ハートの声と忍耐

ハートの声と忍耐・・・・・。なんかワクワク感があまりないですよね。

または、ハートの声と自分を律する力・・・。これもいまいち軽さが感じられないかもしれません。

とりあえず、ハートの声といえばワクワク♪だよねと思う人が圧倒的に多いかなと思います。

もちろん、それはその通りですよね。

ですが、ときどき “ん?それは本当にハートの声?”と思う状況に遭遇します。

例えばある人が“これは、私のハートの声だから・・・・”と言った後に、そこに“だから私はやりたいようにやるの”、“だからあなたはそれを許してくれないといけない”といったニュアンスがあり、でもこちらとしては迷惑なんだけどなぁとか、私があなたのハートの声に合わせないといけないの?みたいな場合があります。

で、それって本当にハートの声?と思うのです。

基本的にハートの声とは、自己愛から出てくるものですね。なので、自分の中に自己否定や恐れが多く、愛が隠れてしまっているときに、ハートの声を聞こうとしてもエゴの声のほうがうんと大声です。

ということで、インテグレイテッド心理学のおさらい~♪

まず、自我(=ここでは通常の私たちのことを指します)の根本的な衝動や欲望は「生き残ること(サバイバル)」にあります。ですので、自我の根本の恐れとは、肉体の死と精神の死ですね。

肉体が死なないように食べていけるように頑張る。だから嫌な仕事でも続けないといけない。または、お金がどんなにあっても、もし生きる意味が見つけられないとか、または自分などいてもいなくても良い存在だと思えば、やはり精神の死に向かっていきます。

なので、お金も充分あって、人の役に立っていて、素敵な夢やいきがいがあれば、生き残り率はぐんと上がり、安心だし、自己肯定感も高まって嬉しい。一方、お金がなくて、なんの役にも立っていない自分となれば、生き残り率も自己肯定感もどん下がりで苦しい。

私たちの人生を見回してみると、ほとんどが食べていくためと良い自分であるために費やされているはずです。

ですので、普通にしていると私たちは自分の生き残り率が高まることに、ワクワクしてしまうものです。つまり、エゴがワクワク嬉しくなることをハートの声と勘違いしてしまうことがあるとということです。

ですが、そもそもエゴのワクワクなので何だかどこかが自分勝手・・・。私がそうしたいの、私が~、私が~、(あなたのことは考える余裕なし)みたいな。

でも、今回書いてみたいポイントは「エゴのワクワクには忍耐力がない」という話です。

ということで話を戻して、生き残り率を高めたい・・・、言い換えれば、今の自分に何かが足りないんです。

意識されているかされていないかは別にして、何かが足りなくて、今の自分、今の状況が良くないんですね。

それは例えば、心の飢えや不安、恐れ、またはアイデンティティの不確定さ、自己価値の低さなどであり、それらが心の深いところにあるとき、心は何とか一刻も早くそれを解消したいと思います。

なので、早くやりたい、早くなりたいという衝動が非常に強いんです。

あまりに強いので、自分でそれに気づくことはほぼ不可能でしょう。衝動やある感情がものすごく強いとき、私たちはその衝動や感情そのものよりも、そこから沸いて来る思いのほうにどっぷりつかってしまうからです。

例えば、心の飢えが非常に強い場合、心の飢えからくる衝動そのものに気づくよりも、それを埋めてくれるもの、例えばソウルメイトとか、やりがいのある仕事とか、それをどう得られるか?という思いに完全に囚われてしまうんですね。

また、それらが手に入ると思うととってもワクワクし、こうしてエゴのワクワクが発動するんです。

このエゴワクワクはエネルギーもけっこう大きいので、やりたいことを達成する力もあれば、それなりに良い成果もあげられ、そのまま何年もその勢いでやっていけたりします。

またそこに「人を助けるため」などといった、これまた自己価値を上げてくれる大義名分もくっつき、ワクワク感も長続きしたりするでしょう。また、応援してくれる人も現われたり、けっこう楽しい。

