世界は幻想~戦争や犯罪をどう捉えるの?

今回はコメントにお返事いたします♪ コメントをありがとうございます!

真剣に自分の中で疑問に感じていることがあります。物質的視点かもしれませんが、犯罪や戦争、国際関係はどう捉えるのでしょうか。国境があり、意識の違いがある限り、欲がある限り、戦争や分裂は地球上から無くならないと思うのですが、それをどう落とし込んで生きていけば良いのか分かりません。

自分のワクワク感だけに従い、社会や現実には無関心というか焦点を合わせないように、今ここの自分とは無関係だから忘れたかのように生きたら良いのでしょうか。「人生に起きてはいけないことも、あってはいけないものもない」ということは俯瞰で見れば、戦争も犯罪も起こり得るし魂にとってはいち経験にすぎないと捉え、同じ地球上で起こっていることもただ単純に、これが現実だ、もしくはこれは幻想だと抵抗せず受け入れるものなのでしょうか。物質次元での平和や安全を願うのもエゴで執着なのでしょうか。(長いので後半削除しました。)

真剣に疑問をぶつけていらっしゃる様子がとても好感が持てますね♪

ただ、この手の疑問にお返事するのは、実はとても難しいのです。なぜならこの疑問は、私と世界、現実と幻想、物質次元とそうでない次元といった対立思考の二元の視点と、非二元の知識がごっちゃまぜになっているからです。また、本当は「気づきのダンス」のブログのほうで取り上げたいテーマかな。

と、前置きをしておいて、非二元のメッセージで最も大切なものの一つは、「自己の不在」だと私は思っています。個の「私」というものは存在しないんです。なので「溝口あゆか」は、架空の存在です。存在しません。

変化するものは全て、幻想、夢です。なので戦争や犯罪などが幻想であると同様に、私も質問者の方も幻想です。存在しません。(二回書いてしまった。)

現象だけが幻想で、自分は実在であるという話ではないんです。つまり、自分という実在が、世界や出来事という幻想にどう関わるか?という話ではないんです。

ついてきてくださっているでしょうか?

とりあえず続けます。

こういった話をすると、今度は「自分が存在しないなら、自分の人生もどうでも良いじゃないか、人殺しをしたってどうせ幻想なのだから。」といったことを言いだす人もいます。

これに対してムージーという覚者は、「ええ、でもそれで、幻想の警察に捕まって、幻想の刑務所に入っても良ければね」と答えていました。はは。

話を戻します。

さて、世界で起きる現象も幻想で、私もあなたも幻想であるのなら、何が一体実在なのでしょうか?

一つの記事ですべてを丁寧に説明するのは不可能なので、結論を先に書いてしまうと、それは「気づきの意識(気づきの存在、真我、ワンネスなど)」ですね。

で、インドの古い経典(ウパニシャッド)に次の言葉があります。ブラフマンとはここでいう「気づきの意識」のことです。

『世界は幻想である。
ブラフマンのみが現実である。
そして、世界はブラフマンである。』
(The world is unreal; Brahman is real; the world is Brahman)

気づきの意識という唯一の現実からすべての幻想は生まれ、だから、世界は気づきの意識(現実)でもあるんです。

例えば、大海(唯一の現実)と波(幻想)を対立させて考えられないように、現実と幻想も分けて考えられないのです。波は一瞬一瞬その形を変えます。なので、ある一瞬の波の形だけを指して、存在した、その波が起きたと言えないんです。でも、波は確実にあるんです。

「ない」と「ある」が同時に真実であるというのは、二元的な発想の自我には、非常に分かりにくいでしょう。でも強引に続けます。

ブラフマン、気づきの意識、真我、ワンネスなど言葉はなんであれ、その本質は愛や平和ですね。そして「世界はブラフマンである」ということは、架空の溝口あゆか、ご質問者、この記事を読んでくださっている皆さん、すべての人の本質も、愛、そして平和なんです。

ですから、どんなにひねくれた人でも、また傷つきすぎて怒りに支配されている人でも、深いところでは愛を求め、そして、愛が一番大切だと分かっているんです。

さて、「起きることは起きる」

これは、好き嫌い、良い悪いに関わらず議論の余地がない事実です。

「人生に起きてはいけないことも、あってはいけないものもない」というのは、起きたことに、“なぜ起きたのだ”とか、“こんなこと起きるべきではない!”と思ってしまうと、心に苦しみを生みますね、という視点から書きました。

戦争も犯罪も、起きているという事実はきちんと受け入れざるを得ません。なので起きるべきではない!と嘆く代わりに、それに対して自分のハートが何を求めているかを探ってみてはいかがでしょうか?

