“承認欲求”は分離を癒す入り口♪

“分かって欲しい”、“理解して欲しい”、“認めて欲しい”といった思いを心理学では承認欲求と言ったりしますね。ググってみるとあんまりピンとくる記事がないので、インテグレイテッド心理学風に見てみたいと思いま~す。

まず、私たち人間はみんな承認欲求があるよね~という前に、なぜそもそも、それがあるのでしょうか?

インテグレイテッド心理学的には、そもそもそういった思いの始まりは、「分離感」にあるとしています。

というか、ぜひ心の中を観察してもらいたのですが、私がいて、あなたがいて、私がいて、社会があって・・・という見方そのものに「分離感」がありませんか?

私は他者や外界と分離した一つの“個”である・・・という感覚です。おそらくほとんどの人にあるはずです。私たちにとって当たり前すぎるので、普段は完全にスルーしているはずです。

それでは、次にその分離した個の私は、どうしたら世の中に生き残れるのでしょうか? それも考えないで観察してみてください。

まずは、食べていけることですよね? そして、次には社会(周囲)から受け入れられていること。村八分になった自分をイメージして、のんきに暮らしている感じはないはずです。

つまり、この分離感が「周囲から認められ、受け入れられていること」を求めているわけです。では、自分は周囲から受け入れられている、認められている、理解されているとイメージしてみたら?

なんかすごく「いて良い感じ」とか「安心、安全」な感じがしませんか?落ち着きますよね?

本来の私たちが大海だとしたら、本当に求めているのは、この大海である落ち着いた自分を感じることなんです。「いて良い」なんて超えた存在そのものの自分です。

でも、個であると思っている私たちにとって、幼い頃は親が大海であり、世界ですね。ですので、親から愛されているということは、世界が自分を承認しているということになり、大海を感じられるんです。

思春期になると、友達が世界となり、友達に受け入れられているということは、やはり世界が自分を受け入れてくれていることになります。

なので、いじめというのは、世界が“お前はいらない”と言っているのと同じで、文字通り生きる場がなくなるため、非常に苦しいんですね。小さな胸の内は分離感と孤独感、絶望感でいっぱいです。それが分かっていれば、“いじめられる方も悪い”なんてとても言えません。

さて、大海であることを忘れた個の私が、承認欲求と同時に持ってしまうのが「欠如感」ですね。これもぜひ観察してみてください♪

個の私は、完全、完結した感じはあるでしょうか? それとも、何かが足りない、何かが完結していない感じがあるでしょうか? おそらく、欠如感のほうが感じられるはずです。

つまり個の私は、そもそもが「承認欲求」と「欠如感」が組み込まれているんです。

それでも、小さいときに充分に親から愛情を注いでもらっていれば、「大丈夫感」とともに、「自分は受け入れられる人だ」「周囲は自分を認めている」という感覚も育まれるでしょう。

ところが、それが十分に感じられなかった場合、もともとある「承認欲求」と「欠如感」が刺激され、そちらのほうが育っていってしまいます。

「私は理解されていない」「私は受け入れられていない」「私は認められていない」という欲求と飢えが育ってしまうんですね。

で、それが「理解されない私はダメ」「受け入れられない、認めてもらえない私はダメ」というビリーフともなり、自己否定も強まっていきます。

そうなると、例えば自分の思い通りに行かなかった場合、それは「理解されないダメな私」と「飢え感」を同時に刺激し、ものすごい怒りとなって出たりします。

すると周囲は、大人のくせに子供みたいな我儘なやつだ!とけむたがり、ますます「理解されないダメな私」が肥えてしまう・・・・という悪循環へ。

または、その飢えた感覚を「仕事の成功」や「恋愛のパートナー」や「引き寄せ」や「SNSでのイイネ」などなど、外から何かや注目をゲットするという行為に走ります。これはほぼ無意識で、あまりにいつもやっているので、意識されることはあまりないでしょう。

基本、自我は何をするか?何を得るか?で頭はいっぱいです。悟りもそのなかにほぼ組み込まれますね。(悟りに到達する、いつも平和な状態を得る・・・)

では、どうしたらこのサイクルから抜け出せるのでしょうか?

自分の何を理解して欲しいのか、どう受け入れて欲しいのかは、人それぞれです。なので、まずは自分の中にあるそれらの声に気づいてあげることです。

私の場合、それらの声がたくさんありすぎて、最初はやりきれないぞ~と思いましたが、一番強い声、傷ついている声に寄り添うことから始めました。で、くれぐれも、その声をなくそうとか、黙らそうとかしないように~。

そうではなくて、それがずっと求めていたこと、つまり「理解」をすること、「受け入れる」こと、ずっといて良いよと言ってあげることです。その声が欲しいものを与えてあげるんです。

ただ、ここで難しいのは、本当に理解して欲しい声や欲求は、往々にして潜在意識の深いところにあるものです。で、そこへのアクセス方法は、正直、ブログでは無理!出し惜しみではなくて無理~。

とりあえず、気づける声だけでも受け入れてみる価値はぜんぜんあります♪

最終的に、私たちが求めているものは両親や誰かの愛が意味するもの、つまり「大海の自分」を感じること、それを思い出すことですね。

つまり、分離の錯覚からの目覚めです。

と書くと、自我はすぐに“じゃぁ、自分を見つめるなんて地味なことをしないで、悟っちゃえば早いよね”と言うでしょう。または、一見スピリチュアルストーリーにも聞こえるので、高い次元への覚醒を目指せ!とも言うかもしれません。

違います。

自分の中にある飢えが大きいということは、分離感が激しいということですね。その状態のまま、分離の幻想から目覚めるというのは、ブレーキを引きながらアクセルを踏んでいる感じというか、基本ベクトルが逆過ぎます。

分離していると錯覚していた渦巻きが自分を深く見つめたら、渦が大海であることが分かるはずですね。

まったく同じように私たちが自分深くじっくり見つめていくと、自分に関するあらゆる思いや感情がすべて幻想だと分かるでしょう。

そして、幻想が落ちたとき、そこに残っているのは本質だけ♪

 

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