自我を支えるもの

写真:山村琴美

写真:山村琴美

何度も品切れになりましたが、アマゾンが新刊の在庫をきちんと揃えてくれたようです。ということで(?)、今日はセラピーと非二元を絡めながら書いてみたいと思います。

まず、カウンセリングやセラピーにはいくつか罠があると思うのです。ちょっとリストアップしてみましょう。

 

  • 癒されていない自分は、幸せになれないと思い込んでしまう
  • ネガティブな感情や思いを悪いもの、怖いもの、取り除くべきものとしてみてしまう
  • 自分の過去を癒すことに必死になりすぎ、“私の人生”というストーリーに深くはまってしまう
  • 無意識にいつか癒しきった“いつもポジティブな私”、“幸せな私”を目指してしまう。
  • 症状や問題がアイデンティティになってしまう。例:強迫観念症の私、欝の私、苦しんでいる私など。

今日注目したいのは、最後のアイデンティティです。というのも、これが最も変化を起こすのに難しいからです。

ご本人はほんとうに苦しんでいるのですが、「症状が治る=自分がいなくなる」ことになってしまうため、無意識の抵抗が非常に強いからです。こんな場合、基本的にどんなセラピーも滑ります。

でもこんなとき、実は非二元の観点はとても役に立ちます。例えば、スコット・キロビーのメソッドなどもその一つです。

例えば“強迫観念症の私”というのは、ただの思いだね~と実感させることで、思い(アイデンティティ)との同化を切り離し、気づきの意識に寄り添うことでアイデンティティなしでもリラックスした感覚が得られるものです。(実際は、もっとステップがあります。また、強迫観念症の症状そのものには、マトリックス・リインプリンティングがお勧めです。)

基本的に自我は、なんらかのセルフイメージ、ビリーフ、つまりアイデンティティなしに機能することができません。“私は、○○だ”というアイデンティティがあるからこそ、“私の人生”を生きることができるわけです。

なので、アイデンティティ危機に陥ると、多くの人がパニックになったり、落ち込んだり、虚無感を感じたり、いろいろと苦しみます。

ですので自我は、どんなネガティブなアイデンティティでもないよりはましだ、と無意識のレベルで強く思っているんですね。

しかし、自我が気がついていないことは、アイデンティティは実はただの思いに過ぎず、自我が思っているほど、よって立てるものではないということです。

例えば、“私は一家を支える父親”や“私は優しい人”、“人と違うユニークな私”などなど、人それぞれにアイデンティティはあります。もちろん、アイデンティティを持つこと自体は、まったく問題ありませんが、気がついていないとそれが苦しみの原因になってしまうことも多いんです。

例えば、“一家を支える父親の私”が失業してしまうと、自己価値は地に落ち、とても苦しくなってしまうでしょう。また、“私は優しい人”だから、どんなに疲れていても人の愚痴は聞いてあげる、“ユニークな私”の気持ちはユニークすぎて誰も理解してくれなくて寂しい・・などなど。

いずれにせよ、自我はアイデンティティを必要としますが、意外に私たちは自分のアイデンティティ(セルフイメージ)に気がついていないものです。新刊にも書きましたが、私も“誰よりも人の心が分かる私”というセルフイメージを無意識に養っていました。

このようなその人そのものを形成しているビリーフ(私は“ひながた”と呼んでいます。)にセラピーを使うことは、とても有効です。生き方そのものが変わるからです。また、気がついていませんでしたが、自我の土台に直接ワークするため、実は自我の解体作業にもなっていたのです。

悟り体験を一度しても、たいていの人は自我の意識にすっかり戻ってしまいます。ルパート・スパイラやアジャシャンティなどの悟りのティーチャーは、自我の意識を支えるビリーフをよく見つめましょう、体に自我の残存(感情、感覚)が残っているから、それをよく見つめましょうといいます。

それを聞いたとき私は、なんだ自分が長年やってきたことではないかと思ったのです。

このような自我を形成する根本のレベルでワークすることは、ふか~いところで楽になれます。(時間はかかります) また、自分を癒せば悟れるということも全くありませんが、ただ、自我の分離意識もだいぶ和らぎます。ので、一石二鳥だなぁと自画自賛したくなったり。ふふ。