出来事は受け入れるけど、自分のハートの声は無視するというのは、おかしな話になります。で、純粋に深く見つめていけば、必ず本質からの欲求が見えてくるはずです。

そしてそれは、真の自分である愛や平和、受容、自由といったものに違いないのです。

マザー・テレサが、戦争反対運動には賛同しないけど、平和運動には賛同するといったのは、きっとこんな思いからなのかもしれません。

非二元(悟り)の教えを理解するには、主体と客体、私と世界、物質と非物質といった二元の考えから抜け出す必要があるでしょう。

まっ、でもそれほど非二元を追求しなくても、世界の平和を心から願うのでなれば(ハート)、考えすぎず、ただその思いにシンプルに従い、行動するのが良いのかなと思います♪

ちなみにハートサークルもそんな思いから生まれました。(ハートとハートがつながって輪になる、という意味。)今年も地道に活動いたします♪

世界は幻想~戦争や犯罪をどう捉えるの?」への3件のフィードバック

  1. あゆかさん、

    イスラム国の人質事件やナイジェリアのボコ・ハラムなど、いわゆる「文明の衝突」と言われる問題や貧困による人間の精神性が問われる事件が同時多発している昨今、このような不穏な世界の現状を個人レベルでどう捉えて落とし込めばいいのかわからず、胸のうちがざわざわしていたところ、とてもタイムリーな投稿をありがとうございます。

    個人の内面が外面(地球)に投影されていると言いますが、人間の心の闇は誰もが抱えているものですから、その意味では、テロも虐殺も、決して他人事ではなく、自分も全く同じ境遇にいれば、同じことをしていると思います。
    そして、その心の闇は、この平和な日本においても、家庭内不和や学校のいじめや職場でのパワハラなど、規模や質は違えど、様々な人間関係の中で現われていると思います。

    そのような中で、自分の中のあらゆる思考を淡々と落とすうちに、自ずとただ現われるのが、平和と安らぎのエネルギーのように感じています。

    今の私の中では、そのことが唯一の救いであり、進むべき道であるように感じました。

    >出来事は受け入れるけど、自分のハートの声は無視するというのは、おかしな話になります。で、純粋に深く見つめていけば、必ず本質からの欲求が見えてくるはずです。
    そしてそれは、真の自分である愛や平和、受容、自由といったものに違いないのです。

    上記の文章にとても共感し、読んでとても嬉しくなりました。
    素晴らしい投稿をありがとうございました!

  2. あぁ、なるほど!
    わたし、最近『サラとソロモン』という本を読みました。
    (エスター&ジェリー・ヒックス著)

    その中でいくども『望まないことではなく、望むことに目をむけてごらん』とフクロウのソロモンが言うのですが、

    それがハートの声であり、愛なのですね。

    私たちは愛である、愛の存在である。って、そーいうことなのかな?

    ハートの声、難しいと思っていたけれど、
    あ、そーいうことか。と少しわかった気がします。
    軽くて、楽しくて、嬉しくて、ワクワクすること、なんでしょうね♪(*^^*)

  3. あゆかさん、早速の投稿ありがとうございました。
    非二元論、自己不在に関しては確かに頭で考えるだけでは難しいのですが、仰ることは深い部分に確実に響くものがあります。確かに自分の中にも闇や分裂があり、支配があり、損得感情があり、欲もあります。闇と光の線引きなどもないのかもしれません。
    そうですね、良い悪いで判断し、嘆き、抵抗し、反発するのではなく、ただひたすら、愛や平和を自分の内面で広げ、体現していきたいと思います。
    上の方と同じく、【望むこと】そして私たち全ての【本質】に目を向けていこうと思いました。

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