自分を見失った太陽?~真の私とは~

写真:山村琴美

写真:山村琴美

世界のあちこちで天候が荒れているようですね。イギリスも洪水被害がひどいのですが、日本の大雪の被害もすごい様子ですね。少しでも早く必要なものが手に届くよう心から祈ります。

さて、今回もコメントにお返事させてください。コメントをありがとうございます!

【真の自分を探す必要も、つながる必要もないんです。まずは、「個の私」が真の私を見つけるとか、つながる、または何かを心がけて真の自分に近づくといった発想を捨て、なぜいつも常にある真の自分を見過ごしてしまうのだろう?という発想に変えてみませんか?】衝撃でした。私はまさに、真の自分を見失っているように感じ、それを見つけよう、そこに繋がろうという視点で日々を過ごしていたからです。その為のワークにも取り組んでいます。なので あゆかさんが仰る “発想の転換” には、どんな意味があるのだろうか?と思ったのです。

まず、真の私につながる、真の私を見つけるという表現自体は、別に間違っているということではありません。ただし、ここがとても重要ですが、今の私と真の私の二つがあると思っていない限りです。または、今の私じゃない私になるべきだと思っていない限り。

私の先生であるルパート・スパイラさんがよく使う例がとても良いと思うので、私風にかなりアレンジしてご説明させて頂きますね。

ということで・・・、あなたが太陽だとします。光の根源であり、あらゆるものを照らすことができます。そして光を向けると、照らし出されたものがよく見えます。そこで太陽は “わぁ、地球って青くてきれいだな”、“木星はなんて大きいんだ”、“土星は輪がついていて格好いいなぁ”(天文学まるで無視&小学生レベルの知識で失礼します)と光をあてて見える惑星や星屑や宇宙の動きに、すっかり魅了されてしまいました。

そうやって、自分が光をあてているものや出来事に集中しているうちに、常に輝いている太陽は、光があたっているからいろいろなものが見えるという“シンプルな事実”を、あまりに当たり前なために忘れてしまいました。太陽にしてみれば、全くなんの努力もしなくても、ただ存在しているだけで様々な宇宙の動きが見えるわけですから。

そして、周囲に起きていること、他の惑星の動きばかりにすっかり心を奪われ、自分が光を放っていることを忘れてしまった太陽は、だんだん自分の存在が見えなくなってしまいました。というのも、唯一照らすことができないのは、自分だからです。

しかしある日太陽は、照らしている惑星ではなく、光のほうに意識がふと向いたのです。そして気がついたのです。この光は自分と常に一緒にあるぞ、そしてこの光はとても身近で、一度も自分から離れたことはない!天体で何が起きても、星々が移り変わっても、いつも光は自分とともにある。そもそも、光がなければ、自分はこの天体のショーが見えなかった・・・。ということは・・・私は光そのもの、光の根源、それが私ではないか!

さて、自分を見失った太陽が真の自分とつながる必要はあるでしょうか?見失った自分と真の自分の間に距離はあるでしょうか?そして、真の自分を見つけるためにどこかに探しにいったり、精神性を向上させたり、自分を変えたり、なにかワークをしたりする必要があるでしょうか? 基本的に何もないんです。見えている物ではなく、光のほうに気がつけば良いだけなんです。(とはいえ、自我に深く同化している私たちにやれるワークは、もちろんあります。ですので今のワークが役に立っていたらぜひ続けてください♪)

では、光を意識という言葉に置き換えてみましょう。私たちが、考え、感じ、見たり、聞いたり、匂ったりなどなどこれらの経験があることが分かるのは、それ以前に意識があるからですね。

自分が考えていることが分かっている、悲しくなっているのが分かっている、何かをしているのが分かっている・・・すべての私たちの経験を“分かっている”意識があります。

ですから、考え、感情、物、他の人、出来事といった客体物ではなく、分かっている意識のほうに焦点をあてたとき、その意識は常に自分とともにあり、一番身近で、呼吸よりも努力なしに、なにもしなくてもそこにありませんか?

どのたとえ話も真実を説明するには限界があるように、もちろん、これも真実を完全に描写できているわけではまったくありません。このコメントの方のご質問に限ったたとえ話です。なぜなら、真実は太陽(主客)と照らすもの(他の惑星­―客体)という構図ではないからです。

と念を押した上で、この例え話をもう少し続けると、太陽が自分の光を見過ごしただけではなく、“自分は力がない”、“自分は能力が低い”などなどといった思いを信じたとしたら、真の自分を忘れたかなり惨めな太陽が出来上がります。でも、太陽がどんな思いを信じようと、光が曇るわけではありません。

ということで、“なぜいつも常にある真の自分を見過ごしてしまうのだろう?”という問いに戻ります。それは、私たちが常に思考、感情、体に同化し、それらを分かっている意識ではなく、思考や感情、そして体のほうが自分だと思ってしまっているからですね。

“真の自分を見失っているように感じ”というとき、そこにあるのはどんな感情、感覚でしょうか? 不安?空虚感?焦燥感?そして、どんな思いが他にあるでしょうか?

