たまには私中毒から抜け出してみる

只今、ロンドンカウンセリングコースの真っ最中です♪

さて、とにかく私たちは毎日いろいろなことを考えながら過ごしていますよね。
どれぐらいぼんやりしているのか、どれぐらい必死で考えているのか、または浮かんでくる思考の数は分からないにしても、一つ確かなのは、考えの中心にはほぼいつも“わたし”がいることです。

とりあえず、朝起きて、

私の今朝の気分はどうか?
私はまず何をするべき?

“わたし”の一日が始まります。

そして、仕事や集まりなどへ出かければ、

私は受け入れられているか?
私はうまくやっているか?
私は仕事をちゃんとこなしているか?
私は同僚や仲間からよく思われているか?
私はどんな扱いを受けているか?
私は他の人のように理解できているか?
私はこのグループの中ではみ出していないか?

やはり無意識にたくさんの“わたし”中心に考えが走るでしょう。

また、テレビでニュースを聞けば、

私や私の家族は今後どうなるのか?
私の老後は大丈夫だろうか?
私の今の生活は維持できるのか?
私の会社は影響をうけないか?
私の子供は安全か?この子(わたしの子供)の将来は?
などなど

“わたし”中心にニュースを判断しますね。

他にも、友達との会話、雑誌などメディアの記事を読んでも、

私はもっと若々しく見えたほうがいい
私は20代じゃないから、これは私には関係ない
私はあの人と同じ世代なのに・・・・・だ

などなど、会話や情報の多くが “わたし”中心に解釈されます。

または、スピリチュアルな教えや悟りに触れると、

私はどうしたら悟れるのか?
私の波動は高まっているのか?
私がこれまでやってきたことは、私の役に立っているのか?
悟ったら、どんな良いことが私にあるか?
私はどこまで「今ここ」に留まることができるようになったか?

などなど、やっぱり“わたし”が中心にいます。

非二元の教えに触れて、“わたしはいない”ということを知っても、

それを“わたし”が理解できたり、感じられたら、“わたし”は悟ったということだ

などと思っていたりします。とにかく最後まで“わたし”がいるんです。

この“わたし”中心に考える癖は、私たちにとってあまりにも当たり前すぎて、振り返ることもしないでしょう。私が何かして、私が~~になったとき、私は幸せ・・・というある意味世界観が深く刷り込まれているんですね。

ところが、私たちが一番リラックスして、一番平和を感じたり、喜びや愛を感じるのは、一瞬でも“わたし”がいなくなっているときなんです。

きれいな自然を見て、ただただ感動しているとき、それが私にとってどうか?ということは、きっと忘れているでしょう。または、赤ちゃんがケタケタ笑うのを見て、ついつられて笑ってしまうときも、私にとってその笑いがどうなの?とは考えていないはずです。

“わたし”のことを忘れて、ただ自然の美しさとともにあるとき、ただ赤ちゃんの笑い声とともにあるとき、ただそこにあるとき、実は深い平和があります。

もちろん、“わたし”をなくしましょうとか、“わたし”中心的な考えを辞めましょうといったことを提案しているのではありません。

でも生活の中で、“わたし”不在の瞬間やひとときがあれば、心にやすらぎと余裕がもっと生まれてくるでしょう。深い眠りというのは、言い換えれば “わたし”不在の空間、時間です。なので、ぐっすり寝た後は、心身がリフレッシュしているんですね。

そして、シンプルな真実は、(分離した個としての)“わたし”は、実際どこにもいないということです。あるのは、すべてにあまねく気づきの意識だけ。そして、それが本当のあなた♪

 

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たまには私中毒から抜け出してみる」への3件のフィードバック

  1. あゆかさーん!
    昨日、改めて「プレゼンス」を読み直したら、自分が無くなる感覚が、以前よりもわかりやすかったです。
    (6月に東京で非二次元を語ろう会に参加したときよりも)
    日々いろいろあって、嫌な思いもするけど、嫌な思いすら愛からできてる親密さが、体感できました。
    こういうことだったのか~と思いました。

    あまねく意識は、本当にすべてに浸透していて、その親密さに圧倒されてしまうほどです。
    その親密さが愛だって本にあったように、そう気づいたら、世界が私に優しくなりました^^
    まだ、スイッチというか、私中毒になってるわたし(無意識の時が多いです)と、あまねく気付きの意識のわたしとあって、私中毒に気付いたときに切り替えるようにしています(笑)
    のんびり行こうと思います。

    あゆかさんは、たいまつの暖かい光のように、私の行く道を照らしています。
    どれほど楽になったかわかりません。いつもありがとうございます(*^_^*)
    ロンドンカウンセリングコース、頑張ってください^^
    ブログ、楽しみにしています\(^o^)/

  2. あゆかさん、こんにちは
    <わたし中毒>に近い体験です。他人の行為を自分と関連付けて意味を解釈するくせがあります。他人が好きに暴れたり意地の悪いことをいっても、「え?私何か悪いことした?」「この人行為で私になにか訴えているみたいだけどなに?」みたいな。相手が癇癪を起していたり、無自覚にものを叩きつけていたり。でも自分ではそういう行為をする前提がないので、相手の行為を嫌がる私がさも悪いかのように行為をする人にいわれることもあり困ってます。なにかよい対処法ありますか?あまり気にしなさすぎても婉曲な相手のサインを見逃しそうですし。少々困っています。健全に「そういう誤解を招く行為をする相手が悪い」と思っていますが、相手が意地が悪いと、さもこちらに問題があるかのように言われたり対応されたりして困っています。意地の悪い人が世間にはいるということでいいといってくれる周りもいますが、いまもって公的な空間(職場など)で暴れる行為をすること自体がマナー違反だと思う私にとっては、こういう人たちの言動を正しく解釈できず、なんだか自信がありません。なにか良いアドバイスがあり増しあtらお願いいたします。

    • <なにか良いアドバイスがあり・・・増しあtら・・・お願いいたします>の部分が表記が変ですね・・・。←「ありましたら」です。。。すみません☆             

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