信じて反応します。

しかし、同じ700人でも、人口1200万人のうちの700人です。不必要に恐れないで大丈夫ですよ〜という解釈もできます。これはこれで、大丈夫なんだ〜と信じて反応するでしょう。

下手すれば、数字も理由も聞いた瞬間に忘れて、危機だ!大丈夫だ♪という部分しか私たちは捉えていないかもしれません。

このブログの読者さんはよ〜く分かっていらっしゃると思いますが、自我とはこんなふうにほぼ100%事実よりも解釈(ストーリー)に反応し、解釈を事実だと思い込んでストーリーにどっぷりハマっていくものですね。

町を歩きながら、すべての人がマスクをしている光景を見ていると、全員がここまで同じストーリーを共有している姿もなかなか見られないなぁと妙にシュールな気持ちにもなります。みんな現実を生きていると信じて疑っていないでしょう。

ですがたとえ、そこが分かっていたとしてもなかなか事実に寄り添うのは難しいものです。どうしても、解釈との区別があいまいで、解釈を事実だと思ってしまう。

例えば、「感染が拡大している」は解釈だといえば、大方の人がまさか!と思うでしょう。ですが、これは解釈です。「拡大している」は解釈で、事実は数字があるのみです。増え方として許容範囲だとしたら、拡大という言葉は使わないかもしれません。

“私は人間だ”も解釈であるということを思い出していただければ、事実(ありのまま)のみにしっかり寄り添うことの難しさが分かりますよね。

ちなみに「私がいる」・・・・終わり、という世界はとても平和な感じがしませんか?自分についてのすべてのストーリーから解放される。レッテルや思い込み、過去の記憶や将来への思いなどなどあらゆるすべてを脱ぎ去ったありのままの自分。

こちらが実体で、他の全ては幻影なんです。でも、私たちは幻影こそ現実であると信じ、必死に生きてしまいますね。

さて、話をコロナに戻して、私のフェイスブック上には欧米の友人も多いのですが、マスク派、アンチマスク派などなどの反応は人間どこでも同じだなぁと思います。ですが、日本の独特のコロナストーリーだなと思うのは、コロナの陽性と分かったら世間に迷惑をかけるから謝らないといけないというヤツです。同じ「陽性だった」という事実に対してここはイギリスと日本のストーリーは随分違いますね。

ですが日本でも、検査で陽性だったという事実に、“お大事に”といういたわりの声をかけるというストーリー(=私たちが思う現実)も私たちは描けます。ただ往々にして、恐れベースのストーリーはいつも生きづらいほう、怒りや攻撃が進むストーリーになってしまうものです。

また、世界が一つの共有した幻影の中にいるとき、自分だけ違う解釈、または自分だけストーリーに入らないでいるというのは、家の一歩外を出ると難しいでしょう。

それでも私たちは集団の催眠から抜け出して、自分で解釈を選ぶことができます。そしてどんなときでも愛ベースでいらふれることを忘れないでいられると良いですよね。

とくにこんなときこそ、愛、力、生命といった私たちの本質を覚えておきたいと思うのです。

本質とつながりを失わないこと、これが私たちがほんとうは心の底で求めていることで、死なないために緊張して生きていくことではないでしょう。

ということで、今日も自分に優しく、思いっきり深呼吸をして、思いっきり笑って、お過ごしください♪

★集団の催眠とはコロナだけではなく、例えば「社会人たるもの・・・」「良い母とは・・・」など、社会が共有するビリーフも含めてです。