私たちはメンテナンスフリーです♪

写真:山村琴美

写真:山村琴美

突然ですが、みなさん本当にいつもありがとうございます!!なぜ急に?と思われるかもしれませんが、現在新刊の原稿を編集者がチェックしております。これは分かりにくいとガンガン修正される文章は、普段気にもせず普通にブログに書いている表現なのです。

ということは、みなさん、よくついてきてくださっているなぁ・・・、あぁ有難い・・・じわぁ~~と感謝の念が沸いてきました♪ ありがとうございます!

振り返ってみれば、一冊目の本は、“本当の私は魂だったのだ!”という興奮から出来上がりました。地上を生きながら、魂を成長させていくことで、私はワンネスの世界に帰っていくのだ・・・という思いは、私をとても安心させてくれました。

こういったスピリチュアルな教え、セラピー、自己愛、ハートといったキーワードは、私の人生をぐんと楽にしてくれ、満足度がかなり高いものにしてくれました。

ただ、それ以外に何かまだあると当時はまったく思ってもいなかったのです。

つまり、「ワンネスの世界に帰る魂の私が、真の私で、真実そのものである」は、なんとまだ夢の中だったということにまったく気づいていなかったということです。

しかし、魂の旅も壮大で驚異的な夢なのだということは、悟りの一瞥体験の中で間違えようがないぐらいはっきりと感じられました。そして、私は今まで信じていたことが崩壊してしまったことに、なんと大きな安堵感を抱いていたのです。

なぜなら、あらゆるストーリーから本当の私(真我)は、自由だと知ったからです。私が成長していようがいまいが、ポジティブであろうがいまいが、波動が高かろうが低かろうが、不安だらけだろうが、愛ベースであろうが、あらゆることが良い意味でどうでも良かったのです。

すべてから、まったく自由なんです。つまり、することが何もないのです。

自分もいないから、一切することがないのです。

面白かったことに、“体は動かすの?”とか、“仕事は?”とか、相変わらず思考は湧いてきました。でも、体も仕事もなにもかもものすごく無縁に感じられました。

そして、分かったのです。それなりに楽しく暮らしていても、実は“自分”を維持するために、膨大なエネルギーが使われていたことを。

もちろん、現象の私(溝口あゆか)も、そして私の魂の旅も相変わらず続きます。どうせ夢だからいい加減でいいやという話でまったくありません。ただ、私の中に大きなゆるみが生まれたのです。

“私の~~”と、私がついたとたん、無意識に緊張や防衛や期待やら、いろいろなものがついてきます。特に自我は、どんな私か?というアイデンティティを常に必要としますね。

私は営業マンである、私は母である、私はセラピストだ、私は警察官だ、などなど、職業的なアイデンティティ。

または、私は優しい人だ、私は誠実な人、私は約束を守る人など、性質としてのアイデンティティ。しかし、これは往々にして自分がそうありたいアイデンティティでもありますね。

または、私は価値がない、私は愛されていない、私は重要ではない、など深いところに抱えているアイデンティティ。

そして、“私”を維持するには、当然“良い私”である必要があるでしょう。“良くない私”は、この世に生き残れないかもしれないからです。成績の悪い営業マンの私、悪い母、うそつきの私、価値がない私、愛されない私ではまずいのです。

ですから、どうにか“良い私”、価値がある私、愛される私にしていく必要があります。ここから私たちはものすごくエネルギーを使い始めるのです。

しかし、そもそもうそつきの私、価値がない私という思い自体が思い込みであり、これらの信じなければ、そこにはありのままの自分がいるだけです。

いやいや、成績の悪い営業マンの私、悪い母には証拠があります。とおっしゃる方もいるかもしれません。しかし、それでもこれらの思いを信じなければ、そこには中立の状況があるだけなのです。

つまり、私たちがやっていることは、レッテルAを自分に貼りつけ、それを信じ込み、そしてレッテルBにする作業です。ただ、自分がレッテルAを貼りつけているということに気づいている人はごくわずかです。ましてや潜在意識のなかにあるレッテルに気づいている人などごくわずかです。(なので中級講座を受けてくださった皆さん、問いかけは簡単ではありませんが、やる価値ありですよ♪)

