唯一見つけられないもの、それが真のあなた♪

こちらはすっかり秋♪ でも少し天気が良いとノースリーブのドレスを着ている人とコートを着ている人がいます。暗黙の了解ゼロみたいなのが、けっこう好きです。

さて、人と比べるから自分は苦しむんだ・・・と思っている方はそれなりにいらっしゃるかもしれません。でも、よ~く観察してみると、状況に疲れていたり、ストレスを感じたり、苦しみを感じるときに他の人と比べてしまっていませんか?

例えば、毎日お金を心配しながら暮らしていれば、精神的なストレスがたまりますよね。そうすると、つい良い暮らしをしているように見える人と自分を比較してしまうでしょう。そして、どんな比較もそうですが、比較対象になっている人たちにも、いろいろと事情はあるかもしれないのに、“あの人たちはラッキーな人たち”と思考は決め付けがちです。そして “あの人たちは、私みたいな状況の人間の気持ちは分からないだろう”と腹を立てたり、自分を惨めに感じたり。

もちろん、自分よりももっと大変な環境の人たちがいる・・・と思い出して、気持ちが奮い立つこともあるでしょう。それでも疲れてくると、やっぱり自分より恵まれた環境にいる(ように見える)人たちが羨ましくなりますね。

でも一方で、同じようにお金がない状態でも、特に心配がなく、自由でいいやぐらいに思っていると、それほど自分と他者を比べないと思うのです。

つまり、簡潔に言ってしまえば、今ここに満足していれば、苦しみがないので、比較の思いもあまり浮かんでこないんです。ということであれば、比べないように頑張るよりも、今ここを受け入れてしまうほうが根本解決になります。でも、それもけっこう難しい・・・・。

とりあえず、私たちが自分の置かれている状態や環境が嫌だと感じるとき、無意識にやっていることとは、

  • 空想に走る(南の島でゆっくりしていたいなぁ・・・)
  • 他者と比較する
  • 状況を変えようと必死になる

ですね。しかし、どのオプションもたいてい余計落ち込んだり、疲れたりするだけで大して役には立ちません。(ちなみに、一番目をハートの声と間違える人はけっこういます。ですが、これは単に現実逃避です。)

ではどうしたら良いのでしょうか? もし究極の解決方法を求めるのなら、“簡単で手っ取り早く”とは行きませんが(←こういうものはないし)、確実な方法があります。つまり、真実に目を向けることです。すると、あれっ!結局、今ここ(自分の状況)を受け入れるという話に戻ることになります。

では、ちょっと表現を変えてみましょう。「今ここ」を違う角度から見ると、

「見えたり、捉えられたり、解釈できるものばかりを追っかけることをやめる」

ということです。ものすごく分かりにくいかもしれません。説明させてください。

私たちの意識はいつも、見えるもの、または捉えられるものに100%行っているものです。私の状態はこうだ、あの人の状態はああだ・・・・と。例えば、~~さんは、容姿もきれいで、素敵なだんな様がいて、お金にも不自由がない、一方私はとくに見栄えもしないし、安月給の仕事が忙しすぎて、彼氏もできない・・・などなど。

または目に見えるものだけではなく、“私はいつも人前で緊張してしまう、なぜだろう・・・、それは・・・”と自分の考えや感情などにも意識はいつも行きますね。

とにかく目に見える、見えないにかかわらず、何かキャッチできるものに常に意識が向いているんですね。このように意識が捉えられるものに行き、思考がバンバンに状況を判断している状態で、“受け入れる”のはとても難しいでしょう。

でも、もし私たちの意識を見えるもの、捉えられるものではなく、それらに“気づいている意識”のほうへ向けてみたら? そこには、まったく違った風景が見えてくるんです。

気づきの意識とは、唯一見つけたり、捉えたりできないものです。それはほんとうに“ただある”だけなんです。完全な静けさとともに。

我師ルパート・スパイラの例えを借りると、映画を見ているとき、映画のシーンではなく、スクリーンに意識を向けるということです。(これは普通思いつかないですよね。)

スクリーン(気づきの意識)は、映画のシーンがどうであれ、それにいちいちコメントをせず、すべて静かに受け入れ、いつもそこにあります。スクリーン上では、誰かが死んで、誰かが生まれて、裕福な人がいたり、極貧の人がいたり、様々にストーリーが変化していきます。

私たちが自分はそのストーリーの中のキャラクターだと思い込んでいるとき、苦しみや比較が生まれますね。でも、本当の自分はスクリーンのほうだったと思い出し、深く寄り添えれば、静けさ、受容、平和、愛といったスクリーン(気づきの意識)の性質がよみがえってくるんです。

私たちは次にどんな思いが沸いてくるのか、その思いはどこから来て、どこへ消えていくのか、まったく分かりません。またよ~く観察すれば、思いだけではなく、体も勝手に動いているのが分かってくるはずです。