ですが、どうしても目線が自己中心になってしまうので、視野が狭く、周囲と折り合いがつかなかったり、何かしらの摩擦を生んでしまったりもします。

また、批判に弱く、すぐに犠牲者意識に陥ってしまったり(自己防衛や他者への攻撃もすごい)、または、何かで心がポキっと折れて、やっていたことそのものを辞めたくなったり、うまくいかないと、そもそも本当にやりたかったのか?みたいな混乱に陥ってしまったりもするでしょう。

で、早く!の反対は、もちろんゆっくりですが、ここで忍耐力と自己を律する力に話が戻ります。

というのも、ハートの声に従っていても必ずチャレンジはあり、それらを乗り越えるには、自分や他の人、そしてものごとへの深い理解がないとけません。

歯を食いしばるような苦しい我慢ではなく、深い智慧と理解による忍耐は、そこに優しさと落ち着きがありますね。また、ただひたすら頑張る自己抑制ではなく、“私は私の衝動を自分でケアできますよ~”という自己を律する力には強さがあるでしょう。

真のハートの声とは単にワクワクしているだけではなく、こういったクオリティがあるだろうと思うのです。

ということで、ゆっくり、じっくり、急がば回れ。まずは自分の中の愛を育てて行きたいですね。

 

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ハートの声と忍耐」への16件のフィードバック

  1. 私は創作をしていますが、純粋に楽しみたいのに、創作中もしょっちゅう、これはいいクオリティか?とか人からの評価だったりを気にして滅入ります。。頭では理解しても、体が焦るというか、、今回の記事、腑におちるところがたくさんありました。
    あゆかさんは三十代の頃、情熱を持って探求してたとのことですが、外からどう評価されるとか気にならなかったですか?
    私も今、三十代半ばで、生きるために自分がいいと思うものよりも、人が気に入ってくれそうなものを作る傾向があるので、、不安や焦燥感もありますが頑張ろうと思います

    • アイスさん、こんにちは♪

      他者の目が気になるというのは、私も含めてほとんどすべての人にあると思います。ただ、どこまで気になるかというと、そこも実は自己愛の高さと比例すると思うのです。

      自己愛がきちんと育ってくれば、自然と自分軸になっていけ、今のような不安や焦燥感も減っていくと思います。

      私は個人セッションを始めたころ、クライアントさんの評価がものすごく気になり、いつも自分のセッションにダメ押しをしていました。仕事を楽しむどころか、緊張と恐れのほうが大きく、だんだん苦しくなっていったので、腰をすえて自分を見つめてみました。すると、もうわんさか思い込みやら自己否定やら、すごかったです(笑)。

      それなりに時間がかかりましたが、今はまったく違う心持ちになっていますので、自分を見つめるっていいなと本当に思っています♪

  2. 歯を食いしばるような苦しい我慢ではなく、深い智慧と理解による忍耐は、そこに優しさと落ち着きがありますね。また、ただひたすら頑張る自己抑制ではなく、“私は私の衝動を自分でケアできますよ~”という自己を律する力には強さがあるでしょう。

    ↑この状態は、毎回内面を整理分別して心を掃除してマッサラに戻しますわけですから、
    瞑想する時間が大事で、
    怠りゴミが溜まると、あっという間に自分が見えなくなると思う。

    その上に
    この状態でいると、外から、都合のいい人間として色んなことをされて来ます。
    (私は私の衝動を自分でケアできますよ~”という自己を律する力に強さがある、という誇りに他人は張り合う反応しやすく、価値がないちっぽけな設定に押し下げたくなる様子です)

    このように、
    内側も外環境も引きずり落す流れがあり、
    それに逆らい呑まれないように自己を整理するのは非常に大変で、
    常に勝てないので、私が〜を主張する方に足元もってかれ、
    その域から出られなくなっちゃいます。

    ↑他人でもそういう人よく見ます。
    元々いい人なんだろうけど、たまに混乱してエゴ出ちゃってる、
    でも、自分を見つめる整理力限界で壊れちゃってて、自分を把握できないまんま毒を出して川に流されてる。

