正しさよ、さようなら♪

明日からルパート・スパイラさんのリトリートに1週間行って参ります♪ 場所は、フランスのポワティエから電車で1時間のところにある古城。と書くと聞こえは良いのですが、参加者の私たちは、離れの建物に宿泊、バス、トイレ共有、そして、布団カバーとタオル、懐中電灯を持参ということで、どんな状態の部屋なのか何気に不安。

さていやはや、人生いろいろと起きますね。(ご本人様からは、真摯なお詫びのお言葉を頂きました。)ミラクルなほど学びがたくさんありました。少しづつシェアさせて頂けたらなと思います。

第1弾として、一つはっきり自覚できたことは、私の中に「正論信奉」がまだ根強くあったということです。人が他者を批判するときは、当然正論をもって批判しますね。なので、それが正論であればあるほど、批判されると痛い。

私の大好きな本の一つに「神との対話」という本があります。この本を随分前に読んで以来、私は自分自身を「べき」なし人生にシフトさせていき、基本的に「べきマン」だった私は飛躍的に楽になっていきました。

ところが、今回ある意味一番痛かったのは、つきつけられた正論だったのです。うっ、いた~、しょぼんとなっていたところ、どの瞬間だったか今では分かりませんが、拡大鏡で見せられたかのように、あることがものすごく鮮明に見えました。

それは、『正論には愛がない』

書いてしまえば、そんなこととっくに知っていたことです。しかし、今回は実感として、正論が空洞に見えたのです。本当にそこには何もありませんでした。紙の真ん中がぽっかり空いているような感じです。

私はこれにしがみついていたんだ・・・・。本当はこんなに空洞なのに、つきつけられるとすごく痛い。ということは、私の中に正論信奉がまだまだ生きていたのだ!

そうやって振り返ってみたら、私への批判が始まると同時に、私の中の自分を責める声も活発になり、その声は厳しく愛がまったくありません。

愛がない・・・。“”愛がないものをなぜ私は必要とするのだろう?”

この思いが沸いた瞬間、全身で腑に落ちたのです。正論は自分にとって必要がないということを。

自分の中にある正論で攻めてくる声は、大声であるにもかかわらず、そこに愛がないということに私たちは意外に気づきにくいものです。それよりも、正論に沿った行動をしようという意識のほうに気がいってしまいます。

今回も、ああするべきだ、こうするべきだ、そんなことで反応していて格好悪い、といったコメントを頂きました。裏返してみると、いつも強い自分でいるべきだ、どんな批判にも動じるべきではない、というべきが潜んでいるんですね。

インテグレイテッド心理学の基礎でやりましたが、私のような立場にいる人間(本を書いたり、セミナーをしたり)は、ポジティブ投影をされやすいです。

何事にも動じない人、自分を癒しきった人、弱音など吐かない人、などなど。“あゆかさんでも、そんな気持ちになるんですか?”、“あゆかさんでも、まだ癒すことあるんですか?”といったお声を何度ももらいました。そのたびに、“ぜんぜんありますよ~”とお答えしています。

長く私のブログを読んでくださっている方はお分かりだと思いますが、私のメッセージは一貫して、私たちの中にはすべてがある、です。

優しさもあれば、醜さもあり、強さもあれば、弱さもある。人を責めたい気持ちもあれば、自分を認めて欲しい気持ちもある。ありとあらゆるすべてがあるんです。そして、自分の中から現れでてくるどの部分も否定する必要はないんですね。

逆に私たちは、否定したものにコントロールされてしまいます。夜寝る前に、自分の中から出てきた弱い声を私はとても愛おしく感じ、大切にしてあげたいと感じました。

ということで、ちょっと違うスタイルで書いてみました。

“疲れた、誰かに助けて欲しいな”
ハートの声が小さくそうささやく

頭のほうから別の声がする
“強くあれ、一人で対処しろ”
“自分に自信があれば動じないはずだ”

ハートの声は萎縮し、
“私は存在してはダメなの?”
“私は消えないといけないの?
と、緊張する

さらに頭の声が続く
“お前はこうするべきだった、なぜそれが分からなかったのだ!”

