ストーリーを超えて

「魂のケア」は心のしくみ、「気づきのダンス」は非二元(ノンデュアリティー)と一応分けていますが、限りなくグレーの記事もあり、今日もそんな感じです。

で、自我のお話。

基本的に自我(=普段の私たち)は、ストーリーを生きることしか知りません。しかも、自分は「分離」していると本気で信じ込んでいるわけですから、当然不安ベースのストーリーが多くなります。

分離している私が、なんとか死なずに食べていけて、そして周囲に受け入れられなければいけないという不安のストーリーです。

なので、私たちの人生は「食べていくこと」と「受け入れられること」に相当のエネルギーが費やされていることでしょう。仕事を見つけること、続けること、グループの中で受け入れられること、価値ある存在でいること、役に立つ人でいることなどなど。

で、ある日の私のストーリーはこんな感じ。

さあそろそろブログの記事をアップしたいと思い、PCの前に座ったけど、何も浮かんでこない。あきらめて、夕食の買い物へ出かけたけど、まったく浮かんでこない。な~~にも。まぁ、そういう日もあるだろうし、インスピレーションが沸くかもと近くの公園に散歩に出かける。でも、微塵も書きたいことが浮かんでこない。これは今までにないことだ。

今までにない、今までにないっ!・・・だんだん、自我が心配をし始める。

“やっぱり10年も毎週長い記事を書いていると、さすがに空っぽになるのかな”
“忙しすぎて、インプットする時間がないから自分が枯渇してきたかも”
“もうそろそろブログを辞める時期かもしれない”(←理由探しと結論探し)

その間、太陽はさんさんと輝き、風はさわやかに吹き、穏やかな日は続く。

“でも、ブログを辞めたら、私の仕事は行き詰ってしまう”(←断定口調)

ネタ探しにネットサーフィンをして、同業者のブログを誰かが絶賛しているのを読んでしまう。

“確かにあの人は爽やかで面白くて、しかも深いからなぁ。私にはそんな能力はないな。”

急に自分が地味でつまらない人間に見えてくる。(←比較大得意)

その間、太陽はさんさんと輝き、風はさわやかに吹き、穏やかな日は続く。

しかし、自我のドラマはまだ続く。

“私も少し見せ方を変えたほうが良いのかも。真面目すぎだろうか。もっとカジュアルで軽い感じのほうがいいのかもしれない。”(←ありのままの私はダメ話。)

“最近良い記事書く人が増えてきたし、私はもう古い世代なのかな。私のブログなんて必要ないのかも。”(←自己否定、自己憐憫、お決まりのコース)

と自分を卑下していたはずが、ストーリーはマッハの勢いでドラマチックに逆転する。

“どうしてみんな私の記事の良さを分かってくれないのだろう? すごく良いはずなのに、なぜだ!!”(←犠牲者意識、責任転嫁=投影)

その間、太陽はさんさんと輝き、風はさわやかに吹き、穏やかな日は続く。

さて、私にとってブログは大切な仕事の相棒と言って良いでしょう。ブログを通して仕事が発展し、ブログを通して素晴らしい人たちに出会ってきました。

なので、ブログの記事に書くことが思い浮かばないという些細なことが、食べていけない不安を刺激し、こう書くと恥ずかしくバカバカしいストーリーが展開されてしまうのです。

もし、私の中に「ありのままの私は何も提供するものがない」とか、「私は理解されない」といったビリーフがあったら、私はこのバカバカしいストーリーにもっとどっぷりつかってしまったことでしょう。

でもその間、朝は夜になり、空はその模様を刻々と変え、風は向きを変え、すべては静かに移り変わっていきます。

何が言いたいかというと、ドラマチックになっているのは私の頭の中だけということです。

その後、実際にブログのアクセス数が大幅に減ることがありました。これは、自我にしてみれば、自我のストーリーが正しい立派な証拠になるでしょう。

しかし、辻褄が合う=真実とは限らないのですね。というか、自我の辻褄合わせは、ほぼ偏っています。

ある意味思考のすごさは、何も起きていないところに真実味のあるストーリーを作れ、そしてまだ起きていない未来を断定してしまうことでしょう。

“私がもしこうしたら、きっとこうなるから、やっぱりやれない・・・・”などなど、何一つ起きていなくても、私たちの行動を完全にストップさせることもできます。

“娘は大丈夫だろうか、今頃困っていないだろうか・・・・”、“試験に落ちた私は、やっぱり頭が悪くて、将来に夢などない”、“なんでメールの返事が来ないのかな、私が書いたことがまずかったのだろうか・・・”、“この子は片親で将来ぐれたりしないだろうか・・・”、

始まりは些細なこと、またはトラウマ的な大きな出来事、それが何であれ、一つの事実からからあらゆる無数の仮想ストーリーが生まれます。そして、仮想ストーリーは証拠となりそうなものを取り込み、私たちの中で“事実”となっていくんですね。

ストーリーの信ぴょう性を一番高めているのは、実は潜在意識にあるビリーフと感情ですが、今回はその話は長くなるので省きます。

いずれにしても、ストーリーに嘘が多いほど、苦しみも増えます。

でも、グッドニュースは、ストーリーがない場所が常にあって、私たちはそれそのものだということです。

ということで、明日はインテグレイテッド心理学の中級です。ストーリーから抜け出すエクササイズやそのコツを皆さんにシェアさせていただきます。お会いするのをドキドキしながら楽しみにしております♪