さて、英語で“spiritual bypassing(スピリチュアル・バイパッシング)”という言葉があります。非二元のセミナーでそれなりに耳にしますが、何かというと、自分の心に向き合うことを避けるために非二元やスピリチュアルなメッセージを利用してしまうことです。これも本人はたいてい無意識です。

例えば“すべてはあるがままで完璧”、“すべてはただ起きているだけ”といったメッセージを聞いて、自分の苦しみも“完璧なのだ”、“ただ起きているだけ”とやってしまうことです。

しかし、これは単に自分の思いや感情を抑圧しているに過ぎないので、苦しさは増してしまうでしょう。(そして、周囲に投影する)

以前にも書きましたが、イギリスの悟りのティーチャー、トニー・パーソンズは、“セラピーは牢獄を掃除するようなもの”と言ったりしています。自我というのは、牢獄のように狭く息苦しいところだから、そんな牢獄を掃除しているよりも、気づきの意識に目覚めたら?ということですね。でも、じゃぁ牢獄を出ても良いよと言われると、無限の自由も自我には怖いんです。

ためしに、「私は・・・」の後を空白にしてみてください。

「私は・・・」だけです。

思考が止まってしまいませんか? 自我にとっては非常に居心地が悪いはずです。(慣れれば、最高に休まる空間になりますね) なぜなら、よって立つものがなくなってしまうからです。何を基準に自分の振る舞いや考え、行動を決めたら良いのか分からない! どうしたら良いか分からないというのは、自我にとってはとても怖いことなんです。

真の自由を得るには、アイデンティティを捨てないといけません、という話ではありません。というか、それは不可能でしょう。思考は必ず沸いてくるもので、一つを捨てても自我は瞬時に何かしらのアイデンティティを身にまといます。

前回も書きましたが、今苦しいのなら、セラピーやカウンセリングを受けたほうが早いでしょう。マトリックス・リインプリンティングなどでも、無理なくセルフイメージを変えることができます。

話を戻して、アイデンティティはなくらなくても、それ自体は単に文字でしかないと見抜ければ、私たちはアイデンティティから自由になれます。そして、その上で自分のアイデンティティを生きるんです。自我を愛しながら、軽やかに、でも人間臭く♪

 

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自我を支えるもの」への10件のフィードバック

  1. あゆかさん こんにちは
    いつも楽しく、次回の記事(と写真)を待ち遠しく思いながら、日々投稿を拝見しております。
    自分とはなにか?な今回のテーマ、われ思う故にわれあり、ですね。「たった今何かを考え思う(ないしはその逆に何も考えない)自分」がありのままのあるがままの「自分」、と受け止めました。
    ・・・いかがでしょうか。ちゃんと理解できているかいささか不安です。

    先ほど、不思議な体験をしました。なんで私は幸せにならないのだろう?とふと思うとともに恐怖感に襲われました。じーっと、その恐怖に耐えてというか浸っていると、ワーッと涙があふれてきました。びっくりしましたが、泣くだけ泣いたら、落ち着きました。「幸せになるのが怖い。」昔から気になっていましたが、達成してしまうことで、何かが終わってしまうことを、目標がなくなることを怖れ、延々未完の状態にいようと、無意識に(うっすら意識的に?)行動してきたような気がします。新しいことを始めるときもなのですごくこわがり事前調査をかなりします。

    ちゃんと幸せになっていいんだよと自分に教えてあげなくちゃと思った日曜日でした。これもアイデンティティなのでしょうか?・・・つれづれなるままに・・・な内容になりました。