ハートの声は、自分はいてはいけなかったのだと知り、
自信があって何事にも動じない自分、
一人でなんでも対処できる自分、
間違いをせず、いつも正しい行動ができる自分、
そんな自分になろうと決心した。
そうすれば、みんなから認められる、安心だ。

そうして必死に自分を磨き上げていく日々
だけど、ハートの奥でいつも誰かが泣いている声がする。

おそらく私たちの多くが、ハートの声を抑圧したまま、頑張りすぎ、疲れ果てて、心に余裕がなくなったり、またはストレスがたまりすぎて鬱になったりしてしまうのでしょう。

周囲のイギリス人によると、フェイスブックに自分の体験談を書いてとお願いしたことは、どこが悪いのか分からないばかりか、good ideaなのだそうです。個人のブログに対する感じ方、捉え方がぜんぜん違うんですね。

国が変われば、変わってしまう正論。(つまり、正論というものは存在しないということ)で、本当に心底どうでも良くなくなりました。ここで私にとって一番大切な気づきは、一見正論であるものの正体が本当の意味で見えたことです。

そして、私が求めているのは、やっぱりハートの声とともにあること。それが魂のケア♪

皆さま、心より感謝いたします☆

☆☆☆☆☆☆ お知らせ ☆☆☆☆☆☆

次世代癒しのシンポジウム開催!
マトリックス・リインプリンティング、メタ・メディスン、NESセラピー、シータヒーリングの4つのツールを軸に、人の体とは心とは?健康とは?について情報、知識を得てみませんか?

長年放置していたホームページをリニューアルしました!

フェイスブックでときどき非二元についてつぶやいています

正しさよ、さようなら♪」への18件のフィードバック

  1. 正論。

    あゆかさんのお話しももっともだと思います。

    ~すべき、~であるべき、

    これは、自分への枷でもあるので厳しい。

    ですが、正論でもOKだと思います。

    たとえ正論でも、ハートに正直なら、それでOKではないかと思うのです。

    昔、ある方に自分が完璧主義なのでそれを何とかしたいと話したら、その方は、「それっていいことだよ」と逆に言われました。完璧主義のある視点から見ると何とかしたいと思ってしまいますが、別の面から見るとよいことでもあるんです。

    正論も同じだと思います。正しさを主張することではある意味愛がないかもしれませんが、それだけだと一面的。別の面から見れば愛はあります。

    私はそう思います。

  2. こんにちは

    正論で責め立ててしまう癖のある私は、
    「正論には愛がない」にショックを受けつつ納得しました。

    今まで正論で数々の口論に勝利したものの
    自分の得たい結果は手に入らなかったよなぁと思ったり。
    口論に勝つってだけでした。あとでいやーな雰囲気になったりして。

