憎しみが癒される場所

オウム真理教の死刑執行に関して、遺族の方が「悲しみは癒えない」「死刑よりも重い刑罰がないのが残念だ」というようなことをおっしゃっていました。

この言葉から、心の傷がどれだけ大きいのかがよく感じられます。

毎日毎日愛する人への思いが走り、不条理な出来事に数え切れないほどの“なぜ?”を心の中で投げかけたことでしょう。

面と向かって自分を苦しめた相手に大声で叫びたかったかもしれません。

“お前は私の愛する人に一体何をしてくれたんだ!”

“何も罪もない私の大切な人に!”

“私の人生を返して!私の希望を返して!”

どこにも吐き出せない声をずっと押し殺さなければいけない辛さ。それが、年月が経つほどたまってしまう。

もちろん、遺族の方々の心の内には、もっともっといろいろな思いや感情が大量に巡り巡っているはずで、彼らの心を分析したいのでもまったくありません。

それよりも、憎む相手が死んでも心が癒されないとき、私たちはどうしたら心の平和を見つけられのか?を考えてみたいのです。

私たちは憎む相手が罰せられたら、痛めつけられたら、自分と同じ目に遭ったら、心は晴れると思いがちです。ところが、それがたとえ実現したとしても、そのときは一瞬心が晴れるかもしれませんが、やはり悲しみや苦しみは癒されないのです。

よく死んだ人が帰ってくるわけでもないというように、だから希望が持ているわけでも、喜びが戻ってくるわけでもありません。

ではこんな場合、私たちはどこに心の平和を見出せるのでしょう?

こういった問いは、ハウツーで答えるものではなく、これが人間を生きるということだと思うのです。

この問いを生きること自体が、生きる意味でもあるというか。

ネット上では、死刑制度に賛成する人と反対する人であふれていますが、遺族は死刑を望み、でも、心は癒されない、また犯罪防止にもまったくなっていない。。。。

遺族の方々がほんとうに望んでいるのは、死刑なのか?それとも心の平和なのか?

私たちは注意深く考える必要があるでしょう。

ということで、私自身も明確な答えを持っているわけではありません。

ただ、一つ確信していることは、癒しは愛によってもたされるということです。憎しみや恐れ、分離ではなく、理解、受容、許し、そして生命の流れといったものによってです。

とはいえ、憎む相手を許しましょうといった短絡的なことを言いたいのでもありません。オウム真理教によってどんなふうに愛する人を奪われたのか、一人一人の背景を知るほど、そのようなことは軽々しく言えるものではありません。

そうではなく、もっともっと深いレベルで見ていきたいのです。(もちろん許すことができたら一番心は癒されますが、無理やりしようとしたり、または押し付けることではないでしょう)

もし、自分の心を深く探って、自分が最も求めているものが心の平和であるなら、もしかすると私たちは一度人生の形(こうあって欲しい、こうあるべき)を忘れてみる必要があるかもしれません。

アジャシャンティは“Our mind is looking for an answer but our heart is looking for a deep, direct experience with existence.(思考は答えを求めるけど、ハートは存在の直接的で深い経験を求めているのだ”と言っています。

思考は人生に形を求め、自分が望む形になることが幸せだと言ってきます。その形の中には悪いことも、不条理なこともあってはならないし、すべてが自分の望む形ではないと思考は絶望します。

将来こうなるはずだったのに閉ざされた、こんなふうになるはずではなかった、まさか自分に、私たちはこういった思いとともに絶望し、人生の生きる意味を失っていきます。

一方、ハートは形を求めず、人生の中で現れては消えていくすべてを深く経験することを求め、それが生命の動きだと知っています。

だから、心の平和を見つけたいとき、私は形を求める思考を一度横に置いて、“私がここで一番望んでいることは何?”とハートに尋ねます。(もちろん頭で考えてしまわないこと)

体をよく感じ、感情の発露、感情の声を待つのです。

だんだん気づいてくることは、どんなに絶望していても、何かが自分を生かしていることです。

そのうちに生命のあらゆることを無邪気に経験したかった子供のような自分に出会えます。それはおそらくすべての人の中にある最も原始的な魂の思い、純粋な欲望。

その子の目には人生はワンダーランドで、起きるすべてを体いっぱいに吸い込んで感じたいと思っています。

直感的に、私は自分の中でこのナイーブで純粋な子を育てれば良いのだ、この人生を感じ切る、すべてを経験したいと思っているこの子が成長したとき、私は人生のあらゆることに感謝できるようになるだろうと。

