私たちは“複雑”なんです♪

来週イギリスに戻りま~す。イギリスに戻る前の数週間はいつも忙しく、なかなかブログがアップできません。ので、ちょっと短め♪

先日、日本ホリスティック医療協会というところで、新しい自律神経の理論「ポリヴェーガル理論」についてのお話をさせて頂きました。

こころと脳と、自律神経のつながり、ほんと~~に面白いです。

ということで、思ったこと。

私たちが、「こころと体はつながっている」というとき、

心理を学んだ人間は、“だから思いを変えれば、体も整う”と思うかもしれません。

一方で、ボディ系の人は、“だから体を整えれば、自然に心も変わっていく”と考えるかもしれません。

心理カウンセラーのカリキュラムに体のしくみはないし、イギリスの医学部のカリキュラムに心理学は3時間しかないそうです。(たぶん日本も少ない)

でも実際は、体のしくみが非常に複雑なように、心のしくみも非常に微細で複雑です。

そして、このこころと体が密接に、かつ複雑に入り組んでいる生命体が、私たちという存在なのだと思うのです。

そして、この高度に複雑な存在の源を見ていくと、それはすべてに流れている生命の息吹であり、そして、その生命の源をも見つめていくと、永遠の純粋意識である私たちの本質が見えてきます。

こんなふうに自分自身をミクロからマクロを見据えたとき、存在そのものへの称賛が自然と沸き上がり、自分の人生というストーリーに完全にはまっていた狭い視野から抜け出して、ちっぽけな自分から尊い存在としての自分が感じられるかもしれません。

そんな視点から、改めて自分の悩みや苦しみを見てみたとき、一つの苦しみがまるで入り組んだタペストリーのように様々なエピソードや思い込み、たくさんの感情などが絡み合い、または親や人類の苦しみともつながっていたり、決して単細胞的な単純なものではないでしょう。

なぜこんなに複雑、複雑~と連呼しているかというと、なかなか楽にならない、自己ワークがうまくいかないなどとおっしゃる方の多くが、ものすごく大雑把に自分を癒そうとしていると常々思うからです。

例えば、

一つのセラピーだけで癒そうとしていたり、

自分の思い込みを見ずにワークし、思い込みの中で癒そうとしている、

推測した原因にワークをしていたり(頭で原因を探ると一応辻褄が合うので、それだと思ってしまう)、

今の心の状態を見るのではなく、過去の出来事だけを癒していたり、

トラウマなど体のシステムが閉じているのに、思いや見方を変えるだけでどうにかしようとしていたり、

真我に目覚めれば良いのだと思い込んでいたり、

単純に知識やスキル不足で、意味のないワークをしてかすってもいなかったり

などなど他にもたくさん・・・・・。

(ネガティブナルシズムに陥っているケースもそれなりに多い)

そんな様子を見るたびに、いやいやもっと複雑だから、まずは自分の思いも体もじ~っくり丁寧に見て行こうよ~と言いたくなるのです。

ですが、自分の複雑さ、微細さを知らないと、この“じっくり”という言葉に待ちきれない人もそれなりにいます。“早く変わりたい、楽になりたい、誰かチャンチャンと癒して~”

もちろんその気持ちはものすご~く分かります。でも、その思い自体がほんとうの意味で苦しみと向き合うことを避けてしまいますね。結果的にいつまでも引きずってしまう・・・・。

でも、苦しみと向き合うということは、言い換えれば、自分ときちんと向き合う、自分の本当の思いと向き合う、そして自分を作り上げているミクロとマクロの世界と向き合うという意味でしょう。

自分が抱えている“悩み”というミクロの世界から自分の本質であるマクロの世界まで。

母が認知症になってね・・・・・、息子が引きこもっていて・・・・、自分に自信が持てなくて・・・・・、などなど、困った問題だ、早く解決したい、どうにかしたい、誰かアドバイスを!なにか方法は?良いセラピーは?