    今回は何かトラブルがあったのかな?と思いますが
    facebookに体験談を書いてとお願いするのは別にいいのでは〜と私は思いましたよ^^

    あゆかさんが言っていた
    「人の言葉はただの意見発表」
    この言葉にずいぶん助けられました

    私も正論戦争を巻き起こさず、愛をもって過ごせていけたらと思います

  3. こんばんわ。

    正論には愛がない、わかります。

    だってこれが正しいんだよ!!と会社で振り回してはうまくいかず、、
    を繰り返し、正しさで人は動かないって誰かいってたな・・
    を経験しています。

    日本の片隅、小さな会社の人間関係ですが、正しさってそれだけだと
    あんまり意味ないな、と感じています。

    正しいを作るから、間違っている、が出来上がる。
    正義は悪をつくる、大きい話のような気がするけど
    日常によくある話ではないでしょうか

  4. あゆかさんてどの程度癒されているんですか?
    セラピストも癒されることが必要だとおっしゃっていましたが。
    これって目に見えることじゃないしなあ。
    正論ていうか、ご自分が普段言ってることはどこいったの?ってことではないのでしょうか。
    あ、いつもそうできない、っていうのは普通ですよね。人間ですもの。それって正論ですね(^○^)
    よっぽど悔しかったからわざわざイギリス人の例まで出して(笑)facebookの件を持ち出すんでしょう。
    日本人だって、問題ないって言ってた人いたでしょうに。
    数々のセラピーを受け、自分に都合よく解釈するクセがついているようにしか見えない。
    ハートというより思考のクセ。
    きっとそれでいいんですよ。そのままのあゆかさんが素晴らしいのだから!これでいいですか?って冗談です。

  5. あゆかさん いつもありがとうございます。

    懐中電灯を持って行かれるのですね。なんだか、楽しみですね。
    私はルパートさんの本を読んだだけですが
    伝わってくるあたたかさが大変心地よいです。

    そしてあゆかさんからも同質のあたたかさを受け取っておりまして
    ハートが全身が和らぎます。

    言葉ではうまく言えませんが、そういうことは
    ありそうで、なかなか無くて、ですので、この嬉しさをお伝えしたくなりました。

  6. こんにちは。
    楽天ブログの頃に何度かコメントしたことがあります。
    最近は読むだけになっていましたがいつも楽しみにしています。

    「正論には愛がない」

    ストライク!来ました。
    少し前にあるところで目にして強い印象を受けた言葉に似ていたからです。

    それは「愛のない善は、やがて悪に呑まれる」というものでした。

    かつて私も、正論をふりかざす人でした。
    正しければ人から感心される、認めてもらえる、一目置いてもらえるだろう、という期待がありました。

    けれど実際には、思ったような結果は得られませんでした。
    自分は正しいのに、人は寄ってこない、むしろ嫌われる、まだ正しさが足りないのだろうか…?

    とてもよくある例えだけれど、北風と太陽ですね。
    正論を吹きつけても、人は避けようとして閉ざすだけ。
    そして温かい人のところへ行ってしまいます。

    >「ハートの奥でいつも誰かが泣いている声がする」

    私は、「正しくて強い私」が実はハリボテで、弱くて泣いている自分を必死で守ろうとしているだけだと、どこかで知っていたと思います。
    けれどそれはみっともなくて、痛くて、恥ずかしくて、認めたくありませんでした。
    認めてしまったら、振り上げた拳を下ろす場所がなかった時のような情けないことになってしまう…

    今回のブログ騒動で、騒ぎに便乗してあゆかさんに批判の矛先を向けた人々からも、私は「ハートの奥で泣いている声」を感じました。
    私の中に今もあるちいさな声を、私も抱きしめて耳を傾けたい、
    そうすればかつてのように、温かい人に嫉妬して、正論を武器にその人を攻撃する必要もない(やってました)。

    やはり人は温かい愛のあるところに引かれるのですね。
    あゆかさんのブログは温かい場所です。ありがとうございます。

  7. 『正論には愛がない』

    正論~正しさとは?

    常識?道徳?

    人殺しはいけない?、、、、自殺はいけない?

    これもこの時代の正論~正しさです。。。。

    正論~正しさは時代~地域により変わります

    例えば~戦争は人をたくさん殺せば英雄^^:

    イスラム原理主義の聖戦は自爆テロ

    イラクの原理主義では英雄

    正論の真逆は曲論

    【曲論】道理を曲げて論じること。まちがいを正しいものとする議論。

    そう考えると~この世の正論?曲論?とは。。。。

    この地球上70億の人々の賛成~反対で正論と曲論が分かれる

    人殺しは正論としているイスラム原理主義

    何が正しい?何が間違い?

    原発は正しい?~間違い?

    そう考えると

    この世に正しさ~間違いは無いのです。。。。

    全て~各自の主観ですね

    同級生を解剖した女子生徒~彼女は頭が良く~解剖したかったと・・・・

    彼女の中ではそれが正論なのだろう

    究極~正しさとは?