真の自分を見失ったのではなく(それは不可能だから)、そういった思いと感情に同化してしまっているんです。今そこにどんな感情、感覚、思いがあったとしても、それに気づいている意識まで失うことはありませんね。

その意識が、真の私たちなんです。意識と書いていますが、それを「無条件の愛」、「平和」、「知恵」などと言い換えても同じです。

太陽がどんなに他の惑星たちに心を奪われていようと、光が消えることがないように、私たちがどんなダークな思いや感情に同化していようと、真の私たちがいなくなることはありえません。つまり、どんなにネガティブな状態に陥っていても、愛や平和が私たちから消えることはないんです。不可能です。

ほんとうにそれらの思いや感情が自分だという勘違いを解くだけなんですね。ただ、それが簡単ではないことは、自他ともの経験上よく分かっていますが。最終的に、すべての思い、感情も真の自分であるというところに戻っていくでしょう。(私はすべてであり、すべてではない。空即是色、色即是空)

たとえ話の太陽は、自分を見失ったことにしましたが、真の太陽はただ存在しているだけで十分に完結していて、十分に輝いています。そしてそれが、真の私たちです♪

 

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自分を見失った太陽?~真の私とは~」への12件のフィードバック

  1. あゆかさん、素晴らしい記事をありがとうございます。真の自分とはどのようなものか、とてもわかりやすいです。すべてに気づいている意識、ですね。これをプレゼンス、というのだと思いますが、一方でプレゼンスでは思考が無いとも説明されます。過去も未来も思考もストーリーもない、と。思考や感情を自分ではないと見抜いている状態だというのはわかるのですが、往々にしてその見分けがつかなくなりかけるのが問題です。うまく見分けるコツがあると楽なのですが。それから、プレゼンスの状態、気づいている意識も、考えることはあるのではないでしょうか。意識的な思考、ハートからの思索、とでもいうか。

    • こんにちは!コメントをありがとうございます。

      >これをプレゼンス、というのだと思いますが、一方でプレゼンスでは思考が無いとも説明されます。過去も未来も思考もストーリーもない、と。

      思考がまさにやりがちなことですが、これはプレゼンスというものだなと思考のボックスに入れてしまったとたん、思考の理解の世界へ行ってしまい、真実から離れてしまうでしょう。今、自分がいることが分かっていますよね?その意識です。とくに特別なものでも何でもないです。

      自分がいることが分かっている意識は、考えていますか?それとも考えがあることに気づいているだけですか?考えに行くのではなく、体験に尋ねてみてくださいね♪ そしてまた、何かを考えている主体はないということもお忘れずに。

  2. よくわかったわけではありませんが
    なんだか 胸の奥から湧上がってくるものを感じました。
    熱いものがこみあげてくるような・・・

    お久しぶりです
    お元気ですか?

    • あはは
      久しぶりだったから
      匿名で出ちゃってた
      ぼんちゃんです
      って 言っても覚えてないですよね〜
      ぷぷぷ
      一人で 勝手に親近感湧かせてます。

      • こんにちは!お久しぶりです。もちろん、覚えております☆ セミナーにも一度いらしてくださいましたよね。お元気でいらっしゃいますか? 今後もときどきご訪問くださいね♪

        • もちろん だなんて・・・♡ 超 嬉しいです^^
          一度しか行っていないのに 覚えてくれていたなんて~
          それだけで 張り切って 生きていけそうです
          これからも よろしくお願いします。

  3. あゆかさん、記事に取り上げて下さってありがとうございます。
    ここから私が得られた益についてはご想像頂けるか分かりませんが、私には素晴らしい宝石です。

    だってまさに、あゆかさんが話の冒頭でご指摘の通りの捉え方、“今の私” と “真の私” の2つに、分けて考えていたんですから!両者は分離しているものだと。
    だから両者の間にある “距離” を縮めたり、真の自分を見つけてそこに結びつく為には、何らかの作業、ワークが必要なんだと思っていました。

    ですが、自分を見失った太陽が真の自分とつながる必要はあるのか?
    …ここで何かが、
    パッリーン!
    と、音を立てて割れた思いがしました。

    説明するには構図的に限界のあるたとえ話だとの念押し 注意書きを踏まえじっくり見ましたが、私にとっては簡易明快!でダイレクトに響きました。
    大切なことはいつもシンプルなんですね^_^