つまり、すべては行為者(わたし)なしに勝手に起きているんです。

あるのは気づきの意識だけで、すべてのもの、人、出来事がただ静かにそのまま受け入れられています。それが見えてきたとき、起きている出来事(状況)に対しての解釈や否定、変えたいという必死な思いも落ちていくんです。ただ、流れのままで良いんです。

これをいろいろなティーチャーが、降参といったり、神にゆだねるといったり、あるがままを受け入れるといったり、言葉を変えて伝えてきたことなのでしょう。

そして、唯一グッドニュースは、気づきの意識に寄り添うことは、呼吸よりも簡単で、あまりにシンプルすぎて、みんな見過ごしているだけだということです。

映画を見ていて、スクリーンの存在を忘れてしまうように。スクリーンの存在を思い出すのに、どれほどの努力が必要でしょうか?

そしてまた、行為者がいないということは、私が必死になってどうにかしなくても良いということなんです。

私がなんとかする(恐れ)のではなく、なるようになっていく(おまかせ=安心)この違いは本当に大きいですね♪

唯一見つけられないもの、それが真のあなた♪」への14件のフィードバック

  1. こんにちは、あゆかさん。

    行為者の不在について、教えて下さい。

    私の今の(世間的な)感覚ならば、
    やらなければならないことをできないのは、
    意思の力が弱いから、だと思ってます。

    うーん、
    それだけではない、と知識ではわかっていますが、
    例えば朝起きれない、とか、
    片付けできない、とか、
    時間にルーズ、と言うと、
    その人のやる気の問題だ。と言われます。

    そういうことは、頑張れば、意思を使い、出来なくはないのですが、
    まぁ、苦手は苦手なのです。

    そういう場合さえも、
    自動的に起こっているのでしょうか?

    つまり、一切介入できないのでしょうか?

    • とても良いご質問をありがとうございます♪
      これは、きちんとお答えしたいなと思いますので記事でお返事させてくださいね。

      • わーい(*^^*)

        お返事ありがとうございました♪
        記事楽しみにしています(*´ω`*)

  2. >体も勝手に動いているのが分かってくるはずです。

    この体験をした時はちょっと衝撃でした。
    コントロールの無意味さを知ったのに、すぐまたエゴに呑み込まれてあえいでしまう自分が滑稽に見えてきます。

    スクリーンの存在をすぐに忘れてしまう。。。
    映画のストーリーが面白すぎるのだろうか。。。(笑)

    いつも大切なことを思い出させていただきありがとうございます。

  3. 私はずっと3番目をしているんだなと思います。
    辛いから、しんどから、楽しくないから、幸せになりたいと、たくさんセッションを受け、セラピーも受け
    いっぱいお金も時間も使って。
    大切な自分のためだから、もういろんなことを我慢するのはやめて、なんでもできることはしてあげようとやり続けていますが、なにも変わりません。先日も、何年か前と同じことを繰り返し、悩んでいるのに気付いて、愕然としました。
    結局、自分の状態を否定するところからスタートしているからですよね。でも、どうしたらいいのかまったくわかりません。受け入れるとか、ありのままでいいとか、わかろうとしてわかるものでもないし、
    セッション等の時間も、お金も、本当に無駄にしてしまったなと思っています。これなら、何もしないでいても同じだったなと。いろいろ自分に投資して、なにも楽にならなかっただけに前より自分に対する信頼がなくなった気がします。何かへの依存ですね…。はぁー疲れた。

    • 他人がコメントしちゃっても大丈夫でしょうか?

      私はセッションで行き詰ったときは、からだから攻めてみたら進展がありました。
      レイキ伝授でチャクラを整えたり、体にエネルギーを流してもらうメニューで悪いエネルギーを取ってもらったりしました。
      チャクラとかからだが楽になると、個人セッションでこういう話をしてみよう、とか新たなアイディアが出てきたりしましたよ!

  4. いつも楽しくブロク拝見してます。
    相談があります。
    わたしはメンタルが弱くかなりきづつきやすい性格でとても生きづらいです。
    それに能力が劣っていて劣等感の塊です。
    いま自殺することしか考えられません、苦しいんです。
    どうしたらいいかわからないです。
    助けてください

    • そう思えないからここまで悩んでいらっしゃるとは、重々承知の上で書きますが(コメント上でできるのはそれだけなので)、能力が劣っているとか、メンタルが弱いといったことは実は思い込みなんです。苦しみの原因は、間違った思いを信じ込んでしまうことにあるんですね。もちろん、ご本人としては、自分が劣っている証拠がたくさんあるし・、それで嫌な体験をたくさんしてきた・・と思われるでしょうが、それでも本当に思い込みなんですよ。

      自殺しても、それで肉体は死を迎えますが、悩んだ思いはそのまま残ってしまうんです。ですので、できれば肉体を解放してしまうよりも、深く信じ込んでいる思いを解放できると良いですね。