    各自の思考なのですね。

    私も正しさよ~さようならです

    正しさより~人々に感謝され~自分が楽しくワクワク~遊べる事

    (女子高生には感謝される事がない)

    感謝する事から~感謝される存在に成ることがもっとも大切な事と認識している。。。。

    それ以外のことは~すべて手放しました

    感謝される存在

    あゆかさんと同じです^^

    ありがとう

  8. あゆかさん こんにちは
    正論論。前回書き込みした取り組んでみたい課題に通じることに感じました。なお、正論はないということは・・・
    1)万人に通用する正論はないということでしょうか?
    2)正論は人の数だけある。なぜかといえば、正論とは各々が信じる信念や常識だから
    人を殺すなかれのようなものは正論のような気もしますが、こういうものは正論ではない?殺さざるを得ないこともある(制度的な刑罰とか戦争とか)から・・とういうこと?

    実は、実体験として、「自分なりの意見や立場から、他人から自分へ行われた行動を批判」したら、いわゆる「正論」で裁くように、裁く対象にならない行為に意図的にレッテルづけられるという復讐を受けたことがあります。相手の理解力や良識に問題があると思っていますが、この正論論とも、少し関係あるのかな?という気もします。
    具体的には、性的なからかいをうけたので抗議したら、その後固定されていたパソコンを知らずに移動しようとした機会に「壊さないでよ!」とさも私が暴力的な破壊行為をするかのように怒鳴られた。単純な誤解というより、誤解のふりして技と非行行為に見えるように周りに知らしめた感じ。

    相手は上司だったのでパワハラがひどいという私の認識でした。でも、思えば、からかいをしたほうは仲良くする気でからかって批判されたので、やり返しで、私の行為にも、事実と異なる意味をつけて騒ぎ立てたのかも。

    行為の趣旨への意味付けの違い(異文化摩擦?)が、復讐行為で泥沼になりかけた出来事でした。

    • もう一つ。。。
      私の心のざわざわすることは、子供のこと。育児には興味がなく、これまで経験していないのですが、子供有りの人がそういう私の個人的事情を知り見下したような態度をとると、胸がざわざわします。相手は、育児してあたり前!という世界観の人か、今まで育児をしてきたことでで引け目を感じている人。自分たちが見下されてきた(と思い込んで?)ことから反動として、見下したり嘲笑する他人ができて彼らは嬉しいようなのですが、人間として未経験なことがあることを理由に他人を嘲笑する態度をとる相手に私のほうは心がざわざわします。自分の人生に失礼な態度で介入してくる他人に腹立ちを感じます。これが、育児じゃなくて、バンジージャンプなら、別に嘲笑も見下しもしないでしょうに、と思うと本当に不思議です。そして、一人でいるときは、自分が生きたいように生きてきたことから、何の後悔もないのに、嘲笑されると心がざわざわする私の心も不思議です。周りで育児がそろそろ終わる時期なので、一つの時代が終わることから、ちょっとさみしいのか?戸惑うのか。いったいなんなんだろう。心って本当に不思議ですね。

  9. 正論が痛いと感じるのは
    そこに認識のゆがみがあるのではないかなぁ
    (これは『他者にとっての正論』ではなくて、本人も理解できる正論の場合の話)

    正論は正論でも、状況によって対応できなかったり、
    適応するのがそぐわない段階だってあるでしょう
    それを冷静に分析して伝えることが出来れば、
    まともに思慮分別ある人間には理解して貰えるでしょう。

    多分、冷静になる前に反応してしまったから、
    体験談で対抗することを思いついた。
    体験談は紛れもない体験者さんの真実ですもんね。
    そりゃ相手も否定のしようがない。

    正論に愛がないと感じるのは、そこにまだ『べき』がひそんでいるからではないかな…?
    と感じます。
    正論はただの正論であって、どうするかは本人の自由。
    いい加減を自分に許してる私はそう思ってしまいます。