    個人でも集団でもよく見ます。

    だから、やっぱり大変!
    殆どが混乱したまま逝くんだと思う。

    だったら、自分だけ整えてても、通用しないし、自分に勝ち通せないし。

    処世術や要領の良さこそを身につけ、エゴと混乱でいいや、と生きた方がいいのではないか、と思ってします。
    みんな大体こっちなので、自己を律する力があると、異物のように対立され、受難が多く自ら呼んでしまうだけと最近思うのですが、
    それでも、こっちの道がいいのかな〜と迷います。

    • 涼さん、こんにちは♪

      分かりにくい書き方だったのかなぁと思いますが、この記事の本当のポイントは、「自己愛」なんです。自己愛がきちんとあれば、毎回内面を整理分別して心を掃除する必要はぜんぜんありません。ゼロ不必要です。

      コメントを読ませていただくと、目線がどちらかというと、自己愛の目線よりも犠牲者意識の目線がとっても強い感じがします。その目線で見ると、自分がいろいろなことをされているように見えるし、他者も痛い目に遭っているように見えてしまうでしょう。

      自分を否定しているところはないのか?ほんとうに自分の事を深いレベルで受けいれている?というのが一番のポイントです。

      自己を律しましょうということではまったくないんです。

      今の目線であれこれ考えて身の振る舞いを決めるよりも、もう少しほんとうに自分の中に愛があるかどうか見てみませんか? もう少し目に映る世界が変わるまで(引き寄せとか思考が現実化するという話ではなく、投影が変わるという意味です)( ・◡・ )♫•*¨*•.¸¸♪

      • 毎回内面を整理分別して心を掃除する、とは、
        ここでいつも書かれ説明されている自分を知る分析行為の事です。

        ああなるほど、人からは私は、被害者意識に感じるんですね。
        私が被害者意識に見えるとしたら、私は、頑張ってそっちに行ったんだと思います。
        なぜなら、
        被害者も加害者もいない、全ては投影。私の中にボタンがある、コアビリーフがある、←こう捉えて生きると、その在り方は素晴らしいのに、投影を理解できない、わかりたくない人たちからは、怒れない人、自己肯定感の低い弱い卑屈な人、そう捉えられ、
        人のサディズムを引き出してしまうからです。

        この現象はなぜですか。どういうことだと思いますか?

        • こんにちは♪

          ピンと来ないことを書いていて、大きくはずしていましたらごめんなさい☆ 文章のやりとりだと起きがちですよね。

          とりあえず、自分を見つめるというのは、自分を分析行為はまったくしないんですよ。自己分析をしてしまう人は非常に多いのですが、たぶん何も変化しないと思います。

          思考で捉えるという作業は一切せずに、ほんとうに深いところにある自分がまったく気がついていない心象の世界、それは思いだけではなく、何層にもなった感情やイメージと「対話」するんです。このやり方はとても文章化できないので、ブログには今までまったく書いていないです。

          とりあえず、EFTやフォーカシング、そしてMRといったツールや、最も大切なのが「気づきの問いかけ」というかなり特殊なやり方を使っています。これは分析ではなく、掘り出し&ダイアローグです♪

          誰かのサディズムを引き出してしまうために、自分がなにかいやな目に遭うと思っていたとしたら、それがここでいう被害者意識です。

          ほんとうはそもそもそういう現象が起きていないんです。そういうことが起きているように見えちゃうんです。それが投影なんです。

          思いっきり嫌われそうなことを書いてしまいましたが(笑)、何千以上のセッションをしてきて、クライアントさんがおっしゃっていることはほんとうに解釈100%です。(私の苦しみももちろん100%私の解釈。苦しんでいる最中は事実にしか見えませんが)

          バイロンケイティ風には、“人のサディズムを引き出しているって、それはほんとう?”になります。

          あぁ、書いているのってじれったい~。今度ワークさせて頂きたいです♪(オープンカウンセリングをたまにやりますので、ぜひいらしてください)

          • 思いっきり嫌われそうなことを書いてしまいましたが。

            というあゆかさんのお言葉ですが、
            バイロンケイティも、あゆかさんも、ご自分で心理を発見していったので、
            そういう方の話は聞けますが、(逆に質問して見解を聞きたい)

