愛への一番のガイド役~それは見たくない自分~

なぜだか分かりませんが、警察の不祥事みたいな動画を先日見ていました。不祥事をあばいて、正義を通そうと頑張る側、必死に不祥事を隠す側・・・。おそらく人類が始まってから、ずっとあっただろう戦いです。

で、これも人類始まってからありがちだと思いますが、隠す側が権力者で、だから隠せ通せてしまうみたいな。そして、庶民は泣き寝入り・・・。

一見外側から見ると、庶民は弱い犠牲者側のように見えるでしょう。実際、人生は翻弄され、目に見えたダメージを受けているので、そう思うのは当然です。

話は少しずれますが、実際自分の中にある犠牲者意識にワークをしていると、あっという間に人類の犠牲者意識(集合的意識)につながってしまいます。人類の歴史を振り返れば、支配される側のほうが圧倒的に多いので、人類として犠牲者意識が集積されてしまっていてもまったくおかしくないなぁと思います。

ちなみに、一番最初そこにつながったとき、わぁ~手に負えないと思いましたが、そこはある意味個を超えた純粋意識の場でもあり、私はあっという間に愛と受容のエネルギーにも包まれました。

こんなふうに書くと、なんだか違う次元にアクセスしたとか、スピリチュアルな話に聞こえるかもしれませんが、普通に地味なセラピーのワークをしているだけです。(フォーカシングやマトリックス・リインプリンティングなど)

さて、話を戻します。

一見、強いのは不祥事を隠している権威側、弱いのは犠牲者側に見えるわけです。

でも、こころのしくみから見ると、守ろうとすることで圧倒的に自分を弱めてしまっているのですね。地位や収入、世間の評判とか、そういったものを失うことからなんとか自分を守ったかもしれません。

ので、外側から見れば、引き続き安定した人生を送っているように見えるでしょう。しかし、“私は本当は不祥事を働いた”という事実に毎日向き合うのは辛いので、たいていは理由をつけて抑圧し始めます。

つまり、そこは絶対に見たくないゾーンになるんです。で、見たくないゾーンが私たちに何をするかというと、実は、私たちをコントロールし始めるんです。

ないことにしたものに、逆に私たちは支配されてしまうのです。このケースの場合、人それぞれでしょうが、どんな感じになるかというと、まず、自分は悪くないという仮面をしっかりつけ続ける努力をしないといけなくなります。

無意識の努力ですが、かなり疲弊します。そして、ちょっとでも悪い自分になりそうな状況があれば、必死に守り、攻撃しないといけませんね。

そして、潜在意識のある意味怖いところは、もともとの一つの出来事だったことを広く一般化してしまうことです。つまり、最初は不祥事という出来事だったのが、いつの間にかいつでもどこでも悪い自分になってはいけなくなるんです。

すると家庭でも、自分が悪いと言われているような気がする(←脅迫観念状態になります)だけでも、反応してしまったり。

どんな形で出るかは、人それぞれです。ですが、ポイントは、表向きは安定した暮らしを維持したのかもしれませんが、心の中は毎日防衛と攻撃だらけで、精神的にはかなり疲れる状態になってしまうんです。

でも私たちは、たいていこんな心の動きには気づかず、不幸感やイライラ感などがただ高まっていくだけです。

ですが、確実にその人の精神や人生の輝きを奪い、弱点となってしまうんです。

ちなみに、例えば愛する家族を守るとか、そういうケースの守るではないことはお分かりかと思います。

例えば、家族を守った自分をないことにしなくても良いわけです。そういう意味で、“ないことにしておきたいもの”を守っているという場合です。

例えば、ネガティブなセルフイメージもそうです。“私は頭が悪い”、“私はいなくて良い存在だ”、“私は罪深い”、“私は醜い”といった思いと向き合っていたくない、または、頭が悪い私をダメだとまた否定する、などです。

“否定する”と“ないことにする”は、ある意味同じです。この場合はなんとか“できる私”にならないといけないんですね。で、そうすると同じようなことが心の中で起きます。

つらつらと説明してきましたが、これは決して理論でも私の考えでもなく、心の観察と自己ワークやセッションからの経験を書いています。

現場のセラピストですので、心理学の理論、データ、分析などにはあまり興味がないんです。なぜなら、セッションでほとんど役に立たないから、終わり。

さて、また話を戻して、私も自分が不誠実だなと感じることがあります。本当のことを言っていない、自分を守ろうとしている・・・と。そんなときはやっぱり心が落ち着かず、体に力が入りません。

例えば、本当はすごく腹が立っているのに、寛容な自分にみせたいなど。些細なことに聞こえますが、いつもやってしまうとやはりすごく疲れてきますよね。

あとは、自分が傷つかないように心を開かないようにしておく、がっかりしすぎないように期待を持たないようにしておく、というような形で自分を守ったりすることも、私たちはよくやると思います。

弱い自分、悲しむ自分をないことにしたいんですね。でも、ハートを閉じてしまうことで、実は恐れがひどくなり、希望を持たないことで、うっすらとした憂鬱が私たちを支配し始めます。

じゃぁ、どうすれば良いのでしょうか?

すべての平和は、防衛や攻撃ではなく、「対話」から始まる。

ということで、「ないことにしたい自分」との対話が最初のステップです。

その自分をどうにかしようとするのではなく、理解しようとすることから心の平和は始まります。
で、対話を続ければ、どこにたどり着くと思いますか?

そうです。最終的には、弱い自分や悪い自分というものは存在しなかったと分かるはずです。
そしてそのときに、本当の意味で私たちのハートが開き、いろいろな幻想が落ちます。

ということで、見たくない自分とは、実はどんな聖人の言葉よりも一番パワフルに私たちを愛へと導いてくれる存在ですね♪

 

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愛への一番のガイド役~それは見たくない自分~」への2件のフィードバック

  1. 「ないことにしたものに逆に私たちは支配されてしまう。」
    「自分は悪くないという仮面をしっかりつけ続ける努力をしないといけない。」
    印象に残りました。

  2. こんにちは。

    こんなことできるの?!と、思っちゃいましたが、さらりと当たり前のように書いてあって、変な言い方ですが嬉しかったです。

    弱い自分や悪い自分がいない、との言葉がなんかもう、「ええ?!そうなの??」って思います。

    いまこの心の中にいるグルグルとしたものと対話しなきゃですね。
    元気でました。
    ありがとうございます。

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