その子のナイーブさが深い経験に変わり、純粋さが深い智慧に変わり、生命の意味を真に理解していけば、私は生命の流れそのものになるだろう。

それは形にとらわれない人生への賛歌で、思考がひどい、非情だ、残酷だと思う出来事を癒してくれる。

でも、それはハウツーのように育てられるものでもなく、インスタントにできるものでもないでしょう。

ただ、この道へ方向転換することで、憎しみや悲しみのエネルギーから自分を救い出すことはできるかもしれません。

思考は人間はなんのために生きているのか?と尋ね、ハートは生命が紡ぎだすものを深く感じることと答えるでしょう♪

 

PS:もちろん、OADなどで悲しみや苦しみを生きやすいレベルまで癒すことは可能です。

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ノンデュアリティと癒しのお話会 in ロンドン

日時:7月28日(土)14時30分~16時30分、約2時間(14:15開場)
会場:Farm Street Church (114 Mount Street, London W1K 3AH)
(最寄り駅:Bond Street or Green Park)
料金:20ポンド(当日受付にてお支払いください)
ご予約:mariko.beswick@yahoo.com
※キャンセルの場合は出来るだけ早めにご連絡くださると助かります)

憎しみが癒される場所」への10件のフィードバック

  1. 私は、基本的に死刑制度に反対だ。一人の犯罪者の命を、奪うか温存するか。人間の命の存続と滅却の境界線、つまりは死刑判決なんだが、この境界線を、人間がどういう基準で合理的に判断できるというのか。そんなことは神でも決められない。女子供を殺戮して比叡山の僧侶たちも殺戮した織田信長は、今では英雄だ。人の命を奪うことに、その可否に、人間が介入していいものか。時代背景や怨恨の度合い、いろいろ判断基準は作れるだろうが、やはり人間が人間を殺すときに、その責めを決める客観的で合理的な理由は、あり得ないと思う。

    • 秀峰さん、ありがとうございます。

      私も個人的には死刑制度に反対です。おっしゃる通りでもありますし、死刑で事件が解決、終止符が打たれるとなってしまうと、同じことが繰り返される気がします。事件を起こした当事者の心の闇や時代背景やもっともっと明るみにしてくべきかなぁと思います。

  2. あゆかさんおはようございます。すみません、質問させてください。
    あゆかさんのお話されている「ハート」は「気づきの意識」と同じ意味なのでしょうか?

    この頃、私自身、思考、感情、感覚などただ見つめることが増えてきました。そして自分という感覚も思考によって作られたものということも実感として理解できるようにはなっています。今も時々あゆかさんのyoutubeの動画を拝見させてもらっています。
    まだ「シフト」と呼ばれるような、完全に自己が抜け落ちることは起きていないです。

    以前から「ハート」という言葉は非二元の話でいろいろなところから見かけるのですが、いまいちつかめないので質問したいとおもいました。

    どうぞよろしくお願いします。

    • ななちぶしさん、こんにちは♪

      ハートと気づいている意識は、時空がないとか、受容、愛、理解といった、その性質が同じですよね。ただ、ブログで書いているハートは、その人特有のハートの思いを指しています。

      ハートはこれこれこういうものだと思考で捉えようとすると、それは思考の枠にはまってしまいます。つかめないとおっしゃっているので、何かこれがハートだという枠?定義?を求めているのかなぁと感じました。

      体をよく感じて、感情や感覚を深く感じるだけです。とってもシンプルな話です♪
      そこにななちぶしさん特有の衝動、情熱、願い、いろいろあるはずです。

      また、シフトは起きても、起きなくても、どちらでも自分の本質が何なのか、体験的に理解できれば良いのかなと思います。本質が何なのかを知る流れはいろいろです。完全に自己が抜け落ちるシフトが起きるものだ、という一つの考えに囚われないほうが良いかもですね。(囚われていなかったらごめんなさい)

      • あゆかさん、こんにちは。
        ご返事ありがとうございます!