            あゆかさんから習って教えられた程度の人が、
            憧れのあゆかさんの真似をするようにカウンセラーデビューし、こんなこと言ったら

            ほんとうはそもそもそういう現象が起きていないんです。そういうことが起きているように見えちゃうんです。それが投影なんです。

            この人、
            体験もなく知識を当てはめ「このクライアントはこうなっちゃってる人!」
            と決めつけて、裁きたいんだろうなー。
            実は昔の自分とかを私に投影しちゃってるからの確信で、昔の誤った自分を人に言いたい!という衝動かな?
            この人の「私は抜けた人、あなたはまだの人」設定の承認欲求にノリノリで利用されそうだなー。
            めんどくさいなー

            正直そう思うと思います。笑。

            私は、投影のことは、十代で自分で気がついたんです。
            当時は、そんな本も情報も出回ってない中でです。
            自分の感情と対話するのも自然に発見して、やってきてました。
            それを今、現実的ではない!と、捨てちゃおうかとなっています。

            普通の経過とは逆な気がします。
            エゴに気がつき→向き合う方向へ開かれ変容していった。
            ではなく、
            向き合う方向で開かれて生きたらトラブルが多い→エゴを入れたほうがいいのかもと変容し始めている。
            こっちです。

            あゆかさんのカウンセリングなら受けたいです。
            今度行けるようにしないとなあ。

            何度も、ありがとうございました!

  3. あゆかさん、これまで何度か記事を拝見し、コメントなどもさせていただきました。

    その時は「そうか、そうなんだ!」と気付きがありスッとしますが、いつの間にか、不満やら不安やらでモヤモヤしている自分にたどり着き現実は地獄の真っ只中です。

    今回の記事、またみなさんのコメント、あゆかさんからの返信を拝見してポイントは「自己愛」ということですが

    わたしは他人の目ばかり気にしてしまいます。
    職場では、いつも周りからの仕事の評価や、わたしのやってることは役に立ってるか?邪魔をしてないか?トンチンカンなことをしてないか?など、ビクビクしながら仕事をしてるんです。

    よくあるのが、Aという仕事があってやり方にはBとCの方法があるとし、どちらでもゴールは変わらないとします。
    わたしがBの方法でやると「Cのほうがよかったのかな?」と不安に思い、Cの方法でやると「Bのほうがよかったのかも」とまた不安に感じてしまうのです。Aという仕事をBとCのやり方どちらでも完結出来ているのに、常に不安でしかないのです。

    他の人が同じAの仕事をしてうまくやればやたら羨ましく思います。うまく出来てないのを見ると「わたしもああなのかもしれない。うまくやってるつもりが出来てないかもしれない」と、始終不安なのです。

    他人からの反応ほど怖いものはありません。自分の好きにやれば自己中で周りを不快にさせてるのでは…と不安になり、他人に合わせると太鼓持ちだと卑屈に感じてしまいます。

    何度か転職してますが、その都度、自分で自分を追い込み職場での居心地が悪くなり、辞めてしまうパターンが多いです。どの職場の人たちはみんなよくしてくれましたが、どの職場でも我の強い人がいて、わたしはどうしても我の強い人とうまく距離を置けずに、我の強い人からの攻撃をまともに受けてしまいます。

    わたしは結婚もせず、独りで暮らしてます
    食べるためだけに仕事はやれています。でもそれ以外は引きこもりに近いです。他人からの反応に耐えられないからだと思います。

    あゆかさんがおっしゃるような自己愛にたどり着くにはどうしたらいいでしょう。

    自分の中に揺るがない愛があるなんて、どうやったら理屈ではなく実感としてわかるんでしょう?

