非二元は癒しのツールになるか?

前回、「非二元のメッセージを癒しのツールにしないように~」と書いたところ、数名の方から「なぜ?」というご質問を頂きました。ので、今回はそのお返事です。

ところが、書き出そうとしたら・・・・、このテーマはとても深い!ということに気づきました。

まず非二元とは、基本的に「日は東から昇る」、「地球は丸い」、「主体はない」というように、シンプルに真実を語っているだけのものです。

なので、そもそも自我がより良く生きていくためとか、苦しみを和らげるためにあるものではないんですね。

ただ、「地球は丸い」に比べると、「主体はいない」「すべてはあるがままに起きている」といったことは、自我の錯覚=苦しみに大きくかかわっているために、癒しと結びつきやすいですよね。

実際、アメリカとヨーロッパで年に一回開催されている「科学と非二元の国際会議」では、毎回セラピーと非二元についてはテーマの一つになります。→★

非二元が真に理解されれば、分離感や死の恐れから解放されるわけですから、ある意味究極の癒しともいえます。

ただ、それは非二元の真実が理解され、その副産物としてついてくるという感じです。

そんなふうに考えていると、このテーマで両者はうまく交わったり、まったく矛盾したり、一筋縄ではいきません。

とにかく「私はいない」という話と、「私を癒す」という話を同時にするわけですから。なので、この文章も矛盾をどうしてもはらみます。

とりあえず今回は、非二元のメッセージを理解するにあたって、陥りがちな自我の性質をいくつか書き出してみます。(ぜんぶではありません)

◎非二元を二元的な視点で理解する。

自我は、二元の世界観しか知りません。なので、例えば「いまここ」という言葉を聞くと、時間と空間的な視点で解釈してしまいがちです。つまり、過去、いま、未来のなかの「いま」であると理解してしまうなどです。(ちなみに、この点について詳しくはこちらをどうぞ→★

◎達成する目標にしてしまう。

自我は、何かをして結果を得る、目的に到達するという考え方、やり方が深く刷り込まれています。ですので、悟りも同じように考えて、エクササイズなどをして「いつか悟った私」という未来を想定してしまいがちです。それによって、いまここに充分にある真実を見過ごしがちです。

◎生きるための「考え方」として採用してしまう。

自我は不安ベースなので、常に生き方の指針を探しています。特に悟りなどは生き方の指針としてベストのツールとして捉えがちです。ですので、たとえば“すべてはただ起きているだけ”というメッセージで自分がどう生きるべきか・・などと考えてしまいがち。

とはいえ、メッセージや悟りの考えが今の自分を楽にしているのなら、それはぜひ採用してくださいね。(*^_^*)

◎非二元の理解で癒せないものがある

イギリスで参加した非二元のミーティングで、ある男性が幼少の頃のトラウマを涙ながらに話していました。ティーチャーは、“誰が苦しんでいるのか?”という質問をし、そして、その感情に寄り添うことを促していました。

そのティーチャーは今でも尊敬していますが、その点だけは譲れず、セラピストとしてこれは無理すぎると思いながら聞いていました。ある意味、非二元の理解で癌やエイズを治そうとしているようなものです。

話はそれますが、トラウマはトラウマとしてセラピーを使って癒したほうが良いと思います。

で、話を戻して、このように自我は非二元のメッセージを参考にしたり、理解したり、実行したりすることで、苦しみから抜け出し、より楽で幸せな人生を想定します。

通常はこのアプローチでまったく良いのですが、非二元の真実に限っては、この姿勢そのものが真実への理解を塞いでしまうのです。

私自身の話になりますが、私の場合、真実への探求はエゴの取引がなくなったとき、ほんとうに始まったと言えるかもしれません。

そのときに強く湧きあがった思いは、“一生不幸でもいいし、苦しみがあってもいいし、何一つ良いことがなくてもいいから、とにかく真実を知りたい”というものでした。

自我が何かメリットを見出しているうちは、本当に求めているのはメリットで、真実ではありません。

また、真実がしっかり顔を出したと感じたのは、まるごとすべてをあきらめたときでした。自らあきらめたというより、あきらめの感覚が強く沸き起こったという感じです。

そのとき、お腹のあたりから「私の意志」という固いエネルギーが抜けていきました。

こう書くと、簡単にそれは起きたかのように聞こえるかも知れませんが、途中にたくさんの気づきやシフト、プロセスがありました。

とにかく自分をどうにかしようとしているうちは、自我がどうしても頑張ってしまい、真実を塞いでしまいます。

また、悟りを追い求めるあまり、一番肝心な自分の内側を見つめていないので、なかなか楽にもなれません。なので、頑張っている割には、欲求不満や苦しみが増してしまうことも多いです。

じゃあ、どうしたら良いの?と思われるかもしれません。

ということで個人的な意見としては、あなたが今求めていることが楽になることであるなら、きちとんと自分の内側を見つめていくタイプのカウンセリングやセラピーの方が早道だと思います。

それをしつつ、非二元のメッセージにも耳を傾けることは、プラスになるかもしれません。

一方、とにかく私は真実を知りたい!という方は、隠れたメリットがないのか、自分が真に求めているものは何か?を一度明白にしてみてはいかがでしょうか?

