欠乏のストーリー♪~幸せのありか~

突然ですが、世論調査です。

①あなたが心の底から欲しがっているものが手に入る方法を教えます。

②あなたが心の底から欲しがっているものは手に入りません。無理!
でも、まるまる幸せを感じる方法を教えます。

どちらに一瞬惹かれるでしょうか?

以前の私なら確実に①で、欲しいものが手に入って落ち着いたら、②を知ってみたい・・・みたいな感じだったと思います。

なぜ、以前なのかというと、幸か不幸か自分が求めているものが手に入らなかったからです。

チーーン

おかげで私には、欲しいものをあきらめて、気持ちを妥協しながら生きるという選択と、幸せになれないってほんと?と自分を深く見る選択しかありませんでした。

で、もちろん、二つ目をじっくり見ていったのです。

いやいやまぁ、そこにあった感情の層、思い込み、長い間投資してきた「私の人生ストーリー」のエネルギーの量はすごかったです。

あっ、これは、いくつものワークを経て、何年間分を振り返った感想です。

ものすごく簡単にまとめてしまえば、私は壮大な「欠乏のストーリー」に深くはまっていたんですね。

もちろん、欠乏のストーリーを行きながらも、癒しが深まるうちに愛や受容も強く感じられるし、心に余裕も生まれるし・・・と、欠乏感はかなり減っていきます。

ですが、人によってはここが危ういポイント。はまっていることに余計に気づきにくくなり、“私はもう自分を癒したんだし・・・”と自分の見ている世界をすごく正当化したくなってしまうんです。

私はちゃんと自分を見れているから、この状況は私ではなくて私を認めないあの人がおかしい、いくら癒したところで、この状態が変わらないと安心できない~みたいな。(このパターンにはまるとかなりややこしい。もちろん経験者。)

私の場合、ほんとうに小さいときからこのストーリーが始まり、これがもう空気のように当たり前になって人生を歩んできました。

その感覚から世界を把握し、他者との関係を作り、人を判断し、仕事をして・・・・と、生きるフレームワークというか、あゆかのOS(オペレーティングシステム)だったのです。

ですから、当然自分がそんなストーリーにはまっているなどつゆほども気づいていませんでした。

OSというのは、ある意味「私そのもの」ですから、何かについて悩んでいてそれを解決しました!というレベルをはるかに超えています。

ので、OSにワークすることへの難しさは、あまりに当たり前になってしまっているため、自分の中で問題化しないという点です。

ですが、多くの自己ワークをしていくうちに、まるでパッチワークが一枚のデザインになるように、なにがどうつながっているのか、自分の自我の構造が見えてくるんですね。

で、そこに一貫して流れているストーリーがあって(一つだけではありませんよ~)、最も大きなストーリーが、私の場合この欠乏のストーリーだったのです。

そうやって振り返ってみれば、人生あれこれ自分中心に楽しんでいたつりだったけど、どこかにいつもアウトサイダーみたいな感覚があったことに気づきました。

改めて気づいてみると、自分には当たり前すぎる感覚で、それ以外の感覚って何?みたいな感じだったのです。

実際にそこを深く見てみると、「私は人生の王道を歩けない人」(なぜなら欠けている人間だから)というストーリーがガッツリ走っていました。

自分は日陰の人、人生の負け組だと強く思い、その視線から社会や他者を見ていたのです。

ちなみに私たちの意識上にある思いと深く心の中に抱いている思いは、ほぼ間違いなく違います。そういう意味で、カウンセリングやセラピーの目的の一つは、無意識を意識化することにあるとも言えるかもしれません。

さて、ここからが本番。(前置き長すぎ)

私は欠乏のストーリーにとりわけどっぷり浸かっていたほうかもしれませんが、基本的にすべての自我が多かれ少なかれ欠乏ストーリーを生きています。

愛やつながり、安定をどこかで常に求め、いつの間にかそれが生きる原動力となっていたりもします。

求めること=生きることみたいな。するとだんだん、求めないことのほうが寂しく感じ始めたりしてくるのです。求めることを辞めること=夢をあきらめることになってしまうんです。

ちなみに前の記事に書きましたように、ここではハートからではなく、心の飢えからの求める思いを書いています。

この勘違いが始まって、ますます求めることに執着するというパターンが強まる。

それが手に入れば、自己価値が高まる、罪悪感を感じないで済む、愛されていると感じられる、安心できる・・・・。

執着しているものが「悟りの真実」とかなると、これもまたややこしい。

でも、求める気持ち自体は決して悪いものではなく、そこには愛を感じられていない自分がいるだけ。なので、存在に気づいてあげて、言い分を聞いてあげて、そして抱きしめてあげる。

