後悔は過去ではなくて“今”の否定

久しぶりにロンドン市内に出たら、観光客で人口が二倍ぐらい増えていました。イタリア人やドイツ人の子供たち(修学旅行団体)があちこちに。しばらく市内に出るのは辞めよう。

さて、思考はほんとうにあることないこと思いつく能力があります。それはうまく使えば、ファンタジー小説はもちろん、音楽やアート、科学などに創造性として大いに発揮されますね。しかし、一方で日常生活の中で私たちを“推測”や“後悔”の世界にも連れ込んでしまいます。

例えば推測の場合、

“すぐにメールの返事がない。きっと私の書いたことに腹を立てているのだ”
“~~さんは、最近仕事がうまくいっていて忙しそう。私のことなんか忘れているだろう”
“私の将来なんてどうせたいしたものではない”
“日本の社会はますます変な方向へ行っている”

そして、この推測からまた様々な思いが生まれ、ストーリーが作られていきます。

“~~さんは、最近仕事がうまくいっていて忙しそう。私のことなんか忘れているだろう。どうして私はいつも人に大切にされないのだろう。みんな私のことを誤解しているのだ。でも、私も変わらなくてはいけない・・・”

“日本の社会はますます変な方向へ行っている。どうなってしまうのだろう。とりあえず収入が確保される状態にしておかなければ。今の仕事も良いところもあるから、やっぱり続けたほうが良いかな・・・。”

これはすべて妄想に基づいたストーリーです。真実味がとても高いですが、ウソがあちこちに潜んでいます。

昔、エックハルト・トールの「さとりをひらくと人生はシンプルで楽になる」を読んだときに、“わぁ、本当だ、私は妄想の世界の中に生きている!”と私はお腹の底から納得し、それが“思考を眺める”習慣のきっかけとなりました。

眺める習慣はついていったのですが、もちろん引き込まれる思考のほうが圧倒的に多く、一応眺めているけど、苦しい・・・といったことを繰り返していました。

とくに私にとって難しかったのは、“後悔”を引き起こす思考です。後悔は、過去の時点で違う選択ができたはずだという妄想です。もちろん、できなかったのですが、思考はできたはずだと言い張るんですね。

この思考が出てくると、眺めていたはずが、いつの間にかストーリーの中にどっぷり。どうするべきだったかというストーリー、そしてそうしていたら今頃どうなっていたかというストーリー、そして今そうでないことへの嘆き・・・・どっと疲れる、といった状態でした。

ということで、自己ワークをしたのです。思考ができたはずだ!と言い張る理由は人それぞれ違うかもしれません。

私の場合は、“私は間違った選択はしない人”→“私は人から信頼され、頼られる人”というセルフイメージがその原因でした。このせいで、自分が“間違った”選択をすることが許せなかったのです。そこで、人から信頼されないとどうなるの?と尋ねてみると、“発言権がなくなる”→“隅っこに追いやられる”→“存在の価値なし”というシナリオが見えてきました。

そこで、“人から信頼され、頼られる人”でいるために長年頑張ってきた自分に労をねぎらい、ありがとうと心から感謝してみたのです。そうしていくうちに、頑張った感じが緩みはじめ、“間違った”選択をする自分がいてもいいよね、という気持ちも自然と出てきました。)

もちろん、頭ではいつも正しい選択などできるわけないし、間違ってもいいじゃないかとか、そもそも正しいとか間違いってないよねと思っているのです。ところが深いところではぜんぜん違う思いを持っていることは、よくあるんですね。

そして、そちらの思いのほうが本音です。で、その思いがドンと自分の中にある限り、妄想を見破ることはなかなか難しいです。

例えば、ここでスピリチュアルや非二元のメッセージを持ち出すことももちろんできます。“物事に正しい、間違いというものはなく、エゴがレッテルを貼っているだけ”、“すべては移り変わる幻想であって、何も起きていない。だから自分を責める必要もない”“というか、自分はいないのだから責める人もいない”などです。

これが本当に見抜けていれば、ワークもセラピーも必要ありません。人生は深刻なものから、リーラ(遊戯)に変わります。しかし、これを思考の理解だけでやってしまうと、自我を支えるこういったセルフイメージが見えてこないんです。

そして、いつまでもそれに振り回されてしまいます。自分の思考に深くはまったまま、スピリチュアルな探求をしている人に今までも大勢会いました。もちろん、真実が見えるときは見えるのでしょう。でも、逆に苦しくなっている人のほうが多いなぁというのが私の印象です。

さて話を「後悔」に戻して、こうやって見ていくとお分かりかと思いますが、最終的に後悔とは、過去のできたはずの選択に苦しんでいるのではなく、「(セルフイメージを壊す)そんな自分が好きになれない」、または「今の状態が嫌だ」という“今”の問題なんですね。

もし、現在の状態や今の自分に満足していれば、後悔はないはずです。

思考は、過去に何度も戻り、あの時~~~というストーリーを繰り返し、あたかも今はもう何もできないかのように私たちを思わせるかもしれません。

でも、自分の中に“今”握り締めている思い込み、“今”抱えている感情を癒すことで、私たちは過去から解放されます。そして、本当に“今”だけが残ります。

もしかすると、その今の状態があなたは気に食わないのかもしれません。(だから、そもそも思考が過去へ飛んで行ったわけですから。)