ツールや方法を探し求めることももちろん大切ですが、そこにあるものにほんとうに向き合ってみると、自分の心も体も深く理解され、そこからマクロの自分にきっと辿りつけるはず。

そのときはきっと、苦しみが無くなってせいせいした~ではなく、その苦しみがあって良かった♪と思えているでしょう。

それはまったく違った目線になった強さ、安心感、そして本質に触れた喜びという大きなおまけつきで。

ということで、

自分がぜ~~んぶの存在というのは分かったけど、じゃぁ、私は知識やスキルがないから自分では何もできないっていうこと?と思った方、悩みは解決されないかもしれませんが、それに向けた準備体操(笑)はできるかもしれません。

あくまでも準備体操です。根本の解決にはならないです~。

が、とりあえず、

1)思いを眺める

雲を眺めるように眺めるだけ、眺めた思いを分析したり、ジャッジしたり、何かしようとしない。

2)感情を眺める(体感覚も同じ)

同じ要領で。

※どんなドロドロした思い、みにくい感情、嫌な感覚でも、ぜんぶそこにあって良い♪

3)それらを眺めながら、鎖骨の下あたりを軽く指でトントンしながら、深呼吸をする

思いを見て、感情を感じて、そして最後に、

4)それらすべてに気づいている意識にただあってみる(寄り添う)

呼吸は適当に続ける。好きなだけやって終わり♪

では、次回はイギリスから~☆

☆☆☆☆☆☆

ハートレジリエンス協会ショートセミナー

2018年7月4日(水)10:00~12:00
「子どもに怒ってばかりの私。ママでいる事が辛い!
『もう一人で悩まないで』~心の仕組みを知り楽しく幸せな子育てを~」

詳細はこちら↓
http://heart-resilience.com/number/shortseminar-201807

少人数です。聞きたいこと、相談したいことをお気軽にどうぞ♪

お子様連れでも大丈夫です!

☆☆☆☆☆☆

JMET EFTプラクティショナー講座レベル1

2018年7月7日(土)10:00~17:00
“うがい、手洗い、EFT”
自分が気づかずに溜めている感情を解消して、スッキリしませんか?

☆前回お知らせした11月のマトリックス・リインプリンティング講座はキャンセルとなりました。2019年3月ごろを予定しております。いずれにせよぜひ学んでみてください♪

詳細はこちら↓
http://jmet.org/201807_eftseminarlevel1/

☆EFTプラクティショナーになるためには、レベル2の受講も必要です。

私たちは“複雑”なんです♪」への14件のフィードバック

  1. 今現在とても苦しんでいて、ただそれを癒すにはもっとその苦しみを見つめてみて、自分と向き合って・・・。果たして人はそこまで強く、その苦しみを乗り越えて行けるものなのでしょうか?そしてもっと根本に、そこまでして「生」を選ばなくてはいけないものなのでしょうか?

    • tさん、こんばんは、

      苦し過ぎるときは、向き合わなくても良いですよ~。苦しさへの抵抗を落として、良い意味でただあきらめてみるというのもありです。

      この記事のポイントは「向き合え」ではなく、私たちは複雑な存在だから、苦しみの紐解きは難しいよね、です。

      ただ、向きあうの意味ややり方が私が書いていることと違うのだろうなぁと思います。何も乗り超える必要もなく、強さもいらないし(というか、それは逆に邪魔になります)、反対にリラックスしながら、一つ一つほどいて楽にしてあげれば良いんです。

      ブログではやり方まで紹介できないのですが、例えばたくさんある向き合い方の一つとして、EFTのタッピングの動画などをご覧になって頂いても良いかもしれません。とはいえ、デモなので「向き合う」のほんのさわりですし、これはテーマがはっきりしているものです。

      単に生き辛いというテーマでもできます。もし、そうであれば、体のアプローチも非常に大切になりますよ。

      • 動画をご紹介いただきありがとうございます。大変興味深く拝見しました。ここまでやってもほんの「さわり」なんですね。人はどれだけの辛さを抱えて生きているのでしょう。やはり複雑さゆえのことでしょうか。
        単に生きづらいというテーマでの動画もあればぜひ拝見したいです。
        というか、是非あゆかさんにお願いして見たいです!!

