相手を責めるとき、苦しい本当の理由

「あの人の言動のせいで私は傷ついた」「あの人の言動が悪い」「あなたは、私にひどいことをした」「あなたは私を悲しませる」「あの人は言動を変えるべきだ」・・・・。

「あなたが悪い、間違っている」という思いは、人間関係のなかで私たちが度々持つ思いでしょう。というか、人間関係が難しいと感じているとき、私たちはたいてい相手を悪く見ているはずです。

でも、最近は「相手のせいばかりではいけないよね、自分も見つめてみようよ」という視点を持つ人も増えてきたかもしれません。

このブログでも、「自分を見つめる」という話は、百万回ぐらいしてきたかなと思います。(というか、それぐらい書いた気持ちになっている。)

ということで、私たちは誰かを悪者にして、相手の何がいけないか、相手がどう変わるべきか、相手が何をするべきでないかという思いに囚われているとき、言い換えれば、ベクトルがすっかり相手に向いているとき、私たちの心の中では、実際に何が起きているのか?という観点から書いてみたいなと思います。

で、単刀直入に答えを言ってしまうと、ベクトルが相手に向いているとき(相手が悪いんだし)、当然、ベクトルは自分へ向きません。

なので、起きていることは、

「自分の本当の声を無視している」

です。

苦しみの原因は、実はこっちにあるんです。相手ではなく。

相手は本当にひどいかもしれないし、自分が100%正しいのかもしれません。でも、それはある意味どうでも良いんです。

どんなに相手を罵ったところで、決してスッキリしないことは、おそらく皆さんも経験していることでしょう。

というのも、いつまでたっても「自分の本当の声」が抑圧されたままだからなんです。また、その声(思い)にくっついている感情が解放されず、重たく、緊張したままに放置されているからです。

本当の声とは、その人、そのケースによって様々すぎて例にも挙げられないぐらいですが、例えば、“私の存在に気づいて”、“私の心がつぶされている”、“身動きができない”などなどといった、ほぼ自分がスルーしている思いです。

また、自分が正しくて、相手が間違っているのなら、本来めでたい話ですが、なぜか、相手が間違っていると思えば、思うほど苦しくなりますよね。

というのも、このとき自分の心の中を見つめてみると、「あなたのせいで私は不幸です」といったような感覚、思いがあるはずです。

で、これは、早い話、犠牲者意識ですね。

ですので、真に癒されたい声は自分によって無視され続け、相手が間違っていると思うほど、犠牲者意識は強まり、苦しい~~!となってしまうんです。

このとき、苦しさから抜け出す早道は、やっぱり「自分の声に耳を傾けること」。

自分の声とは、決して「もうこんなの嫌だ!」とか、「いい加減にして欲しい」とか、「私はこんなに我慢しているのに」とか、そういった表面にある声ではなく、それらの声のもっと下にある、たいてい自分が長い間放置していた声(思い)です。

そもそも、この放置された声があるから、相手の言動に反応してしまい、感情が噴出してしまってもいるんです。で、この声に耳を傾け、ずっと無視していてごめんなさい、気持ちはよく分かるよ、などとしっかり受け取ります。

これだけでも、怒りやら、悲しみやら、虚しさ、無力感やらが落ち着き、だいぶ正気を取り戻せます(笑)。

こうやって書くと、とてもシンプルに聞こえますが、自分をこのように見つめることは、実はかなり面倒なことです。

ある意味、相手のせいにしたままでいたほうが、自分の正当性が保たれ、そこに自分の存在価値を見出しているほうが簡単なんです。本当はまだ苦しいのですが、ある意味手軽な“なぐさめ”です。

そのなぐさめに、さらにスピリチュアルな意味合い(波動の低い人とは決別しよう・・など)を盛って、どんどん自分の声から遠ざかっている人もそれなりに見かけます。

または、あの人を見返してやる、自分が間違っていたことを思い知らせてやる・・・というような、相手に対する怒りを自分の生きる原動力にしてしまうこともあります。これは成功体験がくっついてしまうほど、「自分の声」から遠ざかってしまいます。(無視しっ放し)