あなたが心の深いところで求めているもの。それがあなたの導き手ですね♪

 

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

地球ひろしさんのearth-TVに6月20日(土)夜9時より出演します!
当日質問をしたい方は、アフリカTVの無料アカウントで入るか、FB、ツイッターでチャットに入れるそうです。
 

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非二元は癒しのツールになるか?」への8件のフィードバック

  1. いつも温かいメッセージありがとうございます。本当に全く自分のことだなあ、と混乱から解かれる思いです。
    イギリスでのコースを受けたいのは山々ですが、なかなか難しいので、まずは東京のEFTに参加してみたいと思います。
    earthTV,および『プレゼンス2』(また監修でいらっしゃいますよね?)も楽しみにしております。
    また東京にいらっしゃる際には是非セミナーを開催をなさってくださいませm(_ _)m

    • Tさん、ありがとうございます。プレゼンス2は、どれぐらい関わるか今のところ未定です。実は、ナチュスピさんに半年以上締め切りを延ばしてもらっている翻訳に今とりかかり中です。お楽しみにしていてください♪

  2. あゆかさん

    質問に答えてくださってありがとうございました!

    >悟りを追い求めるあまり、一番肝心な自分の内側を見つめていないので、なかなか楽にもなれません。なので、頑張っている割には、欲求不満や苦しみが増してしまうことも多いです。

    ↑ これ、やってました!でも、非二次元の教えを聞いていると、「自我がやることはすべてしょせん現実の管理やコントロールにしかすぎない」ということが言われていたりするんですよね。つまりセラピーも引き寄せの法則などと同じで、自我が気分よく生きられるように現実を都合のよい形に変えようとするものであり、そしてそれは非二次元の真実から目をそらさせてしまう、といった言葉を聞いて、「え?ってことは癒しはただの気休めで無駄ってこと??」と混乱していました。こう聞いてしまうと、まるで自我レベルで楽になろうとすることが悪いことであるかのように解釈しちゃうんですよねー。

    でも、あゆかさんがおっしゃっているのは、自我のジタバタが自然におさまるところに到達するまでは、段階を踏んで、しっかり自分の内面と向き合って癒していくしかないということですね。

    「苦しみから抜け出す」ことが目的なのか、それとも「純粋に真実を知りたい」のか。非二次元になぜ興味を持つのか、自分の動機をちゃんと把握しておくこともカギということかと、今回の文章を読んでいて思いました。

    • 怪傑ねこ仮面さん、コメントをありがとうございます。

      たぶん、打ちミスだと思いますが、間違える方が多いので念のため、非二次元ではなく非二元です。次元とは関係ないんです。

      セラピーは現実を変える道具ではないのですが、日本ではそういうイメージを持たれがちですね。

      とりあえず、楽になること、ハートが緩んでくることは良いことだと思います♪

  3. あゆかさん、質問に答えてくださり、ありがとうございます!
    私の場合は、最近非二元のメッセージを意識して生活していましたが、エゴが爆発して苦しくなったことがありました。
    無意識に感情や思考を抑圧していたようです。自分の内側を見つめつつ、非二元の考えを取り入れようと思います♪

    • esteeさん、お礼をありがとうございます♪ 

      単に言葉の言い回しかもしれませんが、念のため、非二元の考えを取り入れようとするよりも、真実を見抜こうとしてみてくださいね。そうでないと、たぶん的外れなことをしてしまうかも・・・と思いますので。

  4. あゆかさん、ありがとうございました!
    正直、分かるような気もするけど、さっぱりわからない、というのが感想です。
    理屈=自我には永遠にわからないものなんでしょうね(;^_^A
    ただ、今まで悟りや真実といったことに対して、何かふわふわしていたのが、人生の一切をかけてでも真実を知りたい!という覚悟として迫ってきた、、ように感じました。
    ゾクリともしましたが、行くしかないです。ありがとうございました。

  5. 一番に求めているものは、人との親しい関係というものが出てきました。
    なかなか合う人がいないときにはどうしたらいいのでしょうか。
    受け止めるとしても、またそういう欲求が出てくるし、切りがないです。
    自然に降参するときが来るまで、いろいろ経験しないとダメですね。

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