そして、求める衝動が癒されて行ったとき、手に入るボーナスは、幸せを探す場所を間違えていたことに真に気づけること。

それは、求めなくて良い心の平和の発見と自分や社会の思い込み、「かたちの幸せ」という縛りからの自由。

そして、自分の本質という穏やかな心に落ち着く。

ということで、“飢える者は幸いなるかな”♪

 

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欠乏のストーリー♪~幸せのありか~」への9件のフィードバック

  1. >>①あなたが心の底から欲しがっているものが手に入る方法を教えます。

    >>②あなたが心の底から欲しがっているものは手に入りません。無理!
    でも、まるまる幸せを感じる方法を教えます。

    どちらに一瞬惹かれるでしょうか?

    ◆一瞬ですかー?

    一瞬ですと、別に欲しいものはないなあ・・(信じないかもしれませんけど・・)

    で、その先は・・そもそも、幸せ求めたい!とか、感じたい!とか、そういう欲求が起こらないものあ・・

    って、感じですけど、

    この先も?人生が続いていくのを想いますと・・少ない時間と体力で出できて、今みたいに一日中、緊張しなければならないを仕事を変えたい・・とか、

    肉体の死後も、個人的な色々な・ある程度な感覚と分離感や、

    この気づきから起こってしまう、意識や認識活動が・どうしても?続いていってしまうのなら、

    先日他界した、大好きだった鷹と一緒にどこでも、飛び回りたいですね。

    私の場合、もう何事も?自動的に世論に染まらなくなってしまっていますので、世論調査にならないでしょうね。。(そういう人たちが世の中にいっぱいになれば、世論調査に値しますですね。。)

    >>「幸か不幸か自分が求めているものが手に入らなかったからです。」

    >>「チーーン」

    「チーーン」の意味が何だか定かではないですが、

    この場は、《不幸》だと、心に判断が下されたのでしょうか。。

    同じ事を想い出されても、その時、その場にて、「ああ、お陰で今の納得できる自分が居る」とか、

    「お陰で、こんな自分になってしまった!」とか、判断が“自分の状況”やその捉え方が変わってしまうと、その印象も、捉え方も、また変ってしまうのが、よくあると思います。

    今日は、「チーーン」だけど、明日は「パンパカパーン」となる?可能性もあるのでしょうね。(そう簡単ではない意識の条件付けもたくさんありますでしょうけど。)

    今回の記事で思い出しましたのですが、

    あゆか先生よりずっと、以前に出会いました、私の敬愛する不色の先生のジャスムヒーンさんが、

    長年の瞑想や座禅をし、探求をして来た結果、

    人類の根本の不幸の原因は、あゆか先生が今回挙げられました「飢え」によるものだとしていられましたのを思い出しました。

    「心・マインド(無意識な)のレベル」、身体の仕組みや衝動、細胞レベルで、

    この《飢え》のプログラムを書き換える事だと、言っておられましたのをよく肝に銘じていましたのを思い出しました。(^_^)

    こちらに公開すのには、不適切であれば、削除か、未公開にされて下さい。

    • isseiさん、こんにちは♪

      チーンの意味ですが、はい、ここで終了♪みたいな意味と、私の夢が成就しない成仏いたしました、みたいな感覚です。でも、いずれにしても深い意味ゼロで、ノリでそのまま書いてしまいました(笑)。

      私たちは自分を否定することでも、大きな心の飢えを作りますし、それらは人生のあちこちに感覚や経験として現れてきますが、自分を見つめるよりは私たちは状況のほうを変えようとしてしまうものですよね。

      いつもコメントをありがとうございます♪

      • 飢えと欲求、欲望がなければ、先進国や、日本の今の「物」に不自由せず、便利さや、快適さも有る人間社会の仕組みは成り立ってはいないでしょうから、

        飢えの気持ちや感覚をなくすという事が大きく広まり、常識となったら、

        自分たちの生活や生活環境にどう響いて来るのかということも、思い浮かびますね。

        💓コメントありがとうございます。

  2. 多くの人は①を選ぶと思いますが、心理学的には②を選んだ方が幸せですよね。
    欲しいものがないというのは、欲しいものを感じられないくらい感情を抑圧してるってことだと思うなあ。
    5年位前から、良いことしか起こらなくなりました。ものごとを俯瞰して見られるようになり、絶望を感じるようなことでも、感謝できるようになりました。自分がこんなにも感情を抑圧してきたのかと思うくらい、去年からよく泣くようになりました。もう、○○を卒業しようかなと思うと、それが近づいてくるようになり、驚いています。
    先日、亡くなった父が夢に出てきて「じゃあ、お父さん、もう行くからね。」と言って出て行くときに目が覚めました。すると、昨日、父が買ってくれた高価なお茶碗を割ってしまったのです。いい加減、父を卒業しなさいというできごとだったのかもしれません。

