理由なき幸せ

今回は頂いたコメントにお返事いたします。コメントをありがとうございます!

<省略> 過去は変えられないから前をむかないと・・とどんなに周りに言われても、どうしても踏み出せない私です。望んでも希望なんて叶うわけない(でもこれは思考の嘘?)、この先希望なんてない、私なんて幸せになれるはずがない、などなど、今までの人生の延長で想像すると、この先いい人生なんて来ない!そんな思いにかられてしまいます。
未知の世界に踏み出すのは怖いし、また苦労するのももう嫌だ、などなどいろんな思いが生まれてきます。過去に戻らないためには、どうやって、未来を信じて今を過ごせるとよいのでしょうか。後ろを向きで前進しても、未来は拓けない!そんな思いでいっぱいです。

希望が叶うか?(受身)というより、希望を実現させるには? そして、いい人生が来るか?(受身)ではなく、いい人生にしよう!という発想のほうが本当は生きやすいんです。犠牲者意識(嫌なことばかりが私起きる、etc)が自分の中にどれぐらいあるかを探ってみると良いかもしれませんね。

ということで、ご質問に対してカウンセリングやセラピーの観点からお答えすることももちろんできます。しかし、それにはコメントの方にいろいろお聞きする必要があります。

なので、ここではご質問の発想そのものを転換させてしまおうと思います。

このご質問にある発想は、私自身もほんとうに長い間陥っていたのでとても良く分かります。または、自我が陥りやすい典型的な罠とも言えるかもしれません。

何のことかというと、「今」この瞬間が過去に覆われているか、または未来に投影されているかのどっちかになってしまっていることです。

つまり、ここに抜けている発想は、「今というときを今のため」に使うことです。

自我の心はこんなふうに、いつも過去か未来に飛んでいますね。ですが、こうやって思考が過去か未来かに飛んでいるところにほんとうの幸せは見つからないんです。

たとえば、過去はいまどこにあるでしょう? そう、記憶の中ですね。実際の出来事は今もうないですね。あるのは、記憶だけです。そして、この記憶とは基本的にイメージですね。そこに思いや感情や音や匂いなどがくっついているかもしれません。でも、イメージです。

では、未来はどこにあるのでしょう? そう、頭の中ですね。実際の出来事は今にはありません。そして、頭の中にあるのもイメージですね。そこにもやはり思いや感情などがくっついているかもしれません。でも、やっぱりイメージですね。

こうやって思考はイメージからイメージに飛んで、唯一イメージではない「今」を忘れてしまいます。自我にとって、“今”は過去の結果か、未来への過程でしかなく、重要視する場所ではないんです。

私たちは今にいることしかできないにもかかわらず。

念のため、過去はただのイメージだと思えと言っているのではありません。トラウマもそうですが、起きた出来事としてきちんと向き合い、心身の健康のために癒したほうが良い過去もたくさんあります。

話を戻しましょう。

“過去を振り替えず前を見る”ということ自体は、何も問題はありません。前向きなほうが後ろ向きより明らかに生きやすいでしょう。

しかし、未来を信じて生きたとしても、“今”がそのための「過程」になってしまい、「まだ幸せではない場所」になってしまうと、人生の大半がいつか幸せになる日々となってしまいかねません。

しかも思考が描く「良い人生」は、つかんだとしても長続きがしませんね。(新刊を読んでみてくださいね♪)また、過去の出来事での感情が癒されていないと、その感情に引きづられ、あのときもダメだったから、今度もどうせ・・・と思考がいとも簡単に過去に戻ってしまいがちです。

じゃぁどうしたら良いのか?

そうです。ここで私たちはあっちこっちに飛ぶ思考ではなく、ハートに戻れば良いんです。

ハートはいつも今ここにしかいませんね。未来に踏み出すという大げさなことではなく、たった今自分のハートに耳を傾けるだけです。

今、やりたいことは何?(将来につながるかなど関係なく)

今、嬉しくなることは?楽しめることは?(小さなことでもまったく良いです)

そして今、ただ理由もなく“幸せ”を感じることはできますか?(ほんの30秒でも)

もし難しかったら、過去に幸せを感じた「感覚」を思い出すのでも良いですよ。

今ここは、理由なき幸せ、無条件の幸せがある場所なんです。

そして、希望というのは、未来の楽しそうなイメージにしがみつくことではなく、人生、そして生命そのものを信頼することで自然とハートからにじみ出てくるものです。

さて、この流れで来てここで、皆さんが混乱するようなことを書いてしまいます。

「今ここ」とは、過去、今、未来、または、ここ、あそこといった時間や場所の今ここではありません。

「今ここ」を別の言葉で言い換えれば、それは「本当の自分」です。生命であり、人生を生み出す源であり、完全に開かれた愛と知恵です。

大げさな話に聞こえるでしょうか? いいえ、これはあなたが毎日一番身近に感じているもので、見過ごしているだけなんです。

~~が~~で、こうなったら幸せになる、過去はこうだったから未来もきっと同じ、悪い出来事は不幸で嫌なこと、良い出来事が起きれば幸せになる、といった思考のストーリーから抜け出したとき、本当の幸せが顔を出して始めます。