ところが、その潜在意識にあるレッテルが一番人生に影響を与えてはいますね。だから、気づいて解放しましょう、ということになりますが、ただ、今日はその話でありません。

それ以前に、実はレッテルそのものが真の私とはまったく関係ないということなのです。職業的なアイデンティティはもちろん、性格や性質的なもの、そして価値があるとか、愛されているとか、真の私たちは、そういったことを超えた存在なのです。

価値があるないは、結局思考が判断していることです。本当の私たちは、思考以前の存在です。価値以前の存在なのです。

もちろん、自分は愛されている、価値があると思え、それが自分に力を与えてくれるのであれば、大いに利用すれば良いでしょう。

でも、もし愛されていないと感じる瞬間があったら、または自分の価値が下がるような出来事に遭遇したら、心のどこかで本当の自分は、そういったことにはまったく無縁だと覚えていられるといいですね。

それは、少し心に緩みと余裕を与えてくれるはずです。

基本的に本当の私たちは、メンテナンスフリーで何もする必要がありません。何も。

だからこそ、自分や自分の人生に対して深刻になりすぎず、ハート中心で生きていけると良いですね♪

 

PS:もちろん、たとえば自分は価値がないと思えて仕方がない場合は、信じないようにすると頑張っても、よけい辛くなるだけですので、セラピーやカウンセリングをぜひ¥ご利用ください。

 

私たちはメンテナンスフリーです♪」への3件のフィードバック

  1. あゆかさんこんにちは。
    無意識のうちにレッテルいっぱい貼っているんだろうなぁ…と記事を読んでいて思いました。
    気づいていることも、気づいていないことも。

    記事とは関係ない話ですが、そして、あゆかさんが話している内容に沿っていないかもしれませんが…
    最近、『人は多種多様の考えや価値観を持っている』ということを、実体験で経験しているにもかかわらず、相変わらず『なぜみんな私の意見を否定するのだろう?そっちが間違ってるのに…』と思っている自分がいて、そのことにすごく苦しんでいました(怒っていたかな)。今はその場所から離れたので、少し楽にはなりましたが、人間関係ほとんどがそうなんじゃないか?ってとても不安です。

    特にアドバイスがほしいとかではなかったのですが、このブログは時々読んでいて、講座も受けたことがあり、たまたま今日更新されていたので、今考え悩んでいたことを書いてみました。

    長文、乱文失礼しました

  2. あゆかさん、こんにちは♪
    いつも「救いのブログ」をありがとうございます!
    私はまたまたあゆかさんのブログに救われました!
    不思議なことに(い~え、本当は不思議ではないのですよね・笑)、いつでも私の心の動きとリンクした内容なんです。読んだ後はハートがすっきりします。

    友人と旅行で何日もの間ずっと一緒にいて、エゴまみれのトーク炸裂状態が続いていたせいでしょうか・・・とても鬱々としたもの(抑圧されていた思い!)が急に湧き出てきて、なんとも居心地が悪くなっていたところでした。
    日常の付き合いにおいては、レッテルを貼らないとうまく話ができなくて、それを繰り返してしまいます。
    これに、「常に気付いている状態でいよう!」と思っていても、その余裕がなくなってしまいます。
    でも、こういう時こそ、自分の抑圧した思いに気付けるものですよね。解放するチャンスなのですから、自分でどんどんやってみようと思います。

    私達は思考以前の、価値以前の存在だ、ということ・・・そうでした!
    明らかにハートが落ち着いてきました。
    いつも、本当にありがとうございます!
    今週末の上級講座で「あゆか節」が聞けることを心から楽しみにしています!

  3. 読んでいて、じわ~んと気持ち良くなりました。

    分かりづらいなんて全く思いません!
    出し惜しみせず書いてくださって、本当に分かりやすいし面白いです☆

    いつもありがとうございます!

    いま上級講座に向かう電車の中です。
    3日間、楽しみです♪
    よろしくお願い致しますo(^-^)o

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