自我、観察者、本質という三つの私♪

毎日、毎日朝目が覚めてから夜熟睡するまで、ず~~っとある「私という感覚」。実はこの「私という感覚」、当たり前すぎてスルーされていますが、ここにすべての秘密が隠されています。うふ♪

もちろん、真実への秘密です♪

この「私という感覚」、私たちはそこに「一人の私」しかいないと思っているものです。でも、よ~く見ていくと、そこには三つの「私」が同時に存在していることが見えてくるはずなんです。

一つは「思いや感情そのものの私」、“私は悲しい”、“私は惨めだ”など感情や思考と完全に同化している私。つまり、70億人のほとんどの人が「私」だと思っている私。

この私の中には「コメンテーター」がいて、そんな自分を一見冷静に見ているフリをしたりもします。例えば、 “私よりもっと大変な人がいる、悲しんでいてはいけない”、 “うまく行ったこともある、自分は惨めなんかじゃない”、“あまり嬉しそうにしたら子供っぽいから押さえよう”などなど。(でも、心の中は本当の意味ではスッキリしない)

自分の言動をチェックし、コメントしまくる声です。自分を励ましたり、さらに踏みつけたり、または分析したり、原因探しをしたり、かなり忙しいです。

ここにすでに二人の自分がいるように見えますが、思い、感情を無条件に信じているということで、同じ私です。

さて、二つ目の私とは、思いや感情をほんとうの意味で冷静にかつ客観的に観察する「観察者の私」です。

例えば、“なぜ私は惨めだと思うのだろう? 私は惨めだって本当だろうか?”、“今私の中で悲しみが起きている”など、コメントなしに純粋に観察できる私。

このとき、思いや感情への同化ははずれ、無条件に信じるということもなくなります。瞑想やマインドフルネスで、この二つ目の自分が主体となってくると、体もだいぶ落ち着きていきますね。

一つ目の私が黙り始め、二つ目の私も限りなく静かになり、深い平和や愛を感じ始めることが悟りだと思っている人もそれなりにいますが、違います。

なぜならまだもう一つの私がいるからです。

では、三つ目の私とはどの私でしょう?

そう、この二つの私に「ただ気づいているだけ」の私です。「私」に関するあらゆることに気づいている意識です。でも、そこには当然思いも感情も感覚も一切ありませんね。それらはすべて一つ目と二つ目の私に属しているものですから。まったくの「空」です。気づいているという以外は。

また、そこには「個」という概念も、時間も空間もなく、いわゆる「私」を超えた私です。

この三つ目のまったくの「空」で「気づいている」だけの私は、観察者である自分にも気づいていて、もちろん感情の波に溺れてもいなければ、思考のパニックにも陥っていません。

それが私たちの本質で、ほんとうの私ですね。ほとんどの人がスルーしている私です。気づいているだけで何もないから、自分にまとわるあらゆるストーリーから自由である私です。

こうやって見て行けばお分かりのように、私たちが一つ目の私に完全に同化してしまったとき、一番苦しい状態になります。客観的な目もなくなり、主観的な思いだけが暴走し、その思いそのものになってしまう。苦しくてたまらない状態とは、この状態なんです。

また、同化すればするほど、自分がなんで苦しいのかもわからなくなり、「ただとにかく苦しい」、「ぜんぶが辛い」みたいに苦しみの海のなかに溺れていってしまいます。

この状態でなんとか自分で自分を癒そうと頑張っている人がけっこういますが、溺れている人が溺れている自分を助けるのはほとんど無理です。たいていは、自分の思いを無条件に信じたままやってしまうので、その時点でアウトです。

話を戻して、もっとも苦しい状態から抜け出すには、そうです。まずは二つ目の私の視点を持つこと。

思いを無条件に信じることを辞め、湧いてきた感情を静かに眺める。そして、今までとは真逆のことをしてみます。つまり、それはほんと?と疑ってみるんです。(バイロン・ケイティのザ・ワークもお勧め)

無条件に信じていた状態から、疑ってみる状態へのシフトは非常に大きいです。これは自我の解体の始まりです。

ちなみにオープン・アウェアネス・ダイアローグ」の「オープン・アウェアネス(Open Awareness)とは、気づきの意識、この三つ目の私のことです。

開かれた気づきの意識の中で、この“それはほんと?”と問いかける役をセラピスト、またはご本人がします。

それを「気づきの問いかけ」と呼んでいますが、いくつかの問いをすることで、それが実は思い込みだった、分厚い投影だったということに自ら気がついていきます。コメンテーターの介入はゼロ値です。

思い込みには、その思い込みを支えているたくさんの他の思い、感情の蓄積、記憶、またはトラウマなどがあります。なので、セラピー(EFTやマトリックス・リインプリンティング)もともに使うことでそれらが解消され、癒しが起きるんですね。

目覚めとは、まず自分は思いや感情に深く同化しているということを認識することから始まるでしょう。「同化」と「無条件に信じる」は同じ意味です。湧いてくる思いをすべて受け入れ、信じまくっている。

なので、二つ目、三つ目の私の視点を自分の中に育てていくこと。三つ目の視点とは、いわゆる非二元、悟りの視点です。一番見過ごしていた視点です。

気づいているだけでそこに一切何もない(空)から、掴むことができない。だから自我は見過ごすし、探しに行ってしまう。

でも、これはなぐさめでもなんでもなく、譲れない事実、真実として、本質の私は、笑っちゃうぐらい身近に、というか一つ目と二つ目の私そのものでもあり、常に今ここにあります。

自我が持つたくさんの思い込み(ドラマ)を解体すればするほど、それが本当の自分であることが、もっとわかりやすくなっていくでしょう♪