    そんな私は、正論大好き! 
    理知的な正論には「はは~~っ」と土下座してしまうくらい正論信奉者です。
    でも当然暴力的に正論を使う人は大嫌い。
    やはり、本人が正論にどれだけ力を与えているか
    余裕を持って対峙してるかどうか、なのかな

  10. あゆかさん
    私もあゆかさんをポジティブに捉えてるのでしょう、あゆかさんでも迷うのだななどと感じながら今回のブログを読み、同時に親近感?の様な物も感じました。

    また今の自分に照らし合わせ、私は正論を考えているから迷っているのか?とも思いました。
    とてもありきたり悩みで、最近のあゆかさんの非二次元の世界を理解していないのかもしれませんが、もしお時間あれば助言頂ければ幸いです。

    悩みとは、何度も何度もぶつかった壁、「この職場を続けるか、辞めるか」です。
    今まで15年社会人をやって、派遣で働く事が多く事情もあり結果的に長くて3年半しか同じ職場に働いた経験がないと言う仕事スタイルを取って来て、今は結婚して海外でパートの職を得て働いています。そういう働き方なので普通の人よりも多くの職場を経験して、その職場が自分に合う合わないと感じる心?ハートは何となく分かったつもりです。
    そして今パートですが期間は決まってない久々の環境におり、おそらくハート的に合わないとビンビン感じてる職場でまだ1ヶ月半しか経っていない状況です。
    ハートでは合わないかな?と思う反面、正論と言うのでしょうか?エゴトークでしょうか?、パート(週3回)の癖に耐えられないのか?自分には辞めグセがついてるのか?たった1ヶ月じゃ職歴にもならず、今は時給もいいのに次に良い所があるか分からないじゃないか?お金はストレスと引き換えにもらう様な物だ、今辞めれば根性無しだ!、少人数女性上司は合わない!などと考えたり。
    以前ハートに従い2ヶ月前後で辞め、その後1年半を契約満了で仕事を終わらせられたと言うある意味辞めて正解だったと思う経験を思い出し、辞めていいのか?とも思ったりしてます。。(ハートトークはあゆかさんの考え方では少し古くなってますでしょうか?)
    結局の所、ハートトークと仕事を結びつけるのは無理なのか?とも思ったりもします。
    つまり、仕事は日々良い事悪い事の連続だしある程度ストレスは付き物なので、少しストレスを強く感じても続ける”べき”?物も世の中にはあるのでは?と思ったりと堂々巡りで完全に自分を見失っています。
    こう言う状態の結論を出すのにETFなど有効な方法はあるんでしょうか?

    纏まりなく、長々すみませんでした。

  11. あゆかさん、こんにちは!
    初めてコメントいたします。

    私はあゆかさんが初めてブログを立ち上げた頃から、恐らく一度も欠かすことなくブログを読み続けています!
    セミナーにも何度か参加し、あゆかさんからたくさんのことを教えて頂きました。

    重い大きな塊のようなものが胸につかえていて、ずーっと苦しかったのですが、あゆかさんの言葉にいろいろ気づかされ、励まされ、癒され、今では本当に楽に生きられるようになりました!
    いつの間にか“べきべきマン”が出てきたり、マインドのストーリーにどっぷり浸かっちゃって落ち込んだりした時も、あゆかさんの言葉を思い出して(例えば、ただの訪問者だからいつか出ていってくれる、など)心を落ち着けて静かに見守ることができるようになってきました。

    悟りについても、知るきっかけを与えてくれたのがあゆかさんでした。
    最初は“リアルなうそ”の意味が全く分からなかったのですが(笑)、今は知識上でしかありませんが本当の意味での悟りを理解することができて、それだけでもずいぶんと楽になれたと思います。

    少し前に結婚して子供も授かることができました。私はあゆかさんに出会えたことで、前に進むことができ、本当に感謝しています!

