そして、世界を感じる!

突然思いつきました。そうだ!フェイスグックのつぶやきとブログを連動してしまおう!
ということで、第1弾です。

心がリラックスしているとき、
空の色、雲の形が眼に映り
風の香りを肌で感じ、
鳥の声が耳に聞こえてくる

そして、キッチンから漂う匂い
子供たちのはしゃぐ姿
宣伝カーの叫び声

私は世界を感じる!

私が情熱に心を向けているとき
世界は消え、
自分の内なる情熱と一体化する
なにも聞こえないし、
なにも目に入らない
でも、情熱、好奇心、喜びが私の世界!

私が怒り、後悔、不安の思いでいっぱいのとき
内外の世界は消え、
頭の中をかけめぐる思いと一体化する
なにも聞こえないし、
なにも目に入らない
ストーリーはあまりに真実味があって
頭の中の小さな世界が私

でも、本当の私はストーリーの中の主人公ではなく、
そのストーリーがあることに気づいている意識。

気づきの意識はどんなストーリーも持たず、すべてから自由。
と、同時にあらゆるすべてそのもの。
それが、真の私、そしてあなた。

私たちがストレスを強く感じるとき、または苦しんでしまうとき、それは必ず思考に呑み込まれているときです。

でも、私たちの多くは、ストレスの原因は自分の思考ではなく、状況のせいだ!と思っているでしょう。自分は状況を単に把握しているだけだと。というのも私たちは自分の解釈は、出来事をほぼ正確に捉えていると思っているからです。実は、主観でいっぱいなのですが。

とはいえ、確かに大切なものや人を失った、仕事でアクシデントが起きた、思わぬ出費がかさんで借金ができた・・・などなど、明らかに状況自体がストレスになるというのもよく分かります。

私も半世紀を生きて、上記のようなを体験をそれなりにしていますし、やはり大変なものは大変です。なので決して思いだけ見つめれば、どんな状況でもへっちゃらになると言いたいのではないんです。

ただ、自分では単なる解釈だと思っている、でも実は主観たっぷりのストーリーにどっぷりつかってしまうと、とても苦しくなりますね。

でも、もし出来事に反応して沸いて来た“一番最初”の純粋な感情に寄り添ってみたら? 思考がごちゃごちゃとつく前の悲しみ、怒り、喪失感、なんでも、十分に受け入れ、いつくしみ、感じきってみたら?

うろ覚えなのですが、こんな話を聞いた(読んだ?)ことがあります。

ある悟りのマスターが、母親が亡くなった枕元で大泣きをしていたところ、その姿があまりに激しく取り乱していたので、弟子たちが“先生、みっともないですよ。”となだめようとしました。すると、その悟りのマスターは、“うるさい!俺は今泣きたいんだ!”と言い放ったという話です。

一番最初の純粋な感情を感じきれずに、どこかくすぶったままになってしまうと、逆に思考が爆走します。くすぶっている感情からいつまでも思考が沸いてしまうんです。

“あぁしておけば、今頃こんな状況にはならなかった”、“こんな状態でこの先大丈夫だろうか?”などなど、過去や未来に飛ぶ思考がいろいろ。

こういった思考は当たり前すぎて、だから真実味がものすごくあり、私たちは思考に持っていかれてしまいます。

思考に持っていかれているときは、必ず強い感情もくっついていますので、心だけではなく体ごと持って行かれますね。そして、私たちはすっかりストーリーの主人公になってしまいます。誰か(または自分)が悪くて、誰か(または自分)がかわいそうで、こんな状況はありえなくて、どうしてこんなことが起きたか、それは~~だからかもしれない、でも・・・。

一方、感情を感じきってしまえば、“やることをやるだけだ”といったありのままを受け入れる姿勢になれ、ストーリーに溺れにくくなります。

さて、なぜ“一番最初”と繰り返し書いているかというと、よくある自我のパターンとして、一番最初に沸いてくる純粋な感情にマッハの勢いで思考がくっつき、その思考にまた感情がくっついて・・・・というのがあるからです。

なので、思いや感情を観察しているくせがついていないと、どれが一体最初の純粋な感情か分からなくなるものです。

そんな場合は、私はやはりセラピーをお薦めしてしまいます。非二元の教えでどうにかしようとするより、うんと早くて楽です。また、最終的に自我のエネルギーに巻き込まれていないほうが、真の自分が認識しやいだろうとも思います。

話を戻して、とはいえ思考と同化しないように頑張る必要もなければ、思考をなくそうと頑張る必要もまったくありません。

ただ、わんさと沸いてくる思考があることに気づいている意識のほうへより注意を向けるだけです。そして、よ~く感じてみます。

気づいている意識は、思考には気づいているけど、思考はもっていないはずです。気づきの意識に寄り添いながら、深呼吸をしても良いかもしれません。

もちろん、あっという間にまたストーリーに連れ戻されてしまうことも多いでしょう。なので、気づきの意識にずっと寄り添い続けるのだ!といったような緊張した思いがもしあれば、そんな思いも和らげます。そして、そんな頑張った思いがあることにただ気づく、という繰り返しです。

とにかく、頑張る、緊張する、努力する、といった状態は、自我の感覚がものすごく強まっている状態です。でも、本当は自我なんてなく、気づきの意識だけなんです。

呼吸よりも近く、見過ごすこともできないけど、なぜか見過ごし続けている真の自分。気づきの意識。静かに寄り添えば、私は世界の中ではなく、世界そのものになる。そして世界を感じる!

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そして、世界を感じる!」への1件のフィードバック

  1. あゆかさん

    しんどくなると訪問しているRACOです。

    心がリラックスしてる時
    情熱に心を向けてる時
    怒り、後悔、不安の思いでいっぱいの時

    もう還暦を迎えようとしていますが
    未だにこの3つの時を行ったり来たりしてます。

    いづれの時の場合でも
    「そこにある事」に気づいている「意識」
    それが「わたしなんだな」と。

    その私へ
    ベクトルを向けようよ!
    そう、決心しましました。

    気づいている意識が何処かに在ると感じているのに
    呑み込まれていく「快楽?」をあえて選ぶなんて。
    もう今の私にはそういう余裕は無いのです。

    もうコレ以上思考に呑み込まれ
    身体ごと持って行かれるのは苦しすぎます。

    どんなストーリーも持たず
    全てから自由になりたいです。

    そして「ただやることを、やるだけ」
    そういう今を生きて行きたいです。

    あゆかさんの文章は
    なんて解りやすく簡潔なんでしょう。

    そのようになれるような気がするし
    また、そうなりたいと強く思います。
    ありがとうございます!

    Thanks a lot !!
    RACO

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