☆☆☆ お知らせ ☆☆☆

ハートサークルでは、東京表参道でショートセミナーを毎月開催しています。

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ストーリーを超えて」への10件のフィードバック

  1. あゆかさんこんにちは。
    いつもお話楽しみにしています。
    実は今自分が目指してやっていることで、まさに思考の辻褄合わせと自我のストーリーで勝手に暗くなったり落ち込んだりしていた所でした。
    でも何かが違う・自分は見当違いのものに振り回されている、という感覚もあってモヤモヤしていたのですが、あゆかさんのお話がそれをスッキリと解き明かして下さいました。
    本当にありがとうございます。
    ここ数日とてもいいお天気で、明日はゆっくり空でも眺めてみたいと思います(^o^)

  2. ストーリーのない場所もあるんだ! って、ことと、見てこなかった感情を眺めてみます。

    あゆかさんの記事通りの不安に(笑)陥っているところです。

  3. 今日、車をぶつけました(T_T)
    ムスコのクラブチームで、総会があって、一仕事終えてきた時でした。
    主人にはとても悲しまれました。
    私に直接怒らないで悲しむので、逆に私はそんな崇神をみて心が痛くて仕方ありません。
    おそらく15万円はかかるでしょう。
    あ~~~。不注意な自分が悪い。とはいえ、大きなお役を果たしてきた私に、神様はなんてご褒美をくれるんだ。
    そんな胸中ですが・・・

    不思議とね、「幸せは、いまここに全部ある」って感じました。
    今、私に、欲しかった全部があるって。
    なので、現実はイタイイタイ感じなのですが、真の私は、幸せで幸せで泣けてきそうなんです。
    不思議ですけど、体感はまさにそんな感じ。
    私が、こう感じられるのは、あゆかさんが、私が行く道を照らしてくれたからです。
    あゆかさん、ありがとう\(^o^)/
    このブログも、気づきのダンスも、とっても素敵なブログです。

  4. 初めまして♩
    いつもブログ読んでます。
    質問なんですが、

    ストーリーにどっぷりの人にはどのように対応していけばいいのでしょうか?

    例えば、私が至って普通の精神状態の時に、
    同僚のAさんにたぶん何かで勘違いされて(作業に集中していただけとか)、機嫌悪いの?私のこと面倒くさい?と何度も聞かれたりします。
    はじめは、そんなことないですよーっと普通に返せるんですが、何度も何度も聞かれると、本当に何も思ってないのに!とイライラしてくる自分がいます(笑)

    するとAさんも機嫌が悪くなってきて、
    もう本当面倒くさくなっちゃって放っておくんですが(笑)

    確かに笑顔でテンションが高い時もありますがそうじゃないフラットなときもあって、その度に勘違いされると疲れます。すみません、ただの愚痴になってしまいました(笑)

    これは私の投影なのでしょうか?
    いたって冷静なつもりなのですが

    あゆかさんはストーリーどっぷりの方にはどのように対応されますか

    私ももう少し大人な対応がしたいものです…

  5. 楽しく拝見させてもらっています。
    今からちょうど20年前、自我を完全に脱ぎ去って、絶対幸福の悟りの体験をしました。
    思い込みが全く無くなり、周りの人間は私の言ってる事が理解出来ないようでした。
    数週間、そのような状態が続き、また現実の世界に戻ってしまいました。
    キリストやブッダが経験した事の短期バージョンだったんだと思います。
    世界を探せば、ジル・ボルト・テイラー、ドン・ミゲル・ルイス、エックハルト・トールが同じ経験をしてる様です。
    悟りを開くと、自分存在を周りにアピールする必要性を感じ無くなるので、自らメデイアに発信する事がありません。
    すみません、ダラダラと。
    あの頃を懐かしんでました。
    死んだ後は皆さん一つの場所に帰ります。私はたまたま生きてる間に経験できただけ。ありがたく思ってます。

  6. あゆかさんの楽天ブログの過去記事も、じっくりと読ませていただいています。
    10年もの間、素敵な記事をありがとうございます。
    寄せられているコメントもすごく深くて、私にとってほぼ全ての記事がセラピーを受けている
    ような感覚です。
    響いた記事をお気に入り登録したら、2009年の夏まででも膨大な数になってしまいました。
    あゆかさんの本も購入していますが、ぜひこの10年間のブログも本にしていただけないで
    しょうか?
    百科事典サイズの高価本でも、必ず買います ^ ^
    あゆかさんのブログに出会ってから、私はどんどん楽になって、自己愛も増えてきています。
    今回の記事の主旨とはまったく関係ないんですが、魂の恩人にどうしてもお礼が言いたくて。

  7. 僕も最近すぐはまります
    そのような思考パターンに
    疲れ果てていたところ
    このさらけ出す文面に
    安心と勇気を貰いました
    ありがとうございます!
    すごく共感します☆

  8. 皆さん、コメントを大変ありがとうございます! 私自身は良いなぁと思ってもなかなかコメントを残したりしないので、皆さんがありがとうの言葉を書こうと行動に移してくださったことに心より感謝いたします。

    Kiyoshさん、私のブログがお役にたてましたようで、とても嬉しく思います。実はその案は何度も出ているのですが、なかなか時間が見つけられず・・・・。百科事典で高価というより、電子書籍で安価でと考えてはいたのですが、またちょっと考えてみますね。とりあえず、ご提案して頂けたことに深く感謝いたします。

  9. 日にち、だいぶたっていますが、読みました。
    ネガティブなことを言っていても、なんだかとても親しみが持てて、面白い(といったら失礼かもしれません)です。でも自分がこれを書いたとしたら、とても深刻な気持ちだっただろうなっというのもあるので、あゆかさんにとってはとても真剣な気持ちだったのも分かります。
    私も、つらいときに日記に書くことがあるのですが、そのときはすごく深刻になっているのですが、後から読み返すと、前より気軽な気持ちで、人ごとのように読んでいました。
    とても親しみを持てました。

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