受け入れると楽になると言うけれど・・・。

心理系の必須書とも言われる「The road less traveled(愛すること、生きること:『愛と心理療法』)by スコット・ペック」。 その本のある意味ショッキングな(当時の私には)冒頭文。

人生とは困難なものだ。
これは偉大な真実であり、多くの偉大な真実の一つである。これは偉大な真実で、というのも、この真実を真に見抜いたら、私たちは困難を乗り越えられるからだ。一度、人生は困難なものだとほんとうに知って、理解し、受け入れれば、人生はもはや困難でなくなる。なぜなら、一度受け入れれば、人生は困難だという事実は取るに足らなくなるからだ。

“Life is difficult.
This is a great truth, one of the greatest truths. It is a great truth because once we truly see this truth, we transcend it. Once we truly know that life is difficult – once we truly understand and accept it – then life is no longer difficult. Because once it is accepted, the fact that life is difficult no longer matters.”

この本を始めて読んだのは、1996年の春でした。この冒頭の一文に私は大きな衝撃を得たことを今でも覚えています。衝撃的過ぎてあとの内容をまったく覚えていないぐらい(笑)。

というのも、それまで漠然と人生とは幸せなはず、うまくいくはず、テレビのCMのようなにみんないつも笑顔で過ごせるはず、そして、自分がそうでないのは、自分が何か間違っているから、どこか変えないといけないからだと思い込んでいたからです。

自分のどこを変えたら良いのか? それを知るためにこの本を参考にしようと手に取ったら、いきなり、人生は困難なものだと知りましょう、受け入れましょうとあったからです。

強いショックを受けたものの、人生を楽なものに、幸せなものにしたいという気持ちが強すぎて、ほんとうの意味では当時の私には浸透しませんでした。

そして今、自分自身の、そして多くのクライアントさんのセッションを経て、これぐらい真実はないなぁとしみじみと思うのです。

ほんと~にあらゆる苦しみ、悩みの根本には、最終的に必ず今の自分や自分の真の思い、今の状況、今の人生の否定があるからです。

だから、例えば今苦しいなら、その苦しみがあることを許してしまうと楽なるという、ある意味矛盾が起きるんです。(許すふりではなく)

ここで、あぁよく聞く“あるがままを受け入れる”ってヤツね。と、思う方もいらっしゃるかもしれません。

すると、たいていこんな疑問も沸いてきます。

戦争や暴力も受け入れるの?

これは受け入れを「それに対して何もしない、放置する、そのままにしておく」と解釈してしまったために起きる疑問なのかもしれません。

受け入れとは、まさに冒頭の分が言っているように、「それがあることを真に認めて、理解して、受け入れる」ですね。

例えば、苦しみがあると真に認めることと、単に苦しんでいるが分かっているのとでは、雲泥の差があります。真に認めれば、必ずそこにほっとしたような緩んだ感覚が伴います。それまでは、あることは分かっているけど、真の意味では認めたくないし、否定しているので苦しんです。

そして理解するということ。苦しんでいるよねと苦しんでいる自分を理解してあげる、どうにかしようとしないでただ理解してあげる。その上で、苦しみがあることを受け入れる。

受容とは、がむしゃらになんでも受け入れるという意味ではないでしょう。

戦争や暴力も同じように、まず戦争が起きていることを真に認める、そして理解してみる。すると、ただ悪いことだ!と思っていた戦争が人類の恐れのうごめきに見えてくるかもしれません。そして、それがあることを受け入れる。

そして、受け入れとは何もしないということではなく、理解したあとに自分の中から生まれる思いや行動も受け入れるわけです。

戦争があることを認め、理解し、受け入れたとき、自分の心から自然と戦争の根っこにあるものを癒したいという衝動が生まれるかもしれません。それももちろん受け入れる。

また、何かしくじってしまった、間違えてしまったなどなど、自己嫌悪と自己批判が止まらないときも時には(人によってはいつも)ありますよね。

そんなとき「間違った私」をただ受け入れようとするのは、そこに真の認知と理解がありませんね。

間違えたということを真に認めて、理解しようと見て行けば、そこに必ず良かれと思った自分がいるはずです。わざと間違えたい人はいないはずなので。

その自分を受け入れてみれば、健気さの中に自分なりの愛を感じるかもしれません。

また、どうしても自分を受け入れられない場合は、受け入れられないと頑なになっている自分がいることを認知し、その自分を理解してあげ、その頑なさがあることを許すなど。

さ~て、ここまで書いたのは「自我の受容」です。自分が自分や状況をどう受け入れるか?という話しです。

でも、非二元の受容、本質の受容はまったく異なるものです。オンラインのお話会では、ありのままの受容とは、自我がやるものではないですよ~とお話ししました。

というのも、受容とはやるものではなく、それは私たちの本質だからです。

これは自我が生命に降参したとき、自我の精神の死が起きたときに自然に起こるもので、それは自分という人生をコントロールしている意志が崩壊したときに起きるものです。

言い換えれば、激流を必死に漕いでいた漕ぎ手がいなくなり、流れそのものになったときに起きるものですね。自分が流れそのものだから、もう抗うこともなく、そこに摩擦も否定も生まれない。

じゃぁ、それができるまで本質の受容は分からないの?

