癒しても癒しても終わらないワケ

☆今回はいきなり本質から入って、そして自我と癒しのお話♪

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本質を見過ごしている限り、癒しは永遠に終わらないだろう。

本質を見過ごしている限り、幸せはいつも桃源郷の中にあるだろう。

分離した自分がいるというものすごく精密かつ巧妙にできている幻想の中で、私たちは自分の癒し、自分の幸せを求める。

もちろん、ものすごくリアルな世界の中で心軽く、幸せに暮らすことも“ある期間”は可能だ。でも、生命の性質に従って、すべては移り変わり、生まれては消えていく。または、幸せが絶望に、絶望が幸せに移り変わっていく。

分離を信じている時点で、私たちは本質を見失っている。

自分がいると思っている時点で、私たちは本質を見失っている。

自分の人生が確実に存在していると感じている時点で、私たちは自分の本質を見失っている。

“私が悟るのだ”、“私が癒されるのだ”と思っている限り、その旅は永遠に終わらないだろう。

それよりも、その“私”が幻想であると目覚めたとき、私たちは本質の手の中に落ちていく。

でも、

“私”にはたくさんの大切なものがあって、それを手放すことはとうていできない。

私の愛する人、愛するもの、私のいきがい、私がこれまで積み上げてきた成果、私の夢・・・。

これらは、“私”のとても大切な宝物。私がいないなんてわかったら、これらはすべて霞の中に消えていってしまう。こんなに頑張ってきた私がいないなんて虚しすぎる。

こうやって、“私”は本質に目覚める幸せを願いながらも、自分の夢の中に戻っていく。本当は、本質が夢も生きがいもすべて与えてくれると知らずに。

夢の中で真の幸せは見いだせないと本当に分かるまで、“私”は何度も夢の中に戻っていく。

そして、それで良いのだろう。

植物が少しづつ芽を出すように、私たちの中の本質を呼ぶ声も少しづつ育っていくのだから。

だから、しばらくは夢の中から本質に憧れるのも良いのかもしれない。

本質をすっかり忘れ去って、夢の中の人生だけに囚われない限り♪

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ある程度、自分癒しをしていると必ずぶつかる壁が、“いつまで癒せば良いんだ、ワークしていると限りなく何か出てくる”、“前と比べるとずいぶん楽になったけど、コアの部分が変わっていない気がする”というものかもしれません。

これは私自身もずいぶん感じてきたことです。でも、自我がどう自我として存在しているのか?が見えてくればくるほど、癒しが終わるはずがないなということも分かるんです。

ということで、なぜ? なぜ終わらないの?

というのも、自我とはある意味、分離感をベースに存在している投影マシーンだからです。

もう少し説明しましょう。

分離感とは、「私と世界」、「私とあなた」、「私とそのほか」というように、私以外の何かが自分の外に存在します。

なので、必ず世界やあなた、そのほかのものを解釈せざるを得ません。

そして、自我とは、「思い」と「感情、感覚」、そして「体(分離の象徴)」で構成されていますね。

体が、私は分離している~と主張し、思いと感情が世界や他者を解釈していきます。ある自我は、世界は楽しいと解釈し(投影)、ある自我は世界は恐ろしい場所だと解釈(投影)します。

こう書くととてもシンプルですが、体がどれだけ緻密に出来上がっているか(体に関して解明できないこともまだたくさんあります)、また、思いや感情の体系がどれだけ複雑であるか、そして心と体のつながりなど、細胞の機能から心の微細な動きまでを考えてみれば、自我とは非常に優れた生命の創造物だと分かるでしょう。

AIなど足元にも及びません。

でも、この精密な投影マシーンは、その精密さゆえに自分が存在していると勘違いしてしまいます。当たり前です。名前だって与えられますから。

そして、自分癒しを始めると、ついこの精密な思考・感情体系と体がピカピカになって、癒すところがない状態になるはずと思ってしまう。

ところが、分離していることがベースになっている限り、どうしてもそこには恐れがあります。

そして、恐れがある限り、自我が思い描く(少なくとも私は思い描いていた)、いつも穏やかで楽しい私はどうしても実現しません。

分離とは言い換えれば、「飢えと恐れ」ですので、自分が分離していると思っている限り、これはどこまでもつきまといます。

じゃぁ、本質に一気に目覚めてしまえば、自我の苦しみぜんぶチャラになるんじゃない?と思われるかもしれません。

残念ながらこちらもノーなんです。(この点は長くなるので、違う機会でまた書いてみたいです)

空(気づきの意識)と色(自我)は、分けることができず、自我意識を完全に消すというのは、夢物語です。

自我意識がある限り、自我のなかにトラウマがあれば、それは強力に自我を夢に戻します。または大きな抑圧された飢えがあれば、いくら真実が見えていても、無意識に自分も人も傷つけてしまいがちです。

では、どうしたら良いのでしょう?

自分の中にある緊張した感覚、そこにあるストーリー、思い込みを見つめ、癒し、そして気づきの意識にくつろぐ。癒しと本質への目覚めの両輪でいくんです。

そのうち、癒されない苦しみでさえ、生命の表現として慈しむことができるようになるまで。そして、それはぜんぜん難しいことではない♪

 

☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆

自分の本質について、癒し、自我、人生についてのお話会です。

10月の会は満席となりました。

11月10日(日)、12月22日(日)も同じ場所、同じ時間で開催いたします。

次回案内ご希望のかたは申し込みフォームからどうぞ♪

日程:10月20日(日)13時~15時半(満席)

11月10日(日)10月上旬、募集開始予定
12月22日(日)11月上旬、募集開始予定

場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
http://www.ko-o-ri.com/contents/information.html

参加費:5000円

お申込みフォーム
https://www.form-answer.com/applications/F4TPE