最も自然な生き方♪

先日、ある本を買いに久しぶりに書店に立ち寄り、ついでに自己啓発のコーナーやスピリチュアルコーナーや、そして大してやらないくせに必ず立ち寄るお料理コーナーなどを見て回っていました。

そうやって見て回っていて、自分自身の内側がものすごく変わってきたことに気づいたのです。例えば以前は、自己啓発コーナーなどは生き方のヒントの宝庫で、なにか自分の人生に役立つものがあるはずという期待でワクワクしていたコーナーでした。

また、スピリチュアルのコーナーは、存在のしくみ、なぜ私はここにいるの?という根本的な問いに答えてくれるもの。宇宙、世界、自分についての謎を見せてくれるもので、そこで理解したことは、まさに私の生きる土台となっていました。

でも、すべて過去形で書いているように、あれだけ大切だったものに驚くほど興味を失っている自分がいたのです。

興味を失う=それらが大切ではない、ということではまったくありません。私たちは宇宙の星々や社会の出来事、価値観やものの見方などに大きく影響を受けて生きています。

そういう意味で、日々の暮らしという最も大切なところに深く関わり合うような、これらのことはもちろんとても重要です。なので、興味がないからまったく気にしないということではないんです。

もしビジネスに不安を覚えたら、成功している人からアドバイスをもらいたいし、部屋を整理するならプロのコンサルを受けたいし、社会の出来事は知っていたいし、なるべく良い波動でいたいしと、表面上はまったく同じ自分がいるんですね。

でも、それらはすべて“あるようにある”もので、ビジネスがうまくいかない、人間関係に歪みが出た、社会に様々な出来事が起きる・・・、こういったことは、右にでも左にでもいかようにも現れるものなんです。

根本的には私がコントロールできるものではなく、様々な要因が一瞬一瞬変化しながら、タペストリーのように関係し合い、出来事として現れてくる。そして、それらの出来事をどう解釈するかは、単なる思考の意味づけでしかない。

ある出来事を失敗と意味づけても、学びと意味づけても、またはチャンスだと意味づけても、出来事そのものはあるがままにあるだけ。

これは自我の目線で見ると、一見なんだか虚無的で、無力な感じがするかもしれません。でも、生命(=純粋意識)という本質の目から見れば、大いなる救いであり、生命への信頼となるんです。

なぜなら、自分は大海に翻弄される小さな存在ではなく、ダイナミズムな動きであり、その動きの根源、大海そのものだからです。

しかし、自分が人生、世界という大海の中の小さな存在だと思っている限り、私たちは「生きる指針」という浮き輪が必要かもしれません。

ある人にとってはそれは宗教の教えであり、ある人にとっては親から代々受け継いできた教え、またある人にとっては社会の常識、ある人にとっては自己啓発、そしてある人にとってはスピリチュアルな指針などなど、その浮き輪がなんであれ、それをしっかりとつかみ、人生という何が起きるか分からない荒波の中をなんとか生き抜いていく。

しかし、自分が大海であるという視線からすれば、波はいかようにも変化し、方向を変え、大きくなったり、小さくなったり、濁流に飲み込まれたり、静かになったり、それが生きているということ。そして、そこに恣意的なコントロール(制限)は一切なく、生命の動きがあるのみ。

あゆかという小さい私に戻っても、それはやはり同じで、あゆかは生命の発露の一つであって、私という小波からどんな思考が発露し、どんな行動が出るのか、それはあゆかのコントロールを超えているんです。

ここまで書くと、おそらく“じゃぁ、無差別に子供を殺すのもその人のコントロールを超えているから仕方がないの?”という疑問がわいてくるかもしれません。

生命とは基本的に生きようとし、生きることを支え、伸びよう、成長しようとするものなはずです。そして、一つの形として表現しつくして“死”という次の生成へと移行していきます。

人間も自然の一部として同じはずです。

でも、私たちが何らかの理由で心の闇に陥り、結果、生命の発露としての自分を忘れ、本質から遠ざかってしまったとき、生命を閉ざすような「不自然」な動きが生まれるのでしょう。

ある意味、苦しみとは自然な生命の動きから離れていますよというメッセージですね。

ということで、やっぱり、今はシンプルに生命の流れ、生命の発露によく耳を傾け、自分の中の不調和や苦しみの中身を見つめていきたいなぁと再確認したのです。

生命の発露に耳を傾けるとは、例えば、どうしたら良いかわからないとき、自分にとって最も正直な感覚で、批判や否定のない、地に足の着いたエネルギーを自分の中に見つけ出すことです。

誰も悪者にせず、状況や自分を否定することなく進んでいける感覚です。それに従っていれば、結果がどうであれ、生命が私をどこへ連れていくのかは、100%おまかせ♪

あらゆる意味づけや結果から解放され、生命にゆだねられる心地よさは何事にも変えられないものですね♪