    • 池野恋さん、こんにちは♪

      このネーミング良いですね☆

      非二元的にも幸せってどんな状態かなと考えると、何も求めていなくて、今にくつろぎ満足している状態だなぁと思います。

      絶望を感じるようなことにも感謝ができるというのも一つの幸せの形ですね。
      素晴らしい~。

  3. こんばんは。今回の内容、とても刺さりました。あゆかさんのブログは、もともとノンデュアリティーをしりたくて、気づきのダンスを読ませて頂いていました。ですが、非二元だけでは解決されない心の問題…

    こちらのブログも拝見しているうちに、非二元だけでなく、私も当たり前にずっとある、この感覚や不安などからそろそろ本気で抜け出したいと思うようになりました。

    私にはできないという感覚、新しい場所で初めて会う人たちと上手くやって行けないという不安、自分に対する無価値感、人と自分を比較する、、、そして毎年この時期になると、新社会人や新生活、職場復帰などの言葉を目にすると悲しいような不安なような気分になってしまうのです、、自分にも何か分からないOSがすでにあったり、欠乏のストーリーに完全に浸かっているのかな、という気がします。

    インテグレイテッド心理学講座(2日間の開催されているものです)だけでは、この不安などを理解して変えて行くことは難しいでしょうか?セラピーを受けることも時折おススメされていらっしゃるので、その方がいいのか、、悩んでいます。コメント欄にこのようなご相談をして申し訳ありませんが、誤解頂けたら嬉しいです。

    • mini さん、こんにちは♪

      人とうまくやっていけない不安や無価値観を癒すことが一番の目的であれば、個人セッションが一番良いです。

      自分で癒せるようになるには、心理学とセラピーの両方が必要です。まず、自分の心の状態を理解して、そしてそれに対してセラピーを使います。どっちかだけというのは、私は弱いなぁと感じています。理解することと実際に施すことの両方が必要なんです。

      例えは良くないかもしれませんが、病気の症状について頭で理解しても、治すには手術したり、薬を飲んだり、具体的な治療が必要なのと同じです。

      でも、もし今の自分の心の状態を知りたい、または自我の心の作用を知りたいということであれば、ぜひ講座を受講してみてください。

      あと宜しければ、OADについて読んでみてくださいね~。

      https://ayukablog.wordpress.com/oad%ef%bc%88癒しのプログラム%ef%bc%89/

  4. SOS遭難信号。幸せなあゆかさんへ幸せのありかに誘導して下さい。

    子供の頃から人を怖がっていて、戦うと負けてしまうと思い込んでいました。また、心の底では決して他人を信用していませんでした。
    ですから、たった一人で自分の居場所を作って、その中で目立たず小さく生きてきました。
    それはまさに私のOSで、いつも考えていることなのにその前提を意識することはありませんでした、言葉にして(俯瞰して)考えることが出来なかったのです。
    今回のあゆかさんの記事を読んで、「私も欠乏のストーリーを生きている」と納得しました。
    負け組にいた方が戦わずに済むから楽なのかも知れませんし、人を信じて裏切られれば傷ついてしまいます。
    もう40年以上にわたって悟りや健康を求めて彷徨ってきました(お金も随分使ってしまいました)。
    OSは私に「健康になりたい」「悟りたい」「大金持ちになりたい」…と言わせています。
    しかしこのOSで検索しても出てくる問題点や答えは、このOSの範囲内に限られているということですよね。
    ブログにある「幸せを探す場所」って、OSのいらない場所のことかも知れませんね。
    辿り着きたいと思うと辿り着けないと言われるそこへ、辿り着きたい…。

    • 番爺 さん、こんにちは♪

      こんなふうにご自分のOSが見れているというのが素晴らしいなぁと思います。

      人が怖いと無意識に決めてしまった当時の自分を癒すと、悟りを求める思いなども落ち着いてくるかもしれませんね。

      私の飢えもそうでしたが(←完全に過去形にはできませんが)、飢えはどうしても何かを求め続けてしまいますので。

      どこかではなく、今ここにくつろげるようになれるときっと良いでしょうね♪

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