    これまでも何度となく “本当のことはとてもシンプル” という言葉に触れてきて、とても好きで来ましたが、いつの間にか自分の事を自分で複雑にしていたようです。

    (今この時点で)頂けた理解から鑑みて、正直私はワーク提供元に踊らされた感が否めません 笑。その点については良くも悪くも色々思うことありますが割愛します。総じて見れば益になってはいますが、ただ、失業中のまさになけなしのお金をはたいてのものだったので、今はより痛く感じます 笑。
    …と同時に、身が軽いとも感じます。(お陰様で。)

    勘違いを解くという発想ではなく、距離を縮めるという考えに馴染んでしまっていたので、今日あゆかさんに教えて頂いた、この直截で明快な “太陽のたとえ話” は、何度も反すうして読み込もうと思います。

    あゆかさんが、これまでのご自身の知識という宝物の中から、私の質問に合わせて宝を選定し、アレンジしてご提示下さったこと、
    本当にありがとうございます。
    見えない宝石だけど、大切にしますね♪^o^
    おやすみなさい☆

  4. あゆかさん、こんにちは。
    いつもありがとうございます。
    たとえ話、すっごくわかりやすかったです。
    自分の中で「つながる」ということに違和感があったのですが、なんかすっきりしました。

    >真の太陽はただ存在しているだけで十分に完結していて、十分に輝いています。そしてそれが、真の私たちです♪

    いろいろなことに翻弄されても、このことをすぐに思い出せればいいなと思います。

  5. 先日明晰夢を見ました。
    とても不思議な感じでした。
    (明晰夢:夢を見ていると自覚しながら見る夢)
    それで思ったのですが、目覚めるとか悟るとは、
    この現実だと思っている世界が夢のような世界で、
    本当の私はその夢を見ているだけだと気付くことなのかなと思いました。
    そうだとすれば、眼を覚ませばすべては消えてしまうのだから、
    夢の中で何が起きても大丈夫、問題がないですよね。
    それで、覚醒した人や覚醒体験した人は、
    大丈夫最初から救われているのだから、
    目覚めない人はだれもいない、というんですかね。
    それに、私が見ている夢に現れる人や物はすべて私の意識から現れているのだから、
    夢の中のすべては私で一つということになりますね。

    覚醒体験をされたあゆかさんどのご意見を聞かせていただければと思います。

    • コメントをありがとうございます!

      ものすごく考えていますね♪ 悟りとはこういうものだという正しい図、イメージ、考えを求めているとしたら、たぶんどれも間違っていると思います。前回、私が悟りに対してどんなイメージがありますか?と尋ねたのは、自分のイメージに当てはめて、求めてしまうとどこにも行き着かないからです。(前回2回お返事しております。)なので、自分がどんなイメージを抱いているかをまず知り、それを捨てるところから始めたほうが良いかもしれません。

      今回の太陽のたとえをもう一度読んでみてくださいね。考えすぎず、自分が今いることが分かっている意識に寄り添ってみてください。シンプルに、思考と分かっている意識が別のものだときちんと見抜いてください。そして、ただ何も求めず、呼吸よりも近いこの意識のままでいてみてください。

      PS:悟りとはすべてが分かって腑に落ちることではなく(自我が満足できるから)、真実の前に思考が降参することとも言えるかもしれません。

      • ありがとうございます。

        思考の罠に嵌ってしまいました。

        真実の前に思考が降参すること。
        このことに捕らわれずに、心にとめておきます。

  6. 今回も素晴らしい記事をありがとうございました。
    悟りとは、癒しに癒した後の最終ステージなので、まだまだ自分を癒しきれていない私には関係のない話
    という自分のイメージに気付きました。頭ではそうでないとわかっていたはずなのに思考は本当に不思議です。

    話は変わりますが、
    私は幼少の頃から変わっていると言われ続けて来ました。
    自分も傷ついたし、私の空気を読まない言動に周りの友人も傷つけて来たと思います。
    大人になってからは、普通の反応を心がけているつもりですが、周りと馴染むという事には私には膨大なエネルギーが必要で、疲れてしまいます。
    そういう自分を親からのDVにあっていた後遺症(心が歪んで育ったのでは)と、コツコツ自分を、過去を見つめて来ましたが、ここにきて大人の発達障害なのではと思うようになりました。
    テレビで見た発達障害の方の言動が自分にそっくりでしたので。

    発達障害と判断を受けた訳ではありませんし、仮にそうでも社会生活は送れているので、軽度だと思います。

    そこで質問なのですが、
    発達障害など元々に障害がある場合でも、セラピー、カウンセリングは有効なのでしょうか。
    今までコツコツ癒してきた事は、無駄だったのかと心配しています。
    また、空気が読めないなどをセラピーなどで軽減していくことは可能なのでしょうか?

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