  2. 一度若い頃に一瞥体験があって、
    また戻りたいと 本当に長い間、向き合ってきましたが、
    結局、お金に余裕があって、しじゆう自分の内面に専念注目してる時間の余裕。
    これがないと、まず無理で、
    更に、そこまでしても、自分がどうなっているのかなんて見えないまま
    何も始まらないで終わり、逝くかもしれないんですよね。
    なんて大変なんでしょう?

    めんどくさくて、疲れちゃう不毛さです。
    「実質、無理じゃない?もう、これでいいんじゃない?」と絶望的気分です。
    こんなに大変なのは、どういう意味があるんでしょうね?

    • 涼さん、こんばんは

      tさんと似ていますね♪

      そんなに大変なことはぜんぜんやらなくて良いと思いますよ~。私も大変なことは続きません。

      自分を見つめるには、ある程度の知識やスキルがないと難しいとは思います。大変になっている、不毛になっているということは、何かを見過ごしたり、思い込みがあったり、なんか違うのかなぁ?と思います。

      私自身は、自分を見つめていくのが楽しくて仕方がないし、受容や愛の感覚で終われるのが気持ち良くてたまらないのでやっています。そうでないと続かないですよね。

      ちなみに、一瞥体験をもう一度という目的で、私は自分を見つめたことはないんです。というか、それは不可能ではないかと思います。

      ここに書いている、自己の本質に導かれるとは、そういう意味ではなく、受容や愛という性質を感じることができるという意味です。

      私なら一瞥体験への執着をまず捨ててしまうかもです。なんか全体的に修行をしているかのように聞こえるので、もっとリラックスして、楽しくやれる方法を見つけると良いのかもしれませんね。

      • 私の場合は、
        人が自分をどう捉えたか、どの様に解釈して見たか
        が読み取れると、そのズレに脱力してしまいます。

        ああこのイメージは変えられない。
        この人の思い込みから来てるから私には変えられない。
        だから、「私はそんな人」ということにされ続けるしかない。
        という無力感と絶望感に落ちていきます。

        これはカウンセリング中にもカウンセラーさんに向かっても出てきます。
        だから、それ以上 言う気が無くなって行く。

        内面を打ち明けるほど、
        正確に捉えられなかった、という絶望感が来て、
        アドバイスは、接待の様に聞いて過ぎるのを待つ感じで
        無駄感がとてもあるのです。

        それから
        一瞥体験というか、覚醒した突き抜けた感覚の時があって、その時は、
        心に矢が刺さっても、愛と受容に 自然に流れて行く。
        不快感情はちゃんと扱うルートがあり変化と消化ができる、と悟った経験があるんです。

        ↑今は、感覚がそこの領域を見失い忘れちゃった感じです。

        • 涼さん、ありがとうございます。

          他者が自分のことを正しく把握してくれること自体が、たぶんないかなと思います。自分も他者をほんとうに把握できるかといえば、どうしても自分の思いを通して見てしまうわけで。

          なので、誤解や違う目で見られることは、涼さんだけではなく、みんなが経験していると思います。

          でも、そこで無力感や絶望感に陥ってしまえば苦しいですよね。私ならそこを見てあげるかもです。正しく理解されたいと強く願っている自分とお話ししてみるみたいな。なにか事情があるはずです。(これもやり方が分からないと難しいかもですが)

          一瞥体験を再現するのはまず無理かなぁと思いますが、癒しの過程でそれを感じることはできると拝読してやっぱり思ってしまいました。ただ、簡単ではないかもしれませんが。

          コメントだけでは、それこそ正しく把握できませんので、違うと思ったらスルーしてくださいね。

          • 【他者が自分のことを正しく把握してくれること自体が、たぶんないかなと思います。】

            ↑はい。
            私をひょうきんな人、内気で暗い人、のんびりや、神経質、と、見る人の感じは自由で、何をもって正確に把握、となるのかも答えがないことですよね。

            私が悩んでいるのは、
            あゆかさんの以前の記事にもあったような事です。

            【投稿日: 2018年2月3日
            というのも、ある日、あまり眠れない晩がありました。まぁ、それなりにある話ですが、仲が良いと思っていた人があちこちで私への批判を繰り返していたと知ったからです。】