      とりあえずは、脳を副交感神経にすることが良いと思いますので、マッサージを受けたり、体が緩むことをして見られると良いかもしれませんね。短い文章を読んで推測しながら、コメントでお返事するにはあまりに限界が大きくありますので、気持ちが向いてきたら、できれば誰か信頼できるセラピストさんを見つけてみてください。http://www.ayuka-healingspace.com/%E3%82%BB%E3%83%A9%E3%83%94%E3%82%B9%E3%83%88/

  5. あゆかさん、

    いつも気づきのスペースを与えて下さる投稿をありがとうございます。

    「見えたり、捉えられたり、解釈できるものばかりを追っかけることをやめる」
    というくだりでハッとしました。今は深呼吸が生まれています。
    いつも引っかかっていた罠に気付いた感じがします。
    無意識の現実逃避という罠に・・・。

    ありがとうございました。

  6. あゆかさん こんにちは
    現実を客体化する?ことが大事なのかな、と思いながら記事拝読しました。で、自分の体験に照らして、「スクリーンの登場人物が、映像から実体化して、自分に関与してきたらどうなるのでしょう」と思いました。
    想定したのは、人間関係で、うまく他者と距離をおいて客観視する状態でいたときに、相手が相手の都合で自分に関与(仲良くしたいとか、かまってほしいとか)してきたとき、それでも映像とスクリーンをわけら
    れるか自分に問うてみると、どう対処したらいいのかな?とあまりよく理解できていないようです。3D映画のような実体のないものをイメージするとよいのでしょうか?もう一息?頑張ります☆☆☆

    • いつもありがとうございます♪ 

      >現実を客体化する?ことが大事なのかな、と思いながら記事拝読しました。

      う~~ん、そういう意味ではまったくないんです。

      人間関係をスムースにする鍵は、インテグレイテッド心理学基礎講座でやる「抑圧→投影→攻撃→防衛のしくみ」と「境界線」を学ぶことでだいぶ見えてきますよ。

      また、他者がどうしようとしているかではなく、自分がどうありたいかを軸(自己愛)にすることが大事だと思います。ブログの記事は心のしくみを理解してもらうとか、誰かの問題を解決する目的で書いていませんので、ブログの記事だけで理解しようとすると難しいかもしれません。

      とはいえ、何かのヒントぐらいにして頂けたら嬉しいです♪

      • あゆかさん お返事ありがとうございます。
        社会のなかで生きる以上、<他者がどうしようとしているか>が自分の行動に制約を掛けることが特に意識されることがあります。そんな中で<自分がどうありたいか>を軸(自己愛)にすることが難しい時もあります。集団圧力とか全体主義とか、集団の中にいる場合など。そんななかで、自分がどうありたいかを貫くことで自分を傷つけたり不利な立場に追いやることもあります。そんな時は、やっぱり周りを見てしまいます。なんとか、周りの思惑というトラップから脱出したい!と。思えば社会は構成員全員でトラップ掛けているようなものですよね。。。地球は72億の人間の思惑と科学法則でできている???悟れると、自由になれますか?引き続き、投稿記事楽しみにしております♡

  7. こんにちは、あゆかさん。皆さんとのコメントも自分に重なるところがあります。
    それで、最近気がついたのですが、自分は客観的にみてとても恵まれているのに、怖さや脅かされた気持ちになったり、どうなるんだろうかと不安になる理由に、「過保護」の文字が浮かびました。
    親を恨んでいるのではないのですが、自分が親にとても大事にされてきて、いつも母に抱かれて、かまってもらって、注目されてきたために、急に小学校という社会に出た時に、思うように友達ができずに、母も居なくて、自分はひとりぼっちな気持ちで過ごしてきました。ここで自分についての「一人になる。嫌われる、嫉妬される、足を引っ張られる、人を信じられない」等の思い込みができるきっかけになったのかなと気がつきました。
    親に虐待されたとか、否定されたとか、そんな経験はないと思うのですが、逆に過保護が自分のセルフイメージを低める思いこみに影響することはあるのでしょうか?アドバイスをいただけたら嬉しいです!

  8. あゆかさん、更新ありがとうございます。幸せです。

    最近、素晴らしい出会いや再会が続いています。ビックリです。先月は、御嶽山の噴火もあったし、なんというか、、今年は例年にない収穫がある。しかし、その反面、自ら計画して準備や段取りをしたことが、何かしらの新しい出来事により中止せざるをえない、、、といったことも続きました。参りました。今年はそういうものだと割りきって、外出予定を入れないようにしました。そうしたら、嬉しいお誘いや声が増えました。無理ない範囲で出かけることにしました。「来るものを受け入れる余力」がないときは、能動的なアクション(自ら計画する等)もうまくいかない、、と考えるようになりました。うまく言えませんが、スクリーンの例えが、それを表してくださった。もやもやが晴れました。

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