        「ハート」について、自分なりに理解できました~ありがとうございます!

        シフトについては、自分で起こせるものでもないですし~自分の本質を主体としてこれからも生活していきたいです。

        ありがとうございます!

  3. 本を読ませて頂き、希望がみえ、パァっーと明るい気持ちに変化しました。
    しかし、私はパニック障害を発祥して8年になります。日々この不安の思いであがったりさがったりのくりかえしでほとほと疲れてしまいました。なにかアドバイス頂けたら有難いです。

    • こんにちは♪ (お名前がフルネームになっていらっしゃるので、もし必要でしたら、下の名前だけにできますよ)

      拙書をお読みいただきましてありがとうございます!

      さて、パニック障害ですが、コメント欄のアドバイス程度ではまったく足りませんので、宜しければ下記のサイトをご覧ください。

      ちょうどセミナーもありますが、東京近辺にお住まいでない場合は、このサイトのQ&Aなどもご覧になってみると良いかと思います。

      一番良いのは個人セッションを受けることかなと思います。(スカイプでも可)

      http://panic-disorder-counseling.com/%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC/pd-seminar/

  4. いつも素晴らしいブログをありがとうございます。
    「思考は人生に形を求め、自分が望む形になることが幸せだと言ってきます。
    一方、ハートは形を求めず、人生の中で現れては消えていくすべてを深く経験することを求め、それが生命の動きだと知っています。」
    一言で的を射抜いた素晴らしい言葉ですね。
    ハートの言葉が自分の深いところの言葉のはずなのに、思考はその逆をもっともらしい理屈をつけて迫ってきます。
    この構造のお陰で、色々な経験をすることが出来ているのでしょうが、最終的には全て許して受け入れないと自由になれない気がします。
    なんてまだらっこしく出来ているのでしょう。
    でもこの構造が理解できて目の前の現実が映画のスクリーンだと得心できれば、いろいろ悩まなくて良いのかも知れません。
    というより、悩んで、許して、軽くなることのゲームなのかもしれませんね。
    人殺しは決して許せませんが、それをテレビ越しに見て感じている私の経験に何か意味があるのか正直私には良く分かりませんし、出来れば見たくありません。
    積み重なっている私の業が消え、私のハートが平和で溢れ、スクリーンにも平和が映し出されることが望みです。
    私の中の怖い事達を、許して受け入れてあげることが必要ですね。
    チチンプイプイ~!
    怖い事達、もう良く分かったから無くなってもいいよ♪

    • 番爺さん、こんにちは♪

      こちらこそいつも素敵なコメントをありがとうございます。

      ほんとそうですよね。思考があまりにもっともらしいので、私たちはどうしてもそっちへ引っ張られがちです。安全そうにも見えますし。

      おっしゃるように、自分のなかの恐れや恐怖を許し、良い意味でのあきらめ(降参)が平和に導いてくれるかなと思います。

  5. ああいった、悲惨な事件が起きないためには、死刑制度を入れるより、
    自分の感情の扱い方の教育を導入した方がいいのだろうと思います。

    みんな、自分の感情に気がつき整理することにも無知だから、
    全て外に放出してしまい様々なことを起こし、巻き込まれて行くのもそうだと思います。

    麻原被告は、親が稼業で忙しく、盲のお兄さんの支援学校での世話をさせるために
    弱視程度だったのに盲学校に入れられた、と子育て教育の有名な先生の本で読んだことがありました。
    私も詳しく知っていませんが、
    生育歴で道具にされていた人は、寂しさ、悲しみ、怒りが沢山抑えられてる。
    その自分の状態のケアに無知で、他人を道具に動かす事で楽になろうと向く。
    これら迷いをみんなでやり合い繰り返している。
    戦争の痛手も流れに入っていて、社会は入り乱れて、ずっと続いているけど、
    人類は傷を少しづつ解消出来ているんだろうか。

    生まれて、物心ついた時、
    本来、自分だけの生を楽しく謳歌していけるものと勘違いしているから、
    その当たり前が叶わない不満と喪失感に苦しんでいるかな。
    本当は、人類の痛手を癒して行く層の一つとして、生まれてると思うと、
    これでいいのだ、と思えるのでしょうか。

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