    ブログの内容とはあまり関係ないコメントで申し訳ありませんが、何となく書きたくなってコメントしてしまいました。
    子育てが落ち着いたら、またいつかセミナー等であゆかさんにお会いできるのを楽しみにしています♪

  12. あゆかさん、こんばんは。
    『正論には愛がない』ですか。そう言われるとそうですよね。
    正論をかざす人は愛があるからこそ言っていると思っているような気がします。
    「あなたの為に言っているのよ!」というような。

    最近はちょっとした発言でも叩かれる傾向がありますね。ネット社会だからでしょうか。
    私も完璧でない私でいいと頭ではわかっていても、ちょっと注意(叩くほどでもない)されたりすると
    ものすごい勢いで言い訳を考えてしまいます。
    なんとか自分を正当化したいがために。頭痛がするくらいです。

    小学校の頃とにかくなにか間違ったことをすると集団で糾弾される環境にいたからだと
    思います。
    癒していかなくてはならないと思っています。
    しかしちょっと自分が間違っている事をしてしまったという時は、なかなかこれでいいんだとは
    思いづらいですね・・・。

  13. あゆかさん、こんばんは。
    ”正論には愛がない”
    これを読んで、ふっと、とてもほっとしました。
    と、間を置かず、「え!?そうなの??それってほんとう??!それでいいの!!??」、と考えました。
    これがハートと思考か。。。と。
    正しくなくていい(なんでもアリ?)、なんて、なんてうれしいのでしょう。涙出ます。

  14. 正論だから痛いのでなく、自分の心に不安やボタンが
    ある場合痛いと感じるのです。それがなければ、「ふ~ん、この人はそう思うんだ」や「何言ってるんだろう~」で終わりです。
    自分の中の正論にバッテンをつけて追い出し
    他者の一意見を正論として無理に取り入れようとすれば、
    その偽りの正論の中身が自分にとって空洞なのは当然ですね。
    どうして、他者の意見を正論ととらえてしまったのでしょうね。
    探ってみるといいかもしれませんね。

  15. 正論には愛はない

    とは、感じません。

    自分自身の内側を深く深く見ていくほどに、

    本質は光であり、

    それは、愛・勇気・受容性・信頼・直観・慈悲・決断力・喜び・・・というような質として、表現することもできます。

    同時に、私たちの表層にはこれまでの転生で蓄積してしまった傷や感情や思い込みやプログラムもあります。

    これが反応してしまうと、光がねじ曲げられ歪んでしまい、ネガティブな表現となってしまいます。

    だからといって愛はない訳ではないと感じます。

    どんな時でも、内側深く観ていくなら、本質の光の表現だと感じます。

    表層で反応している傷や感情や思い込みやプログラムが癒されたなら、純粋な光の表現に戻っていきますから。

    これは、今回の体験でもそうでした。

    そして、

    私は正しい、お前が間違っている

    という何十もの過去生に跨がる大きなカルマを浮上させてくれました。

    それは、余りに大きくとても手に負えないと感じるほどでした。

    しかし、すべてをあるがままに受け入れる、と覚悟をすることで、癒され解放されるていきました。

    とても素晴らしい機会をありがとうございました。

  16. あゆかさま

    ご無沙汰をいたしております

    元気に
    キャリアカウンセラー
    産業カウンセラー
    として日々フーフー言いながらも
    がんばっています

    久しぶりにブログを読ませていただき
    ロンドンコースがなつかしく
    来年は還暦でもありますので
    ぜひロンドンコースに参加して
    もう一度
    9年前に学んだことを学んでみたいと
    思いました

    「そして、私が求めているのは、やっぱりハートの声とともにあること。それが魂のケア♪」

    この言葉で心が
    ポカポカとほのぼのとしました😊

  17. こんにちは。
    正論の定義や概念ではなく、言葉にすると正論には愛がない、、、となった「気付き」の部分を受け取らせて頂きました^^
    ありがとうございます。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中