    何度か自分に寄り添ってみましたが、理屈ばかりで実感がわかずしっくりこないのです。

    • カノさん、こんにちは♪

      できれば、個人セッションを受けて頂きたいなぁと思いました。知識やスキルなしに自分の深層に入っていくのはけっこう難しいです。

      とくに自分の思い込みを自分で見つけるのは至難の業です。おっしゃるように多くの人の自己ワークは、自分の声がうるさく邪魔してきますし。。。

      Cのほうがよかったのかな?と思ってしまうということは、一つは、自分が選んだこと、自分がやっていることに確信がないというか、深いところでは、私は まったく能力がない(←これは単に例で、カノさんが本当にどう思っていらっしゃるかは探ってみないと分かりません)ぐらいに思っている可能性があります。

      だから、私が選んだものはダメダメだし、やることもダメダメだみたいな。または、自分自身そのものがダメな人間みたいな。

      ここではダメと言う言葉を使っていますが、深層を掘っていくと、一人一人言葉はとってもユニークです。(私は欠陥品、私は透明人間、私はボロ雑巾などなど)

      で、もし、こういった自分像があれば、まずそこにある感情を受容し、理解し、対話していくんです。そのうちにどうしてそんなに自分はダメだと思い込んでいるのか、ストーリーが見えてきます。

      そこで少し問いかけを使い、さらにその下の思いや感情を見つけていきます。このあたりにどっちゃり重たいエネルギーがあるケースが非常に多いです。

      でも、そこをワークし続けると、その下に否定的な思い込みに完全に隠されていた自分の真の声、もっとナチュラルな自分がいるんです。

      その子が出てきたとき、他者はもっと優しかったんだ~と見えてくるんです。今の状態だと、たぶん世界は自分が何をやっても突っ込みをいれまくってくる怖いところになっているかなぁと思います。

      もうそうなさっているかなと思いますが、念のため、今自分がなぜそういう状態なのかをまず許して、理解してあげてくださいね。自分の中に泣いている子がいるから他人が怖いだけです。

      どこかでワークをしてもらえるチャンスがありますように☆

      • あゆかさん、ありがとうございます!
        あゆかさんが書いてくださったまんまです… 世界は怖いところでしかないんです。だから半引きこもり状態になり自分を守るしかなくて…涙

        今回、あゆかさんのリンクを参考に個人セッションを受けることにしました!

        なぜか今まで、なんとかしたい!という気持ちとは裏腹に、真剣に自分と向き合うことが出来なかったのです。セッションなど受けても、どこか上の空、のらりくらりと逃げてました。

        今回はしっかり時間をかけて自分と向き合っていきます。
        ありがとうございます。

  4. あゆかさん、はじめまして。
    最近ブログを知り、過去の記事も読み本当に気づきの毎日です。
    (御本も全て読ませていただきました)

    以前の私はスピリチュアル(目覚め系を除く)系の本を読み、セミナーに参加し、宇宙のしくみをよく知れば、自己否定感を解消でき、理想の自分になれると思っていました。
    数年前に主人が多額の負債を負うことになり、これも何かのチャレンジと思って、私自身の夢だった副業を始めました。

    夢だった副業で少しは私も収入を得られるようになりましたが、貯金も底をつき鬱状態にもなり、いくら波動を高めようと引き寄せを信じようと、大して役に立たない私、自己否定感は変わずで私は何を信じていたんだろう、と気づいた時に絶望しました。

    その時に、あゆかさんのEFTの動画を知り、本当に衝撃でした。
    こうやって自分のネガティヴな感情を見つめ受け入れていく事が癒しになるんだ…と。

    それからEFTを習ったりセッションを受けて、自分の感情に寄り添う毎日です。
    そして「助けて、もう無理」という声を受け入れた時、初めて親兄弟に打ち明ける事ができ、みんな援助を申し出てくれました。

    ただ返済は長く、不安から鬱状態になることもしばしばです。
    自分の副業はすごく楽しいのですが、利益が少ないことで、とても落ち込みます。
    見つめると「大変な状況なのに、お金にならない好きなことをやっている」「みんなからバカにされる」「こんな弱い自分を受け入れて」と泣いている自分がいます。
    そして「そう思ってるんだね」と寄り添い、言いたい放題言わせてあげていて、その時は少し落ち着きますが、副業を続けて良いのかと悩みます…。
    主人は続けていいよと言ってくれますが、ギリギリの生活で思考ばかりがグルグルしてしまいます。