ということで、私たちには二つの選択があります。

一つは、思考のストーリーの中で条件付きの幸せを追求し、夢を見続けること。

もう一つは、ストーリーから抜け出して理由なき幸せ、真の自分である生命に目覚めること。

答えはあなたのハートの中に♪

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理由なき幸せ」への6件のフィードバック

  1.  あゆかさん、こんにちは。
     コメントを取り上げてくださり、ありがとうございました。(個人相談のような文面になってしまいすみませんでした。記事にご活用いただけ幸いです。)
      記事を拝見して、冒頭、目からうろこでした。「え、受け身?????」
    そうです。自分の発想が「受け身」だとは気が付きませんでした。
    犠牲者意識は何となく自覚がありネガティブさを克服できないなあと感じていましたが、「叶うかなー」「いい人生になるかなー」が受け身でそこに主体的に自分の人生を創造する姿勢がないことに気付かずにいました。車の運転をしていて「目的地に着けるかなー」というのと同じことかもしれませんよね。(ちなみに個人的には運転する自動車より、乗れば運んでもらえる鉄道が、移動手段としては好きです。これもある意味受け身かも・・ですね。)
     創造したいけどできるかな?な不安(つまりネガティブ)にまかれて、「不安を越えて希望を叶えるにはどうしたら?」まで至っていないのかもしれません。そもそも自分の可能性(自分には出来る!)を信頼していないのかも。
     そして<<<そして、希望というのは、未来の楽しそうなイメージにしがみつくことではなく、人生、そして生命そのものを信頼することで自然とハートからにじみ出てくるものです。>>>の一文に勇気をいただきました。今の自分と一緒にいることで不安が消える。なぜって、「具体的に何をしたら?」になるからかしら?
     でも、意外と難しい。いま何をすればいいかわかっていると意外とサクサク前進できますが、わからないと思考がぐるぐる廻り始めます。その場で足踏みしているうちに、不安がどんどん大きくなったりして。
     ハートの声を聴く、これもできているのかしら?いつも自分の外側にばかり意識がいき、自分のハートと向き合っている時間はあまりないのかもしれません。そして、向き合うのを避けるとき、私は何か食べることに走っているかも・・・。
     「理由なき幸せ、真の自分である生命に目覚めること」をしっかり体験できるとよいなと思います。今は、それでさえ厳しい現実からの逃避になっているような感覚です。きっと偽物の体験ですね。

  2. 久々にこちらを訪れました。

    相変わらず、パワフルな言葉ですね。

    思考(エゴ)は、経験を価値観を通してしかみれないので、幸せ探しの旅に出ててしまうんでしょうね。

    >ハートはいつも今ここにしかいませんね。未来に踏み出すという大げさなことではなく、たった
    >今自分のハートに耳を傾けるだけです。

    ハートに戻ることの素晴らしさをあらためて気づき、感じました。

    本当の自分は、大丈夫ですね。

    ありがとうございます。

    (^^)。

  3. あゆかさんこんばんは。
    お伺いしたいのですが、あゆかさんは『サイコパス』についてどう思われますでしょうか?

    あゆかさんは海外暮らしなのでご存知ないかもしれませんが、佐世保で16歳の少女が同級生をバラバラ殺人する事件が起きました。
    彼女はそれ以前にも問題行動が多かったようなので、「環境も影響しているだろうが、元々の性質もあるのだろう。サイコパスとしか言えない」という意見も多いようです。
    私自身は脳の感情をつかさどる部分に障害でもない限りはサイコパスなど存在しないと思っているのですが・・・
    いろいろ複雑な状況が絡み事件となっているかもしれないのに、「サイコパスだ」の一言で片づけられてしまうことに恐ろしさを感じました。

    あゆかさんの豊富なカウンセリング経験の中でそのような事例というのはありましたでしょうか?また、もしそう言う人がいた場合、手の施しようがないのでしょうか・・・

    • もへこさん、コメントをありがとうございます。その事件については、BBCのサイトで、最も読まれた記事の一つに入っていたので知っていました。

      多くの人をカウンセリングしてきましたが、サイコパスの傾向を持つ人は、私自身は経験がないんです。自分のどこかを変えたいとか、自分を見つめたいといった欲求自体を持たないからかなと思います。そう思えたら、サイコパスではないですから。

      経験がないので、私の考えになってしまいますが、もへこさん同様、サイコパスという性質を持って生まれてきたというのは、かなり考えにくいと思います。遺伝によるものだろうという説もあるようですが、個人的には全く信じられません。それよりも、どこかの時点でサイコパスになってしまったのだと思います。

      私自身は、ナルシズム人格障害とかサイコパスといったようにレッテルを貼らずに、結局のところ、その人の中で今何が起きているの?というところを見て行きます。それで、十分にいろいろなことが見えてきます。

      見えてきたものに対してワークしていけば良いのですが、ただ、本人がその気になっていることがやはりとても大切です。

      サイコパスやナルシズムの場合、本人がセラピーやカウンセリングを受ける必要性を感じないと思いますので、それが難しいところかなと思います。

      • あゆかさん、さっそくのお返事をありがとうございました。
        記事に関係ない事で申し訳ありません。

        この事件の他にもちらほらと聞くことがあり、なにかしら心の闇の原因を突き止めなければ、同じような事案が起こってしまったりなんの処置もないまま社会に彼らが戻ってしまうのでは・・・と考えさせられました。
        さすがに正式な正式鑑定で簡単に烙印を押されてしまうことはないと思いますが。

        ありがとうございました。

  4. 想いが作り出す「未来」に迷い込めば、不安に押しつぶされます。

    そして

    想いが掘り起こす「過去」に迷い込めば、後悔に押しつぶされます。

    本当にね、いま目の前にあることだけをやればいいんです。

    日々

    「いま目の前にあることだけをやる」

    そしてそれが済んだら、また

    「いま目の前にあることだけをやる」

    その繰り返しでいいんです。

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