いえいえ、自分がどんなにあがいているときでも、それにただ気づいている意識、言葉を持たない静寂な意識、それは常に私たちとともにあります。片時も離れず。そして、それはいつもすべてを受け入れていて、だから私たちは受容とともに生きているんです♪

 

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受け入れると楽になると言うけれど・・・。」への3件のフィードバック

  1. はじめまして。コメントも初めてです。
    「自分を受け入れる」。間違って理解しているのか、今の現状など、不安、恐怖、後悔、ここまできてしまった絶望など考え、感じると泡を吹いて死んでしまうくらいの受け入れきれない、叫び出して狂ってしまうような物凄いストレス、抑えきれない不安に生きた心地がしないです。
    ずっと子供の頃から自殺して終わるだろうとしか思えなくて、うつ病で20年以上病院にかかっています。思考にがんじがらめにされて家から出られなくなったり、外に出てもネガティブな思考で不安で震えたり。恐怖、不安、絶望などの思いで生きるエネルギーを使ってしまい、本来の自分でまるきり生きる余裕がない日々です。ブログを最近知りまして二つともポツポツ読ませていただていますが、全くうまくいかせません(降参、すみません)。ケイティさんのワークでは自分以外のことからはじめるとよいとありましたが、ネガティブナルシシズムなのか自分のことに関してが多くて、またワークで嫌に思ったストーリーを書き出すとそのストーリーがさらに強調されて、書き直してみたストーリーが希薄になってしまうことがあります。もっと正直に言うとワークがうまくできなくて嫌になってしまいます(本当にごめんなさい)。
    思い切り流れに逆行しようとエネルギーを使いまくり、それしか分からなくなってしまった…。受け入れるって…??こんなにたくさんヒントがありながらどうしてよいのか分からないです…。

    • Kさん、こんにちは。

      今のご状態で自分でワークするのはかなり難しいかも・・・・という気がいたします。20年以上病院で改善されないということも考え、ヒントがあるとはいえ、ブログの短い文面を参考にするだけでは、そう簡単にはいかないかな~と思います。

      私たち心理セラピストは実はかなり心や心と体の関係など日々学び、いろいろと模索しております。そのへんの細かいところ、実践的に肝心なところはブログに書けず、ほとんど書いていないんです。

      とりあえず、不安、恐怖、後悔を受け入れたらなくなるはずだ(結局はまったく受け入れていない)と思いながら、受け入れをするのは非常に難しいので、それよりも個人セッションを受けて頂き、思いや感情を紐解きながら、セラピーを使って受け入れをしていったほうが良いかなと思います。

  2.  ご返信ありがとうございます。
     この20年で精神科、心療内科、カウンセリング、セラピーの内容はとても大きく変わったと思います。病院は投薬治療がやはり主流ですが薬が変わっても新薬が出ても「脳」への何かしらの作用が主なのです。が、今年に入って私は初めて「休むこと」の意味が分かった気がするのです。それは頭の思考による心と体の抑えつけ、支配からの脱却なのではと。「休む」という意味も心と体を開放することなのではと。
     また、今まで残念ながら「なぜそう感じるのか」の根本に着目することを知らず、感情に向き合うこともまた知らなかったのです。数年前バイロン.ケイティさんの「ワーク」を知ったときもまだ思考支配の試行錯誤で「ジョギングが改善させてくれるらしいので無理にでもするべき(強迫観念になってました)」「これは食べると良くないといわれているので食べるべからず(摂食障害の基礎にもなっています)」、などなどで、このバイロン.ケイティさんの「ザ.ワーク」の真意のが良く分からなかったのです。
     そして薬が、カウンセリングが私を良くしてくれるのではなく、補助を使って私が私を見つめ、私が私を改善させることにも気がつきませんでした。常に自分の操縦席に私以外が座っている状態…。(私は産院から生まれて初めて家に連れて帰ってもらったとき、ずっと床に置かれっぱなしになっていてとっても不安でいやだったんですけど言えなかったんです。ちょっと言い辛い状況をなんだか感じて) 
     最近たまたま心療内科のデイケアで「自分はいてはいけない、存在が迷惑だから」という思いを持っていることに気が付いたのですが、でもそれをどうしていいか分からなくて…。
     長々となってしまい恐縮です。ご相談にどなたかセラピーを今一度お頼みしたいところです…。

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