    >一方、お金がなくて、なんの役にも立っていない自分となれば、生き残り率も自己肯定感もどん下がりで苦しい。
     ↑
    まさにこの状態です…。

    もし何かアドバイスをいただけると嬉しいです…。
    以前より感情を受け入れて、自分と対話できるようになってきたので、長い目でのんびりやっていくことが一番でしょうか…。

    • はるみさん、こんにちは☆

      私は幼少の頃、父が祖父の借金を背負ったため、家も何もかも失い、ある宗教団体に預けられた経験から、お金への不安とトラウマがすごかったです。今でもまだあるなぁと感じます。

      ですが、将来への不安は、基本的にまだ起きていないことへのリアルなストーリーなので、私はそこをしつこくワークしました。やり方としては、ワーストシナリオをまず見ます。たいてい4こま漫画みたいな、そして死ぬみたいな短絡的なものが多いです。

      その次にそんな4こま漫画ではなく、もっと現実的なワーストシナリオを見てみます。(生活保護を受けるとか)で、もしすべてを失っても何が残るか?をよ~くよ~く見てみるんです。例えばそれは、自分が得ている愛、自分が獲得してきた知識などなど、精神的な何か豊かさは何も失っていないこと、そしてそれは希望として使えることを実感したとき、私は将来への不安はびっくりするほどなくなりました。

      私たちは人生の形(借金がある、子供が学校に行かない、夫が鬱だ・・・)のストーリーにはまりすぎ、必ずある愛を完全に見失ったとき、ものすごく苦しくなります。

      ストーリーにはまりすぎるときは、そこに感情の量が多いからですね。なので、感情へのワークをしつつ、だんな様がいいよ~と言ってくれる愛や、自分の中の愛(情熱とか楽しさとか)をもっと育てられるといいですね♪

      • あゆかさん、アドバイスをいただきありがとうございました
        優しさ(愛)を感じ、号泣してしまいました…。
        (こちらのブログで、いつも他の方のコメントに共感し、またあゆかさんの返信を励みに読んでいました)

        不安と緊張の日々です。
        でも、あの時の絶望がなければ、あゆかさんのことも知らず、自分を見つめ、ネガティブな自分を受け入れるという事をここまで真剣に取り組まなかっただろうと思います。
        あの絶望も幸いな事だったのだ、と気づきました。
        また借金の事では、夫婦で絆が深まったし、親兄弟の条件のない愛を感じました(情けなさもいっぱいありますが)。
        副業もこの状況でも、やっぱり辞めたくないという思いもあります。
        (ただ私の情熱が消えない、という感じなのです)

        ワーストシナリオにじっくり取り組んでみたいと思います。

        これからもブログを楽しみにしております。
        いつかセミナーなど参加できれば…と思います。
        本当にありがとうございました。(^^)

  5. 自己愛を体現されている方って美輪明宏さんだったり
    はるな愛さんだったりするのかなと思ってしまいました

    好きな事をしていて周りもその人の魅力に惹き付けられる
    そんな感じなのでしょうか

    あゆかさんのブログも楽しんでいらっしゃるな~と思えるので批判の視点もなく読めている気がします♪
    ただ難しいので読んだ気になって自己満足に浸っている私ですが…

    • ゆえつんさん、こんにちは♪

      自己愛を体現している方もいらっしゃると思いますが、それほど大げさなことでもないかもです。特別な感じになるわけでもなく、周囲が優しく見えてくれば良いのかなぁと思います。

      そして、あぁ~~、難しいんですね。実はよく言われます。なのにお読み頂きありがとうございます☆

  6. あゆかさん、いつもブログで学ばせていただいています。ありがとうございます。

    ”エゴのワクワクには忍耐力がない。”

    この言葉を読んで真っ先に思ったのが
    「だから私は熱しやすく冷めやすかったのか!」という思いです。

    いままで、好奇心と情熱でいろんなことに挑戦してきたのですが、すべて面白いくらいにある時を境にあっさりと興味が引きました。

    それって、自分の価値を高めたくてワクワクしていたエゴだったのかなぁ…と。
    少ししょんぼりしつつも、反面、ハートからのワクワクの見つけ方に指針ができたのでその点ではとても嬉しく思いました。

    今度はハートからのワクワクを体感するぞ!

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