5歳の私~二極の先にあるもの~

「二極を超える」「二極を統合する」といった言葉がスピリチュアルな世界で書かれているのをときどき目にします。例えば、光と闇、男性性と女性性、善と悪の統合などなど。

ただ、これらは思考がレッテルを貼っているだけなので、思考のレッテルを外してしまえば、二極はたちまち消えてしまいます。

どこからが光でどこから闇が始まるのか? なにが男性性で、なにが女性性なのか、または何が善で何が悪なのか?これらは定義づけないと区別できませんね。

ですので、そもそも二極というのは現実にあるのではなく、思考の解釈であって、レッテルも定義も思考をはがした世界は、ただ無言にあらゆるものがあるがままにあるだけです。

と、今日はそんなしくみチックな話がしたいのではなく、もっと生身のお話し。つまり、自分の中にしっかり生きている二極について。

私たちは育った環境や経験、社会の刷り込みなどいろいろなところから、自分や自分の中にある思い、感情を善と悪、良い悪い、ネガティブ、ポジティブと二極に分け、これはあって良いものとこれはあってはいけないものとやりますよね。

例えば、優しい思い(善)は持って良いけど、嫉妬心(悪)は持ってはいけない。または、友人を裏切った自分(悪い)は存在するべきではなくて、人の役に立っている私(良い)は存在しても良いとか。

自分で悪と判断したものは、どうしても悪いようにしか見えず、自分の中で善と悪をなかなか統合できない、または自分をまるごと愛することが難しいと感じている人も多いでしょう。

私はセッション(現在、個人セッションはお休み)や自己ワークでも、フォーカシングというツールを年中使っています。とってもシンプルなツールにも関わらず、ものすごく深く、私に多くのことを教えてくれました。

フォーカシングの講座をはじめに受けたのは10年以上も前、ロンドン北部にある仏教センターでした。講座当日、会場の受付にはフォーカシング関連の本がいくつも販売されていて、その中で私の目を引いたのが、「Radical Acceptance」という本でした。

「過激な受け入れ・・・」私はその「radical」という言葉に深いショックを受けたのです。

それはどんなものでも受け入れるということ、うそっこなしにほんと~~にぜんぶ受け入れる、例外なしにとにかく受け入れることを意味していました。

つまり、それは善と悪、良い悪いという対立パラダイムが崩れてしまうことを意味し、なんだかんだといって、ネガティブな思いは悪いもので、それはなくすもの、変えるべきものと思っていた世界観が揺るがされてしまったのです。

しかも、私にとってフォーカシングがさらに過激だったのは、それらの思いに“こんにちは!”とあいさつしたまま、「何もしない」ということでした。

何もしない!癒すとか変えるとか、何もしない!ただ、それとともにあるだけ、終わり。

嫌なもの=敵=どうにかしてなくす、という深い刷り込みがあった私は、この「何もしない」というスペースに戸惑いながらも、同時にものすごい心地よさを感じたものです。

それ以来、許せない自分、恥じていた自分、誰がどう見ても悪い(と思っていた)自分とたくさんフォーカシングで向き合ってみたのです。

フォーカシングとは、超乱暴にまとめると、頭にテーマを浮かべて、体に感じる感覚(フェルトセンス)に寄り添っていくものです。

私は過去の決して許せない自分の出来事を頭に浮かべ、罪悪感の涙や自分を責める声にただ寄り添っていきました。すると、だんだんそこに寂しさ、恐れといった別の感情が顔をだしてきたのです。

寂しさに口があったらなんというだろう? そういった言葉だけ感覚に寄り添いながら、感覚と対話していくと、“気づいて欲しかった”、“頼るものがなくて怖い”といった、震えている声たちが聞こえてくるのです。

そしてその震えている声は、いつもなんだか5歳ぐらいなんです。それは何度やっても同じで、必ず最終的に5歳ぐらいの自分と出会うのです。

許せない、恥ずべき自分の下には、いつも認めて欲しかった、振り向いて欲しい、理解して欲しかったというかわいい声しかなかったのです。

またときには、何も感じないということもありました。あれだけ辛いはずだったのに、その出来事を思い浮かべても何も感じない。でも、そこに寄り添うと、感じないことで、また傷つかないように自分を守ってくれている声が聞こえてきます。

またときには、いつまでもいつまでも相手に対して怒っている声。その声と対話すると、“怒りを手放すと相手が正しいことになって、私の気持ちは無視される”という声。

それらの下にもやっぱり“どうしたら良いのか分からない”、“私はここにいるの、ちゃんと見て”といった5歳ぐらいの子の声。

自分の中で善と悪に分かれていた二極は、この5歳の自分との出会いで、どんどん薄れていきました。

二極の統合と言うけれど、結局そこにあるものは、愛を求める声か、愛で自分を守る声ばかり。

それまで、自分を愛するって難しい~~と思っていましたが、それは思考でダメと判断した上で、「そんなダメな私も愛します」みたいな、ほぼ不可能なチャレンジをしていたからだったのです。

フォーカシングが教えてくれたのは、思いではなくて「感覚・感情」にただ寄り添っていくこと。“何もしない”という無条件の受け入れが、癒しへと自ずと導いてくれることでした。

そして、私にとって後から大きなボーナスだったと分かったのは、感覚に寄り添っているようで、実は気づきの意識に限りなく寄り添っていたのだということです。

さて、そんなフォーカシングloveな私ではありますが、フォーカシングだけでは、5歳の子にいろいろと残ってしまうことも見えてきました。

そこで、次に出会ったのがマトリックス・リインプリンティングです。これによって、体感覚との対話から、マトリックスの世界へと一気に癒しの可能性が広がったのです。

話を戻して、スピリチュアルや悟りのメッセージは、自分の中にそれを落とし込んで本当にその意味が見えてくるでしょう。

ということで、毎回毎回同じメッセージ♪ 自分の中へダイブイン!