往々にして、今の状態が嫌なのは、人生はどうあるべきか、今の状態はどうあるべきか、という自分の思いに一致しないからですね。家族はみんな健康であるべきだ(あるはずだ)、お金のことで夢をあきらめるなんて嫌だ(自分の夢は実現するべきだ)・・・。

思考はものすごく説得力があるものです。でも、これらの思いに同化しなければ、今起きている出来事、状態の中にポジティブなもの、美しいもの、優しいものをもっと見つけられるようになるでしょう。

そうなれば、状況はどうであっても、ふっとした軽やかさが人生に生まれてくるでしょう♪

 

 ★  “ロンドン・カウンセラー講座(Integrated Counselling Diploma Course)募集中”★
~自分を癒して、はじめて人が癒せる~

コース受講者の声の欄をつくりました→☆

フェイスブックでときどき非二元についてつぶやいています

後悔は過去ではなくて“今”の否定」への4件のフィードバック

  1. あゆかさん、こんにちは
    「今の状態が嫌なのは、人生はどうあるべきか、今の状態はどうあるべきか、という自分の思いに一致しないからですね」
    まさにそうです(涙。。。)過去は変えられないから前をむかないと・・とどんなに周りに言われても、どうしても踏み出せない私です。
    望んでも希望なんて叶うわけない(でもこれは思考の嘘?)、この先希望なんてない、私なんて幸せになれるはずがない、などなど、今までの人生の延長で想像すると、この先いい人生なんて来ない!そんな思いにかられてしまいます。未知の世界に踏み出すのは怖いし、また苦労するのももう嫌だ、などなどいろんな思いが生まれてきます。
    過去に戻らないためには、どうやって、未来を信じて今を過ごせるとよいのでしょうか。
    後ろを向きで前進しても、未来は拓けない!そんな思いでいっぱいです。

    お写真のお花屋さん、素敵ですね。ガラスのウインドウにもお花がペイントされていて華やかです。
    お花は美しく生命力もあり、大好きですし、元気をもらいます。イギリスはガーデンもフットパスもあり、
    みごとな自然を楽しめてよいですね。あゆかさんのおうちから見える景色も自然いっぱいで美しそうですね。

    • ・・・と書きましたが。。。
      ツボとんとんセラピーすごいです。あゆかさんがお書きになった次の内容が実体験としてわかるようになってきました。論より証拠とはまさにこのこと!
      以下、今回の記事で共感した箇所です。
      >>>>>
      思考は、過去に何度も戻り、あの時~~~というストーリーを繰り返し、あたかも今はもう何もできないかのように私たちを思わせるかもしれません。

      でも、自分の中に“今”握り締めている思い込み、“今”抱えている感情を癒すことで、私たちは過去から解放されます。そして、本当に“今”だけが残ります。

      もしかすると、その今の状態があなたは気に食わないのかもしれません。(だから、そもそも思考が過去へ飛んで行ったわけですから。)

      往々にして、今の状態が嫌なのは、人生はどうあるべきか、今の状態はどうあるべきか、という自分の思いに一致しないからですね。

      思考はものすごく説得力があるものです。でも、これらの思いに同化しなければ、今起きている出来事、状態の中にポジティブなもの、美しいもの、優しいものをもっと見つけられるようになるでしょう。

      そうなれば、状況はどうであっても、ふっとした軽やかさが人生に生まれてくるでしょう♪

      >>>>の部分です!

      • 「往々にして、今の状態が嫌なのは、人生はどうあるべきか、今の状態はどうあるべきか、という自分の思いに一致しないからですね。思考はものすごく説得力があるものです。でも、これらの思いに同化しなければ、今起きている出来事、状態の中にポジティブなもの、美しいもの、優しいものをもっと見つけられるようになるでしょう。そうなれば、状況はどうであっても、ふっとした軽やかさが人生に生まれてくるでしょう♪」

        ・・・とは、想定外の人生来ちゃって「どうしようー」と現実を否定しては「もしあの時・・・」とIF・・を延々考えることを止めることで、<想定外で来ちゃった「今」の人生>に意識がとどまり、今という現実と向き合えるようになり、心にゆとりが生まれてきたら、想定外だった今の人生の中にも素晴らしいものがあることに気付けるようになり、歩き出す勇気が生まれてくるということなのかな?

        そう考えると、私は、力強さを自分のなかに感じます。。。

        ツボとんとんセラピーすごい・・・!
        理屈で乗り越えられないことが、本当に無理なく超えられますね。すごい、すごい☆

  2. はじめまして、こんばんは。いつも楽しみに読んでます。私も、冒頭の写真いつも素敵だなあと思って見ています。

    今日の記事はとても身につまされるものがありました。まさに、私も大きなことから小さなことまで後悔しがちです…。
    私の場合、間違った決断をしてはいけないと強く思っていて、もし間違ってしまったらその後、ずっと不本意な気持ちで過ごさなければならない、自分には状況を変えていくことはできない、状況に甘んじるしかない無力な私…みたいなものがあるように思います。
    だから、決断自体が苦手だし、どうせ私の意見は反映されないと思ってるので話し合いも億劫です。これまで大きな決断もしてきましたが、いつもどこか不安で、これでよかったかな~と思っている感じで、我ながら本当に今にいないなと思います。
    私も、とりあえず、正しい決断をしなければ!という思いが少しゆるむような
    声がけを自分にしてみようかと思います。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中