問題の重量を軽くしてみよう♪

私がイギリスに来て、一番最初に読んだ心理学の本が、「The Road less Traveled(邦題:より豊かな人生)」by M.スコット・ペックでした。

その冒頭にうろ覚えですが、

“人生は難しい、しかし、それが分かればもはや人生は難しいものではない”

といったようなことが書かれていました。

おそらく、私たちの多くが無意識に「人生は問題なしに行くのが良いことだ」という思い込みを持っているでしょう。

もちろん、このような仕事をしていると「人生とは修行だ」とか、「倒れるまで働くべき」などといったいろいろな思い込みにも出会います。が、そんなビリーフがある一方で、上記の思いも根強く持っていたりするものです。

なので、病気や事故などは、基本的には“あってはならないこと”で、それは不幸と呼ばれます。

または、ある程度の年になったら結婚しているべき、そして、結婚をしたら子供が授かるのものだし、子供が生まれたら、今度は子供が健康に育つこと・・・などなど、すべてがうまく行くことを私たちは、無意識に期待しているものです。

頭では、“人生は山あり谷ありだ”とか、“人生、一寸先は闇”とか、いろいろと知識はあるでしょう。そして中には、それが行動の動機になっている人もいるかもしれません。“明日何があるか分からないから、~~しておこう”など。

それでも、よ~く自分を見つめてみると、「人生とはうまくいくもの」、または「人生とはうまくいくようにするもの」という思い込みがあるはずです。

でも、「人生とは難しいものだ」、言い換えれば「人生とはいろいろ起きる」、いえ、

「人生に起きてはいけないことも、あってはいけないものもない」

ということが深く腑に落ちれば、私たちの問題や苦しみの半分は消えていくでしょう。

なぜなら、苦しみの多くは、それらの無意識の期待から生まれるからです。

例えば、病気になった場合、病気の症状そのものよりも、そのせいで仕事ができなくなったとか、他人の世話にならないといけない、そんな人生は不幸だ、こんなはずでは・・・・などといった思いで苦しむ人が多いんですね。

一方で、病気や障害を受け入れた人たちの話も私たちは耳にするでしょう。彼らの話しは、それらが解決したわけでもないのに、晴れ晴れとしていて不幸感がまったく感じられないと思うのです。

また、仕事柄、長年の悩みを抱えた方に相談されることも多いです。例えば、“私は十数年、強迫観念症で、仕事が制限されてしまい困っています”、“もう物心がついた頃から、ずっと生き辛くて苦しいんです。”などなど。

そんなご相談を受けるとき、この方が一番苦しんでいるのは、症状そのものよりも、悩みや問題が完全にその人のアイデンティティになってしまい、人生を支配してしまっていることだと感じます。

“強迫観念症の私”、“生き辛い私”というアイデンティティと「その人生」というものがしっかり出来上がってしまっているのです。

で、ここからが少々複雑ですが、なぜこうなってしまうかというと、強迫観念症があるのは問題だ、生き辛いのは問題だと、問題視し過ぎるあまりに「問題を持っている私」がいつの間にかアイデンティティになってしまうんです。

つまり、強迫観念症も生き辛さもあってはならないものと、強く思えば思うほど、それは問題になり、問題になればなるほど、毎日そのことで頭がいっぱいになり、囚われ、そうしていくうちに、それがアイデンティティとなってしまいます。

問題視するということは、言い換えれば、なくなって欲しいと思う、つまりあってはいけないと抵抗するということです。

でも、人生にはいろいろ起きる、つまり、「人生にあってはいけないものはない」と深く腑に落ちていれば、ここまで出てきた症状、状態に抵抗しないで済むかもしれません。

で、そのほうが実は問題の重量が軽くなり、癒しも起きやすいんです。

人生に起きてはいけないことも、あってはならないこともない。

人生に抵抗せずに行けると楽でいいですね♪

 

追伸① どうしても抵抗してしまう場合、その抵抗に抵抗しないこと、そしてそんなときはセラピーを使うのも手です。(EFTマトリックス・リインプリンティング、その他)

追伸② 今更ですが、もう一つのブログ「気づきのダンス」始めまた理由は、非二元についてだけ書く場を作りたかったからです。こちらは、引き続き心のしくみやセラピーを中心に書いていくつもりです。皆様のその日の気分でどちらもお読み頂けると幸いです。