なので、自分の意志は成し遂げたけど、心のどこかに大きな緊張感も残ってしまいます。

また、怒りを握りしめ、相手を悪者にし続けていることで、自分の長年投資してきた(?)価値観を守り続けられる・・・というのもあります。

他にセッションでは、相手に対して怒りを持ち続けていれば、相手からまた傷つけられないで済むと思っているケースなどもけっこうあります。

このような意識的、無意識的にいろいろな理由によって、自分を見ないようにする傾向は、すべての人(自我)のなかにあるでしょう。(ぜ~んぶ経験済み)

でも、自分の中にある隠された声。あったことも気づかないぐらい押しやられた声。これを探し出すこと。(入り口は感情です。)

ベクトルを相手ではなく、自分の深いところに向けたとき、真の癒しが始まります。

そして、この自分の隠れた声をしっかり受け止めたとき、それは始めて抑圧から解かれていけます。

それは犠牲者意識からの回復、私と私を傷つけるあたなという構図と正論という名の檻からの解放です。

それが起きたとき、きっと同じ風景がうんと優しく見えるはず♪

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相手を責めるとき、苦しい本当の理由」への2件のフィードバック

  1. おはようございます。
    いつも、ありがとうございます!

    やさしくして欲しがっている自分を発見し
    本気で謝り
    本気で精一杯やさしくしているうちに
    あれ?
    傷つきようのない「これ」に行き着きました。
    私の場合、リラ〜ックスできる瞑想でも
    この傷つきようのないこれと出逢い
    ヘェ〜〜となり、
    神社でお参りしているときも
    この傷つきようのないこれに出逢い
    ヘェ〜〜〜となりました。
    スピリチュアル的には納得できます。 笑

    ところがですよ!あゆかさん!!
    やさしくして欲しがっている自分に本気で向きあっても
    この傷つきようのないこれに行き着くんだ!と
    少々戸惑いながらも、ヘェ〜〜となりました。
    これは驚きました!!!
    これは実用向き 笑
    で、最高にGOOD!です ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
    だって解決したかったのはここですし
    このために瞑想もお参りもさせていただいたのですから。笑

    今回の記事の内容が、すんなりと腑に落ちました。
    自分が真剣に本気で自分に向き合うと
    もちろん行き場のないエネルギー(感情)に出くわし
    一生懸命に感じてあげると、満足したかのように喜んで消え去り
    それでもそれでも自分に向き合い、やさしくやさしくしているうちに
    自分が満々と満たされ、安堵し、なんだか可愛くもなり 笑
    しあわせそのもののなりますので
    周りの人も、なんだかしあわせほのぼのもーどになる。

    さらには傷つきようのないこれに行き着くので
    相手の言葉が全く気にならなくなり
    傷つきようのないこれのままで在れますので
    チカっとは感じますが
    ヘェ〜〜こんなことになるのかーーと
    むしろ、これの神秘?というか凄さ?というか
    とにかくこれって、ヘェ〜〜〜〜
    みたいな感じになり
    一見、外見は傷つけられてるようにしか見えないのに
    わたしのなかは、ヘェ〜〜〜〜なにこれ???と
    感動というか感激というか
    興味津々わくわくで
    とにかく、ヘェ〜〜〜〜〜なにこれ????
    これってすごい!!!!!みたいな。ことになり
    一緒にいた人たちはビックリしていました。

    傷つけられている?のに感激している!みたいなことに
    なりました。
    もしかしてテスト?笑 って感じるほど
    何度も同じ場面を頂いたのですが
    これまた何度も何度も
    ヘェ〜〜〜〜こうなるんだーー☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
    になり、ヘェ〜〜〜ヘェ〜〜〜ヘェ〜〜〜です。

    でも、それでもそれでも自分にいつも向きあっています。

    あゆかさん ありがとうございます!

    感謝

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