  2. はじめまして、あゆかさん。
    一ヶ月くらい前から本やブログを読み始めて、とても助けられています。ありがとうございます。

    今回の記事で言う、アイデンティティの抵抗なのか・・・(それとも全く違うものなのか?)、どツボにハマってしまって全く判らなくなってしまいました。

    時として「ハートと繋がれず、常にどんよりとぼんやり苦しい」時期があります。
    うまく言えないのですが、苦しく感じるときはこんな感じです。

    ハートと繋がっていたときに感じていた、ときめきや愛なんてどこにもないし、全ては暗く、ぼやけて見えます。まるで眠っているみたいに頭がぼんやりしていて、怒りと恐れと嘲りに満ちたエゴトークが頭の中で反響するほど鳴り響き、他の思考を受けつけません。体の感覚は遠く、「今」という感覚もなく、今はさっきの続きだし、今日は昨日までの続きで、まるで価値がないようです。全てが虚しく、実体がないというか、他人事のようです。それでいて、とても苦しいのです。
    この苦しみが今まで永遠に続いていたように思うし、この先も決して終らないように感じる思いを、どうにもできません。

    そういう時は、どんなアファメーションも体にしみこんでいかず、あゆかさんが発するようなエネルギーのある言葉も、なにもかも遠いどこかの、「私には関係ないもの」のように感じてしまいます。
    全てがシェード越しのような、この感じは何なのでしょうか。どうしたら楽になって、ハートと繋がれますか?

    この苦しさにはまってしまって抜けられない時は、「この苦しみは永遠に続くのだ」という感じがして、本当にツラく感じます。(そういえば、日常生活よりも仕事をしている時に、頻繁に強く感じます。煮詰まってくると日常でも感じますが・・・)

    できましたら、このことについて触れてもらえたらとても助かります。
    随分長いコメントになってしまいました、ごめんなさい。
    それと、いつもありがとうございます。あゆかさんの文章に触れていられるときは、とても安らいだ気持ちになれ、助かっています。

    • 質問者です。バイロン・ケイティの4つの質問をしてみたら判りました。
      常々あゆかさんが忠告している、”ポジティブ信者”になっていたことを・・・。

      自分のことを嫌いだし、無力だと思っているネガティブな思いがあるのに、それを抑圧して「自分のことを好きと言えれば幸せな感じが得られ、力が湧く」と思い込んでいました。
      「私が私を嫌っている」を抑圧するから、自分自身を遠ざけてしまうし、「私は周りに腹が立つ」「周りは私を嫌っている」としか思えなくなって、「あれ?ポジティブなアファメーションをしているのに、おかしいな?」となったのだなぁと気づきました。
      それに「自分は無力だ、間違っている」と思っているので、自分の境界に相手を引き込んで「あの人は私に、あの人の生き方を押し付ける(そしてそれにNOと思えない)」と感じ、非常に腹を立てていたり・・・(そして腹を立ててはいけないと抑圧し)。

      ここまで判っても、なかなか無力感を手放したり、自分自身を信じて行動することもできないでいるのですが、ひとつ、「ネガティブな思いをなかったことにしようとしていた」ことがわかっただけでも非常に気が楽になりました。
      判ってみれば、いつもあゆかさんが教えてくれることばかりですよね。お恥ずかしい限りです(苦笑)。いつも導いてくれてありがとうございます。

      • コメントをありがとうございます。自分が抑圧していた思いに気がついて良かったですね。気がついただけでは、まだがんがんに信じている可能性が高いので、それでスッキリ楽~というわけには、いかないかもしれません。でも、抑圧していた思いと向き合っていけば、虚しく、他人事のように感じる、ということは減っていくと思いますよ。

        ただ、自分を嫌っている別のネガティブな感情が出てきますけど。セラピーとしてはいずれにせよ、一歩大きく前進しました♪

        • あゆかさん、お返事ありがとうございます。その通りで、まだまだ「でもそうは言っても・・・そんなふうに言いたいけど・・・」という思考が強く、悶々としたり、気づかず思い込んだりもしますが、あゆかさんの言うとおり、「大きく一歩踏み出せたなー」という感じです。

          それにあれから沢山泣いたり、ぎゃー!となるような自己嫌悪を感じ始めています。「ただ寄り添う」という感覚は難しいけれど、それでも知らずに抑圧していた頃よりはジャッジしないでいられるように思います。
          自分がこんなに傷つきやすく、また簡単に自分を突き放す存在だとはわかっていませんでした。(でも真の私は違うのですよね!そう思うことが抑圧に繋がったりすることもありますが、ただ楽しく感じる時もあります。今とか)
          あゆかさんの文章を、これからも楽しみにしています♪いつも、本当にありがとうございます。