            これは、保身や自分の問題に向き合いたくない理由で必死にやる人がいます。
            その場合、でっち上げた嘘や意図的曲解を他人に入れ込み、ひどい人物像に仕立て上げ自分を有利にする目的なので、本当の私とズレてますし、
            聞かされた周りは、何度も刷り込まれて信じて行きますから、私は集団から正しく把握され無い上に、
            作られた誤解も簡単には解けないです。

            最近、自分を振り返るより、こういう 「他人やり込め技術」に長けてる方に向く人が多いです。

            自分ばかりが、自分と向き合い、自分を整えても、
            集団自体が内観や共感を卑屈と見て価値も置かないので、これはどうにもなりません。
            こういう世界の人たちは、お金の物質世界で生き残り優劣勝負に本気で向かっているので、その怨念パワーはすごく、
            自分はいないと非二元を悟っても、
            そのフワンとした平和さは弱さと見られ、格好のターゲットと攻撃され、
            非二元は、何のパワーもなく泡と消える自己満幻想、たわごとに やがて見えて行きませんか?
            職場組織やママ友合戦は本当にすごい汗
            自分と向き合う在り方の人が、向き合わないで襲ってくる集団と、
            どう関わっていけば良いのか解らないです。

            また、
            私は、巻き込まれると、
            「この人は、私をこう見ているな」なども言動からわかってしまい、
            そのどうにもならないズレに、
            脱力して電源落ちてしまいます。

            よくあるネットのカウンセラーの記事も、
            「これこれの、こういう歪み原因の人前提で分析記事を書いているなあ」
            と、その対象像が透けて見えて、
            それには当てはまらないケースの自分だとわかるので、
            あああああ、言ってもわかんないんだろうなあと感じ取り、脱力します。

            私は、これらの根源にある自身のトラウマは、発見しています。

            無料のコメント欄の場なのに、聴いていただきありがとうございました。

  3. あゆかさんこんにちは。いつもあゆかさんのブログを楽しみにしております。     
    質問なのですが、自分の中のネガティブな思い込みと向き合う中で、時に苦しかったり、しんどいと感じるときはどうしたらよいでしょうか。そういった思いがあることを受け入れながら見つめていけばいいのでしょうか。

    • aoiさん、こんばんは、

      もう少し具体的な例を頂けるとお返事しやすいのですが、例えばどんなネガティブな思い込みで、どんなふうにしんどいのでしょうか?

      例えば、“私は卑怯者だ”みたいなセルフイメージのようなネガティブな思い込みと向き合うのがしんどいとかそんな感じでしょうか?

      • 自分には価値がないという思い込みがあり、それに向き合うこと自体も少し辛いのですが、長い間自分の中にあった思い込みなので、解放することに対する抵抗があるのかもしれません。 
        自分でも気づかないぐらい深いところにあった思いなので、ある意味で手放すことに恐れがあるのかなと思います。

        • aoiさん、ありがとうございます。

          向き合うこと自体が辛いときは、おっしゃるように、その辛さを先に見ていくことを私もやります。けっこうそこにすでにたくさんの癒しが起きたりします。

          また、「自分には価値がない」という思いをまるごとやろうとしていると、まだまだ大雑把なので、動かせない重たい石をかたまりごと動かそうとしているようなもので、確かに解放は難しいでしょう。

          セラピーの目的は、このがんとした思い込み(重たい石)を構成している中身、成分を分解して、一つ一つ紐解き、理解と受容で和らげ、最終的に自然に流れていける形に持って行くことです。で、これがそれなりのスキルや知識がないと難しいんです。

          ということで、結局、具体的なやり方は書けなくてごめんなさい!

          • あゆかさんお返事ありがとうございます。               
            思い込みの中身を一つ一つ紐解いていくことが大切なんですね。 
            心というのは複雑で、まさにタペストリーのようですね。                                        自分を見つめる中で、気づけたことや変化したこともあり、あゆかさんのブログからいつもヒントをいただいています。楽天ブログのほうも、今でも時々読み返すぐらい大好きなブログです。

  4. で、貴方はいったい何ができるというのですか。
    中身のない理屈を並べ立てているだけで。

への返信 コメントをキャンセル