 

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5歳の私~二極の先にあるもの~」への12件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんばんは。今宵は中秋の名月ですね。
    5月の両国での心理学セミナー、ありがとうございました。
    過激な受入れという言葉を目にした途端、サレンダーという言葉が胸の真ん中に落ちてきて、なんだか胸のスペースが広がったような感じがしました。
    妙にお伝えしたくなってしまったので、コメントさせていただきます。

    • コメントをありがとうございます♪

      あはは、両国のインパクトが大きかったのですね。ちなみに「インテグレイテッド心理学」(←宣伝)です。

      そうなんです~。この言葉を意外にスルーする方が多くて、同じように反応して頂きとても嬉しく思います。

      受け入れて、何もしない・・・サレンダーそのものだと思います。

  2. あゆかさ~ん!

    私はコメント2回目ですが、まだあゆかさんとお会いしたことはありません。
    (MOMOYOさんとは一回ありますが。)

    今回の記事、すごくステキです!!!!
    自分にビンビン響いて・・
    まだ半分までしか読んでないですが、
    「ネガティブな気持ちにこんにちわと言って、終わり」というところまで読んで、もうたまらなくなってコメント書いてます!
    あゆかさん!!といって抱きしめたくなってしまったのです(ごめんなさい)
    妄想で抱きついてしまいました(笑)

    おっしゃることがストライク過ぎて頭がスパーク、物凄い光を感じました。
    それで先を読めなくなったのです。

    これを送信したら、少しずつ大切に読み進めます。
    恐ろしいほどに現実的で実用的で、こんな切り口を求めていたんだと思いました。
    私の中で宝石のようにきらめいています。

    どうもありがとうございました。

    • こんにちは!

      エアハグをありがとうございます♪ (*^_^*)

      こんなシンプルなことですが、本当にその意味が分かると、頭がスパークしますよね。

      自我にとっては大きな発見かと思います。そして、セラピストなので超実践主義です♪ うふふ~。

  3. こんにちわ😳私もEFTで 感情を解放していくと 「どうしたらいいのか わからない💧」と 1人立ちすくむ幼児の自分に行き着きます 親と離れて 集団に入っていったときの 心もとなさなのかな~
    不安と恐怖で 胸が締め付けられます
    次のマトリックス インプリンティング どんな感じなのかな?ワクワクします💞

    • こんにちは!

      とっても上手にやっていらっしゃいますね。表面の感情しか拾えない人も多いのですが、幼い自分に会えているということは、感情をうまく追って行けているのだと思います。

      そのままその子の感情をタッピング続けていても良いかと思いますが、マトリックスは、ぜんぜん違う次元の話になって癒しの世界が広がりますよ~。

  4. あらゆる事が無意識に同時に起こっていていて、隙間などなく、

    この『あらゆる事が同時起こっている』と見識も実は真ん丸いケーキを自分が好きなように切り分けて、(切り分けをしている)いるということですかね?

    もちろん、このコメントも、意志も、隙間もないし、何にもないけど、好き勝手に、無意識に、切り分け(表現? or 認識?どちら?)が、行われているということでしょうか?

    • こんにちは!

      これは、非二元関連のご質問カナ?と推察いたします。

      >あらゆる事が無意識に同時に起こっていていて、隙間などなく、

      この言葉は私の言葉でしたか?だとしたら、どの文脈で言ったのか覚えていないのですが、あらゆることが「主体なしに」に起きている・・・・かなと思います。

      ケーキを切っている自分がいないんです。決定者や行為者がいないというのが理解されると、あとは自ずと見えてくるかもです。

      で、そこだけに集中するのではなく、自分がいないのなら、じゃぁ、経験しているのは誰?という問いで、自分とは、体や思いを持つ存在ではなく、「純粋意識」「気づきの意識」であった・・・というアイデンティティの間違いがほどけるのかなと思います。

      • 非二元=もはや、迷うことない、わたしの(わたし活動の)日常目線や感覚となっていますので、失礼致しました。

        こちら(わたしの方で)で理解したことを、記事の書き始めの文面と関連付けて、お伺いさせて、いただきました。

        何事も、今・瞬間に同時に“起きてる”は、あゆかさんの書いたことや、気づきではありません。

        コメントしました動機は、同じような見識を持っていらっしゃるか、或いは起こるか、試させていただきました。失礼を致しました。

        それによって、わたしのあゆかさんへの思い込みや、錯覚が正されますので、わたしにとっては、とても有意義な行為の一つなのです。

  5. あゆかさん、はじめてコメントさせていただきます。あゆかさんの投稿をいつも待ち遠しく楽しみにしています。 今回の投稿は、読んでいる途中から胸に迫り涙がポロポロこぼれてきてしまい、途中で一息ついて、そのあとはゆっくりじっくり大切に読み進めました。私の中のちいさな子が、さまざまな感情を抱えながら大きくうなずきながら喜んでいるような感覚でもありました。 あゆかさんの言葉はいつも私の深いところに寄り添ってくれていて、胸の中の何かが動きだします。感謝しています。ほんとうにありがとうございます。

    • こんにちは♪

      素敵なコメントを頂きありがとうございます。深く感じながら読んでくださることに心から嬉しく思います。お会いしていなくても、文章を介してつながっているのも嬉しいです。こちらこそ、ありがとうございます♪

  6. あゆかさん  お返事ありがとうございました。うれしく読みました。私もあゆかさんとこうして「文章を介してつながれること」ができて本当にうれしいです。あゆかさんのメッセージはいつも私を深くて静かな場所に連れていってくれます。そこから見えてくるものや気づかされていくことに感謝しております♪

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