問題の重量を軽くしてみよう♪」への6件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは。

    こちらで昨年の10月中頃にコメントしましたりょうと申します。
    そのときにアジャシャンティのYoutube動画をアドバイスとして紹介して頂きました。

    その後にアジャシャンティの本を一冊読み彼の動画もたくさん観てみました。
    そして最近、突然今まで自分だと思っていた自分は虚像だという事に本当の意味で気付きました。
    苦しかったのは全部自分のせいだったのですね。

    通勤で地下鉄に乗って周りの人を観ていると、みんなエゴという名の自分を無意識に演じている状態なんだとふと感じました。
    だからといってそれに気付いた自分が偉くなったわけでもなく本質は皆同じなんですが。
    自分がちょっと前までこうだったと思うと滑稽に思えました(笑)

    まだハートの声を聞いてそれに従って生きるほどの目覚めではないとは思いますが
    もの凄く楽になった事は間違いありません。
    あゆかさんには的確なアドバイスをして頂いて非常に感謝しています。

    りょう

    • りょうさん、お礼を書くという行動をとってくださり、ありがとうございます♪

      ハートの声に従うということの本当の意味は、個人の意思を完全にあきらめるということになります。というか、自己の存在が無いことが見えれば、どのみちどうしてもそこに行き着くでしょう。

      ただ、そこまで行かなくても、いわゆる自分のハートが歌うことをする、沸いてくる情熱に従うというのもとても良いものですよね。

      今後もブログをお読みいただけましたら幸いです。

  2. こんにちは。
    真剣に自分の中で疑問に感じていることがあります。
    物質的視点かもしれませんが、犯罪や戦争、国際関係はどう捉えるのでしょうか。
    国境があり、意識の違いがある限り、欲がある限り、戦争や分裂は地球上から無くならない
    と思うのですが、それをどう落とし込んで生きていけば良いのか分かりません。

    自分のワクワク感だけに従い、社会や現実には無関心というか焦点を合わせないように、今ここの自分とは無関係だから忘れたかのように生きたら良いのでしょうか。

    「人生に起きてはいけないことも、あってはいけないものもない」

    ということは俯瞰で見れば、戦争も犯罪も起こり得るし魂にとってはいち経験にすぎないと捉え、同じ地球上で起こっていることもただ単純に、これが現実だ、もしくはこれは幻想だと抵抗せず受け入れるものなのでしょうか。

    物質次元での平和や安全を願うのもエゴで執着なのでしょうか。
    外の世界に平和を求める前に自分の内側からの平安と繋がりを大切にする意味は分かりますが、それで瞬時に現実が変わることも無いと思います。

    イエスキリストのように、受難が目の前に来れば、抵抗せず赦し、魂は永遠だから受け入れて死ぬだけなのでしょうか。

    yu

    • コメントをありがとうございます。

      とても真剣な疑問ですし、こういった疑問を抱くことは大切だと思います。こちらも真剣にお返事しようと思うのですが、長くなってしまいますので、次回の記事でお返事をさせてくださいね。きっと同じ疑問を持っていらっしゃる方は他にもいると思いますので。

      • あゆかさん

        お忙しい中本当にありがとうございます!
        5,6年前からあゆかさんの本やブログを読ませて頂いたり、
        セミナーにも参加させて頂いて、あゆかさんから『ハートで生きる』ことを
        教わり、まだほんのわずかですが目覚めへの一歩を踏み出せたと思います。

        この質問に関しては、私自身が大学時代から平和や国際関係を専攻していて、
        『平和』を追求していくことが、自らの精神世界というか精神性を重視して生きることを学ぶきっかけになりました。

        世界平和や平安は自分自身にとっての永遠のテーマです。
        自分自身の安全が脅かされることへの不安もありますが、
        他人や遠い国の人達の痛みや苦しみ、恐れを自分自身のもののように感じ胸が痛く、また利得権益に固執したり歴史や宗教絡みの問題などは永遠に無くならないのではないかと諦めに似た感覚を持っています。
        次回の記事を心待ちにしています。
        ありがとうございます。

        yu

  3. 何度もすみません!
    あと気になっていることなのですが、よくヨガや精神性を重視しようとしている方達の多くは、テレビやニュースはネガティブがはびこっているし有益なものが無いから見ないと言いますが、それ自身は良しとして、純粋に国内外の社会情勢や政治、その他諸々の情報についてどのように現実を見るのでしょうか。
    テレビやニュースは見ない!や、肉は食べない!、マクロビな食事が必要!、などなど、これはダメ、あれもダメ、と意図的に決め込んで否定したり避けたりすることは、真の自分を生きる上で必要でしょうか?私はどちらでもなく、曖昧な立場です。

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