ものごころがつき始めたような小さな頃。
きっとみんなにあったと思う。うっすらと。
なんか違うところに自分がいるような、
なんか自分にはほんとうの場所があるような。
でも、人生はすでに始まっていて、自分はもうここにいるしかないという感覚。
微かだけど、何かを忘れてきた感覚。
そして、その何かこそがリアルなものであるような感覚。
成長するにつれ、私たちは“私の人生”にどんどんはまっていき、人生はリアル以上にリアルになり、小さい頃の感覚は遠い彼方にあたかも幻想のようになって消えていく。
でも、日常の忙しさの中で、人生の喧騒の中で、ふとそんな感覚が一瞬でもよみがえってくることがあるかもしれない。何か自分が大切なものを忘れている感覚。
癒しの真の目的は、その忘れてしまった本質をもう一度思い出していくことだろう。
人生の中で起きる不条理、愛する人との別れ、裏切り、ただ仕事をこなす日々・・・。自分はなぜなんのために生きているのだろう?
そんな思いが横切っても、答えなんかあるわけないと払拭して、スーパーの買い物袋に食品を詰めていく。
日常すぎる日常。
でも、ふとそんな瞬間があったとしたら、私は品物を詰めているあなたの横に立って“一緒に帰ろう”と言いたい。“どこへ?”とあなたは聞くかもしれない。
私は言うだろう。“あなたが私で、私があなたであったところへ”と。
そしてそれは、“いまここに、まさにいまここがその場所だよ”と。
この日常過ぎる日常の中で、あなたと一緒に微笑んで一緒に本質を思い出したい。
なんていったって、分離は幻想だから。
これはありきたりの真実♪ 荘厳なスピリチュアルでも、到達すべき悟りでもない。
そしてそれはあなたが一番心の底から求めているもの。いつもいつも。
分離から本質(愛)に目覚めることを。深いところで熱く恋焦がれるように。
それをあなたはずっと勘違いしてきた、自分の欲しいものはパートナーの愛だ、成功だ、お金だ、夢が実現することだ、いきがいを感じることだ・・・と。
違うよ。あなたが求めているものはぜんぜん違うもの。
私たちは私たちの夢を長く見過ぎた。もうそろそろ目覚めるころだって、本質が呼んでいる。
そう、幼い時、うっすらと自分は違う場所に来たように感じたあの感覚。
それは目覚めへの鍵♪
でもね、私たちは決して違う場所にきたのではなかった。人生にはまったのではなくて、分離という幻想にはまっただけだった。
だからあれは、真の自分を忘却の彼方に見失っていった感覚。
ほんとうは私は初めから正しい場所にいて、そう、私は常に本質とともにいた。
真の癒しとは、忘れた感覚をもう一度呼び覚まし、分離したと思った幼心を暖かく包みなおしてあげることだろう。
ケセラセラ、“私が大きくなったら可愛いくなれるの?お金持ちになれるの?”
幼い少女の胸は人生への期待と魅惑、そして不安でつまっていて、そしてその胸は大人になるにつれ、いくつもの傷を抱えてしまったかもしれない。
人生の裏切りが大きすぎて抱えきれず、倒れてしまったかもしれない。
だから、癒しとは人生を生きる中で身にまとっていたたくさんの苦しみのストーリーのベールを落としてあげること。
ストーリー(思いや感情)を改善するのではなくて、ストーリー(思いや感情)をはがして取っていく。
そして、人生に好奇心を抱いていた幼いあなたに戻っていくこと。
あなたの胸を温めてくれたたくさんの人やものごともあったことを思い出していくこと。
そして最後に、リアルだと思っていたものが幻想で、幻想だと思っているものが実体であると気づいて、あなたは微笑む。
あなたは私、私はあなた。
それがカミングホーム。私たちは100%祝福されている♪
☆☆☆ ノンデュアリティと癒しのカフェ ☆☆☆
久しぶりにリアルお話会を開催いたします。
自分の本質について、癒し、自我、人生についてのお話会です。
満席となりました。
キャンセル待ち&カフェ案内ご希望のかたは申し込みフォームからどうぞ♪
日程:10月20日(日)13時~15時半
場所:香音里(東西線神楽坂駅徒歩1分)
http://www.ko-o-ri.com/contents/information.html
参加費:5000円