  3. 先日、やっと新刊を都内の書店で手に入れました。スピリチュアルコーナーで探して見つからなかったので、この店も置いていないんだとがっかりして、ふと隣の若い女性をターゲットにした華やかな(?)コーナーを見たら、平積みされていました。
    前回の本は誤字脱字が気になったり、イラストが苦手なこともあって何度も読む気になれませんでしたが、今回はまた大和出版さんで安心して読めました。装幀 もすてきですね!
    本当の自分に寄り添うエクササイズ、ステップ2をやっていますが、聞こえてくる音のレッテルがはずせません。一度も体を持ったことがない宇宙人は無理そうなので、生まれたばかりのかわいらしい赤ちゃんになったつもり(笑)で気長に練習していきます。
    今回の記事の「私は・・・」だけエクササイズをやったら、体がゆるみ、呼吸も自然と深くなり、ヨガの仰向けに寝て行う完全なくつろぎのポーズの気持ちよさに通ずるものがありました。そう言えば、そのポーズはインドでは死体のポーズと呼ばれていました。気に入って一日に何度か、やっています。
    あゆかさんのおかげで、こころがとても軽くなりました。ありがとうございます。
    これからもブログやセミナーなど、楽しみにしています♪

  4. あゆかさん こんにちは。
    タイムリーだったので、書き込みます。
    つい先ほど見えてきた思いで、「娘という役割がなかったら、どのようにして生きていったらいいのか分からないから、母を利用している(母に執着している)」というものです。
    母との関係に疲れ果てていて、欝気味になったり、家を出たいのですがなかなか出られなかったりしているのですが、上のようなビリーフはどうやって手放せるんでしょうか。

    また、先日エネルギーワークを受けた後、どっと欝気味になってしまったので、あれ?楽になるかと思ったのに~・・・と思っていたのですが、これってある種の抵抗だったりするんでしょうか。

    • コメントをありがとうございます!

      とりあえずにビリーフに付随している感情、過去の記憶などを解放すると、思いは自然と変化します。

      ただ、見つけたとたんに解放しようとするよりも、そのビリーフから、またどんなほかのビリーフが枝のように発生しているか、普段どんな行動を取っていて、どんな風に感じるか、きちんと把握してみるのをお勧めします。ノートに書き出すと良いですね。

      なぜ欝気味になったのかは、コメントだけで判断するのは非常に危険ですが、もしかすると好転反応かもしれませんし、抵抗かもしれませんし、やはり事情を詳しくお聞きしないと分かりません。でも、お母様との関係での大きなビリーフが見つかってよかったですね。素晴らしいです!(欝の原因もここにある可能性もあるかもしれません。)

  5. あゆかさん

    2年程前からあなたの文章に日々助けられています。
    辛くなると必ず繰り返し読みます。まるでお守りのように。

    思考は必ず湧いて来る。
    私が信じるアイデンティティ。
    しかしそれ自体は単に文字でしかないと見抜く。

    「私は………..」
    すごく心もと無い。拠りどころが無い。
    でも、だからこそ私は自由になれる。

    そしてその上で
    自分のアイデンティティを生きる。
    軽やかに人間臭く。

    これから私は死ぬまで
    そうやって生きても行ってもいいのですね。

    どれだけこの文章にホッとし
    涙した事でしょう。
    本当にありがとうございます!

    2年以上経た今。
    あゆかさんにコメントしたい。
    その勇気がやっとやっと出ました。

    Thanks a lot !!
    With a smile. ^_^/
    RACO.

    • RACOさん、嬉しいコメントをありがとうございます。文章が長すぎるのではないかとか、みんなが一般的に求めていることとかけ離れすぎてはいないかとか、少々心配しながら書いていることもときどきありますが、大変励まされました。こちらこそありがとうございます!

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